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Oranje 徒然草
つれづれなるままに、日ぐらしPCにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 
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2005年1月9日(日)
【第44段】 大徹

(キーワード「大徹」でGoogleでググると、このページが検索でひっかかるようになりました!こうなる事が念願だったものですから・・・もし「大徹」でググってココにアクセスされた方、よかったらご一読ください。よろしくお願いします(爆))

あけましておめでとうございます。おかげさまでHPも5周年を迎えました。毎度のアクセス多謝でございます。


・・・とありきたりな年始の挨拶となってしまいましたが、思えばミレニアムのお正月に思いつきでアップしたこのHPが5年も生きながらえるとは正直思ってもみないことで、改めてHPというものは作り元の意思とは別の意思を持つ「生き物」であることを感じています。水をあげなくてもすくすくと苗が育って、ふと気がつくとしっかり根を張った木になっちゃって・・・すっかり自分の背を追い越した木をまじまじと見上げてしまう。そんな感じです(謎) これからも細く長く・・・長い年月に渡ってジワジワと根を張っていけるようなモノになってくれれば・・・と思っております。

そんな中、自分の中に知らぬ間に根を張っていたもの・・・最近になって改めて気付きました。「大徹」です。193cmの長身に125kg。スリムかつハンサムな風貌にたわわなもみあげ、壮観な金のまわし・・・福井県大野市が生んだ角界のダンディーでした。ただ、長身とは言えども貴ノ浪のように既存のセオリーを破るような豪快な取り口・・・なわけでもなく、たわわなもみあげとは言えども、闘牙のように己の顔をはみださんばかり繁々とした、まるで天狗の団扇ばりのもみあげ・・・なわけでもなく、壮観な金のまわしとは言っても、横綱輪島のように万物を威圧する圧倒的な存在感で角界に君臨した・・・わけでもなく、ましてやハンサムとは言っても旭豊とか今で言う”角界のベッカム”琴欧州ほど顔立ちが整っているわけでもない。最高位が小結わずか1場所、主に平幕に居を置いた地味な力士でした(※)。横綱や大関目当てならば結びやその2、3番前の取組に照準を合わせればいいけど、大徹目当てで相撲を見ると・・・彼の取組は中入り後から結びの一番まで、神出鬼没でどこに登場するかわからない・・・くらいの存在でありました。幕内土俵入りの時でも館内のアナウンスが「大徹ぅ〜、福井県出身、二所ノ関部屋ぁ〜」と轟いても館内の拍手はまばら・・・その様子に自分は歯がゆさを感じずに居られない・・・そんな力士でした。

当時は横綱千代の富士、隆の里に大関朝潮、琴風、北天佑、若嶋津とそうそうな顔ぶれ。これに”花のサンパチ組”の北尾(のちの双羽黒)や保志(のちの北勝海)、大乃国、旭富士ら伸び盛りの力士が上位をうかがい、寺尾、益荒雄といった当時角界きってのイケメン・・・そして逆鉾、麒麟児、青葉城、富士桜などの実力派、小錦、水戸泉のような個性派力士も顔を揃えていたように覚えています。そんな中で自分の心を躍らせた力士というのは(とは言っても前述の力士の中でも隆の里や大乃国、逆鉾は好きな方でしたが)・・・太寿山とか巨砲とか鳳凰、出羽の花や(小錦ではなく)大錦、隆三杉、板井、そして三杉里とか・・・今でも「よくしこ名を覚えてるな〜」としみじみするような力士ばかり。その中で最たるものが大徹だったような気がします。右四つからまわしを取って相手を吊る・・・というのが取り口なのですがなかなか自分の型に入れない。またやさしすぎる性格から攻撃的な突き押し力士にからっきし弱い。大徹が保志とか陣岳、寺尾あたりになす術なく土俵外に押し出されているところを見るたびに・・・切ない気持ちを憶えていました。

幕内での2ケタ勝利も無くて、おそらく三賞の経験も・・・無かったのでないかと思います。なんら印象が残るようなタイプの力士、それが大徹だったのですが・・・彼が最も光り輝いた日・それは昭和60年名古屋場所2日目の横綱千代の富士との結びの一番でした。まさかこの日のラストに座布団が乱舞するなんて、想像もつかなかったものでした。この一番は大徹自身も引退後に「最も思い出に残った一番」として挙げています。そしてこの一番には有名なエピソードもありました。横綱挑戦の日の朝に、師匠の二所ノ関親方に冗談交じりに「お前が勝ったら10万やる。しかし負けたら3万出せ!」と”賭け”を持ち掛けられます。しかし気の弱い大徹はそれを断ります。すると親方は「10万円で、お前の負けで1万円・・・でどうだ」と持ち掛けますが、大徹はある意味揺るぎない自信で「どうやっても勝てませんから」と言い切って再度断ります。しかし本割で千代の富士にあろうことか勝ってしまい・・・金星獲得。部屋に帰って親方に「親方、(勝ってしまったので)半分ください。」と言うと、賭けを断られた親方に「馬鹿野郎!」と一喝されてしまいました・・・。

まあ・・・この場所の優勝は北天佑で、千代の富士は53連勝中の時のような好調さはなく・・・実際序盤ではやくも2敗を喫する体たらくぶり。大徹が勝ったのもまぐれ&巡り合わせ・・・みたいな部分もありました。しかしこの金星で地元福井は翌日地元紙のカラー一面を飾るなど大フィーバー!福井県とは何のゆかりもない大徹ファンの自分もなぜか最高のカタルシスを掴みえた時でした。いまだ、相撲においてあの時のカタルシスを越える一番には出会えていないと思います。昭和63年九州場所でついに幕内を陥落した後も十両でしぶとく頑張る大徹。相撲を見る時間帯が図らずとも早まりまった時でした。そして平成2年9月に涙の引退。「体力の限界・・・!!」や「心の底から納得しております!」といったような印象的な言葉も無く、緊急特番はもってのほかや引退速報のテロップが流れることもなく・・・ひっそりと現役の灯を絶やしてしまいました。大徹が、金のまわしが姿を消した土俵・・・大徹が常に足を踏みかけた徳俵を見て、妙に感傷的になったのを憶えています。なぜこれほどまでに「大徹」に魅せられていたのか・・・今となっても自分に課せられている命題のようにも思えます。なぜ大徹・・・ちなみに自分がデーモン小暮閣下のオールナイトニッポンで大徹ネタが盛り上がっている・・・という事を知ったのはつい最近のことです(リアルタイムで知ってたら・・・!と悔やみました(笑))

ダンディーな風貌、顔は写真の高田順次御大に似ています。これにもみあげをちょい付け足せば・・・イメージは「高田順次+まげ+もみあげ=大徹」の等式でそう遠くはないと思います。かつてルー大柴氏が「俺は大徹に似てる・・・なんて言われたこともあったよ!ウン!」と発言したことにより大徹ファンのひんしゅくを買った・・・という話もあるとか。いまは引退されて湊川親方として、NHKの大相撲中継で向上面で解説されることもしばしば。しかし現役当時の大徹を知る者にとっては軽いショックを受けます。彼の頭が見事なまでにロマンスグレーに染まっているからです。高田純次御大から大竹まこと氏です。いや、「玉緒・・・」の勝新かな?だから現在だと「高田純次+白髪+もみあげ=湊川親方」とイメージしてください(爆)

その後も相撲は見ているのですが・・・正直、大徹を越えるときめきはありません。これは断言できます。”オースギさん”こと琴富士が大徹に似た雰囲気あるかな・・・とも思った時期がありましたが大徹の後継者には惜しくも届かず・・・でした。「この力士の断髪式に参列したいなあ」と思えるような力士は後にも先にも大徹のみ。若貴フィーバーやらは何処吹く風で、むしろ大徹への郷愁の気持ちが膨らむ一方・・・大徹無き後は、逆鉾とか琴錦、魁皇もそうだったし今だと若の里・・・。関脇在位が長くて大関昇進直前、まさに「ブレイク直前」で若干くすぶり気味の力士にフェロモンを感じました。なので・・・霧島や魁皇が大関に昇進したときにはなぜか複雑な気分になりました。うれしい反面「ああ、遠いところに行ったな・・・」。音楽界で言えばデスチャも・・・似た感じを隠せません。平幕や三役で細く長く角界に生きる力士、その姿に魅せられているのでしょう。インディーズレーベルから追っかけていたロックバンドがメジャーデビュー、そのときの追っかけの気持ちと例えてみればイコールで結べましょうか?(笑) でも、それでも常日頃・・・土俵の中に、無意識に大徹を探してしまう自分が居ます。

そう考えるとオランダ代表がなぜか、この大徹と・・・自分の中でリンクしてしまいます。もしオランダ代表が今後ワールドカップで悲願の優勝を果たした場合・・・嬉しいけど「どこか遠くに行ってしまう」ことも否めません。たまに金星。良くて9勝6敗、いつも8勝スレスレのライン。12勝も13勝もいらない・・・ともかく常に相撲で右上手を取って、吊り出しを狙っていけば。たとえ寄り切られても押し出されても、金のまわしを見られるだけでファンは満足なんです。そんなところに落ち着くと、知らぬ間に心に根が張って、いつのまにか大きな幹が・・・。そう考えると関西人の阪神考やカタルーニャのバルサ考も、そしてオランダ人のオランダ代表も・・・一冊の本に書き記せそうな気がします。そんな2005年のお正月です。このHPも「大徹」に対して大いにリスペクトを捧げつつ、彼の生き様のように・・・目指す所存であります。本年もよろしくおねがいします。

最後に、恐縮ですがこの駄筆乱文を・・・いまだ日本全国にひっそりと暮らしているであろう「大徹ファン」に捧げたいと思います。人知れず街の片隅で「大徹・・・」とほくそ笑み会いましょう・・・では、ご唱和ください!「スリー!ツー!ワーン! ダイテツ!ダイテツ!」


※ご存知の通り角界には番付が存在します。横綱、大関、三役(関脇、小結)、前頭までを含む幕内、そして十両、幕下、三段目、序二段、序の口というピラミッドになっております。西より東の力士の方が格上であり、十両以上は「関取」と呼ばれ給料が貰えます。今日から始まる2005年初場所、番付に載っている力士の総数は700名を越えます。番付表には横綱から下は序の口の・・・米粒大の文字に至るまで全ての力士が隅から隅まで記載されています。その中で比較的番付表の文字が大きい関取の定員は最大66名(幕内40名以内、十両26名以内)であり、関取とは角界のピラミッドの頂上。紋付袴の正装で化粧まわしを付けた土俵入りや大銀杏、そして稽古時の白いまわしを許されるほんの一握りの精鋭たちなのであります。自分も以前は誤解していたのですが、1日の取組というのは・・・中央競馬がG1のメインレースだけでなく、未勝利戦など1日に最大12レース行われるように・・・大相撲の取組もTV中継が始まる午後3時頃に始まるものではなく、朝9時頃から数百名におよぶ幕下以下の力士が激突しすでに始まっているものなのです。要は幕下の大部分の取組が・・・いわゆる1日のうちの大部分の取組はTV中継からカットされているのです。十両、中入り後から観覧される方には3時間くらいで映画1本見るのにはるかに割高なチケット価格に感じざるを得ませんが、朝9時あたりから館内に入って未来の横綱、大関を観に行けば、まあお土産は別として・・・ひょっとするとチケット分の元値は取れるかもしれないですね。

そういった意味で角界における幕内力士、とかく関脇、小結といった三役以上の力士といったらほぼ10人前後・・・さらに絞られるわけで、まさに日本の・・・いまや世界のトップ10に入るようなすごい力士であるわけです。テニスで言えばまさに世界のシングルランカー、野球やサッカーで言えばナショナルチームの代表もしくは代表候補選手・・・その辺りに匹敵するようなものと認識しております。よって「最高位が小結わずか1場所、主に平幕に居を置いた地味な力士でした」と書きましたが、これは大徹の生涯の成績がパッとしない・・・ということを記したのではなく、富士山で言えば九合目、もう頂上まで見える位置、ここまで大徹は登り詰め、かつその位置を長期間に渡り維持し続けた・・・という大徹の功績を称えるものとして読み取って頂ければ幸いであります。”わずか”や”地味”という言葉を使ってしまったことはあくまで本意な表現では無い・・・ということを、改めてここに付しておきます。本文中に記した”若干くすぶり気味”や”良くて9勝6敗、いつも8勝スレスレのライン”およびその他の言葉についても同様の意であります。


なお、大徹についての詳細データおよびエピソードにつきましてはHP「大相撲 記録の玉手箱」より参照させていただきました。なお後日、さらに大徹についての”溢れぬ想い”を、後継ブログ【#90】「大徹浪漫」の記事にまとめました。いや、まとめきれないけど(爆)

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