
チャガルチ市場入り口付近で見つけた6匹の子豚
秋田・山形の海辺地方で食す「エイ」をプサンでも発見。日本海食文化なのか。
関空から1時間40分であっけなく韓国プサンに着いた。 隣の国であり、在日の生徒達とも接してきながらあまり気持ちがかきたてられる事もなく見過ごしてきた韓国であったが、3年生を送り出したそのご褒美として2泊3日のプサンの旅に出る事にした。
空港から出て行くバスや車の中から見る景色に、その国の第1印象というものがうまれる。 我々10人が乗るには大きすぎる古びた大型バスに揺られ、プサンの中心部に向いながら次第にはっきりしてくるプサンの普通の街の景色は、長い間塗装が出来ずに多くの建物がほったらかしになっている印象であった。
宿泊先になっていた繁華街の中心部に位置するロッテプサンホテルは交通の便もよく、地下鉄西面(ソミョン)駅に歩いて5分という好位置にあった。 繁華街のファッションマートまえでたむろする若者の姿は日本のそれとなんら変わる所はなく、待ち合わせ時間に来ない友人からのメールを携帯電話の画面でチェックしながら雑踏の中じっと立っていた。
地下鉄ソンミョン駅構内の表示は基本的にハングルで、南北にしか走ってなく乗り場も2つしかない地下鉄でありながら、乗るたびに方向を間違え一駅乗ってはそこで降りて逆方向へ行く、ということを繰り返していた。
初日に1人でソミョンから8つくらい北の駅にある温泉場(オンチョンジャン)という所に出かけた時も間違えていたにもかかわらず、翌日も同じように間違えた時の事である。
「あー、また逆方向にきた。いかんなあ。昨日も間違えたのに。んーと、乗車ホームが次の駅だったら降りて向いのホームだったかなあ。」 などと同僚と日本語で普通に話しながら我々はホテルでもらった地図を眺めていた。
「次の駅で降りなさい。私も一緒に降りるから。」 と少しだけ癖のある日本語で話しかけてきたその婦人は、年の頃なら私の母と同年代の60歳台のように見えた。 我々が車内に乗りこんだ時からその婦人はこっちを伺っているようなそぶりを見せていて、少しバタバタしている我々に日本語で何か話しかけたいような風でもあったのだ。
60歳半ばの人生で日本語が大脳に入ってきたのは彼女のどんな時期だったのだろうか。戦争から55年。自国語以外の言葉を覚えることは、自発的であろうが強制的であろうがそう簡単にできる事ではない。考え出すと、日韓の歴史の上で自分の知らない部分がかなり気になった。
日本の若者と何ら変わらない現代っ子。日本語を話す老婦人。 そのはざ間に自分と同じ年齢の人達が存在するとなると、彼らが日本人をどう感じていたりするのか知りたくなった。
しじみのすまし汁の中に入った細いきしめん風韓国うどんはさっぱりしていて、汁だけおかわりしてもらった。
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