
山熊田〜二ノ俣峠
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今回は旧山北町山熊田の二ノ俣峠でござる。
山北町でも最も山深く、マタギの里で知られる山熊田から、東の山形県鶴岡市大鳥へと越える峠道です。
県境にあって深い山に隔てられた、全く別の地域と考えられるような両村ですが、
明治以前は生活や文化において峠を挟んだ交流があったと考えられます。 |
山熊田から北へと進路を取るでござる。
正面の山の鞍部は雷集落への大日峠です。こちらは舗装路となっていますが、地形図上では旧街道も記されていますね。
大日峠には戊辰戦争の戦地があるようだが…まぁ、これはまたの機会でござる。
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途中、左手に相の俣弥三郎伝説の家臣の十二人塚でござる。
平家の落人、相の俣弥三郎が府屋の大川氏に攻められると、交渉に臨んだ家臣十二人の首が切れられ、
本人も岩の上で腹をかき切ったという伝説です。
府屋の人は村のお宮にお参りしてはいかんでござる。
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沢伝いに少し入った所で右の砂利道に入ります。
直進は大日峠で、こちらは舗装路だが決して良い道ではないのでござる。
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良くある看板も、マタギの里だけに妙にリアルに感じるのでござる…
少し前に情熱大陸でも取り上げられました。
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しばらくは林道を進みます。
右手は切れ落ちた谷となっているのでござる。この辺りを山熊田渓谷というのでござろうか…。
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林道の終点には杉の生産地らしく、見た目に凝った砂防ダムがあるでござる。
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更に少し奥に小さめのダムがあって、その脇から峠道が続いています。
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ちなみにこの看板、まるっきり逆方向を指しているので要注意でござる。(2008年5月)
作者はこの看板通りに進んでダムの裏に出てしまい、そこから尾根によじ登ってやっと道を見つけました。
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看板とは逆に、二つ目の砂防ダムの下まで行けば峠道は簡単に見つける事ができます。
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ダムの所が尾根への取りつきでござる。
緩い尾根には、美しい原生林が展開し始めます。
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マタギ衆が残したものでしょうか?ブナの切付けが多く見られます。
マタギにとって山は神が宿る神聖な場所。その土地を歩かせてもらってると思うと気も引き締まるのでござる。
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細かい切り返しで九十九折れが刻まれておるよ。
登山道ならこの程度の斜度で九十九折れは作りませんが、やはり荷の運搬を意識したものでしょうか。
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尾根が広くなると全体的に潅木が覆って、少し道が分かり難いかもしれんな。
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でも、良く見て進めば迷うって程でもありません。
というわけで良く見て進むのでござる。
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楢かのう…立派な木でござる。
神聖視された山は、伐採から樹木達を守ったのかもしれませんね…。
村人が言うには山熊田ではその字の如く、一に山、二に熊、最後が田んぼの優先順位なのでござる。
情熱大陸の受け売りです…。
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お、今度は沼でござる。
冬眠から覚めたカエルが合唱していましたよ。
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道の両側にそびえる巨木は、まるで門番のよう…。中には山熊田太郎と呼ばれるブナの大木もあるそうです。
本当に人間みたいな名前でござるな…。
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峠まで少しの所で沢を渡ります。
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また大きなブナでござる!
なんか木のネタばっかり…
峠についての話が無くて申し訳ない。。。
ともあれ、峠道を囲むブナ・楢・朴の木などの巨木と原生林の美しさは特筆物です。
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峠に近づくと、道跡がくっきりしてきたでござるよ。
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ここは道の脇に造られたと思われる掘削地でざる。
街道なら茶屋跡という所ですが、ここの場合は山仕事の小屋か何かあったのかもしれません。
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更に頂上に近づくでござる。
確かにこの辺は斜面が緩く、山仕事などにはいい場所のようです。
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なかなか雪が残っているもんでござるな。
ゴールデンウィークに、かんじきトレッキングのイベントを行っている位ですからね…。
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到着!!頂上でござる!この二ノ俣峠の他、県境上に一ノ俣、三ノ俣峠もあるようだのう。
ここは展望はありません。尾根の踏み跡をたどって行ってみましょう。
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むむ!北の尾根上に焚き火跡発見!マタギ衆でござるか!?
違うんじゃない?
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焚き火の所から朝日連峰方面の景色がひらけるでござる。
今日はちょっとガスってて良くありません。
今回は山熊田側だけで、大鳥側はちょっと未定でござる。 |