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01、創刊号 昭和55.7.15 房総石造文化財研究会 創刊号の会報ロゴ → HPトップへ |
| <目次> 1。はじめに 2。会費について 3。会員名簿 4。日待塔について 5。新資料報告 : 館山市千手院の文和二年銘地蔵像 長南町長福寿寺の融通念仏塔 6。情報 : 我孫子市と流山市の新指定文化財 7。文献紹介 : 歴史手帖、下総地方の歴史と民俗特集 8。事務局から |
| 復刻注:モノクロ・実質本位・内容優先の本物より、最低限見やすい体裁にしました。 目次をつけ、カラーにする等、印刷物の体裁を、インターネットの体裁に変更してありますが、内容は変わってません。 検索と閲覧の便のためPDFにしてません。 ただし、縦書きを横書きにする関係で、漢数字の一部を算用数字に変えてます。 文中の□□は、欠字。丸数字、記号等は直し忘れで変更してなく、文字化けしている箇所があるかもしれません。 推測してください。 その他、カラーカットは、IBMホームページビルダーの画像から適当に補いました。 会員の住所・メール等は、省略〔・・・〕しました。また、▼を◆に変更、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。 |
七月に入って.本格的な梅雨の様相となって参りました。いろいろ御多忙のこととと思います。 大変遅くなりましたが、房総石造文化財研究会発足について照会の結果がまとまりましたのでご報告いたします。未だご返事を頂けない方もあリますが、六月末で別記の通りの方々が賛同の意思表示をされましたので、取り敢えず会としての活動をスタートさせたいと存じます。 これから、世話人で検討してゆきたいとおもいますが、希望やご意見があれば気楽にお申し出下さるようお願いいたします。 広範な団体ですので、情報活動が一番大切かとおもいます。この会報は御覧のとおり、至ってお粗末なものですが、手軽に出せるのが取柄です。どんなことでも結構です。ハガキにでも書いて送って下されば.材料がまとまリ次第発行いたします。 今後の目標としては、本格的な研究誌を年に一回か二回発行したいと念願しております。その時は会員のみなさんに全員何らかの投稿をお願いしたいとおもいますので、今から、発表出来るよう準備して頂きたいと存じます。 なお、この会の会員の巾を広げる問題について今後検討してゆきたいとおもいます。多くの方々に石造文化財について知って頂き、私たちと行動される友人が増すことはみなさんにも御賛成頂けるとおもいますが、この点についても御意見を頂ければ幸いです。 ☆会費について 会費について、ニ、三の方から照会を頂きました。今年度分として1,000円、序の折に御納入下さい。秋ごろに研究会をに計画したいので。その折でも結構です。 会員名簿(7月1日現在 順不同・敬称略) 茂原市高師 海保四郎 流山市東深井 一色勝正 成田市船形 大野政治 館山市八幡 早川正司 野田市三堀 戸向朝夫 佐倉市井野 村田一男 大原町岩船 石井慎一 成田市囲護台 小倉 博 勝浦市鵜原 塩崎弁仁 富津市岩坂 野中 徹 木更津市朝日 浅野達也 大原町大原 浅野裕二 千葉市幸町 沖本 博 日待塔について 今回の調査報告を整理している中に、月待塔は数多くあるのに、日待塔がないことに気づきましに。東葛飾地方からも一基も現われませんでした。私は千葉県に日待塔はないものと思いこんでいたようです。弁解がましくなりますが、この観念が重大なミスを起すことになってしまいました。 「県報告書」28ページに収録の日蓮系二十三夜塔の写真の目銘文を良く見ると「奉貴殿帰命大日天子」となっています。 目蓮系の他の塔が「大月天子」となっているために、単純に見すごしてしまったのです。 「大日天子」となれば、これは明らかにに月待塔とは云えません。報告書の文中にも書いたように、「大月天子」という字句は。日蓮宗曼荼羅に大日天子と並んで出て来るものなのですが、日本石仏事典の「日待塔」の頂にあるいくつかの事例の中にも埼玉県入間郡鳩山村寛文11年の塔・鹿児島県指宿郡開聞町元禄17年の塔には、「大日天子」「日天子」の文字が刻まれ、これが、日蓮系ともおもわれないのです。 しかし、報告書の塔は、天津小湊町の誕生寺のものなので、明らかに日蓮宗系の日待塔と断定できましよう。 そのあと、館山市の早川正司氏から、文和2年の地蔵のある「ヤグラ」の中に、聖観音を刻む塔に「日待之供養己亥八月日」の銘文があると云われました。 更に、天津小湊町の塔の面に「天津小湊日待講一結敬白」の文字のあること、および、その写真を送って来ました。 庚申懇話会の横田甲一氏は、私の尊敬する大先輩ですが、「大日天子」について訊ねたところ、我孫子市青山八幡の石灯籠の銘文に、「奉献日天子常夜燈」(文化12年) 「帰命日天子」(天保4年)とあるのを記録しているとの教示を受けました。 石灯籠の「日天子」が日待と結びつくかどうか今後の調査を要しますが、ともかく、県下に日待塔が存在することだけは明らかとなリました。 なお、館山市の日待塔の造立時期ですが、「己亥」は古くは天文8年、慶長4年、左治2年、降っては享保4年などがそれに当りますが、実見していないので何とも云えませんが、前記の日本石仏事典の例では、明暦2年のものが最も古く、万治ごろと推定しても、全国的に古い時代の日待塔ということになります。 このように、千葉県下には精査すれば、貴重な石造物が埋もれているという良い事例なのです。東京、埼玉、神奈川あたりは、かなリ徹底的に調査され、中央にも報告されていますが、千葉県は未だこれからと云ってもよいでしよう。日待塔について発見されたら御一報下さい。( 沖本 博) 新資料報告 ○ 去る四月に刊行しました「千葉県石造文化財調査報告」は、跋文にもあるように、調査期間や整理期間に制約があって、県下の石造資料をすべて調査し報告することは出来ませんでした。また報告書のページ数も限られ、多くの資料を割愛せざるを得ませんでした。 そこで、今後、新たに発見された石造物で.報告書に記載さるペき価値あるような資料については、是非御報告下さい。また、すでに報告された資料についても、付帯する信仰や時代背景について調査の結果が判明したというようなことがあれはレポートとして送って頂きたいとおもいます。 ○・・館山市在住の早川正司氏は、本年2月、館山市安東千手院を調査したときに、文和二年銘を持つ地蔵菩薩丸彫座像を発見確認されました。その報告を館山市文化財保護協会会報第十三号(55年3月刊)に発表しています。 地蔵については、「県報告書」に千葉市桜木町市営墓地の元和5年の光背型地蔵を県下最古のものとして紹介しましたが、これをさかのぼること266年も古い石造物で、最初に早川氏から連絡を受けたときは全く信じ難い感じを受けました。この時代の地蔵としては、箱根山にある磨崖佛が、正安2年(1300)、鎌倉市扇ヶ谷浄光明寺の地蔵が正和2年(1313)の造立で、千手院のものは浄光明寺に遅れること40年ですが、写真で見る限り、実に美しい石造物で浄光明寺のものと同じく「ヤグラ」の中に.安置されていたために、今日まで、立派に保存されていたものとおもわれます。 上記のものに次ぐ第一級品の石造文化財として誇るベきものと云えましょう。なお、この「ヤグラ」の中には、いろいろな石佛もあり、いずれ早川氏にお願いして見学会でも計画してみたいと考えております。 「融通念佛塔」について 今回の調査では、融通念仏塔の報告はありませんでした。 しかし、「日本の石仏第13号」(日本石仏協会刊・55年4月)に、市川市在住の坪内恭介氏が「長南町長福寿寺の融通念仏供養塔」という報告を寄せています。 それによると光背型地蔵の塔に「奉造地蔵尊千日融通念仏結衆七拾萬之内二千八百余人為二世安楽」「万治三年庚子天十月十三日」とあります。もう一基あって、聖観音の塔に「奉造立観世音千日融通念佛結衆土郷之内八千六百余人為二世安楽」「寛文三癸卯歳十月十三日回向」の銘文かあリます。 実は、この二つの塔は、「県報告書」の地蔵と聖観音の項に収録されています。 調査された海保先生が、原稿印刷中に、拓本を取って確認されたのですが、間に合わずそのま、印刷しました。銘文を補っておいて頂きたいとおもいます。 情報 流山市の一色勝正氏よリ、我孫子市、流山市の文化財審議会の状況を知らせて頂きました。 ◇我孫子市教育委員会は、54年度に指定すペき文化財として左の八件を市文化財審議会に諮問し、委員会は全員一致で市の文化財として答申した。 (1)葺不合神社拝殿 (2)二十一仏板碑(中峠)天正九年 武蔵板碑、現在知られている四十一基の二十一仏板碑のうち、分布的にはその東限に当る。日本古来の神祇信仰と仏教、道教の習合をあらわし、宗教史・民俗資料として貴重である。 (3)懸仏 (中峠)年番持廻 (4)石枕 (根土)金塚古墳出土 (5)短甲 (根土)同 右 (6)水神山古墳 (高野山) (7)小熊家文書(本町 小熊勝夫氏) (8)せみたけ(蝉茸)自生地(江蔵地) ◇流山市文化財審議会は、54年度の指定物件の諮問に対し、文化財として適当と認める旨答申した。 (1)諏訪神社本殿・拝殿・幣殿(駒木) (2)二十一仏板碑(鰭ヶ崎東稲寺) 武蔵板碑、天正五年(一五七七) 全長一五六 幅四六p 中折 (3)鋳銅鰐口(駒木 成願寺) 文献紹介 歴史手帖 八巻五号 55年5月 名著出版 「下総地方の歴史と民俗」特集。 会員の小倉博氏が「将門伝説と成田山信仰」を発表している。石仏関係では安房高校の對馬郁夫氏が「下総地方の出羽三山信仰」を執筆。下総地方の出羽三山碑分布図も掲載している。また綿貫啓一氏(船橋市役所)編の「下総地方郷土史刊行目録」を収録。 事務局から ○ 房総石造文化財研究会結成の呼びかけに早速応じて頂き、喜んでいます。特に調査団顧問の大野政治先生からは発足当初の雑費にと金壱万円を御寄付頂き感激しております。 先生は、古希を迎えられて、成田山資料館長を退職されたそうですが、県庁県民課の映画企画委員に就任された由。益々お元気で御健闘を祈ります。 ○ 7月6日、庚申懇話会主催の石仏めぐりが京成江戸川駅から市川市の里見公園のコースで行われました。この行事は毎月行われているものですが、暑い中にもかかわらず、50名ぐらいの方が参加しました。8月は休みで、9月は7日(日)に取手(茨城)で行われます。会費3000円中食持参。講師は横田甲一氏です。誰でも参加できます。では。 |
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