| ■ 桜と滝に秘められた女神 |
| ■風琳堂主人
投稿日:2002年4月3日<水>05時28分 |
サクラさん、marさん、サムトのババロアが話題になっていてビックリです。
いいかげんな舌の記憶でまちがっていたらごめんなさいですが、このサムトのババロアは、たしかチョコレート風味のゴマババロアみたいな味です(だったとおもいます)。道の駅「遠野風の丘」のレストランのサラダバーで食べられます。
息抜きで居酒屋さくらの暖簾をくぐると、もう無茶苦茶なスピードで話題が展開していて、画面で読むのはシンドイということでプリントアウトして読んでいます。
遊観さんの宗像寄港の沖ノ島旅行記は得がたい話が満載で、トカゲさんの3分クッキングは、彼にこんな裏芸もあるのかとこれもびっくりです。それに、月うさぎさんの瀬織津姫像もなかなかで、これはトカゲ好みのベッピンさんで、いよいよこれでトカゲさんの婚期は遠のくなと余計なことをおもったりしています。今、もっとも元気な居酒屋掲示板が「さくら」ですね。
慣れない内職──中学国文法の解説・編集なんか安請け合いで引き受けてしまって、毎日毎夜ストレスの時間で、あかねさんといい勝負の夜更かし続き、同じく息抜きでイッパイいただきにきました。そして、アレッという展開です。
サムトのババロアについては、今度、製作者にもう少し確かなことを聞いておきます。
ところで、桜の季節は遠野はまだなのですが(遠野も早まってはいますが、咲きは今月中〜下旬らしいです。今、瀬織津姫の滝「又一の滝」の山桜で静かに花見をしようかという話があります。都会にはない花見でしょう?)、日本の三大桜の一つといわれている桜に、樹齢1000年以上と推定されている福島県の「三春滝桜」があります(あとの二つは岐阜県根尾村の薄墨桜と山梨県武川村[実相寺]の神代桜)。
そうです、滝と桜がセットになっているのです。正確な場所は「福島県田村郡三春町大字滝字桜久保」です。住所名からして瀬織津姫の匂いプンプンです。おまけに、ここには、瀬織津姫ゆかりの「桜谷」の地名もあり、これは見過ごすことはできないではありませんか。
というわけで、この三春滝桜のことについて質問を受け付けるHPがありましたので、下記のような「お尋ね」をしてしまいました。
■公開メール
岩手県遠野市で本をつくる仕事をしています風琳堂の○○(風琳堂主人の本名が入る)といいます。
当地=遠野を1000年以上にわたって見守りつづけてきた女神(瀬織津姫=せおりつひめ、といいます)を調べているのですが、この女神を調べていきますと、御地とも縁深い坂上田村麻呂との関係も見えてまいります(福島県で確認できるのは、広野町と楢葉町の大滝神社や只見町の滝神社、田島町の滝口神社の祭神として瀬織津姫の名
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| ■ 筍いろいろ |
| ■佐久之宮
投稿日:2002年4月2日<火>09時57分 |
そろそろ筍のシーズンですか?。
当地はモウソウ竹が生育しないので真竹の筍や根曲がり筍なんかを多く頂きます。
ところで中国では川原のアシ(ヨシ)のミニ筍も高級食材として珍重される
と言います。 残念ながら私はアシの筍を食べたことがありませんが、
どなたかご存知???。
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm
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| ■ お言わずの島 |
| ■さくら
投稿日:2002年4月1日<月>23時33分 |
遊観さん、
お言わずの島で遊観さんを見つめた眼が複数の女神様。
本当に女神は嫉妬深いと言われてるもんね。
どんな経験したんでしょうか?
うん、ここは耳を傾けちゃおう♪
このごろ、帰りが遅いです。
そんだなぁ。。。そんなときには焼酎の梅割り?生グレープフルーツで割ってみる?
お通しは、筍の土佐煮とふき。
カレイのから揚げでいかがかしらん。
今日、花屋の前を通りました。
久々に、ピンクのスイトピーが眼に飛び込んできて立ち止まってしまいました。
ほら、薄い花びらが春呼んでくれるよう....
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| ■ 宗像寄港 (3) |
| ■江部遊観
投稿日:2002年4月1日<月>02時35分 |
大岩があるのは、発表されている遺跡だけではなく、そのずっと上のほうにも重なるように連なっている。それはそれは荘厳な雰囲気だった。
しばし岩に見とれていたが、意を決してその大岩を迂回してさらに登ってみた。すると、石組みしてある高さ30センチ、幅5メートル奥行き2メートルほどの段があり、その前に整地した七、八坪ほどの平らな場所があった。
だがここには草や木が生えていない。作業中か、あるいは作業が終了してまだ間もないために、草の一本も生えていないのかと思ったが、そうでもない。それなら経験ですぐに分かる。まるで除草剤を撒いたかのように草が生えていないのである。さらに段の左側には、段に上がるための30センチほどの五段の石段が作られており、この平らな場所が祭壇のように感じられた。石組みと石段、山の斜面に平らな整地、明らかに人工的なものだ。草や木が生えないのは、何かの力が働いているからかもしれない。
回りにある木が張り出した枝などで、日光が遮られ物理的には明るくはないが、雰囲気は生き生きとした柔和さと気品が満ちあふれ、とても明るい雰囲気を感じる。それでいて華やかさまで感じる。
ところが、私が感じたそれは、この場所が醸し出す雰囲気ではなく視線だったのだ。複数の視線だった。もちろん、ここにいるのは私一人であり、誰もついてきていないことは確認している。どの方向から私を見ているのか分からないが、とにかく若い女性の複数の視線だった。「ああ、三女神、だから複数なのか」そんな風な感じだ。田心姫神が沖津宮で、湍津姫神は中津宮、市杵島姫は辺津宮となっているが、それじゃあ、まるで駐在する役人のようだ。そうではなく、どの宗像神社にも女神は三柱ずつ居られる。
また、女人禁制の島、お言いわずの島、海の正倉院、国家的祭祀・・・どれもこの島を言い表していない。ここはそんなもんじゃない。別格だ。当然「日露戦争戦勝おまつり」なんてバカなことをやるには勿体ない所だ。そんなことをする宗像大社の関係者は明らかに勘違いしている。だいたいこの列島の神々はヤマト朝廷の天皇とも本来は関係ない。神たちはその経歴と縁起を捏造、改竄されてお困りになっていると思う。瀬織津姫も、大祓みたいなひどい祝詞に閉じこめられているが、本来はあんなみっともない祝詞に登場するような神ではないはずだ。
次回は、自分が浮かび上がってしまうのではないかと思うほどの超空間のことについてお話する予定である。
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| ■ わぁ、ありがとう! |
| ■さくら
投稿日:2002年3月31日<日>22時06分 |
marちゃん!きゃ、ありがとう!
食べたかったんよ、サムトの婆ろあ!
サムトの婆が30年もデザート探して、紀の国でやっと見つけて
遠野にお土産に買って帰ったという、紅玉のムース!
ふーむ、世の中いろんなことが起こってるんだ.....しらなんだもん。
あはは、風琳堂のご主人!絶対食べて欲しいなぁ....
月うさぎさん、素敵ですよ!瀬織津姫。
暖かな春を感じさせる桜には鎮魂の思いがあります。
そんな、美しくもどこか儚い桜につつまれて、なお凛とした
強さと暖かさを感じます。
ルシファ−とまた違った目の表情が、生き生きとして見えますもん。
トカゲさんが感激するのも無理ないかな?女の私でもいいなぁ〜って思うもの。
うさぎさんに乾杯ですね。
min-minさん
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋江上の破屋に、蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住み替る代ぞ雛の家
面八句を庵の柱に掛置。
そうなんですよ!中学時代に暗記させられたこの序文に、春立てる霞のころに
なると、行き倒れるような旅に出たくなります。
でもなぁ、芭蕉はすごーく歩くの早くて白川の関も早くに越えられたけど
私は途中で行き倒れて...サムトの婆にもなりそこなうかなぁ?
でも、行き倒れる前にサムトのババロアだけは食べておこう...
それから、タイランドの風感じてmin-minさんと飲んでから....
それから、それから....はい、魔に捕らえられておりまする...
クミコさん、今日はポカポカ日の匂いがするお布団でゆっくり
夢が見れますね。
あはは!私は明日が日曜日のような気がしているんよ。
こんなことで、明日は大丈夫だろうか?婆ロア食べよ♪いっしょに!
朝、とっても暖かな日差しが夜には一転して雨。
遊観さん、府中の暗闇祭りが懐かしいです。すごく懐かしいです府中!
府中にいたころに、地元育ちの友達から聞きました。
毎年、殺人事件が起こってたみたいだって...結構、暴力団さんなんかも幅利かせてたりして....(^^)
遠い昔に、あの筑波でも有名な「歌垣」が府中でもあったのでしょうか...
歌垣には豊穣を願って神の夜を楽しんだとか?
あはは、男だけでなく青梅のおばあさんの若かりしころも
そうだったんなて、ほんとうに闇は遠くなりにけり....
闇が戻ってこないかな....なんてね♪
なにか雨を見つめていたら、センチになってしまいそう...
さぁ、今夜は揚げ出し豆腐と、チャンコなべ
腰すえて、いっぱい飲んでいきませんか?
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| ■ 婆ろあ(←いつまでおんなじこと言うてるん?) |
| ■mar
投稿日:2002年3月31日<日>16時07分 |
こんちは。
サクラさん、サムトのババロア持ってきたで〜。お客さん来る前に二人で食べてしまお〜。。。と思ったけど、昼間っから色んな人がいるんですね。あらら。
仕方ないから、みんなにあげます。 はい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mar-qch/
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| ■ ご無沙汰です。 |
| ■min-min
投稿日:2002年3月31日<日>14時55分 |
ガラガラー。
おおっと、オカミさんは「仕込み中」でしたか。そういえばのれんがかかってなかったですね。
ま、開店準備でお忙しいところ申し訳ないっすけど、冷えたビンビールだけいただけます?あ、つけだしも要りませんよ。
あれ、借金たまってませんでした? はは、ここはツケお断りでしたっけ。
ところでここんところ半世紀以上生きてきて、
『月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。・・・』
なんていう芭蕉の世界がほんのちょっぴりわかるような心境になってます。
人生という旅はまだ続くんでしょうが、ちょっと疲れを感じる今日この頃です。
旅に倦んでどこぞで行き倒れないようにしなくっちゃね。
ところで、時々「我が家」にもいらっしゃっていただいてるようですが、お茶も出さずすみません。
5月になったらタイランドから客人を迎え、美味しい酒でも一献酌み交わしましょう!
min-min@横浜でした。
http://homepage2.nifty.com/TUBA/
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| ■ おはようございます |
| ■月うさぎ
投稿日:2002年3月31日<日>11時05分 |
二日酔いの月うさぎです。
酒の後のケーキがぐっと胃にもたれてます。
セオリツヒメ、やっとアップしました。
待ってていただいてありがとうございました。
でも悩み多い絵になりました。
桜、瀧、ああ、描けない〜
で、ごまかしました(笑)
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/
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| ■ 日本晴 |
| ■クミコ
投稿日:2002年3月31日<日>10時45分 |
いいお天気です
日本の青空が大好き
お布団干しました。
帰りは雨の中でしたが、
さくらを楽しむことができて良かった。
やっぱり 日本最高!
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| ■ 暗闇祭り |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月30日<土>23時16分 |
暗闇祭りは、小学生の時に体験しましたが、ともて恐ろしいものでした。御神輿に潰されて死ぬ人もいました。また、大太鼓に先に登っている人を引きずり落として自分が駆け上ろうとして、上から一升瓶で叩かれて頭を割られたり、流鏑馬は流れ矢がどこへ行くのか、子供心にも心配しました。暴力的なものでした。そのため、40年以上前に暗闇は廃止されています。
しかし、それは戦後の暗闇祭りであって、戦前の祭りは古老の話を聞くと大分違ったものだったようです。30年くらい前に青梅の80才くらいのおばあさんに聞いた話ですが、青梅の若い女性達は徒歩で一晩かけて、暗闇祭り見物に行ったそうです。当時それがいかに楽しかったものか、祭りを語る時の目は80才でもきらきらとしていました。そうなんですね、神祭りは明治維新後、ずいぶんと変わったように見えますが、実はそうでもなく、第二次世界大戦以後の方が変化は大きかったようです。「祭りで男を知る」・・・それがメインの話でした。
網野 それから、中世ではよく寺社に参籠、お籠もりをしますでしょう。鎌倉時代には参籠中の男女を混在させてはならないという後宇多天皇の宣旨もでているわけですが、 実際に絵巻物をみていると、参籠の場所で男女が一緒に寝ているんです。絵巻だから、 絵に描いているので、明るいように見えるけれども、実際は真っ暗なはずです。せいぜ い灯明が灯っている程度の場所で参籠しているわけです。しかもお籠もりの場所は、神 仏の場所だから市庭と同じなんです。世俗の縁が切れている。だからよく、子供が授か るようにと、神様にお願いしてお籠もりしている時に子供が生まれたというのは、本当 にあったと思うんです(笑)(馬・船・常民 東西交流の日本列島史 網野善彦・森 浩一 講談社学術文庫)。
古代・中世祭式の様子が、十世紀に成立した延喜式・神祇に事細かに記載されているが、深夜こそが祭の中心であった。民俗学者柳田国男や南方熊楠は、古典や地方の風習から古代の人々は夜の始まり、つまり日没を一日の始まりと意識していたことを指摘している。
発生、創造を表す産霊というモノを動かす力が夜に沸き起こり、その夜が作ったシナリオによって昼が成り立つとするものである。
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| ■ 期末だよ! |
| ■さくら
投稿日:2002年3月30日<土>22時16分 |
あかねさん、徹夜続きで大変ですね。
体に気をつけてがんばってね!うん、簡単でおいしいもの食べて...
それから、方向感覚って言葉が出てこなくて....失礼いたしました(^^)
実は期末の〆の只中で、私も毎日サメのように休まず働いておりまする。
あーぁ、早く自由の身になって、瀬織津姫に会いに行きたい!
ピンクのトカゲさんの処はすっかりお祭りムードになってますね。
東京ではなかなか見れない手筒花火。
勇壮でそしてどこか神聖で儚げな花火は子供のころから好きでした。
もっとも、実際には手筒は一度くらいしか見たことありません。
それもどこで見たのか思い出せないくらい....
あはは、今頃トカゲさんはきっとおいしいお酒飲んでるんでしょうね。
ところで佐久之宮さんのところのお祭りってどんな感じなのでしょう?
遊観さんは府中の暗闇祭り...知ってますよね。
私は知らないのだけど、真夜中のお祭りに一度参加したかったです。
祭りって本来は暗闇で神と交信する場所だったのかもしれないなんて考えます。
闇は魑魅魍魎の住むところみたいに言われるけど.....闇の中にほんとの神がいるような気がするんですよね。
遊観さん、沖ノ島は縄文時代中期の関東もこんなだっただろうなと思われるなんてなんだか懐かしく思ったなんて、沖ノ島が急に身近に思えてしまう。
今日は、モツの煮込みと豚のばら肉と大根煮てみましたよ。
ゆっくり、呑んでいってくださいね。
そういえば、クミコさんと呑んだホテルのラウンジには
オールドウロウはおいてありませんでした。あはは残念だったです!
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
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| ■あかね 投稿日:2002年3月30日<土>05時23分 |
うう、徹夜の真っ最中…。急に分量を増やされて、終るはずがまだ終ってません。
ほんで気分転換に遊びにきました(^^)v。
くしょぉ、今日はいい天気だから、お花見に行くぞぉ〜〜。行けるかなぁ…
ピンクのトカゲさん
ありがとうございました。鮪の竜田揚げもお弁当に入れてみよぉっと!
いかのリング揚げはよく作るのですが、なるほど片栗粉とカレー粉は、
美味しそうです!やってみますね。食がすすみそうです。
サクラさん
あはは。そうです。方向感覚、ホント笑えるくらいにひどいんです。
母方の祖母と母、私と三代続いての方向音痴です。
でも妹たちには、全然これが遺伝してなくて私だけが…(T_T)
さすがに大阪近辺では、あまり迷いませんが、出張先ではよく迷います。
んで、迷うのに供えて20分くらいは時間の余裕を持って行きます(笑)。
勘自体は結構、いいほうなんだけどなぁ。
やっぱり方向感覚のなさが、世界を随分、狭めてると思うなぁ(T_T)。
ああ、それにしても桜のトンネルの下を歩きに行きたい…
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| ■ 沖ノ島紀行 (2)の2 |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月30日<土>01時08分 |
私は祭りに参加する人たちの最後尾についた。そして、そろそろと消えようと、薮の中へ入りかけた。その時友人の神主さんが、振り返って私を見たので、ウィンクをして「行ってきます」と声に出さず言った。彼は微笑んで「行ってらっしゃい!」と目で言った。
少し登った所で下を見ると、そろそろ大祭の用意がなされ、参加者が全員本殿の前にきちんと並んでいるのが見えた。そして、もう少し登るともうそこはジャングル同然だった。亜熱帯の島、そんな感じがする。大岩に足をかけ、蔦を握ってどんどん登った。けもの道さえない。無闇に登れば迷う危険すらあるが、そこは鍛えてある。そこここの枝を折って、目印を付けておいた。
結果的に私は調査の済んでいる東側の一号遺跡から八号遺跡を通り越し、西の方向の柏崎の鼻と名付けられた小さな岬へ向かって登って行ったことになる。
大岩が連なった間には木々が根をはり、枝からは何本も何本も蔦が垂れ下がっている。ギャーギャーという鳥の声と、動物なのだろうか下草を分ける音が聞こえ、ジャングルにいるような錯覚に陥った。植生は樫や椿のように葉がてらてらと光る照葉樹が多く、縄文時代中期の関東もこんなだっただろうな、なんだか懐かしく思った。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ 沖ノ島紀行 (2) |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月30日<土>01時07分 |
本殿の周辺に、大祭を待つ人たち20人ほどが集まり来ていた。このお祭りはなんと、明治38年バルチック艦隊が5月26日対馬ルートで上海に現れ、翌27日日本連合艦隊がこれを撃破したことに因むものだそうである。よって、この日一般人に上陸を許可し、共にこれを祝うという・・・・・呆気にとられるような、このことには目をつぶって私は知人による助力でここに来たのだ。もちろん、このことを知ってはいた。沖ノ島へ行ける、と知人から誘いがかかった時、そんなことはどうでもよかった。こんな機会など、そうそうあるものではない。この大祭以外、一般人をほとんど上陸させない。現在の沖ノ島はバルチック艦隊を破ったこの日の数時間だけしか、一般人をうけいれない。この機会、この日を逃しては、私のような者が沖ノ島に足を踏み入れることなど、絶対にない。もし、宗像の関係者の方がこれを読んだら「だから、変なのは入れるんじゃなかった!」と嘆くかもしれない。・・・・「すいませんが、この私の旅行記は絶対に口外しないようにして下さい。これは、ここだけの話です」・・・と一応私は小声で言っておく。よろしくお願い致します。
というのは、私は始めから、この大祭には全く興味がなかった。このツアーは私物の持ち込み、自由行動が禁じられていたし、ライター、煙草の持ち込みも禁じられていた。もちろん、島のものは何一つ持って出てはならないことは当然のことだった。上陸して、急な参道を登って本殿の前で大祭に参加して帰る、それだけのものだった。ただ、御神水を持って帰ることは許されていた。
だが、私のその時の気分は説明できないほどに高揚していた。「おれは、沖ノ島にいる!」もう息も止まりそうに嬉しかった。
・・・・・ここまで書いてみて、困った。さて、私の行動をここに書いても構わないのだろうか。結果から言うと、これはまずいだろう。正直な話、少しヒビった方がいいかもしれない。サクラさんにはメールで言ってしまったが、実は私は沖津宮現地大祭には参加せず、当地の神主さんの祝詞を一言も聞くことなく、この島を駆け巡ったのだ。
大祭は10時から・・・・時計を見ると9時半になっていない。12時までに戻ってくれば、バレない。2時間半もある。出かけてみよう・・・・何かあるはずだ。何か感じ取れるはずだ。明治政府のこさえた創作神道で、沖ノ島を理解できるはずがない。ここはそんな矮小な地ではない。数千年にわたる大聖地なのだ。本や写真で紹介されていることは、この地で国家的規模の大祭祀が行われ続けたこと、大量の鏡や、国宝などの宝物があったこと、それだけである。また、三人の女神の地なのに、なんと現在に至るまで女人禁制となっている。なるほど、創作神道なんだなーと考えてみるが、これはどうしても不自然だと思う。記紀には凄い女性が沢山登場する。応神天皇のおっかさんなんて、とんでもなく凄まじい豪女だ。記紀では皇后となっているが、どっちみち記紀は八世紀の近代に男性優位の思想のもとに作られたものだ。神功は天皇だったかもしれない。漢風謚号で神の名のつく天皇は、神武と崇神、応神の3人しかいないのに、なんと神功皇后にも神の字がついている。古代、女性の地位は高かったはずである。なのに沖ノ島は女人禁制、これだから創作神道は困る。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ クミコさんがカナダから |
| ■さくら
投稿日:2002年3月30日<土>00時55分 |
こんばんわ!
昨日は上野へ行ってきました。
葉が見えながらも、夜の上野公園は桜がまだまだ見ごろです。
池越しに見える八角形の弁天堂も心なしか華やかさを加えたようでした。
上野不忍池の弁財天は,もともと天台宗の開祖最澄・伝教大師の弟子円仁・慈覚大師が造ったと言われています。
江戸時代に、寛永寺の草創者である天海僧正・慈眼大師が,江戸の比叡山の役割を担うため上野の寛永寺を建立した。
琵琶湖に見立てたのが不忍池、竹生島に見立てたのが中島で、できた当初は舟で島を渡っていたという。
そんな弁天様と桜見ながら、カナダから帰ったたばかりのクミコさんとお会いしました。
初めてお会いしたにもかかわらず、乾杯の後はお料理を頼むのも忘れて、はやおしゃべりが....
瀬織姫の話、掲示板の話と、夢のようにあっという間に時間は過ぎてゆきます。
とっても、楽しく貴重な時間をありがとう!クミコさん。また飲みたいね。
あかねさん、
機会があったらカンがいいクミコさんとご一緒したら、すごいあかねワールド広がるかもよん。
いつも、あかねさんが書き込みしてくれると、うれしいのだ!
遊観さんの「沖ノ島紀行」も始まって、なにやら掲示板から目が話せませんね!
トカゲサンは酸欠状態でお祭りモード。神につながる状態とか?
遊観さんも沖の島で、神につながったんだろうなあ....
さぁ、サメのあとは
うーん、これこれ、トカゲさんのイカのカレー揚げでいっぱいですよね。
あはは、貴公子の神主さん!ご一緒に召し上がりませんか?
はい、奥様、お子様にお土産も作りましたから....
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
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| ■ リンクの件 |
| ■佐久之宮
投稿日:2002年3月29日<金>09時56分 |
早速に当社HPをリンクして頂き御礼を申し上げます。
”心優しき貴公子”って誰???^^
いやいや驚きました〜〜〜
私の方もリンク工事をさせて頂きますので少々お待ちくださいネ。
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm
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| ■ クッキング |
| ■ピンクのトカゲ
投稿日:2002年3月29日<金>08時33分 |
あかねさん
楽しみにして下さって嬉しいです。
お弁当ですか
男のトカゲとしては、なかなか弁当を作る機会もなく、
トカゲのお袋は、料理大嫌いな人で
高校時代は、弁当箱に御飯と缶詰一つ
という絶対にみんなから取られない弁当でしたから
なかなか浮かびませんが、
やはり、冷めても美味しく、かつ、汁気が少ないものということで
唐揚げというのが弁当の定番でしょうか
で、先日の鮪の竜田揚げのほか、ちょくちょく酒の肴で作る
イカのカレー揚げなんかどうでしょう
イカの皮を剥き、一口大に切り、隠し包丁をいれときます
溶き卵に片栗、そして、カレー粉を衣にして揚げます。
彩りに千切り胡瓜などを添えて
遊観さん
今お祭りMODEで頭が働きません。コメント書けないですが、楽しみに読んでます。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/
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| ■ 沖ノ島紀行 (1) |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月29日<金>00時51分 |
「沖ノ島だよ!」
大島から数時間、うとうとしていた私はその声に飛び起きた。デッキに出ると既にチャーターした漁船は小さな港直前まで来ており、幾度となく雑誌や写真で見てきた、あの「沖ノ島」が目前にあった。
波は穏やかで、船は静かに着岸した。
岸壁のコンクリート沿いに歩き始めると、先に下船した人たちが素っ裸になって、次々と海に入っている姿が目に入った。始めての私にとってそれは異様な光景だった。禊とは言え、大の男たちがそれこそ一糸まとわず、五月のまだ冷たい海へ次々と入っていくのである。
上陸後直ぐに禊をしなければならないほど神聖な地であることを、十分に意識していたが、その光景はやはり異様に映った。
友人の神主さんと共に海に入った。
海の水は、十二月の禊ぎの水よりも冷たく感じた。しかし入ってみると、さきほど異様に感じたこの禊の行為がいとも自然な行為に思え、すがすがしい気分と、自分自身の内に何かが満ちてくるのがよく理解できた。
御神水をかぶり、再び服を身につけると膝が軽くなっていることに気付いた。
そして、浜辺から一気に上がる登山道のような急峻な参道をのぼり、二柱目の神さびた鳥居をくぐった。
やがて参道は突然平坦になり、4、50メートル先に圧倒されるような巨大な岩のそのすぐ下に鎮座する小さな本殿(沖津宮)が木々の間から見えた。穴のあくほど眺めた写真の実物である。私の頭の中で、岩上祭祀、岩陰祭祀、露天祭祀などの沖ノ島祭祀の変遷の語がぱたぱたと音をたてて巡った。知識だったその語が、今、目の前にある!
ある白山神社で、太占に使う天津金木の実物をそこの神主さんに見せて頂いた時、大祓の祝詞に出てくる天津金木が、「ああ、これだったのか」と絶句したが、今度は沖ノ島で、ここを訪れた古代の人がしたように、その岩に手を触れ、その大岩に足をかけて登れるのである・・・・そう思った時、私の頭を駆け巡っていた語句がぱたっと止まった。ここへ来たからには、もう語句や解説、知識はいらない。見て、触れれば私は古代の人々と同じように感ずることができるはずである。知性や理性、知識ではなく、私の中で感性の部分が強く働きだした。
山道のような狭い参道から沖津宮の手前にある5、6坪ほどの整地された場所に降りてみると、(露天三号遺跡)そこは直ぐに垂直の崖で遮られるかたちになっており、その土留めの石の隙間に、ふくらみをもった壺の胴の部分のかけらがはさまっていた。櫛ではいたような筋が入っている土灰色のもので、薄手であることから高温で焼いた須恵器であろう。
つづく
* 露天三号遺跡
一号遺跡と同時代と推定され、九世紀前半以降の祭祀跡。出土品に滑石製品、土器、菅玉などがあるが豪華なものは全く見あたらない。沖ノ島祭祀終焉の遺跡と考えられ、以降沖ノ島では現代に至るまで、古式に則った祭祀は行われていない。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ 伊都許利の一時中断・・・沖ノ島紀行 |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月29日<金>00時50分 |
伊都許利についてやっているうちに宗像まで来てしまった。幸いなことに私は、沖津宮(沖ノ島)中津宮(大島)辺津宮(玄界町)へ伺ったことがある。サクラさんのご要望もあり、小説風に旅行記をここに記してみたい。少し長くなるかもしれないが、テーマが変わったわけでも、伊都許利から離れるわけでもない。
「ガリア戦記」「十字軍の遠征」「ストーン・ヘンジやブルーストーン」「縄文時代にずいぶんとポピュラーであったストーンサークル」「雄略天皇と吉備」「物部と大伴」・・・・
考えてみれば、伊都許利から出発するとテーマは山ほどあることに気付いた。
ということで、これから折々に種々雑多にやっていこうと思う。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ 筋肉の表現 |
| ■あかね
投稿日:2002年3月28日<木>11時19分 |
>内臓の解剖学的知識もほとんどない
遊観さん、これって、日本の伝統絵画や仏像彫刻などもまさにそうですね。
体の表現、筋肉の表現が、表面の力強さを表しており、解剖学的なものでは
ないですもん。仁王像とかも。それもまた良しで、好きなんですけどね。
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| ■ 桜並木で散歩したいぞ |
| ■あかね
投稿日:2002年3月28日<木>11時12分 |
江部遊観さん
>この列島に住む我々が縄文時代から大切にして何かを思い出すためにも、
>必要な作業だと思います。
誠に同感です。大変楽しく、カキコを拝見さしていただいております。
これからも、よろしくお願いしますね!楽しみ〜〜(^○^)
>彼等が圧倒的な武力で、この列島を根こそぎ奪ったという説にはやはりかなり
>無理があるようだ。延喜式の祭式の様子は、騎馬民族の影響を全く受けて
>いないし、動物の血を飲む習慣や内臓の解剖学的知識もほとんどない。
>この列島の文化は、やはり種々雑多な人々が構築したものなんだろう。
またまた、同感でございます。蘇というチーズの一種だって結局、殆ど普及しな
かったし、牛乳を飲む習慣もごくごく新しいもん。去勢にいたっては、武家の
時代となっても行われていなかったそうな。とてもじゃないですけど、列島が、
騎馬民族族一色になったとは思えませんものね。
播磨鴨国造山直が馬を使ってた事などを考えてますと、後から来た騎馬を取り
入れていた同系の民が、先住していた同系の支配者から地位を奪った、或いは、
交代し、縄文以来?、先住していた民の協力を得て、急にのし上ったとしか思え
ません。つまり騎馬であった民全てが、騎馬民だったとは一概に云えず、うまく
騎馬系技術を取り入れたようですもん。
金達寿さんのご本は面白いですが、全てそうだと云いきっておられるのは、無理が
あると私も思います。何か、不自然な気がします。
葛城部族や物部部族など跡形もないとは、誠にその通りで、ヤマトの功罪をきちん
と評価せなばというご意見も、なるほどと思いました。う〜ん、好きな表現です。
あと、八幡と稲荷の影には、やはり色んな神さんが隠れていますね。特に先住の
鉱物採掘加工民の歴史が隠されていたりするようで、産鉄好きの私は考えてると、
嬉しくなってまいります。何か、同感ばかり連発して、失礼しました。
サクラさん
近所の桜だらけの公園が、満開へと近づいてきました。でも、今日・明日は納期
で苦しんでいるため、お散歩に行けません。今日遅くから雨が降るそうな…。
満開へ向かう桜は以外と雨に強いとは云われますが、散らないかと、きがきでは
ありません。桜花よ、どうぞ頑張ってその美しい姿を、もうしばらく保っててね。
とか云いつつ、今ちょっと現実逃避してさぼってます。さて、頑張ろうっと。
クミコさん
素晴らしい体験をされたようで、何よりです。旅先からのリアルな感動を有難う
ございます。拝読して、何か清々しい思いがしました。
ピンクのトカゲさん
いつもトカゲさんの3分間クッキングをありがとうです。楽しみにしてます!
毎日、旦那のお弁当を作ってますが、何かお弁当にもよい、男性好みの素早く
出来るメニューなど、ございませんでしょうか。簡単で早く作れ、しかも美味
しいものを、という欲張りなリクエストで、ごめんなさい。
眠い中、体が勝手に動いて作ってる感じなんで最近、似たようなおかずに、つい
つい、なりがちなのです。本来は、お弁当とか、ちまちました世界を作るのは
好きで、旦那とためというよりも、自分の趣味の一つみたいなもんなんです
けどね。勝手な希望を言って、すみませんです。
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| ■ ヤマト朝廷樹立の功罪「2」 |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月28日<木>00時26分 |
弥生時代は、ずっと以前に移住して来た人々(東南アジア、縄文人やアイヌ人、北部中国、黒竜江付近)や、最近になって移住してきた人々(南朝鮮や北部・南部中国)の部族がそれぞれ携えてきた考え方や宗教の違いから、常に戦闘状況や臨戦状況にあった。殺戮の時代だったが、善し悪しは別としてヤマト政権がその強大な力を持つようになると、部族の違いは徐々に溶け合って、21世紀の現在では、葛城部族や物部部族など跡形もない。
世界の各地では、未だに部族同士が戦っている地方もあるのに、1500年前頃ヤマト朝廷が部族対立を解消したという見方もできる。もちろん、その方法や施策については問題があるが・・・。
明治政府の創作天皇制はとても賞味に耐えないが、かつてのヤマト朝廷の功罪をはきちんと評価したいものだ。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ ヤマト朝廷樹立の功罪
「1」 |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月28日<木>00時25分 |
宗像旅行記の前に断っておかねばならないことがある。古墳についていろいろな本を読み進むにつれ、これまで副葬品の馬具関係のものが5世紀を境にして一挙に騎馬民族風に変わったというこれまでの一般的な見解は、どうやらそうでないと考える学者の方が多いことに気付いた。つまり100年ほどかけてゆっくりと変わっていったもので、崇神(ミマキイリヒコ)という騎馬民族の王が北九州にやってきて、応神の時代に東漸したという騎馬民族王朝説を説明できないようだ。ミマキが任那のミマで、キが城であるという説も、やはり当時の半島の政情からも、その呼称からも確かではないようだ。
つまり、この列島にはじめに強大な権力をもった王朝が、騎馬民族であるという江上さんの説と、そうではないとする説のどちらかであるという論議が多くなされているが、どうも実はそのどちらでもないと感じるようになった。しかしこれは邪馬台国連合が畿内か、九州かという論議と全然質が違う。また金達寿さんの説は、朝鮮語でほとんどを解釈して、全てこの列島は半島の借り物のような印象を受けるが、それは現代のこの列島に住む我々が使用する英語のような状況であったと思う。当時の沢山の言葉が朝鮮語に似ているからといって、全てをそのように解釈するのも、強引すぎると思う。例えばシビリアンコントロールとか、デスクトップとか、片仮名で表す言葉があるからと言って、英語圏の人々がこの列島を占領した証ではないように、朝鮮語が沢山入っているからと言って、この列島を騎馬民族が占領したわけではないだろう。
確かにこの列島には沢山の人々が旧石器以来綿々と渡ってきている。HLA研究等、遺伝子人類学はそれを裏付けている。HLAとは白血球の特定の染色体上に近接して並ぶ一群の遺伝子であり、著しい個人差が見られるもので、HLA遺伝子の組み合わせの分布から、人類学的研究の対象とされており、これによって日本人、韓国人、中国人を分析し、過去の移住ルートを推定できるものだ。研究者の結論をかいつまんでここに報告させて頂くと・・・・中国北部や朝鮮半島から、日本列島の中央部に到達する移住の影響が大きく、また畿内と関東の相違は大きく、畿内はより朝鮮に近いらしい。(東京大学・徳永勝士氏)
騎馬民族がどっと来て、ヤマト朝廷を築いたということはないだろう。だが来ていないというものでもない。彼等はもちろん来ている。記紀にもその記述があるし、伊都許利の地からそう遠くない埼玉の日高には高麗神社だってあるし、コマなど朝鮮的名称・地名は沢山ある。つまり、来たとか来ないではなく、彼等は来ているのである。だが、彼等が圧倒的な武力で、この列島を根こそぎ奪ったという説にはやはりかなり無理があるようだ。延喜式の祭式の様子は、騎馬民族の影響を全く受けていないし、動物の血を飲む習慣や内臓の解剖学的知識もほとんどない。この列島の文化は、やはり種々雑多な人々が構築したものなんだろう。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ うふ?! |
| ■さくら
投稿日:2002年3月28日<木>00時17分 |
今日は一日雨かと思ったら、夕方には雨は上がり強い風が吹いてきました。
クミコさん、銀世界でいっぱい飲みながら、全身で感じる何か....
うーん、うらやましいですよ!
日本に帰ったとき、きっとクミコさん、よりクミコさんになってるって思うなぁ!
ほんと、瀬織津姫に感謝ですよね。
風琳堂のご主人が、伊勢の瀬織津姫について書いていらっしゃいます。
うふふ、次は滝の神様の話だって...やなさん!
久しぶり!わーい!
瀬織津姫わかってくれたん!?
一緒に闇を照らしてくれる瀬織津姫のこと、滝の女神やおしらさまのこと、
いっぱい話したいですね!闇の歴史照らしちゃおうよ...!
あはは、天皇制も解体できるかも?
やなさんは釣りから民話までの造詣が深いものね。(^^)
月うさぎさん、
アイヌの人たちもきっとアイヌという言葉好きなんだと思います。
言葉にいろんな意味を持たせてしまうのがおかしいんだよね。
食べたらおいしいって感じて、うさぎさんの絵みてうふふ...なんて思っているのは
同じだもんね。
クミコさんはカナダで雪見酒。うさぎさんのところは雪はいかがでしょうか?
東京は今年は雪がほとんど降らなかったから、白銀の世界ちょっと見てみたい。
今夜の肴は鯖の味噌煮。
それから、にがうり使ってゴーヤチャンプルなんてどう?
お酒はのりちゃんおすすめ「夢灯り」
感 想:甘〜〜い!でも、べちょっとしてないんです。
ほんわか幸せな気分が体中に満ちてくる感じ。そう、これこれ。
そんな感じで飲めるお酒です。
ラベルもかわいいし、お、原料米は、「ひとめぼれ」かぁ。
うふふふふ。と、どれを取っても、しあわせな気分を満喫でき
ます。
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
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| ■ こんばんは |
| ■月うさぎ
投稿日:2002年3月27日<水>20時22分 |
アイヌのかたがアイヌネギという言葉にドキッとするというのは
意外でした。
アイヌ民族であることに誇りを持っている人たちばかりですから、
それが何故?と疑問を感じるのは認識不足なのでしょうね。
彼らは自分たちをウタリと呼んでいるとも聞いたことが
ありますから、もうアイヌとはよんでほしくないのかも知れません。
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/
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| ■ 瀬織津姫に魅せられて |
| ■クミコ
投稿日:2002年3月27日<水>09時15分 |
大いなる生命の源は水であると思い知らされる旅でした。
それはあたりまえのことでありながら、日常の中では忘れ去られています。
頭でわかっていることと、全存在で体感できることは雲泥の違いです。
瀬織津姫に感謝です。
こちらは季節外れの雪が降っています。
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| ■ けっけけけ |
| ■やなぎむし
投稿日:2002年3月27日<水>00時17分 |
おおおっと・・がらがら・・
こんばんわ・・いっぱい・
のませてもらおかいねえ
あては・げその塩焼きでえわ・・
白子の酢の物・・あったらもらおかいねえ
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| ■ わーい!月うさぎさんだ! |
| ■さくら
投稿日:2002年3月26日<火>23時13分 |
月うさぎさん、こんばんわ!
来ていただいて、とってもうれしいです!
月うさぎさんの描かれたイラスト結構好きよくみています。
ほんと、中でも今回のルシファーに魅せられて....
大国主命がのりちゃんのハムスターの命を救ったのは
出雲大社大阪分祠だったとか〜
ハムスターが愛らしく襟から覗いているんですよね。
月うさぎさんは北海道でしたよね。
そうですか、いろいろキトピロの食べ方があるんですね。
すき焼きも、玉子焼きもおいしそう!
キトピロ手に入ったらやってみよぅ!わくわく!
キトピロを書くときに、やはり「アイヌネギ」が一般的に
使われるのは知っていましたが、アイヌの方が「アイヌネギ」という言葉に
ドキッとする、という一文にも触れました。
言葉を使わなければ、差別しないことになるなどと、単純には
思わないのですけれど、アイヌの方が自分たちの食べ物として
大事に思った呼び名で書いてみたかったのです。
とっても素敵な響きのことばですよね。
参考にさせていただいたのが下のBBSです。
トカゲさんのクッキングはもちろん居酒屋の女将としては
さっそく作ってお味見しますよ!
あはは、実用的に使わせていただいてます!それも結構頻繁に....
山菜チンご飯!おいしいですよ。月うさぎさん是非やってみてください。
佐久之宮さん
春休み、たいへんそうですねぇ〜そして、楽しそう!
ジュース欲しがる手が次から次へと伸びてきそうですね(^^)
でも、たまねぎジュース本当に作ったのですか???!
すごーい!体験派だなぁ.....
お味見の後はポタージュにしたら美味しそう。
生ジュースはりんごジュースで仲間入りさせてくださいませ!
遊観さん
沖ノ島、そして宗像が
>この列島に住む我々が縄文時代から大切にした
>何かを思い出すためにも、必要な作業だと思います。
>精緻な記紀研究によって記紀の正体をあばきだす
>トカゲさんには及びませんが、微力ながら私もお手伝いしたいと考えます。
微力だなんてとんでもない!
トカゲさんだって、固唾呑んで見てるって言ってらっしゃいますもん!
楽しみにしています。サクラs(*^-^)ノ☆
http://bbs1.otd.co.jp/paetok/bbs_plain?range=60&base=480
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| ■ こんばんは |
| ■月うさぎ
投稿日:2002年3月26日<火>19時07分 |
いつも、イラストをご覧頂いてありがとうございます。
徒然のキトピロ、読ませていただきました。
あれ?と思ってクリックしたのですが、やはりアイヌネギに
ついてでしたね、
ただ、キトピロという名は初耳です。
一般にはアイヌネギとよんでいますが、差別用語だという認識
なのか、(私は差別用語だとは思いませんが、)スーパーなどでは、
ヒトビロ、行者ニンニクなどと表示されています。
サクラ山河書かれていたように、ジンギスカン、餃子、お浸しなど
に使いますが、すき焼きにもいれますし、てんぷらにもします。
はじめにいためて卵焼きにしても美味しいですよ。
我が家の庭にもありますが、土地が合わないのかおおきくなりません。
かわいそうで、食べる気になりません。
トカゲさんの3分クッキングも拝見しました。
なかなかユニークでさすが男の料理ですね。
トマトのトカゲ味でしたか、おいしそうです。
山菜〜はどんな味か見当がつきません。
サクラさんは作ったことおありですか?
あの有名なトカゲの3分クッキング、
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/
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| ■ いろんな味 |
| ■佐久之宮
投稿日:2002年3月26日<火>18時57分 |
我が家の子供達も春休みデス。
今日は、みんなでジューサーを使って色んなジュースを作ってましたよ!。
●りんごジュース:おいし〜〜
●キャベツジュース:甘味がある〜 青汁の味?。
●たまねぎジュース:ゲホっ げほ〜
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm
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| ■ 少し宗像を・・・ |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月26日<火>00時52分 |
この地の当時の人々の精神的背景は宗像ぬきには考えられない。地名も残っているし、宗像小学校まである。伊都許利の時代から1500年もの時を経ても、その影響が未だにある。一体それほどまでに、この地に大きな影響を与えた宗像とはどういうものなんだろう。あるいは麻賀多神社とも関係があるのだろうか。それとも、鹿島神宮や香取神宮は物部部族に近いが、敵対関係だったのか、それとも仲良しだったのか。古代の宗像部族と物部部族の関係はどのようなものだったのだろうか。
つまり、その3人の女神を祭神とする宗像について、少し紙幅を頂くことも必要だと思う。
宗像大社の説明については、
http://www.munakata-taisha.or.jp/
でご覧いただけるが、私は数年前に沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島の辺津宮の三柱の神々の地を訪問する機会に恵まれたので、その時の経験・感動を主にして、宗像大社を見ていきたい。
かつてどの時代にも、どの地にも存在すらしなかった全く新しい神道を明治政府は構築し、人々に押しつけた。もちろん、現代もその延長上にある。神社に鏡なんて、教導職という明治政府の神祇の役人が各地の神社を回って、強引に祀らせたものだし、明治以前の神社で鏡を祀っていた所など、伊勢神宮くらいしか思い当たらない。また神社の大きな収入源となっている神前結婚式は大正天皇が始めてであり、それが昭和初期になって広まったもので、それ以前には神前結婚式なんてなかった。明治政府は徹底的に神ながらの道を改竄し、天皇を猫の子のようにヒョイと京都から江戸へ移した。公家の五百札の輩や当時の高官たちは天皇を「玉」(ギョク)と称して、君主をギョクと呼び捨てにするとは、と英国外交官の顰蹙をかっていた。明治政府の権力者たちは薩長の武力と経済力を手に入れ、天皇制がまるで古来からあったようにまんまと人々を騙した。過去の歴史に現在のような神道も天皇制も一度も存在していない。新たに作った皇室典範の起草もいい加減だったし、行幸と称して天皇をさんざん連れ回した。その行幸の模様は明治時代の読売新聞の前身の「日々新聞」を読むとよく分かる。また、現在の神社の名称は関東では八幡と稲荷が圧倒的に多いが、これもそれ以前の由緒やこの列島に住む人々が長い間大切にしてきた信仰を破壊し、できたてほやほやの神道を押しつけるために、神社名称を変えたからである。
つまり捏造された新造の宗像大社のイメージではなく、ここではプロトタイプの宗像に迫ってみたい。古代の人々はどのように宗像の海の道の三女神を崇敬していたかを考えることは、伊都許利の地にある宗像神社と当時の人々の精神的背景を知る上で重要なことだと思う。
多少筆が走っているとお思いの方もおられるでしょうが、そうではなく、この列島に住む我々が縄文時代から大切にして何かを思い出すためにも、必要な作業だと思います。
精緻な記紀研究によって記紀の正体をあばきだすトカゲさんには及びませんが、微力ながら私もお手伝いしたいと考えます。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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| ■ 隠れ太鼓 |
| ■さくら
投稿日:2002年3月25日<月>21時30分 |
クミコさん!
っていうことは、この書き込みはカナダから?
すごーい、いい時間すごしていそうですね。よかった!
ナイアガラにも瀬織津姫がいらっしゃいましたか?
ディダラボッチのように大きな姫だったでしょうか?
小さいことに悩んでるなんて、この景色みてごらんって、笑ってらっしゃるでしょうか?
トカゲさん、
とうとう、始まったのですね。あはは仕事忘れるようなお祭りが....
お祭りの前からお祭りが始まるようで素敵でうらやましいですね。
東三河から、楽しげなお祭りの笛の音まで聞こえてきそうです。
ん、なんだか楽しくなって、おいしいお酒が飲めそうですね。
今夜は赤毛のアンが親友ダイアナにジュースと間違えて飲ませてしまった
ラズベリー酒なんてどうかしら?
肴はカナダのサーモン。蒸してマヨネーズ添えてみました。
後はメープルシロップをかけた懐かしいホットケーキ!
今夜はなんか優しい気持ちになりました。サクラs(*^-^)ノ☆
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| ■ 練習行って来ます |
| ■ピンクのトカゲ
投稿日:2002年3月25日<月>20時09分 |
お祭りの練習
昨日からお祭りの練習が始まりました。
通称・うなごうじ祭り
一昨年、関東地区のスカイパーフェクトTVで放映されたようです。
NHKをはじめ民放でも何度か放映されています。
うなごうじ祭り↓ここに載ってます。
http://www.wht.mmtr.or.jp/~mint2/
それと、拙稿第三話拾遺にも書いてあります。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/
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| ■ 帰れなくなりましたよ。予定どおりには |
| ■クミコ
投稿日:2002年3月25日<月>10時27分 |
日本ではさくらが満開なそうな
世界一の瀧の女神さまに会ってきましたよ!
ナイアガラの瀧。
そういうシナリオであったかと、感激です
あとはワイン飲んだくれています。
こちらはまだまだ寒くて、そろそろ日本晴れがなつかしいです。
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| ■ あらら... |
| ■さくら
投稿日:2002年3月24日<日>01時16分 |
遊観さん、
沖ノ島は禊をしてから上陸と本では読みましたが、
さすが行動派の遊観さんですね。
島を半周なんていうのもすごく遊観さんらしい気がします。
>しかし、凄い所です。「お言わずの島」の異名もある沖の島ですが、
>なんだか・・・・。
きになりますね。続きが....ね!あかねさん(^^)
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| ■ 春雷 |
| ■さくら
投稿日:2002年3月24日<日>01時08分 |
今日、一転にわかに雨が降ってきたと思ったら遠くで雷が鳴っていました。
春の嵐のような風、そして雨。夜には一転、月と星がきれいに昇っていました。
桜の木はもう花びら散らしていましたよ。
鎮魂の木ともいわれる桜木に秘められた瀬織津姫の思いとは、
どのような思いだったのでしょう?
縄文の水の女神=天知迦留美豆比売(アマチカルミズヒメ)が大祓祝詞の
瀬織津姫。
稲妻も雨も竜神である瀬織津姫が降り立つのなら、現れてこそ
当たり前と、桜の花びら受けながら思ったことでした。
桜の木も神籬(ひもろぎ)とされていますもの。
きっと、あかねさんの散歩道にも降り立って微笑んで下さりそうですよ!ね!
でもなぁ....花の命は短くて苦しきことのみ多かりき....
なんて、わが身に思ったことでした。(誰〜だ!花ねぇなんて、クククって笑ってるのは!)
あかねさん、
あはは、メモした?南蛮漬けアラカルト!
遊観さんの話に触発されるあかね節が楽しみですよ!
もちろん、デジカメの写真も楽しみ!
でも、画像UPできるかなかぁ?酒向さん!
佐久之宮さん
オイカワ、ウグイ....そんな貴重なお魚、なかなか食べられません。
鹿肉といいオイカワ。ウグイといい、なんかおいしそうなところに
お住まいですね〜♪
今日は、湯がいたごぼうをたたいて,摺胡麻と砂糖酢醤油まぶしたたたきごぼう。
それから、虹鱒のムニエルで一杯!
オールドクロウストレートで飲んじゃおうかな?
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| ■ あかねさん、ぼくは沖の島へ行きました。 |
| ■江部遊観
投稿日:2002年3月23日<土>23時37分 |
宗像大社、そしてチャーターした漁船で数年前、沖ノ島と大島へ行きました。沖ノ島へついて素っ裸になって禊ぎをしてから上陸。5月の海は冬の海より冷たく感じます。発表されている内容も凄いものですが、実はもっと凄い所でした。ヤマト政権の国家的祭祀などとぼくも言っていますが、そうではなく宇宙的な場があそこにはあります。上陸を許された人でも、普通は社までなのですが、神主たちと上陸した人たちでお祭りをしている間、ぼくはこっそり抜け出て、この島をほぼ半周しました。ミズナギ鳥の巣に足をとられたり、ジーパンをまくると、ずらーっとヒルが吸い付いていたり、草木をわけ、石を踏み踏査しました。怖いくらいの素晴らしい島です。大古墳の副葬品以上の捧げものがあったわけですが、当然だと思います。
しかし、凄い所です。「お言わずの島」の異名もある沖の島ですが、なんだか・・・・。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
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