道標
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鉄車をみつめる道標

かつて旅人を案内した石の道標。 間違えやすい追分に建てられ、現在でもアスファルト道のかたわらにあったりします。 自然石に刻まれたものや四角く加工した石にかかれたもの、馬頭観音と一緒にされたものなど様々ですが 風化して読みにくくなっているものが多い様です。

出羽街道
朝日村古渡路
村上城下を出て、出羽国への道標です。
延享年間に建てられた六十六部経典供養塔の左側面に「左 出羽国」と刻まれています。
その他の街道
荒川町新光寺
乙方面から村上へと向かう途中です。 「右 せきより米沢道  左 金屋より村上道」 上部には梵字で通行の安全を祈って「地蔵菩薩」と刻まれています。 至れり尽せり。
米沢街道朴ノ木峠
山形県小国町
森林公園手前の林道より少し高くなっている所にあり、自然石に刻まれたものです。 小国からの旅人が、誤って街道ではない山道に入らない様に立てられた様です。
米沢街道
山形県小国町種沢
??? 判読不能。道標っぽいので載せました。 知って居る方いたら教えて下さい。
米沢街道の間道
黒川村須巻
梨ノ木峠古戦場にまつわる千人塚を探していて偶然見つけたものです。 塚の手前の踏み段の様に使われてしまっています。
「みぎ せきみち ひだり すまきみち」とあります。
北国街道
巻町伏部
弥彦への道を示していました。 少し行くと、米百俵ゆかりの三根山藩の陣屋跡があります。
三国街道中通り
新発田市諏訪町
新発田城下から出て、三国街道と会津街道の分岐に建てられました。 これは明治初期もので、使われて間もない東京の文字が見れます。 すっかり塀の一部と化しています。
三国街道中通り
新発田市荒川
現290号線沿いから本田への分岐を示したものですが、これもそれほど古いものではない様です。 写真では判らないかもしれませんが、ミニサイズです。
三国街道中通り
笹神村村岡
出湯・新発田・水原等のそれぞれの方向が刻まれています。 やはり、それほど古いものではないと思われます。
三国街道中通り
笹神村須走
馬頭観音に刻まれています。「左、あいつ笹岡 右、村杉てゆ」 会津へ行くのに、赤谷から回っていった事がうかがえます。
三国街道中通り
新津市金屋
上金沢〜堤間の三叉にあったものを、今は諏訪神社境内に移動しています。 「右ハ八ツ梅・左ハにかた道・天保四巳年」と刻まれています。 八ツ梅とは八ツ房の梅のある梅護寺(京ヶ瀬村)を指しました。
三国街道中通り
新津市田家
馬頭観音兼用で文久元年建立。 街道から田家への分岐へ建てられていましたが、現在では地区内の諏訪神社鳥居前に移されました。 ただでさえ狭い道が工事中で、探すのに苦労しました。
会津街道
新発田市天ノ原
小さな公園に移動させられています。
「右 江とみち 左 やまみち」
と刻まれていましたが、かなり磨り減ってやっと読める位です。
会津街道
津川町角島
津川から新発田方面へ向かうとこの追分です。
「左 水原 五泉 小川通 右 新発田 村上 道」と記されています。 それほど大きくありません。 
六十里越
広神村東中
「右 ひろせ 会津 道 左 やまみち」と刻まれています。 自然石に彫られたもので、今でも良く読めます。
やまみちとの分岐に立てられた道標は多いですね。
六十里越
守門村須原
参堂との分岐に立てられたもので、宝暦14年(1764)の建立です。
民家の土台になっているあたりが悲しいです。

発見し次第、随時UP予定です。情報ください。

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