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 房総石造文化財研究会
    会報 
24号

  昭和60年(1985)
   12月25日

 
 <目次>

1.研究懇談会 1月26日(日)開催

2.下総の子安信仰・石造品分布  平岩 毅

3. 同 事務局から  沖本 博

4.資料紹介 三山参りと札所巡礼 岡倉 捷郎 (あしなか」191号)

5.資料紹介 庚申89・90号から

6.資料紹介 大龍寺の板碑 川戸 彰 (千葉県の歴史 第30号)


7.事務局から 

復刻注:モノクロ・実質本位・内容優先の本物より、最低限見やすい体裁にしました。 目次をつけ、カラーにする等、印刷物の体裁を、インターネットの体裁に変更してありますが、内容は変わってません。 検索と閲覧の便のためPDFにしてません。 ただし、縦書きを横書きにする関係で、漢数字の一部を算用数字に変えてます。
 文中の□□は、欠字。丸数字、記号等は直し忘れで変更してなく、文字化けしている箇所があるかもしれません。 推測してください。 その他、カラーカットは、IBMホームページビルダーの画像から適当に補いました。 会員の住所・メール等は、省略〔・・・〕しました。また、”一、”を
”◇”、▼を◆に変更、
○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。
 
1.研究懇談会 1月26日(日)開催

新年を迎えて、1月26日(日)、左記の通り、研究懇談会を開催することになりました。当日は、話題として研究発表を行い、そのあと情報や意見交換、新年の顔合わせの意味で、ささやかな懇親会も行なう予定です。
 会場も、交通の便を考えて、千葉駅から数分で行ける場所を選びました。
 この会も、しばらく開いていませんので、お互いに疎遠になった感じもあり、また今まで参加の機会のなかった方も、是非気楽にお出かけ下さるよう、お願い致します。
 
     
◇ 日時 1月26日(日)午后1時
◇ 場所 千葉市新町 新町公会堂
◇ プログラム
 (1)研究発表
  (イ)下総板碑(仮題)  佐原市  石井保満氏
  (ロ)房総の富士信仰  千葉市  沖本 博氏
 (2)懇親会
◇ その他
  (イ) 懇親会費として500円
  (ロ) 出席希望の方は、事務局まで 電話(0472-44-XXXX)又は、ハガキで申込みのこと。
  (ハ) 会場には駐車場がありません。近くは駐車がむつかしいので、出来るだけ、電車でお出で下さい。

   研究懇談会について
 この会の在り方として、会の発足以来、見学会を中心として、年一回の研究誌の発行を主な事業として続けて来ましたが、これに加えて、年数回の研究懇談会を行なってゆきたいと考えています。
 この会合では、当初は会員の研究発表を中心に行ないますが、参加者がある程度まとまるようであれば、会員以外の方々を招いて話を聞くことも考えたいとおもいますし、そのようになってゆけば、会員以外の有志の方々も参加してもらっても良いのではないかと考えます。
 いずれにしても、地道に回数を重ねてゆくことが必要ですし、また気軽に自分の活動報告や情報をどんどん発表できるような楽しい会に育てたいとおもっています。
 どうかその意味で、積換的に参加して.頂き、またこの会の運営についても良い御意見をお寄せ下さるようお願いいたします。


2.下総の子安信仰・石造品分布  平岩 毅

 下総の子安信仰には、大別して三系統の流れがある。子安観音、子安明神、待道権現である。

 先ず子安観音に触れてみよう。その初出を「千葉県石造文化財調査報告」によってもとめてみると、銚子市若宮町.東岸寺の元禄三年(1690)になっている。現地に出掛けてみると、享和三年造立のものなど11基の子安観音刻像塔が並んでいたが、目当ての塔はいくら探しても見当らなかった。もし実在していれば日頃の空想が、つまり隠れキリシタンたちが幼いキリストを抱く聖母マリヤの姿に摸して子安観音を石に刻んだとする考え方が立証できるかも知れないと期待していたのに残念であった。
 次に古いものは、ある石仏誌で知った白井町谷田にあるという、元文二年(1737)の十九夜塔である。これも訪れてみると、普通の如意輪観音であり、両手に持つ蓮華のつぼみが子供の頭ほどもあるため、調査者が子育ての姿と勘違いしたものと判明した。
 利根川の南岸に近い栄町西の廃寺跡には、元文五年(1740)の刻像塔がある。子安観音諸願成就・西新田同行八十五人の銘文をもち、子安信仰が十九夜念仏から独立して歩き初めた時期を物語っている。つづいて、銚子市高神にある延享二年、酒々井町横町の宝暦四年などあり、この二基は子安講の出現を示している。

 これより少し古く、下総各地には子安明神の石祠が現われ始める。富里町中沢.稲荷神社にある元文元年の石祠を初出として、同町の立沢にある元文四年、酒々井町下岩橋・八社神社にある子を抱く女神を刻む延享元年(1744)のもの、成田市松崎にある同様の宝暦一二年のもの、八千代市村上の宝暦九年、印旛村山田の寛延三年などが各地に続々と造立されている。ただ子安明神像といっても子安観音と似たようなものであり、神名表記がなかったら区別はつかないであろう。
 印旛村から流れ出して東京湾へ注ぐ新川(下流は花見川)流域は何故か江戸後期の始め頃から次第に子安信仰が盛行し、子安観音の刻像塔が濃密に分布している。そして現在も、各地に子安講が現存している。印旛村岩戸の高岸寺にある十五夜塔(天明四年)に刻まれた両手に子を抱く観音像や、享和三年のもの、近くにある広済寺の享和元年のものなどが古い方で、出現時期としては千葉市の安永五年、船橋市の安永八年などに比べ可成おくれている。
 子安塔の総数としては、千葉市に110基、船橋市に76基、銚子市を要とする下総の東北地帯に119基が確認されており、印旛沼西畔地帯にのみ多いとするのは偏見であろう。
 子安信仰の盛行には、社会的要因や働く女性たちの気質が絡んでいると察せられるが、これを論述することは省略したい。

 さらに、子を抱く子安地蔵もあるが、私見では意外に少なく、上総北部に当たる成東町白幡の十九夜塔(明和二年)に刻むものが最古であり、千葉市を例にとると江戸後期から明冶へかけての造立と思われる年記不明の3基しかみられない。
 下総全域を通じても、其の数は極めてすくない。地蔵が子を守る仏として尊崇されてきた歴史は古いが、安産を主体とする子安信仰としては、受け入れがたいものがあったのであろう。とは云え、現今では水子地蔵として、各地に於いて脚光を浴びつつある。

 尚、両総にまたがる日蓮宗信仰圏(七里法華)に於いても、寛政年以降の子安明神石詞は多くみられるが、子安観音は明冶以降になってから、ぽっぽっ現われる程度に過ぎない。

 待道権現は安産守護の神であるが、これを祀る石祠が我孫子市を中心としてその周辺(沼南・鎌ヶ谷・流山.柏.野田・松戸.取手)に安永四年を初出として数多く分布している。「我孫子市史研究」に飯白和子女史による克明にして資料価値の高い研究が発表されているが、女史による確認基数は51基である。茨城県側にも多いと聞くから、実際の数は更に上廻るものと思われる。

 以上で大まかな展望を試みたつもりですが、いたって粗雑なものであり恐縮しております。会員の皆様による温かい御教示をお待ちする次第です。

 --- 事務局から ---  沖本 博

平岩さんから、八月ころ原塙を送って頂いたのですが、発行が遅れてしまったことは誠に申訳ないとおもいます。
 さて、さきに 「房総の石仏」第三号で綿貫さんが「妙正大明神」を取り上げて追求されましたが、千葉県内で興った信仰を解明し、発表されたことは誠に有意義であったとおもわれます。
 横須賀市在住の藤井慶冶氏(庚申懇話会員)から、横須賀市内にも妙正大明神があり、その正体が良く解ったといって書簡を寄せられました。
 これから推定すると、東京都内や神奈川・静岡(三島)など、中山法華経寺の末寺のある地域には分布している可能性もあるとおもわれます。
 同じような問題の一つに「待道権現」があります。平岩さんも触れていますが、「庚申八九号」(60年11月)に、当会会員でもある高橋肇さんが「待道尊・十七夜塔・血盆経」という短かいレポートを寄せていますが、我孫子市岡発戸の白泉寺がその中心であったこと。その近くの塩左衛門家にその版木が伝わっていること、などをはじめて知りました。
 子安信仰は、平岩さんも述べているように、子安大明神、子安観音、子安地蔵、待道権現などと時代と地域によって多少の違いをみせながら、かなり広汎に盛行した信仰であります。
 ただし、不思議なことに、月待塔にせよ、子安信仰にせよ、下総地方に限られていて、上総・安房になるとほとんど稀薄な状態となっています。実態調査の不完全さから来る情報不足もありますが、今後、会員みんなで注意し、共通のテーマとして話題にしたいものです。
 特に月待塔は、千葉県には多く存在し、その種類も豊富です。そして、その中心というか主流は十九夜塔となっています。
本来、月待ということからすると、十五夜が中心であるべきと考えられるのですが、全国的には廿三夜だとされ、千葉では十九夜とされているなど、未だ調査研究の余地が多く残されています。
 子安信仰とからみ合って、どう発展して来たのか ----- どうか、会員の皆さんのレポートや意見など、お寄せ下さることを期待しています。


4.三山参りと札所巡礼 岡倉 捷郎(あしなか191号) 

山村民俗の会発行「あしなか」191号は、全20ページを岡倉氏の論文に充てている。この論文は、さきに「房総の石仏」第三号に発表した「房総における社寺霊山巡拝塔」の続篇ともいうべきものである。
 この中で、岡倉氏が述べているポイントは、出羽三山信仰と百番札所巡礼の重層性である。市原市を中心とする上総地方は、出羽三山においては御師・養清坊の支配するところであって、ここでは三山と百番との習合を許さず、一方御師竹之坊支配下の下総・武蔵・相模においては、この規制がゆるやかで、出羽三山と百番巡礼がほとんど一体的になっている----という点を解明している。
 「房総の石仏」においては、千葉県下の西国三十三番巡拝の地域を浮彫にして、熊野信仰への回帰性を立証しようとしたが、さまざまな角度から、札所巡拝に対するとらえ方を示されたことは、私たちの目を開かせられるところが大きい。


5. 庚申89・90号から
 
庚申懇話会研究誌「庚申」の最近号には・房石研の会員の方々の投塙が掲載されている。
 高橋 肇 待道尊・十七夜塔・血盆経
   同  八千代市下高野の十九夜塔
 平岩毅 印旛沼周辺の石仏
      横田甲一 八千代市下高野の十九夜塔
 横田甲一さんは、健康を害されて、未だ自分で調査することが難しいので、高橋 肇氏に八千代市下高野の福蔵院の調査を依頼したとのことである。
 平岩氏は、さきに「日本の石仏」に発表された赤坂六郎氏の同テーマの調査の誤まりを克明に修正した報告である。  

6.大龍寺の板碑  川戸 彰 (千葉県の歴史 第30号)

「千葉県の歴史」第30号には、佐原市与倉の大龍寺の改修工事に際して発見された66基の板碑について、その概要がレポートされている。この板碑の調査に当られたのは、佐原市在住の石井保満氏である。
 ここで注目されるのは、金箔を使用した板碑が4基出現したことであろう。


7.事務局から

◆ いよいよ昭和60年もあと数日を残すのみとなりました。この会についてみるといろいろ不十分なことも多く、悔を残しましたが、新しい年になったら気持を一新して、みなさんと共に頑張ってゆきたいとおもいます。
 その意味で、役員のみなさんと御相談して、新春の顔合わせの意味もこめて、1月26日に研究会を開くことになりました。いろいろ気楽に、会の今後のことや、自分の活動について話し合いたいとおもいます。
 是非お元気な顔を見せて下さい。
 では、御家族のみなさまともども 良いお年をどうぞ ---。

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