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  房総石造文化財研究会
  04号
  昭和55年12月15日


        
 <目次>  
 1。 
第一回研究会・総会 1月25日(日)千葉市で
 2。 をらんだ観音   一色勝正 流山市 東初石
 3。 資料紹介 四街道町史各論社寺史
 4。 <調査レポート>鋸南地方の庚申塔(その二) 沖本 博 
 5。 新会員紹介
 
6。 事務局から
復刻注:文章を、会員苔華氏が入稿して下さいました。ありがとうございます。
カラーカットは、IBMホームページビルダーから適当に補いました。
縦書きを横書きにしておりますので、漢数字の一部を算用数字に変えます。 また、新会員の住所は省略し、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。
第一回研究会・総会 1月25日(日)千葉市で

当研究会は県下全域に会員がおられる実情から、結成のための総会は行わず、取り敢えず会を発足させました。
 従って、会の方針や計画なども会員で協議して決めたわけではなく、今まではいわば準備の段階とも云えましょう。
 今回、昭和56年の新春を期して第1回の総会・研究会を開催致したく存じます。
会員各位におかれては、年初のことでもあり御多用のこととは思いますが、せっかく出来た研究会を軌道に乗せるためにも、万障繰り合わせてご参加下さるようお願い申し上げます。

   記
一、日時 昭和56年1月25日正午
一、場所 千葉市 千葉中央コミニュティセンター6階(別図→復刻注 省略しました
一、プログラム
 1.経過報告 開会 午后1時
 2.会則、事業計画、役員選任
 3.研究発表(四名を予定)
 4.懇談 閉会午后4時予定

 尚、当日遠方より見える会員の方もあるとおもいますので、全員の方に簡単な中食を用意いたします。出来る限り、12時から12時15分くらいまでに会場へお出で下さい。車でお出での方は、地下に有料駐車場があります。なお、総会の案内状はこの総会をもって代えさせて頂きます。
 当日、御都合がつかず欠席される方は、あらかじめハガキもしくは電話(0472-44-7901)で事務局(沖本)へご連絡下さい。

寄稿 をらんだ観音  一色勝正

下総小金牧の北端に近い流山市東初石(旧十太夫新田)にオランダ観音といわれる馬頭観音の石塔がある。
 図の注:一色氏が写真より転写されたものを模写

 高さは75pばかり、入母屋式の笠石があり、正面は「馬頭観世音」左側は「小金領十太夫新田 願主須賀八右衛門 同村中」とあるが、珍しく裏側に「延宝四辰年 小金上野収(牧)」と彫られ、その次の漢字混りの変体仮名の銘文が問題なのである。

 流山市発行の「流山の旧史旧跡」には「憤死したオランダ葦毛駒この所に安らし」とあり、
千葉県博物館協会発行の「千葉の博物館」千葉県博物館協会会報第17号には「おんもふしあそはされをらんたあしげ駒古の所にひめおきし」となっている。
 どちらも意味がわかったようなわからないような文句である。


 このオランダ観音には次のような話が伝わっている。
幕府は品種改良のため、度々外国産の馬を輸入し小金牧に放した。この葦毛駒もはるばるオランダ船で日本に運ばれ、上野牧に放たれたが若い種馬は異国の風土や日本種の馬ともなじめず、次第に狂暴になっていった。野馬土手を越えて耕地に入っては作物を荒し、人馬を傷つけることも再々だったという。何とも手のつけられない荒馬で貴重な輸入馬故、百方手を尽くしてみたが万策つき、牧士頭は市野谷村(流山市市野谷)の牧士・鈴木庄左衛門に屠殺を命じた。庄左エ門らはたくさんの勢子によってこの駒を追いつめ、火縄銃で撃った。深傷を負った若駒は十太夫新田の沢までたどりつき、水を飲むと息絶えた。人々はその死を憐れみ、名主須賀八右エ門や村人たちは追善のため一基の石塔を建てた。これを里人はオランダ観音とかオランダさまというようになった。

 私は、この碑文について私なりに解読したいと思い、折りにふれては一字一字を確かめてみた。まづ刻文の変体かなで、最も酷似しているものを現代かなに当てはめた。その結果は次の様に読み、いくらか意味も通るようになったと思っている。

御放し遊ばされおらんた芦毛駒この所病死

 つまり、御放牧され(た)ヲランダ(船で来た)芦毛(灰白色の毛色)の駒(が)此処(で)病死(した)と解した。
 如何に手に負えない荒馬だったとはいえ、病気で苦しみ、最早助かる見込もないとなれば、いっそひと思いに射殺して楽にさせようとしたのではなかろうか。これには関係者も一大決心を要したと思う。
 兎に角、当時としては極めて貴重な種馬を失ったのだから、土地の人々には永く記憶に残り、いろいろ主観をまじえながら言い伝えとして今
日に至ったのであろう。

(55.12.10)

<資料紹介> 四街道町史各論社寺史  

(昭54.12.1 四街道町) A4判368ページ。
四街道町史は、この社寺史を含め三分冊となっている。著者は同町在住の栗
原東洋氏。市町村史の編さん発行はこのところ誠にさかんである。しかし、このよう
な形は異例に属するのではないだろうか。著者の郷土に対する愛情と識見が至るとこ
ろに見られ楽しく読ませてくれる。ふつう、市町村史でも社寺は必ず取り上げられる
が、いかにも形式的で内容も乏しいが、この社寺史はかなり啓蒙的に書かれているの
が特色である。例えば「鳥居、社殿のいろいろ」と図示してある。六地蔵の形態など
も図で説明している。また、寺や神社の伝承や文献にある疑問点などを追求するの
に、住民の人の話やその経過が随筆で読んでいるようにわかりやすく述べてある。著
者に人を得ないと仲々このようにはゆかないので、どこでも真似はできないだろう
が、その志向するところは十分参考とすべき点があるとおもう。ふつうの読み物とし
て十分通用する。社寺史は町外の人に1000円で頒布している。四街道町役場総務
課に照会のこと。(H)


<調査レポート> 鋸南地方の庚申塔(その二)   沖本 博

私はかって同じような経験を君津市の奥部でしたことがある。亀山と云えば、木更津から分岐する久留里線の終点で房総半島の中央の山村地帯で、今はダムも出来ている。
 そこの坂畑という部落で老人から話を聞いて、猿のついた石造物があるというので教えられた通り道なき道を山登りしてみると正徳二年の庚申塔であったが、地元の人は庚申など全く知らず、年に一度のお祭りもあって、明らかに山王である。
 庚申の主尊が山王であると説いたのは、天台宗の修験であったとみられるが、それが何時しか山王信仰そのものになってしまっているのである。
 もう一つの例は、木更津市由名というところにある山王社で、社殿におさまっているのは、寛文年間造立の山王系庚申塔(笠付型)であった。
 以上いづれも、当初の造立の趣旨が後世に変わるという例で、民間信仰においては珍しくはないが、街角・辻・社寺の境内などにあるとばかり思っていた庚申塔が、地域によってはこのようなこともあると教えられたのである。(完) 

★新会員紹介(敬称略)

・石井保満 佐原市佐原
・綿貫啓一(船橋市役所)船橋市高根台
・川崎喜久男(県立安房高校教諭)富津市湊 
・高橋良助 印旛郡印西町浦部 
・榎本正三(印西町公民館長)印旛郡印西町大森 
・桜井茂隆 八日市場市西本町 

事務局から


○…師走の声を聞くと急にあわただしい気持ちになります。本年7月に研究会の呼びかけを行ない、約4ケ月がたちました。この間にやったことは、この会報を出したことだけです。会員の方も25名となりました。いよいよ明年は研究会らしい活動に入らなければと気をひきしめています。新春に行う第1回の研究会・総会は大げさに云えばこの会の今後を占なう大切な会だと思います。ぜひぜひ多数の出席を待っています。

○…毎度お願いですが、気軽に原稿をお寄せ下さい。手紙を書くつもりで石仏に限らず、地方の民俗でも何でも便箋にでも書いて送って下さい。本号は、流山の一色さんが「援兵を送る」と云って原稿を寄せて下さいました。こんな見苦しいもので申訳ありませんが今暫く続けます。では良いお年を。


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(求) おらんだ観音 の写真と現状や交通はどうなっているのか、
レポートをどなたか寄せてくださいませんか。 復刻編集部。