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房総石造文化財研究会 会報 03号 昭和55年11月08日 |
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| <目次> 1。 『夷隅郡の石造文化財』夷隅郡教委より刊行される 2。 当研究会の運営について 3。 房総の芭蕉句碑拓本展 4。 <調査レポート>鋸南地方の庚申塔(その一) 沖本 博 :鋸南町、富浦町 5。 <資料>十種子を刻む塔 (野田市三ツ堀) 沖本 博 6。 < 文献紹介> (1) 東総の十五夜待供養塔 服部 (2) 日本石仏事典(庚申懇話会編)--増補版が発行されました-- 8。 新会員紹介 9。 事務局から |
| 復刻注:モノクロ・実質本位・内容優先の本物より、最低限見やすい体裁にしました。 目次をつけ、カラーにする等、印刷物の体裁を、インターネットの体裁に変更してありますが、内容は変わってません。 検索と閲覧の便のためPDFにしてません。 ただし、縦書きを横書きにする関係で、漢数字の一部を算用数字に変えてます。 文中の□□は、欠字。丸数字、記号等は直し忘れで変更してなく、文字化けしている箇所があるかもしれません。 推測してください。 その他、カラーカットは、IBMホームページビルダーの画像から適当に補いました。 会員の住所・メール等は、省略〔・・・〕しました。また、▼を◆に変更、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。 |
| 『夷隅郡の石造文化財』夷隅郡教委より刊行される 夷隅郡教育委員会では、当初から千葉県石造文化財調査に合わせて、郡内の調査を行い、石造文化財の把握、集録を行う予定であったが、このほど145ページの資料にまとめて刊行された。 この事業には、県石造調査にあたられた石井慎一、浅野祐二の両氏が中心になってまとめられたものである。 発行部数が限られていて一般の方には頒布されないとのことなので、この紙上で少しご紹介しておく。 夷隅郡は、大多喜町、夷隅町、御宿町、大原町、岬町の五町で構成されているが、この資料もこの順序に各町ごとにまとめられている。 解説は特につけず、像容、信仰、形態に資料を分類し、おおむね一ページに6点の資料の写真、銘文を納めている。 集録された資料の数は次のとおり、 大多喜町 174 夷隅町 76 御宿町 59 大原町 184 岬町 123 合計 616 写真はやや小さくてわかりにくい点はあるものの、600枚以上の写真が入れられており、銘文も完全に記録されていて、石井、浅野両氏の苦労のあとが偲ばれる。これによって、夷隅郡内の石造文化財は一応把握されたものと思われる。 問題は折角確認できたこれらの文化財の持つ意味をより正しく理解すること及び保存対策であろう。立派な資料が生かされるよう心から望んで止まない次第である。 当研究会の運営について--御意見・御希望をお寄せ下さい-- 房総石造文化財研究会は、昭和53・54年度に□たる県石造文化財調査に従事した調査員をもって、取り敢えず発足しました。会員相互の親睦交流、情報交換、研究研修などを目的としています。 現在会員数□二〇名ですが、広く県内の各地に散在し□ており、仲々簡単に集まって研究会を開く□どの計画も立てにくく、目下いろいろと思□□です。 また、年一二回の研究誌を刊行し、世に問いかつ研究業績の記録としたいと思いますが、これを具体化するには、会員数も少ないようにも思われます。 会の発足以来、五ヶ月を経過しましたが、会員各位の会への期待にどうしたら答えられるかーを模索しております。 どうか、皆さんの会に対する注文、希望、何でも結構ですので遠慮なくお寄せ下さい。どうかよろしくお願いします。 房総の芭蕉句碑拓本展 12月14日まで 成田山霊光館で 成田山霊光館(資料館)の秋の特別展として11月1日から12月14日までの期間、主題の拓本展が開催されている。 この拓本は成田市在住の円城寺敏夫氏の蒐集によるもので、千葉県内の芭蕉句碑28点、県外7点が展示されている。 解説によると、千葉県下には芭蕉の句碑は70余基あるとされている。 今回の展示物のうち時代的には成田山公園の天明8年が最も古く、夷隅郡岬町の昭和3年のものがもっとも新しいもので、地域的には下総地方のものが多い。 ![]() ※房総の芭蕉句碑については、千葉市在住の井上修之介氏が本年1月に崙書房の「ふるさと文庫」から「房総の芭蕉句碑」下総篇、上総・安房篇二冊を刊行している。 <調査レポート>鋸南地方の庚申塔(その一) 沖本 博 鋸南町下佐久間の愛宕神社下には、目下、千葉県で最も古い庚申石祠がある。これを発見したのは、館山市におられた早川正司氏(現在白浜町)であるが、この石祠の中には現在後補(天保7年)の三猿の彫刻物が納められており、これを中心にその周辺の調査を行うべく早川氏とともに二度に亘って鋸南町近辺を歩き廻った。 すでに早川氏が県調査で報告された庚申塔も案内して頂いたが、その一つ富浦町宮本の永福寺裏山の例を挙げると、寺の脇から雑木、雑草をかき分けて登ること50メートル、山の中に板碑型寛文11年銘の庚申塔がポツンと一基建てられているのである。 同じく富浦町深名という所の個人の持山には宝篋印塔型の万治4年銘の庚申塔があった。ここも人家から離れたところで、到底地元の人でなければ、庚申塔などあるなど思いも寄らぬ所である。 この万治4年の塔は新資料である。 二回目に鋸南町文化財審議会委員長の川崎芳郎氏をお訪ねして、お話を伺った折りに紹介を受けて、鋸南町大帷子という地区の大胡さんという家を訪ねた。その裏山に三猿らしきものがあるという情報である。 大胡さんの案内で山道を登って進むと、石祠型のものが見え、近づくと下佐久間の寛永石祠と良く似たもので、笠の部分を三人で持ち上げると、中には丸彫三猿像が収められていた。正面縁の部分に「于時正保五年」の文字がかすかに読める。 しかし、寛永の石祠にあるような「庚申」の文字はどこにもなかった。 これらに共通しているのは、山の中にあるということで、万治4年の塔の山は、山王と呼ばれていることから、これらの庚申塔も山王権現として祀られていたということである。(未完) <資料>十種子を刻む塔 (野田市三ツ堀) ![]() 野田市石造調査を担当された戸向朝夫氏が、珍しい塔だといわれて、二次調査対象とされたものである。 私もその時は写真とカードだけでは、何の塔であるか判定がつかず、分類のしようもないので資料には取り上げなかったのである。 その後、6月に戸向さんのお宅を訪ねお宅のすぐ傍らにあるこの塔もじっくり観察させて頂いた。この塔を判断するカギが残されていた。それは造立年月日である。 延宝5年10月16日は、庚申のアタリ日である。庚申塔の全てではないが、初期には比較的キチンと庚申の日を刻みつけている例は多い。また、庚申講を年6回、それを18回続けると一座と称し、これを記念して造塔を行うのが通例であるから、事実この日に建てられた塔である。 私は庚申塔ではないかと考えた時にここに刻まれた梵字は「山王七社」を示すものではないかとおもい、帰宅して文献を調べてみた。日本石仏事典にも末尾の方に山王二十一社の本地佛の種子が掲載されているので、比較してみて頂きたいが、上七社、中七社、下七社のうち、この配列はいずれにもあてはまらないのである。バクからはじまる上七社に比較的似通っているが、やゝ違う点がある。しかし、山王二十一社のうちの七社を表現したとみてまず間違いなさそうである。 野田市をはじめ、この近くの柏市、流山市、我孫子市、沼南町には山王二十一仏の種子を刻む庚申待板碑が残されているが、二十一の種子の配列は一定ではない。 しかし、上部に刻まれる三個の種子は一体何であろうか。 < 文献紹介> (1) 東総の十五夜待供養塔 服部重蔵(日本の石仏15号) 14号に引きつづき服部さん(本会会員)が、10月に発行された「日本の石仏」に報告を寄せている。東総地方の十五夜塔20基を紹介され、海上町、小見川町、銚子市に残る4つの十五夜講の状況を発表された。 十五夜塔については、県報告書をまとめるときに、調査された分を全て報告書に収録した。従って21基となっているが、服部さんの調査されたものと一部の重複があるが合計すると38基となる。 そのうち、香取、匝瑳、山武郡地方の十五夜塔は24基となるので、寛文より天和年間までの塔は我孫子市で占めるが、それ以降は東部に移って盛行したことがよくわかる。 尚、服部さんは、日本石仏協会総会が銚子市で開かれるとき、翌日の見学会の講師を勤めるなど活躍されている。 (2) 日本石仏事典(庚申懇話会編)--増補版が発行されました-- 日本石仏事典は昭和50年に初版発行以来5ヶ年も経ちましたが、その間の各地の調査研究はめざましく、内容的にもかなり改訂を必要とされていました。 十月に増補版が出されましたが、大部分は旧来のままで、31ページにわたる補遺を付け加えました。しかし、旧版の一部にも加筆された部分もあり、千葉県石造文化財調査の結果もかなり反映しています。全面的に改訂する計画もあるようです。 新会員紹介 ●増田誠蔵 東京都葛飾区・・・ 小倉博氏の紹介で、現在八千代市文化財審議会委員をされている方です。 ●竹内重之 千葉市千城台北・・・ 「山村民俗の会」会員 事務局から ○・・しばらくご無沙汰しました。会報第三号をお送りします。早いものでもうそろそろ年賀状の発売が行われるということです。みなさんからのレポートを待って会報を出すつもりでしたが、それぞれ忙しい方ばかりなので、なかなか原稿を頂けません。近況でも結構ですから何か書いて送っていただきたいものです。 ○・・文化の秋、各地で行事も盛んなことと思いますが、小倉博氏のおられる成田山史料館での拓本展、成田参拝の折りに是非お立ち寄り下さい。また、海保先生のお話しでは、茂原市の文化祭には、茂原市や近隣の庚申塔の拓本を集め□展示する計画とのことです。このよ□な催しによって、一般の方の石造文化財□対する関心、興味が高まることは本□□結構なことですね。皆さんのご活躍□を祈ります。(H) |