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| 内路には、戦時の樺太防衛計画では対ソ連侵攻時の防衛拠点に指定され、有事の際には軍民ともに内路に終結して立て篭もる計画となっていたようだ。そのため、内路には比較的多くの軍事施設が建設されていたと見られる。サハリン州郷土博物館のI.A.Samarinによれば、写真の住宅も軍が建設したものであると伝えられている。2戸1棟の形式で、1戸あたりの面積が比較的大きいため将校官舎であったと考えられる。同様の住宅は旧大谷飛行場の将校官舎にも見られる。 |
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| 屋根形式は腰折れ(マンサード)で中2階建になっており、外壁にはブロックを用いているのが特徴である。写真では2階部分は上から板を貼っている。窓部分は二重窓になっており、日本期の住宅では珍しく、耐寒性を十分に考慮した住宅である。 |
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| 同様の住宅建築は、旧内路市街地には数多く存在したとのことだが、近年老朽化や火災などにより滅失数が特に増加しているのが憂慮される。写真は今年の春に焼失したものである。 |
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| 焼失した家屋の内部。集合煙突もブロック造であったようだ。また、内部の間取りや設えはソ連〜ロシア時代に大きく改変されている痕跡があり、ここから往時の状況を推察するのは難しい。 |