[PR]名古屋・看護師の求人:地域密着の看護師求人を探すなら

Oranje 徒然草
つれづれなるままに、日ぐらしPCにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 
<<前のページ | 次のページ>>
2003年12月23日(火)
【第1段】 6-0

2003年11月19日 アムステルダムが・・・その日解放された。

2003年11月15日、スコットランド・グラスゴーのハムデンパーク。圧倒的有利と思われたオランダがスコットランドのゴールを割れない。ピッチに立つのはなみいる強豪と対峙してきた、クラブでも名声をほしいままにする一流ストライカー。チームに惜しみない運動量をささげ中盤を走り回るプレイヤー。相手の攻撃の芽をを素早く摘み取るディフェンダー。それでいて1点、最少得点差にも関わらず遥かに遠い1点・・・。

プラハで東欧の横綱チェコに現実を見せ付けられて2ヶ月余り。「スコットランド相手ならば・・・」楽観論に浸りきったオランダ。悪く言えば相手に合わせる悪癖に今回も陥ってしまう。2002年W杯予選のアイルランドに続き、またしてもケルトの渦に飲まれてしまうのか・・・。

11月19日、決戦の場はアムステルダム・アレナへ。第1戦の勝利で意気上がるのはスコットランドのチームだけではない。サポーターも然り。MTV Europeで毎年開催される「EMA」(Europe Music Award)が今年はエジンバラ(スコットランドの首都)での開催だったこともありスコットランドは国自体が何気に勢いを持っていた。オランダ(アムステルダム)のTV局のインタビューに対しても自慢のタータンチェックのスカートをめくりあげて(もちろん中身はノー○ン)、他国の公共電波で遊びまくっていた。アムステルダム市民の憩いの場、ダム広場もバグパイプをBGMに叫びだすスコティッシュサポに占領される始末。アムス市内のバー、カフェ、レストラン、さらにトラムまでもチェックと紺色に染まりきっていた。

不思議なものでオランダのチームカラー・オレンジが見当たらない。TV番組を見ると何か家の中でひっそりとオランダを応援する家族が映し出されたりOranjeサポの顔も・・・みんなどことなく精彩が無い。現状のベテラン中心のチームの限界、自分が常々感じていたことをオランダ国民もつぶさに感じ取っていた表情だ。
NED2のサッカー番組「Football insite」ではシビレをきらした評論家陣が揃って予想メンバーにクライフェルト、F.デ・ブールを外しラファエル、スネイデル、バウマ、ロッベン、ファン・デル・メイデを推す始末。オランダの世論もガマンの限界だったらしい。

そして・・・ついにその声が厳格なアドフォカートのすきま風が吹き込む頭に届いたのかアレナでの第2戦は若返り、しかも3-4-3のアヤックスシステムで臨んだ。彼にしては革命的な(ヤケっぱちだったのか?)戦術をとった。結果として彼のバクチはスネイデルというシンデレラスターをも生み出し窮地の中の窮地で・・・最高の結果を生み出したのである。
本大会でこの布陣で・・・というのが通用するかどうかは疑問だ。正直スネイデルにスペースを与えすぎたスコットランドにも起因するこの圧勝劇。少なくとも本大会で再び対峙するチェコに、この日と同じ作戦はまず通用しないだろう。今回のスネイデルのような「シンデレラプレーヤー」が本大会でも出てくるのならば話は別だが。

2点差以上の勝利が義務付けられたこの試合、どうしても獲らなければならなかった1点目をスネイデルが叩き出した後、彼は真っ先にファン・ホーイドンクに抱きつき喜びを表した。自分はこのシーンが”これからのオランダ”を予期させるシーンではないかと感じた。若い選手がピッチを走り回る。ベテラン選手は試合だけでなく練習その他、裏からバックアップしチームが重要な局面に際したときにベンチから立ち上がる。さながら現在オランダリーグ首位をいくアヤックスのように・・・。ホーイドンクは試合出場の機会は少ないものの、若手に対しても人格者として励ましたりしていたと聞く。決して「6-0」というスコアが、その日ピッチに立った選手だけの功績ではないと思う。

憶測に過ぎないが試合前のクライフェルトやF.デ・ブールの発言は、裏を返すと「監督、オレを外して若手を使ってやってくれよ」と自ら身を引くために事を発したのかも(笑) 地位も名声もある選手が自ら身を引くことも難しいと思う。この圧勝劇もオランダ選手は試合後のインタビューを拒否したらしく「マイクを向ければ・・・何で地雷を踏むかわかんない」という恐怖が選手間にあったのかもしれないのだが(笑)脱線するが、EURO2000後のベルカンプ引退発言もこれに通じるものがあると思う。自分が居たら後に続く10番が育たない・・・みたいな。

仮にアドフォカートがこの日も何の手も打たずベテラン中心で臨んでも・・・勝ってEURO2004出場権を獲得したのかもしれない。しかし、それではチェコやフランスに挑戦するどころか・・・本大会ポルトガルの地で前回EURO2000のイングランドやドイツのように灼熱のピッチにヘバりつく惨めなオランダの姿を想像付けさせるに過ぎない。本大会までやや時間が空くが、ここでオランダ代表が自ら転換のステップを踏めた試合としてこの日の試合は意義深いものになったと思う。

試合後、アムステルダムの夜空の下にオレンジ色が再び染まりだしアムステルダムは紺色のタータンチェックから「解放」された。どこに隠れていたのかわからない大量のオランダ人が街に繰り出し終わらない夜に酒を酌み交わし、オレンジ色の大パレード。

翌日20日にアムステルダムで見かけたもの。
・新聞(写真)
・肩を落としたスカート姿のサポーター

Top Page

[PR]血液型生年月日で運命診断:無料お試しも本格鑑定!