房総石造文化財研究会![]() |
69号 平成12年12月26日 HPトップへ |
| <目次> 1。二十周年への思い 会長 沖本 博 会員は読むように(^_^) 2。行事結果 第四回 石仏簿座開催 3。参加の誘い 房総石仏百選めぐり(安房国編) 4。行事案内 新年懇談会の案内 5。情報 道標から古道をたずねる 小菅俊雄 6。 編集後記 白井から吉田へ |
| 二十周年への思い 二十一世紀に向かって 沖本 博 この研究会が昭和五十五年に終了した「千葉県石造文化財調査」 を契機として当時の調査員有志の呼び掛けで発足したことは過去から伝えられていることである.この調査報告書の最初に経過が述べられ調査員の氏名があるが、その人数は二十一名で調査団長の海保四郎氏が初代の房総石造文化財研究会々長となつた. そんな経緯があり、当初は大半の調査員が参加し、その後判明した方々にも呼びかけて、正式に総会を開いたのは翌年の一月であつた. 調査員から引き続き今日会員として活動されているのは、戸向朝夫・早川正司・小倉博氏と私だけとなつた. また、最初の総会時にから参加された方としては川戸彰・綿貫啓一・榎本正三・石井保満の各氏がおられる. その間に、初代の海保会長をはじめ、活躍された服部重蔵・一色勝正・大森義朗ほかの方々が他界された。 それぞれの方たちとの思い出も尽きないが、今私の胸の中を去来していることは、この研究会スタートの大きな動機となつた課題のことである. 千葉県石造文化財調査は、正直に言って不十分であり、私達にとつては不満足であつた.真面目にやろうとする者ほどその思いが残った.当時千葉県教育委員会が文化庁の補助のもとに実施されたということであつたが、予算が伴うためフタを開けてみたら、調査員一人の担当地域は広大なもので、私の場合を例にとれば千葉市・四街道市・八街市・市川市の一部で、二年で片付けたが最初の年は八月スタートして、翌年三月にはカード提出なので、実質半年であつた。 私もそうであつたが、全員ウイークデイには仕事があり、休日を利用しての調査だつたので、交通不便な地域を担当し車がない場合など大変であつた。一日歩いて十点くらいしか調査できなかつたこともあつたし、私は約一五〇〇枚位のカードを提出したが、広い千葉市では未調査の地域を残してしまった。 それぞれの調査員も同じ状況だつたとみられ、そのカードを基にあの調査報告書が作られたのである. 集約は私がやることになり、一万三千枚のカードが私の家に持ち込まれ、六帖の間は分類されたカードに数ケ月間占領された思い出もある。 調査員といっても前記の人達は石仏に関心を持って活動していたが、余り経験のないままに委嘱された人達もいて、墓石が混じつていたり、銘文の読取りも正確といえないものもあつた. それはむしろ当然とも言えることであって、それぞれ良い勉強にはなったが、調査報告書を編纂した私としては、これを契機として何時の日か、より正確な改訂版を出さねばならない、という思いが心の底にあつた. この研究会の発足にあたつても、海保会長に会の方針としてそのことを付け加えることを提案したが、海保さんの意見としては、未だ会が発足して海のものとも山のものとも分からない段階なので、よりももっと県下全域に会員を広げることに努力し、それから提案してゆこう、ということだった。私も納得したがそのうち千葉県報告書がひとつの刺激剤となつたのか、各市町村で石造物の調査報告書が発行されるようになつた。 昭和五十五年までに発行されていたのは、野田市・流山市・海上町くらいで、野田市は戸向、流山は一色、海上は服部の各氏が中心となつて行われていた。その後からは我孫子市・印西市・白井町など続々と石造物報告書が刊行され、しかもその内容が悉皆調査であり、精度の高いものであつたので、私の思つていた補完調査は自治体の手で進んでいった. 更に県立博物館の開館から、この会に参加された吉村・白井両氏の尽力で、石造物調査計画がたてられ、私や吉田氏が協力して印旛郡の未調査地域を数年にわたって調査した。 ここまでが今日までのことである。この二十年に私の予想しない大きな変化が起こつていた. それはコンピューターの進歩である。 今や政治家までが 「IT革命」 を口にするほど、社会全体が大きく動いていることを感じさせる.二十一世紀は間違いなくITによって世界中が大きく変わることであろう。 大変オコがましいが、私も遅ればせながら、つい先日パソコンを買い込んで不器用な手つきでマウスを動かしている。 未だ日暮れて道還しの感があるが、ボツボツと慣れるように努めている。その中で体験したことは、大量の情報が一枚の小さなFDやCDに納められ、しかもパソコンを使用している会員には、簡単に提供出来るということである。 いわゆる情報公開というか、石仏についての情報は共有のものになつてしまう。 県立樽物館の調査した石造物は約六〇〇〇点、すべて博物館のデータべ-スに入っており、今までこの研究会でも説明され、利用された方もあろう。 私はその段階でも、未だ私などに手が届かない世界とあきらめかけていた。けれど、先日吉田文夫氏と雑談していた時、これは凄いことだ!と実感した。 情報を自分一人で誰にも渡さない、というような人は別として、お互いに調査した情報を交流し、この研究会なりでまとめてゆけば、過去の調査資料も含めると優に十万点くらいの資料があるとおもう。 会員仲間で分担して過去の調査資料や文献から入力してゆけば、千葉県の石造文化財の情報を集約でき、例えば庚申塔の総数から地域分布まで瞬間的にとらえることも難しいことではない. 私がずっと思っていた r千葉県石造文化財調査報告書」 の改訂版も現在公表されている資料の中から十分集約出来る。 ここに私の長年の願いに一筋の光が見えてきたのである。 来年、そういうことを手掛けてきている会員の方たちの意見と知恵を頂いて、そういう目標を考えてみたいとおもう. けれど、こうしたことが可能になつたのも、その根底にコツコツと歩き回り、調査してきた何十人、何百人の人達の汗の結晶である調査資料であることを忘れてはならないとおもう。 (未完) 第四回 石仏講座開催 去る八月二十六日に県立中央博物館に於いて、公開講座を開催し八十八名 (内当会員十九名) の聴講があつた.演題は綿貫氏の 「石造物と民間信仰--病気と崇りをめぐつて-」 と川村氏の 「天然痘と痘瘡神塔」 であり、興味のつきない広範囲な話をされて、聴講生を魅了した。 現地観察会は九月十日に綿貫氏の案内で八千代市内の村上・萱田周辺で実施し、二十四名 (内当会員十一名) の参加者を得て成功裏に終了。 房総石仏百選めぐり 安房地方編一泊二日参加募集 吉村 会員の吉村、小菅、石田、吉田、松村氏で、にぎやかに石仏談義をしながら、房総石仏百選と市町村指定の石仏を廻つています。下総上総を廻り終え、残る安房地方を、来年の二月十・十一の一泊二日で廻りたいと思います、 安房地方まで足を延ばしにくいという方も多いと思いますので、参加者をつのりたいと思います。車二台で廻りましょう。 白浜の六福神や清澄の五大明王などの、百選の安房地方の分と、指定石造物で面白いもの、千倉の風神、鋸南の山王庚申塔などを廻ります。 希望する方は、吉村までメール komike@df.mbn.or.jp、または電話・fax 043-294-6430 まで。 新年懇談会の案内 平成十三年の新年懇親会は例年の様に次のように実施します。 記 一、日時 一月二十八日 午後一時 一、場所 千葉駅そごう近傍 新町自治会館(前回と同じ) 一、会費 一、000円 一、申込み 事務局又は会長宅まで FAX、TELで一週間前迄 事務局043-423-6309 会長宅043-284-4732 尚、当日十時から一時迄役員会を実施しますので役員の方はお集まり下さい。自治会館の電話は(当日のみ)043-245-1411 {新町自治会館への案内図} 会誌十三号原稿募集 創立二十周年記念号となります 全会員が論文・随筆・雑文等を寄せてください。二月末が締め切りです。提出の意志表示を早めに会長宅までお知らせ下さい。 道標から古道をたずねる 小菅俊雄 八千代市郷土歴史研究会では一九九八年から二〇〇〇年にかけて市内の道標を悉皆調査した. 八千代市の石造物については佐野氏が江戸期までのものを九二五基程調べられて、リストアップされている.その資料を研究会の関和が所在地別に分類された。 その後の石造物の調査がどの様に進展しているのかは情報が不足というか、私の不勉強で不明です、どなたか教えてください。 ところで研究会では早くから道標およぴ歴史的な道について関心が深く、多くの活動をしてきたもので、この間の経緯については、研究会会長の村田一男が機関誌の史談八千代十三号に 「八千代市内の古道を訪ねるに当たって」 に書かれている、さらに遡れば古道探求のはしりは史談八千代十号の横井・鈴木両名の 「昔の千葉街道、成田道に沿つて」 であり、ついで県の歴史の道調査に参加されて八千代市域の成田街道の調査を担当した同会副会長の牧野の 「特別調査報告-歴史の道調査に参加して」 で史談八千代十三号に掲載されている. これらが基礎になつて会員の古道探求欲が高まり、八千代の歴史散歩道として同会の活動の柱になつてきた。 ただ、これまでの古道探求は聞き取りと道標によって古道を確定し、道という線を把握することに主眼がおかれていた、然し開発と変化の激しい中で道標そのものを把握することが急務と考えられ、今回の三年に亘る悉皆調査となつた。 今回の調査に当たつて最も参考にしたのが、千葉県立中央博物館研究報告書第一巻第三号掲載の吉村光敏・白井豊著「道しるペからみた近世の交通圏ー上総・下総地方の道しるべを例としてー」 であつた.上記論文をテキストにして交通資料としての道標の悉皆調査、市域の交通網の把握をポイントとして道標の所在把握と銘文の正確な記録を目標にグループを作り調査を開始した. 結果、把握できた道標数は市内一〇〇基、周辺市町村四〇基、合計一四〇基であつた.この結果は来年三月発刊予定の「ふるさと再発見-八千代の道標案内」に発表される. また会では総務、広報担当に蕨、増田という優秀なパソコン技術者を擁し、会員相互の連絡も 「メル友」 ネットワークでリアルタイムでやりとりしている。 まずは同会の道標悉皆調査の報告まで。 今回の記事は史談八千代二五号の村田会長の道標調査をふりかえつてを参考にさていただきました. 編集後記 当号より事務局の吉田が会報を担当することになりました。白井さん永い間ご苦労様でした。引き受けてから発行まで大分時間が掛かり申し訳有りません. 今後は皆様の投稿を湧き遅滞なく発行するよう勤める所存です。 現在事務局では小見川町と山田町の補完調査及びパソコンでのデータ入力を行っております.次回の会報で途中の状況をお知らせいたします。 (吉田) |
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