1.第2回 研究集会 8月25(土)・26(日)日 流山市で
すでに予告してありますが、昨年にひきつづき、宿泊しながら交流を深めようという研究集会を次の要領で行ないます。
今年は、未だ新しい流山市にある県立青年の家を会場とし、第1日には、富士講研究の第一人者であり、「山村民俗の会」を昭和10年代から支えてこられた岩科小一郎先生を講師に招いています。
どうぞ、ふるって御参加下さい。
なお、昨年の反省から、第1日だけ、または第2日だけの参加も認めることにしたいとおもいます。都合で宿泊せずに参加される方も結構です。
年に一度の機会ですので、多くの方々と接することが望まれます。
記
一、日時 8月25日(土) 12時半集合
8月26日(日) 午前9時集合
一、場所 流山市、県立青年の家
一、プログラム
第1日 午后1時 開講式
午后1時15分より約二時間
富士講について 岩科小一郎先生
午后4時より1時間
研究発表、意見交換
午后6時より2時間
座談会
第2日
午前9時より流山市内見学
一、会費 3,500円(一泊三食)
一日のみの方 1,000円
一、参加申込み
事務局へ、ハガキ又は電話で
〆切 7月末日
一、その他
交通その他は、参加申込をされた方に後日、くわしく連絡します。(申込状況により、集合地点を決めて、足の便を計るつもりです)
なお、不明の点は御照会下さい。
、事務局 0472-44-xxxx
2.講師のプロフィール 岩科 小一郎 先生
昨年、約30年にわたる富士講研究の集大成として「富士講の歴史」が名著出版より刊行された。そのあとがきにもあるが、若い時から山歩きが好きで、戦災で家と職を失い、勤め人(東京都庁)になって、何か出来ることはないかと考え
て、東京にある富士塚に登りはじめ数年で千葉・埼玉も含め80の富士塚に登ったという。
爾来、難解な富士講文書にも取り組み、各講の先達や御師との交流を深めて、富士講研究一筋に打ちこんでこられた。
その間に、山村民俗の会を主宰し、機関紙「あしなか」を刊行してこられたことも大きな業績である。「あしなか」はすでに185輯、昭和14年から45年の歴史を誇る。信じられないような努力の積み重ねである。
8月25日は、富士吉田市で富士道者による壮大な火祭が行われる。そこへ行かれる予定をくり下げてもらって、流山市まで御出馬を願った。蒐集して来られた資料の一部も見せて頂ける筈である。
一人でも多く先生に接して頂きたいとねがっています。
3.花見地蔵 沖本 博
去る6月21日の印西町での研究会で、はじめて「花見地蔵」という石仏にめぐり合いました。
高橋良助さんたちが、「花見地蔵」と云っておられるのを聞いて、はじめは、よくある地蔵の通称だとおもっていたのですが、大森の長楽寺の境内はずれにある地蔵は、形は延命地蔵なのですが、明らかに「花見地蔵」と刻まれています。
宝暦12年の造立。
見学コースの最後の地点である浦部の歓喜院の境内にも一基ありました。
こちらは、両手で宝珠を持つ形に造られ、「花見堂地蔵」と刻まれています。
延享四年の造立。注目を要するのは、造立年月日で、いずれも「三月三日」であることです。住職も出てこられて、いろいろ意見も交わしましたが、その説明も今一つ要領を得ませんでした。
ただ、この地蔵が印西町にいくつか存在すること、桃の節句にあたる三月三日に立てられていることが、強く印象に残りました。地蔵がこどもを救い守る仏として信仰されているところから、桃の節句と関係させて、この日にこどもの供養をしたのではないかと想像してみました。
私の故郷は、島根県津和野町ですが、毎年4月3日(月おくれの節句)には、こともたちは弁当を持って、山に登る習慣があります。その日だけに使う三段の引き出しの付いた塗物の弁当箱があり、いろいろな御馳走が詰められていて、親しい仲間たちと山に登って腹一杯食べたあとは、山を駆け廻って遊んだ思い出はとてもなつかしいものです。
春先に山に、登ることは、古代から日本に伝わる大切な信仰行事とされています。
古事記や日本書紀にのこされた「国見」とは、この春山入りのことで、
夜麻登(やまと)は 国のまほろば
たたなづく 青垣 山ごもれる
夜麻登しうるはし
という国ぼめの歌が有名で、奈良地方では、旧暦三月三日は、ハナミ、タケノボリ、ハルゴト、などといって山にのぼって共同飲食や歌舞が行われています。
すなわち、春の田植を前にして、山の神に今年の豊作を祈る予祝行事が、ハナミであり、ク二ミであるわけで、その名残りが、私の故郷でのようにこどもの行事になったり、果ては桜の鑑賞を主体とした花見の宴ともなったのでしょう。
◆
「花見地蔵」という言葉から、現代の人たちは、桜の下での華やかな宴を連想するかも知れないが、「花見」の厳密な意味を考えると、この地蔵の立てられた江戸時代中期の農村では、三月三日には春先の農耕行事としての「節句」が生きていたとおもわれるし、「虫追い」などという形もそれであろうし、船橋市や千葉市に残っている出羽三山行者が行なっている「天道念仏」も、根本ではつながっていると考えられます。
そう考えてくると、この「花見地蔵」も、果してこどもの供養であったのか、それとも「天道念仏」のように、部落あげての豊作祈念であったのか、というふうに二つにわかれてきます。
今後の研究課題としておきましょう。
4.第12回 印西町見学会 記録
印西町見学会は、予定通り6月17日実施されました。梅雨のシーズンで天気予報も余り良い情報ではなかったのですが、当日は青空も見えてお天気に恵まれました。参加者は次の通り。(敬称略)
竹内重之 平岩 毅 戸向朝夫 森 耕一 猪野家憲 竹内 正 山口芳利 佐野二郎 高橋良助
吉田文夫 対馬郁夫 沖本 博 大森義朗 一色勝正 榎本正三 石井保満 谷島一馬
印西町の教育委員会職員の方も加わり、合計一18名が、印西町中央公民館に集合。
地元の高橋、榎本、森さんたちの御尽力で、コース地図、見学予定資料一覧表が準備されており、その上、印西町石造文化財報告書(第二集・第三集・第四集)や、高橋さんの著作「印西町の寺小屋」など大部の資料が各自に配布されました。
午前10時すぎ、乗用車を先導としてマイクロバスで出発。東へ向って、第1地点の小林・猿田彦神社からはじまりました。地元の方が待っておられ、社殿(庚申堂) を開けてもらい、祭神として祀ってある寛文11年銘の庚申塔や、境内の百庚申を見学しました。
つづいて、小林・光明寺の月待塔などを見学、寛文9年をはじめ、寛文年間の十九夜塔で、如意輪観音の彫技は他地域に比べるとすぐれていると感じました。
ここの境内には、完形の暦応四年の板碑があり、町指定文化財となっています。
次に、別所へ移り、青年館傍の子安地蔵、地蔵堂の時念仏塔 (寛文九年・胎蔵界大日如来)や、瞽女(ごぜ)たちの奉納した手洗石をみて、話に花が咲き、正午になってしまいました。
ここで一旦、公民館へ戻って中食、休憩のあと、午後1時から竹袋へ向かい、寛永15年の時念仏塔などいくつかの石仏を見て、大森の長楽寺へ。広い境内をあちこち見て、本堂で住職のお話を聞くグループもいて、ゆっくり過しました。
ここから、和泉の時念仏塔(寛文元年)、浦部の百庚申、そして最後、浦部の歓喜院に行き、寛文9年の十九夜塔・花見堂地蔵を見たり、住職の案内で薬師堂の立派な厨子など見学しました。
第12回の見学会は、見学地点を余り欲張らず、割と時間の余裕を持ったので、ゆっくり楽しむことができたように感じました。終始、和気あいあいと楽しい雰囲気で通し、気持ちの良い一日でした。
ただ、研究見学会も出席する人とそうでない人が少しずつハツキリして来たように感ぜられます。日程やプログラムについて、希望や御意見があれば、遠慮なくか申し出下さい。いろいろな都合で出席されなかった方も、次回には思い切ってお出かけ下さい。
最後になりましたが、印西町の高橋さん、榎本さん、森さん、木当に御苦労さまでした。紙上を借りて御礼申し上げます。
5. "孝心講″の資料について
この会報で2回にわたって、孝心塔のことを書きました。
印西町の高橋良助氏が、前号に紹介した「孝心橋」の拓本を研究会当日持参され、みんなで見ました。野田市の戸向朝夫氏も「孝心塔」の拓本を持参されました。その上に、印西町白幡の手洗石、白井町七次の道標(孝心−明治19年)の拓本も、高橋、森両氏の調査の成果として発表されました。
戸向さんからは、「孝心講」とある猿田彦大神と刻む塔が、野田市三つ堀にあることも知らされました。
先日、大森義朗氏から、白井町七次と鎌ヶ谷市の境界近くで、明治26年造立の道標を見つけたと教わりました。
鎌ヶ谷市には、道標(年不明)と浅間大神碑(昭和3年)があり、孝心講関係の石造物は、県内で13件もあることが判明しました。
この外に成田市内に、いくつかあることも聞いています(森耕一氏談)ので、今後も未だふえるとおもいます。
こんなに短期間に広い地域の情報が得られることは予想していませんでした。研究会という組級の成果だとおもいます。
これらは、いわば会員の共同調査の産物で、いつかの段階でキチンと報告書としてまとめ、全員に配布したいと考えています。
未だ、印旛郡や旧東葛飾郡一帯には、「孝心講」という文字が刻まれた石造物が存在している可能性があります。
どうか気がつかれた方は、情報をお寄せ下さるようお願いいたします。
6.新会員紹介
▽大島雄二 君津市・・・
▽渡辺智信 千葉市・・・
▽多田正行 君津郡袖ヶ浦町・・・・
7.事務局から
○…いよいよ盛夏も間近となりました。こどもたちの夏休みもはじまります。
わたしたちの年一回の研究集会も計画通り、流山市の「青年の家」で行われます。昨年の参加者は18名でした。今年は会場の都合で25名のワクとなりました。宿泊研修というの.も、平素ゆっくり話ができない会員相互の交流の場でもあります。多くの.参加者を期待します。
○…「房総の石仏」第3号も、当初予定の5月未〆切から一ケ月遅くなりましたが、主な原稿は到着しています。研究集会の席上で配布したい、という計画は少々無理かも知れません。何とか余り遅れないように刊行したいとおもいます。
どうか楽しみにお待ち下さい。
なお、来年を目指して一年計画で御自分の研究テーマをまとめて頂いたらと考えています。
では、研究集会の実り多からんことを願いつつ。

○… 昭和59年度 会費 未納の方はよろしく
第19号会報でお知らせした通り、今年度より、「房総の石仏」分も含めて、年会費3,000円となりました。総会に出席されなかった方など、未納の方は同封振替用紙で納入下さるよう、お願いいたします。尚不審の点は遠慮なくお申し出で下さい。
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