HPトップへ

房総石造文化財研究会
60

平成10年05月10日

 
 <目次>

1.新年懇談会の記録  白井 豊

2.定期総会のご案内


3.小見川町共同調査の記録  白井 豊

4.〔房総石仏ノート〕 花見地蔵のこと  沖本 博

・・・
 榎本正三氏による連載記事は、榎本氏の健康上の理由により、一回お休みさせていただきます。

復刻注:モノクロ・実質本位・内容優先の本物より、最低限見やすい体裁にしました。 目次をつけ、カラーにする等、印刷物の体裁を、インターネットの体裁に変更してありますが、内容は変わってません。 検索と閲覧の便のためPDFにしてません。 ただし、縦書きを横書きにする関係で、漢数字の一部を算用数字に変えてます。
 文中の□□は、欠字。丸数字、記号等は直し忘れで変更してなく、文字化けしている箇所があるかもしれません。 推測してください。 その他、カラーカットは、IBMホームページビルダーの画像から適当に補いました。 会員の住所・メール等は、省略〔・・・〕しました。また、▼を◆に変更、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。

1.新年懇談会の記録  白井 豊

本年の新年懇談会は、1月25日(日)千葉市の青雲閣を会場に行われました。
午前中の役員会の参加者は次の8名。
 石井保満  沖本 博  川戸 彰 白井 豊 戸向朝夫 吉田文夫
 吉村光敏  綿貫啓一
 9年度の活動状況、会計の中間報告などがなされた後、今年の行事の原案を次の様に考えてみました。これは、5月30日の総会を経て正式に決まることですので、ご意見がありましたらお寄せください。
定期総会   5月30日 中央博物館
見学会    7月26日 佐倉市
石仏入門講座 8月9目  中央博物館
調査見学会(一泊)10月24日〜25目  野田または銚子方面
見学会    11月   船橋周辺
新年懇談会 1月24日 場所未定
共同調査   3月28日 小見川町または山田町
 午後からは、恒例の懇談会となり、上記の参加者に新会員の小菅俊雄氏が加わり、様々な情報交換や石仏百選の進行状況のことが、話題となりました。


2.定期総会のご案内

本年度の総会を左記の様に開催します。
      記
一、日時  5月30日(土)午前10時
一、場所  千葉県立中央博物館会議室
一、参加費 500円(昼食代・資料代)
 午前中に総会、午後は研究発表(沖本 博氏による浅間講に関する新知見)を予定。その他、石仏百選の現況見本、小見川町共同調査の結果を披露する予定。午後の部は会員外の方にも参加いただけます。奮ってご参加下さい。同封の葉書にて26日までに出欠をお知らせ下さい。
 〔会場への交通〕JR千葉駅前7番バス停より乗車(大学病院行き等、どのパスでも可)、中央博物館前にて下車、徒歩五分


3.小見川町共同調査の記録  白井 豊

今年で第3回目を迎える小見川町の共同調査が、3月22日(日)に行われました。参加者は、次の7名でした。
 石井保満 沖本 博 小菅俊雄 白井 豊 戸向朝夫 西岡重夫  吉田文夫
 あいにくの雨模様の天気でしたが、善光寺境内を調査した後、過去2年間にまだ廻っていなかった町の南西部を中心に調査しました。主な調査地は、次の如し。
 〔午前中〕小見川の善光寺
 〔午後〕 白井の清涼院 →山川の墓地→八本の諏訪神社→五郷内の樹林寺
 今回で、小見川町のほぼ全域を見てまわったといってよさそうです。


4.〔房総石仏ノート〕 花見地蔵のこと  沖本 博

私はかってこの会報21号と39号に「花見地蔵」について書いた事がある。
 花見地蔵は、印西市・白井町・沼南町・本埜村など印旛郡の限られた地域にある地蔵で、銘文に「花見地蔵」「花見堂」などと刻まれており、三月三日などの造立であるところから、子供の成長を願ってつくられたものであろう、という推定がなされている。印西市には総数20基の半数があり、榎本正三氏も注目されている石仏である。
 先の会報の中で紹介した木原律子さん(八千代・阿蘇郷土研究サークル)から先日手紙が届き、この花見講が行われていたことを知らせて頂いたのである。
 それによると、行われていたのは香取那大栄町吉岡新田で、木原さんはこの地域の民俗調査を担当し、聞き書きをメモして送ってくださった。
 四月三日(旧暦三月二日)女の子を中心に前日ころから集めた椿の花を台にのせた土饅頭に差し、また花を糸に通したかざりを台にぶら下げるなどして、花見堂が出来上がる。子供達は前日に「花見堂のカンジン」といいながら鉦を叩いて部落を回り賽銭を貰って歩く。親たちは各戸より米を集めてニギリメシを作り、豆腐汁とともに子供や年寄りたちも食べ食事が終わると子供達は花見堂を新田のはずれの地蔵まで運ぶ。このとき「地蔵さま、ボーサッダ、花見堂のカーンジン、大ヤキメシはうまかった、豆腐汁でうまかった、……せやれ、ひっちょ。」とうたいながら鉦を叩いて送ったという。
 そしてそばの川に花見堂を流して、地蔵に線香を上げてお参りしてこの行事は終わる。

  〔木原律子さんによるスケッチ〕

   ○
 この行事も平成元年ころから中絶しているとのことで、大栄町でも他の地区にはなかった、という。しかし、多分その昔は香取・印旛地方ではあちこちで行われていたに違いないと思われる。その意味では木原さんのもたらしてくれたこの聞き書きは大変貴重なものだとおもう。
 そして、私も長い間「花見堂」ということについて解けなかった疑問が少し明らかとなった。地蔵と子供との関係は密接なものがあり、ここから三月三日には村の地蔵を中心に、子供たちの年中行事として「花見堂」なる行事が行われていたのであろう。花見地蔵の初見は、本埜村の享保十一年かと思われるが、この行事そのものはもっと古い時代から行われていたのかもしれない。
 木原さんのご厚意に感謝しつつ、報告いたします。

  60号先頭へ     トップへ