戊辰戦争 新津 小阿賀野川の戦い

新津 小阿賀野川の戦い

■背景
新潟は陥落し、中越戦線の裏に回り込むという新政府軍の作戦は見事に成功した。
同じ頃、中越戦線では長岡城が再び新政府軍の手に落ち、これによって越後の同盟軍は総崩れとなっていた。 主力を成していた会津・米沢藩も自領が危ういとなれば越後から兵を退くしかない。 この時点で退路を新発田藩に絶たれた米沢藩は会津経由の退却となるが、新政府軍による追撃は始まっていた。

■7/29
新潟が新政府軍に占領された後、米沢藩は小阿賀野川の渡場である新津の荻島に陣地を造り 新潟方面からの攻撃に備えていた。 この情報を得た新政府軍は、荻島の対岸二本木に兵を派遣し台場を構築。 午後6時頃から小阿賀野川を挟んでの銃撃戦が展開された。

■8/1
戦いは双方譲らず朝4時を迎えた。
これを打開する為、新政府軍の一隊は悟られぬ様に下流へ迂回し渡河。 密かに米沢藩陣地に近づくと一斉に攻め込んだ。 慌てた米沢藩は武器弾薬を残し新津まで退却した。
そのまま新津まで攻め込もうと逸る新政府軍を止めたのは、地元の結新田名主敬助だった。 彼から新津に駐留する同盟軍の数を聞き、そこに攻撃をかける事の無謀さを訴えられた新政府軍はこれを断念し二本木に引き上げた。

間もなく二本木の新政府軍に同盟軍が攻め寄せた。 付近の会津藩がここの戦闘の知らせを聞いて駆けつけたものだった。 再び川を挟んでの戦闘が繰り広げられた。 川を渡ろうとした新政府軍の舟2.3隻が同盟軍の攻撃で沈められた。 この戦いは午後2時頃まで続いたが、見附方面の新政府軍が三条付近まで進んできた事で退路が危険になった同盟軍は新津を撤退した。

■8/3
新政府軍が新津へ入る。


左、新政府軍側の二本木 右、同盟軍側の荻島。
川の流れが変わっている可能性もあり。

荻島側の道。
新しい様な古い様な、微妙・・・

■こぼれ話
・農兵隊の活躍
戊辰戦争では兵士不足から各地で農兵が組織された。 この小阿賀野川の戦いでも、苦戦する新政府軍に亀田町から600人の農兵が組織され援軍に出動した。 戦果は定かではないが、新政府軍の渡河作戦ではときの声をあげて同盟軍を怯ませたという。 こういった農兵の中には、士族になる事を夢見た者も多かった様だ。

主な参考資料 新津市史・亀田の歴史

トップ戦の地