居酒屋さくら - 過去ログ8

それから
月うさぎ 投稿日:2002年4月30日<火>23時54分
書き忘れました。
うちの掲示板に書き込んでくださるときに表示されるサクラさんのURLが
間違っているみたいなんです。
今度いらしたとき、直してくださいませ。
お願いしま〜す。
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年4月30日<火>23時51分
塩瀬饅頭って有名なんですね。
初めて知りました。
粒餡でしょうか?
粒餡じゃないと餡じゃないと思っている私です。

サクラさん、今夜の鶏肉のピカタ、おいしそうですね。
大根おろしで食べたいです。

http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

宗像最終回
遊観 投稿日:2002年4月30日<火>14時24分
24
 「伊都許利」に戻る前にこのへんで宗像紀行を終わらせよう。
正味たったの数時間であったが、大岩と鬱蒼たる照葉樹林の中で過ごした私にはその数時間がまるで何日もの滞在のように感じられた。この島のもっている明るく生き生きとした雰囲気や、壇所(かむにわ)で感じた複数の女性の視線から立ち去りがたかったが、どうしようもない。後ろ髪引かれる思いで、5月28日午後、大祭は終了となり再び船上に戻った。
玄界灘は来る時とは違って、空は鉛色となり波高く、船酔いのため全く動けなくなる人もいたほどだった。しかし、幸い私は沖ノ島の感動にポワーとしていたために、船酔いは全くなかった。
そして、3、4時間の後、船は沖ノ島への中継点となる大島へ着岸し、大祭参加者は明日の船を待つために民宿へ戻った。
大島は人口1300人、周囲15キロメートルの9割の人が漁業を営む島だ。
翌日民宿から港へ向かう途中、エビス、ヒルコ、サルタヒコの神社が目に付いた。おそらくそうした祭神がこちらではポピュラーなのだろうが、関東に住む私にとっては驚きだった。関東では稲荷や八幡や天皇や古代の大豪族に由来する大神社がメインであり、土着の神々は隅に追いやられている。明治政府の一村一社の方針で、廃絶撤去されたサルタヒコ神社の碑を稲荷神社の片隅や、また境内社として、路傍の神として見るくらいである。どうやら明治政府は距離の面からも、当地の風土からも玄界灘にある大島には手を付けられなかったと思われる。また家々の表札にも気を配ったのだが、やはり占部、阿比留姓も多くあった。阿比留姓は、神代文字のアヒル文字のアヒルであり、平田篤胤はアヒル文字を天児屋根命の後、対馬国卜部阿比留氏に伝わったものとしている。教派神道の一部では神代文字を神聖視している所もあり、重要な祝詞にこの文字を使っている。また神代文字は伊勢神宮文庫にも大量に存在するそうである。

その翌日、九州宗像大社辺津宮参拝となった。辺津宮は威厳に満ちた素晴らしい建築物であるが、もはや私には仰々しいそんな上物にはすっかり興味が薄れていた。

mar 投稿日:2002年4月30日<火>00時51分
へろへろとかげですか?
度数の強い焼酎かなんかに浸けられてるとかげのイメージが浮かびました。
漢方薬っぽい。ふむ...。

さくらさん、桜涼あんですか?
なにやら惹かれますです。。。


http://www5d.biglobe.ne.jp/~mar-qch/

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年4月29日<月>21時36分
ピンクのトカゲさん、
首なしの富永も好きですけど、登美那賀須泥費古もいいなぁ〜
ちなみに、登美那賀さんはいないのでしょうか?

塩瀬はとても美しい響きに聞こえます。
着物のイメージからでしょうか?
塩瀬の名前は地名から取ったのかしらん?
彼らが来たから塩瀬になったのかなとか思ったのですが....
あは!今の当主が非売品の一族の歴史の本書いたみたい。
ちょっと、読んでみたいなぁ...

今日、浦安に行ったら川にこいのぼりが何十も風に泳いでいました。
もうすぐ、端午の節句ですね。

marちゃん、塩瀬のお饅頭気にいってくれてありがとう!
今度、コーヒーも用意しておきます(^^)

モスのコーヒーは昔すきだったけど、今は深入りになったから今はだめだなぁ..
!桜涼あんなる新製品はどうだろう?久しぶりに食べたくなっちゃった
ちなみにホットチキンバーガーも好き。

あは!今夜はチキンで...
とり肉のピカタ...鶏肉の皮をまずはがします。そして削ぎ切りにして(うん、お弁当に入れられるくらいに。塩コショウして小麦粉まぶして溶き卵につけて多めの
油で焼くだけというシンプルさ!ケチャップでもよし、たっぷりの大根おろしでもよし。
それから、鳥皮のからし醤油和え。
さっきむいた鳥皮は茹でてから千切りにして、きゅうりの千切り一緒にからし醤油であえます。
ついでに、おいしい鶏肉だったら、皮を茹でたものに味付けしてネギを散らして
スープにします。(これはおいしい鳥じゃないとだめですね〜)
今夜はこれを肴にいっぱいいかがですか?

ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月29日<月>10時50分
母方がその富永氏です。
塩瀬は、愛知県北設楽郡設楽町にあります。
富永氏は、三河大伴直を出自とし、伴善男とも関わっていることになっていますが、
富永の由来は、登美那賀須泥費古(トミノナガスネヒコ)の登美那賀(トミナガ)に由来するとは、母方祖父の言
詳しくは、拙稿第二話を参照してください。
ところで、marちゃんへろへろしたトカゲは好きですか?
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mar 投稿日:2002年4月29日<月>08時37分
ババロアのまぁちゃんとの異名をとるとは・・私も出世したもんです!?
トカゲさん、ありがとうございます。
私は食べ物も人間も、絶妙にへろへろしたものが好きです。

モスのライスバーガー、海鮮かきあげ、おいしいです。
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まぁちゃん、塩瀬まんじゅうじゃどうよ!
さくら 投稿日:2002年4月28日<日>22時18分
饅頭塩瀬

伏姫の八犬伝が活躍した少し前、下総に千葉氏という豪族がいましたが、
この千葉氏が分かれてできた東(とう)千葉氏の一族から、
後に京都の建仁寺三十五世龍山(亀山)禅師、両足院開祖となった竜山徳見禅師が生まれています。

当時禅宗の僧侶は中国で修行することが大事だと思われていたらしいです。
龍山修行後帰国の時に、饅頭塩瀬...わが国の餡入りの饅頭を始めて作ったとされる
浄因が一緒に来日したと「 饅頭屋町合塔の碑文」に記されている。
林浄因は中国は浙江省杭州の出身であると伝えられるが
当時は中国は元の時代であり亡命だったのではないかともいわれる。

京都烏丸三条の北家と、奈良の林小路の南家に分かれているが共に饅頭屋として繁盛した。
浄因が龍山禅師を訪ねるため京に上る際はこの饅頭を携えていったという。
やがて後村上天皇に饅頭を献じたことにより菓子司に任じられ代々饅頭の技術を伝えた。
饅頭には林(りん)の字が書かれていたという。
はじめて饅頭の小豆と砂糖の甘さを知ったらそれは天にも昇る気もちだろうなぁ...天皇だって。

やがて三河の富永氏の娘を浄因の次男浄員が娶り、塩瀬村という所に領地まで与えられたといわれている。そこから塩瀬姓を名乗るようになったともいわれ、塩瀬饅頭は今に有名になっている。。
職人歌合せに饅頭売りが描かれているが庶民にも甘い饅頭が売られていたということだろうか...。

今、東京の虎ノ門には江戸徳川家康に伴ってきてからの老舗が続いています。

さて、歌に「塩瀬の帯」といわれた塩瀬は有名ですが、調べてみると
縦糸を蜜に横糸を太くしたといわれる絹織物の名称で、塩瀬は塩瀬羽二重の通称名になっている。
由来はよくわからなかったが、これも、塩瀬氏の名前からとられた織の方法だろうかと興味しんしん。

塩瀬氏が饅頭だけでなく、わだつみ人や楠党との繋がりを書いているのが沢史生氏の「鬼の太平記」。副題を饅頭伝来記としているが、林氏が製鉄にも通じたことが伺える。
今は、饅頭の神様となった林浄因は本当はもっといろいろな顔と技術の伝播者であった。
後年,菓子屋が忍びの仕事を受け持ったとされた土壌がここにすでに出来ていたのではないかと思ったことでした。

塩瀬氏の作った饅頭は七夕の織姫彦星にささげられ、婚礼の日に祝いの紅白の饅頭となり今に日本中に跋扈しているは、今下総の地にも松蟲姫饅頭などとなって残っている(^^)

虎ノ門にある江戸の塩瀬饅頭店は今も、昔からの饅頭を売っているという老舗。
家康が江戸に来たときに一緒に来たとか....ん、絶対に買ってみよ!

餡子すきだったら、もっと感激しただろうなぁ....
marちゃん、食べてみる?

あはは、モスバーガーはライスバーガーがお気に入り。
   ん、次の新製品って何だろう?

ババロアのmarちゃんだ
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月28日<日>21時27分
うぅん
やっぱり、marちゃんのババロアの話
すきでぇ〜す。
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mar 投稿日:2002年4月28日<日>21時05分
さくらさん、みなさまこんばんは。
さっき、モスバーガーにかぼちゃのババロアを買いにいったら、季節もののかぼちゃババロアはもう終了していてゲットできず。。。ショックです。

...ああ、こんなことしか書けないおバカな自分が悲しいです。(涙)
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ありがとう、月うさぎさん
さくら 投稿日:2002年4月28日<日>12時18分
月うさぎさん、ありがとうね。
これはTOPの瀬織津姫のイラストのお力も大きいのでは....
と、感謝しているしだいでございます。(^^)
あはは、次回のキリバンゲットの方にも桜名前のお酒をと、今探しています。

月うさぎさん、今度はゲットして知らせてね。
「月うさぎ」というお酒もありますものね。それもいいかも....
はい、桜名前の「お酒」大募集です。

今度の月うさぎさんの「朱雀」もいい感じなんだもの。皆さんもぜひご覧くださいませ..
瀬織津姫のTOPページからも月うさぎさんのHPに飛んでいけます。

ご主人、いよいよゴールデンウィーク突入です。
遠野では桜やあんずや桃がいっせいに咲いているのでしょうか...
山深い隠れ里にも春がきて、サムトの婆もお花見しながらババロア食べてるでしょうか...あはは、ご主人は絶対お酒、花見酒でしょうけど呑んでるs(*^-^)ノ☆
 
府中では5月5日に「大國魂神社」の祭礼暗闇祭りです。

4月30日 午前9時30分頃出発 午後3時30分頃帰社
品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り)
これは品川の荏原神社から、品川の沖に水汲みに行くとか...

5月1日  午前9時30分頃より
祈晴祭(一日祭の後引き続き行う)
大祭期間中の安全と共に
雨の降らない事を祈る祭典
(あはは、牛久保と逆だぁ...雨を大事なものと見る牛久保と)

昔住んでいた府中の神社のお祭りと生まれ育った品川の荏原神社の繋がりに
今年は行ってみたいなぁなんて思った朝でありました。

さぁ、今日は久しぶりにチョコ味と2色のクッキー作ろ!
昔は金太郎飴みたいに上下に半々にチョコ種と普通の種あわせて、丸く棒状にして
輪切りにしてからその一つ一つに目をつけて、可愛い男の子と女の子の顔焼いたものだったけど...
今日はどうしようかなぁ...
たまにはアップルティーで食べましょうか?

こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年4月27日<土>22時38分
サクラさん、6000アクセス、おめでとうございます。
トカゲさん、キリ番ゲット、おめでとうございます。

ということは、私、5999だったのね・・・
気がつかなかった、残念・・・
これからは注意しよう。

焼き蛤がおいしいんですか、
今度やってみます。
でも何で焼こう?焼き網ないし・・・
やっぱり酒蒸しでアサツキかな。

中国人のお友達から教わったきゅうり料理、おいしそうですね。
簡単だし、明日にでもためしてみますね。

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隠された瀬織津姫伝承4(和泉塚) 
さくら 投稿日:2002年4月27日<土>22時29分
トカゲさんから下記の転載許可いただきました。
  3garebaは深くお考えにならないように....
    はい、ただのサクラのドジでした。

3gakureba
さくら 投稿日:2002年4月27日<土>22時20分
隠された瀬織津姫伝承4(和泉塚) 投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 4月27日(土)10時43分11秒

「神社を中心としたる宝飯郡史」の編者・太田亮氏は、豊川天王社は、尾張国海東大
江氏の鎌倉古道経営により尾張国海東郡鎮座の津島天王社から勧請されたとする。
しかし、それ以前から、この地が水神の信仰地であったことは容易に想像される。
三明寺では、定基と力寿の悲恋に仮託されているも、大寶年中の逸話を残す。
ここで、大江氏について、簡単に触れておく、大江氏は、野見宿祢を祖とし、土師
姓。山城国乙訓郡大枝を本貫とし、最初、大枝のちに、大江となる。
土師氏となれば、間人(はしひと)=土師人(はじひと)とも関連し、丹後とのつな
がりも...
平安時代の歌人で「和泉式部日記(一〇〇四)」の作者・和泉式部(生没年不詳)も
大江氏に出自を持つ。
和泉式部は、大江雅致(まさむね)の娘で和泉守橘道貞に嫁し、娘・小式部内侍をも
うける。後に、一条の中宮上東門院に仕え、更に、藤原保昌の妻となり、丹後に下
り、保昌とともに摂津の任国に赴いたが、保昌と不和となり離別。
和泉式部も丹後に下っている。丹後の間人伝承にも和泉式部伝承が被さっている可能
性もある。
丹後については、さておき、穂の国にも和泉式部伝承が残る。
三明寺々伝は、大寶二年に文武が、星野之宮に行幸の折、境内池で弁天の霊験を得
て、堂塔を建立したと伝える。
また、三明寺境内の三徳稲荷は、寶暦年間(一七五一〜一七六三)に西島稲荷から勧
請されたものといわれる。
西島稲荷は、倭姫命が斎田に定めた地であり、倭姫命が祀られているという。
倭姫命は、穂の国では、養蚕との関連での伝承が残っている。
さて、この西島には、鳳来寺の薬師如来と同木で利修仙人が造ったといわれる薬師如
来像が西島稲荷の東隣の西光山光福寺に伝わる。
西島に鳳来寺の薬師如来像が伝わったいきさつは、和泉式部が鳳来寺を訪ね授けられ
たという。
この西島をはじめ、柑子(こうじ)、行明(ぎょうめい)を中心に、正岡、塚田の現
在下郷と言われる地域が、かつての星野郷である。
三明寺では、この星野郷に文武が行幸したことになっている。
正岡の遠通山正覚寺の山門前に和泉式部供養塔の碑がある。豊川放水路浚渫前は、正
岡町南田にあったと....
碑があったところは、和泉塚と呼ばれ、和泉式部を埋葬したところだと伝えられる。
古老によれば、歯痛に霊験あらたかであったとか
星野郷には、星野行明を名乗る者がいて、この星野行明が行明(ぎょうめい)の地名
の由来とされる。
星野行明の子孫は、平尾を名乗る。また、行明には、豊川で水浴びをしていた天女の
伝説があり、星野行明の子孫の平尾家が天女の羽衣を保管している。
穂の国は、元々、丹後とのつながりが深い。また、中世にいたって大江氏とも関係す
る。
のちに丹後に下ったとされる和泉式部伝承が生まれやすい土地柄であったのではない
であろうか。
和泉式部を埋葬したとされる正岡の氏神も牛頭天王である。大江氏の勧請に関わるの
かもしれない。

そいつぁ〜くわなぁ〜やきはまぐり
さくら 投稿日:2002年4月27日<土>00時04分
月うさぎさん
はまぐりは、やっぱり焼きはまぐりがおいしいですよ!
焼きアサリ知るまでは、焼きはまぐりをよくしました。
でね、焼くときにおいしいツユが出ないように
ナイフで貝柱切っておくとうまく焼けるけど....
それから、もう一つ、お醤油入れるとき
スプーンでお醤油入れるとうまくいくこと教わりました.(^^)
前には、そんなこと知らないでお箸で押さえながらやいたりして、
お醤油たらすとき手を離して結局、ツユをこぼしたりしたよ...
それでこのごろは、おツユ器に取りながら焼いたりしています。
あはは!焼けたらもどすんじゃ〜から。!
    
そんなのめんどくさいというときには、酒蒸しで...
  あさつき散らすといいよサクラs(*^-^)ノ☆ 

トカゲさん餃子は中国では水餃子が普通みたいですね。
去年まで遊びに来ていた知人が中国からの帰国2世。
我が家で手作りした餃子はやっぱり手作りの皮。
そして、中身は卵の餃子。肉の餃子といろいろでした。
ただ、大蒜やニラにはこだわらないみたいですね。
材料にも我が家の味があるんだろうな....
あはは、餃子の皮が市販のものよりとっても厚かったのは
彼女の技量だったのか...中国のふるさとの作り方だったのかはいまでも謎だけど....

彼女に習った肴を一つ
きゅうりをすりこ木で叩いて、少しひび割れさせて2,3cmにザク切りにします。軽く塩してサラダオイルかごま油を入れて、そこに大蒜の薄切り1本に一片くらい入れて軽く合えます。たったそれだけだけど、びっくりするほどおいしいですよ。

トカゲさんの餃子で召し上がれ....(ん??いいんかな?)

ピンクのトカゲさん
さくら 投稿日:2002年4月26日<金>23時11分
おめでとうございます!
 居酒屋さくらからの贈り物はもちろん,桜の名前のお酒「桜山水」です。
  楽しみにしていてくださいね。

それにしても、6000アクセス....って!!
 読んでくれている皆様、書き込みしてくれている皆様
  ありがとうございますサクラs(*^-^)ノ☆ 
  

ゲットだぞ!
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月26日<金>19時29分
よく見たら6000番ゲットでした
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美味しそうなお話つづけます。
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月26日<金>19時24分
うさぎさん
ハマグリは、味噌汁よりウシオ汁ですよ。
アサリよりアッサリ(親父ギャグじゃないぞ)してるから
それと、例の七輪で焼き蛤って言う手もあるけど、
俺は、やっぱり焼きあさりのほうが好きだな、コクがあって
それと、蛤の殻は、アサリより剥離しやすいから焼くと飛ぶんだよね。
なまずの蒲焼は、名古屋の西の津島天王社の門前に川魚問屋が並んでいて、その二階で食べれます。
泥吐かせなきゃいけないんだけど
なまずは、一緒に入れとくと共食いするから
たらいの中に一匹づつ入れたるんですよ
ってことで、けっこう高級なんだよ
頭が大きいから身はそれほどないけど、うなぎよりアッサリして上品な味です。
とぜうもうなぎと同じように骨抜いて蒲焼にすると、是もまた上品な味です。
餃子アラカルトは、昔、愛知県の新城のリドって店でやってたんです。
オーナーが大使館付けのコックでした。
何年か前にまた大使館付けになってやめちゃたんですけど
ラーメンじゃなくて、うどんの四川風なんていうのもやってくれたんですよ。
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こんにちは
月うさぎ 投稿日:2002年4月26日<金>15時56分
美味しそうなお話が続いてますね。

あかねさん、
私はハマグリってどう料理するか知らないんです。
一度、お味噌汁にいれたら、あまりおいしくありませんでした。
それ以来、ハマグリは買わないことにしてるんです。
でも何か美味しいお料理があるなら挑戦してみたいです。

サクラさん、
なまずの蒲焼って凄いですね。
関西ではなまずが売られてるんですか?
驚きです!
でもなまずっておおきいでしょう?
切り身の蒲焼なのかな???

トカゲさん、
餃子を嫌いな人っていませんよね。
私も大好きです。
ロシア風ギョウザ、ベトナム風ギョウザ、おいしそうですね。
ぜひ食べて見たいです。

サクラさん、全て世は事もなし、ってその部分だけ知ってました。
殺人事件のドラマの中で使われたんですか?
驚きですね。
日々是好日、と通じるものがあって、好きな言葉です。

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餃子&ニンニク
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月26日<金>12時26分
以前、行者ニンニクのはなしがでていました。
それとは、全然関係ないギョウザの話です。
日本の中華料理屋の定番といえば、ラーメンに餃子
で、この焼き餃子は、中華料理か?
以前、愛大の留学生で中国東北部(旧満州)出身の方に餃子をご馳走してもらったことがあります。
小麦粉をこね、団子状にし、小さい麺棒で器用に皮を作っていきます。
で、水餃子
中には、ニンニクは入っていません。
ニンニクの片を齧りながら水餃子を食べました。
餃子の中国語の発音は、カォ・ツゥ
では、餃子をなぜギョウザと読むか?
韓国に行くと中華(?)料理屋に、ギョウザがおいてあります。
焼ギョウザです。といっても日本よりちょっと油が多めで焼ギョウザと揚ギョウザの中間ぐらい
韓国のは、具にニンニクが入っています。
で、餃子の発音はというと、ギョ・ジャ
韓国語には、ザという音はありません。ザは、ジャになります。
日本に入ってきたときにギョ・ジャがギョウザになったのでは
逆も考えられますが、日本語では、どう読んでも餃子は、ギョウザにはならないことから、いま日本人が好んで食べる焼ギョウザの直接のルーツは韓国ではないかと思います。
愛知県の新城市に大使館付けの方がやってた店がありました(現在は、また大使館付け)。その店の一押しがギョウザ・アラカルトでした。
リクエストに応じて、何々風ギョウザというのを作ってくれました。
皮全体をカリッと仕上げてホワイトソースをかけたロシア風ギョウザとか
春巻っぽいようなベトナム風だとか
思い出します。
もう一回食べてみたいよぉ〜
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うーん、おいしそう
さくら 投稿日:2002年4月25日<木>21時48分
あかねさん、
貴女のようなお嫁さんが欲しかった!
だって、お弁当がおいしそうなんだもん。

今夜は一つ豪華になまずの蒲焼(うふふ、トカゲさんの掲示板でで見つけてしまった!)
それからきゅうりとたこの酢の物(なぜかなまずときたら河童思い出しちゃったんだもの)

そうそう、トカゲさんの爆走ワールドから、「七福神踊り」の投稿の転載許可をいただきました。以下に掲載させていただきますね。感謝.....

「七福神踊り」
 投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 4月25日(木)19時38分16秒

話の流れとぜんぜん関係ありませんが、
ふと思い出して
三河湾北岸の御津(みと)町御馬(おんま)の引間神社の祭礼、山車の海中渡御で有名な蒲郡市三谷町の三谷祭などで、七福神踊りが奉納されます。
ほかに蒲郡市の竹島、同市形原及び東大塚で七福神踊りが奉納されていると思います。
かつては、旧宝飯郡の西部の海岸地方では、祭礼の出し物としてポピュラーなものであったようで、多くの神社で奉納されていたようです。
で、この七福神踊りなぜか弁才天がいないんですよ。
お囃子の太鼓が置いてある小さな車が弁天堂で、そこに弁天様は安置
かわりに、弁天様の使いの白狐が
現在、竹島では、祭神が市杵島姫ということで、弁財天も一緒に踊るようですが
元々は、やはり白狐
下記HPに御馬の七福神踊りが見れます。
http://www.town.mito.aichi.jp/page/festiv01.htm
弁財天の使いが白狐というのも妙ですが、前に書いた御津神社の別宮・岩畳神社の伝承で、稲荷様がアブラゲならぬイカを所望したというのとなにやら関係がある気がします。

目がさめた
あかね 投稿日:2002年4月25日<木>04時16分
月うさぎさん
あさりの酒蒸し、私もよくつくります。美味しいよね!
あと、あさりのスパゲティもお味噌汁も好きだな。
はまぐりのスパよりも美味しいと思う。はまぐりも好きやけど。
筍の先の部分って私も好き好き!テンプラも、ええなぁ。

サクラさん
昨日のお弁当に、飛龍頭の含め煮の水分をちょっと切って、入れました。
もちろん、絹さやを添えて。彩りもよかった。ありがとう〜。
アスパラのバター炒めも入れた(^^)v。アスパラも好き。
今日はトリの照り焼きをメインに、だしまき卵、ブロッコリー・カリフラワー・
アスパラ・人参の茹で野菜、ほうれん草のバター炒め、大根の浅漬、釘煮、
あと何を入れようかなぁ。高野豆腐の煮物に絹さや添えでも入れとくか。
昨日の夜ごはんのホイコーローの残り入れたら、カロリー過多やろうなぁ。
お弁当に隙間がまだあったら、ホイコーローちょっこっと詰めとこ。
めんどくさーい(ーー;) お弁当箱、おっきいねんよ…。小さくしたろうかなぁ

行基の歌にこんなんありました。
    山鳥のほろほろと鳴く聲きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
 どこでよんだんでしょうね。切ないなぁ。

葛飾の 真間の井を見れば 立ちならし
 水汲ましけむ 手児奈しおもほゆ  (高橋 蟲麻呂)
                  魅力的な女性やったんやろうな。

伏姫さんに関するHP、ありました(^^)v。面白そうです。
http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/03/zmch01_fusehime.html
お父上の里見氏の話で、白龍やら白鶴も登場してますね。
伏姫さんは自害されてるから、それで桜なんでしょうか。
犬のお嫁さんなんて、八房は案外、犬養を例えてたりしてたら面白いなぁ。
八犬伝、昔々に読んだけど、具体的には覚えてないです。奥深い物語だなぁ。

それにしても行基に空海だなんて、弘法寺のあるお山?も鉱山かしら。
宗派の変転には、勢力争いも絡んでるのかもしれませんね。

さて、また眠ろう。ではでは



手児奈−てごな−
さくら 投稿日:2002年4月25日<木>02時58分
むかし、むかし千葉の市川に美しい女子がおったそうな。
名前は手児奈....そうそう万葉集で「赤人や」高橋蟲麻呂に歌われたあの真間の手児奈じゃって。

万葉集の時代にはもう伝説になってたそうな。
ほんでも、美しいおなごだったの手児奈はいろいろなおとこしに言い寄られて最後には真間の入り江に身を投げたそうな。

そんな手児奈を祭っている手児奈霊堂が弘法寺の南に建てられているそうな。
今では安産・子育ての神として信仰されて、お堂の隣の池は真間の入り江の名残と伝えられ、小さな蓮の花も咲いてるそうな。

縁起には
 天平9(737)年、行基菩薩が当地を訪れた際、この地に語り伝えられていた手児奈姫の霊を弔うべく、一堂宇を建立し「求法寺(ぐほうじ)」を称したとの伝承も残るが一方、堂は弘法寺の日与上人が読経中に手児奈と思われる少女の霊と遭遇し、その少女から弘法寺を守護するというお告げを聞いて文亀元(1510)年に寺の隣に堂を建てたとのいわれもあるという。

境内には枝垂桜の伏姫桜の老木があり、三月末には満開の見事な桜を地面すれすれまで毎年見せてくれた。

その後にこのお寺は空海によって名を「弘法寺(ぐほうじ)」と改めたとか....その後は真言宗・天台宗と変わり現在は日蓮宗...

鎮魂の桜とともにある手児奈姫
それにしても、瀬織津姫と同じになんと宗派が変転している
お寺だろうか....
手児奈姫のお堂がそばにありながら、伏姫の名はどこからついたのでしょう?
南総里美八犬伝に出てくるのが伏姫だったような・・・薄幸の女性が反映されたのか....

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年4月24日<水>22時06分
今日、道を歩いていると咲いていました。
あれは、ジャスミン!遠くからだといい香り...
近くにいると頭がくらくらしてきました。

会社の隣は浅間神社です。
そこに、よなよな出るそうです。
賽銭泥棒が....小さな神社でお参りする人の影も見えません。
なのに、この不況のためか毎晩ごそごそやっているそうです。
その泥棒さんと顔をあわせてしまったら...

鍵は何度も壊されて、
これは、夜の照明が暗いからだとか、てんやわんや...
と思いきや、宮司さんがおっしゃるには、
「賽銭箱に鍵なんてもうつけてない」とか....
盗まれる賽銭よりも鍵のほうが高いのか、神様の思し召しなのか...

さても、明日もお参りしよう!
ゴエンがありますようにって....はい、賽銭は5円ですサクラs(*^-^)ノ☆ 

あかねさん、遊観さん
松蟲姫のは話からますます、千葉にも印旛にも惹かれています。
それに、あかねさん
星神カカセオや金屋の神や風琳堂さんの話やピンクのトカゲさんの話や
頭の中でぐるぐるしています。

うーん、今夜はどこに飛んでいこうかなぁ〜
  
今日の肴は牛肉のごぼう巻き
   それから、ほうれん草の胡麻和えではいかがでしょうか?

お帰りなさい
さくら 投稿日:2002年4月23日<火>21時36分
月うさぎさん、札幌は今春の日差しに桜の花もゴールデンウィークの
前に満開になるかもとの友達からのメールがありました。
いいなぁ。。。これから花見ができるなんて!

今夜は東京も暖かです。
なんとなく霞がかかっているのか....あは!ただの曇り空だったりして...

春の朝

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

作:ブラウニング
訳:上 田  敏
                         
春になると時々見かけた詩でした。
で、あるときこれが、殺人事件のドラマの中で謳われた詩だと聞いて
あらら!と思ったことでした。
すべて世はこともなし....
のそばで、生き死にしている魂がある。
春が生命を喰らう季節だと言ったのは誰だったでしょう...
地球が生命を喰らう星だといったのは誰だったでしょうか...

今夜はそんな春に乾杯!(なんのこっちゃ!)

今日はアスパラのバター炒め
それから飛龍頭(ひろうす・ひりょうず)またの名はがんもどきの含め煮
絹さやの鮮やかな緑。千に切って散らしてみました。(銀杏が入ってるのが好き)                      

帰ってきました
月うさぎ 投稿日:2002年4月23日<火>08時21分
Yukiさんの野球中継、なつかしいですね。
今ごろ天国で皆さんに聞かせて上げているでしょう。
阪神の大活躍に大喜びされてるでしょうね。

筍の船が着く、
私も始めてききましたが、素敵な言い方ですね。
うちでも毎年その船が着いていましたが、昨年、同居人の母が
亡くなったので、今年からは着きそうもありません。
私は先の部分をてんぷらにするのガ好きです。

焼きあさりは七輪がないので無理ですが、酒蒸しにして食べたいです。
鶏肉の葛作り、おいしようですね。
今度やってみます。
ポトフは大好き、ポトフランチを出すお店があってよく行きます。
ボルシチだともっと好き、朝からヨダレが・・・
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

筍の船がつく
さくら 投稿日:2002年4月22日<月>23時01分

あかねさん、
はじめて聴きました。我が家には筍は千葉の同僚から船が着きます。
我が同僚は筍堀の名人です!
でも、今年は2回くらいしか船はつきませんでした....
あかねさん、いつも励ましの言葉あんがとさんです!

このところ、遊観さんやあかねさん、風琳堂さんやトカゲさんの話に
わくわくしています。
春の夜長であって欲しい....なんて思っています。

遊観さん、
まとめてください。きっとすばらしいものができると思うんですよ。
 あっ、楽しみがまた増えたs(*^-^)ノ☆ 

今夜はちょっと早いけど、
  鶏肉の葛作り....鳥のささ身に葛か片栗まぶしてサット茹でて
   氷水にとります。そして本当は氷の器に入れるといいんだけど、
     わさび醤油で召しあがれ...

       後はおからの卯の花です。

お酒は今日はのりちゃんに聞きましょう...

嬉しいときに呑むお酒の中から
「松緑」
産 地:茨城県笠間市笠間1339
  醸造元:笹目宗兵衛商店醸
  感 想:おぅ!!
      なんだろ。

      匂いというより、喉を通るときの感触というか、鼻に
      抜ける空気というか、それが違いますね。

      これはですね。
      日本酒というより、また別のお酒ですね。

      麹がちゃうんでしょうか?

面白かったね!
あかね 投稿日:2002年4月22日<月>03時39分
YUKIさん
見てる?サクラさんがYUKIさんオリジナル実況中継、変りにやって下さって
ますよ!サクラさん、いい雰囲気で感じ出てます!!
新緑の季節になっちゃったなぁ。桜花が鎮魂になってたらいいなぁ。
なってるよね!なんたってYUKIさんだもん。

サクラさん
今宵も美味しそうなお料理がずらりと並ぶ居酒屋さくら。女将さんのセンスの良さ
が光ります。うう、よだれが…。晩御飯のメニューの参考にも、多いになるので
あります。それにしても旬の素材を生かした、体にも良さそうなメニューだなぁ。
また書くけど、なんでそう、好きなメニューばかり出るのか不思議じゃー。
善哉嫌い仲間だからかしら(笑)。これってば、嬉しかった!

ピンクのトカゲさん
ふふふ。お料理紹介、ありがとです。またまた控えました(^^)v。
材料はみんなあるし、さっそく明日、やってみよぉっと。美味しそう!
ちゃちゃちゃと、手早く作らねば〜〜。
焼きアサリかぁ。近所にある雑魚場直営スーパーのあさりだって、三河で食べる
アサリには敵わないだろうなぁ。本場で食べる美味さに敵うものなしー。
そうそう、故郷では筍を他所からいただくことを、“筍の船が着く”といいます。
あ、バリ師さんとこと同じように、うちにも釘煮の船はつきました。

勢力抗争の巻き添え
あかね 投稿日:2002年4月22日<月>03時10分
遊観さん
奴婢たちは、何度も何度も逃亡を繰り返し、見つけられては連れ戻され、或いは
確か、他の荘園へと譲り渡されたという記録もありますね。何ともはや、嫌な話
です。かなり遠くへと逃げてる場合もあったりして驚きますが、それだけ過酷な
状況があったのでしょう…。名をちゃんと記すわけではなく、顔のどこそこに
黒子があるとか、身体的な特徴で書いてあることも多いですね。傲慢な話です…。

播磨国風土記に登場する丹波刀自とか、氷上刀自という方は、女首長で巫女だった
そうです。これも、貶められているのでしょうね。風土記編纂に関った播磨鴨国造
山部直の祖・天目一命の子を成した道主日女命は日女、或いは日売と表示される
のに対して、加古川源流域の女神でもあったろうと思われる神々が刀自とは、
何とも失礼な話ですね。そもそも丹波刀自も氷上刀自も、道主日女命と同体で
同族であった可能性もあるというのに。宗像女神・住吉神と習合した故に、貶め
られなかったという面もあるのでしょうね。あ、かつてのお名前をそうやって
隠されてしまったわけですね、きっと。う〜ん…

サクラさん
松蟲姫のお話有難うございます。杉刀自は、杉の名が付いてますし、船木系関連の
方だったのかもしれませんね。そういう意味でも、行基が出て来ると。なるほど!
調べずに書いて失礼してますが、当時の親王は、乳母方の名前を名乗る慣習が
あったそうなので、松蟲姫の松蟲は、乳母縁のものかもしれないな、とも思い
ました。松に蟲とは如何にも船木氏かも。あ、でも不破ですね。不破は何だった
かなぁ。岐阜にある林業の盛んな地で、壬申の乱で西軍が敗走した地・不破郡と
かと何か関係あるのだろうか。いずれにしても蟲や、養蚕や機織など、何となく
巫女的な姫さまで、疱瘡神とも繋がるのですね。心優しい姫様で、村人から
慕われたのでしょう。残したい言い伝えだなぁと思いました。

お、今、試しに不破内親王を検索してみたら、こういうHPがありました。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/huwa.html

禁断の巫蠱に関ったと罪を着せられておられるような…。これって蠱毒ですよね。
お姉さんの井上内親王とえらく人生の差があります。松蟲姫の母が犬養…。
つくづくハードだなぁ…。だからこそ、民衆の中に真実が残っているのかも
しれないですね。なんとなくそんなふうに思いました。

聖武天皇の時代
遊観 投稿日:2002年4月22日<月>01時15分
掲示板という小さな紙面でいっぺんに書ききれない部分があり、尻切れトンボになってしまうことは致し方ないが、当時の奴婢たちのやりきれなさをさらに記したい。刀自は古語辞典では「女性の称・人に仕えて家事を司る女性」などがある。つまり刀自女という名は「小間使いの女」ほどの意味の一般名詞であり、可是麻呂が東大寺に寄進した婢である彼女には固有名詞はなかったということになる。ただ「使役の女」という一般名詞的呼び方がされていただけだった。つまり「オイ・コラ」の類がそのまま呼び名となっていたのだろう。ために7人のうち3人もの同名があるのだろう。
 そもそも東大寺・国分寺は妻の光明子の進言による聖武天皇の宗教的事業とされているが、実際はやっとできたばかりの日本国を、仏教という外来文化引を錦の旗にした豪族たちに対する政治的な引き締め政策であった。律令制度における奴婢関連の政策においては、天平勝宝元年に朝廷は諸国の豪族が有していた奴婢を買い集め、それを東大寺、薬師寺・国分寺等に施入している。これは聖武天皇を願主とする仏教興隆事業に、諸国の豪族を巻き込むことがねらいであった。
さくらさんの「房総の不思議な話、珍しい話」からの松蟲姫の書き込みがあったが、この聖武天皇の時代に稲主売と古麻佐売の二人の奴婢が、天平勝宝三年に東大寺から下総へ逃亡し捕らえられた記録がある。「何故、逃亡したのか」との問いに、「法華寺に従ひて逃げ放たれたり」と答えている。あるいはこうした信心深い哀れな婢の話が長く伝えられている間に、松蟲姫の話へと変化していったのかもしれない。
また、らい病あるいは疱瘡とあるが、当地の宗像神社付近の雑木林の中に苔生し、欠けている疱瘡神の碑を確認している。(これはフィールド・ワークの七つ道具のうちの、ナイフとタワシのおかげで読めたものだ。ナイフで苔を削ぎ落とし、たわしでシャッシャッとやると、なんとか読めることが多い。)
天皇、英雄の伝説の多くは、実は「語り」を庶民が想いを馳せて語り継いでいる間にそうした天皇、英雄の名が付会されてしまうことが多い。ヤマトタケル伝説はその最たるものだろう。

私の筆は下総の地から玄界灘の沖ノ島、さらに天平の時代とさまよっているが、それは出雲文字によってしるされた伊都許利文書が要求しているからかもしれない。ここのサクラさんの瀬織津姫に書き記したことは、いつかきちんとまとめてみたいと思うようになってきた。

雨の日の野球中継に
さくら 投稿日:2002年4月21日<日>20時04分

ふと,今は亡きYUKIさんの野球中継を思い出しました。
野球音痴の私ですが,YUKIさんの野球中継はおもしろかったなぁ...
YUKIさん、ここでUPするから一緒に見てね


■1367  実況中継 2001/12/14 01:50 ■Res■
From:YUKI@よっぱらい 
オニギ:今日は、アマツ対クニツの野球中継をお送りいたします、
実況はオニギことにギハヤヒ、解説は、一言主の神でおおくりいたします。
オニギ:クニツチームのチャンス、オット、監督の主様代打を出しました、
代打はヒコナッチです、
アマツチームピッチャーフツヌシ:見えん
オニギ:ヒコナッチ選手のあまりの小ささにピッチャー・フツヌシ戸惑っている
ようです、
ヒトコト:そーでんな〜
オニギ:アマツチーム監督高木○〜タイムを出しました、ヒトコトさん、
今後の展開はど〜なるんでしょう、
ヒトコト:・・・・
オニギ:ど〜なるんでしょう
ヒトコト:・・・・

え、一言しゃべったらおわりやて、
オニギ:この人も〜よばんとこ
/
tyoba-16p138.ppp13.odn.ad.jp


■1369  実況中継2 2001/12/14 02:00 ■Res■
From:YUKI@よっぱらい 
オニギ:今日は八重事代主さんでおおくりいたします、
ヤエコト:この度はお日柄も良く、ま〜雨天にも係わらず、
たくさんの観客をむかえ〜、ペラペラ、ペラペラーーーーー
オニギ:この人も、も〜よばんとこ

春の雨
さくら 投稿日:2002年4月21日<日>19時52分
静かな春の雨が降っています。
 そんなときには、音楽に耳済ませるのでしょうか...
  それとも、雨音に聞き入りますか....

雨の音を聞きながら呑むのもおいしいものですが
 そんなときにはちょっぴり暖かいものが欲しくなります。
  心温まる一言か....そう心温まる一品が...

今夜はことこと煮込んだ春野菜のポトフです。
  コンソメだけで煮ても取立ての人参の甘さにたまねぎの甘さとジャガイモ
   仲良くバランスとってくれています。好みでマスタード添えて....

ちょっと物足りない方には、新筍を入れた春巻きはいかがでしょうか?
 
お酒はいかがいたしましょう....
 ワインもよし、生ビールよし....あは!水割りもよし!

  
    


松虫姫饅頭
さくら 投稿日:2002年4月21日<日>11時14分
松虫寺
【ご 本 尊】七仏薬師              
【ご 利 益】病気平癒
【由来・由緒】天平年間に、聖武天皇の第三皇女不破内親王(松虫姫)が重い病に冒されたが、薬師如来のお告げにより下総の薬師仏に祈ると病が平癒しこの寺を建立したのが始まりといわれている。
【見どころ】 薬師如来座像を中心に、左右に各3体の薬師如来立像は7体ともカヤ材の木造りで平安後期の作とされ、国の重要文化財指定となっている。  

松蟲皇女廟 松蟲村の松蟲寺にある。寺門の仁王は端慶の作。本尊は
   七仏薬師如来で行基僧正の作。人皇四十五代聖武天皇の天平年間
(729−749)の御建立だという。薬師寺のうしろの方に松蟲皇女
の墳(つか)がある。そのかたわらに社がある。里人は姫宮と称して
いる。
伝承
東大寺を建立した聖武天皇(701〜756)の第三皇女に松蟲姫(不破内親王)
がらい病にかかり、夢枕に現れた薬師如来にすがれば直るとのお告げに
左遷されてきた姫の一行が、ここ下総の印旛沼のほとりに庵を結びましたとさ。

姫はそのころはやっていた天然痘だったかもしれないとの記述のありますが
薬師の霊験あらたかだったか、病は癒えて、天皇の迎えのもと都に帰っていきました。

そのときに、世話になった村人に残して言った乳母の名前が杉刀自....
姫は都から来たときに都で習い覚えた機織りや裁縫、養蚕などを村人に伝え
て生活の糧としながらかしづいておりました。
村人には、姫とともにきた姥も大事な人だったようです。

松蟲姫から詳しいようすを聞いた聖武天皇は、効験あらたかな尊い薬師佛を
野末の街道にさらしておくのは畏れ多いとして、僧行基に命じ、七仏薬師群像
を刻して献じ、一寺を建立して松蟲寺と名付けられました。
 その後、松蟲姫は異母兄塩焼王の妃となりましたが、皇位継承にからむ
藤原一族の政争にまきこまれ、二度にわたる流刑の悲運に見舞われながら、
数奇な生涯を終えられました。
 ご遺骨は遺言によって松蟲寺に分骨され、村人は境内に墳(つか)を建てて
丁重に葬り、松蟲姫御廟と呼んで現在に伝えています。
本堂の裏手に、石の柵に囲まれた一角がその墳(つか)で、一本の老樹が
亭々とそびえるその根方に、表面の文字も崩れた一基の石碑が枯葉に埋もれて
立っていますが、裏側に、宝亀二年二月十二日(771年)と刻まれており、
松蟲姫の伝説が現実に歴史の重みを加えて身を引き締めます。
 周囲に積もる枯葉をかきのけて見ると、十円玉や五円玉が散乱して、
今も変わらない村人の素朴な信仰が偲ばれて趣を添えます。

 また境内には松蟲姫が都に帰るときに銀杏の枝の杖を立ててゆきましたが、
やがて芽を吹き成長して今に残るという老樹があり、わずかな葉をつけて
千二百年を越える風雪を偲ばせています。
 松蟲姫の御廟を守ってこの地に没した杉自の塚は、寺の山門から
二百メートルほど離れた東方の三つ辻にあります。青面金剛を刻んだ数十基の
庚申塔に囲まれて、姥塚として大切にされています。

       昭和58年・崙書房・大衆文学研究会千葉支部編
       「房総の不思議な話、珍しい話」
八巻 実著「松虫寺に残る皇女松虫の療養物語」より一部抜粋

そしてお土産には松虫姫饅頭があるそうな ....
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

あさり
さくら 投稿日:2002年4月21日<日>11時13分
トカゲさん
あさり、おいしそうですね!
三河のアサリはとっても大きいとか....
焼いて食べたら、ほっぺたが落ちますか?
え〜、焼き牡蠣ですか....
このあたりのアサリはやはり千葉。今は住宅地にもなった稲毛や木更津は
やっぱりアサリのおいしいところで、潮干狩りなんかに行きました。
うーん、友達が送ってくれたお酒がここにあるんですよね。
どうしましょう?クミコさん。

ところで、遊観さんの書き込みの農民・奴婢の名前に多くあった刀自の名前に
下総の伝説松虫姫の話を思い出しました。
松虫姫の乳母の名前は杉自(杉刀自・すぎとじ)さん
今でも、乳母塚として大切にされているそうです。
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

おっクミコさん
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月20日<土>19時08分
三河湾のアサリもってきたぞ。
冷かい?
バター焼きもいいけど、七輪で、焼アサリって言うのも日本酒にゃ合うぞ!
豊橋の前芝海岸の栄楽屋の焼アサリ美味しいぞ!
栄楽屋、七輪で自分で焼くんだぞ。冬には、殻付き牡蠣とかもあるよ。
東名豊川インターから一五一号豊橋方面につき辺りまでいけば直ぐ近くです。
東三河来たら寄るといいよ!!
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

わーい♪遊観さんとクミコさんだ!
さくら 投稿日:2002年4月19日<金>23時43分
遊観さん
宗教の親和的民衆的オカルティズムの面と、国家に追従ないしは国家そのものという相反する二つの面がをきちんと把握しなければならないとのお話に、自分にとって、手をあわせるべき神を見定めなくちゃ....なんて考えてしまいました。
単純には瀬織津姫ですが....

ところであのね、風琳堂のご主人が書いてらっしゃる、水神の化身としての桜では宮城県の伊豆沼近くの神社のことを書いてらっしゃるんですよ。
白鳥の飛来地として有名な伊豆沼は桜の名所としても親しまれているようです。
栗原郡にあるという志波姫神社は3箇所あるそうですがその内の2箇所が栗原郡。
うふふ、もちろん瀬織津姫がらみでしょう....
志波姫神社の神と対の神としての志波彦神社は今は塩竃神社に遷祀されているそうですが詳しいことはご主人のページにゆずります。

じつは、この地と伊豆神社とのかかわりを伝える伊豆沼の近くに、会社の人の実家があるのです。
ご主人が書かれたその日、白鳥のいる桜満開の写真を地元の新聞に載っていたと持ってきてくれたのをみせてもらいました。
彼女の住んでいるのは迫川の近く、やはり桜の名所として有名だそうです。
子供のころに泳いだ川は、夜空には満天の星、川底の砂がさらさらと流れて、それはそれは気持ちがよかったとか....
志波姫神社にも車で10数分のところにあるとかで、なんだか彼女の話に引き込まれました。
迫川の名前には「千と千尋」ハク思い出したりしました。

そして、そのときのお土産が、これなんです。
栗原郡若柳町の 「ふぢや」のカフェ・オー・レ・大福
おいしかったですよ!
なんと、大福の皮にコーヒーが練り込まれていて中に2mmくらいの厚さに漉し餡があって、真ん中には生クリーム。
餡がカフェオレの甘みをかもし出してくれています。はじめて食べる味でした。
思った以上のおいしさとご主人の話が重なって、楽しいコーヒータイムになりました。(^^)

さぁ、お茶の後はお酒でしょう!
ホタルイカが出回ってきましたので、すこし...
それからアボガドのたっぷり入ったサラダなんかいかがでしょうか?
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

お久しぶりです。こんばんわ
クミコ 投稿日:2002年4月19日<金>20時47分
お腹すいたよ 何か作って下さいな。

今日は暑かったから冷にします。
お勧めはなぁに?
あっさりしたのがいいなぁ

あさりバタ-もお願いします。

宗教の二面性
遊観 投稿日:2002年4月19日<金>18時43分
 宗像のイメージは沖縄の御獄(うたき)・・・これはしかしあくまでも親和的民衆的オカルティズムな面であり、権力としての宗教の素顔とは大分違う。そこをはき違えると古代・中世を見失うことになるので、ここに令制下における奴婢(どれい)の状況を少し述べておきたい。
卑弥呼の時代に生口と呼ばれていた奴隷の呼称は、以後ヤッコから賤奴、奴婢と変遷しており、奴婢(ぬひ)の呼称は令制になってからのようである。古事記の神武天皇巻にみられる賤奴等の名称は、古事記が奈良時代の語句を使用していることから、このような所でも、その成立がこれまで考えられいたよりもずっと後代の作であることが立正されるものでもある。最近の研究では古事記の成立期は10世紀を遡れないとの見解が主流を占めているようだ。
さて、ここでは東大寺という強大な権力を有する寺に贈与された逃亡奴婢の追求について「律令国家と賤民・吉川弘文館・神野清一著」から少し引いておきたい。東大寺はご存じのように国分寺の総元締めだが、強大な権力を有し奴隷を所有していた。天平勝宝2年(750年)、東大寺は寄進された逃亡奴婢を捕らえるべく行動に出ている。しかし総数61名への奴婢追求は、結局良民に溶け込んでいた13名を捕らえるに至っただけだった。令制の崩壊の原因はこうした農民・奴婢の浮逃によるものだったが、ここにもその兆候が現れていることになる。
ここには捕縛された13名の名を敢えて挙げておきたい。歴史的好奇心のほとんどは権力者、支配者、上流階級等の名だけを挙げるのが通例なので、21世紀の今日にこうした機会に名を記すことは意味のあることだと思う。出身地・名の順である。
山背国久世郡・豊足、同紀伊郡・千吉、同・真枝足女、不詳・刀自女、右京四条・倉人、同・大奈万呂、山背国久世郡・三嶋女、同紀伊郡・奈為女、同久世郡・刀自女、摂津国嶋上郡・飯刀自女 、右京・黒刀自女、同奈為女の男(息子)・布佐麻呂、山背国乙訓郡・薮原・・・・以上が記録に残る奴婢の名である。東大寺は寺舎人や寺奴を駆り立てて、これら13名を捕らえ、寺の奴隷として所有した。
女性7名、男性6名で何と読むのか分からないが、刀自女の名が3名ある。当時は奴婢の平凡な名だったのだろう。 また奈為女は息子と共に捕まり、東大寺に連行されて、以来母子共に奴婢として永遠に使役されたのだろう。
また冠位十二階は奴隷階級を最下等に位置づけ、結局黒色の衣服以外身に付けてはならぬというp衣(そうい)とも重なることになる。これはもちろん最上級の天皇の白色に対比するものという意味もあった。
奈良時代以降江戸時代まで、寺社は国家と変わりない権力を有していた。明治政府に愛玩された新しい神道も、戦前この限りではなく、国家のアイデンティテーを代表する一つの機関であったと言えよう。現在の神社本庁もその延長線にあるもので、庶民にとって親しむべき機関では毛頭ない。宗教には親和的民衆的オカルティズムの面と、国家に追従ないしは国家そのものという相反する二つの面があり、それをきちんと把握しなければならない。私の宗像紀行は主に前者の立場である。ここを明確にしておきたいがため、今回は奴婢について少し記すこととした。

わーい!トカゲさんのクッキングだ♪
サクラ 投稿日:2002年4月18日<木>15時57分
暖かです。
ピンクのトカゲさん。
久しぶりのクッキング五目豆腐もおいしそうですね。
ありがとうございます。今夜の酒の肴に決まりですね。

やはり、前妻の伝承は残っていませんか....
都で「亭主たっしゃで留守がよい」などといって
一人気ままに、人生を謳歌していたかもしれませんね。

月うさぎさん
東京にいらっしゃるんですか?
東京はここ2.3日暖かな日が続いています。
半袖の人もちらほら....
まだ、朝夕は涼しいけど、ジャケットもってきたら
大丈夫でしょう。(^^)
お台場にいらっしゃったら案内しますから御連絡くださいませ。
イタリアンでワインなんていい感じかも...
海辺で夜景見ながらの食事は異国情緒漂っていて、とても好きです

トカゲのクッキング
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月17日<水>19時27分
サクラさん先妻についての伝承って残ってないんですよ。
たぶん都に残してきたのではないでしょうか。
いろいろなところから筍をもらいます。
佐久さんもお腹がすいてるとのこと
久しぶりにクッキングといきますか
うさぎさんの好物の人参、筍を短冊切
乾椎茸を戻して、これも薄切り(戻し汁はとっておきます)
サヤエンドウを湯通ししておきます。
フライパンに胡麻油を多めにひいて
熱したところに、人参をいれ、よく炒めます。
そのあと、椎茸、筍を軽く炒め、田楽ように切った豆腐を入れて
醤油と砂糖
椎茸の戻し汁に片栗を溶いて、フライパンに入れ
とろみがついたところで、サヤエンドウと胡麻油をたらし、
五目豆腐出来上がりです。
とにかく、強火で一気にがコツです。

乗馬ってしてみたい
月うさぎ 投稿日:2002年4月17日<水>18時32分
でもお尻の皮が剥けるそうな・・・

サクラさんは東京にお住まいなんですか?
実は私、金曜日に東京へ行きます。
それで、どんな服装で行ったらいいか、悩んでます。
30度もあるなら夏の服装でいいけれど、それは
たまたまですよね?
タンクトップに7分袖のカットソー、綿の裏無しジャケット
って格好でいいでしょうか?

一目でおのぼりさんて、見破られるでしょうか?
いえ、いいんですけどね、見破られても、別に・・・

http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年4月16日<火>22時10分
佐久之宮さん
乗馬ですか....いいですね!
 乗ってよし、食べてよし....ん、ですね。

ところで、力寿姫の物語。
私は力寿姫よりも離縁された妻がどうしたか気になります。
ピンクのトカゲさん
彼女の伝承は残ってないのでしょうか?
すごい、横レスなのはわかっていますが、読んだときから気になるんです。

■ トカゲさんの三河国司・大江定基と瀬織津媛(三)(関川神社&大寶山西明寺&陀羅尼山財賀寺&八幡宮
さくら 投稿日:2002年4月16日<火>22時02分
ピンクのトカゲさんにお願いした瀬織津姫(三)です。
いつも転載許可を快く快諾していただいてありがとうございます。

投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 4月12日(金)07時14分25秒

旧宝飯郡の中央、現在の豊川市の西部に位置する国府(こう)町
その名のとおり、この付近に三河国の国府がおかれていた。
現在の街並みは、国道一号線と並行して走る旧東海道に沿って、形成されている。
この旧東海道を西に向かい旧東海道の宿場町・御油の町並みに入るところの追分からは
姫街道が分かれる。
旧宿場町の御油の街並みを過ぎると、国の天然記念物に指定されている松並木
松並木を越えると、同じく旧宿場町・赤坂の街並みが始まる。
赤坂にはいると直ぐ左手に関川社(祭神・市杵島姫)が鎮座する。
言い伝えによれば、定基が、力寿姫の父・宮路弥太次郎長富に命じ、創建されたという。
市杵島姫、神仏習合により、弁財天とされる。そして、三明寺の本尊・弁財天は、力寿姫を偲び定基が、刻んだとされる。
力寿姫=弁財天=市杵島姫という等式が成り立つ。

東海道を東に戻り追分から姫街道に入り、船山古墳の一つ手前の十字路を左に入ると大寶山西明寺がある。
西明寺は、定基が、大寶山の東の丘に草庵を結び六光寺(ろっこうじ)と名づけ、天台宗の寺院としてはじめられ、のちに現在地に移り曹洞宗の寺院となったとされる。
現在も西明寺の東に八幡町上六光寺・下六光寺・西六光寺、さらに、その東に平尾町六光寺の字名が残る。
遠野物語には、六角牛(ろっこうし)の地名が出てくる。
六光寺と六角牛、字は異なるものの、ru-ukotpa-us-i(路が・交合している・のが常である・所→岐路or分れ路)と関係があるのではないか
六角牛については、風琳堂主人に任せるとして、六光寺は、「追分」の東に位置する。
遠野早池峰の女神は、瀬織津姫である。この「ろっこうじ」とどうつながるのやら

トカゲさんの三河国司・大江定基と瀬織津媛(三)(関川神社&大寶山西明寺&陀羅尼山財賀寺&八幡宮
さくら 投稿日:2002年4月16日<火>22時02分

さて、この平尾町六光寺から山の方に向かうと智恵文殊として知られる陀羅尼山財賀寺がある。
山門の仁王像は、国指定の重文、数年前修理が終り仁王門に安置されたときは、横綱貴乃花の手出入りが奉納された。
開基は、行基、文殊堂は、力寿姫を亡くし、定基は、七日の間、埋葬しなかったが、夢のお告げに文殊菩薩が現れ、力寿姫の舌を陀羅尼山に埋め文殊堂を建立し、力寿山舌根寺と称したとされる。力寿姫の碑の背後には、桜の古木が根を張っている。
なお、この財賀寺がある財賀町には、ドウニヤなる奇妙な字名が残る。

財賀寺から姫街道に戻る。筋違橋の西から北に八幡宮の参道が続く。八幡宮は、国分寺の鎮守として創建された。
西古瀬川に架かる宮前橋を渡り、一の鳥居、数段の石段を上がり参道が続く。しばらく行くと、小さな川があり、橋が架かっている。橋の手前右手には、鳥居があり、祠がある。祠の前の橋には弁天橋とある。祭神名は書かれていないが、市杵島姫はじめ宗像の三女神である。
本殿参道に戻り橋を渡ると、左手に小さな屋根に賽銭箱、「荒御魂神」の札が懸かる。川を隔てて、石の小さな祠がある。おそらく、水源だろう。
参道を中心に右に宗像三女神、左に川を隔てて、荒御魂神、この荒御魂の正体は、おのずと知れよう。
さらに参道を進むと正面に昨年、改築されたばかりの立派な拝殿が見える。
拝殿の手前には、末社といっても背丈をゆうに越す祠が左右に鎮座している。
向かって右が豊磐窓神、左が櫛磐窓神である。いわゆる門神、元は、アラハバキであった可能性が高い。
現在でもかなりの神域であるが、かつては、現在の一〇倍ほどの神域を誇ったという。
八幡宮の参道のさらに西一〇〇bほど、間口一間弱のお堂がある。「南無櫻地蔵大菩薩」の石碑が立っている。
以前、ここに桜の古木が立っていたという。
一〇倍の神域といえば、当然、この桜の古木も神域内のものであったであろう。
国分寺が置かれた八幡宮周辺からは、銅鐸もいくつか出土している。
国分寺の鎮守として八幡宮が創建される以前から聖地であったのではないか。
その上に国分寺及び八幡宮をかぶせた。
国分寺建立は、持統の曾孫・聖武の命による。黒幕は、不比等の娘・光明である。
この地に国分寺及び八幡宮を建立した意図は、
そして、櫻地蔵の桜の意味は何だったか?
さらに、今昔物語の定基&力寿の悲恋に仮託された真実は...

夏日?
佐久之宮 投稿日:2002年4月16日<火>14時30分
東京は30℃ですか〜〜 暑そ〜。。。
今日は当地の乗馬クラブへ遊びに行ってきました。ここは高台なので寒い
くらいでした。 もちろんソメイヨシノはまだ固いツボミの状態でしたよ。。。

それにしてもこの掲示板はお腹がすきます〜
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

夏日ですって...
さくら 投稿日:2002年4月15日<月>21時36分
月うさぎさん、
東京の八王子は30度の夏日とか...
北海道はいかがですか?

なすの煮びたしもおいしそう....
 今夜はサトイモの煮っ転がしです。
  それから、北海道のイカそうめん。
   しょうが落としてそうめん汁で食べてみます?
    お好きに召し上がれ....

お酒は月うさぎさん「夢」でいかがでしょう?
 のりちゃん曰く
   感 想:甘味が強いお酒です。
      ただ、その甘味はくどくありません。
      甘いんだけど、お魚ともよく合いますよ。

      端麗な甘口ってのはちょっと想像しがたいと思いますが、
      まさしく、端麗甘口。

      ちょっと得した気分になれます。

  はい、あわびの煮貝は私も無理です。
    味.....わすれた....夢の味でした。はい。

こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年4月15日<月>20時10分
サクラさん、
茄子の素揚げ、おいしそうですね。
私は素揚げしたなすを、塩醤油半々の薄味で煮ます。
千切りしょうがをほとんど一個分ちらして。
次の日、冷蔵庫で冷えたのを食べても美味しいですよ。

トカゲさんのイカのカレー揚げもおいしそうでした。
今度やってみます。

アワビの煮貝は・・・貧しいうさぎには無理だな〜。


http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

トカゲさんの三河国司・大江定基と瀬織津媛(二)
さくら 投稿日:2002年4月15日<月>02時24分
龍雲山妙音閣三明寺&円福山豊川閣妙厳寺) 投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 4月11日(木)07時37分59秒

花井寺から飯田線に沿って、八〇〇bほど豊川方面に行くと、三河七福神の一つ弁才天を祀る龍雲山妙音閣三明寺がある。現在、豊川駅東口が区画整理されており、東口を出れば、直ぐのところである。ここも花井寺と同じくはじめ真言宗、後に曹洞宗に改宗
本尊の豊川弁才天(馬方弁天)は、定基が、力寿の面影を弁財天に刻み残したものと伝えられる。
三明寺々伝によれば、大宝二(七〇二)年、文武が、三河国星野之宮へ行幸の際、現境内池のほとりにて辨財天の霊験を得、大和国橘寺覚渕阿闍梨に命じて堂塔を建立、開山となったとする。
続日本紀に、文武が、三河に来たとの記録はない。同年には、持統が三河に来ている。
目的は、何度も書いているが、祭神変更である。
三明寺々伝を裏読みすれば、この地に本来祭祀されていた神を弁財天に変更したということである。
三明寺の裏手に豊川進雄神社(明治以前は、豊川天王社。祭神:素盞嗚尊)の元宮・稲田神社(祭神:櫛稲田姫)が鎮座し、創建は、大宝年中とされる。
おそらく、稲田神社の本来の祭神の変更が持統の目的であったのであろう。
三明寺境内には、三つの願いを成就させるという三徳稲荷がある。この三徳稲荷は、宝暦年間(一七五一〜一七六三)に西島稲荷社から分祀されたとされる。三徳稲荷の御神体は、西島稲荷の白狐と同形の黒狐だという。
西島稲荷は、花井寺の南約二〇〇メートルほどの豊川市西島町に鎮座する。
西島は、段丘崖下に位置し、往古は、名前のとおり島(豊川の中洲)であった。
伝承によれば、西島は、倭姫が、斎田に定めた地であり、西島稲荷に祀られているのは、倭姫命だという。

三明寺と豊川駅をはさんで反対側、つまり、西口から右に路地を入り、門前通りを抜けると、円福山妙厳寺がある。嘉吉元(一四四一)年に開創された曹洞宗の寺院である。
豊川稲荷は、この円福山妙厳寺を開創した開祖・東海義易が、仏神・叱枳尼天(だきにてん)を妙厳寺の鎮守として祀ったものとされる。
豊川稲荷が、全国的な信仰を集めるようになったのは、時代劇でおなじみの大岡越前守忠相が、寛延元(一七四九)年に豊川村を知行地とし、妙厳寺の万牛和尚に帰依したことに始まるとされる。忠相は、宝暦元年に死去するのであるが、この頃、妙厳寺は、平八狐を婿に迎え大いに繁盛したという。
この平八狐、実は、西島稲荷の社守鈴木平八朗氏という実在の人物で、全朴浄人(姓は斎藤氏)を仲介として、宝暦年間に、今で言うヘッドハンティングで迎たという。
それ以後、豊川稲荷が栄え、西島稲荷が廃れたと

先述したように、西島稲荷は、花井寺の南約二〇〇メートルのところにある。往古は、豊川の中州であり、花井寺正面に浮かぶ島である。その花井寺には、花井姫と磐井姫の伝承。そして、三明寺には、力寿姫の面影をしのんで定基が刻んだ弁才天。
また、妙厳寺は、享保七(一七二二)年に焼失しているが、それ以前は、三明寺の裏手、稲田神社の正面あたりにあったとされる。
日本三大稲荷の一つ豊川稲荷もまた瀬織津姫の影が見え隠れする。

天皇制
さくら 投稿日:2002年4月15日<月>00時49分
はい、瀬織津姫は天皇制も見つめています。
 どうぞ、語ってくださいな....
   ここは居酒屋ですから語れない話などございません。

天皇制のバチカン化には目からウロコのサクラs(*^-^)ノ☆ です。

ちょっと、見ない間にすごい書き込み(汗)
さくら 投稿日:2002年4月15日<月>00時06分
風琳堂のご主人、あかねさん、遊観さん、ピンクのトカゲさん
ちょっと出かけてる間にすごい書き込み....それも目が離せない
話題満載で(@_@)

遊観さん沖ノ島は神庭なんですね。
遊観さんが飛翔する自分を感応できたなんて、やっぱりすごい島なんですね。
宗像の三女神が国中に散らばり、今に大事にされているのも、母神の持つ
血の系譜なのかも知れないなぁ...なんて考えると「我姫[あづま]の国」
の姫がますます気にかかります。

あかねさん、ご主人ららら♪
面白いですよぅ。お国自慢聞いてるだけで(@_@)なんだかわくわく
してきちゃってます。
あはは、遠野から針間から三河からそして下総からも姫が祭りに乗って
やってきてるみたいです。
ん、眠れなくなりそう....この展開!

ピンクのトカゲさん
本当にうなごうじ祭り見て思ったのは氏神様のお祭りをすごく
大事に皆がしてるなってこと。
最初から天皇制なんてあってもなくても守ってきたのが
氏神様のお祭りなんでしょうね。
お祭りのすべてがそもそもが神様への奉納ってことも
忘れ去られてるようなイベントお祭りとのちがいなんでしょうか。
行列横切ると白刃がきらめいたなんて話思い出しました。

今夜は遅くなっちゃったけど、
 豪華にあわびの煮貝なんていかがでしょうか?
  海の幸が山にもおいしく運ばれるように作られたという煮貝
    なーんでこんなに高いんやろう..
     これじゃ、いくら日持ちしたって、山のもんだけじゃなく
       海のもんにも、食べられへんやん。

 で、あとは茄子の素揚げ....しょうがたっぷり載せて召し上がれ

トカゲさん
遊観 投稿日:2002年4月15日<月>00時04分
天皇制は確かに幻想ですが、ぼくの一世代上の人たちは、その幻想が織りなす災いに苦しめられました。沢山の人が殺され、心身が傷付けられました。「あんなものは、一部の政治家(バカどもの)幻想」と楽観視していいのでしょうか。これほど重要なことを平成14年の現代のお祭りと対比して片づけてしまうとは、トカゲさんらしくないと思う。

神庭は御獄
遊観 投稿日:2002年4月14日<日>23時53分
沖ノ島の神庭も辺津宮の神庭も、沖縄の御獄(うたき)に酷似している。私は御獄を訪れたことがないので、岡谷公二さん(跡見学園・仏文学)が芸術新潮に書いたものをここに引用して、その雰囲気を味わって頂こう。御獄は男性立ち入り禁止である。
「昭和36年・・・波照間島の御獄だった。御獄についてまるで無知だった私は、散歩の途中たまたま入りこんでしまったのである。その大きな森は、遠くから見ただけでも尋常の森ではないことがわかった。ガジュマルやアコウ、クバ、ヤラブなどが密生していて、人が踏み込むのをかたくなに拒んでいるかに見えたが、道らしい箇所があって、中に入ってみると、森のさなかに白砂を敷いた広場があり、泉が湧いていて、瀬戸の香炉が一つぽつんと置いてあった。そこはまぎれもなく聖地だった。海が近く、潮風が木々を騒がせ、明るい光が海の方角からさしこんできていた。そこにいた30分近くの間に、私は、神社や寺や教会ではかって経験したことのない、なにかを感じた。・・・三宅島で、式内社志里太宜神社に比定される椎取神社を訪れたが・・・森の中にはほとんど社殿らしきものはなく、その神秘感は恐怖をおぼえるほどのものだった。・・・日本の神は、目には見えない。そしてその聖地には、元来は樹木や岩以外のもは何もない。」
現在の沖ノ島はあろうことか、女人禁制となっている。これも明治政府が両部神道の女性蔑視をそのまま踏襲したことと、男系天皇制の影響ということになろうか。宗像大社は早急にこのバカげた禁制を改めるべきだ。もともとここは御獄と同様の場所だった。倭姫も神宮皇后も女性である。また、倭姫は飯野の高宮という所で四年間齋奉っている。高宮はやはり御獄のような聖なる地なのだろう。

遊観さん
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月14日<日>22時30分
自分らお祭り下積みからやってる人間からいえば、天皇制なんてどうでもいいんです。
要は氏神のお祭り
それでいいんです。
そこには、ことさら力まなくても天皇制なんて存在しない。
天皇制なんて所詮は幻想
あんなものは、一部の政治家(バカどもの)幻想
既に万世一系は、虚構それが前提です。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

・・・・天皇制
遊観 投稿日:2002年4月14日<日>22時13分
厳かな社殿の階段の正面に鏡が祀ってあり、突き出した棚にお守りなどを販売し、結婚式場を控えた今日の神社は、この列島の歴史上一度も存在したことのない新しいものだ。(前にも述べたが神前結婚式が流行りだしたのは昭和の初期からで、それ以前にはそのような結婚式はなかった)
現代の神社には社殿の前の広場はあるが、よりしろも神庭もない。そのことは神社に最も重要な何かが欠けたままの外観だけの、ただの形骸であることを自ら表していることになる。しかし、神社には沢山の人々が素朴な願いをかけにやってきている。このままの形骸化した神社の形態はそうした人々を裏切っていることになる。
明治政府が神道と天皇制を復古させたように見えるがそれはただの改竄だ。権力を握った明治政府が自らの権力を強固にするために、当時人の噂に上ることもなく京都で静かに暮らしていた天皇を引きずり出し、天皇制という幻想を人々に押しつけ、神道をねじ曲げた。それは原子爆弾を落とされ、絨毯爆撃されて驚くほどの国民を殺し、恐ろしいほどのトラウマを残す結果を生むまで続いた。
悲しいかな、滑稽なほどに恐ろしい天皇制の残滓は、象徴天皇という形で今も続いている。

神庭
遊観 投稿日:2002年4月14日<日>22時13分
あかねさんから、「まさに神の庭ですね」とあったので、今回は「神の庭」・・・カムニワについてお話したいと思います。しばらく仕事がきつかったので、書けなかった分、今日一気に行きます。

オオミズナギドリの巣跡に足をとられ、ヒルに血を吸われ、顔にはクモの巣がはりつき、身体中傷だらけになりながらも、この島を探索できたことはこの列島の歴史を垣間見る良いきっかけとなっている。
「神庭」・・・これは日本書紀に壇所とある語句である。神の庭は神を降ろしてその託宣を聞く神聖な場所のことだ。沖ノ島に見た壇のある平らな場所が、神庭のプロトタイプだが、辺津宮(現在の大社)にもほとんど同じ形の高宮祭場と呼ばれる所がある。ここは宗像大神降臨の地と伝えられ、石組みで30センチほど高くした壇から、さらにもう一段高くした平らな場所で、ただ砂利を敷いただけの簡素なものである。広さは十坪ほどのがらんとした場である。奥手左隅に何の木か分からないが、高さ4メートルほどの、幹の細い木が枝を張り出している。周りは木々が深く、葉の影さえも青い中、この空間が凛としてある。
この列島では沖ノ島祭祀もそうだが、もともと神を祀り、神を下ろす場所には社殿などなかった。また、神庭の古代の概念は現代とは著しくかけ離れたものだった。紀に面白い逸話があるので、ご紹介しておこう。
「雄略天皇九年春二月の甲子の朔に・・・凡河内直香賜(おおしこうちのあたいかたぶ)と釆女とを遣わして、胸方神を祀らしめたまふ。香賜(かたぶ)、既に壇所(かむにわ)に至りて、将に事行はむとするに至りて、その釆女を姦す。」
これは、天皇が香賜を追い落とすための口実として書かれたものだが、この記述は実に興味深い。船霊様に男女の契りを見せて喜んでもらうという神祀りが民俗学で紹介されているが、あるいはそうしたものを想起させる。考えてみれば神社では今も踊りや舞を神に奉納しているが、古代の神々はそうしたことを娯楽として求めていたのかもしれない。
また、神の庭といえどもそこは現代風な神聖さにはなかった。高取正男著「神道の成立」には「その前庭は神祭をおこなう場所であったのはいまさら指摘するまでもない。そのような所で桓武天皇が鷹に餌を与えたというのであるから、この時代には鷹の餌にするような犬や野鳥の生肉は、べつに神事の障りになるとは考えられていなかったとみるほかない」
とあり、明治政府の考案した神道は仏教と切り離す目的があったにもかかわらず、その禁忌をそのまま取り入れてもいる。
つまり、かつての神庭とは神に対する饗応や、神懸かりの場ではあったが、それは現代から見ると異様にも思われる祭祀が執り行われていた。だが、それこそ明治維新前のこの列島に脈々と流れるカンナガラの道を思い起こす貴重な資料と言える。

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沖ノ島からラピタ土器へ
遊観 投稿日:2002年4月14日<日>17時30分
沖ノ島旧社務所前からは、早期の縄文土器である曾畑式土器が出土している。曾畑式土器の作り手は海民であり、能登半島や屋久島などからも出土している。宗像の部族は悠久の時から船を自在に操って、この列島の島々だけでなく、半島や大陸を縦横に駆け巡っていた。三女神の信仰はその頃からあったかもしれない。航海の無事を祈るだけでなく、そこここに住み着いた彼等の守護神だったのだろう。そうしたことから宗像神社が下総の地に13社もあるのは、如何に彼等の行動力と好奇心が強いものだったかを物語るものでもある。となると古語拾遺にある、忌部の阿波から安房への集団移住は宗像の部族であり、あるいは伊都許利が大船団を率いてやって来たことを表しているのかもしれない。すると富の命は伊都許利か?富はどっちみち名前ではない。富は単なる美称にすぎないことから、本来は富の〇〇とあったものを意図的に斎部廣成が自己主張の一環として隠したのかもしれない。
5世紀前後は記紀や古墳の状況からみると、ヤマト朝廷(当時は倭韓連合体)が徐々にその力を蓄えていた頃だが、海を縦横無尽に駆け巡り、半島や大陸の文化を摂取していた宗像の部族の力を借りることなしには、その勢力を拡大することはできなかっただろう。沖ノ島祭祀は倭と宗像部族共同の祭祀だっただろうから、お互いに相当緊密な関係だったはずだ。記紀には海に関する伝承が多くあるが、それは当然海民のものだ。曾畑式土器を持った縄文の民は、半島とこの列島の激動期に対抗措置としてまとまり、そのまま宗像の部族となったのだろう。
仁徳天皇を代表とする河内王朝は倭から半島へのルートを確保する為に、積極的にそうした宗像の部族と友好を深めていただろう。仁徳天皇の妻の一人は髪長媛だ。媛は日向の諸県出身だから、倭の国ではなく隼人部族かあるいは宗像部族かもしれない。当時の倭の重要な同盟国は吉備と紀伊が定説だが、どこの部族にも海民信仰を持つ宗像部族が入り込んでいた可能性は高い。播磨王朝も半島との貿易のために、宗像部族の手を借りないわけにはいかなかっただろうし、越前王朝も同様だろう。大量の鉄のインゴットを運べるのは航海に長けた宗像部族をおいてはなかっただろう。現在宗像神社はこの列島に六千三百余社と数えられている。なにしろ縄文の時代からこの列島の内外を知り尽くしている部族だ。その足跡がこの列島の隅々にまで残っていることは、当然のことだろう。ちなみに曾畑式土器を携えた部族は、インドネシアからスンダ列島を経て、ポリネシアへ拡散したり、南米大陸まで渡っているという説がある。その足跡はラピタ土器としてネシア地方という広大な太平洋の島々に広く分布している。

楽しい話題盛り沢山!
あかね 投稿日:2002年4月14日<日>17時26分
「我姫[あづま]の国」のつまは津万かも〜。ほんなら、倭鍛冶の祖・アマツマラ
も女神さんだったりして…。アマツマラ=天目一命=八意思兼命=金山彦=
金屋子神=イシコリドメ…。ほら、女神さんと男神がこんがらがってるやんね。
昔の姿に戻って信仰されてたりして。ほんで石見・江津市の小野氏祖神・鏨<タガネ>
搗使主命(お餅を原型を列島で初めて作った神)を祀る、ツマ神社もツマ。ツマは、
小野・斧神のことやったりもしたら面白いなぁ。ツマは播磨国風土記によれば、
水が美味いという意味らしいし、よけいに小野神みたいですね。東と播磨、特に
常陸のでだらぼっち伝承は、東播磨の大人伝承と同じ、出雲土師氏系らしいし、
きっとこの辺もポイントですね。

ピンクのトカゲさん
ほんまや、出来過ぎで怪しい感じがしますね。なんやしらんけど、海から亀みた
いな妙な動物に乗ってやって来た、妙見さんみたいやわぁ。

サクラさん
瀬織津姫は時に竜となり怒りに身を任せる一面を持っている、隠しても隠され
つつも生き延びる強さも女神ならでは、とはふふふ、同感ですじゃ〜。
女酋長は強いのさ〜、きっと。戦国時代の女性も、意思的に敵方へ嫁に行って、
実家へ貢献した話も多いですよね。人間の本質って、そうそう大昔から変ってない
ような気がします。縄文人だって、円になって中心に火を炊いてたのが、環濠集落
となったかもしんないし、行動心理パターンなんて、あんまり変ってないんだー。

いつもながら好きなメニューばかりです(^○^)。食べた〜い!
ほんと、何で好みを知ってるの?あ、善哉以外なら何でもOKの私。

遊観さん
沖ノ島は物凄く、神々しい島なのですね。臨場感のある内容で、嬉しいです。
天女の羽衣のように、ゆっくりと降りる光といい、岩といい、木々といい、海と
いい、「(神と人を)つなぎ直す」聖域ならではの空間が大切に守られて、広が
っているのですね。島へ入られた方々は、包み込まれてエネルギーももらって
いるのかも。溜息が出そうなほど、魅力的な島で、まさに神の庭ですね。

(@_@)
あかね 投稿日:2002年4月14日<日>16時47分
風琳堂ご主人
お書きの内容、誠に同感でございます。瀬織津姫を媒介として、古代氏族がぐる
ぐる繋がっているようで、そのややこしさに、いつも混乱をおぼえながら、色々
と考えを巡らしておる最中です。おっしゃる通り、疑問点は山積ですね。

後続の鴨・賀茂は、先住神・瀬織津姫の力と民の信仰を利用して、土木開拓・
鉱物採掘・産業などの各面で、勢力を拡大していったかのように思えますが、
同時にカモの持つ信仰は、先住民にとっても、とり込み易い面があったのかも
しれません。繭への概念などもそうで、だからシラヤマと結び付き、早池峰山の
遥拝社が加茂神社となっている気がします。イザナミや菊理姫の後ろには、瀬織
津姫が隠されており、深い影響を受けてる感じもしてます。

もしかしたら、伊勢のカモ氏の瀬織津姫信仰も、水銀・銅等の鉱物と水神・豊穣
神である丹生都姫としての瀬織都姫の力を借りる、或いはその率いた民の力を得る
ためにあったもので、丹生族側もそれを条件?としたのかもしれません。
そこには、天日槍命の呉出身説が意味を持ってくるのやもしれない。
更には、応神=秦氏説も関ってくるのだと思います。
騎馬術と先進産鉄技術を持って播磨へやって来た播磨鴨国造山部直も、先住して
いた同系豪族の協力を得て伸上り、大伴・佐伯系と結ぶ山部連と、更にはカモ
傘下・ヤマト配下となって、播磨中に勢力を伸張していきましたから。
山部直族(山氏)の地・播磨、特に東播磨は、縄文の地、出雲族の地であって、
「物部」、「宗像海人」、ワニ・多系海人族、吉備族、カモ・秦、藤原(葛原ワニ説・
温羅説もあるけど)等々、中央に登場する殆どのウジが登場して勢力争いをして
いるので、“ヤマト前線基地であった播磨古代”の歴史を見て行く事でも、何か
見えてくることがあるように思っています。ね、播磨も面白いでしょ!えへへ。

あ、小野篁と云えば、井戸から地獄を覗いて帰って来ることが出来た人ですね。
水神としての小野神を祀る小野族に似つかわしいお話かも。小野神=瀬織都姫なら
根国は地中・ほとで、根は鉱物でもあり、水はつきものですもんね。船木・犬養
などとも繋がってそうです。隠岐・壇鏡滝っていうのも何だか、平城の皇子・
「阿保親王」が、『溝咋神社』(ミゾクイ、大阪北摂・茨木市五十鈴町)で、大旱魃の
際、天皇より賜った鏡を神前へ供え、祈るとただちに大雨が降ったという伝承に
似てる気がします。阿保親王は、薬子の乱の煽りを受けて、大宰府へ流されてま
したし。この鏡は『暁の鏡』といい、社宝として現存してます。そして後裔の
「在原氏」「阿保氏」は、阿保の母方・多族(藤井氏)と関係深く、南河内の多治比氏
や中臣系菅氏との関りもあったようで、鋳師や鍛冶を引き立て、木地師との関り
も深いらしいです。因みに茨木市には、ご存知『磯良神社』(疣水神社)もあり、
磯良は宗像に起り、磯良→石清水→離宮八幡→酒解という流れもあるようです。
更に、三島県主の三島氏の首長墓の一つとされる『昼神車塚古墳』の昼神は、昼神
の天神=蛭神の天神といわれ、この天神とはテンシン=小彦名命=童子神=茨木
童子とされ、テンシンはニニギノ命でもあるらしいです。ぐるぐるぐるぐる(@_@)
中国山脈〜但馬南部・播磨〜丹波・北摂〜山城・近江…〜は、山並みが続く一つの
世界。民の移動が相互にあったことでしょう。トカゲさんちとダブってm(__)m

沖ノ島の神話 No.2
遊観 投稿日:2002年4月14日<日>13時01分
神道と名付けられた「カンナガラの道」は、明治政府によって改竄変質させられたが、それもまだたった百数十年のことでしかない。変質させられたということは、また元の形に戻る可能性もあるということだ。経営の経験も人を指導することも学んだことがないサラリーマンに会社の経営、人の指導ができるわけがないように、明治政府が構築した神道も神と人を繋ぐ仕事は無理だろう。宗教としての神道・・・・いや大体宗教という日本語が駄目だ。宗教という言葉は宗派の教えみたいな所からきているものだろうから、融通無碍な宗教の概念を表すことのできない言葉だ。そういう意味では、宗教は英語ではリリジョン(religion)だが、こちらの方がずっとその概念を表すにふさわしい。religionはもともとギリシャ語のレリゲア(religare)に由来するもので、「(神と人を)つなぎ直す」あるいは「注意深く観察すること」からきている。
 さて、沖ノ島には全島このようなスポットが沢山あり、そのために神々しいのだろう。宝物が多数発見されたから神々しいのではない。当時のこの列島の人々は半島や大陸との中継点として、この島を齋奉っていた。胸肩君が君臨する宗像の部族は、ヤマト朝廷をも巻き込むほどの祭祀を持っていた。ここからはるか遠方にある下総の地に、千五百年後の今日に至るまで、三女神の影響が色濃く見えることは、この列島の人々が如何に彼女らに強い思慕をもっていたかを物語っている。国宝や国家的祭祀、ヤマト朝廷などという平板な言葉では言い表すことのできない宗像は、近い未来には、いや千年の先かもしれないが、必ずやかつて人々が持っていた三女神にたいする思慕を伴う美しい神話が復活するだろう。

沖ノ島の神話No.1
遊観 投稿日:2002年4月14日<日>13時00分
大岩の隙間は身体を横にしなくては通れないほど狭い。通りながら上を見上げると、巨岩の圧迫感が怖いほどだ。5メートルほど横向きのまま・・・・通り抜けた。すると・・・覆い被さるような三方の岩に囲まれたその中心に、縦横3メートルほどのテーブルのように平たい岩があり、そこにはるかに高い照葉樹の巨木の梢からこぼれ落ちる日の光が、天女の羽衣のように、ゆっくりとおりていた。
そのテーブル状の3メートル四方の岩は舞台のようで、解放された一角からは密生した原生林を見下ろすことができる。少しためらったが、私はその舞台のようなぶ厚い岩に立ってみた。すると軽い目眩がし、そのまま空中へふわふわと飛翔できそうな錯覚にとらわれた。無重力、無時間のような場だ。明るく、クリアーで不思議なことにうるさい鳥たちの声も聞こえなかったように思う。ずっとここにいれば、浮き世の塵濁にまみれる平凡な私でさえも、死体を残さずに昇天するという仙人の尸解(しかい)の術を使えるのではないか・・・そうだ、ずっとここに居てこのまま行こう!・・・しかし、どこへ?・・・いや、こんな卑小な人間が舞い上がったとしても、どうせ気がゆるみ、せっかく舞い上がっても途中で空中からこの岩に叩きつけられるだけだろう。久米の仙人でさえ、女性の太股が目に入った瞬間に落下している。目を閉じているのか、開けているのか定かではなかったが、とにかく目を開けた。だが依然音が無く、世間と隔絶した場であった。が、孤立した感はない。慈愛に満ち、宇宙との一体感があった。おそらく宇宙飛行士の感じに似たものだっただろう。個としての自分は溶けてなくなってしまうが、自分を見失うことはなかった。大きく手を上に上げると、頭頂にあるというサハスラーラ・チャクラに何かが流れ込んでいるような気がした。ははー、数千年にわたるヨーガが実見したという霊的器官はやはりあるのかなー・・・イダーとピンガラが脊髄を中心にしてぐるぐると巡っている様も分かるような気がした。冬の海に入ったり、山々を徘徊するよりもずっとピュアーな感覚がここにはある。
こここそ、現在の沖ノ島のメインだ。おそらくは国宝による祭祀場所もここのように素晴らしい空間だったのだろうが、既に常人には分からないほどにその験力は落ちてしまったのだろう。同行した人々のなかには沖縄のノロもいて、彼は「オマツリ」が始まるまでの間、鏡が数十枚奉納されていた大岩の上に結跏趺坐して瞑想していた。きっと彼は何かを得ていただろう。しかし、能力は彼に比べるほどもない私でも、ここでは彼と同様の何かを見ることができたと思う。

清滝権現
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月14日<日>12時03分
一般に清滝権現って、空海が、唐に渡って、青竜寺で修行し、
この青竜寺の鎮守が、海を渡ったからサンズイをつけて清滝になったって話し
できすぎてるだけに怪しいですね。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

小野氏と瀬織津姫
風琳堂主人 投稿日:2002年4月14日<日>03時16分

 あかねさん、サクラさん、瀬織津姫がくっきりと明かされるときがくれば、女性が自然な意味で力を回復する時代となるはず、という予感があります。ウーマンリヴの思想とは根本的に異質なところで、男の歴史的な思想・情念は一度徹底的に相対化されたほうがいいとおもっています。主人は手いっぱいで、よろしくそれぞれの場から瀬織津姫に光をあててみてください。

 瀬織津姫と小野氏との関連で、小野氏と物部氏、そして賀茂氏がもしつながるなら、瀬織津姫の古い祭祀分布はほぼこれらの氏族の移動で明かされるような気がしています。大氏=多氏を媒介させればある程度つながるのかもしれませんが、ただ、小野氏vs賀茂氏となると、一考の余地はあります。しかし、伊豆の賀茂氏(鴨氏というべきかもしれませんが)のことを考えると、どうも同神を奉祭していた可能性があります(遠野では、瀬織津姫=早池峰山の遥拝社が加茂神社でもあり、それなりの理由があるものでしょう)。そして、宗像氏と物部氏です。これらの氏族がうまくつながれば、宗像の女神と秘められた男神も、新しく見えてくるかなとおもっています。系譜明かしの達人=トカゲさんの出番と期待しているところです。
 ところで、福島県三春の隣は小野町で、ここには、その町名からも歴然としていますが、小野小町と小野篁[たかむら]の伝承があって、もし小野氏と瀬織津姫が濃い関係にあるなら、三春と小野もその線で見えてくるものがあるのかもしれません。
 話が飛び飛びで恐縮ですが、小野篁が隠岐に流されたとき、彼は、隠岐のなかなか味のある滝=壇鏡[だんきょう]滝で、一生懸命都へ帰れるように祈願していたとされています。隠岐で浮名を流した篁でしたが、本音は必死だったのだとおもいます。この隠岐の壇鏡滝=壇鏡神社の主祭神が瀬織津姫だというのも、これも小野氏がらみで興味深いです。ひょっとすると、篁がこの滝に瀬織津姫をまつったのかもしれませんが……。
 三河花祭りは天白神にささげられる祭りともいわれています。高知の物部村にもたしか花祭りがありますね。三河の花祭りの「白山=しらやま」は白山姫ともつながり、天白神が主たる中心の神だとしますと、白山姫と天白神に共通して関わってくるのはイザナミでも菊理姫でもなく、今のところ、これも瀬織津姫です。
 瀬織津姫の潜在分布は予想以上に、はるかに広範囲におよんでいるようです。この「広範囲」と関わるのかどうか──常陸国風土記の総記に「我姫[あづま]の国」と書かれています。「姫」を「つま」と読ませていたとすれば、この「姫」はなんだったのかなと、ふとおもいました。
 
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

滝、堪能しました。
さくら 投稿日:2002年4月13日<土>23時29分
あかねさん
きれいな滝たくさん見ました。
あはは、とってもすがすがしい気持ちになったぞな。あんがとさんです。

清滝周辺の様子がわかって、
この清滝川にかかわる滝が魅力的に見えますね。
小野つながりも湯たての話も面白いです。
府中の小野神社なんていっていただけると、昔も日本は狭かった....
播磨もすぐ近くにあったなんて思います。

あかねさん
女酋長とは笑っちゃいました。
あかねさんの言うとおり、安定した生活ができるなら
土着も渡来も関係なくおおらかに母性を発揮してたのかも?
そんな母の強さに、時には歴史改ざんしちゃったりに妙に権力が熱心だったとはうなずける話ですよね。
血脈守るために戦っていたのは、きっと歴史に見えない女も同じことで、
そのときには、ひょっとしたら男より怖くなるのかも?
だから、瀬織津姫は時に竜となり怒りに身を任せる一面を持っているのかな?
そして、隠しても隠されつつも生き延びる強さも女神ならでは...という気がしちゃったり。

月うさぎさん、あかねさん、風琳堂さん
今日のデザート食べてみてね。(大丈夫!太ったって女は偉大だ)
ん、風琳堂さんは男性だった(大丈夫!太ったって男も偉大だ)

札幌に親友がいます。
年に3.4回はと東京に来るので、今度のお土産に頼んで見ようっと!
大人になってやっとおいしいと思うようになったのがイチゴのショートケーキとバナナロール。
うーん、このバナナとイチゴのケーキはそそられますね。

でも、酒の肴は少しカロリー考えて、さっぱりと海老の塩焼と
春キャベツの千切り山盛り.....だけじゃ何だからトカゲさんの豆板醤のピリカラトマト一緒にいかがでしょうか?(はい、このごろこのトマト病み付きになってます)

女酋長
あかね 投稿日:2002年4月13日<土>21時40分
近畿の滝HP、これならとべるかな?
http://www3.justnet.ne.jp/~kazuyoshi_n/kinki.html#hyogo

小野氏は修験道系採掘加工集団ともなるので、以前、風琳堂さんがおっしゃって
いたように、先住の神や民の歴史を民話という形で、残していったんだと思い
ます。自分たちの歴史ですもんね。

サクラさん
 三春を見ると、夢うつつ、幻を見ているかのような気分にちょっとなります。
 桃源郷みたいにも思えて、縄文道教があっても可笑しくないぞ、とも思う。
 湯立釜は持運び出来る三つの脚付タイプと、土竈を固定したタイプがあり、よく は存知ませんが、地方によって異なるようです。繭を煮立てる釜の他、塩釜とも
 関係ある気がしてます。この釜は当然、製塩土器産地の歴史とも重なっているの
 でしょう。そこには鍋や釣鐘等を造った鋳師や、鍛冶も関っていると思います。
 
 繭や絹、薬、錬金・錬丹、蹈鞴の湯窯・鋳物等の神様は元来、女神ですよね。
 そういう意味でもきっと瀬織津姫は、水と川、山・鉱物・開墾・豊穣の神だと
 思うなぁ。東播磨の道主日女みたいに土地の母神であり、民を守るために、
 生産拠点を求めてやって来た渡来系先進産鉄技術者と協力した事が、男神を
 崇める後続の渡来民の支配化へ入った歴史となるのでしょうけど、母なら別に
 渡来民と混ざろうが、トップを取られようが、子・民の身を守られさえすれば
 そんなことはあんまり、こだわらなかったんじゃないかという気もしてます。
 安定した暮しの中で、落着いて子を産み育てる事が保証される方が大事だった
 んじゃないかなと。優秀な子が産まれるなら、人種や系統・国などそう拘らない
 かも。本来、列島は母系社会ですから、子は母の一族のもとで育てられたそう
 ですし、そんな考え方もあったんではないかなぁ。そのこだわりのなさが母の
 度胸・母なる力・愛であり、民の中に色濃く信仰・歴史として残るから、新勢力
 は逆にやっきとなって覆い隠そうとしたのかも。父系の歴史を残すために…。
 そんなふうにも思います。ま、女酋長である場合ですが。
 あ、逆に推古は女性だからその点がよく解って、瀬織津姫を隠したのかもね。
 おのが系統(旧勢力でないほうの)と権力を守る事は、おのが血脈を守る事だと。
 う、女の戦い…。きょわい。だから瀬織津姫隠しに熱心だったようなのかぁ。

同感の嬉しい話題です
あかね 投稿日:2002年4月13日<土>20時31分
風琳堂ご主人
 渓流・嵯峨清滝は、やはりそうでしたか(^^)v。有難うございます。
 清滝と云えば、清滝川には『空也の滝』というのがあり、“その前には神社が
 鎮座し、滝を守る社であるかのように思える”らしいです。遊行念仏の創始者・
 空也の名が付くというのも関りを感じますが、しかし私のオンボロ地図では、
 社の名と祭神までは解りませんでした。月輪寺や愛宕神社ならその北にあるの
 ですが…。「空也滝」の場所は、清滝下流・愛宕山から流れ出す支流の半ば辺り
 から更に西へ分かれた渓流にあり、清滝のバス停からは徒歩約40分だそうです。

 清滝川で地図に見えるもう一つの滝は、小野の南東、中川トンネル南の分岐点
 から支流・菩提川(鷹峯西)にある『菩提滝』です。秦・カモから言えば、繭・
 モガリ習俗があったお山なのかもしれません。また同トンネル西には朝日峯が
 があり、日信仰もうかがえます。清滝には清滝不動や、大森の川の分岐から
 北東に支流を溯れば「霧谷竜王不動尊」もありますね。

 清滝周辺には、産鉄地名や多系地名などが多く残り、そこへ稲荷といった秦や
 賀茂系地名等が加わっているようです。これは、和邇の一流であり、天目一命・
 鏨搗使主命(=斧神・小野神)等を祖神とする産鉄の小野族と、天日槍命を案内
 したと云われる同じく海人族の多族がいた証しであると同時に、小野氏が6C
 前後、急速に没落した原因が、賀茂社と秦氏に蚕食された史実?にある事を,
 指しているのでしょう。あ、旧小野郷には、『笠峠』もありますね。
 
 ↓『空也の滝』は「近畿の滝」HPでご覧下さい。加古川の流れ内にある「闘龍灘」
  (加東郡<賀毛郡>滝野町上滝野・下滝野)や、「姫滝」(同郡社町)等と同様に
  所謂、滝ではなく、川の難所を滝と呼んだもので、大岩がゴロゴロしてます。
  http://www3.justnet.ne.jp/~kazuyoshi_n/kinki.html#kyoto
  保津峡下りは経験があるものの、清滝へは行ったことがないので様子が解りま
  せんが、流れの速い瀬や大岩など難所の多い川である故に、清滝川自体を
  滝に見たてたのかもしれませんね。
 
 川の分岐点・小野と大森に、瀬織津姫が祀られていることは尤もだと思います。
 小野氏は東国とも関り深く、おっしゃる通り、多摩市にある『武蔵国一宮式内
 社小野神社』と、府中市『小野神社』本来の祭神も、瀬織津姫だそうです。
 ならば、この2社が祀る“小野神は、瀬織津姫”なのですよね!
 
 因みに、清滝川上流・旧小野郷は北山の小野と云われ、同地の小野族は中世、宮
 中に炭や薪を納めた小野供御人として残ったそうです。山城国の小野と付く地は
 @この清滝川上流・小野荘(葛野<カドノ>郡)、A愛宕<オタギ>郡の小野郷(地名は
 残っていないが高野川上流松ケ崎・八瀬〜大原に至る範囲、『式内社小野社』と
 小野毛人の墓あり)、B宇治郡小野郷(山城の小野と呼ばれ小野小町伝承を伝え
 る随身院あり)の三つです。Aの愛宕郡小野郷は小野氏と同じく、滋賀県を本貫
 地とした木地師たちが祖と崇める惟喬親王の隠棲地でもあり、小野氏の小野神
 は、小野宮惟喬親王と習合していますね。

こんにちは
月うさぎ 投稿日:2002年4月13日<土>12時08分
サクランボいりのゼリーとアップルパイ、ああおいしそう〜
私も作りたい、でも自分で作ると食べすぎちゃって・・・
やっぱりやめておきます。

ところで、バナナの苺ケーキって食べたことあります?
ありそうでなかなかないと思いませんか?
あるんですよね、
札幌トキューイン一階にある喫茶店に。
たっぷりの生クリームに包まれたバナナがスポンジの間に
はさまっていて、ケーキの上にはやはりたっぷり生クリーム
その上には美味しそうな苺が並んでいるんですよ。
まさに女の子の夢が凝縮したようなケーキなんです。
もし来礼なさるようなことがあったら、ぜひお試しくださうな。
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

うふふ、ちょっと変?
さくら 投稿日:2002年4月13日<土>09時20分
おはようございます。
東京は暖かな日差しがさしています。
お洗濯びよりだぞ〜♪

春爛漫、梅と桃と桜が同時に咲く三春が遠野にも丹波や東播磨奥のもあるとのことですが、静かな山里で咲きにおう春満喫したらうふ、ちょと変になりますか?
清滝姫の名も美しいお酒の命名を考えられた方は春爛漫の中でこの名前を考え付かれたのか知らん。

あかねさん
播磨の神楽や布団太鼓(うーん、どんなのですか?興味あるなぁ....)
のお祭りもなにやら素朴なお祭り感じます。
ええよねぇ〜
お国自慢のお祭りは、地元の人にしか本当の意味がわからないかもしれないけれど、それでも、見るものに与える感動はお祭りならではの心の広い氏神様の贈り物かも....
あはは、あかねさん
私もお祭り見たら血が騒いで、男だったら海に御神輿持って海に入ったり、山車の上に載っていたかも・・・手筒花火もあげていたかも...

>青玉神社に残る湯立神事も、元来は伊勢由来ではなく、まゆから絹を作る際の湯立釜に由来するのではないか
とは面白いです。
遠野のオシラ様は三河からの夫人が伝えたものだと伝承が残るそうですから
きっとどんどんつながって行くんだ。瀬織津姫つながり...
あかねさん、楽しみだよ〜あかね節

さぁ、今日は久しぶりのお休みに
  さくらんぼ入りのゼリーとアップルパイでも作ってみようかな?

清滝川と瀬織津姫
風琳堂主人 投稿日:2002年4月13日<土>04時11分

 あかねさん、京都市右京区にたしかに嵯峨清滝というところがあって、かつての大井川、現在の桂川=保津川の支流に清滝川がありますね。この清滝川を北に遡っていくと小野郷(京都市北区)で、ここに瀬織津姫をまつる岩戸落葉神社があります。ほかに、稚日女神と彌都波能女神とがまつられていますが、滝の神を中心に考えれば、やはり主祭神は瀬織津姫とみてよいようにおもいます。また、清滝川をさらに北に、源流部にまで遡っていきますと、もう一社、北区大森に大森賀茂神社があって(ここも小野郷)、この賀茂神社は延喜式内社の「堕川御上[オチカワミカミ]神社」といわれ(ずいぶんと貶められた川名・社名です)、現在の祭神は賀茂皇大神と瀬織津比盗_、そして罔象女神です。大森賀茂神社の位置は、清滝川の最源流部であるとともに賀茂川の最源流部でもあります。賀茂=鴨神を明かす大きなヒントをあたえてくれる社です。
 清滝川の上流部に瀬織津姫をまつる社が二社もあるというのは、清滝川はここも瀬織津姫の川とみてよいのかもしれません。ただ、清滝川のどこに「清滝」という滝があるのかは地図ではわかりません。
 東京・多摩の小野神社もそうでしたが、ここも小野氏が瀬織津姫をまつったのかもしれません。梅原猛さんの『水底の歌』に、たしか小野氏は水神を奉祭する一族という記述があったかとおもいます。とすれば、納得、ということになります。
 清滝姫と不動滝、そして瀬織津姫。遠野の地酒も奥深い命名をしたもので、ちょっとうれしい話題です。

http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

お天気なので調子にのって…
あかね 投稿日:2002年4月12日<金>14時03分
清滝って、京都の嵯峨でしたか?にありますね。あの滝の女神さんかしら。
よく知らないですけど清滝といえば、そこをまず思い出します。嵯峨といえば、
秦族の最初の地。秦も関係してそうですね。お、まゆの話と繋がりそう。
でも応神天皇は、秦氏だった説がありますね。それなら、播磨国風土記でホムタ
ワケ伝承が、中〜東播磨にかけてあるのも何かわかる気がします。山直もカモ
(賀毛)郡を本拠とし、山部連だけでなく、鴨配下で播磨鴨国造でしたし。
それから、淀川や天川・木津川?等が流れる北河内の枚方にも確か、清滝地名は
あると思います。京阪・大和田(オオワダ)だったかなぁ…。忘れちゃった。

播磨の善なる女神
あかね 投稿日:2002年4月12日<金>13時39分
風琳堂さん
三春って、なるほど!丹波や東播磨奥でも、梅と桃と桜が同時に咲く風景をたまに
見かけます。そこが小さな谷間の村である場合、隠里かいな!と嬉しくなったり
します。やっぱり、何か似てますね〜(^^)v。

東播磨奥の道主日女命は、伝承によると少女の頃から不思議な能力を持ち、背が
高くて眼が異常なほど大きかったそうです。
そう云えば託賀郡の人々は、今でも全国平均より背が高い人が多いようです。
凄く昔の話ですが高2の頃、男子の平均身長は約173pで、女子は約160pだった
なぁ。180p以上の男の子も多かったです。私は小さいけど(T_T)。
故郷に多い美人顔は16年ほど前、代々木ゼミで古文を教えてらした女性のように
卵型ですっきりした面立ちですが、ウスターソース顔の方も多いです。
母方の母方はこの地出身なので、細面で鼻の高い切れ長の大きな目、スラリと
した美しい人だらけです。くしょうぉぉ、私は狸顔だ…

で、道主日女は大型台風を予測して御託宣し、田植えを早くしろとすすめた事が
あったそうな。来年用の種籾の確保、各戸の備蓄の供出と共同管理の徹底、代替
食品確保の為の方策など、全ての指示が当たったんだとか。
更に道主日女は、京都・加茂の玉依姫と同様に父が判然としない子を産み、そこで
急遽、盟酒を醸そうとして(開拓神・豊穣神・酒神・きっと水神であり巫女でも
ある)、田七町を耕し稲を植えた。七日七夜の間にその稲は成熟し終った。そして
酒宴を催してその子に酒を奉らすと、天目一命に向かって酒を捧げ奉ったので、父
は天目一だとわかったという風土記のお話です。

ここで面白いのは、稲が七日七夜の間に成熟し終ったという点。奥三河・豊根村
花祭りの大神楽の中に、白山(シラヤマ)入りという行事があるそうですが、大神楽は
三日三晩とも七日七晩つづいたともいわれ、ヒモロギの中へ入り生まれ変わって
出て来る再生の儀式「生清り(ウマレキヨワリ)」などがあるそうな(花祭舞手の方に教え
てもらった)。この大神楽は10年ごとや、七年ごと等に行われるとされ、白山は
再生の象徴である蚕とも考えられ(竹内様に教えていただいた)、つまり縄文由来
の土着道教信仰の名残ではないかとお考えです。同時にシラヤマには稲積小屋・
産屋の概念も入ると思われるので、そこから勝手に私は、土着の巫女神であった
道主日女伝承の七日七夜も、シラヤマと関連付けて考えています。とするなら、
託賀郡の青玉神社に残る湯立神事も、元来は伊勢由来ではなく、まゆから絹を
作る際の湯立釜に由来するのではないか、などと推測してる次第です。そして、
播磨と東北のオシラサマ、瀬織津姫、縄文繋がりだと思ってるわけでーす。
因みに、道主日女と天目一等を祀った山直・山繁雄の伝承には、託賀郡北部に
「天女」が舞い降りたという話も残っております。

郷土愛♪♪
あかね 投稿日:2002年4月12日<金>12時08分
サクラさん、いけいけあかね、何か嬉しいおっしゃり方です(^^)v。あんがとう〜
お祭りって、見ている者も浄化されたような気分になりますよね。
ストレスも吹き飛びそうです。って云っても播磨の山間には、華やかなお祭は
少ないです。大きい祭でも、獅子舞や神楽等以外は結構、静かというか、素朴な
感じ。東播磨・加西市には、山間地でありながら海っぽい屋台がたくさん出て、
華やかだけど、それ以外は全体としてはおとなしめだなぁ。山手は布団太鼓や
神輿、浜手はでっかくて華麗な屋台という感じなんですが、実家の近所にも屋台
が出る社があるものの、何か大人しいです。あ、祭じゃないけど、農村歌舞伎で
一世を風靡した播州歌舞伎は豪華かも。でも何にせよ、お祭は大好きだっちゃ!!
特に瀬戸内海等、海沿いのお祭りを見ると、血が騒ぐ騒ぐ!
男性だったら絶対、お神輿担いだり、屋台に乗ってたりするぞ!(笑)。

お祭って同じ系統の社でも、気候風土によって変化したんでしょうね。
京都の祇園さんは、播磨の加古川のお社を勧請したものですし、加古川の元社の
祭と祇園祭とは全く、趣が異なる。無論、共通項は多いようですが。
それにしても京都市内中心部には、播磨を地方、地方と見下す向きが昔からよく
ある(播磨だけじゃないけど…)。祇園さんも薄口醤油も播磨のものやんか〜と、
ちょっと悲しい気がする私。京都市内の商家へ嫁に行って身内になると、何かと
しんどいでっせ。エトランゼには、やたら親切やのに。
でもね、取材へ行くと京都、京都と強調されるお店は近江出身だったりする事が
多い。すると尚更、変な感じがします。ま、秦の時代から住んでたお家は、もっと
プライドが高いけど。ああ、愚痴っちゃった…m(__)m。何か悔しいぞ。

暗中模索
風琳堂主人 投稿日:2002年4月12日<金>04時22分

 遠野の桜はまだ蕾にもなっていませんが、「遠野さくらまつり」のポスターには会期4月20日〜5月6日とうたってあるようです。盛岡では開花の話が出始めましたが、遠野は盛岡から60キロほど太平洋寄りに山へはいった盆地で寒く、同じ岩手にもかかわらずズレがあります。なにしろ岩手県一県で四国の大きさとほぼ一緒だそうで、気候がちがっても不思議はないのです。
 三春の滝桜の話で調べていてふうんとおもったのですが、三春は、梅と桃と桜が同時に咲くので三つの春→三春というのだそうです。梅桃桜の同時咲きは遠野も一緒で、このため「春」がよそよりも過剰ともいえるくらいにくっきりしています。春になると少し変(?)になる人が現れるのも、理由があるのかもしれません。
 瀬織津姫を明かそうとしても、これまで、古い学者も新しい学者もだれ一人まともにこの神を「大祓いの神」のレベル以上に論じた者がいなくて、もうそれは、暗中模索を絵に描いたような「探究」をするしかありません。はっきりしているのは、ヤマトがこの女神を大祓いの神と設定したことを超えて、ふつうの人たちからはとても大切にされていた水の神だったことです。ただし、日本の水の神の系譜は整然と伝えられているわけではありません。いつの時代からか、この水の神は「瀬織津姫」と命名され、そして、いくつもの名をかぶせられて現代にまで伝えられてきているということでしょうか。
 しかし、この謎の水神を明かすヒントあるいは痕跡がまったくないわけではありません。もっとも、ときには意図的にこの神を隠すこともされてきましたから、そういった神まつりの歴史の「常識」あるいは「悪意」のベールを一枚一枚はがしていくことをする必要はあるようです。模索の闇を楽しんでみる、ということでしょうか。
 この水の女神に魅せられた人の数だけ、きっと瀬織津姫のイメージはあるはずで、月うさぎさんが、いちばん最初にこの水の女神を「瀬織津姫」とわかって像化しました(テレビアニメで「犬夜叉」の作者が、瀬織津姫の名を出しはしませんでしたけど、水の女神を、しかも善なる水の女神を登場させたことがあり、おっとおもったことがかつてありましたが)。
 よろしかったら、一緒に暗中模索を楽しんでみてください。
 そういえば、サクラさん、遠野の地酒に、特別ブランドで「不動滝」という本醸造のお酒があります。純米酒ならばと少し残念ですが、このお酒は別の名に「清瀧姫」という名でも販売されています。遠野の居酒屋さんでいただいた舌とノドの記憶では、「冷」は、やはり醸造アルコールの臭いがうるさく、この人工アルコールを飛ばして酒の旨さだけは残す「ぬる燗」がベストの酒でした(だったとおもいます。チョコレート風味のゴマ味で、主人の舌は最近ちょっと自信喪失気味)。このお酒の創案者は先日亡くなってしまい、こういった酒の命名の本意がどこにあったのかは今は聞くことができませんが、清滝姫の名はたしか京都・平安の時代の伝承としてあったようで、これも調べてみたいなとはおもっています。
 
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

月うさぎ様
さくら 投稿日:2002年4月12日<金>01時41分
同じような悩みをお持ちとは....
 わが身のあまりの知識のなさに毎日泣いております。
  それなのに、なぜか憧れてしまった瀬織津姫に
   せめて聞き役にまわろうと....一生懸命耳傾けてます。

呑んで語って、呑んで笑って、呑んで泣いて...
  時には熱く、時にはしんみりと話したいじゃないですか...
    そんな居酒屋になったらいいなぁ...

今日の肴はなんにしようかな?なんて考えているサクラだもん。
 素敵なイラストかける月うさぎさんにがんばって酒の肴作っちゃいます。
   
そういえば、月うさぎさん
瀬織津姫のイメージの一つに肝っ玉母さんみたいなイメージもあったとか?
そんな、福福しい瀬織津姫はやっぱり笑顔いっぱいなんでしょうか?
ふふ、聴いてみたかったんだ!  

あ、また
月うさぎ 投稿日:2002年4月12日<金>00時28分
間違って送信してしまいました。
ああ、もういや・・・
といってる場合じゃありません。
気を取り直して、
うさぎの悩みは、皆さまがあまりに教養豊かということですわ。
何の知識ももたないうさぎには過酷な試練なんですのよ。
でも私に合わせてくださいということは、3.14を3でいいことに
しましょうという愚かな文部省のようなことになってします。
それは絶対いけません。
でも、何が何だか、みなさまの仰ることがわからない・・・
伝統の重みというものでしょうか?

でもサザエのつぼ焼き、くらげときゅうりの中華あえもの
はわかった、食べ物って偉大です。
これからは、食べ物オンリーで参加することにしますわ。

http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

さくらさま、うさぎの悩みを
月うさぎ 投稿日:2002年4月12日<金>00時16分
ご存知ですか?
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年4月11日<木>22時25分
ピンクのトカゲさん、風琳堂さんと瀬織津姫の話が花盛りです。
滝と桜の凛とした瀬織津姫をトップページに迎えて、瀬織津姫も
いろいろな処に姿現してくれだしたみたい....

それで、ついつい風琳堂のご主人にも転載お願いしてしまいました。
あのサムトの娘さんがかくまわれた
ろっこうし山に桜が咲くのはいつごろなのでしょう....ね。

今夜はサザエのつぼ焼きに、くらげときゅうりの中華風和え物で
   なぜか、焼酎の梅割ではいかがでしょうか!

桜と滝とお不動さん 風琳堂主人 Mail HOME 2002/04/10 15:15


「不動滝」の名が典型的ですが、滝とお不動さんの一体化の関係は、
三春の不動滝=不動尊のほか、早池峰─遠野郷でもよくみられます。
三河の「滝頭不動」の名にも、この一体化の関係はよく表れています。
 また、お不動さんと桜の関係は、三春滝桜(の親桜=龍光寺桜)や
岩手県安代町の桜松神社にみられるばかりでなく、これも福島県ですが、
岩瀬郡長沼町にある「古館のしだれ桜」においてもそうです。
 以下は、「桜巨木伝」のHPからの引用です。

■古館のしだれ桜
 樹高12m、根まわり6.3m、胸高直径1.4m、枝張り東西12m、
南北17.3mのヒガンザクラ(シダレ)。
 南北朝期(1333〜1391年)に二階堂藤入道が築いた館跡、
江花川の河谷に張り出した台地の端に単生する。
遠望のきくこのサクラが苗代の準備をする目安となったため、
別名「種蒔桜」とも呼ばれていた。2本に分かれた主幹の根元には不動尊が祀られている。

 たとえば山奥の滝に不動尊をまつるのは、最初は修験の人間だったとしても、
滝は水源にあたりますから、時代が下ると、
お不動さんは田の水を司る「神」として里に降りてくるということでしょうか。
しかも、長沼においては、桜とともに、です。
 この桜は、持統時代の桜──つまり、持統にとっては、鎮魂の意をもった桜でしたが、
田人=里人にとっては、「苗代の準備をする目安」としての桜でした。
稲作と桜の関係だけをみれば、持統の前にたしかにさかのぼりうるものかもしれません。
とすれば、持統は桜に、個人的かつ国家的な祭祀意味を、新たに付加した、重ねたということになります。
 ところで、この長沼の桜の異名「種蒔桜」ですが、遠野にも同じ名で桜の古木があります。
この遠野「種蒔桜」は、水神さんとセットになっていますが、これがまた興味深いことに、
早池峰山の遥拝社である加茂神社の境内にあります(菊池幹さん談)。
 早池峰の神=瀬織津姫は、たとえば「遠野三山」のひとつ、
六角牛[ろっこうし]山(サムトの娘さんがいた山でもあります)などに散見される不動滝などの滝神でもあります。
 神仏習合の日本においては、つまり仏の守護神としては、その名を伏せられた古来の水神は、
男性神格として権現化するときはお不動さんとなり、女性神格として権現化するときは弁天さんとなる、
ということかもしれません。
 滝と桜と不動尊──背後に滝神かつ水神である瀬織津姫ありという
イメージはますます強いものになってきました。桜は、水の精霊が宿る木だったのかもしれません。

そして三河国司・大江定基と瀬織津媛(一)(松鷲山花井寺) 
さくら 投稿日:2002年4月11日<木>00時02分
三河国司・大江定基と瀬織津媛(一)(松鷲山花井寺) 投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 4月10日(水)19時06分41秒

東三河の表玄関・豊橋駅から信州辰野に向かうJR飯田線
豊川及び豊川放水路を越え、小坂井駅手前あたりから大きく右に蛇行し、段丘崖上の豊川右岸台地を走る。
小坂井、牛久保、豊川ここまでが複線
牛久保駅と豊川駅のちょうど中間あたり線路沿いに曹洞宗の寺刹・松鷲山花井寺がある。
曹洞宗の格としては、全国的に有名な豊川稲荷(円福山妙厳寺)を上回る。
本尊=十一面観音
花井寺の下には、泉が湧く。
なんだかここも瀬織津姫の匂いがする。
寺伝によれば、開基は、花井媛
花井媛は、三河国司・大江定基の侍女であったとされる。定基が、三河国司に赴任してきたのは、永廷年中(九八七〜九八八)の頃である。
定基は、三河在任中に赤坂の舞姫を寵愛し、前妻を逐い、舞姫力寿を妻としたが、俄かに病死した。
定基は、力寿の死を悲しみ、世の無常を感じ出家して名を寂照と改め、後に宋に渡り、宋国王から円通大師の諡号を賜る。
また、力寿は、赤坂の長者・宮路弥太郎長富の娘とも伝えられ、定基が、国司の任期を終え、都に帰るとの噂を聞き、別離を悲しみ、定元愛用の琵琶を抱きしめ自ら舌を噛み切り死んだとも伝えられる。
ともあれ、この力寿の死を悲しみ定基が出家したのを悲しみ、花井媛は、出家し、ここに庵を結び、花井姫の死後、堂宇が建てられ、その後、久安四(一一四八)年に堂宇跡に真言宗の吉祥山今水寺の僧・慶寛法印が龍源院を建立。
のち真言宗から曹洞宗に改宗し、天文一五(一五四六)年に現在の花井寺の寺名になる。
花井媛と共に磐井媛も出家したと伝えられる。
さて、花井寺付近には、みやげの松があったと伝えられ、国内神名帳の宮解(ミヤゲ)天神は、この花井寺付近にあったと思われ、花井姫の伝承以前から信仰の地であったと考えられる。
龍源院、泉、そして、花井及び磐井が意味するものは、明らかに水神信仰であり、花=木花咲夜姫、磐=磐長姫であろう。井は、当然、泉を表しているのであろう。
散る桜と常緑の松。山号の松鷲山の松。みやげの松は、磐長姫であったのではなかろうか。

ピンクのトカゲさんのところで滝頭不動
さくら 投稿日:2002年4月10日<水>23時59分
遠野の瀬織津姫の話が出たところで、ピンクのトカゲさんのところでも
瀬織津姫が話題になっていましたので、またまた転載お願いしてしまいました。

滝頭不動 投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 4月 9日(火)12時00分43秒

地元豊川信用金庫の今年のカレンダーのタイトルは、「穂の国の水辺物語」
この「穂の国水辺物語」に「滝頭公園」が載っている。
場所は、渥美半島のほぼ中ほど、三河湾に面した渡辺崋山で有名な田原町である。
「穂の国水辺物語」には、滝頭公園は、滝頭山(258メートル)の東麓に整備された公園であり、春は桜の名所
公園内を流れる庄司川は、滝頭上池、下池に注ぎ、湖面を写る桜を眺めながらの散策はお勧めだとか
庄司川の上流には、不動滝、滝頭不動が祀られている。
滝頭不動には田原山宮神社の鳥居があり、衣笠山に鎮座する田原山宮神社(祭神:大山祇神)の遙拝所である。
滝頭不動は、天平二〇(七四八)年、旧渥美郡内を巡歴した行基により滝頭山に祀られたといわれる。それ以前から、滝頭山は、祖霊の棲む山、神霊の降臨する山、水の山として信仰された。
不動さんに滝、そして、桜
滝頭不動と山宮神社は、遥拝所からも一対のものと思われる。
その山宮神社が鎮座するのが、衣笠山
ここでも、不動さんと笠=瘡である。
滝頭山には、田原町の斎場がある。
瀬織津姫は、神仏習合では、三途の川で煩悩を祓う脱衣婆とされることがある。
祖霊の棲む山に斎場、これは偶然か、はたまた意図的に計画されたことか

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年4月10日<水>23時26分

月うさぎさん、瀬織津姫の絵はとっても評判良いですよs(*^-^)ノ☆ 
私も毎日見入っていますもん。
ほんと、TOP開けるのが楽しみになってます。
お祭りを中から発信するのってすばらしいと思います。
私はほんと、一日だけそんな雰囲気に触れさせてもらっただけ....
ちょっぴり甘いデザート気分です。
トカゲさんにとってはメーンディッシュかなぁ?
だって、よりお酒がおいしく呑めそうですものね。

佐久之宮さん
ソメイヨシノ咲きましたか!
わー、信州はこれからお花見が始まるんですね。
桜と一緒に北上しながら地元のお酒が飲めたら幸せだろうなぁ....
な、なんてことを!
桜と一緒に瀬織津姫探しの旅に出られたら幸せだろうなぁ....
の間違いです。

風琳堂のご主人、遠野でもやっぱり桜の開花は早まりそうでしょうか?

今夜は菜の花の辛し和えと
 鰹のたたき・・・三枚に下ろした鰹の皮をサットあぶって氷水にとり
  たっぷりのネギとしょうがのみじん切りをかけて土佐酢かけてみました。
   スタミナ欲しい方は大蒜で....本当は戻り鰹のほうがおいしいと思うけど
    季節ものだもん。やっぱり食べてみましょうか....

そういえば、メールの受信ができません。
送信は大丈夫みたいですけど.....
sakura_i1211@hotmail.com
もsが大文字になっていたりと思わぬドジをさらしてしまいました。
上のアドレスは今生きていますので、メールはこちらにくださいね。

こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年4月10日<水>21時04分
サクラさんが書かれると、トカゲさんが書かれたのと
同じお祭りなのにぐっと雅な感じになりますね。
不思議ですね。
見方が微妙に違うのかなと思います。

とても良いレポートですね。
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

サクラさんへ
佐久之宮 投稿日:2002年4月10日<水>20時31分
当地もいよいよソメイヨシノが開花しました!。
いつもゴールデンウイーク頃に満開になるのに今年はかなり早い開花デス。
でも東京はもう八重桜が咲いているらしいですね。。。

http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月10日<水>19時03分
あかねさんの播磨話じゃないけど
自分とこのお祭り書くとつい力入っちゃって
さくらさん感想ありがとう。

三つ車
さくら 投稿日:2002年4月10日<水>01時46分
やがて、天王社から行列は八幡神社に向かう。
ゆっくりと行列は進み、各町内のダシ(20kgくらいあるという、立派なものです。)
は花形ダシ持ち役の人が一人でまっすぐに持って進む。
数歩歩くのもバランスをとるのが難しそうで、総長の「ヨシ」の声とともに少しづつ進む。これもかっこよく、お祭りをする若者の憧れの役だろうな。

また、神児車の巫女童(?)の舞いも金銀の扇の舞、二枚扇の舞、御幣を持った舞。神社に奉納するときの鈴と扇を持った舞どれもがとてもきれいでした。
子供なのにあの舞にある力はやっぱり、伝統の力でしょうか...

それから、お稚児さんの囃子車。
可愛いお稚児さんが、まっすぐに手を伸ばし、太鼓をたたく姿はやっぱり見とれてしまいす。
太鼓三味線と、他とは違った組み合わせもそれなりに面白く、子供たち囃子車引くのも楽しいものでした。

笹踊りの一行はもう、いい気持ちで寝転んでは起こされて、起こされては寝転んでいます。
わらじも服も雨にぬれています。水溜りに運悪く寝転んだヤンヨーガミも気持ちよく酔って見えます。
本当に寝転んで楽しそう....唄にもいっそうの力が入ります。

総長たちは会所ごとに渡りをつけてご挨拶。
そうそう、雨の中の蛇の目も絵になるものでした。
各組によって違うそろいの蛇の目傘。意気ですね。

着流しの大山師匠たちは囃子車の前後ろで爆竹楽しんでいました。
うん、すごーい煙と音。
これがないとお祭りじゃないもんね!って感じです。
各組ごとにいい気持ちの唄等唄って祭り気分もさらに盛り上がります。

あは!
総長のトカゲさんまでは想像できるけど、稚児さん姿だけは想像できませんでした(ごめんなさい)

さて夕方には雨もすっかり上がっていて、いたるところ爆竹の音がします。
大山車にも提灯に灯がともり、屋根の上の恵比寿様もひときわ立派に見えます。

八幡様にお参りすると八幡様の前には全員が勢ぞろい
いよいよ、三つ車が始まります。
ダシのつき回しとともにいっせいに始まる隠れ太鼓、お囃子はそれはみごとなものでした。見事な動きです。
笹踊りもすばらしく、上では隠れ太鼓に目が離せない....

感動の中に見ごたえのある競演はおわり、今度はその散り際....
各会所にあっという間に走って帰る散り際のきれいさはまたまた、見事なものでした。

目に耳に心に満足感をもらって、はや私の一日も終わりました。
ご紹介したいことはもっとありますが、詳しいお祭りのことは下のHPとトカゲさんのところで見てくださいね。
http://www.wht.mmtr.or.jp/~mint2/index.htm

笹踊り
さくら 投稿日:2002年4月10日<水>00時38分
大山車を後に動き出した町々の会所を覗きに行く...
しばらく、覗いて歩いているうちに笹踊りの会所に着く。
ヤンヨー神の歌にあわせ、三人の唐子服を着た踊り子の笹踊りが、辻や町内の
秋葉様の前で踊られる。
「この秋葉様は、昔はこの先は畑だったですよ。
村に入ってくる災いを入らないように守ってくれてる神様だよ」
とは隣で見ていた方の話。

ヤンヨー神の唄の
馬場先の千本松 東西の名所よ 東西の名所よ
サーゲニモサー ヤンヨーガァミモ ヤンヨー

の囃子にあわせて笹踊りが踊られる。
三人が足をぴんと張り、飛び上がり、踊る様はどこから見ても
見所になって、長い年月に洗練された動きとなっていることがわかる。
一つ一つの動きにも気合が入り、見るものを引き込んでいく。
衣装の華やかさとヤンヨーガミの唄声とが妙にあって印象に残る。
言葉で表せない笹踊り、ぜひ隠れ太鼓とともにご覧いただきたいものです。

この行列でも若者の紋付袴姿がいやにかっこよく映る。
厳粛になすべきことを指示していく姿は見ていて気持ちいい。
うーん、総長って本当にカッコいいんだ....実感

ヤンヨーガミはお酒が足りないのかここではまだ、寝転びませんでした。

祭り弓
さくら 投稿日:2002年4月10日<水>00時25分
あかねさん!クミコさん
忙しいの最後まで行けるかどうか迷いつつ、夜行バスに飛び乗りました。

あさ、7時ころ牛久保着。
お祭りの場所を頭に入れておこうと、トカゲさんの書き込みを手に
八幡様におまいりしてから、ぶらぶらと天王社までの1.2kmを歩く。
町内の会所の場所は見所の一つとか...場所を探しながら町並みを頭に入れました。
どこかで、時々爆竹の音が聞こえ始めます。

「祭弓」が確か神社の矢場であるはず....
関東ではなかなか矢場のある神社は見当たらないのに、
ごく自然に神社には矢場があるというここ、牛久保で
弓が見られるかと八幡様に戻り神社裏手に回る。
朝早くから矢場を清めている方がおられる。
神社の裏手には弓の扁額がかけられて、金的中などの字も見える。
やがて、弓を持った人々が集まり弓が始まる。
中ではそろそろ矢代振りが始まっているのだろうか・・・

そして第一の矢が放たれた....「あたり」の声
そして、次々に射られる矢....わーい!弓が見れた!と静かに感動。

そのうちに、町は動き出し大山の飾りつけも始まった。
飾りも終えた上若の大山は隠れ太鼓を踊りながら八幡様まで引かれてゆく。
町内の家々から人々が出てきて可愛くダイナミックかつ洗練された動きの
隠れ太鼓に始めてみる驚きとため息がでる....
笛の哀愁ある響きと華やかさが太鼓に重なっていく。
笛の音に聞きほれ、隠れ太鼓に見入る。
太鼓をたたき、逆さまに仰向けに落ち、うつぶせに反転して、大山の中に隠れる
まさに隠れ太鼓....大山車はは八幡様の前の定位置に落ち着く。

はい、雨もよし...
さくら 投稿日:2002年4月9日<火>23時29分
こんばんわ!
遊観さん、リンクありがとうございます。

沖ノ島の屏風岩、そして勝坂式土器の水煙模様、なんか不思議な
遊観さんの世界に引き込まれそうですね。

ご主人、三春の滝桜の話ありがとうございます。
ぜひぜひ、皆さんもとんで見に行ってくださいね。
どうやったら、ご主人のメモこちらにのせられるか、考えてます。
でも、そうするとご主人のHP皆コピーしたくなっちゃうんですよね...(困った)

今夜はしとしと雨
久しぶりにのんびりと飲みましょうか...
  高野豆腐の含め煮とグリンピースの塩茹...

お酒は:上善如水
     「最上なのは、水の如きもの」とでも
      言う意味のようで、老子の言葉です。
      老子が道教の開祖だということを最近教えていただき
      まして、なかなか面白そうな思想なようです。
      上の、上善如水も、いろんな意味に受け取られており
      まして、「水の如き生き方が最上じゃ」と受け止めて
      おられるかたもいらっしゃるようです。
      が、酒の場合、もう、こりゃぁ、「最高の酒はさらっ
      と水みたいな酒や」という意味になりましょうか。
      うん。さらっとしてる。くどくない。どろどろしてな
      い。
      最高!!!な酒ですね♪byのりちゃん

瀬織津姫リーラーにリンクしました。
江部遊観 投稿日:2002年4月9日<火>01時40分
リンクさせて頂きました。
しかし、セオリツヒメが縄文の水の神なら、これは勝坂式土器の文様です。新潟の火炎土器と並ぶ縄文の最も華麗な土器なのですが、別名水煙文様です。命名は神奈川の勝坂ですが、縄文中期中葉、相模川から幡ヶ谷丘陵から多摩丘陵を経て、現在の山梨、そして八ヶ岳まで分布していた文化です。水がテーマではありますが、あるいはミシャグチとの関連も十分考えられます。精神的に石と水は近い関係だと思われます。また、石で水を表すことはわが列島の庭園技術の一つでもあります。

三春滝桜の親桜
風琳堂主人 投稿日:2002年4月9日<火>01時04分

 三春滝桜関係の資料を三春町歴史民俗資料館の方からいただきました。
 ここにダイジェスト版でコメントをとおもいましたが、とてもややこしくて、つまり長くなってしまって、お知らせだけにさせていただきます。
 三春を含む田村郡の312神社(明治12年時点)に瀬織津姫の名は一社もありません。しかし、いただいた資料やこちらの資料を重ねていくと、三春は瀬織津姫の郷だというのはほぼまちがいなさそうです。また、現在の滝桜の「親桜」こそが瀬織津姫ゆかりの桜だった可能性etc.
 瀬織津姫の神名が、見事というくらい、まったく白紙にされているところに瀬織津姫を読みとるという作業でしたが、三春の滝桜と瀬織津姫ということで、よろしかったらのぞいてみてください。掲示板にしては書きすぎかもしれませんが……。

http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

さくら 投稿日:2002年4月8日<月>20時48分
心にデザートを足にはサロンパスを....
 というのは大げさですが、心に「うなごうじ祭り」がいっぱいですよ。
  それに雨の中、歩きました....一日中!一か月分は充分に....
    ちなみにサロンパスは貼っていません。念のため...

昨日は雨の中冬みたいにこごえた。
今日の東京は半袖でも暑い真夏日....体温調節機能試されてるんだろうか???

留守の間に、皆さんありがとうございます。
 
月うさぎさん素敵なバナーありがとう!恐縮しちゃいます。
のりちゃん、瀬織津姫バナーもありがとう!なんかとってもお二人から
素敵なプレゼントいただいた見たいで、とっても幸せs(*^-^)ノ☆ 

佐久之宮さんもあはは、心優しき貴公子のお返しですね。
  ハイソサエティって....びっくり!です。
   リンクありがとうございます。

あかねさん、なんで寒村の話がm(__)mなのか意味不明だっちゃ。
そんな話も楽しいだっちゃ。いけいけあかね!なのだ。

遊観さん、
そうなんですよね。
大祓の祝詞。
水に流しちゃいけないことまで瀬織津姫の名の下に水に流してるんですよね。
瀬織津姫は大祓の祝詞で初めて出てきます。
だけど、それは元は日の神と対になった水の神さまなのに、男神天照大神が女神にされてしまったために
記紀からも抹殺されて名前も消されてしまった縄文の女神の名前だと思うんです。
あはは、なずけ親が中臣氏なのが許せん!っていわれそうですけど....
瀬織津姫はオシラさまにも倭姫にも弁天様にも成り代わっている可能性がありますもん。
そんな縄文の女神としての、そしていろいろに名を変えている女神としての瀬織津姫。よろしくお願いいたします。

今日のおつまみは三河土産の「大阪焼き」いかがでしょうか?(だって牛久保お店みんなお休みで名物なーんも食べられへんもん。)
八幡様の屋台で売っていた「大阪焼き」おいしかったです。でハイおつまみに....

お祭りの話はまた後で書きますね。
そうそう、ピンクのトカゲサンは大山の上で神に近くなって笛吹いてらっしゃいましたよ!
とってもお忙しそうなので、メールでご挨拶して、私はお祭りウォッチングに徹していました。
でも、爆竹やって遊んでたの、ピンクのトカゲサンじゃなかったかなぁ....

沖ノ島の屏風岩
江部遊観 投稿日:2002年4月7日<日>15時56分
沖ノ島の古代の祭壇と思われる平坦地の背後には、大岩が聳え立っていた。ここも何号と名付けられた有名な発掘現場と同様、緻密な計画のもとに行われた現場なのだろうが、一般には紹介されていないみたいだ。
その聳え立つ大岩だが、左右は絶壁と足の踏み込み場もない密林である。いわゆる屏風岩となっており、行き止まりとなっている。時間があれば、あるいはロープなどの装備があればよいのだが、時間も限られているし道具もない。闇雲に草木の中をうろつくだけである。しかし、うろつくのも大変だった。
この島はネズミ、トカゲ(ピンク色ではなかったが・・)、オオミズナギドリ、ハト、ウミウが代表的な動物であり、毒蛇や害獣はなく至って平和な島なのだが、ヤモヒルには困った。チクッとする痛みにジーパンをまくってみると、3センチから5センチくらいのヒルが左右の足に5、6匹づつからみついているのだ。ひっぱって取るとまずいので、100円ライターですね毛とともに焙って取った。また、オオミズナギドリは土を掘って巣を構えるのだが、どうやら一回使うと放棄するらしくて、その巣跡が以外と多く、まるで落とし穴のようになっている。深さ30センチで1メートルくらいの穴である。放棄されているので、その上には草が生え、見かけはまったく分からない。踏み込むまで気がつかない。なんどもなんども足をとられた。はじめ靴の中に土が入る度に、脱いで振るっていたが、面倒くさいのでそのまま歩くことにした。ヒルも後で一遍に片づけることにした。
 さて、悪戦苦闘していた甲斐があった。なんと、祭壇の場所から海側にかけてなんとか行けそうな道が見つかった。一見ケモノ道のようだが、この島には大型動物はいない。調査に伴う道だろうか。いずれにせよ、最近人が通ったような形跡は全くなかった。
そして屏風岩の裏手に回ると、再び大岩が連なっている。その前にはボロボロになった青いビニール・シートが丸めて置いてあり、ここもやはりかつて調査の対象になっていたのだろう。
その大岩には割れ目があり、高さ3メートルくらいの大岩と大岩の間から日が射していた。密林の湿った空気の中、まるで後光のように筋を伴って日の光が斜めにスーッと射している。苔生した岩、空を覆い隠す木々、密生した草、玄界灘にひっそりと浮かぶ神聖な孤島の最大の舞台が・・・・おお、なんという荘厳な雰囲気なのか。私は吸い込まれるようにその大岩の割れ目に近づいた。

http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

「ひどい祝詞」について
江部遊観 投稿日:2002年4月7日<日>14時59分
前回、大祓(延喜式巻八・六月の晦大祓)を「ひどい祝詞」と断じたが、この祝詞を信奉する人も多いことから、若干の説明をしておきたい。要するにこれは誰の罪を流して気分よくなりたいかと言うと、「官(つかさ)官に仕え奉る人等の、過ち犯しけむ雑雑の罪を・・・」であって、当然だがこれは神としての罪を犯さない天皇の罪を祓うわけではない。親王(みこたち)、諸王、諸臣、以下木っ端役人に至るまでの天皇に仕える人々の罪を流すための祝詞である。そして天津菅曾と天津金木という占い棒で占って、まあそいつらが犯した罪を全部一緒に水に流しましょう、というものである。もちろん、この内容は当時を知る上で実に貴重なものだが、筋はそんな所だろう。天皇の手下共の罪を瀬織津姫が川から海へ押し流して、速開都比唐ェ「かか呑みてむ」・・・・そんなやつらの罪をホイホイと運ぶ役が瀬織津姫で、さらになんとおぞましいことか!速開都比唐ェ「かか呑みてむ」冗談じゃない!

以上が大祓の若干の説明である。

http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

祭りだね(^^)v
あかね 投稿日:2002年4月7日<日>12時22分
寒村話、ごめんなさいm(__)m。
何にせよ、田舎という点は間違いありませんね(^。^)

サクラさん今頃、お祭りの只中ですね。思う存分、楽しんでらっしゃる頃だな(^^)v
あ、トカゲさんの勇姿のご報告もよろしくお願いしまーす。
笛の音や太鼓の音って、心踊っていいだろうなぁ。
考えただけで、ワクワクする。ああ、生で聞きたかったぞ。

おみごとっ
佐久之宮 投稿日:2002年4月7日<日>12時19分
瀬織津姫の絵は”おみごと”ですね!。
まさにイメージ通りじゃないですか。。。
いやいや感激しました〜〜

ところで当社のHPの”おすすめリンク”にこのHPをご紹介
させて頂きましたのでご報告させて頂きます。
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年4月6日<土>22時21分
セオリツヒメ、アップありがとうございます。
居酒屋サクラの看板娘として一人前になれるよう、
よろしくご指導くださいませ。

それとリンク、ありがとうございました。
ちょうど、こちらからもリンクさせていただこうと
思っていたところでした。
明日中にしておきますね。
これからもよろしくお願いします。

あ、サムトのババロア、全部たべちゃった・・・
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

こんにちは!!
のりちゃん 投稿日:2002年4月6日<土>21時03分
バナーができなくて、ずっとリンクがお預けになってたのですが、月うさぎさんの
素敵な瀬織津姫の画像を頂いて、やっとリンクできました〜(^O^)
これからもよろしくお願いいたします。m(__)m

♯・いいえ♭です!
さくら 投稿日:2002年4月6日<土>18時37分
あかねさん、本当に遠野と播磨が気候的に似ているのですね。
うん、今後の展開が楽しみです。

やっと、月うさぎさんの「瀬織津姫」トップページにUPできました。
うーん、いつ見てもいい絵ですよね〜。
月うさぎさんのサイトはtopからリンクで行けますので、ほかの
素敵なイラストもぜひご覧ください。

それからね、やっとmarちゃんとmin-minさんのリンクも張れました。
皆様、とっくにお気に入りに入れてるでしょうけどご利用ください。(^^)

さぁ、私はこれからふらっと病が出たので、お出かけです。
今夜は皆さんあるもの勝手に飲んで、勝手に食べて言ってくださいね。
な、なんて無責任な....ついでにおつまみ残しておいて!

丹波と東播磨の奥播磨
あかね 投稿日:2002年4月6日<土>15時33分
わぁ〜、黒豆と丹波いもからも、遠野と丹波が繋がるなんて驚きです!
とっても嬉しいなぁヽ(^o^)丿 光栄なお話を吉田様となさって下さって有難う
ございます。丹波いもとはこれまた、素敵!丹波いもは格別、美味しいよ〜〜!
きっと気候風土が似てるから、良いおいもが採れますよ!

確かに丹波と、東播磨最北端(風土記以前は一時期丹波国だった地域)は、寒暖の
差が激しく水も綺麗で、おまけに古代から銅山を中心とする多くの鉱山で栄えた
地方です。古来より、名水で聞こえた清水もいくつかあります。
丹波には加古川上流の支流(篠山川=瀧川など)が流れており、加古川源流域の
ある地域で、東播磨最北端にも加古川支流の杉原川・野間川等や本流が流れ、
源流域も近いです。縄文時代から、川や山を中心とする生活の営みがあった点も
遠野と同じですね(丹波や東播磨では発掘数こそ少ないものの、縄文遺跡が色々
眠っていると推定されている地域が多いんです)。
丹波や東播磨の奥播磨では、雪はどんなに多く降っても最大1mぐらいしか積もり
ませんが(但し1mも積もる地域はわずか)、その他の点では遠野と共通項が多い
かもしれませんね。

でも、その歴史から見て、丹波や東播磨奥の全てが寒村とは言えないように実感
として思います。特に東播磨中部〜北部は、古代から天皇領や有力氏族の荘園・
寺社領等として押さえられ、戦国以降も天領や有力武家の地(悪党の播州武士に
土地争いをされて大変だったようですが…)、江戸期はその殆どが天領で、飛び地
が混ざっており、庄屋も固定ではなく、何軒かの当番制だったりします。
江戸期は特に支配が緩やかだったそうで、十斗?とれたら七割半は自分ちのもの
残りを納めたらいいから楽なもんだよ〜という、楽しい感じの田植え歌も残って
おり、暮し向きは割合、楽だったと伝わります。一揆も確か、江戸期を通じて
飢饉の際に1回、起っただけです。播州自体、一揆は全国一、少ない地ですが。
丹波は、東播磨奥よりもやや寒く、二毛作が今でも行われており、丹波トジで
名高い地域ですから、東播州奥とはやや事情が異なるようですが、それでも全体
としては寒村という感じはあんまりしない町々が多く、田の字型の家々も江戸期
から割合、大きい家が多いです。谷の奥の村とかは寒村だったのかもしれない
けれど、特に柏原町や篠山町等の中心域などは、かつて栄えた小奇麗な城下町と
いう感じなんです。あ、柏原は、石清水八幡の一番古い荘園もあった地域です。
でも、単に寒い村という意味なら、遠野も城下町があるし、古い古い歴史と
豊かな地域なので同じですね。
ごめんなさい。寒村という言葉の持つイメージへ敏感に反応してしまいました。
地元なもんで、どうぞお許し下さいませ…。

私は主に兵庫の丹波地域しか解らないのですが、人情として受けるイメージは、
もと篠山町は京都っぽくて、柏原はのんびりゆったり温か、氷上郡やもと丹南町
(今は篠山市)辺りは東播磨奥と少し性質が似てるように思います。無論、播州
よりはだいぶ大人しい感じですが。住むなら柏原がいいなぁ。
播州も、両地域にも親戚は多いため、地元民として個人的に感じる事を書いちゃ
いました。もちろん一概には言えません。地元の皆さん、お許し下さいませね。

サムトのばばろあの仕掛人
風琳堂主人 投稿日:2002年4月6日<土>06時42分

 サクラさん、遠野物語をどう読むかという、自分に対するメモのような話を「瀬織津姫」の徒然コレクションに入れていただけるとのこと、ありがとうございます。
 サムトのババロアのチョコレート風味+ゴマですが、昨日、このババロアを考案した人(吉田喜市さんといい、道の駅の支配人でもあります)とお会いする機会がありました。結論からいいますと、この黒豆ババロア(ムースですね)には、チョコレートもゴマも素材としては含まれていないことがわかりました(味については、わたしの舌の感覚はまだチョコレート風味とゴマを主張したがっていますが、素材としてはまったく無縁だそうです)。また、サムトのババロアはまだ開発途上で、さらなる改良をしているところだそうです。
 うかがったときは、ちょうどお昼どきで、これもやみつきになりそうな行者ニンニクラーメンとともにサラダバーへ向かったのでしたが、残念ながら、昨日は黒豆ムースではなく、ここで話題になっていましたリンゴ=紅玉のゼリーでした。サムトのババロアは、正確には三種類あり、一つは黒豆ベースのムース、そして紅玉ベースのムースと、同じく紅玉のゼリーだそうです。紅玉のゼリーはリンゴそのものもゼリーの中に入っていて、その食感とほどよい酸味で合格点の味だなとおもいました。
 なお、この「サムトのばばろあ」の命名は、道の駅「遠野風の丘」に本部があります遠野ふるさと公社の職員の女性で、これを具体的に商品化したのが、わたしが会った道の駅の支配人の吉田さんでした。
 話は遠野の黒豆から丹波の黒豆に行き、またわたしが丹波篠山川の女神が早池峰─遠野郷の女神と同神の話をしますと、丹波─遠野ということで、実はひそかに丹波いも(自然薯以上にねばりのある丸いも)を種いもとして、「遠野の丸いも」の名で減反後の黒豆とともに栽培拡大しているところです、丹波と遠野は意外に近いかもしれませんねなどという話になってきました。
 吉田さんは、サムトのばばろあ(カタカナではなくひらがなが正式な商品名だそうです)を、さらに発展・進化・改良したい希望をホットに語ってくれました。過疎の遠野を本気で再生しようとしている人だなとおもいました。
「サムトのばばろあ」の変身・進化に期待してください。遠野へいらしたときのおみやげは、ぜひこのババロアと、丹波ルーツの「遠野丸いも」をお薦めします。


http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年4月5日<金>23時53分
ご主人、BBS「囲炉裏夜話」の「遠野物語が抱える沈黙」読みました。
いつも、ご主人の深くて暖かい話に教えられることばかりです。

サムトの婆の後日談がのっていますもん。
もったいないから、徒然にも入れさせてくださいね。

それにしても、黒豆ですか....
わぁ、あかねさんの所と同じやん。
遠野と遠く離れていたと思った丹波がこんなにも近かったなんて
黒豆だけでなく、いろいろに繋がっていることが舌を持ってわかるって感じですよね。胡麻に黒豆...すごく栄養がありそうですよ、どうする?ダイエット!

あっという間の一週間です。
明日はもう土曜日....貴重な日曜休みは私の心にもデザートあげよう♪

今夜はサツマイモとりんごの合わせ煮、レモンもたっぷり入れて甘酸っぱい
香りでいかがでしょうか...

お酒は信州は梅が満開だとか...で梅ワイン
(結構、ぶどうのワインより好きなんですよ)サクラs(*^-^)ノ☆ 





サムトの黒豆ババロア
風琳堂主人 投稿日:2002年4月5日<金>12時40分

 サムトのババロアが遠野みやげだったことを聞いて一安心(?)しましたが、その味がチョコレート風味+ゴマかというわたしの舌の記憶の発言が次の難問になってきたようです。
 さきほど遠野の知り合いに、このサムトのババロアを知っているかどうか質問してみましたら本人は?だったのですが、遠野の観光案内嬢による、という又聞きでは、「確かにある」とのことでした。素材はリンゴ(紅玉)と黒豆をベースにしたものとか。
 わたしが食べたのは、黒豆ベースのサムトのババロアだったのかなと、これもちょっと安心したわけですが、ただチョコレート風味+ゴマの証言まではもらえませんでした。風琳堂主人の舌はいいかげんかもとちょっと自信がありませんけど、これは再度食べてみて報告します。
 なお、このババロアは、遠野ふるさと公社というところが特注でつくっているもので、おみやげとしてもたしかに売られているようです。
 遠野はリンゴの里でもあります。ふじと紅玉をブレンドして、100パーセントまるごとのリンゴジュースもあります。これはお薦めです。
 遠野は寒暖の差が激しく、その意味では丹波と気候が似ているのかもしれませんが、冬の季節には遠野の黒豆がよく売られていました。寒村と水の里の切り札のような産物=黒豆が、ババロアにいかに変身するかは自分も興味あるところです。
 あと、デザートでは、これもなんだとおもわれるかもしれませんが、ゴマソフトクリームがお薦めです。これは何度も食べていますので、まちがいありません。ゴマです。
 サムトのババロアからサムトの婆の話、そして遠野物語について考えるきっかけをいただきましたので、あれから補足するようなことをメモしていました。ちょっと長い話となりましたので、これは自分のところのHP「囲炉裏夜話」に入れておきました。遠野物語の行間には瀬織津姫が見え隠れしている、という話です。遠野物語と瀬織津姫に関心のある方は一度のぞいてみてください。
 サムトのババロア──それにしても、いいネーミングです。
 
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

あっ!戸がガタゴトと....
さくら 投稿日:2002年4月4日<木>22時38分
まぁ、サムトの婆さまではないですか!?
  どうぞ、お茶でも召し上がれ....
   サムトの婆が本当に来そうな風の強い今宵です。

うふふ、marちゃん。
チョコレート風味ゴマババロア....魅力的でしょう??

marちゃん、遠野にはこんな話もあるんですよ。

「エミシの国の女神」
内容のご紹介
『遠野物語』(柳田国男・佐々木喜善著)第二話に「大昔に女神あり」と出てくる、この「女神」の名は瀬織津姫(せおりつひめ)といいます。東北の霊峰=早池峰(はやちね)山は、宮沢賢治が愛した山でもありますが、瀬織津姫は、早池峰大神とも呼ばれ、千年以上にわたって早池峰郷の守護神として大切にまつられています。
 この女神の名を、聞いたことがあるという普通の人はそう多くはないでしょう。これは、神々の名の展示室のような『古事記』『日本書紀』に記されることがなかったからですが、調べていきますと、名を変えられてではありますが、ちゃんと登場しています。瀬織津姫という名を神々の歴史の表舞台に出してはならないとする大きな力が、記紀の編集思想によって働いたことが、この女神の名が歴史から隠された理由でした。このことを明らかにする話が本書の前半部分です。
 では、そのように隠された女神=瀬織津姫が、どのように早池峰─遠野郷にまつられるようになったのでしょうか。本書の後半は、これまでの民俗学で「謎」とされてきた東北の小さな神=オシラサマの背後に隠された神が瀬織津姫であることが明かされます。遠野は、このオシラサマ・河童・ザシキワラシなどの里としてよく知られる土地ですが、これらの小さな神々のルーツの神が、この瀬織津姫であることが明かされます。
 従来の歴史神話学および民俗学がよくふれえなかった領域は、天皇制の発生の現場とその継続の過程でした。瀬織津姫がこの天皇制の発生と継続の過程で、いかに消されようとしてきたかというのが、本書の底を一貫して流れる、日本史全体を再考しようというテーマです。
 日本の庶民がこよなく愛してきた、おそらく最大最高の水の美神が瀬織津姫といってよいでしょう。あなたの暮らす身近な場所のいたるところに、瀬織津姫はまつられています。日本の歴史は、大事な部分が明かされていません。瀬織津姫がわたしたちの国の歴史の根幹あるいは琴線にふれる、すばらしい女神だということが、本書から伝わってくれることを望みます。

(風琳堂主人)

そうなんですよ。婆とともに愛すべき女神がおわします。
瀬織津姫との出会いでした。

風の強い夜はやっぱり焼酎のお湯割り...
  キムチなべに牡蠣入れて、たっぷり暖まってくださいね。
    チョコ風味ではないけれど、ゴマ豆腐もいいかなぁ..
      あは!「ほんまもん」ではいつも出てましたよね。
         熊野のごまどうふ。サクラs(*^-^)ノ☆ 

チョコゴマ婆ろあ?
mar 投稿日:2002年4月4日<木>09時15分
おおっ。居酒屋さくらさんちで、サムトのババロアのお話が・・
そうですか。ほんとにあるんですね。風琳堂さん!!!
教えてくださってありがとうございます。なんだか嬉しいです。チョコレート風味のゴマババロアでしたか!?...と、あっさり書きましたけど、なに?
チョコレート風味のゴマババロア??? 
ちょっと微妙ですね......。(笑)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mar-qch/

おはようございます。
さくら 投稿日:2002年4月4日<木>06時58分
ご主人、早起きですね?
 ん、徹夜だったのかなぁ....体に気をつけてくださいね。

ご主人、サムトの婆の話は、もちろん「遠野物語」のサムトの婆です。
私はなぜか、「遠野物語」ではサムトの婆の話が一番好きなんですね。
それで、marちゃんのHPでの「サムトのババロア」の話に反応してしまったのですが....はい、サムトのババロアは遠野土産なんです。
紀州生まれのまぁちゃんのお土産ということで、少し混乱した書き方してしまって
ごめんなさい。

marちゃんは
>サムトのババロアは紅玉のムースだそうです。私は食べたことないですけど、美味らしい。
ちなみにこの商品にはこう書かれているらしいです。

「もしかしたら、サムトの婆は三十年あまり新たなデザートを求めて旅をしていたのかも知れません。そして三十年ぶりに再会した親類には、この「サムトのばばろあ」を御土産として持ち帰っていたのかも…
って教えてくれました。

ご主人に、道の駅「遠野風の丘」のレストランのサラダバーでやっぱりサムトのババロアが食べられると聴いて、ほんと嬉しかったのですよ。
遠野に行ったら、お味見できるって....
マァちゃんの言う、紅玉ムースの「サムトの婆ロア」はほんとに売ってたら
やっぱり、遠野に行ったときに探してみたいです。

「梨の樹の下に草履[ぞうり]を脱ぎ置きたる」娘さんが死を覚悟していたという
ご主人の見方に、いっそうサムトの婆が好きになりました。

東京はいいお天気になりそうです。
  あはは、ハレていますよ。トカゲさん。

うなごうじ祭りは小雨が降ったほうが、牛久保らしくて良いですか?
  では、そんな天気になるように祈りながら...(^^)
     仕事に行ってきます!

サムトの婆ロア
風琳堂主人 投稿日:2002年4月4日<木>04時16分

 月うさぎさん、昨年の9月に遠野へ来られたとのこと、またいつかぜひいらしてください。そして、今度は瀬織津姫にもぜひ会いに、来てください。
 三春の滝桜についての返信は、民俗資料館の方へ問い合わせてくださいとのことで、今、あらためて連絡をとっているところです。あかねさん、三春はすごい歴史が、それも瀬織津姫との関連で隠れていることはまちがいなさそうです。瀬織津姫の滝(三春では「不動滝」の名称)は、瀬田川=宇治川の天ヶ瀬ダムと似ていますが、現在はダムに沈められているようです。このダム湖の名は、いかにもですが「さくら湖」だそうです。詳しい話は、資料をいただいてからにします。しばらくお待ちください。
 サクラさん、サムトのババロアは遠野の専売特許だとおもっていましたので、遠野にもある? と言われて、こちらが、えっ? という感じです。
 といいますのも、柳田國男『遠野物語』にこのサムトの婆さんの話が載っていて、これがサムトのババロアのルーツ(パロディー)だということは、遠野では半ば「常識」だからです。短い話ですので、キーボードの練習がてら、ご紹介しておきます。

■遠野物語第八話
 黄昏[たそがれ]に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他[よそ]の国々と同じ。松崎村の寒戸[さむと]という所の民家にて、若き娘梨[なし]の樹の下に草履[ぞうり]を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音[ちいん]の人々その家に集りてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりしゆえ帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留[とど]めず行き失[う]せたり。その日は風の烈[はげ]しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆が帰って来そうな日なりという。

 これは遠野物語の不思議の原風景のような話です。この神隠しの話も実話らしく、サムト(地名としては登戸[のぼと]だったものを、柳田が寒戸に変更した)の婆さんは、遠野三山のひとつ六角牛[ろっこうし]山に「隠」れていたと伝えられています。
 伊吹山から濃尾平野に吹きつける風は伊吹颪[おろし]といいますが、この話に吹いている「風」は、これも遠野三山のひとつ、かつ主峰である早池峰[はやちね]山から遠野盆地へ吹き降りてくる早池峰颪かとおもいます。登戸→寒戸の言いかえは、たんに地名の明記による当事者への迷惑を慮ったというより、やはり「寒」のイメージをこの原風景に与えたかった柳田の創作のような気がします。遠野は「寒」の郷だというのはわたしも同感なのです。
 ところで、遠野三山の女神の母神かつ早池峰山の女神が瀬織津姫とされています。この話の三十年前の娘さんは、瀬織津姫ゆかりの山懐に隠れていたことになります。この娘さんは山男にかどわかされたとする解釈が通説ですが、わたしは、この娘さんが「梨の樹の下に草履[ぞうり]を脱ぎ置きたる」という言葉から、どんな理由かはわかりませんけど、彼女は「死」を決意していたことを表しているとみています。その、「死」を覚悟した娘さんを、ひょっとしたら遠野の山の神は救ったのではないか──そんな気がしています。
 それはともかく、もし、サムトのババロアの「サムト」がこの話とまったくちがうところにルーツがあるとすれば、これは珍しい偶然ということになります。しかし、遠野では、このババロアの元祖(?)は、「サムトの婆」の話をもっている遠野だと断固(!?)信じています。共感していただけますでしょうか。

http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/

晴れ
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月4日<木>00時57分
サクラさん
祭りは、ハレですか?
うなごうじ祭りは、雨ばっかです。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

遠野
さくら 投稿日:2002年4月3日<水>23時53分
ご主人、ほんとですか?!
遠野にもサムトのババロアがあるって聞いてとても嬉しかったです。
わー食べたいなぁ!
遠野のお酒の後に食べたらおいしそうかも?
月うさぎさんは、遠野にいらしたんですね。
北が好きでよく行ったのですが、なぜか遠野は行かずじまいでした。
北海道は学生のとき2週間くらいかけて周ったの思い出します。
あはは!そのときに鯨のお刺身初めて食べました。
ほんと、ゆっくり行けたら良いですね。

トカゲさん、遊観さん
深夜こそ祭りの中心だったような気がします。
祭りが神事であり、ハレの日であったとき、
祭りは、それを行う人々のものだったような気がします。
遊観さんのお沖ノ島での体験や、トカゲさんのようにお祭りを
内から発信しているのを見ると祭り,祀りへの想いが深くなるような気がします。

あはは、天皇家のバチカン化...ほんと、目からウロコでした。(^^)

あかねさん、
 本業一段楽、よかったね。
  うふふ、これであかねワールド期待できちゃうぞ!
    お弁当持って、あは!さぁ行こう!ん、花見。。。

私は期末の決算はなんとか少し落ち着きましたけど...
4月からの人手不足が響いています。
でも、あっという間の4月...もうもう、どこかへ飛び出したくて...
心は南へ北へと飛んでいってます。
あまーい、ババロアが舌に心地良いように心にもデザートあげたくなりました。

今夜は赤貝のヒモときゅうりの酢の物。
   あげだし豆腐でいかがかな?
     それから、遠野のお酒....「瀬織津姫」なんてあったら良いな!

ご主人の三春滝桜のメールの返事が、やっぱり同じように待ち遠しい...

遠野ももうすぐ、春爛漫ですね。サクラs(*^-^)ノ☆ 


サクラさん、みなさま、こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年4月3日<水>22時33分
横入り、すみません、風琳堂主人さま、全国の桜の名所を紹介した
雑誌を持っていますが、三春の滝桜の写真が載っています。
ほんとうに見事ですね。

昨年9月に遠野へ行きました。
90歳を越えた美人のおばあちゃまにおしらさまのお話を
していただきました。
一日しかなかったのでカッパが出る池とか、座敷わらしのいる
民家とかへはいけなったのですが、古い民家を使った資料館?
で楽しく過ごしました。
ただ、一番美味しいというお蕎麦屋さんがお休みだったのが
残念でした。

今度はゆっくり行きたいです。


http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/

深夜こそが祭りの中心
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年4月3日<水>17時29分
遊観さん、遅れたレスですみません。
深夜こそが祭りの中心
同感です。
うちの祭りも昔は、終われば、明け方っていうのがザラだったようです。
戦後というより、高度成長前夜まではそうだったのでは、
親父が若い衆をやっていたのが、ちょうど50年前ほどですが、
三つ車(うちのお祭りのクライマックス)が終わるのが、2時か3時
そのあと、「四町廻り」って余所の町内に挨拶行くんですが、「四町廻り」から帰ってくると、太陽がまぶしかったって
当時は、人も多かったんですよね。
宴会やると、総長の顔がかすんで見えたって言ってましたから
それで、役をつけるのが大変だった。
提灯係ならまだしも蝋燭係とかもつけたそうです。
それでも人が余った。
交通規制とかも影響してますね。
うちのお祭りも35年ぐらい前にだいぶ規制された。
バイパスができるまでって条件ついていたはずなんだけど
バイパスできても未だに通さない。
警察は、公僕のはずだぜ。
皇室行事にゃ、何人も使いやがって
天皇制は、廃止して、憲法の第1章削除
そうすれば、「玉」として利用できなくなる。
最終的には、バチカン化するのが一番

あかねさん
お花見かい
イカのカレー揚げつまみになるぞ

桜並木へ行ったよ〜
あかね 投稿日:2002年4月3日<水>13時51分
風琳堂主人さま
おお、桜久保〜〜!サクラが二重になってる地名ですね。面白いです!
田村郡というと、確か田村荘ですよね。安積もいたし、藤原秀郷、安東氏なども
いた。あの辺ってホント、面白そうです。
ほんで私は今、本業が一段落したので、カットの挿絵を描いてる最中です。
予算削減の中、昨日は料理作成と撮影(何とか印刷物に使える程度でいいけど)、
今日はイラストアップという感じです。もしかして器用貧乏かも(笑)。
私の場合、違う性質の仕事は、あんまり気分転換にはならないたちなので、
ちょっと面倒くさいです。机で資料に向かってるほうがいいなぁ。

サクラさん
月曜日に近所の桜並木をようやく、ちらっと見に行ってきましたヽ(^o^)丿。
そんで、ボロデジカメで桜を撮ったよ〜。
今日の夕方には、こじんまりとお花見します。へへへ。ようやくだぁ。
があります)。また、この女神は、上記神社名からもわかりますように、滝=水の最高神でもあり、歴史時間をさかのぼりますと、伊勢神宮の元神でもあるようです。さらに、持統女帝によってこの神を鎮魂するために初めて桜が植えられた可能性が高いのです。瀬織津姫は、滝と桜に秘められた女神ということになります。
ヤマト─東北との歴史を明らかにする上でも、滝桜の歴史(いつ、だれが、なぜ植えたのか等)を、ご教示いただければありがたいです。
いずれ直接お訪ねするつもりですが、またメールにて突然の質問で失礼しますが、よろしくお願いします。

 もしいい話の返信がいただけたら、また報告しますね。


http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
桜と滝に秘められた女神
風琳堂主人 投稿日:2002年4月3日<水>05時28分

 サクラさん、marさん、サムトのババロアが話題になっていてビックリです。
 いいかげんな舌の記憶でまちがっていたらごめんなさいですが、このサムトのババロアは、たしかチョコレート風味のゴマババロアみたいな味です(だったとおもいます)。道の駅「遠野風の丘」のレストランのサラダバーで食べられます。
 息抜きで居酒屋さくらの暖簾をくぐると、もう無茶苦茶なスピードで話題が展開していて、画面で読むのはシンドイということでプリントアウトして読んでいます。
 遊観さんの宗像寄港の沖ノ島旅行記は得がたい話が満載で、トカゲさんの3分クッキングは、彼にこんな裏芸もあるのかとこれもびっくりです。それに、月うさぎさんの瀬織津姫像もなかなかで、これはトカゲ好みのベッピンさんで、いよいよこれでトカゲさんの婚期は遠のくなと余計なことをおもったりしています。今、もっとも元気な居酒屋掲示板が「さくら」ですね。
 慣れない内職──中学国文法の解説・編集なんか安請け合いで引き受けてしまって、毎日毎夜ストレスの時間で、あかねさんといい勝負の夜更かし続き、同じく息抜きでイッパイいただきにきました。そして、アレッという展開です。
 サムトのババロアについては、今度、製作者にもう少し確かなことを聞いておきます。
 ところで、桜の季節は遠野はまだなのですが(遠野も早まってはいますが、咲きは今月中〜下旬らしいです。今、瀬織津姫の滝「又一の滝」の山桜で静かに花見をしようかという話があります。都会にはない花見でしょう?)、日本の三大桜の一つといわれている桜に、樹齢1000年以上と推定されている福島県の「三春滝桜」があります(あとの二つは岐阜県根尾村の薄墨桜と山梨県武川村[実相寺]の神代桜)。
 そうです、滝と桜がセットになっているのです。正確な場所は「福島県田村郡三春町大字滝字桜久保」です。住所名からして瀬織津姫の匂いプンプンです。おまけに、ここには、瀬織津姫ゆかりの「桜谷」の地名もあり、これは見過ごすことはできないではありませんか。
 というわけで、この三春滝桜のことについて質問を受け付けるHPがありましたので、下記のような「お尋ね」をしてしまいました。

■公開メール
岩手県遠野市で本をつくる仕事をしています風琳堂の○○(風琳堂主人の本名が入る)といいます。
当地=遠野を1000年以上にわたって見守りつづけてきた女神(瀬織津姫=せおりつひめ、といいます)を調べているのですが、この女神を調べていきますと、御地とも縁深い坂上田村麻呂との関係も見えてまいります(福島県で確認できるのは、広野町と楢葉町の大滝神社や只見町の滝神社、田島町の滝口神社の祭神として瀬織津姫の名
筍いろいろ
佐久之宮 投稿日:2002年4月2日<火>09時57分
そろそろ筍のシーズンですか?。

当地はモウソウ竹が生育しないので真竹の筍や根曲がり筍なんかを多く頂きます。

ところで中国では川原のアシ(ヨシ)のミニ筍も高級食材として珍重される
と言います。 残念ながら私はアシの筍を食べたことがありませんが、
どなたかご存知???。
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm
お言わずの島
さくら 投稿日:2002年4月1日<月>23時33分
遊観さん、
お言わずの島で遊観さんを見つめた眼が複数の女神様。
本当に女神は嫉妬深いと言われてるもんね。
どんな経験したんでしょうか?
うん、ここは耳を傾けちゃおう♪

このごろ、帰りが遅いです。
そんだなぁ。。。そんなときには焼酎の梅割り?生グレープフルーツで割ってみる?

お通しは、筍の土佐煮とふき。
   カレイのから揚げでいかがかしらん。

今日、花屋の前を通りました。
久々に、ピンクのスイトピーが眼に飛び込んできて立ち止まってしまいました。
ほら、薄い花びらが春呼んでくれるよう....

宗像寄港 (3)
江部遊観 投稿日:2002年4月1日<月>02時35分
大岩があるのは、発表されている遺跡だけではなく、そのずっと上のほうにも重なるように連なっている。それはそれは荘厳な雰囲気だった。
しばし岩に見とれていたが、意を決してその大岩を迂回してさらに登ってみた。すると、石組みしてある高さ30センチ、幅5メートル奥行き2メートルほどの段があり、その前に整地した七、八坪ほどの平らな場所があった。
だがここには草や木が生えていない。作業中か、あるいは作業が終了してまだ間もないために、草の一本も生えていないのかと思ったが、そうでもない。それなら経験ですぐに分かる。まるで除草剤を撒いたかのように草が生えていないのである。さらに段の左側には、段に上がるための30センチほどの五段の石段が作られており、この平らな場所が祭壇のように感じられた。石組みと石段、山の斜面に平らな整地、明らかに人工的なものだ。草や木が生えないのは、何かの力が働いているからかもしれない。
回りにある木が張り出した枝などで、日光が遮られ物理的には明るくはないが、雰囲気は生き生きとした柔和さと気品が満ちあふれ、とても明るい雰囲気を感じる。それでいて華やかさまで感じる。
ところが、私が感じたそれは、この場所が醸し出す雰囲気ではなく視線だったのだ。複数の視線だった。もちろん、ここにいるのは私一人であり、誰もついてきていないことは確認している。どの方向から私を見ているのか分からないが、とにかく若い女性の複数の視線だった。「ああ、三女神、だから複数なのか」そんな風な感じだ。田心姫神が沖津宮で、湍津姫神は中津宮、市杵島姫は辺津宮となっているが、それじゃあ、まるで駐在する役人のようだ。そうではなく、どの宗像神社にも女神は三柱ずつ居られる。
また、女人禁制の島、お言いわずの島、海の正倉院、国家的祭祀・・・どれもこの島を言い表していない。ここはそんなもんじゃない。別格だ。当然「日露戦争戦勝おまつり」なんてバカなことをやるには勿体ない所だ。そんなことをする宗像大社の関係者は明らかに勘違いしている。だいたいこの列島の神々はヤマト朝廷の天皇とも本来は関係ない。神たちはその経歴と縁起を捏造、改竄されてお困りになっていると思う。瀬織津姫も、大祓みたいなひどい祝詞に閉じこめられているが、本来はあんなみっともない祝詞に登場するような神ではないはずだ。
  
 次回は、自分が浮かび上がってしまうのではないかと思うほどの超空間のことについてお話する予定である。
わぁ、ありがとう!
さくら 投稿日:2002年3月31日<日>22時06分
marちゃん!きゃ、ありがとう!
食べたかったんよ、サムトの婆ろあ!

サムトの婆が30年もデザート探して、紀の国でやっと見つけて
遠野にお土産に買って帰ったという、紅玉のムース!
ふーむ、世の中いろんなことが起こってるんだ.....しらなんだもん。
あはは、風琳堂のご主人!絶対食べて欲しいなぁ....

月うさぎさん、素敵ですよ!瀬織津姫。
暖かな春を感じさせる桜には鎮魂の思いがあります。
そんな、美しくもどこか儚い桜につつまれて、なお凛とした
強さと暖かさを感じます。
ルシファ−とまた違った目の表情が、生き生きとして見えますもん。
トカゲさんが感激するのも無理ないかな?女の私でもいいなぁ〜って思うもの。
うさぎさんに乾杯ですね。

min-minさん

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋江上の破屋に、蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

草の戸も住み替る代ぞ雛の家

面八句を庵の柱に掛置。

そうなんですよ!中学時代に暗記させられたこの序文に、春立てる霞のころに
なると、行き倒れるような旅に出たくなります。
でもなぁ、芭蕉はすごーく歩くの早くて白川の関も早くに越えられたけど
私は途中で行き倒れて...サムトの婆にもなりそこなうかなぁ?
でも、行き倒れる前にサムトのババロアだけは食べておこう...
それから、タイランドの風感じてmin-minさんと飲んでから....
それから、それから....はい、魔に捕らえられておりまする...

クミコさん、今日はポカポカ日の匂いがするお布団でゆっくり
夢が見れますね。
あはは!私は明日が日曜日のような気がしているんよ。
こんなことで、明日は大丈夫だろうか?婆ロア食べよ♪いっしょに!

朝、とっても暖かな日差しが夜には一転して雨。
遊観さん、府中の暗闇祭りが懐かしいです。すごく懐かしいです府中!
府中にいたころに、地元育ちの友達から聞きました。
毎年、殺人事件が起こってたみたいだって...結構、暴力団さんなんかも幅利かせてたりして....(^^)
遠い昔に、あの筑波でも有名な「歌垣」が府中でもあったのでしょうか...
歌垣には豊穣を願って神の夜を楽しんだとか?
 あはは、男だけでなく青梅のおばあさんの若かりしころも
  そうだったんなて、ほんとうに闇は遠くなりにけり....
    闇が戻ってこないかな....なんてね♪
     なにか雨を見つめていたら、センチになってしまいそう...

さぁ、今夜は揚げ出し豆腐と、チャンコなべ
    腰すえて、いっぱい飲んでいきませんか?   

婆ろあ(←いつまでおんなじこと言うてるん?)
mar 投稿日:2002年3月31日<日>16時07分
こんちは。
サクラさん、サムトのババロア持ってきたで〜。お客さん来る前に二人で食べてしまお〜。。。と思ったけど、昼間っから色んな人がいるんですね。あらら。
仕方ないから、みんなにあげます。 はい。


http://www5d.biglobe.ne.jp/~mar-qch/
ご無沙汰です。
min-min 投稿日:2002年3月31日<日>14時55分
ガラガラー。

おおっと、オカミさんは「仕込み中」でしたか。そういえばのれんがかかってなかったですね。
ま、開店準備でお忙しいところ申し訳ないっすけど、冷えたビンビールだけいただけます?あ、つけだしも要りませんよ。
あれ、借金たまってませんでした? はは、ここはツケお断りでしたっけ。

ところでここんところ半世紀以上生きてきて、

『月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。・・・』

なんていう芭蕉の世界がほんのちょっぴりわかるような心境になってます。
人生という旅はまだ続くんでしょうが、ちょっと疲れを感じる今日この頃です。
旅に倦んでどこぞで行き倒れないようにしなくっちゃね。

ところで、時々「我が家」にもいらっしゃっていただいてるようですが、お茶も出さずすみません。
5月になったらタイランドから客人を迎え、美味しい酒でも一献酌み交わしましょう!

min-min@横浜でした。
http://homepage2.nifty.com/TUBA/
おはようございます
月うさぎ 投稿日:2002年3月31日<日>11時05分
二日酔いの月うさぎです。
酒の後のケーキがぐっと胃にもたれてます。

セオリツヒメ、やっとアップしました。
待ってていただいてありがとうございました。
でも悩み多い絵になりました。
桜、瀧、ああ、描けない〜
で、ごまかしました(笑)

http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/
日本晴 
クミコ 投稿日:2002年3月31日<日>10時45分
いいお天気です
日本の青空が大好き
お布団干しました。

帰りは雨の中でしたが、
さくらを楽しむことができて良かった。
やっぱり 日本最高!
暗闇祭り
江部遊観 投稿日:2002年3月30日<土>23時16分
暗闇祭りは、小学生の時に体験しましたが、ともて恐ろしいものでした。御神輿に潰されて死ぬ人もいました。また、大太鼓に先に登っている人を引きずり落として自分が駆け上ろうとして、上から一升瓶で叩かれて頭を割られたり、流鏑馬は流れ矢がどこへ行くのか、子供心にも心配しました。暴力的なものでした。そのため、40年以上前に暗闇は廃止されています。
しかし、それは戦後の暗闇祭りであって、戦前の祭りは古老の話を聞くと大分違ったものだったようです。30年くらい前に青梅の80才くらいのおばあさんに聞いた話ですが、青梅の若い女性達は徒歩で一晩かけて、暗闇祭り見物に行ったそうです。当時それがいかに楽しかったものか、祭りを語る時の目は80才でもきらきらとしていました。そうなんですね、神祭りは明治維新後、ずいぶんと変わったように見えますが、実はそうでもなく、第二次世界大戦以後の方が変化は大きかったようです。「祭りで男を知る」・・・それがメインの話でした。

 網野 それから、中世ではよく寺社に参籠、お籠もりをしますでしょう。鎌倉時代には参籠中の男女を混在させてはならないという後宇多天皇の宣旨もでているわけですが、 実際に絵巻物をみていると、参籠の場所で男女が一緒に寝ているんです。絵巻だから、 絵に描いているので、明るいように見えるけれども、実際は真っ暗なはずです。せいぜ い灯明が灯っている程度の場所で参籠しているわけです。しかもお籠もりの場所は、神 仏の場所だから市庭と同じなんです。世俗の縁が切れている。だからよく、子供が授か るようにと、神様にお願いしてお籠もりしている時に子供が生まれたというのは、本当 にあったと思うんです(笑)(馬・船・常民 東西交流の日本列島史 網野善彦・森 浩一 講談社学術文庫)。
 
古代・中世祭式の様子が、十世紀に成立した延喜式・神祇に事細かに記載されているが、深夜こそが祭の中心であった。民俗学者柳田国男や南方熊楠は、古典や地方の風習から古代の人々は夜の始まり、つまり日没を一日の始まりと意識していたことを指摘している。
発生、創造を表す産霊というモノを動かす力が夜に沸き起こり、その夜が作ったシナリオによって昼が成り立つとするものである。
期末だよ!
さくら 投稿日:2002年3月30日<土>22時16分
あかねさん、徹夜続きで大変ですね。
体に気をつけてがんばってね!うん、簡単でおいしいもの食べて...
それから、方向感覚って言葉が出てこなくて....失礼いたしました(^^)

実は期末の〆の只中で、私も毎日サメのように休まず働いておりまする。
  あーぁ、早く自由の身になって、瀬織津姫に会いに行きたい!

ピンクのトカゲさんの処はすっかりお祭りムードになってますね。
東京ではなかなか見れない手筒花火。
 勇壮でそしてどこか神聖で儚げな花火は子供のころから好きでした。
  もっとも、実際には手筒は一度くらいしか見たことありません。
    それもどこで見たのか思い出せないくらい....
あはは、今頃トカゲさんはきっとおいしいお酒飲んでるんでしょうね。

ところで佐久之宮さんのところのお祭りってどんな感じなのでしょう?

遊観さんは府中の暗闇祭り...知ってますよね。
  私は知らないのだけど、真夜中のお祭りに一度参加したかったです。
祭りって本来は暗闇で神と交信する場所だったのかもしれないなんて考えます。
闇は魑魅魍魎の住むところみたいに言われるけど.....闇の中にほんとの神がいるような気がするんですよね。

遊観さん、沖ノ島は縄文時代中期の関東もこんなだっただろうなと思われるなんてなんだか懐かしく思ったなんて、沖ノ島が急に身近に思えてしまう。
   

今日は、モツの煮込みと豚のばら肉と大根煮てみましたよ。
   ゆっくり、呑んでいってくださいね。
      

そういえば、クミコさんと呑んだホテルのラウンジには
  オールドウロウはおいてありませんでした。あはは残念だったです!




    
     
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
あかね 投稿日:2002年3月30日<土>05時23分
うう、徹夜の真っ最中…。急に分量を増やされて、終るはずがまだ終ってません。
ほんで気分転換に遊びにきました(^^)v。
くしょぉ、今日はいい天気だから、お花見に行くぞぉ〜〜。行けるかなぁ…

ピンクのトカゲさん
ありがとうございました。鮪の竜田揚げもお弁当に入れてみよぉっと!
いかのリング揚げはよく作るのですが、なるほど片栗粉とカレー粉は、
美味しそうです!やってみますね。食がすすみそうです。

サクラさん
あはは。そうです。方向感覚、ホント笑えるくらいにひどいんです。
母方の祖母と母、私と三代続いての方向音痴です。
でも妹たちには、全然これが遺伝してなくて私だけが…(T_T)
さすがに大阪近辺では、あまり迷いませんが、出張先ではよく迷います。
んで、迷うのに供えて20分くらいは時間の余裕を持って行きます(笑)。
勘自体は結構、いいほうなんだけどなぁ。
やっぱり方向感覚のなさが、世界を随分、狭めてると思うなぁ(T_T)。

ああ、それにしても桜のトンネルの下を歩きに行きたい…
沖ノ島紀行 (2)の2
江部遊観 投稿日:2002年3月30日<土>01時08分
 私は祭りに参加する人たちの最後尾についた。そして、そろそろと消えようと、薮の中へ入りかけた。その時友人の神主さんが、振り返って私を見たので、ウィンクをして「行ってきます」と声に出さず言った。彼は微笑んで「行ってらっしゃい!」と目で言った。
少し登った所で下を見ると、そろそろ大祭の用意がなされ、参加者が全員本殿の前にきちんと並んでいるのが見えた。そして、もう少し登るともうそこはジャングル同然だった。亜熱帯の島、そんな感じがする。大岩に足をかけ、蔦を握ってどんどん登った。けもの道さえない。無闇に登れば迷う危険すらあるが、そこは鍛えてある。そこここの枝を折って、目印を付けておいた。
結果的に私は調査の済んでいる東側の一号遺跡から八号遺跡を通り越し、西の方向の柏崎の鼻と名付けられた小さな岬へ向かって登って行ったことになる。
大岩が連なった間には木々が根をはり、枝からは何本も何本も蔦が垂れ下がっている。ギャーギャーという鳥の声と、動物なのだろうか下草を分ける音が聞こえ、ジャングルにいるような錯覚に陥った。植生は樫や椿のように葉がてらてらと光る照葉樹が多く、縄文時代中期の関東もこんなだっただろうな、なんだか懐かしく思った。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
沖ノ島紀行 (2)
江部遊観 投稿日:2002年3月30日<土>01時07分
 本殿の周辺に、大祭を待つ人たち20人ほどが集まり来ていた。このお祭りはなんと、明治38年バルチック艦隊が5月26日対馬ルートで上海に現れ、翌27日日本連合艦隊がこれを撃破したことに因むものだそうである。よって、この日一般人に上陸を許可し、共にこれを祝うという・・・・・呆気にとられるような、このことには目をつぶって私は知人による助力でここに来たのだ。もちろん、このことを知ってはいた。沖ノ島へ行ける、と知人から誘いがかかった時、そんなことはどうでもよかった。こんな機会など、そうそうあるものではない。この大祭以外、一般人をほとんど上陸させない。現在の沖ノ島はバルチック艦隊を破ったこの日の数時間だけしか、一般人をうけいれない。この機会、この日を逃しては、私のような者が沖ノ島に足を踏み入れることなど、絶対にない。もし、宗像の関係者の方がこれを読んだら「だから、変なのは入れるんじゃなかった!」と嘆くかもしれない。・・・・「すいませんが、この私の旅行記は絶対に口外しないようにして下さい。これは、ここだけの話です」・・・と一応私は小声で言っておく。よろしくお願い致します。
 というのは、私は始めから、この大祭には全く興味がなかった。このツアーは私物の持ち込み、自由行動が禁じられていたし、ライター、煙草の持ち込みも禁じられていた。もちろん、島のものは何一つ持って出てはならないことは当然のことだった。上陸して、急な参道を登って本殿の前で大祭に参加して帰る、それだけのものだった。ただ、御神水を持って帰ることは許されていた。
だが、私のその時の気分は説明できないほどに高揚していた。「おれは、沖ノ島にいる!」もう息も止まりそうに嬉しかった。

・・・・・ここまで書いてみて、困った。さて、私の行動をここに書いても構わないのだろうか。結果から言うと、これはまずいだろう。正直な話、少しヒビった方がいいかもしれない。サクラさんにはメールで言ってしまったが、実は私は沖津宮現地大祭には参加せず、当地の神主さんの祝詞を一言も聞くことなく、この島を駆け巡ったのだ。

 大祭は10時から・・・・時計を見ると9時半になっていない。12時までに戻ってくれば、バレない。2時間半もある。出かけてみよう・・・・何かあるはずだ。何か感じ取れるはずだ。明治政府のこさえた創作神道で、沖ノ島を理解できるはずがない。ここはそんな矮小な地ではない。数千年にわたる大聖地なのだ。本や写真で紹介されていることは、この地で国家的規模の大祭祀が行われ続けたこと、大量の鏡や、国宝などの宝物があったこと、それだけである。また、三人の女神の地なのに、なんと現在に至るまで女人禁制となっている。なるほど、創作神道なんだなーと考えてみるが、これはどうしても不自然だと思う。記紀には凄い女性が沢山登場する。応神天皇のおっかさんなんて、とんでもなく凄まじい豪女だ。記紀では皇后となっているが、どっちみち記紀は八世紀の近代に男性優位の思想のもとに作られたものだ。神功は天皇だったかもしれない。漢風謚号で神の名のつく天皇は、神武と崇神、応神の3人しかいないのに、なんと神功皇后にも神の字がついている。古代、女性の地位は高かったはずである。なのに沖ノ島は女人禁制、これだから創作神道は困る。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
クミコさんがカナダから
さくら 投稿日:2002年3月30日<土>00時55分
こんばんわ!
昨日は上野へ行ってきました。
葉が見えながらも、夜の上野公園は桜がまだまだ見ごろです。
池越しに見える八角形の弁天堂も心なしか華やかさを加えたようでした。

上野不忍池の弁財天は,もともと天台宗の開祖最澄・伝教大師の弟子円仁・慈覚大師が造ったと言われています。
江戸時代に、寛永寺の草創者である天海僧正・慈眼大師が,江戸の比叡山の役割を担うため上野の寛永寺を建立した。
琵琶湖に見立てたのが不忍池、竹生島に見立てたのが中島で、できた当初は舟で島を渡っていたという。

そんな弁天様と桜見ながら、カナダから帰ったたばかりのクミコさんとお会いしました。
初めてお会いしたにもかかわらず、乾杯の後はお料理を頼むのも忘れて、はやおしゃべりが....
瀬織姫の話、掲示板の話と、夢のようにあっという間に時間は過ぎてゆきます。
とっても、楽しく貴重な時間をありがとう!クミコさん。また飲みたいね。
あかねさん、
機会があったらカンがいいクミコさんとご一緒したら、すごいあかねワールド広がるかもよん。
いつも、あかねさんが書き込みしてくれると、うれしいのだ!

遊観さんの「沖ノ島紀行」も始まって、なにやら掲示板から目が話せませんね!
トカゲサンは酸欠状態でお祭りモード。神につながる状態とか?
遊観さんも沖の島で、神につながったんだろうなあ....

さぁ、サメのあとは
うーん、これこれ、トカゲさんのイカのカレー揚げでいっぱいですよね。
あはは、貴公子の神主さん!ご一緒に召し上がりませんか?
はい、奥様、お子様にお土産も作りましたから....
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
リンクの件
佐久之宮 投稿日:2002年3月29日<金>09時56分
早速に当社HPをリンクして頂き御礼を申し上げます。
”心優しき貴公子”って誰???^^
いやいや驚きました〜〜〜

私の方もリンク工事をさせて頂きますので少々お待ちくださいネ。

http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm
クッキング
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月29日<金>08時33分
あかねさん
楽しみにして下さって嬉しいです。
お弁当ですか
男のトカゲとしては、なかなか弁当を作る機会もなく、
トカゲのお袋は、料理大嫌いな人で
高校時代は、弁当箱に御飯と缶詰一つ
という絶対にみんなから取られない弁当でしたから
なかなか浮かびませんが、
やはり、冷めても美味しく、かつ、汁気が少ないものということで
唐揚げというのが弁当の定番でしょうか
で、先日の鮪の竜田揚げのほか、ちょくちょく酒の肴で作る
イカのカレー揚げなんかどうでしょう
イカの皮を剥き、一口大に切り、隠し包丁をいれときます
溶き卵に片栗、そして、カレー粉を衣にして揚げます。
彩りに千切り胡瓜などを添えて

遊観さん
今お祭りMODEで頭が働きません。コメント書けないですが、楽しみに読んでます。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/
沖ノ島紀行 (1)
江部遊観 投稿日:2002年3月29日<金>00時51分
 「沖ノ島だよ!」
大島から数時間、うとうとしていた私はその声に飛び起きた。デッキに出ると既にチャーターした漁船は小さな港直前まで来ており、幾度となく雑誌や写真で見てきた、あの「沖ノ島」が目前にあった。
波は穏やかで、船は静かに着岸した。
岸壁のコンクリート沿いに歩き始めると、先に下船した人たちが素っ裸になって、次々と海に入っている姿が目に入った。始めての私にとってそれは異様な光景だった。禊とは言え、大の男たちがそれこそ一糸まとわず、五月のまだ冷たい海へ次々と入っていくのである。

上陸後直ぐに禊をしなければならないほど神聖な地であることを、十分に意識していたが、その光景はやはり異様に映った。
友人の神主さんと共に海に入った。
海の水は、十二月の禊ぎの水よりも冷たく感じた。しかし入ってみると、さきほど異様に感じたこの禊の行為がいとも自然な行為に思え、すがすがしい気分と、自分自身の内に何かが満ちてくるのがよく理解できた。
御神水をかぶり、再び服を身につけると膝が軽くなっていることに気付いた。
そして、浜辺から一気に上がる登山道のような急峻な参道をのぼり、二柱目の神さびた鳥居をくぐった。
やがて参道は突然平坦になり、4、50メートル先に圧倒されるような巨大な岩のそのすぐ下に鎮座する小さな本殿(沖津宮)が木々の間から見えた。穴のあくほど眺めた写真の実物である。私の頭の中で、岩上祭祀、岩陰祭祀、露天祭祀などの沖ノ島祭祀の変遷の語がぱたぱたと音をたてて巡った。知識だったその語が、今、目の前にある!
ある白山神社で、太占に使う天津金木の実物をそこの神主さんに見せて頂いた時、大祓の祝詞に出てくる天津金木が、「ああ、これだったのか」と絶句したが、今度は沖ノ島で、ここを訪れた古代の人がしたように、その岩に手を触れ、その大岩に足をかけて登れるのである・・・・そう思った時、私の頭を駆け巡っていた語句がぱたっと止まった。ここへ来たからには、もう語句や解説、知識はいらない。見て、触れれば私は古代の人々と同じように感ずることができるはずである。知性や理性、知識ではなく、私の中で感性の部分が強く働きだした。
 山道のような狭い参道から沖津宮の手前にある5、6坪ほどの整地された場所に降りてみると、(露天三号遺跡)そこは直ぐに垂直の崖で遮られるかたちになっており、その土留めの石の隙間に、ふくらみをもった壺の胴の部分のかけらがはさまっていた。櫛ではいたような筋が入っている土灰色のもので、薄手であることから高温で焼いた須恵器であろう。
           つづく
 * 露天三号遺跡
一号遺跡と同時代と推定され、九世紀前半以降の祭祀跡。出土品に滑石製品、土器、菅玉などがあるが豪華なものは全く見あたらない。沖ノ島祭祀終焉の遺跡と考えられ、以降沖ノ島では現代に至るまで、古式に則った祭祀は行われていない。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
伊都許利の一時中断・・・沖ノ島紀行
江部遊観 投稿日:2002年3月29日<金>00時50分
 伊都許利についてやっているうちに宗像まで来てしまった。幸いなことに私は、沖津宮(沖ノ島)中津宮(大島)辺津宮(玄界町)へ伺ったことがある。サクラさんのご要望もあり、小説風に旅行記をここに記してみたい。少し長くなるかもしれないが、テーマが変わったわけでも、伊都許利から離れるわけでもない。
「ガリア戦記」「十字軍の遠征」「ストーン・ヘンジやブルーストーン」「縄文時代にずいぶんとポピュラーであったストーンサークル」「雄略天皇と吉備」「物部と大伴」・・・・
考えてみれば、伊都許利から出発するとテーマは山ほどあることに気付いた。
ということで、これから折々に種々雑多にやっていこうと思う。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
筋肉の表現
あかね 投稿日:2002年3月28日<木>11時19分
>内臓の解剖学的知識もほとんどない
遊観さん、これって、日本の伝統絵画や仏像彫刻などもまさにそうですね。
体の表現、筋肉の表現が、表面の力強さを表しており、解剖学的なものでは
ないですもん。仁王像とかも。それもまた良しで、好きなんですけどね。
桜並木で散歩したいぞ
あかね 投稿日:2002年3月28日<木>11時12分
江部遊観さん
>この列島に住む我々が縄文時代から大切にして何かを思い出すためにも、
>必要な作業だと思います。
誠に同感です。大変楽しく、カキコを拝見さしていただいております。
これからも、よろしくお願いしますね!楽しみ〜〜(^○^)

>彼等が圧倒的な武力で、この列島を根こそぎ奪ったという説にはやはりかなり
>無理があるようだ。延喜式の祭式の様子は、騎馬民族の影響を全く受けて
>いないし、動物の血を飲む習慣や内臓の解剖学的知識もほとんどない。
>この列島の文化は、やはり種々雑多な人々が構築したものなんだろう。
またまた、同感でございます。蘇というチーズの一種だって結局、殆ど普及しな
かったし、牛乳を飲む習慣もごくごく新しいもん。去勢にいたっては、武家の
時代となっても行われていなかったそうな。とてもじゃないですけど、列島が、
騎馬民族族一色になったとは思えませんものね。
播磨鴨国造山直が馬を使ってた事などを考えてますと、後から来た騎馬を取り
入れていた同系の民が、先住していた同系の支配者から地位を奪った、或いは、
交代し、縄文以来?、先住していた民の協力を得て、急にのし上ったとしか思え
ません。つまり騎馬であった民全てが、騎馬民だったとは一概に云えず、うまく
騎馬系技術を取り入れたようですもん。

金達寿さんのご本は面白いですが、全てそうだと云いきっておられるのは、無理が
あると私も思います。何か、不自然な気がします。
葛城部族や物部部族など跡形もないとは、誠にその通りで、ヤマトの功罪をきちん
と評価せなばというご意見も、なるほどと思いました。う〜ん、好きな表現です。
あと、八幡と稲荷の影には、やはり色んな神さんが隠れていますね。特に先住の
鉱物採掘加工民の歴史が隠されていたりするようで、産鉄好きの私は考えてると、
嬉しくなってまいります。何か、同感ばかり連発して、失礼しました。

サクラさん
近所の桜だらけの公園が、満開へと近づいてきました。でも、今日・明日は納期
で苦しんでいるため、お散歩に行けません。今日遅くから雨が降るそうな…。
満開へ向かう桜は以外と雨に強いとは云われますが、散らないかと、きがきでは
ありません。桜花よ、どうぞ頑張ってその美しい姿を、もうしばらく保っててね。
とか云いつつ、今ちょっと現実逃避してさぼってます。さて、頑張ろうっと。

クミコさん
素晴らしい体験をされたようで、何よりです。旅先からのリアルな感動を有難う
ございます。拝読して、何か清々しい思いがしました。

ピンクのトカゲさん
いつもトカゲさんの3分間クッキングをありがとうです。楽しみにしてます!
毎日、旦那のお弁当を作ってますが、何かお弁当にもよい、男性好みの素早く
出来るメニューなど、ございませんでしょうか。簡単で早く作れ、しかも美味
しいものを、という欲張りなリクエストで、ごめんなさい。
眠い中、体が勝手に動いて作ってる感じなんで最近、似たようなおかずに、つい
つい、なりがちなのです。本来は、お弁当とか、ちまちました世界を作るのは
好きで、旦那とためというよりも、自分の趣味の一つみたいなもんなんです
けどね。勝手な希望を言って、すみませんです。
ヤマト朝廷樹立の功罪「2」
江部遊観 投稿日:2002年3月28日<木>00時26分
弥生時代は、ずっと以前に移住して来た人々(東南アジア、縄文人やアイヌ人、北部中国、黒竜江付近)や、最近になって移住してきた人々(南朝鮮や北部・南部中国)の部族がそれぞれ携えてきた考え方や宗教の違いから、常に戦闘状況や臨戦状況にあった。殺戮の時代だったが、善し悪しは別としてヤマト政権がその強大な力を持つようになると、部族の違いは徐々に溶け合って、21世紀の現在では、葛城部族や物部部族など跡形もない。
世界の各地では、未だに部族同士が戦っている地方もあるのに、1500年前頃ヤマト朝廷が部族対立を解消したという見方もできる。もちろん、その方法や施策については問題があるが・・・。
明治政府の創作天皇制はとても賞味に耐えないが、かつてのヤマト朝廷の功罪をはきちんと評価したいものだ。
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ヤマト朝廷樹立の功罪 「1」
江部遊観 投稿日:2002年3月28日<木>00時25分
宗像旅行記の前に断っておかねばならないことがある。古墳についていろいろな本を読み進むにつれ、これまで副葬品の馬具関係のものが5世紀を境にして一挙に騎馬民族風に変わったというこれまでの一般的な見解は、どうやらそうでないと考える学者の方が多いことに気付いた。つまり100年ほどかけてゆっくりと変わっていったもので、崇神(ミマキイリヒコ)という騎馬民族の王が北九州にやってきて、応神の時代に東漸したという騎馬民族王朝説を説明できないようだ。ミマキが任那のミマで、キが城であるという説も、やはり当時の半島の政情からも、その呼称からも確かではないようだ。
つまり、この列島にはじめに強大な権力をもった王朝が、騎馬民族であるという江上さんの説と、そうではないとする説のどちらかであるという論議が多くなされているが、どうも実はそのどちらでもないと感じるようになった。しかしこれは邪馬台国連合が畿内か、九州かという論議と全然質が違う。また金達寿さんの説は、朝鮮語でほとんどを解釈して、全てこの列島は半島の借り物のような印象を受けるが、それは現代のこの列島に住む我々が使用する英語のような状況であったと思う。当時の沢山の言葉が朝鮮語に似ているからといって、全てをそのように解釈するのも、強引すぎると思う。例えばシビリアンコントロールとか、デスクトップとか、片仮名で表す言葉があるからと言って、英語圏の人々がこの列島を占領した証ではないように、朝鮮語が沢山入っているからと言って、この列島を騎馬民族が占領したわけではないだろう。
確かにこの列島には沢山の人々が旧石器以来綿々と渡ってきている。HLA研究等、遺伝子人類学はそれを裏付けている。HLAとは白血球の特定の染色体上に近接して並ぶ一群の遺伝子であり、著しい個人差が見られるもので、HLA遺伝子の組み合わせの分布から、人類学的研究の対象とされており、これによって日本人、韓国人、中国人を分析し、過去の移住ルートを推定できるものだ。研究者の結論をかいつまんでここに報告させて頂くと・・・・中国北部や朝鮮半島から、日本列島の中央部に到達する移住の影響が大きく、また畿内と関東の相違は大きく、畿内はより朝鮮に近いらしい。(東京大学・徳永勝士氏)
 騎馬民族がどっと来て、ヤマト朝廷を築いたということはないだろう。だが来ていないというものでもない。彼等はもちろん来ている。記紀にもその記述があるし、伊都許利の地からそう遠くない埼玉の日高には高麗神社だってあるし、コマなど朝鮮的名称・地名は沢山ある。つまり、来たとか来ないではなく、彼等は来ているのである。だが、彼等が圧倒的な武力で、この列島を根こそぎ奪ったという説にはやはりかなり無理があるようだ。延喜式の祭式の様子は、騎馬民族の影響を全く受けていないし、動物の血を飲む習慣や内臓の解剖学的知識もほとんどない。この列島の文化は、やはり種々雑多な人々が構築したものなんだろう。
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うふ?!
さくら 投稿日:2002年3月28日<木>00時17分
今日は一日雨かと思ったら、夕方には雨は上がり強い風が吹いてきました。

クミコさん、銀世界でいっぱい飲みながら、全身で感じる何か....
うーん、うらやましいですよ!
日本に帰ったとき、きっとクミコさん、よりクミコさんになってるって思うなぁ!
ほんと、瀬織津姫に感謝ですよね。

風琳堂のご主人が、伊勢の瀬織津姫について書いていらっしゃいます。
うふふ、次は滝の神様の話だって...やなさん!

久しぶり!わーい!
 瀬織津姫わかってくれたん!?
  一緒に闇を照らしてくれる瀬織津姫のこと、滝の女神やおしらさまのこと、
    いっぱい話したいですね!闇の歴史照らしちゃおうよ...!
     あはは、天皇制も解体できるかも?
      やなさんは釣りから民話までの造詣が深いものね。(^^)

月うさぎさん、
アイヌの人たちもきっとアイヌという言葉好きなんだと思います。
言葉にいろんな意味を持たせてしまうのがおかしいんだよね。
食べたらおいしいって感じて、うさぎさんの絵みてうふふ...なんて思っているのは
同じだもんね。
クミコさんはカナダで雪見酒。うさぎさんのところは雪はいかがでしょうか?
東京は今年は雪がほとんど降らなかったから、白銀の世界ちょっと見てみたい。

今夜の肴は鯖の味噌煮。
   それから、にがうり使ってゴーヤチャンプルなんてどう?

お酒はのりちゃんおすすめ「夢灯り」
 
  感 想:甘〜〜い!でも、べちょっとしてないんです。
      ほんわか幸せな気分が体中に満ちてくる感じ。そう、これこれ。
      そんな感じで飲めるお酒です。
      ラベルもかわいいし、お、原料米は、「ひとめぼれ」かぁ。
      うふふふふ。と、どれを取っても、しあわせな気分を満喫でき
      ます。
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/
こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年3月27日<水>20時22分
アイヌのかたがアイヌネギという言葉にドキッとするというのは
意外でした。
アイヌ民族であることに誇りを持っている人たちばかりですから、
それが何故?と疑問を感じるのは認識不足なのでしょうね。
彼らは自分たちをウタリと呼んでいるとも聞いたことが
ありますから、もうアイヌとはよんでほしくないのかも知れません。
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/
瀬織津姫に魅せられて
クミコ 投稿日:2002年3月27日<水>09時15分
大いなる生命の源は水であると思い知らされる旅でした。
それはあたりまえのことでありながら、日常の中では忘れ去られています。
頭でわかっていることと、全存在で体感できることは雲泥の違いです。
瀬織津姫に感謝です。

こちらは季節外れの雪が降っています。
けっけけけ
やなぎむし 投稿日:2002年3月27日<水>00時17分
おおおっと・・がらがら・・
 こんばんわ・・いっぱい・
  のませてもらおかいねえ

   あては・げその塩焼きでえわ・・
   白子の酢の物・・あったらもらおかいねえ
わーい!月うさぎさんだ!
さくら 投稿日:2002年3月26日<火>23時13分
月うさぎさん、こんばんわ!
来ていただいて、とってもうれしいです!

月うさぎさんの描かれたイラスト結構好きよくみています。
ほんと、中でも今回のルシファーに魅せられて....
大国主命がのりちゃんのハムスターの命を救ったのは
出雲大社大阪分祠だったとか〜
ハムスターが愛らしく襟から覗いているんですよね。

月うさぎさんは北海道でしたよね。
そうですか、いろいろキトピロの食べ方があるんですね。
すき焼きも、玉子焼きもおいしそう!
キトピロ手に入ったらやってみよぅ!わくわく!

キトピロを書くときに、やはり「アイヌネギ」が一般的に
使われるのは知っていましたが、アイヌの方が「アイヌネギ」という言葉に
ドキッとする、という一文にも触れました。
言葉を使わなければ、差別しないことになるなどと、単純には
思わないのですけれど、アイヌの方が自分たちの食べ物として
大事に思った呼び名で書いてみたかったのです。
とっても素敵な響きのことばですよね。
参考にさせていただいたのが下のBBSです。

トカゲさんのクッキングはもちろん居酒屋の女将としては
さっそく作ってお味見しますよ!
あはは、実用的に使わせていただいてます!それも結構頻繁に....
山菜チンご飯!おいしいですよ。月うさぎさん是非やってみてください。

佐久之宮さん
春休み、たいへんそうですねぇ〜そして、楽しそう!
ジュース欲しがる手が次から次へと伸びてきそうですね(^^)

でも、たまねぎジュース本当に作ったのですか???!
すごーい!体験派だなぁ.....
お味見の後はポタージュにしたら美味しそう。
生ジュースはりんごジュースで仲間入りさせてくださいませ!

遊観さん
沖ノ島、そして宗像が
>この列島に住む我々が縄文時代から大切にした
>何かを思い出すためにも、必要な作業だと思います。
>精緻な記紀研究によって記紀の正体をあばきだす
>トカゲさんには及びませんが、微力ながら私もお手伝いしたいと考えます。

微力だなんてとんでもない!
 トカゲさんだって、固唾呑んで見てるって言ってらっしゃいますもん!
   楽しみにしています。サクラs(*^-^)ノ☆ 
http://bbs1.otd.co.jp/paetok/bbs_plain?range=60&base=480
こんばんは
月うさぎ 投稿日:2002年3月26日<火>19時07分
いつも、イラストをご覧頂いてありがとうございます。

徒然のキトピロ、読ませていただきました。
あれ?と思ってクリックしたのですが、やはりアイヌネギに
ついてでしたね、
ただ、キトピロという名は初耳です。
一般にはアイヌネギとよんでいますが、差別用語だという認識
なのか、(私は差別用語だとは思いませんが、)スーパーなどでは、
ヒトビロ、行者ニンニクなどと表示されています。

サクラ山河書かれていたように、ジンギスカン、餃子、お浸しなど
に使いますが、すき焼きにもいれますし、てんぷらにもします。
はじめにいためて卵焼きにしても美味しいですよ。
我が家の庭にもありますが、土地が合わないのかおおきくなりません。
かわいそうで、食べる気になりません。

トカゲさんの3分クッキングも拝見しました。
なかなかユニークでさすが男の料理ですね。
トマトのトカゲ味でしたか、おいしそうです。
山菜〜はどんな味か見当がつきません。
サクラさんは作ったことおありですか?

あの有名なトカゲの3分クッキング、
http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/
いろんな味
佐久之宮 投稿日:2002年3月26日<火>18時57分
我が家の子供達も春休みデス。

今日は、みんなでジューサーを使って色んなジュースを作ってましたよ!。

●りんごジュース:おいし〜〜
●キャベツジュース:甘味がある〜 青汁の味?。
●たまねぎジュース:ゲホっ げほ〜
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm
少し宗像を・・・
江部遊観 投稿日:2002年3月26日<火>00時52分
 この地の当時の人々の精神的背景は宗像ぬきには考えられない。地名も残っているし、宗像小学校まである。伊都許利の時代から1500年もの時を経ても、その影響が未だにある。一体それほどまでに、この地に大きな影響を与えた宗像とはどういうものなんだろう。あるいは麻賀多神社とも関係があるのだろうか。それとも、鹿島神宮や香取神宮は物部部族に近いが、敵対関係だったのか、それとも仲良しだったのか。古代の宗像部族と物部部族の関係はどのようなものだったのだろうか。
つまり、その3人の女神を祭神とする宗像について、少し紙幅を頂くことも必要だと思う。
宗像大社の説明については、 http://www.munakata-taisha.or.jp/ でご覧いただけるが、私は数年前に沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島の辺津宮の三柱の神々の地を訪問する機会に恵まれたので、その時の経験・感動を主にして、宗像大社を見ていきたい。
  かつてどの時代にも、どの地にも存在すらしなかった全く新しい神道を明治政府は構築し、人々に押しつけた。もちろん、現代もその延長上にある。神社に鏡なんて、教導職という明治政府の神祇の役人が各地の神社を回って、強引に祀らせたものだし、明治以前の神社で鏡を祀っていた所など、伊勢神宮くらいしか思い当たらない。また神社の大きな収入源となっている神前結婚式は大正天皇が始めてであり、それが昭和初期になって広まったもので、それ以前には神前結婚式なんてなかった。明治政府は徹底的に神ながらの道を改竄し、天皇を猫の子のようにヒョイと京都から江戸へ移した。公家の五百札の輩や当時の高官たちは天皇を「玉」(ギョク)と称して、君主をギョクと呼び捨てにするとは、と英国外交官の顰蹙をかっていた。明治政府の権力者たちは薩長の武力と経済力を手に入れ、天皇制がまるで古来からあったようにまんまと人々を騙した。過去の歴史に現在のような神道も天皇制も一度も存在していない。新たに作った皇室典範の起草もいい加減だったし、行幸と称して天皇をさんざん連れ回した。その行幸の模様は明治時代の読売新聞の前身の「日々新聞」を読むとよく分かる。また、現在の神社の名称は関東では八幡と稲荷が圧倒的に多いが、これもそれ以前の由緒やこの列島に住む人々が長い間大切にしてきた信仰を破壊し、できたてほやほやの神道を押しつけるために、神社名称を変えたからである。
 つまり捏造された新造の宗像大社のイメージではなく、ここではプロトタイプの宗像に迫ってみたい。古代の人々はどのように宗像の海の道の三女神を崇敬していたかを考えることは、伊都許利の地にある宗像神社と当時の人々の精神的背景を知る上で重要なことだと思う。
 多少筆が走っているとお思いの方もおられるでしょうが、そうではなく、この列島に住む我々が縄文時代から大切にして何かを思い出すためにも、必要な作業だと思います。
精緻な記紀研究によって記紀の正体をあばきだすトカゲさんには及びませんが、微力ながら私もお手伝いしたいと考えます。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/
隠れ太鼓
さくら 投稿日:2002年3月25日<月>21時30分
クミコさん!
っていうことは、この書き込みはカナダから?  
すごーい、いい時間すごしていそうですね。よかった!
ナイアガラにも瀬織津姫がいらっしゃいましたか?
ディダラボッチのように大きな姫だったでしょうか?
小さいことに悩んでるなんて、この景色みてごらんって、笑ってらっしゃるでしょうか?

トカゲさん、
とうとう、始まったのですね。あはは仕事忘れるようなお祭りが....
お祭りの前からお祭りが始まるようで素敵でうらやましいですね。
東三河から、楽しげなお祭りの笛の音まで聞こえてきそうです。

ん、なんだか楽しくなって、おいしいお酒が飲めそうですね。

今夜は赤毛のアンが親友ダイアナにジュースと間違えて飲ませてしまった
ラズベリー酒なんてどうかしら?

肴はカナダのサーモン。蒸してマヨネーズ添えてみました。
後はメープルシロップをかけた懐かしいホットケーキ!

今夜はなんか優しい気持ちになりました。サクラs(*^-^)ノ☆  
練習行って来ます
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月25日<月>20時09分
お祭りの練習

昨日からお祭りの練習が始まりました。
通称・うなごうじ祭り
一昨年、関東地区のスカイパーフェクトTVで放映されたようです。
NHKをはじめ民放でも何度か放映されています。
うなごうじ祭り↓ここに載ってます。
http://www.wht.mmtr.or.jp/~mint2/
それと、拙稿第三話拾遺にも書いてあります。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/
帰れなくなりましたよ。予定どおりには
クミコ 投稿日:2002年3月25日<月>10時27分
日本ではさくらが満開なそうな

世界一の瀧の女神さまに会ってきましたよ!
ナイアガラの瀧。
そういうシナリオであったかと、感激です
あとはワイン飲んだくれています。

こちらはまだまだ寒くて、そろそろ日本晴れがなつかしいです。
あらら...
さくら 投稿日:2002年3月24日<日>01時16分
遊観さん、
沖ノ島は禊をしてから上陸と本では読みましたが、
さすが行動派の遊観さんですね。
島を半周なんていうのもすごく遊観さんらしい気がします。

>しかし、凄い所です。「お言わずの島」の異名もある沖の島ですが、
>なんだか・・・・。

きになりますね。続きが....ね!あかねさん(^^)

春雷
さくら 投稿日:2002年3月24日<日>01時08分
今日、一転にわかに雨が降ってきたと思ったら遠くで雷が鳴っていました。
春の嵐のような風、そして雨。夜には一転、月と星がきれいに昇っていました。
桜の木はもう花びら散らしていましたよ。

鎮魂の木ともいわれる桜木に秘められた瀬織津姫の思いとは、
どのような思いだったのでしょう?
縄文の水の女神=天知迦留美豆比売(アマチカルミズヒメ)が大祓祝詞の
瀬織津姫。
稲妻も雨も竜神である瀬織津姫が降り立つのなら、現れてこそ
当たり前と、桜の花びら受けながら思ったことでした。
桜の木も神籬(ひもろぎ)とされていますもの。
きっと、あかねさんの散歩道にも降り立って微笑んで下さりそうですよ!ね!
でもなぁ....花の命は短くて苦しきことのみ多かりき....
なんて、わが身に思ったことでした。(誰〜だ!花ねぇなんて、クククって笑ってるのは!)

あかねさん、
 あはは、メモした?南蛮漬けアラカルト!
   遊観さんの話に触発されるあかね節が楽しみですよ!
もちろん、デジカメの写真も楽しみ!
      でも、画像UPできるかなかぁ?酒向さん!

佐久之宮さん
  オイカワ、ウグイ....そんな貴重なお魚、なかなか食べられません。
  鹿肉といいオイカワ。ウグイといい、なんかおいしそうなところに
  お住まいですね〜♪  

今日は、湯がいたごぼうをたたいて,摺胡麻と砂糖酢醤油まぶしたたたきごぼう。
  それから、虹鱒のムニエルで一杯!

オールドクロウストレートで飲んじゃおうかな?


あかねさん、ぼくは沖の島へ行きました。
江部遊観 投稿日:2002年3月23日<土>23時37分
宗像大社、そしてチャーターした漁船で数年前、沖ノ島と大島へ行きました。沖ノ島へついて素っ裸になって禊ぎをしてから上陸。5月の海は冬の海より冷たく感じます。発表されている内容も凄いものですが、実はもっと凄い所でした。ヤマト政権の国家的祭祀などとぼくも言っていますが、そうではなく宇宙的な場があそこにはあります。上陸を許された人でも、普通は社までなのですが、神主たちと上陸した人たちでお祭りをしている間、ぼくはこっそり抜け出て、この島をほぼ半周しました。ミズナギ鳥の巣に足をとられたり、ジーパンをまくると、ずらーっとヒルが吸い付いていたり、草木をわけ、石を踏み踏査しました。怖いくらいの素晴らしい島です。大古墳の副葬品以上の捧げものがあったわけですが、当然だと思います。
しかし、凄い所です。「お言わずの島」の異名もある沖の島ですが、なんだか・・・・。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

そういえば
さくら 投稿日:2002年4月3日<水>00時29分
昔、信州の高原のホテルに泊まったとき、そこの女将から教えてもらった
大好きなお惣菜があります。

真竹を輪切りにして、ゆでた鯖の身をほぐしたものとあわせてお醤油だけで
薄味に炊いたものです。
鯖の身が2/3で真竹の筍が1/3くらいでしょうか...
とても、おいしくて信州の思い出の我が家の味になっています。

信州にもツバメがきたとか....
   飛ぶ鳥にも春を感じますね。
    青竹を縦に割った器に、膾と鮎のおつくり
      竹の香りがする輪切りの器で飲むお酒...
        竹の中に詰めた水羊羹....

ふむ、春というよりは初夏かんじさせてしまいますねぇ....
佐久之宮さんのほうも、そろそろ春の花盛りでしょうか?

月うさぎさんの月色庭園のアクセス数20000ゲットはピンクのトカゲさんでした。
記念の絵は鎮魂の桜と滝の「瀬織津姫」・・・・
あまりの素敵さに、HPのトップに使わせてくださいとお願いしました。
近々アップ予定です。
皆さん期待しててくださいね。
許可してくださった、月うさぎさん、トカゲさんありがとう!

オツダネ
あかね 投稿日:2002年3月23日<土>19時33分
ピンクのトカゲさん メモ完了(^^)v。竜田揚げも南蛮漬もだ〜いすき!!
更に鮪の竜田揚げの南蛮漬けとはまたオツな!渋いですね。

佐久之宮さん え、オイカワ、ウグイでも南蛮漬け!?知らなかった。
臭みが消えて、骨も柔らかくなって、美味しそう。

鯵の南蛮漬
佐久之宮 投稿日:2002年3月23日<土>15時50分
南蛮漬おいしそ〜〜。
当地では川魚で南蛮漬をよくやります。
数センチ位のオイカワ、ウグイなんか最高ですよん

http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

満開の桜を見るぞ
あかね 投稿日:2002年3月23日<土>04時19分
サクラさん
えへへ。仕事帰りにそのまま、桜並木へ立ち寄ってしまった。桜が呼ぶの(笑)
行きは自転車を押しつつ、帰りは乗って。120本くらい桜が並んでるのよ〜。
3ぶ咲きと書いたけど、2ぶ咲きの方が正しかったかも。全体としては、
まだ満開は先のことみたいだから。大阪市内より高槻の方がちょっと寒いから、
仕事が空くまで満開よ待っててね、って感じです。お花見したいもんね。
満開になると、桜のトンネルが出来て綺麗だよ〜。
オンボロデジカメだけど、満開の桜の画像を撮って送りますね!

江部遊観さん
宗像も面白いですね!神功の時代となって、宗像は兵主神社配置とも結びつけ
られていくようで、対馬から日本海沿岸諸国や、播磨では日本海と瀬戸内海を
繋ぐ加古川=川の道傍に、二つの社が重なってたりします。
伊都許利の時代の播磨も九州と関り深かったようで、東播磨の女神・道主日女
が、道主貴、宗像女神だとされるのも、あながち外れていないのかもしれない
とカキコを読んで感じました。加古川に沿って、宗像社だらけですから。
加古川も宗像族集団のシリコンバレーの一つだったのかも。
あ、だから大和鍛冶起源地があるのかぁとあらためて思いました。
新旧鍛冶が技術提携した地で、大和が吉備制圧のためにも押さえた地だから。
ホント「万世一系、単一民族」だとは、播磨史一つ取ってみても、そうは
云えません。無理があり過ぎですね。混ざってても別にいいのに。
それにしても、宗像族という呼び方、好きです。

人々の生活と精神を探る前に
江部遊観 投稿日:2002年3月23日<土>00時30分
伊都許利の地の人々の思いや精神を語るには、どうしても当時の地理的、政治的背景が必要になってしまう。例えば、この地の宗像信仰について考えるには、半島の情勢、倭の五王と胸肩君の関係などについて知ることが必要となってくる。

 AD399年百済と倭が通じて新羅城を襲った。すると新羅は高句麗に援軍を要請し、翌年その援軍はすぐに新羅城から倭を退けた。さらに407年には高句麗の水軍が倭と百済の連合軍を大破した・・・・と広開土王碑文にある。倭、百済、高句麗、新羅の4国がおおいに争っていた時代である。卑弥呼の死後百数十年後のことだ。ここで重要なことは、騎馬民族である高句麗の水軍である。騎馬民族というと、直ぐに馬を連想するが、実は船団による戦いも得意であった。あの有名な元寇の役も元は大船団を率いて、この列島を襲っているし、北方でも同様に船による侵攻を行っていた。当然、騎馬民族は大挙してこの列島に押し寄せていることは確実である。古墳の副葬品に五世紀前から突然馬具が現れ、後年「牧」と呼ばれる牧場もどんどん設置されている。
そうした背景によって、伊都許利の地には宗像神社が現在でも十社もあるのだろう。どういうことかと言うと、倭の五王たちはヤマト政権の礎を築くために、半島から鉄のインゴットを大量に求めていた。また大陸、半島の文化や先進技術を積極的に受け入れていた。その道筋は半島→対馬→北九州、というものであったが、その象徴は半島→対馬→沖の島→大島→北九州であり、そこは宗像族の支配する海域である。当然大王たちは胸肩君との関係を良好にしておくか、あるいは完全に彼等を支配する必要があった。
そのためか海の正倉院と呼ばれる沖の島には、当時の北九州のどの古墳をも凌駕する宝物が溢れかえっていた。鏡の数も凄いが他にも驚くほどの宝物によって、国家規模の祭祀が行われていたのである。
あるいは宗像は伊都許利の時代のシリコンバレーという言い方もできるかもしれない。鉄生産技術、水稲生産技術、造船技術などこの列島で一番のテクノロジーを持つ地域だった。倭の大王は当然この地の人々、つまり宗像族を重用しただろう。
しかし、ここで断っておかねばならない事実がある。「宗像族」と呼称するが、これは人種や民族でくくった集団ではない。海の道の神々宗像三女神を信奉する出自が雑多な集団、ということである。縄文時代からこの列島には沢山の人々が移り住んできている。旧石器時代以降に区切っても、14000年くらい前にはアムール川流域から土器製造の技術を携えた人々が渡ってきて、この列島に縄文文化を花開かせたし、その後南方はベトナムやタイ、中国河南省から北方の騎馬民族、ツングース、アイヌ・・・・と枚挙に暇がないほどだ。それは現代のボスニアの状況に似ているかもしれない。人種、民族が同じでも信奉する宗教が違うと、お互いに異邦人と認識し合い、反目してしまう。
当時のこの列島に住む人々は、既に人種や民族というくくり方が全く通用しないほどに、人種混淆していた。例えば、新選姓氏録からどうあがいても、「万世一系、単一民族」なんて引き出せない。
この列島の部族集団の共通項は、信奉する対象によって区別するしかない、と断言できるかもしれない。
次回はそうした背景から、伊都許利の地の宗像神社と人々の精神や暮らしぶりを眺めてみたい。

http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

わーい!
さくら 投稿日:2002年3月22日<金>23時25分
ピンクのトカゲさん
またまた、おいしそうな.....

鯵の南蛮漬けもおいしいけれど、
  うふふ、マグロもおいしそう!

今日はこれを肴にしましょうか?!

遊観さん・佐久之宮さん・のりちゃんのHPリンクしました。
  よろしくおねがいしまーす!サクラs(*^-^)ノ☆ 
   あはは、もう自分でできるもんね!リンクだけは.... 

トカゲのクッキング
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月22日<金>22時24分
女将
鮪の切りだし生姜醤油に漬けてきたから
フライバン借りるぞ
あかねチャン、のりチャン
メモいいか?
フライパンに油をあけて
生姜醤油に漬けた鮪の切りだし
溶き卵につけて
片栗粉まぶして
竜田揚げにします。
このままでも肴になりますが
南蛮漬にしても美味しいよ!
酢は煮切ること

ワンポイント
酢や醤油
買ってきたら瓶(ペットボトル)にダシ昆布入れておいて
二週間ぐらいして使う。
朝の海苔につける醤油も美味しいぞ
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

春の嵐
さくら 投稿日:2002年3月21日<木>21時35分
あかねさん、ありがとう!
  がんばって、UPしますね....3月4月の徒然
丹生神社や播州の金物史...百済の王子恵なんてちょっと魅力的。
ますます、興味が募るあかねワールド!
    サメしながらも、お散歩いかれましたか♪
東京は春嵐...
   満開の桜にゴーゴーとするような風が吹き
   歩くのに立ち止まり、飛ばされそうになりながら
   お墓参りに行ってきました。
   それでも、桜は霞のように春爛漫を感じさせてくれましたよ!
   あはは、佐久之宮さん
   楽しいお花見がしたいですね....風がない日に!
   しっとりと桜の中をさまようもの魅力的だけど...
   山々を眺めて、そこここに桜木が霞のようにうかんでいる風景に
   そばに行けば、小さな祠と滝があったら素敵だなぁなんて思ってしまう。 

今日は蓮のはさみ揚げ....蓮根の穴に肉を詰めてよし、挟んでもよし
  たっぷりの大根おろしで召し上がれ...
   山芋も千六本に切りました。海苔とわさび添えて...どうぞ

特別純米酒  「越の匠」
  
  感 想:きりっとしています。
      あ、このお酒の説明、「特別純米酒」の横に、「麒麟」
      って書いてありますね。
      だから、「きりっ」??
      いやいや・・・。冗談冗談。
      わはは。
      しかし、辛口です。ほとんど舌に何も残りません。
      ほろっと酔えるお酒ですね。byのりちゃん

あかね 投稿日:2002年3月21日<木>13時27分
大阪も桜の身頃。自宅近くの桜並木は、3ぶ咲きになったので昨日、お散歩して
きました。気持ちよかったよー。でも今は雨が降ってます。桜、まだ散らないでね
開花がこうも早いと、吉野の奥千本も、今年は4月末までもつのかなぁ。

サクラさん
徒然コーナーへ、遊観さんの伊都許利周辺と、トカゲさんの3分間クッキングを
UP予定とは、楽しい考えです。賛成〜〜(^^)v いい考えだと思いまする。
まとめて読めて嬉しいぞヽ(^。^)ノ。

自己満足の世界でm(__)m
あかね 投稿日:2002年3月21日<木>12時42分
おお〜、ほんのしばらく遊びに来なかった間に益々、面白い話題が続々とぉ〜!
こりゃぁ、見逃せないなぁ(^^)v

クミコさん
あはは。超方向音痴加減が、はっきりとバレちゃいましたね(^^ゞ
東吉野の中社・蟻道と勘違いして、失礼しましたm(__)m
おまけに奥吉野と県境辺りが、頭の中で混ざり合ってる…(T_T)。恥ずかしー!
そのうちに是非、ご一緒させて下さいね!

そうです。山田町坂本の丹生神社は、丹生社では一番、行きたいお社です
なぜならご存知の通り、丹生越すると播州三木市で、三木金物史は5C、坂本の
丹生神社がある丹生山へ、百済の王子恵が鍛冶を連れて来て、多可郡〜三木市に
いた大和鍛冶と技術交流したことが始まりですもん。大和鍛冶起源地と関り深い
お山なのです。さすがクミコさん、分って下さってて嬉しいな!
そんで6C、鈞明3年に百済王子・童男行者(印度人と云われる法道仙人の父だとも
彼自身だとも…)が渡来して丹生山へ来たのも、先住の同族?がいたからかもね。

三木の御坂神社や志染三宅へも、淡河川〜加古川支流・志染川を下れば結構、
近いように感じます。逃げてきた二皇子が隠れたのも、丹生山近くの岩屋ですね。
播磨の鉄の道もわりに近いし、丹生山は支配上、大事な地点だったのでしょう。
んで丹生都姫は、この丹生山から紀州へ行ったのかもしれないと想像してます。
爾保都比売命が神功の船に塗った赤土って、やっぱりこの山の土かも〜!
この辺や特に加西市(主に賀毛郡)には赤土が多く、大和へ供出した奈良・平安期
の瓦窯跡も色々と点在してます。播磨鬼師も使うようです。

赤土(火山灰)と云えば酸化鉄を多く含む土ですが、赤土の中には石英等も混在
してる場合が多く、陶石、ろう石等も混ざってることがよくあるそうです。
質は良いのか解りませんが、丹生山の赤土も焼成して焼物に使ったのかも。
加工し易くて耐火性が高いため、土木・建築用石材に用いる、各種の凝灰岩
とかも、切り出してたことがあったのかなぁ。
神奈備さんの資料を拝見したら、丹生山には鉱山道が残るそうですね。
寺や貴族の建物瓦に用いた赤土を取ったなら、抉り取った後が残るわけで、
地形が変形してたりするのかな。行って見ても私には解らないだろうなぁ。

因みに、この辺の有馬層群には、微量の金・銀を伴う黄銅鉱・石英脈等が存在し、
丹生山の東隣・帝釈山にあった帝釈鉱山(丹生山よりも赤土が多いそうですね)
では、鉱石鉱物として黄銅鉱・黄鉄鉱・閃亜鉛鉱・斑銅鉱・方鉛鉱が出ており、
脈石鉱物としては石英も存在したので、ろう石も少しなら出ていたかも、です。
不純物として水酸化鉄や硫化鉄もまれに含まれていたかも。よく解らないけど…
鉱山名としては、銅山となるのでしょう。
あ、多田銅・銀山も有馬層群なんで、存在する鉱物がちょっと似てます。

お花見?
佐久之宮 投稿日:2002年3月21日<木>11時11分
皆さんの地方は桜が開花しましたか?。
当地は毎年4月下旬〜5月にかけてソメイヨシノが開花しますよ。

●落語の「長屋の花見」みたいな陽気な花見がいいかな???

http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

花見酒
さくら 投稿日:2002年3月20日<水>22時21分
満開のさくらですね。遊観さん
伊都許利の時代の人々も桜を見ていただろうな....

こんな宵は夜桜みながら花見酒がいいですね。
 
重箱に詰めてありますので、皆さんで召し上げってくださいませ。
 はい、サクラのおごりです。
  そうそう、その黄色いのが卵焼きです。
    えっ、バリバリ音がする?...まぁまぁ
  その白い半月がカマボコ
    あはは、それもポリポリ音がしますか?
  お酒の味がしませんって?
    あらら、はい、番茶の水割りですから....

貧乏長屋の花見はそれでも楽しく続きます。
熊さん、八ちゃんならぬ皆さんもたまにはいかがでしょうか? 
沢庵の卵焼きと大根のこうこのカマボコで....

むかーし、むかし、
スキーに行った民宿の雪見酒...
夜中になってしまって、つまみに残ったのはお漬物だけ...
やりました!
   この卵焼きおいしいね!
       うん、このカマボコもいい味だなぁ!
  お酒だけはほんものでしたけど....
貧乏学生の長屋の花見酒ならぬ、雪見酒の思い出です。
そして、妙においしいお酒でした。サクラs(*^-^)ノ☆ 

伊都許利や古代に生きた人々も
   花見や祭りには、心豊かな時間を持ったのでしょうか...
      どんな生活なのか興味しんしん。 

伊都許利の時代の人々の状況
江部遊観 投稿日:2002年3月20日<水>21時36分
アザマロの時代は8世紀後半である。その時代、ヤマト政権は吉備の大勢力を倒し、さらに天武に至って古志の国を三分割してその力を削ぎ、北九州から南東北までに至る強力な中央集権構造を構築していた。だがイツコリの時代はそれよりも300年も前だが、ここ下総の地は既にヤマト政権の専制に屈していた。今回は当地の民衆について考えてみたい。歴史を学ぶ上で政治や権力について知ることは重要だが、その時代における我々民衆の暮らしぶりや、心の置き所がどういったものであったかを知ることなしには、片手落ちとなってしまう。
 人々と国家の関係は670年に作られたという庚牛年籍、そして702年の大宝律令施行前までは、弥生・古墳時代からそうかわりがなかった。
半月状の広場を囲むようにして一辺が4、5メートルの竪穴式住居が4、5戸ひとかたまりとなり、そこで人々は生活を営んでいた。律令施行後は一里50戸という行政区画が定められたが、伊都許利の当時は自然村落、つまり川や山など地形に即した村が形成されていたようだ。偶然にも奈良の正倉院に下総国葛飾郡大島郷の租税台帳のもととなった計帳が残っており、その戸籍から当時の家族構成などが推定されている。当時の下総は山背や越前などと比べると、奴婢はあまり所有しておらず、非血縁の寄口(きこうと読む。律令制下、自由民の没落した者などで、個人または家族ぐるみ寄住者として他戸の戸籍に編入された者)の比率も少ないことがわかる。また、国家が民衆を把握する上で、都合のよい一夫一婦制もこの時点では強制されることもなく、妻問婚が主流であり、財産もあるいは長女に引き継がれていたかもしれない。実際に江戸時代以前までは女性が財産を相続している例が沢山あった。女性の長者(現代換算で数千億の財産保有者)や分限者(同数百億)も存在していた。男尊女卑につながる家父長制度がきっちりとするようになったのは、武士階級は別だが一般には江戸時代くらいからだろう。
 印旛地方は江戸時代に新田開発が大規模に行われたが、五世紀の当時からこの地では細々とだろうが米穀の生産も行われていた。もちろん米以外の穀物、麦・粟・黍(キビ)または稗・豆などはさかんに栽培されていたに違いない。
では、人々は当時地形に即した数十戸からなる竪穴式住居が一つの単位となった自然村落で、どのように生き、何を考えていたのだろう。サクラさんが紹介してくれた十社の宗像神社、また二四社の麻賀多神社、さらに疱瘡神の碑や、鎌倉時代の板碑・・・明治以前のこの地は・・・この列島のほとんどがそうであったように・・・現代に比べると宗教的記念物があふれかえっていた。
次回は伊都許利の時代の人々の生活ぶりや精神構造にもう少し近づいてみたい。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

姫たちに...
さくら 投稿日:2002年3月20日<水>00時35分
伊都許利も見たと思われる印旛沼
そこには沢山の宗像神社があると遊観さんが書かれていましたが

古くから印旛村には、村内に10社の宗像神社があり
各神社とも本殿の彫刻は素晴らしいと印旛村HPに紹介されていました。

<印旛村の宗像神社>
     1)山田宗像神社   山田字宮前
     2)平賀宗像神社   平賀字宮前
     3)吉高宗像神社   吉高字宮作
     4)瀬戸宗像神社   瀬戸字宮作
     5)師戸宗像神社   師戸字天の宮
     6)造谷宗像神社   造谷字大正寺
     7)岩戸宗像神社   岩戸字宮坂
     8)鎌苅宗像神社   鎌苅字老作
     9)大廻宗像神社   大廻字西田
     10)吉田宗像神社   吉田字宮の越

とあります。宗像はもちろん三女神の神ですが、
この印旛沼には、こんな姫伝説も残されています。

松蟲姫の話です。

松蟲姫は、聖武天皇の第三の皇女(あるいは宮女とも言い伝える)で
癩を病んでここに棄てられたとも、地の薬師如来を頼りに下ってきた
とも言われてるんだと。
姫は、たよりの薬師堂のかたわらに草庵を結んですまわったとさ。
乳母や従者たちも、近くに小屋をかけて、姫さま守りながら、
都で習い覚えた機織りや裁縫、養蚕などを村人に伝えては生活の糧としたそうな。
随分とたって、薬師如来のご加護で病も癒えて都に帰ったそうな。
その後、姫は異母兄の塩焼王の妃となったそうじゃが、
皇位継承にからむ藤原一族の政争にまきこまれてしもうて、
二度にわたって流刑の悲運に見舞われなたそうな。、
数奇な生涯の姫さんだったっけ、
御骨が分骨されたて帰ってきたのが松蟲寺じゃと。
松蟲寺の本堂の裏手の墳が姫さまじゃといわれておって、
表面の文字も崩れた一基の石碑が枯葉に埋もれて立ってるそうな。
裏側には宝亀二年二月十二日(771年)と刻まれておるんじゃとさ。
                           印旛村HPより

宗像神社みていたら、こんな伝承にあたりました。
   姫のすがった薬師如来も気になったところです。

のりちゃん。
やるやる、キャベツバリエーション
あと、鮭寿司ってよく作りませんか?
 酢飯を作って焼き鮭ほぐして(もちろんフレークでもレンジでチンでもOK)
  白胡麻ときゅうりの千切りか大葉の千切り混ぜるだけ
   紅しょうがと刻み海苔散らしてはい出来上がり。なんて
                  サクラs(*^-^)ノ☆ 

わくわく
のりちゃん 投稿日:2002年3月20日<水>00時16分
なるほど。
造る過程を見せないってのは大事なことかもしれませんね(^^ゞ
三つ葉、茗荷、紫蘇なんかは、どうして、ちょっぴり入れるだけであんなに味を変
えるんでしょうね。
私がよくやるのは、キャベツの千切りのバリエーション。
少し蒸して、胡椒で味付するだけ、とか。
少しゆがいて、醤油味とか。
結構、簡単ながらも、「お、なんかおいしい」と思ってもらえるみたい(^O^)
もっと教えてくださ〜〜〜い。

ありがとう
さくら 投稿日:2002年3月19日<火>22時11分
ピンクのトカゲさん
貴重なアドバイスありがとうございます。
あはは、調理場の中見えないようにしとかなきゃ!

まだまだ、朝晩は冷え込みますから、本当に
皆さん風邪には気をつけてくださいね。
トカゲさんのカクテルの材料は常備しときますから....

marちゃん
うんうん、いつでも待ってるから飲みにきて!
あはは、熊野の風持ってきてくれたらうれしいなぁ...

今日は啓示がありました
肴はアブラゲをカリカリに焼いて春野菜のサラダに
のせて見ました。
それから、いかのお刺身と姿焼き!(あは!)
はいお酒は

「丹波のしずく」

のりちゃん曰く
 米がいいんですかねぇ?
 基本的に常温のお酒が好きな私が
 冷やして飲んだからでしょうか?
  すごくすっきり。
  後でくるじ〜〜〜んとする甘さ。
  「しずく」ってつくお酒は、後でじ〜〜〜んって
  くるのが多いような気がしますね。
      (お世話になります。のりちちゃんさま)

のりちゃん
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月19日<火>21時02分
日本酒好きののりちゃんにカクテルですか?
伝統的なリキュールは、修道院などで薬酒として造られていましたから
健康にはいいですよ!
こないだ言ったウィスキーに蜂蜜と薬草入ったドランヴィかアイリッシュミストが
風邪にはいいと思います。
クッキングシリーズまた書きますよ。
こないだの鮭と山菜の御飯
コツは、作っているとこ旦那様に見つからないこととキレイな器に盛ること
それと、三つ葉を忘れずに
結構手間かかってると思われるぞ
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

こんばんは
mar 投稿日:2002年3月18日<月>23時27分
佐久之宮さん、さくらさん、いらしてくださってありがとう。
結構ビビりつつ、嬉しいけど、恥ずかしい・・。
なんとも言えない気分です。いま。

今宵カウンターのすみで、屈折しつつ手酌で呑んでます。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mar-qch/

いらっしゃいませ
さくら 投稿日:2002年3月18日<月>22時15分
東京でもソメイヨシノが一分咲き、三分咲きと咲き出しました。
夜、春の嵐のような強い風に、桜の花びら持ち帰りました。

酒向さん
おひさしぶりです。桜の花びら浮べての冷酒飲んでみてくださいね。
そして、パソコンに遊ばれているかわいそうな私に愛の手を!
あはは、アドバイスお願いします!
会社にいろんなことを知っているおじ様がいます。
一家に一台○○さん!って頼りにしています。
そんな感じです。酒向さん。

でも、瀬織っちゃんってウズメチャンのようにはよう踊らんで...
 だけど、お酒はきっとすきだっちゃ!
   酔ったらやっぱり、踊るかも...夜桜の下...
     瀬織津姫にも乾杯です。闇の歴史照らしてくれるように!
     
marちゃん
とうとうできたのですね.HP(素敵な感じですね!)
うふふ、まぁちゃんファンが沢山いるから、
アヤシ楽しのHPになりそうですよね。
佐久之宮さん同様伺ったときには歓待してくださいませませ。
marちゃんのmarちゃんらしいHPに今夜は乾杯です!

のりちゃん
いらっしゃいませ!うれしいです。
おいしいお酒、紹介してもらってるのも、感謝!感謝です!
トカゲさんの3分間クッキングも一家に一台○○○さん!と
食事時には頼りになります。
トカゲさん、のりちゃんにも、インフルエンザ撃退カクテル
作ってあげてくださいますか?

今日はゆっくり呑んでいってくださいね。

今日のお酒は剣菱
今はメジャーになって味が落ちたとかいわれていますが
江戸時代には
   「剣菱を着た奴上の座に直り」
なんて、乞食の着る弧もまで、なかなか権威があったとのこと
そして、灘から江戸へ、揺られているうちに、味がまろやかになり
好評を博したとか....
そして、もっとおいしいのが富士山を見ながら帰る江戸帰りの富士見酒。
わざわざ富士山を見せて戻した酒は尚極上の灘の味だって。

私だったら地元の神社おなじ日数、弧も引いてお参りしたほうが、
よっぽどおいしくなると思うんだけどなぁ...

そうそう、今日の肴はは酒向さんご推薦『菜の花漬け』と『鰆の木の芽焼き』
ではどうでしょうか。

はじめまして
のりちゃん 投稿日:2002年3月18日<月>19時58分
一度は書き込みしたい・・・と思いつつ、インフルエンザで倒れちゃってて、なか
なか書き込みができませんでした。こんにちは。
トカゲさんが書いてくださってる、トマトの豆板醤焼。
風邪で食欲がない私にもそそられて、昨晩、さっそくやってみました。
トマトの甘ずっぱい汁と醤油の香ばしさがそそります!
もっと教えてくださ〜〜い。

よかったです。
佐久之宮 投稿日:2002年3月18日<月>19時15分
marさんのhp拝見しました。
マイナスイオンたっぷりって感じでい〜ですね。
仕事で疲れた時などまた訪問させてください^^
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

こんにちは〜
mar 投稿日:2002年3月18日<月>15時13分
hpできました。覗いてみてね。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mar-qch/

そろそろ花見の季節
酒向 道雄 投稿日:2002年3月18日<月>14時55分
お久し振りです。
そろそろ花見の季節ですね!! こちら岐阜の方でも桜の開花が例年より早くなりそうです。瀬織津姫も花見をするのでしょうか? 興に乗ってきたら瀬織津姫の踊りでも見られるのかな、それとも今のご時世カラオケになるのでしょうか? 何はともあれ確実に季節は巡ってくるのですね。
今日は、春に因んで「菜の花漬け」で一杯やりましょうか。
お酒は、冷でお願いします。
先日、パソコン教室の講師の契約が切れましたので、今日はゆっくりしていきましょう。でも、本音を言うと、あまりゆっくりもしていられないのです。4月からの仕事が無い。やばいんです。どこかにプログラミングの仕事落ちてないかな。
愚痴を言ってても始まらないんで、明日から営業に専念してみましょう。
もう一杯お願いします。

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年3月17日<日>21時25分
遊観さん、ピンクのトカゲさん
  本当に伊都許利面白いですよね。
遊観ワールドもトカゲワールド、あかねワールドともどもに楽しみにしています。

今日は暖かい日差しでしたね。
  思いっきり背伸びしてみたら、とっても気持ちよかったですよ。

今夜は鳥のささみの大葉巻き、鳥のささみの筋とって、一口にして、おしょうゆとしょうが汁で味付けして、好みで味醂、片栗粉であげてみました。
もちろん、のりを巻いてもおいしいよね....
   それから、ナスの煮びたしなんかはいかが? 

遊観さん
>覚めては見はにこの文なりき」の太占の検討に入りたいと思います。
  うん、遊観さんの思うように....♪
    何ヶ月、何年かかってもいいものやりましょうよ!伊都許利解明
     トカゲさんもすばらしい論考っておっしゃってます。
       同感ですから....



ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月17日<日>19時04分
遊観さん
イツコリ面白く拝読しています。
さて、2・3気になった点について
日本武尊は、記紀では、大和側の尖兵としてかかれていますが、これは、あくまでも付会
日本武尊が遠くエミシの地まで英雄としてかかれていること自体、日本武尊が大和側ではなく、エミシの英雄であったことを物語っています(詳細は、拙稿第一話拾遺八をさんしょうしてください。)。
それと、気になる点について、
検非遣使は、いわゆる令外の官です。
律令以降それも平安時代に設けられたものです。
枝葉末節なことですが、すばらしい論考
揚げ足取られないようにと思っての姥心です。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

伊都許利文書から考えさせられる歴史の視点
江部遊観 投稿日:2002年3月17日<日>15時03分
 記紀における天皇とその取り巻きたちの政治・経済・軍事力を見ていると、英雄や民衆に対する政治姿勢に気をとられ、当時の民衆の状況を把握することを忘れてしまうことがある。ヤマトタケルの東漸、新しい文物の移入、天皇の善政・・・記紀は明らかに強大な武力を持って、この列島に遅れて移住してきた後発組の手になるものだ。
彼等は天皇の名のもとに「東の伏はぬ人共を言向け和平しに」・・・・・・黒坂命や建借間命が、土蜘蛛や国巣をまるで汚い動物を駆逐するように残虐極まりない方法で殺している。景行天皇条にはヤマトタケルの言葉として先住民を次のように記している。「かの東夷は、識性暴強、凌犯を宗となす。・・・ならびに相盗略す。・・・男女交居て、父子の別無し。・・・恩を受けては忘れ、怨を見ては必ず報ゆ。」
ヤマトタケルは九州では女装してクモソタケルを刺し殺すし、この列島の方々で破廉恥な軍事行動を起こした人物である。
 また、奴隷は魏志倭人伝では生口と呼ばれているが、古墳時代も当然奴隷制度の社会であった。そして律令の時代に入るや、奴隷は二度と奴隷身分から抜け出られない家畜的階層と規定されるようになった。国の財産としての公奴婢(くぬひ)、民間の所有する私奴婢(しぬひ)に分けられ、たとえ折檻等で殺しても口頭で検非違使に伝えるだけでよかった。その奴隷の大部分は蝦夷と土蜘蛛、国巣、佐伯と呼ばれる人々だっただろう。
われわれの殆ど大部分がそうした民衆出身だと言うのに・・・一般に歴史を見るに、こうした民衆の歴史的背景をなおざりにして、支配者や英雄に目が行きがちになる。
当時の奴婢や強制移住の対象となった人々、また防人にかり出された人々の胸中を推し量らねばならない。そうしたことが歴史に興味を持つ、市井にあるわれわれの仕事ではないだろうか。

 アフガニスタンのムジャヒディンがソ連軍をなぜ撤退に追い込むことができたのか。そして、今度はなぜタリバンがあっけなくアメリカにやられてしまったのか。答えは簡単である。当時はアメリカが後ろ盾となっており、CIAの軍事顧問派遣やスティンガー・ミサイルなど近代兵器を含む大量の武器を供与していたからである。タリバンには後ろ盾となる大国がついていなかったからである。
テレビや新聞・雑誌だけでこうした軍事的、経済的な面だけを見ていた我々は、アフガニスタンがタリバンの敗北で沈静化されるまで、難民たちの悲惨さには目が行かなかった。
歴史を見る際に、同様な誤りを我々は犯すことがある。
伊治公砦麻呂(コレハリノキミアザマロ)は、いったんアメリカの、いやヤマト朝廷の軍事力を利用して、蝦夷たちの中でいったん優位に立ったのだが、思い直してヤマト朝廷に反旗を翻している。だが、下総のこの地印旛では里の長は、ヤマト朝廷の圧倒的な軍事力の前に立ち上がる状況は閉ざされて久しかった。勿論アザマロのような勇気は、祖父の代に既に消失していた。ただただ新任の国造、伊都許利に仕えることだけで精一杯となっていた。

 伊都許利文書のたった二行のシチュエイションのために大分紙面を費やしてしまった。こうなっては、弥生時代からさらに遡って縄文時代も視野にいれなければならなくなってしまいそうだ。というわけで、次回は古墳時代の歴史的背景をいったん終了させ、一気に「一夜夢のごとくして文書きたりき、覚めては見はにこの文なりき」の太占の検討に入りたいと思います。サクラさんどうでしょか?

http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

ここでちょっと瀬織津姫情報!
さくら 投稿日:2002年3月17日<日>09時16分

おはようございます!
遊観さん、伊治公砦麻呂の乱が多賀城まで炎上させた....
   何十年にも及ぶ蝦夷の抵抗の中、伊都許利は下総にきたのですね。
    宗像神社の分布もおもしろそうで、またまた地図帳見てみなくっちゃ♪

ところで、トカゲさんが瀬織津姫情報をかいてらしたので
ここにもUPお願いしました。ありがとうございます。

春....ですね!

桜の名所に”弁天伝説” 投稿者:ピンクのトカゲ  投稿日: 3月16日(土)20時24分24秒

今日の中日新聞の三河版(23面)に連載されている「あいちの散歩道」のタイトルは「桜の名所に”弁天伝説”」でした。
記者(生田貴士氏)に意識があったか否かは、知りませんが、この掲示板でも何度か取り上げた『桜とセオリツヒメ』関連の話です。
同記事を要約引用しながら『桜とセオリツヒメ』を考えてみます。

豊田市北部の平戸橋一帯は、巨岩、奇岩を縫って流れる渓谷。桜の名所として知られる。
平戸橋町の越戸公園から平戸橋を目指し上流へ。橋は目の前。たもとに大きな岩盤の露出がある。表面には白い線のような模様が一本。「雨続きの日、弁天様が上流から流され、川波で岩に打ち上げられた」という。『波岩(はいわ)の弁天さん』伝説の岩盤だ。
白い線は、ぬれた帯を引きずった跡だそうな。近くには、その弁天さんをまつったという胸形(むなかた)神社。・・・・

平戸橋は、矢作川の中流に架かります。同じように豊川中流の新城の桜淵も桜の名勝であり、笠岩(→瘡岩)や蜂の巣岩の奇岩がある。そして、桜淵の上流に架かる橋は、弁天橋。傍らに弁天堂が祀られている。
縄文の水の女神・セオリツヒメは、しばしば弁天様として祀られていることは、一月二二日に「弁天様と瀬織津姫」(過去ログ201〜300参照)で書きました。
また、平戸橋付近に鎮座する胸形神社は、宗像三女神を祭神とし、その中の市杵島姫は、神仏習合により弁財天とされ、セオリツヒメの祖神の一つとされます。
一方、桜は鎮魂の樹。一二月二五日の「持統行幸と桜と瀬織津姫」(過去ログ201〜300)を参照してください。
今朝の中日新聞の記事、桜とセオリツヒメのタダならぬ関係を証明するものです。

伊都許利命の着任
江部遊観 投稿日:2002年3月16日<土>23時45分
伊治公砦麻呂(コレハリノキミアザマロ)は時代が下って、宝亀九年AD778年の人物である。ヤマト朝廷はこの頃までも、北東北にて蝦夷の勢力を完全に削ぐには至っていなかった。政治力と軍事力を巧みに使い、蝦夷同士をうまく戦わせその間隙をついて支配下に収めていた時期だ。また蝦夷の側は鉄製品を、ヤマトの側は北方の昆布や動物の毛皮等を求めていたことから、お互い貿易の相手としての関係もあった。しかし、ヤマト側の策略もあるだろうが、蝦夷の族長たちはまとまってヤマト側と交渉することができなかった。蝦夷はまとまりがなく、それぞれの部族ごとが独立していた。これはちょうどアフガニスタンにおいて、アメリカが北部同盟を味方に付け、タリバン勢力を攻めた構図にそっくりである。
 そんな8世紀の政治情勢の中、伊治公砦麻呂の姓(カバネ)と外従五位下という位は、ヤマト朝廷から与えられたものである。では、なぜこのような国司クラスのものを与えられたかというと、実は対蝦夷戦での功績がもとになっている。
 蝦夷のアザマロが蝦夷を相手にして戦った功績?・・・なんだ、これ、仲間を・・・その通り、この構図は大国中国を相手になんとかお墨付きをもらおうと、やっきになって仲間同士戦う周辺諸国と同じだ。もし、紀元前の匈奴や月氏の騎馬民族が、一致団結していたら、中国が元になるずっと前から騎馬民族は中国に入っていただろう。歴史は繰り返すどころか、そのパターンはいつも同じだ。
しかし、ヤマト朝廷から姓と位を手に入れ、すっかりヤマト側の豪族となったアザマロの胸中は誰も知らなかった。突然いくつかの重要なヤマト側の柵(城)を撃滅し、坂上田村麻呂との大規模な戦闘にまで持ち込んだのである。
・・・と続日本紀は伝えている。
 伊都許利文書に登場する里の長を考える上で、アザマロという人物とその行動は大いに参考になると思う。つまり当地の5世紀は、北方の8世紀の頃のような状況だったのではないだろうか。まず、伊都許利は海上からこの地に到着した。それも一隻や二隻の船ではなく、相当数の船団だったと思う。この時、伊都許利は入植者を引き連れていた可能性がある。そして入植者の出身地は・・・・・宗像だ。そのために宗像神社が沢山分布するのだ。このパターンも実は江戸時代にある。幕府の命令で仕方なしに故郷を離れ、入植者として、遠く離れた新田開発地に強制移住させられた人々が、お金を出し合って故郷にあった神社を建てている。古墳時代も同様であった。ヤマト朝廷が敵対勢力である蝦夷や地方豪族を滅ぼした後、そこへ開発を前提とした農民の強制移住を行っていた。イスラエル建国とパレスチナ問題にも酷似している。イスラエルがパレスチナの地を奪った後、そこへ沢山の入植者を配したがそれと同じ構図である。
 伊都許利は里の長を呼びつけた・・・・。呼びつけられた長の祖父は、これまでのヤマト朝廷とこの列島の豪族たちが、その同盟のシンボルとして造営していた前方後円墳に葬られているかもしれない。本来、里の長は祖父と同様、このクニの首長となるべきだったのだが、ヤマト朝廷内の勢力図がこれまでとがらりと変わってしまってからは、つまり紀元前からこの列島に渡って住んでいた半島からの移住者たちは、とてつもなく強大な武力を持つ新たな専政権力に跪くより仕方がなかった。
 伊都許利着任は、つまり建借間命(タケカシマ・カシマ・鹿島・物部)の軍事力でこの地を平定し、伊都許利の経営力で富を・・・というヤマト朝廷のこの列島における戦略の一環とみてよいのではないだろうか。

http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

トカゲさん
さくら 投稿日:2002年3月16日<土>22時04分
あはは、ダイエットメニューもあるんだぁ〜!
   安心して呑んじゃおう!
    ってダイエットにならないじゃん♪

3月はさくらの徒然は遊観さんの伊都許利の周辺をUP予定です。
4月はトカゲさんの3分間クッキング特集にしようかな?
あかねさん、いい考えと思わない?  

出雲大社東京分祠
さくら 投稿日:2002年3月16日<土>21時54分

佐久之宮さん、
そうですか、鹿食免の版木だけが残っているのですね。
獣の肉を食べるのが当たり前になってからは必要性がなく
なったのだから当たり前といえば当たり前かも....

あはは、ダイエット札とかだったら私も授与されたいかも...
何しろ、お客様がおいしいお料理教えてくれるので、
ついつい、食べちゃうんですよs(*^-^)ノ☆ 

今日、六本木にある出雲大社東京分祠に行ってきました。
高速の下のビル街に降り立って、アマンド・明治屋を
通り過ぎて、マクドナルドの角を折れると、3階建ての
立派な建物が目に入ります。
拝殿は3階で静かなたたずまいのビル。
さすがに出雲の神様の貫禄で堂々として見えましたよ。
3階まで上がると別世界。

お参りを4拍手ですますと、右手に祓社がありましたので、
瀬織津姫にもご挨拶。
社務所の中の方と目が会って、お話伺うことができました。
拝殿にまで上げてもらって出雲大社の由緒略記までいただいてきました。

出雲大社の御祭神は大国主命
縁結びの神様ですね。(詳しくは佐久之宮さんにおまかせ!)
それで、ここの皆様といい縁、結べるようにお願いして、
とってもいい時間がすごせました。
佐久之宮さん、ありがとうございます。

今日はそんなわけで、結び昆布を煮てみましたよ。
   それから,鯛のこぶ締めなんかいかが?
     ん、なんかめでたい気分!

トカゲのクッキングシリーズ
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月16日<土>21時48分
おっ、女将
トマトがあるネェ
佐久さん持ってきた長野トマトだ!!
生で食べても美味しいけど、
ちょっと手を加えて酒の肴に
フライパン貸してくれる?
フライパン熱して油引いて
豆板醤を1匙
そして、トマトスライス
醤油をかけて
トマトの豆板醤焼です。
焼きすぎないようにね!
あかねさんメモした?
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

鹿食免
佐久之宮 投稿日:2002年3月16日<土>18時02分
諏訪大社の「鹿食免」御札や箸は現存してないそうですよ。 
でも版木は残っているので当時の様子がわかるそうです。

★今の時代なら太らない「ダイエット札」とか授与したらいいかも???。

でも太っているお相撲さんと諏訪大社は関係が深いですよ。
懸賞金を受ける時の「手刀」を切る時は心中で「鹿島、香取、諏訪」って
となえるそうですよ。
●今場所の優勝はいかに!。
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

吉兆占いしてみますか?
さくら 投稿日:2002年3月16日<土>00時58分
吉兆占い
百姓たちは、その一年をマメに働けるかどうかを、小鳥や動物の動きで占った。
春浅い竹薮でうぐいすの声初めて聞いたとき、右耳の方向から伝われば、その一年は、病気もせず働けて縁起がいいという。
春が深まり、日差しがまぶしくなるころ、庭先や行く道を蜥蜴や蛇がチョロチョロと横切るのを目にとめる。
このときも、春一番に見かけたものが蜥蜴だと、一年間マメに働けるが、初めに出会ったのが蛇だであると、蛇のようにノラリクラリとした一年間を過ごすことになるそうだ。
『今年は、うぐいすの初鳴きを右の耳で聞いたから、きっといいことがあるにちげいねえ」と嬉嬉とした挨拶を交わすものがいれば、
『わしゃぁ、蜥蜴みねぇうちに蛇を見ちまった。今年はどうもついてなげだ」と、しょげきって対応するものがあったと書くのは、「被差別部落の世間話。武州児玉の聞き書」


わぁ、もうすぐ春だもの。
 右耳で鶯鳴くのが聞けたらいいね♪
  それから、冬眠からさめた蜥蜴さんは...  
     ここで見れるかな?
       そこの道で見れるかな?              

今夜はの肴はぶり大根と串揚げ....たまねぎ・しいたけ・お肉に魚お好みで....

お酒は越の初梅

     「そよ風に揺れて」って言うんです。
      私は、そよ風より台風の方が好きですが・・・。
      とにかくそれくらいふ〜んわりとしています。
      たくさん飲むのがもったいない、ちょっとずつ、ちょっと
      ずつ飲んでみたいお酒です。   by.のりちゃん

それにしても、蜥蜴さんが武州で昔から有名だったとは知らんかったです(^^)

こんな時間に...
さくら 投稿日:2002年3月15日<金>04時49分
はーい、クミコさんのお土産話楽しみに....
 それにしても、なんだか、こんな時間はお腹がすきますね。
    あはは!もう朝でした.....

今日の肴はぶり大根と串揚げ....たまねぎ・しいたけ・お肉に魚お好みで
   とこれは今夜にとっておいて、
     厚焼き玉子にのり添えてアジの開きの定番朝ごはんはいかがでしょうか
      うーん、あさからおそばもおいしそう。

そうです!健全な食欲は健全な精神につながります!  
   あは!この時間って健全なんだろうか....??       
                    

いい旅になりますように!
さくら 投稿日:2002年3月14日<木>06時25分
クミコさん、
カナダですか!それはいいなぁ....
 子供のころ『赤毛のアン』大好きでシリーズ全部読んで、大きくなったら
   絶対に行きたいと思っていた憧れの国です。
    あはは!大きくなったのだけどいまだに夢のままなんですが....

東京に帰りはよられるとか...
  会えたらいいのにね!いっぱい話ができたらいいのにね!
    一緒に飲みたいね!

いいことがいっぱいあって、楽しいことがたくさんあって
  おいしいものに出会える旅になりますように!

無事に帰ってこれるのかなぁ
クミコ 投稿日:2002年3月14日<木>03時11分
あかねさん
私が行った丹生神社は神戸市北区山田の丹生神社ですよ。
私は方向感覚とっても良いのでいつかご一緒いたしましょう!

さくらさん
蒼い海ではなくて寒い国、カナダです。
せっかく日本に春が来たというのに寒さに逆戻りです。
友人がいるんで理由もなくもなく行くことになりました。
禊ぎかなぁ?
帰りは成田経由で東京にも寄ろうと思っています。

こんばんわ
さくら 投稿日:2002年3月13日<水>23時07分
佐久之宮さん、やっぱり野蒜だったのかな?
  昼神の地名....あはは、ニンニクよりは噛みやすそうだもの。

わぁ、ピンクのトカゲさんも赤味噌つけて食べられるんですか!

武蔵の多摩川の川原に行くと、春にはのびぃるや野生のセリ
や土筆なんかが顔を出していて、川面を見ながら摘んだ日を
思い出してしまいます。

うーん、思い出がなぜか皆食べ物につながってる〜
あはは、食いしん坊のさくらです。

佐久之宮さん
諏訪の上社の神様は、昔から鹿肉大量に備える祭りが
いくつかあったので神仏習合期に狩猟合法の理論化のため
に作った鹿食免(かじきめん)御札や鹿食箸を諏訪の神人
,御師の人々が諏訪上社の発行で売っていたとか...

今でもあるのかな?鹿食免(かじきめん)御札や鹿食箸。

今夜は
再び鹿のお刺身、赤味噌つけて焼いてもおいしそう...
  野沢菜のお漬物一緒にどうぞ!あとでお茶漬けもおいしいですよ!

のびぃる
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月13日<水>21時03分
東三河では野蒜も赤味噌つけて食べます。
で、のびるじゃなくて、のびぃるっていいます。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

野蒜はスゴイ?
佐久之宮 投稿日:2002年3月13日<水>20時41分
野蒜ですか?。
佐久地方ではネビロとかネンビロって言いますよ。

また信州には昼神と言う地名があります。 
ヤマトタケルが悪魔に襲われ、蒜を噛んでその汁を悪魔に吐きかけて退治した場所と言われてます。 (蒜噛=ひるかみ)

★野蒜はニンニクみたいでパワーがありそうですよね〜
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

ラインとスタッフ
さくら 投稿日:2002年3月13日<水>00時11分
遊観さん

>「里の長」であるが、これは畿内のヤマト族がこの列島をゆるやかな
>同盟的支配から、さらにその支配力を強めていた時期であることを考え合わ
>せると、国司と里の長のシチュエイションは、方や畿内から派遣された高官
>であり、方や帰順したエミシの族長であると見てよいだろう。

以前にトカゲさんは
律令制ができたころから水稲耕作地の拡大のため、
夷地という原野の開墾に大和の灌漑施設の造営をした技術者が用いられ、
その総督として、征夷大将軍が任ぜられ大和朝廷の蝦夷地進出がはじまる
とされていました

模灌漑施設の企画者(後の豪族)及び実際に灌漑施設を施工した技
術者は、スタッフということになる。
稲作従事者は、ラインであり、大規模灌漑施設の企画者(後の豪族)
及び実際に灌漑施設を施工した技術者は、スタッフということになる。

とすると、伊都許利はスタッフとして東国に派遣され、里の長がラインを
受け持ったのでしょうか?
それとも、スタッフの一員として灌漑施設つくりに駆り出されたのでしょうか?
里の長は水稲栽培に必要な灌漑施設というインフラが整備された後、
この技術者達たちを引き連れて、巨大古墳の造営に余剰技術者の使用用途ととして
使われたのでしょうか?

では、ラインはどこにあり、どこから来たのでしょう.....
スタッフがラインとなったのか余剰技術者として,まったく別の生き方を
して行ったのか...何かいろんな考えが浮かんできてわくわくします。

遊観さん、左口さん、そしてトカゲさん
 お話の中に答えが見つかりそうで、毎回楽しみに読んでいます。
   うん、連載読む楽しさです。ありがとうございます。(^^)

gotisousamadesita
さくら 投稿日:2002年3月12日<火>22時38分
ごちそうさまでした!

わーい!ピンクのトカゲさん
鮪の照り焼きトカゲスペシャルおいしくいただきました!
  ごちそうさま♪満足!満足!

鮪の漬け丼作ったりして食べますけど、
それとは、また違ってみりんの照りがほっかりと...
それに、バナナなんて思ったのが、なんて上品な甘さを
添えてくれるんでしょうか!?
うーん、知らなかったおいしさでした。

あかねさん、
あは、忙しい仕事のさなかでも、3分間クッキングで
太っちゃうかもよ!
クミコさんは今ごろは、心が一足早く飛んでってませんか?
ほら、遠足待ってる子供のように....

今日は新筍が入ったので、姫皮までおいしそう...
  新筍はしっかりそのまま、鰹節とおしょうゆだけで
    炊いてみました。

あかねさん
野蒜も味噌いためやそのままで味噌つけて食べたりしますよね。
佐久之宮さんや遊観さんや左口さんも食べられますか?

トカゲの三分間クッキング
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月12日<火>18時47分
ガラガラ
女将
今日も調理場かりるね!
あかねさんメモの用意いい?
今日は、鮪の刺身にした残りの切り身を持ってきました。
あらかじめ、酒と砂糖に浸してあります。酒と砂糖は、身を柔らかくします。
さてと、ビニール袋から持ってきた切り身を出して
鍋に漬け汁さらあけて、醤油をちょっとと、刻み生姜
煮立ったら、火を止めて
鉄器で焼きます。焼くときには、本味醂を塗って
こうすることにより表面だけ身が締まります。
この歯ごたえがいいんです。味醂風調味料だと照りが出るだけで、こうはなりません。
逆に白身を煮るときは、本味醂のみに水を足して、そうすると、煮崩れしません。それから、醤油等で味を調整します。
甘味押さえておいて、バナナの輪切りを鉄器に乗せて、ほんのり焦げ目がついたとこで、鮪の照り焼きの上に乗せるなんて言う裏技(鮪の照り焼きトカゲスペシャル)も、お試しあれ!!
遊観さんの分も作っといたからね!トカゲスペシャルで
日本酒の冷でも呑みながら、遊観さん話ましょうや
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

キトビロ
あかね 投稿日:2002年3月12日<火>14時11分
書き忘れです。さくらさん、行者大蒜ってキトビロ等や、二荒大蒜とも呼ばれた
のかぁ。知らなかった。あんがとさんです。
根子を食用にする野草の野蒜とも、関係あるかもしれないですね。
行者大蒜って、食べてから3日ぐらい?たっても、におうそうな。
美味しい上に、強壮剤にもなるなんて、いい山野草だぁ。
熊野の修験者や樵・そま、産鉄の民は、握り飯にイタドリのお漬物と、行者大蒜
を添えて山で動いたのかな。縄文人も知ってたかも。面白いですね。

春本番の陽気だね
あかね 投稿日:2002年3月12日<火>13時58分
大阪は今日もまた、お洗濯ものや、お布団干しにぴったりの陽気です。
こんな日は、花粉は怖いけど、気分はいいなぁ。

クミコさん
おお、行ってこられたのですね!お帰りなさい。良い旅でした?
丹生神社本社は残念でしたね。筋肉痛になっても、自分の足で歩くと、
色んなことが見えてきていいだろうなぁ。行きたいなぁ!
私は和歌山県は、残念ながら和歌山市と海南市にしか、行ったことがないの。
仕事だったんで、いっつもとんぼ帰り。つまんないです。
奈良の奥吉野も何度か行ってるものの、それも仕事だったので思うように動けず
見残した所が多いです。一度、ゆっくりと吉野・熊野辺りを散策したいなぁ。
日本脱出の楽しいご報告もまた、聞かせてちょ!ゆっくり楽しんできてね!

ピンクのトカゲさん
さっそくメモしときましたぁ(笑)。山菜の水煮や鮭の瓶詰めフレークは常備してる
ので是非、試してみますね。簡単で美味しそうだぁ(^^)v。さすが。
それにしても昆布茶って便利ですよね。簡単でいい味出るも〜ん。

遊観さん
私もカキコを楽しみにしてます。また是非、色々と教えて下さいね!

さくらさん
サメ目前でゆったりしてます(笑)。でもまだ笹森稲荷にも三嶋鴨へも行って
ないのだ。例によって高槻地図が行方不明なのだ。とほほ。仕舞い込みすぎて
迷子になってます(T_T)。地図がないと近場でも迷う超方向音痴が悲しいぞ…。
一緒に車で社巡りして下さる、のりちゃんの旦那さんっていいなぁ。

キトピロ
さくら 投稿日:2002年3月11日<月>23時18分
こんばんわ!

遊観さん、次回の正真正銘のエミシである伊治公砦麻呂(コレハリノキミアザマロ)、という人物から推理してみたい。
なんて楽しみなお言葉を♪ありがとうございます。

あかねさん、おひさ!
うーん、サメする前にここでのんびりご飯食べていってね。
あはは、そのうちの爆走も期待してますよん。

クミコさん、いくんだ!
    やったね!神も仏もいないとこ!
      わーい!蒼い海の土産話がたのしみでごじゃりまする。

八百万の神々も突き詰めていけば、
 ただ、蒼い海があり、満天の星があり...てことかもしれませんね。

ピンクのトカゲさん!
  はいはい、いつでも揃えてあります。山菜と鮭のフレーク。
    ほら、今日もあかねさんやクミコさんがお腹すいたって!
       楽しみが増えた。3分間クッキング(^^)

そういえば、ピトキロって知ってますか?
「祈?韮(きとびる)」由来(?)のアイヌ語から〕[名] 《植物》 ユリ科の多年草。
食用。シトビロ。ヒトビロ。

北海道を代表する山菜の王様。
北海道に於いてはアイヌ民族が「 プクサ」「キト」「キトピロ」と呼び常用していたとか。
すずらんに似た葉なのですが、草に強いニンニク臭があるのです。
この草を食べ、深山で修行する山岳信仰の行者たちが、荒行に耐える強壮薬とし、
古くは茖葱(かくそう)の漢字を当て「こびる」の和名で呼ばれていたらしいですが、日光で行者が食べたのでギョウジャニンニクとも江戸時代ころから呼ばれていたとか...二荒産(男体山)では山僧が食べるので二荒ニンニクとも呼んだようですよ。

キトピロはアイヌの人々が古くから滋養強壮の薬草として大事に伝えてきた食べものです。今でも、おひたしにしたり、卵でとじたり、もちろん餃子にも入れて食べたらほっぺたが落ちるといいます。

アイヌ語のキトピロってとってもいい名前だと思いませんか?
北海道の春を告げる山菜として有名な、キトピロもは今は北海道が有名ですが、
遊観さんがおっしゃるようなら、下総の地も今より寒かったのですから、
きっと自生していたに違いないですね。キトピロ。

大蒜が大陸からわたって大和とともにあったのならば、このピトキロは
アイヌ蝦夷とともにあって、力の源になったのかも?
あの、星神香々背男もキトピロかじってお酒を飲んで歌って踊ったのでしょうか?

今夜はもちろん、このキトピロ入り一口餃子。
    それから、北海道の氷頭なます(鮭の頭の軟骨と大根とにんじんの膾)

お酒はのりちゃんお勧めの「龍泉」いかがでしょうか?
  感想は ” ちょっとクセがきついです。
      でも、つまみは、ポテチから、刺身から、揚げだし豆腐。
      なんでも合います。
      食べるぞ、飲むぞ〜〜ってときに。”
            いいそうですからきっと合いますよ。

トカゲの三分間クッキング
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月11日<月>21時13分
女将
腹減った。
レンジでチンの御飯もってきたで
電子レンジ貸してくれる?
おっ!!山菜の水煮だ!!
これもらうよ。
御飯のパック破って
上にこの山菜の水煮、水きって乗せて
おっ!そこの鮭の瓶詰フレーク
これももらうよ。
山菜の水煮の上にこれものせて
昆布茶とダシのもとをちょっとかけて
酒をちょっと振って、ラップをかぶして
二分半
できあがったところをかき混ぜて
三つ葉の薬味を乗せて、できあがり
鮭の代わりにカニ缶も旨いぞ!
あかねさんメモしといた?
いただきま〜す。

遊観さん
面白くなってきましたよ!
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

もう春ですね。
クミコ 投稿日:2002年3月11日<月>17時39分
あかねさん、行ってきたんですけどね、
時間なくて、丹生神社の本社まではいけなかったんですよ。
道路沿いにある鳥居からはまだ一時間ぐらい歩かなきゃならなくてね、
ずるして山道車で登ってみたけれど、時間切れ。
やっぱり筋肉痛になっても自分の足で歩かなきゃね。ピンクのトカゲさん!

14日から日本脱出です。
今年は神も仏もいない所で遊ぶぞ!




外従五位下という地方豪族クラスの姓
江部遊観 投稿日:2002年3月11日<月>16時27分
下記の「正真正銘のエミシである伊治公砦麻呂(コレハリノキミアザマロ)」を
「下」従五位下としましたが、「外」従五位下の誤りです。「外」でないと、エミシの帰順者でなくなってしまう。
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

{
江部遊観 投稿日:2002年3月11日<月>15時56分
応神天皇二十年に、吾れこの國に到リて巡リ見るに、土いと悪しくして穀
 実るやと思ほいて、里の長を召して問はせ給うに、その上よリ、穀実らざリしを

 第1行から第2行は当時のどういう状況を表しているのだろうか。「吾れこの国に至りて」・・・一体「吾れ」とは誰か?また、何故この地を「土いと悪しくして」と推定したのか。また、吾れが「召して問はせ給うに」の「里の長」とはどんな人物なのか?
(これまで第2行のソノカミをその神としていたが、左口よりその上ではないかとの指摘があった。なるほど神ではなく上とすべきであるので、訂正する)

 「吾れ」はこの文書の最後に伊都許利と署名があること、また、文脈上太占に登場するワカコウラナカタツ命でもないので、やはり伊都許利であるとしていいだろう。しかし風土記の解文(げぶみ)のような体裁ならば、伊都許利ではなく書記官のような第三者であることも考えられる。風土記の書き手は形式上は国司となっているが、実際は律令の官人である藤原宇合や高橋虫麿が候補にあげられている。
とは言え、「吾れ」を伊都許利と読むのが妥当だろう。
「ここは土が悪いようだが、穀物が実るだろうか、どうだろうか?」とまず、伊都許利は思った。そこで里の長を呼んで尋ねたところ「この地の上は穀物は駄目です」と長が答えた・・・・ここはそういう文意であろう。
「この地の上は・・・」とあることは、この地はまだ穀物ができるということだ。この地の上は、つまり上総のことか。古代の印旛は常陸の信太郡に接している下総で、平野が開けていて湿潤である。なるほど上総は海に囲まれ、山地が多いのだから当然かもしれない。
時代は倭の五王の賛の頃だろう。となるとAD420から430年くらいのこととなる。気候は結構寒かった江戸時代と同じくらいか、あるいはそれより寒冷だっただろう。現在の上総地方は黒潮暖流のため温暖な地とされているが、当時の海流は房総より離れていただろうから、海風が冷たかったのかもしれない。つまり、「吾れ」がこの地を穀物が実らない所だろう、と推察した理由は「吾れ」が航路でこの地へ到着したからだろう。冷たい海からの推察、ということだ。
 さて、「里の長」であるが、これは畿内のヤマト族がこの列島をゆるやかな同盟的支配から、さらにその支配力を強めていた時期であることを考え合わせると、国司と里の長のシチュエイションは、方や畿内から派遣された高官であり、方や帰順したエミシの族長であると見てよいだろう。
 八世紀の東北でのヤマト朝廷とエミシの攻防は、坂上田村麻呂や阿弖流為(アテルイ)や(母礼)モレが登場する高名な歴史的事実だが、実はそのような状況が、ここ印旛にも当然あったはずだ。そして、伊都許利の時代は、その攻防がヤマト側の勝利に終わったその直後か、その余韻が残る頃だっただろう。
では、そのような時代状況がなぜ、里の長を帰順したエミシの長とする根拠になるのか?
それは紙面の都合上次回にゆずるが、宝亀年間(AD780年頃)ヤマト朝廷から下従五位下という地方豪族クラスの姓(カバネ)をもらった正真正銘のエミシである伊治公砦麻呂(コレハリノキミアザマロ)という人物から推理してみたい。

当時は、アフガニスタンやパレスチナのような状況を生んでいた・・・・・・。 
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

ライスペーパー買わなくっちゃ
あかね 投稿日:2002年3月11日<月>10時51分
サクラさん、おっは〜。
私もセロリの葉っぱも、ブロッコリーやカリフラワーの茎も食べマース。
お二人の食べ方、マネしよぉっと)^o^(。メモメモ。

大蒜も面白いものなんですね。大蒜の効能が霊力?とされたのかしらん。
なんか渡来系勢力の、力の象徴の一つのような気もしてきました。
青木のように結界をはる意味合いもあったのかも、と色々想像してしまいます。
ヤマトタケルのお話の白い犬も鹿も、鉱山師などの産鉄民を配下としたことを
示す民話なんでしょうね、きっと。
産鉄の民には薬師もいたし、大蒜の効力を認めたんだろうなぁ。

野菜とえびのライスペーパー巻きものも、美味しそうだぁ。メモメモ。
ベトナム風に食べるのも、いけそうですね(^^)v

大蒜
さくら 投稿日:2002年3月10日<日>22時59分
こんばんわ、佐久之宮さん、ピンクのトカゲさんも
やっぱり、セロリの葉っぱ食べてらっしゃるんですね。(^^)
お二人の食べ方、それぞれにおいしそう....ん、メニューに加えちゃおう!

そうそう、大蒜のこと調べてみたら
日本には、朝鮮半島、中国大陸を経て伝来したと考えられていて、
「古事記」や「日本書記」にもニンニクの記載があることからも、
既に3世紀には中国大陸、朝鮮半島との通交が行われていたことなどを考え合わ
せると、4世紀にはニンニクが日本にも入ってきていたと想像されるとのこと。
ニンニクの栽培に関しては、918年の「本草和名」に記録されているのが最古の記述らしいです。
しかしながら、先に述べた「古事記」や「日本書記」の日本武尊(やまとたける)と
ニンニクの逸話から、武尊がニンニクを携行していたことが伺われ、
天皇家あるいはその周辺のごく限られた場所でニンニクの小規模な栽培が行われていたと考えられます。と、書かれていました。

また、書記景行天皇4年に書かれている話が中津川の民話に残っています。

日本武尊の神坂峠越えを描いた民話
『白い犬』

その昔、ヤマトタケルノミコトという賢くて力の強いミコトがいました。
東国を平定した帰り、ミコトは信濃の国から神坂峠を越えて美濃の国に出ようとしましたが、そのあたりは大変な難路でした。なんとか峠にたどり着いたものの疲れたので、一休みして食事をとりました。
この様子を見ていた山の神は、ミコトを試そうと、白い鹿になってミコトの前に立ちました。
「これは怪しい」と思ったミコトは、手に持っていた蒜(大蒜=ニンニク)を鹿に投げつけると、それが鹿の目に当たって、鹿はその場で倒れました。
その後、急に霧がたちこめ、道が分からずミコトが困り果てていると、どこからともなく白い犬が現れ、ミコトの前を歩いて行きます。
犬のあとをついて行くと無事に峠を越え、美濃の国に出ることができました。
一度は白い鹿となってミコトを試した山の神も、今度は白い犬となって道案内をしたのでした。
それまでも旅人が神坂峠を越えようとすると、山の神の気に触れて病気になったりすることが多かったのですが、ミコトの一件以来、蒜(ひる)を噛んでその汁を体に塗って通ると、無事に峠越えができたということです。
そしてこれが現在の昼神(蒜噛)の地名の由来ともなっています。
「中津川の民話」より

それにしても、強壮剤としても有名な大蒜には、日本武尊のころにはもう霊力があったのでしょうか?
西洋のドラキュラも大蒜嫌いだし....♪
オオヒル、メなんかもにんにく読みしたら、
男神アマテラス大神にならないかなぁ...

いけない、今日の魚は新鮮な青柳が手に入ったのでいかが?
笊に並べて熱湯かけて、氷ですぐに冷やすと甘味が増すそうな。
あとはライスペーパーに野菜とえびを巻いてみました。ライスペーパーぬるま湯につけて使ったから
しっとりしていておいしいでしょう!胡麻たれ、ポン酢で召し上げれ....

棄てません
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月10日<日>14時10分
佐久さんとこの信州も味噌が有名ですが、
愛知県人にとっては、やはり味噌は、赤味噌です。
その赤味噌をごま油で伸ばし、生姜と大蒜擦って
それにセロリの葉っぱつけます。
肴に善し、熱い御飯に善しです。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

セロリの葉っぱ〜
佐久之宮 投稿日:2002年3月10日<日>10時46分
セロリの葉っぱって香りがあって美味しいですよね^^
私はセロリの葉っぱ&各種野菜&削りぶしの「かきあげ」が好きです〜
あと、ブロッコリーやカリフラワーの茎も捨てるともったいないですよね、、
皮をむけば色んな料理に使えますよん
http://http://www.sakusaku.co.jp/izumo/index.htm

固唾を飲んで
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月9日<土>21時57分
遊観さん
神変調査
固唾を飲んで拝読してます。
どのような展開になるのか
楽しみ楽しみ
お友達の左口進さんの絡みも楽しみ!!
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

どうしましょう!
さくら 投稿日:2002年3月9日<土>21時31分
昨日、急にパソコンが立ち上げらなくなってしまいました。

エラーにはwindowsの設定が無効です。セットアップをもう一度...
必要と出ています。まっさお!です。
ディカバリーCDで何とかなるかも....
はい、立ち上がるようにはなりました。まっさらな状態で!
その上、TAの接続までもだめになってケーブル交換!
でも、やっとメールとネットだけつながるようにしましたが、
消えたメモは、アドレスは...!(でも、少しは残ってる部分もあったんですよ!)
いつまでたってもPCに遊ばれているのです....(泣)

おかげで神社参りに行き損なっちゃいました。

さてさて、パソコンがご機嫌な皆さんには
 今日はホタテのバター焼きとセロリの葉っぱの油いため。
  おしょうゆと白ごま振って作りました。あは!葉っぱの部分捨ててませんか?
   
さ!元気出して、PCに遊ばれてきます!

わぁ、おもしろい!
サクラ 投稿日:2002年3月9日<土>00時33分
遊観さん神辺調査面白いです!
>ここは堪えて伊都許利の神辺調査だったと思い直し、
>」いやいやながら常陸風土記を開いてみる。
>悪魔野郎の名ではないか....
なんて、笑っちゃって大うけです!うんうん...
遊観節も楽しみな♪

ピンクのトカゲさん
そうです、そうです神変調査・神辺調査ですよね♪
遊観さん、神変調査やってくれています。
わっ!嬉しいです。

明日は土曜日、夕方までしっかり木彫日だ思っていた私。
明日が休みと気がついてなんか幸せな今宵です....あはは!

今日は山芋の磯辺アゲ、金目の煮付でいかがでしょうか? 

伊都許利文書の時代背景は?
江部遊観 投稿日:2002年3月8日<金>23時26分
 さて、国造本紀に記入されている国造の名は新選姓氏録にも記入されていることもある。はて同一人物かと思わず調べたりしているうちに、伊都許利よりも2代前の成務天皇の頃、の常陸那珂の国造の名に出くわした。そうそう、この国造は常陸風土記に登場するあの悪魔野郎の名ではないか。先住民を土蜘蛛や国巣と蔑み、茨の棘で殺した黒坂の命と双璧を成す、あの騙し討ちによって先住民を焼き殺した悪名高い残虐非道な輩である・・・伊予の国造同祖とある・・・これは古語拾遺にある「天の富の命、さらによき所を求めて、阿波の忌部を分かちて、東土にいてゆき、麻、穀を植き」・・・ううん、阿波と伊予の違いか・・・この男は行方郡(五)に登場する建借間命である。
しかし、ここは堪えて伊都許利の神辺調査だったと思い直し、いやいやながら常陸風土記を開いてみる。そう、ここには応神の時代をほんの少し遡っただけの・・・おそらく応神の時代と時代の差はさほどない・・・時代が描写されているのではと・・・ただし、語り部の古老は建借間命は崇神天皇の命令で、としている。しかし、古老の語る天皇の名は風土記では誰でもいいのである。ヤマトタケルも倭武と表されて天皇となっているくらいである。ただ勿体をつけているだけだ。
となると、常陸風土記の語る時代は・・・そう、まさに伊都許利の時代のすぐ近辺ではないか。そう思って常陸風土記に目を通すと、なるほど伊都許利の時代が見えてくるような気がしてきた。筑波郡のあの有名な歌垣の様子「坂より東の男女は、春は花のさける時、秋は葉の紅葉する時、手に手を取り合って、食べ物や飲み物をもって終日楽しく遊び過ごす・・・」ハレの場でのフリーセックスかとも言われているあの筑波の歌垣も登場する。そして、この郡の最後には「艮は白壁の郡である」などと、方位を気にする風もある。ふむ、この頃すでに艮は悪い方角だという認識があったのか・・・つまりAD400年以降の後期に入ったばかりの古墳時代に、伊都許利に長々と述べられているあの太占の土壌は既にあったのである・・・ということになる。
 となると、伊都許利文書はまさしく応神の時代を反映している!
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/

神辺or神変調査
ピンクのトカゲ 投稿日:2002年3月8日<金>06時24分
さくらさん
伊都許利は身元調査じゃなくて
神辺or神変調査です。
遊観さん
神辺or神変調査楽しみにしてます。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/

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