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オランダで開催された第15回ワールドユースは老獪なアルゼンチンの優勝で幕を閉じました。なるほどここ6回中4回優勝・・・ユースレベルであの”狡猾”な試合運びが出来れば、アルゼンチンのこの結果は納得でしょう。しかし印象に残ったのはホスト国オランダも破った準優勝ナイジェリアの戦いぶり。ファイナルの地ユトレヒトのスタンドもナンバー9のジョン・オビ・ミケルをはじめ彼らのスペクタクルなプレイには目を見張ったようです。欲を言えば憂いのある表情が多かったミケルの・・・最後は彼の屈託の無い笑顔で今大会のフィナーレを飾って欲しかったのですがそれも叶わぬ夢に終わりました。3位決定戦でブラジルに負けたモロッコのGKブルカディも見て思ったのですが、やはりアフリカのプレーヤーにうつむく姿は似合いません。彼らの将来は明るい・・・今大会でやり残したことはさらに上のレベルで果たせばいいのです。
しかしナイジェリアのA代表はチュクゥ監督更迭で「急募!監督求む」と一週間以内に仕事を始められる監督を”求人”している状態。2006年W杯の出場権を勝ち取るにはかなり厳しい状況です。OMを追われたトルシエ監督が「一週間以内に仕事を始められる」ナイジェリア代表の救世主として名が挙がっているようで・・・ナイジェリアユース代表の準優勝は何処へやら、ナイジェリア国内は「逆指名」を受ける「白い魔術師」トルシエ復活か!?と混迷している模様です。
さて、今回は前の段で途中になってしまった話の続きですが「My Favorite City」のベスト3です。下記3大都市の中で自分が行った事のある都市は1つのみ。あとの2つの都市はまだ足を踏み入れた事もありません。小さい頃から地図帳を見てはなぜか憧れを感じる街であったし、その街の空気感というよりも、その街のその国における「存在感」というのが好きだったりもします。それでは早速「第3位」を・・・カウントダウン!(爆)
【第3位】パリ(フランス)・・・面積:105万平方km、人口:約219万人(名古屋市に満たない人口)
東西12km、南北が9.5kmという山手線の内側、もしくは世田谷区の約2倍程度の広さしかないコンパクトなフランスの首都。紀元前3世紀にケルト系のパリシイ族がセーヌ川内にあるシテ島に住み着いたのがパリの起源。その後紀元前52年にジュリアス・シーザーの副官ラビエヌスによってパリシイ族は制圧され、パリシイ族はそのままシテ島に、そしてローマ軍は現在のカルチェ・ラタン付近に駐軍。その後何度か侵攻されるパリであったが、修道女ジュヌヴィエーヌが2度にわたり救済。彼女はパリの救世主「聖ジュヌヴィエーヌ」としてサンテティエンヌ・デュ・モン教会に祭られている。
ナポレオン・ボナパルトの出現、フランス革命など激動の時も経て・・・19世紀末から20世紀の「ベル・エポック時代」にエッフェル塔(1889年パリ万博時に建設)をはじめ近代建築物の建築ラッシュがすすみ、アールヌーボーの全盛期を迎える。1920年から40年にかけてはシュールレアリズム、キュービスムといった芸術運動が台頭、しかし第2次世界大戦中にはパリはドイツの占領下におかれてしまう。ドイツ占領後においても市民は必死に抵抗しドイツ語教育を拒否しフランス語を使い続けるなどフランス人は決して自国の誇りを捨てようとはせず、戦局が連合国軍の勝利によってパリはフランス人に解放された。1958年には第5共和政が発足。1959にはド・ゴール大統領が就任、1962年からパリ再開発計画がスタートしてルーブル美術館、オルセー美術館、オペラ・バスティーユ、新都心ラ・デファンスの新凱旋門など、古い建造物の改築、また新建造物の建築が続いている。
パリは全20区でシテ島のある1区から右回りにらせんを描いて、かたつむり状に1区から20区と分かれており、中心を流れるセーヌ川を挟んで右岸(北側)と左岸(南側)に分かれる。「右岸」はビジネスの中心地で企業のビルや高級住宅地などが集まり、「左岸」は文化、芸術の中心地でソルボンヌをはじめとした名門大学やファッションブティックが集まっている。パリ市街は道路に「Rue(通り)」や「Avenue(並木通り)」、「Boulevard(大通り)」の名が付いた通りが縦横無尽に走っており、住居の番地もこの通りを元にナンバリングされている。一概には言えないがシャンゼリゼ〜オペラ一体を東京で言う「銀座・有楽町」とたとえると、パリ北駅一帯、ピガール付近が「新宿歌舞伎町」、バスティーユ辺りが「六本木」、サンジェルマン・デ・プレ〜カルチェ・ラ・タン一帯が「渋谷・青山」・・・モンパルナスが「池袋」?それでワインの倉庫街ベルシーが「代官山」にあたる感じといえるのではないだろうか?
【第2位】イスタンブール(トルコ)・・・人口:約827万人(ほぼ東京23区くらい)
04-05シーズンのあのCLファイナル「リヴァプール-ACミラン」が開催された都市で、ロンドン、モスクワとともに一つの都市に多くの強豪クラブを抱える世界有数の「フットボールシティ」。また、かつて東ローマ帝国、ビサンチン帝国、オスマン・トルコ帝国と3代続いた大帝国の首都が置かれた街で、アヤソフィア博物館、トプカプ宮殿、スルタンアフメット・モスク、バザール(市場)をはじめ市内各所に美しい自然が点在する世界有数の観光都市でもある。トルコ第一の大都市かつ経済の中心都市として君臨し、また今年はCLファイナルのほかにF1開催もあり、「ヨーロッパ・アジアの文化の交差点」はユーラシアのみならず絶えず世界的注目を受け続ける街である。
浦沢先生が巨匠・手塚治虫先生と組んだ最新作「PLUTO」では、ゲジヒトがヨーロッパ格闘チャンピオン、ブラントと接触した街がこのイスタンブール。この漫画では高層ビル群の間を縫ってハイウェイが駆け抜ける未来都市イスタンブールの姿を描き出している。奇しくも「PLUTO」中ではトルコはすでにEU連邦の一員となっているが、現実にはトルコがいまだEU加盟出来ていない。イスタンブールがこの「未来都市」の姿に近づけるかどうかはトルコのEU加盟実現が大きな”カギ”となるだろう。
【第1位】サンクト・ペテルブルグ(ロシア)・・・面積:606.8万平方km、人口:約470万人(福岡県の人口よりちょっと少ない)
市制300年余を迎えた、地元では愛称「ピーテル」と呼び親しまれている・・・かつてのロシア帝国の首都。世界三大美術館の一つであるエルミタージュ美術館があり、市の景観も優れた「美都」の誉れ高い街でもある。42の島があり、ネヴァ川をはじめ市内を流れる川は40以上、また約40の人口運河がある。橋の数は300以上、そのうち開閉可能な橋は19を数える。アムステルダムと同じ水の都の別称「北のベニス」、またブリュッセルと同じく美しい都の別称「小さなパリ」とも呼ばれる世界最北の100万都市である。
1703年にピョートル大帝がバルト海沿岸に開けた大国ロシアの「北の窓」として・・・スウェーデンの侵入を防ぐべく半ば強制的に街を建設した人工都市であり、ペテルブルグはその後ロシア商工業の中心として栄え、港湾都市・文化科学都市として独自の地位を築いてきた。この際、市名にロシア語の「グラード」を使わずにドイツ語の「ブルグ」を使ったのは、西欧の近代化に影響を受けたピョートル大帝本人が無類の”西欧かぶれ”だった事に由来するようだ。その後もロシアの西欧化に尽力した当時のエカテリーナ女王はドイツ人であったとか。あと「世界で最も美しい都」を建設する際に一万人を超える人命が失われた事も付記せねばならないが・・・。
20世紀はじめにドイツと敵対関係になると、当の自国の首都がドイツ語読みであってはマズいと市名をドイツ語の「ペテルブルグ」からロシア語の「ペトログラード」にそそくさと改称。その後国内ではロシア革命が起こり社会主義の立役者・レーニンが登場する。彼の死去後にはペトログラードは彼の名を取って市名をペトログラードから「レニングラード」と改称。1991年のソ連崩壊に伴って、社会主義時代の名称を取り払い旧名を復活する動きが起きてレニングラードは「サンクト・ペテルブルグ」に戻り現在に至る。だが「レニングラード・バレエ団」は名前が世界的に有名になりすぎたためか、レーニンの名がいまだに残ったままである。
第2次大戦中にヒトラーがソ連に侵攻して、約2年半の長きに及びレニングラードを占領しようとした「レニングラード包囲網」。その際にヒトラーはこの街の名を「レニングラード」とは決して呼ばずにあくまで「ペテルブルグ」と呼びドイツの支配下にしようとこだわった。ソ連の首都モスクワの占領からは早々に撤退しながらもレニングラードにここまでこだわったのには・・・社会主義の指導者「レーニン」を冠した「レニングラード」の名をこの地球上から抹殺し、わが手で「ペテルブルグ」の呼称を復活させようとした事からも伺える。この包囲網はレニングラード市民400万人のうち120万人の死者を出しながら結局はレニングラード市民の徹底抗戦に合い陥落には至らなかった。それながら市名が後に「サンクト・ペテルブルグ」に戻ったのはなんとも皮肉なものか。
パリはPSG(パリ・サンジェルマン)のホームタウンで、イスタンブールは第59段でも書いたベジクタシュ、フェネルバチェ、そしてガラタサライ、またイスタンブールシュポールといった多くのクラブのホームタウン、またサンクト・ペテルブルグはロシアの新たなスーパースター候補・アルシャーヴィン(移籍問題の渦中ですが・・・)を擁するゼニット・サンクトペテルブルグのホームタウンであります。もちろんこれらの「三大都市」に行ったらこれらのクラブの試合を見たい(すでにPSGの試合は観戦済み)のですが、まあトルコやロシアだとそうとう身の危険を守らないと・・・と思わず身構えてしまいそうになります。イングランドでフーリガンの隣でミートパイを頬張っている方が気楽なものかもしれません。西欧でのゲームが「PRIDE」や「K1」なら、こういったトルコやロシアのゲームは・・・「アルティメット」や「バーリトゥード」的な、なんとも「金網」が必要なイメージがありますから。第53段に書いたようにイスタンブールは5月にCLファイナル「リヴァプール-ACミラン」のゲームが開催されて欧州中を熱狂させたばかりですが・・・まだそのイメージは継続しちゃってます(汗)
まあ食べ物としてはフランス料理のルーツがロシアの宮廷料理であるということでパリ、サンクト・ペテルブルグに関しては美味を求めるにはまず大丈夫でしょう。パリは第2段にも書いたように自国料理のほかにもイタリアンやグリークやエスニックや中華料理・・・一応日本料理もあるしお店の種類には事欠きませんからね(笑) イスタンブールにしてもフランス料理、中華料理とならぶ「世界三大料理」の一つ、トルコ料理の都でありますから・・・美食家な方にとってはこの三大都市は思わずヨダレが出てしまう「グルメシティ」といえるでしょう。まあ、自分はもっとリーズナブルで第7段に書いたようにケバブでいいし、サンドイッチでもピロシキでもそれでお腹を満たすのに何の異存もありませんが(爆)
パリは今も昔もそうですが、イスタンブールとサンクト・ぺテルブルグは「かつての首都」という共通点があります。いうならば京都のような「古都」にあたるイメージでしょうか。また国レベルにおいてもトルコ、ロシア共にヨーロッパとアジアというユーラシア大陸をニ分する州の「州境」を自国内に持つという事でも共通しています。ロシアでいえばその「州境」はウラル山脈にまで行かないとまたげませんが、イスタンブールはそこまで足を伸ばさなくても市内でヨーロッパとアジアをまたぐ事が出来る・・・そこに自分は得も知らぬ憧憬と「ロマン」(アブラモビッチでは無いので・・・念のため(爆))を感じてしまう訳であります。第47段に書いたように「境界」というものにフェティシズムを感じる自分にとって、ヨーロッパとアジアの境界というのは何物にも代え難い「極上のメニュー」に他なりません。「ここからヨーロッパ」なんて標識がもしあるとしたら、それを盗み取って家宝にしたいくらいです(爆)
トルコという国はフットボール的にも好きな国の一つではありますが、ことイスタンブールに関しては上述の理由もあり特に惹かれる街であります。同じくロシア、フランスに関してもフットボール的に大好きな国・・・オランダのこのHPを作っていなかったら、フランスかウクライナ(Sheva)かロシアのHPを作ろうと思っていたくらいで、その影響もあるからかパリやサンクト・ペテルブルグというのはなにげなく勝手に身近に感じてしまう街でもあるのです。なぜモスクワでは無くサンクト・ペテルブルグなのかというと・・・なぜなんでしょう?今を思えばモスクワに興味を持ってもおかしくないのですが。そこは第42段に述べた抑圧的なものをなんとなくモスクワに感じていたから・・・だと思ってます(汗)
そして、今回挙げたパリ、イスタンブール、サンクト・ペテルブルグというこの三大都市は周辺に巨大都市が隣接してる訳でもなく、その都市自体が人々を引き付ける「中心」となっている街になっている事からも畏敬の念を表さずにはいられません。パリは上述しましたが市内人口で言えば200万人余りと首都としてはなんとも物足りないものを感じてしまいますが、ディズニーランド・パリやヴェルサイユ宮殿があるイル・ド・フランスと呼ばれる周辺部を含めたパリ都市圏で言うと人口は1000万人を超え、パリは世界有数のメトロポリタンとなります。またパリはヨーロッパの鉄道の中心であり、パリを起点にスペイン、イタリア、スイス、ドイツ、オランダ、そしてイングランド・・・放射状に鉄道網が伸びています。パリからTGVで2時間、またレンヌからバスで2時間と計4時間かけて行く「世界の奇景」巡礼地モン・サン・ミッシェル(MSM)もパリからのエクスカーションで見る価値のある場所だと思います。その際にはMSM名物の特大フワフワ・スフレ風オムレツもご賞味あれ(笑)
イスタンブールも周辺32市を含めた大イスタンブールで言うと人口は1300万人に膨れ上がり、これは京阪神を包括する大阪都市圏(1500万人)に迫る世界屈指の「メガシティ」の一つに数えられます。そしてイスラム世界の中では最大の都市であると同時に、都市圏で言っても前の段で述べたエジプトのカイロ都市圏(1600万人)に次ぐ大都市圏を形成します。これは度重なる他国との戦争が重なって自国民が激減したために、ギリシャなど周辺国からの人口流入を容認してきた歴史があり、トルコはフランス、ドイツといった西欧への移民も多いものの、その一方でかつてはオスマン帝国の支配下にあった東欧、ギリシャ、中東各国からの人口を抱え込んでいました。その裏で大都市に有り勝ちな周辺を見下す態度はこのイスタンブールにもあり、イスタンブール市民は自らを「オスマン人」と呼び、郊外の農村に住む人を「オスマン人」は「トルコ人」と呼んでいたようです。そもそも東ローマ帝国時代はコンスタンティノーブルと呼ばれた「イスタンブール」という市名も「イスラム教の都」という意味のようで、現地の人は「イスタンブール」と伸ばして呼ばずに「イスタンブル」と呼ぶそうです。
サンクト・ペテルブルグは上述の通り北緯60度に位置しており、夏は気温30度以上にまで上がり真冬には−30度まで下がることもある、そして白夜もある「世界最北の100万都市」でありまして、亜北極地方で言えば唯一の100万都市です。日本で言う東京から見た北の街「札幌」を見るイメージと近いでしょうか?しかし、一時は500万人を超える人口を有していたものの不況の影響からか人口は減少傾向にある模様で・・・「モロゾフチョコレート」で有名なモロゾフもロシア革命時に神戸に逃れてやってきた貴族だったそうで。余談ですがサンクト・ペテルブルグは当初はオランダ語風に「サンクト・ピーテルブルフ」と呼ばれて発足したともあり、ピョートル大帝はオランダとも造詣が深かったのか・・・そういえばサンクト・ペテルブルグは同じ「北のヴェニス」アムステルダムをモデルに街を作ったとも話を聞いたのを思い出しました(爆) エルミタージュ美術館の別館がアムステルダムにある事もあり、この両市はけっこう縁が深いみたいです。またサンクト・ペテルブルグ市出身といえば現在のプーチン大統領、少年時代から柔道とサンボを習っていた大統領はレニングラード国立大学在学中にサンボの全ロシア大学選手権に優勝しています。1976年には柔道のレニングラード市大会でも優勝した実力者で、2000年の来日時には講道館より柔道六段の段位を贈られて・・・オランダにも柔道家として先日欧州王者リヴァプールの一員となった元オランダ代表のゼンデンがいますが、両者はなんとなく似ているような?漫才コンビ「次長課長」の河本氏のネタ「水木しげるの漫画の男の人」ではありませんが、プーチン大統領やゼンデンは第16段で書いた「YAWARA!」に出てきてもおかしくないような、浦沢先生の漫画のキャラクター顔だなぁと常々思っております。あとサンクト・ぺテルブルグで忘れてはいけないのが元ロシア代表の「ヴィーゴの英雄」アレクサンダー・モストヴォイ。しかし現在は何処へ雲隠れしているのやら・・・。
まあ行ってみたい街を前の段と合わせてつらつらと書きましたが・・・こうなりゃ、ゲーム「シムシティー」でもやって都市育成シミュレーションでもしないと気が済まない勢い?とりあえず「ただいまぁ、やっぱり家が一番!」とおばちゃんの旅行ぢゃないですが・・・。そんな帰る家は写真の「アヤックスハイム」ならなお最高です。この物件って、個人的には物件名だけで住みたいこの上ない「理想的」なマンションなんですけど!
なんだかんだ言って、住所に「○○市△△町アヤックスハイム・・・」と書けるって・・・めちゃテンション上がるじゃないですか(笑)
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