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房総石造文化財研究会
No 13号
昭和57.11.01

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 <目次>  
1。市川市行徳研究会
2。第一回 八街町共同調査報告
3。
資料紹介 印西の寺子屋
    高橋良助 著
4。芝山町石造文化財調査報告   芝山町教育委員会
5。富里の石造文化財    富里村教育委員会
6。姥神のこと     沖本 博

7。房総の石仏刊行結果について
。新会員紹介
事務局から
 
編集注、 カラーカットは、IBMホームページビルダーから適当に補いました。縦書きを横書きにしておりますので、漢数字の一部を算用数字に変えます。 また、新会員の住所は省略し、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。
市川市行徳研究会  11月21日(日)実施

 会報第12号で予告してありますが、11月21日(日)に予定している第8回研究会は、市川市行徳地区で行います。
○ 集合日時  11月21日 午前9時
○、集合場所  市川市 国電「本八幡」駅前
 今回の研究会は、徒歩で全コースを廻るよう計画していますが、もしどうしても自動車で目的地に行く必要のある方は、あらかじめ事務局へ申し出て下さい。今回はできるだけ全員、バス---徒歩でやりたいと考えています。

 ◎日程およびコース
 (1)本八幡駅前より京成バス(定期便)に乗車、行徳橋南詰 下車
 (2)ここから、養福院−徳願寺ー浄閑寺−教信寺−徳蔵寺−おかね塚ー中食
 (3)午后は、法伝寺−善照寺−胡録神社−香取神社−源心寺 ここで見学日程終了。
  会報で予告した石の専門家による説明会は、どうしても日程の都合がつかず、次回以降に繰り
  延べることにしました。大変残念ですが御了承下さい。
 (4)帰途はバスにて本八幡へ。または地下鉄東西線を利用して、行徳駅から西船橋へ出られます。
 なお、行徳には多くの寺があり、見学する場所は多いのですが、時間をみながら追加したり省略することになりましょう。
 歩く距離は全行程約4キロメートル程度と計画しています。
 また当日参加費として、中食代実費(約500-600円)、行徳までの往復交通費は各自負担とします。
       〇
 本年最後の研究会ですので奮って御参加下さい。資料の準備、その他ありますので必ず、ハガキ、電話などで、事務局へ参加申込みをして下さい。(11月18日までに必着のこと
第一回 八街町共同調査報告 

 会報第12号で発表した通り、はじめての試みとして、印旛郡八街町の石造物共同調査を10月17日に実施しました。
 当日、午前9時、八街町の中央公民館に集合。参加者 9名(敬称略)
一色勝正、戸向朝夫、竹内重之、綿貫啓一、山口芳利、榎本正三、川戸彰、早川正司、沖本博。

 全員を3グループに分けて、地域分担を決め、午前中の調査終了後の集合場所を川上小学校と定めて、一せいにスタート。
 正午すぎ集合して、みんなで中食。今度は午后3時、中央公民館集合として、残りの場所の調査を行い、最後に全員で調査結果の報告などを話し合い午后4時散会。
 調査結果は、いずれ報告書として会員全員に配布する予定です。
資料紹介 印西の寺子屋    高橋良助 著

 印西町在住の会員高橋良助氏が、このほど自費出版で刊行されたもの。A5判l112ページ。
内容は第一章で印西町の寺子屋の概観、第二章 黎明期の教育に灯を掲げた人びとに分かれ、第二章では印西町に遺存する寺子屋の師匠の墓碑のすべてを収録している。その数五十四基、その大部分は筆子塚であるが、文献や伝承による教育者の墓石もある。それらの写真・銘文のすべて、および付随する資料・解説を付す。
 筆子塚だけを市町村単位にまとめた資料としては他に例がなく、先鞭を付けられた点も敬服に値するが、他ではこれだけの数の筆子塚が果してあるのだろうか。
 印西町という地域のもつ性格に更めて関心を喚び起こされたおもいがする。
芝山町石造文化財調査報告   芝山町教育委員会
  
 昭和56年度事業として、本年6月に刊行された。B4判104ページ、同町の八角静氏の調査によるもので、収録された資料は261点である。
すべて写真が付けられている。261点の中には、板碑15点もふくまれるが、一応明治以降のものは除かれている。
 これらの中には県石造調査報告書に含まれていない新資料がいくつかある。
 〇加茂 普賢院
   明暦元年 十九夜塔 (六地蔵石幢)
 〇山田 福性寺
   寛文六年 日記念仏塔
 〇住母家 延命院
  寛文十一年 六観音石幢
 〇山田 小金道路脇
  元文四年  十三夜塔
 これらは、いずれも現段階で県下でも古い在銘の石造物である。特に十九夜塔は、今まで山武郡成東町大正寺の万治二年のものが最古のものとみられていたが、さらに四年もさかのほることになる。
県下の十九夜塔の最古のものから三基が山武郡にあることは、芝山観音教寺の影響を思わせる。
 報告書を作成する時には分類の問題にぶつかり苦心するものだが、この報告書にもその跡がみられる。ただ、庚申塔と青面金剛が別項目になっていて、かなり混同があった。
アラ探しをするつもりはないが、青面金剛と馬頭観音の取りちがえや、塔の形状についての表現の混乱があるようだ。
 それは別として、私たちの知らなかった貴重な資料の情報が公表された意義は大きく、その努力に敬意を表した
富里の石造文化財    富里村教育委員会
  
 昭和57年3月刊。A5判本文27ページ。調査を担当したのは木原律子氏。
調査対象を明治年代までとし、記載されている石造物は179点。仏像供養塔、信仰における造塔、その他に大別し、更に小分類ごとに解説を付け、資料をすべて掲載している。
富里村の石造物としては、寛文11年銘の阿弥陀如来が最も古く、例えば庚申塔など宝永四年が最古のものとなっているので全般的に他の地域より普及が遅い感は否めないが、そのことが何によるかを究明することも大切とおもうのである。
姥神のこと     沖本 博

 山村民俗の会の会誌「あしなか」176号に大護八郎氏が「像容からみた山の神」というかなり長い論考を発表している。
 この中では、関東地方を中心に、東北や甲信越地方の山の神の造形を紹介されているが、本県では今のところ、山の神の像を見かけたことはない。いつかどこかで山の神の像でも発見されないかと心待ちにしているので、もしそれらしいものが見つかったら、是非この会報に発表して頂きたい。
 ところで、山の神と山姥とは深い関係があるが、大護氏は「明らかに姥神の銘のある石像は管見にのぽったものでは、今のところただ一基である」と書いている。

 そこで思い出したのが、写真の石塔である。五年くらい前に、千葉市大宮町大宮神社のたくさん並んだ石祠群の中で見つけたもので、向って左側面に「文政九戊□月吉日」と刻まれる以外に銘文はない。
 どうみても老婆らしい人が両手で棒のような物を持って立っている。頭上には、横にある樹の枝が垂れていて花も付いている。梅のようにも見える。
 実はこの塔の隣りにも同じ形のものがあり、この塔よりやや古い感じがするが、銘文はない。

その当時、境内にいた中年の女性や男性にも訊ねたが、一体何の像かは知らず、いつか、地元の古老にでも訊ねて廻ろうとおもいつつ、そのままになっている。先日、道すがら立寄り、あらためて写真を撮って、近所の二軒ばかりをたずねてみたが、その中の一人から「ウバ神さまぢゃないか」と云う証言を得た。その人も遠くから嫁に来て良くわからないが、そんな風のことを聞いたような気がするという。

 何も銘文がないということは、造立したころ、その後も説明をするまでもなく、みんなが何であるかを知っていたのである。 ところが今となっては、これが何かを知っている人を探し出さなくてはならない。
 結局、その日も解らないままに帰った。

 姥神−ウバガミ− は、乳母神にも通ずる。この会報第11号に、綿貫氏が船橋市馬込町に「□母神」という石祠のあることを報告している。ババ神様とも呼んでいるというので、まずウバ神には違いない。

 この地方にも姥神信仰は存在したのである。それにしても、このようにポツンと他に類例の少ないものが造立されるところに、民間信仰解明のむつかしさがあり、またそれ故におもしろさもあるのだろう。

 いずれ、この塔はたずね廻って正体をつきとめたいとおもっているが、あるいは別のものかも知れない。しかし、広域的に見ながら、そうした正体のわからない石造物をひとつひとつ解明してゆくことが、私たち研究グループのなすべき仕事のひとつだと考えている。

お気づきのこと、類似の問題をお持ちの方は、是非素材としてみんなの前に提供して頂きたいものである。
「房総の石仏」刊行について
  
 念願の会誌「房総の石仏」創刊号の刊行を8月に終って以来、実質的に2ケ月を経過致しましたので、会員の皆さんに状況を報告いたします。
○発行部数  300部
会員へ送付  136部
特別頒布    84部
書店販売    50部
寄  贈     20部
保存用     10部

「主なる寄贈先
 県立中央図書館、県史編さん室、県立博物館(上総・安房・大利根・総南・房総風土記の丘)、県教委文化課 市立図書館(千葉北部・船橋・茂原・成田) 日本石仏協会、庚申懇話会、山村民俗の会
 以上のように配布、頒布しました。特別頒布は、会員の有志の方が積極的に買い上げて頂いたり、知人に斡旋して頂いたもので、予期以上に消化することができました。
会長、副会長にも多く引き受けて頂きました。また書店は千葉市セントラルブラザ多田書店で取扱い、約一ケ月で大半を売り捌くことができました。
新会員紹介

 「房総の石仏」創刊号を刊行したのち、各方面から会員にして欲しいという申込みや照会が来ております。 これで、会員数は40名となりました。
田中 寿恵治  千葉市亥鼻・・・   「房総の石仏」を見て龍崎氏を通じて入会希望。
龍崎 保男  千葉市道場南・・・   「房総の石仏」を見て入会希望。
田中 久子(横田甲一氏紹介) 三鷹市 中原・・・・ 印旛郡白井町を中心に調査研究をつづけておられるとのこと。   
事務局から

○…さわやかな秋、菊薫る文化の秋を迎えて、会報第13号をお手許にお届けします。
 ごらんの通り、ようやく念願のタイプによる会報の編集発行にふみ切り、今までよりもグット紙面を刷新できました。
 これは、一つは会の財政がようやく軌道に乗って来たこと、会員数が四〇名となり増加の傾向を示して来たことーーなどによるものです。

〇…それと入会希望の方が、千葉県内にとどまらず、東京、神奈川などの他県に拡がって来たことも考えさせられる点です。
 遠隔地の会員の方は、この研究会の行事活動に参加できなくとも、機関紙や研究誌を通じて研究活動に参加するということになろうかとおもいます。
 会員への情報サ−ビス、研究レポートの交換交流が今までよりもー層この会の参加意義を高めることになりましょう。

〇……そのためには、毎度お願いしていることですが、さ細なことでもどんどん原稿をお寄せ頂きたいとおもいます。それがこの会の発展の基礎と信じます。  (沖)

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