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房総石造文化財研究会 会報 68 平成12年8月16日 |
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| <目次> 1。平成12年度定期総会の記録省略の弁 2。第4回 石仏入門講座のこと 3。車地蔵雑感 石井保満 ●その一. 中世の仏龕笠塔婆との関連 ●その二. 佐原市にある車地蔵 情報コーナー 4。紙上質問 「鉄門海供養塔」 に関する情報を求む 榎本正三 5。会員の動向(定期総会出欠葉書の近況より) |
| 復刻注:モノクロ・実質本位・内容優先の本物より、最低限見やすい体裁にしました。 目次をつけ、カラーにする等、印刷物の体裁を、インターネットの体裁に変更してありますが、内容は変わってません。 検索と閲覧の便のためPDFにしてません。 ただし、縦書きを横書きにする関係で、漢数字の一部を算用数字に変えてます。 文中の□□は、欠字。丸数字、記号等は直し忘れで変更してなく、文字化けしている箇所があるかもしれません。 推測してください。 その他、カラーカットは、IBMホームページビルダーの画像から適当に補いました。 会員の住所・メール等は、省略〔・・・〕しました。また、▼を◆に変更、○+1.2.3は、(1)、(2)に変えました。 |
| 平成12年度定期総会の記録省略の弁 本年の定期総会は、5月20日(土)に行われましたが、その内容は、参加されなかった方々には、事務局の吉田氏より通知しましたので、記録を省略します。 今年度の事業日程は、前号に掲載したとおりですが、石仏入門講座は、8月6日ではなく、8月20日の誤りでした。 なお、本年は、総会の議事終了後、千葉市内での石仏の見学会を予定していましたが、あいにくの雨となったため、急遽予定を変更し、前号の情報コーナーで紹介しました白井町郷土資料館で行われている企画展「白井の講と石造物」を見学に行きました。 第四回 石仏入門講座のこと 四年目を迎える石仏入門講座ですが、今年は8月20日(日)午前10時半から、県立中央博物館の講堂で行われます。 今回、午前の部の講師は綿貫啓一氏で、「石造物と民間信仰-病気と崇りをめぐって」という表題での講演を行っていただきます。第三回までは、毎回、沖本会長に午後の部の講演の導入編という形の講演をしていただいてきた訳ですが、今回は綿貫氏に表題の様に広く病気に関する石造物に関して講演をしていただきます。そのうえで、午後の部の講師として、川村純一氏に、「天然痘と痘瘡神塔」という表題の講演を行っていただく予定です。 また、本年も講座後の9月10日に、入門講座の受講者を主な対象とする石仏見学会を予定しています。今年は綿貫氏を講師にお願いし、八千代市で病気に関係した石造物を中心に見学することを計画しております。 入門講座の詳細は、同封の案内文のとおりです。会員の皆さんはもちろん、お知り合いの方ともお誘い合わせてぜひ大勢の方にお越しいただきたいと思います。 車地蔵雑感 石井保満 ●その一. 中世の仏龕笠塔婆との関連 昭和47年10月発行の『日本の美術』「塔」 (至文堂)をめくつていると、仏龕笠塔婆のタイトルで、写真が載っているのが目についた。塔身には石輪が嵌め込まれている。これはまさしく町田茂氏が、千葉県中を調べて『日本の石仏』「一九九九年冬号」に「房総の車地蔵」として掲載した石塔と同質のものであることに気付いた。『会報』の埋め草には手頃の題材ではないかと手許にある本を頼りにして駄文を弄することにした。 石仏に素人の悲しさ、車地蔵と言われても何のことか皆目見当がつかないので、先ず定義を調べてみる。 町田氏は『日本の石仏』で次のように述べている。 「車地蔵は地蔵菩薩と輪廻塔が組み合わされたものだが、輪廻塔は、石製、または木製の輪廻車(後生車、念仏車という)を念仏を唱えながら廻すと、死者の供養になるといい、また自らの来世の幸せ(後生)を願うものであるし、地蔵菩薩は、来世利益の菩薩としての一面を色濃く持っていることなどのことから、両者の組み合わせが考えられたものと思われる。」 要を得た解説でその輪郭はつかむことはできた。次に『塔婆之研究』 (鵤故郷舎出版部・昭18・3) の中の石田茂作博士の解説をみてみる。 「〃六地蔵塔〃仏龕塔婆に類し、その仏龕に相当するところに六地蔵を彫刻するためこの名がある。室町時代のものが多く、竿石のところには転法輪を作るものが往々ある。」 (・印は筆者) 石輪は、転法輪だったのである。これでだいぶはっきりてきたが、もう少し見てゆこう。 最初に掲げた『塔』の解説文を次に略記する。 「〃仏龕笠塔婆〃ー 石灯籠と類似の形となるが、これは火袋でなく、仏龕であることに特徴がある。竿石には角柱・円柱・六角柱があり、仏龕には方龕と六角龕があり、したがって竿石にも方形・六角形が適宜組み合わされる。 なお竿石には礼拝供養に供えて石輪を嵌めこんだものが時々ある。これは賽者がこれをまわして手を清めまた念仏を唱えるためという。」 これも石田博士の解説なので、あまり代わり映えせず、また、「輪廻塔」という名称は全くでてこない。 中上敬一氏は、『続日本石仏図典』(国書刊行会・平7・5)で、〃輪廻塔〃として解説しているが、内容は町田氏とと大差ない。相違しているのは、町田氏は石車に南無阿弥陀仏と彫られているものもあるとしているのに対し、中上氏は総てに刻まれている、と取れるような書き方をしている点である。 たったこれだけの文献を調べただけで憶測するのは無謀のそしりは免れないが、敢えて憶測すれば、〃輪廻塔〃 の名称は戦前には無かったのではないかと思われる。 次に中村元の『仏教語大辞典』によって転法輪と輪廻についてみる。 「〃転法輪〃=@輪を回して車を前進させるように仏が法(教え) の輪を転ずること。輪はインド古代の戦闘に用いられた武器のことであるとも解されている。戦車が回転して敵を破砕するように、仏の説かれた教えが、一切の衆生の間を回転して、迷いを破砕するので、転法輪(教えを説くことを転ずる)という。・・」 「〃輪廻〃=流転ともいう。原意は、流れること。インド古来の考え方で、生ある者が生死を繰り返すことをいう。衆生が迷いの世界に生かわり死にかわりして、車輪のめぐるようにとどまることのないこと。果しなくめぐりさまようこと。 仏教では、迷いの世界のことで、三界(欲界・色界・無色界)・六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に生死を繰り返すことをいう。〔しかし、その原語は、現代のサンスクリットおよびヒンディー語では「世の中」 「世界」という意味に用いる。こういう用法はかなり古い時代にまでたどられる。したがって漢訳仏典に「輪廻」とあるからといって、すべて「生まれかわる」という連想でのみ解釈するのは誤りである。また、それが生存の形式であるという意味で、(有・生存)と同義である。〕」 こうしてみてみると両者の結び付くところがない。要するに民間で生まれた信仰は、素直に伝承のとおり信じておけ、という結論になる。 なお、『塔』に所在地と造立年が簡単に記載されているので左に転写させてもらう。 広島県宮島仏龕笠塔婆(伝康頼灯籠)〔鎌倉時代〕 山形県赤湯仏龕笠塔婆 〔嘉慶三(1389)年〕 群馬県東向八幡仏龕笠塔婆 〔文明六(1474)年〕 群馬県石上寺門前仏龕笠塔婆〔延徳三(1491)年〕 群馬県赤城神社仏龕笠塔婆(六地蔵塔)〔延徳二 (1490)年〕 大分県岩戸寺仏龕笠塔婆(六地蔵塔)〔文明一〇(1478)年〕 栃木県温泉神社仏龕笠塔婆(六地蔵塔)〔永正一五(1518)年〕 ●その二.佐原市にある車地蔵 ![]() [佐原市前原観音堂前 総高170p 〕 基礎石の向かって右側に天明□□・・と判読できる刻みがある。基礎と蓮座は同じ材質だが、塔身と笠は花崗岩で、材質が異なる。したがって基礎と蓮座が当初からのものかどうかの判断に苦しむ。石輪は紛失している。塔身の上部の龕に、地蔵らしき半浮彫の立像が一体認められる。 <情報コーナー> 紙上質問 「鉄門海供養塔」 に関する情報を求む 榎本正三 当会会員の榎本正三氏より次の様な問い合わせがありました。なんらかの情報をお持ちの方は、榎本氏までご一報下さい。 「鉄門海供養塔」 に関する情報を求む 湯殿山真言四ヶ寺の法流を受け継いだ一世行人(仙人沢で長い間木食修行をされ「如海」という海号を授けられた人物)の供養塔を私は「海号塔」といっています。この種のものは私の住む印西市内だけでも、例えば「法印如海」との銘文をもつものを含め八基ほどあります。 ところが、これらの「海号塔」とは全く別の物として、即身仏「鉄門海供養塔」があります。山形県の「朝日村誌」に「鉄門海供養塔」は千葉県にたくさんあると記述されていますが、その筆者はすでに故人なので、どこにあるか具体的なことが不明です。湯殿山信仰を考える上で、鉄門海は極めて重要な意味を持っていますので、県内の「鉄門海供養塔」をご存じの方、情報をお寄せ下さい。 会員の動向(定期総会出欠葉書の近況より) (榎本正三〕 今後なるべく諸会合に出ることにしたいと思います。今回は昭十会(千葉師範昭和十年卒)とかちあいますので欠席します。印西からは緒方氏が参加しますのでよろしくお願いします。下総地方は江戸期における出羽三山のうち湯殿山信仰の盛んなところです。下総地方の信仰を起点として上総方面に及び、注目すべき県として考えられています。 對馬氏のこ研究を以ってしても大変重要な意味を持つています。茨城県南から北総地方の近世に於ける湯殿山信仰の幕開けは寛永年間の大日如来、時念仏の造塔にはじまっています。印西市にもそれを立証する貴重な石造遺物や大日塚(行人塚、ボンテン塚)がそれを裏づけていて、貴重な地域として注目されています。仙人沢で修行した一世行人の○○海とある海号塔および湯殿山注連寺の即身仏鉄門海上人の供養塔を追跡しています。情報をいただきたいと思います。(紙上質問参照) (米谷博) 千葉県立房総のむらでは、このほど館内に江戸時代頃を想定した墓地景観を再現しました。一般的に墓地の入り口には六地蔵が立ちますが、この墓地では石幢形の六地蔵の複製を建てています。 石幢六地蔵は上総の内房地域に道標を兼ねたものがよく見られますが、ここでモデルとしたのは、もう一つの集中地区である多古・芝山周辺の真言宗寺院に立つ地蔵を参考にしました。具体的には芝山町菱田東地区共同墓地の六地蔵がモデルなのですが、台石と宝珠部分が欠損していたので、多古町飯笹の地福寺の地蔵台石をモデルとし、宝珠については想像再現としました。石材にもこだわってみましたが、まだ真新しく周囲からはちょっと浮いた感じです。 なお、墓石は承応から明治までのものが舟型から角柱まで二五基、それに中世末と思われる五輪塔、宝篋印塔の類が不完全ながら五基位並んでいます。いずれも香取郡周辺で使用されていた墓石です。塔婆の間題などもあり墓地としてはまだ不完全なままですが、石造物の展示としては公開が始まりました。ぜひお出かけください。なお、房総のむらのホームページには写真が掲載されています。 (川戸 彰) 目下のところ、自治体史の古代を執筆中。さらに野田地方の近世初期の支配者岡部長盛の文書を全国にわたって収集しその編さんにかかっています。石造物の関係では昨年以下のものを編集者より依頼され執筆いたしました。「常総の歴史 第二三号(平成11年9月30日刊) 題目→下総板碑について(組上り15頁) (町田 茂) 甥の結婚式と重なるため欠席させて戴きます。4月15日から八日間、日本石仏協会の海外研修旅行で、「スリランカの石仏を訪ねる旅」に行つて来ました。ここには、世界的に貴重な仏教遺跡が数多く残されており、巨大な寺院、美しい仏像に感嘆致しました。中でもポロンナルワの岩肌を削って作られた巨大な涅槃仏が印象に残っております。 皆様に宜しくお伝え願います。 (浅野 明) 昨日5月8日より12日まで、九州は別府より鹿児島の枕崎へ南下、それより博多へ北上、稲の干し方を調べて来ました。鹿児島ではタノカンサー(田の神)を二つばかり見てきました。 (福田まんじ) 月2回のペースで石仏巡りをしています。先日佐原特に香取で多く板碑を見て驚くばかりです。 <復刻者注> 中山正義氏より、お病気の旨のお手紙、吉野弘子氏よりご出産と退会、竹内重之氏より退会のご連絡と、会の益々の発展を祈る旨のご連絡を頂いて、会報には掲載してありますが、個人的な情報ですので、復刻版には省きました。なお、中山氏は、その後、退院され、お元気・健舌な姿を見せておられます。 |