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今夜の番組チェック
ここでは、四半世紀の長きに渡りプロレスを見続けてきた私が、印象に
残るレスラーを紹介していきます(基本的に敬称略)。その人選・内容は、私の私見に基づいたものなので、かなりマニアックかつ偏りのあるものです。また、いちいち資料をチェックしながら書いているわけではないので誤認も多いと思いますが、その点はあらかじめご了承ください。
1.日本人レスラー
2.外国人レスラー
3.その他
1.日本人レスラー
アニマル・浜口
リズミカルな試合運び、多彩な持ち技、「地団駄」をはじめとする独特のムーブ、威勢の良いパフォーマンス、そして闘志を前面に押し出したファイト・スタイル…4拍子も5拍子も揃った素晴らしいレスラーでした。身長175センチの小兵でありながらジュニア戦線に絡むことはまったく無く、ヘビー級のトップどころを相手にタッグの名手として鳴らしました。そのため、負け役になることも少なくありませんでしたが、師匠である吉原功氏(国際プロレス社長、故人)の教えである「汚く勝つよりきれいに負けろ」を実践する玉砕ぶりは観ていて気持ちのよいものでした。1987年の「ジャパン・プロレス分裂騒動」の際に一度引退しましたが、1989年に「燃えろ、チョーシュー、気合だー!!」の絶叫とともに復帰。次年6月に行った長州とのシングルマッチのフィニッシュ(「燃えろー!!」と絶叫しながら仁王立ちし、ラリアットを食らった)は、私がプロレスを観て胸を熱くした最後のシーンです。1987年からトレーニング・ジムを経営。多数のレスラーを輩出する一方で、娘の京子さんを世界でも有数のアマレス選手に育てあげたのも、浜口の類まれなる情熱の賜物だと思います。
上田馬之助
不世出の名悪役レスラーでした。私がプロレスを見始めた1980年頃、ちょうどシンとのコンビで新日本を席捲していました。まだ「純真」なちびっこファンで、過去のいきさつなど知る由の無かった当時の私は、「なんでこの人、日本人なのにシンと組んで悪いことするんだろう?」と不思議に思いつつ、大いに憎んだものでした。その後、シンと一緒に全日本に移ってからもトップ・グループで活躍。特に1983年に行われた馬場との一騎打ち(馬場のアームブリーカーで腕を脱臼)は、普段は観ることの出来ない馬場の凄みを存分に引き出した名勝負でした。全盛期を過ぎた後も、新日本にUターンして猪木と組んだり、外国人中心の新団体設立を画策したり、包丁持参で維新力と抗争したりと、話題を提供し続けてくれました。1996年に不慮の事故に遭い、現在も車椅子の生活を余儀なくされていますが、不屈の闘志でリハビリに励む一方、ボランティア活動も行っているとのこと。その前向きな生き様は、リング上で魅せてくれた雄姿にふさわしく素晴らしいものだと思います。
キラー・カーン
私が初めてテレビで観たのが小学4年の頃。古舘アナの実況で日本人だと知らされるまでは、本当にモンゴル人だと信じていました。それほど体格・風貌が日本人離れしていたし、キャラクターを完璧に演じきっていました。試合も、決して器用な方ではありませんでしたがオリジナリティがあり、その巨体から奇声とともに繰り出すラフ殺法は迫力満点。アメリカ・マット界でトップ・グループとして活躍したのもうなずけるファイトぶりでした。1987年、当時所属していたジャパン・プロレスが分裂した際、セレモニーも行わずに黙って日本マット界から姿を消し、その後復帰することはありませんでした。数年前、プロレス誌のインタビューで「プロレスを愛しているからこそ、復帰しない。」と語ったその心意気は、プロレスラーが「引退」をアングルに用いることを好まない私にとって、リスペクトに値するものです。現在は歌舞伎町で居酒屋「カンちゃん」を経営。きれいな店内・手頃な料金・品数が多くておいしい料理と三拍子そろったいい店で、私も東京に行ったときはしばしば足を運びます。
ザ・グレート・カブキ
私が初めてテレビで見たのは小学6年の頃。「あの」テーマ曲にのってフラッシュライトの中を入場。般若の面と連獅子を身にまといダブルヌンチャクの演舞。そのかっこ良さに鳥肌が立ちました。試合運びも、アッパーカット、トラースキックなどのラフを主体にすすめ、ここぞの場面でブレーンバスター、バックドロップなどの大技を放ち、ときには「毒霧噴射」の裏技を使うという、分かりやすくかつ面白いものでした。晩年においても、IWA JAPANのリング上で、「回る」ラリアット、「すこーしだけ」などの新ネタを織り交ぜ、最後まで観客を楽しませてくれたプロの中のプロでした。1998年の引退興行では、鎧・般若・かたびら頭巾の三変化を見せてくれたとのこと。今となっては、観に行かなかったのが悔やまれてなりません。現在も、居酒屋を経営する傍ら、IWA JAPANのレフェリーとして時折その雄姿を見せてくれています。しかしそれにしても、流血時に噴水状態になるのは凄かった。中でも、寺西勇戦(1985年、開始直後に浜口・カーンが乱入し3人がかりでめった打ちにされた試合)と三沢タイガー戦(1986年)での噴血は凄まじかったです。
寺西 勇
いかつい表情・ぼてっとした体・「グンゼ!」と野次が飛んだ股上の深い白タイツ。その風貌から繰り出す鮮やかな空中殺法・ブリッジの利いたジャーマンなどの妙技の数々。記憶に残る名脇役でした。81年、私が初めて生観戦したときに、R木村と組んでT戸口・谷津組と対戦。ショルダースルーを狙った谷津の背中の上を凄い速さで転がって足から着地。ローキックで谷津の足を払って倒し、ロープに振って打点の高いドロップキック。その一連のシャープな流れに、当時11歳だった私は唯々驚嘆するばかりでした。後に、長州率いるジャパン・プロレスの一員として全日本に移籍してからも、セミのタッグではパートナーを務め、中堅同士の対決ではその巧さを存分に発揮し、員数外国人・若手選手とのシングルでは相手を軽くあしらい、どんなシュチュエーションでも良い仕事をして高い会場人気を得ていました。首の故障が原因で全日本を退団した後も現役にこだわり続け、インディーの試合に細々と出場、いつの間にかひっそりとフェード・アウトしました。現在は、工事現場で解体作業に従事しているとのこと。その職人気質のイメージから、黙々と的確に仕事をこなす様子が目に浮かびます。
2.外国人レスラー
ジミー・スヌーカ
日本では主にブロディのパートナーとして活躍しましたが、私はブロディよりもスヌーカの方が好きでした。豹柄のコスチューム、精悍でありながらどこか泥臭い風貌、どことなく暗いたたずまい。いいキャラクターを持っていました。試合もカンフー技と空中技が主体で分かりやすくかつ面白いものでした。中でも、「往復リーフフロッグ→カンフーチョップ→見栄を切る」のムーブはスヌーカのオリジナルで、馬鹿馬鹿しいながらもかっこ良く、私の大のお気に入りでした。しかし残念ながら、私は生でスヌーカを見たことがありません。1995年、WAR両国大会に出場(マスカラス、バックランドとチームを結成)し、「あの」ムーブを披露したことを後日雑誌で知り、観に行かなかったことを後悔したものでした。現在でもアメリカでスポット的にリングに上がっているとのこと。もう一度、日本に来てその雄姿を見せてほしいところですが、さすがにあのムーブはもう出来ないだろうなぁ(残念)。
ハーリー・レイス
1970〜80年代において、世界を股にかけて活躍し、「ミスタープロレス」と称された名レスラーです。日本でも全日本マットでジャイアント馬場・ジャンボ鶴田(いずれも故人)などのトップどころと激闘を繰り広げました。個人的には、凄みのある髭面・腕の入れ墨・相手の技を受けるときのオーバージェスチャー(特に馬場の脳天唐竹割り)・滞空時間の長〜いブレーンバスターがお気に入りでした。いつの間にかその消息を聞くこともなくなり、記憶の隅に追いやられていた2002年8月、週刊プロレス誌主催の「ボディスラム・サーキット」にレイス訪問の企画が入っていることを知り、無性に会ってみたくなり参加しました。現在は、ミズーリ州でプロレスラー養成学校を経営する一方、自分の教え子を中心に興行を打っています。脚を痛めている以外は元気そうで、老けた印象も無く、風格十分。興行も、なかなかグレードが高く、レイスのプロレスに対する情熱が変わっていないことを感じさせるものでした。
3.その他
荒井昌一 氏(故人)
初めてFMWを観に行ったとき、荒井リングアナのコールを聞いてびっくりしました。甲高い声、独特の口調。それまでのコールの常識を覆すもので、FMW創世記の「何が飛び出すか分からない」のコンセプトを観客に植え付けるのに一役かっていたと思います。また、TBSでFMWのドキュメントを放送した際、フロント、いや「何でも屋」として一生懸命働く姿を見て好感を持った記憶があります。大仁田引退後は、社長としてFMW存続に尽力する一方、アングルの中に組み込まれリングに登場することもしばしばでした。FMW倒産後に出版された著書を読み、インディー団体を運営することの大変さをうかがい知ると同時に、娘さんへの想いを綴ったくだりでは目頭が熱くなりました。また何らかの形でプロレス界に復帰してくれることを願っていたのですが…このような結果になり、非常に残念です。今はただ、ご冥福をお祈りします。合掌。
倉持隆夫アナ & 山田 隆 氏(故人)
あえてコンビにさせていただきました。昭和の時代、長年に渡り「全日本プロレス中継」」の実況・解説を担当。当時小・中学生だった私を、「興奮の坩堝」(倉持アナ得意のセリフ)にいざなってくれた名ナビゲーターです。特に視聴者の受けを狙うわけでなく、リングで繰り広げられる闘い絵巻を「真面目かつ情熱的」に表現。倉持アナが独特の言い廻しのダミ声で実況し、時折山田氏に話しを振るとしわがれ声の解説が入るという役割分担もしっかりしていました。また、二人ともファンクス・馬場(故人)・J鶴田(故人)をあからさまに贔屓していて、それにより「善玉と悪役の闘いを、善玉を応援しながら観る」のが最も面白くプロレスを観るスタンスであることを自然に教えてくれていたように思います。山田氏は既に亡くなり、倉持アナは日本テレビを定年退職(現在はスペインに在住)。もうあの名調子の新作を聴くことは出来ませんが、私にとっては永遠の存在。「昭和のプロレス」の伝導師として大きな功績を残したお二人に敬意を表します。