![]() |
房総石造文化財研究会 会報 02号 昭和55年8月20日 |
|
| <目次> 1。 同好諸賢の御健闘を 海保四郎 2。 <紹介>千葉県史料金石文篇刊行さる 3。 <紹介>東総の馬乗馬頭観音ー日本の石仏・第一四号ー 4。 <紹介>千葉県最古の出羽三山供養塔 :佐倉市下志津 寛文4年 5。 <資料>清龍権現の塔 (市川市国分・国分寺) 6。 <文献紹介> @袖ヶ浦町石造物分布図(袖ヶ浦町教育委員会刊) A江戸川べりの野仏ー市川・行徳の石仏たちー 7。★庚申懇話会 石仏めぐり 九月七日 取手(茨城)で 8。 新会員紹介 9。 事務局から 復刻に際して、清龍権現の塔写真を末尾に追加 |
| 復刻注:モノクロ・実質本位・内容優先の本物より、最低限見やすい体裁にしました。 目次をつけ、カラーにする等、印刷物の体裁を、インターネットの体裁に変更してありますが、内容は変わってません。 検索と閲覧の便のためPDFにしてません。 ただし、縦書きを横書きにする関係で、漢数字の一部を算用数字に変えてます。 文中の□□は、欠字。丸数字、記号等は直し忘れで変更してなく、文字化けしている箇所があるかもしれません。 推測してください。 その他、カラーカットは、IBMホームページビルダーの画像から適当に補いました。 会員の住所・メール等は、省略〔・・・〕しました。また、▼を◆に変更、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。 |
| 同好諸賢の御健闘を 海保四郎 県下多くの町村では月遅れのお盆がやって来、墓地や道路の雑草もすっかり刈り取られ、今までかくれていた地蔵様もまぶしげであり、お墓まいりの人々も今更ながらしげしげとそれを眺め、中にはその由来などを同行の孫たちに説明している老人もいる。 一体に明治大正生まれの多くはその幼少のころ近くの社寺の境内を遊び場とし、したがってそこにある石仏もまた遊び仲間であった。 そんなわけで村のどこにどんな石佛があるかを実によく知っている。そして近年さまざまな事情でその石佛が年々減っていくのに愛惜を感じているものも少なくない。 ところで、去る昭和53、54の両年度にわたる全県下石造調査では、ずい分よい勉強ができ、書架には関係書籍が十冊以上も並んでいる。 今までとは違い意識的な調査であるからいろいろなことに気づく。宗旨と石佛、石材と流通経路、漁家と信仰、女性と信仰等々。 今回、沖本、戸向両氏をはじめ同好の方がたにより、グループが結成され一だんとその調査、研究を深めようとの企ては大変時宜を得たものでその活動が期待される。 私も余暇を見ては調査に出かけ、「長生石工の系譜」を探ろうと勤めている現在である。 同好諸賢の御健闘を祈る。(55・8・13) ご存じの方もあると思いますが、海保先生は去る7月1日付で、茂原市教育委員会教育長に就任されました。 千葉県史料金石文篇刊行さる 千葉県県史編さん室で進められていた「千葉県史料・金石文篇三(補遺)」が刊行された。昭和50年に(一)、53年に(二)が刊行され、今回をもって完結したことになった。(三)には、追加資料と篠崎四郎先生の解説、索引、正誤表が収録されている。全巻に納められた資料は2615点、元和以前の全県的な金石文資料を把握された意義は大きく、全国的にも例がなく、誇るべき事業である。本会の会員、村田一男、大野政治、一色勝正、戸向朝夫、早川正司の各氏がこの調査に協力されて来られた。入手されたい方は次の申込みをされたいとのこと。 〒202 東京都千代田区飯田橋二の五の三 美国ビル4Fつり案内社 内、千葉県史料調査会(電03-263-5081)(代金2000円、〒200円) 東総の馬乗馬頭観音ー日本の石仏・第一四号ー 海上町在住の服部重蔵氏が、「日本の石仏(日本石仏協会刊・季刊)第14号に表題の報告を発表された。 千葉県報告書には(72ページ)この馬に乗った馬頭観音について「総数三十二基」と記載したが、服部氏はこの報告書の末尾に一覧表を付しており、総数82基を公表された。明治以降造立のものも含まれている(9基)が、独力で海上郡、山武郡、香取郡、匝瑳郡など広域にわたってコツコツと調査されたことについては、全く敬服に値する。 また、県調査の段階では造立時期について「小見川町南小川に安永3年、海上町に安永五年のものがありこれらが最も古いとおもわれる」と記したが、服部氏の資料にはこれよりも古い宝暦八年のものが小見川町織幡にあって、目下これが最古のものとなっている。 なお、安永よりも古い明和年間のものが四基あり、県調査報告の記述は全面的に改訂されざるを得ない。この報告の地域は前記のとおり、小見川町以東、松尾町以北の一帯であるが、「この周辺地域には調査に赴いたが発見に至らなかった」と書いておられ、この地域以外の物として、木更津市(1)、君津市(2)、茂原市(1)、長生村(1)計5基の資料をあげている。 私が調査した千葉市、袖ヶ浦町にもわずかであるではあるが造立されているので、早速服部氏に連絡したが、もしも今後会員各位の調査地域で騎上型の馬頭観音の塔を発見されたときは、是非服部氏に連絡してあげて頂きたい。 また、今后はこのように専門的なテーマを持って、広域的に調査研究することは、大いに相互啓発され、また、その研究にも協力できると思われるので、どんどん名乗りを上げて頂きたいものである。(沖本 博) 千葉県最古の出羽三山供養塔 出羽三山塔は、江戸中期以降に出羽三山の参拝が盛行し、明治以降現在に至るまで県下各地に参拝を記念した石碑が立てられています。 この塔の古いものとして「県報告書」に、佐原市大川戸浄土寺の貞享2年造立の塔を紹介しましたが、実はこれよりもずっと古い塔が佐倉市下志津木戸場にあることが分かりました。 「会報」一号に紹介した「歴史手帳」収録の「下総地方の出羽三山信仰」(對馬郁夫)に載っているもので、銘文は次の通りです。(板碑型) 寛文四年 南無月山摩加権現加護所 〔梵字〕奉修御湯殿山大権現守護處 :(復刻注 梵字書体を入れてないので・・) 南無羽黒山大権現加護所 辰十月吉日 ただし、對馬氏はこの所在地を四街道町と紹介されましたが、佐倉市の誤りであります。 <資料>清龍権現の塔 (市川市国分・国分寺) 去る昭和53年に行われた県石造文化財調査において市川市を担当された君塚生郎氏(故人)は、第二次資料として、市川市国分寺境内に造立されているこの清龍権現の塔をあげられた。塔のスケッチは君塚氏がカードに記載されたものである。 銘文は記載の通りで寛文2年の造立で十分時代的価値もある。しかし、誠に珍しい奇妙な石造物なので、君塚氏にも訊ね、私自身も足を運んで実地に見て来たが、お寺で訊いても要領を得なかった。 本体は高さ84センチ、巾58センチ、厚さ14センチの小松石で、円形状の石の中にはめこんである。この台石は、銚子石(白亜紀砂岩)で国分寺の旧礎であると君塚氏から伺った。 塔面には上部に五輪塔、その下に二匹の龍、蓮弁が刻まれている。これを一段彫りくぼめた円で囲み、円の周りに沿って文様で飾っている。 この塔が、龍神(水神)を祀るものであって、恐らく江戸川の水害などからの守護を祈念するために、法印宥傳なる僧侶が造立されたものであろうと思われる。 青龍権現、八大龍王、弁天、水天宮などは、水神としての性格をもち、各地に造立されている。 しかし、その多くは石祠であって、このような塔碑形のものは少なく、図柄もまことに珍しいものである。 けれども誠に遺憾なことに、この塔の紹介、解説を報告書に盛り込むことを怠ってしまった。他に類例があるかどうか見極めるため、カードを別扱いにしていたために却って落とす結果となってしまったのである。君塚氏に対しても誠に申訳ないことをしたと思っている。 水の神に対する信仰は古代よりあったと思われ、蛇や龍の形をとることもそう新しいことではないと考えられるが、「青龍権現」という形で表現された石造物としては、初期的なものではあるまいか。 もっと県内外の類例を見ないことには何とも云えないが、今后の研究課題の一つとしたい。 (沖本) (復刻注:スケッチ図読込んだらボケて、銘文が読めなくなりました。 銘文は 崇請法印宥傳 清龍権現 寛文二年九月吉日 です。 この塔は、房総石仏百選の77番になってます。ご参照を。) < 文献紹介> 1。袖ヶ浦町石造物分布図(袖ヶ浦町教育委員会刊) 2。江戸川べりの野仏ー市川・行徳の石仏たちー 1。袖ヶ浦町石造物分布図(袖ヶ浦町教育委員会刊) A4版・23ページの冊子で、所在地を記入した地図がついている。 昭和五三、五四年度にわたって、町教育委員会が東洋大学学生に委嘱して行った石造物調査をまとめたものである。 まとめ方としては神社、寺院、墓地、その他、に分けてそれぞれの場所に所在する石造物の種類を記録してあるが、例えば、「庚申塔(一七四〇年)」「馬頭観音(不明)」というような記載なので、形や銘文などはわからない。 2。江戸川べりの野仏ー市川・行徳の石仏たちー 市川市在住の坪内恭平氏の著作。新書判105ページ、崙書房発行。 旧市川市内及び行徳街道沿いにある石仏の解説と写真で石仏鑑賞という感じ。著者は現在日本石仏協会千葉支部長。 序文にも書いているが、自分は石仏愛好家である、という通り全国の石仏を見て歩き、中国敦煌へも足を伸ばしており、近くグループを引率して再び出かけられるとのことである。また、木耳社より「房総の石仏」を上梓すべく準備中と聞いている。 ★庚申懇話会 石仏めぐり 九月七日 取手(茨城)で 9月7日 取手(茨城)で 誰でも参加できます。当日午前九時、常磐線取手駅北側関東鉄道ホーム集合、会費300円、中食持参、疱瘡神などを中心に見学。 新会員紹介 千葉市東本町 川戸 彰 海上町大間手 服部重蔵 佐原市玉造 磯辺大暢 市原市平野 積田幸夫 市原市能満 村井稔彦 事務局から ○・・例年になく涼しい夏となり昨年、一昨年暑い最中に行った県石造調査のことを思い起こしています。7月は雨にたたられて戸外調査は難しい時期でした。 これからは活動し易いシーズンです、皆さんの活動のレポートを是非お寄せ下さい。 ○・・一色勝正氏より会費とともに一万円をお送り頂き、雑費に充ててほしいとのお申し出を頂きました。未だ何も活動していないのに御厚意に対し唯々恐縮するばかりです。御期待に背かぬよう頑張ります。有難うございました。 ![]() ○・・県史編さん室の川戸 彰氏、ー金石文篇三の完結を期にこの会への入会をおすすめし快諾をえました。服部重蔵氏も承諾を頂きました。ボツボツではありますが、石造文化財の研究を志す同志の有益な団体になるべく、努力してゆきたいと思います。 |
|
|
![]() |
清龍権現塔 市川市国分 国分寺 写真撮影提供 小菅俊雄氏 |