| 事例報告:当事者主体の地域支援の事例報告及び問題点について |
| 報告者 東谷 太 ((特)自立生活センター・あるる/身体) |
| 尾崎 由美 ((福)光輝会 隆光学園/知的) |
| 山本 誠 ((特)わかくさ福祉会/精神) |

| 【東谷】 | |
| 大阪市の生活支援事業の成り立ち | |
|
身体障害者の相談支援事業について、大阪の事例を報告したいと思う。自立生活センターあるるは障害当事者が主体となり、障害者の方の自立を支援する自立生活センターとして運営している。2001年7月に設立し、大阪頚髄損傷者連絡会の仲間で立ち上げた。自立生活センター協議会に加盟していて障害当事者が代表、事務局長となり、運営委員会組織をとっている。ピアカウンセリング、自立生活プログラム、セミナー、機関誌の発行、介助派遣、権利擁護などを行っている。2002年4月より市町村生活支援事業の委託を受けている。2003年4月から始まった支援費制度に伴い、NPO法人を取得した。大阪市は260万都市で7つの福祉圏域がある。ひとつの圏域に2つのセンターがあるので、市内に計14ヵ所ある。1996年に4ヵ所の自立生活センターが支援事業を受託し、2002年までに14ヵ所の整備が終了している。14ヵ所あるうちの殆どが、あるるのような自立生活センター系列で受託している。 |
|
| 自立支援法下での支援事業の流れ | |
|
この9月末で支援事業は終わり自立支援法の下の相談支援事業に移行していくが、連絡協議会は続けていこうということになっている。大阪市における市町村障害者生活支援事業を実施するに当たり障大連も要綱作りに協力して、ピアカウンセリングが必須事業になっているが、職員配置のところで国が示したものより強く障害当事者の参入を謳った文言にした。ピアカウンセラーの配置を義務付け、視覚、聴覚のピアカウンセラー、さらに知的、精神の支援をするためのネットワーク作りを提示するといった要件を満たしてこの事業を委託するというような要綱作りをしている。 |
|
| 大阪市における相談支援事業の問題点 | |
大阪市は今後も障害種別の相談支援事業を継続して行うと言っている。我々は委託型の相談支援事業になるのだが、自立支援法移行後も交付税の中でやれということであるので自立支援法に移行したからといって、市町村が引き下がるという理由にはならないと思っている。それ以外の事業には相談支援機能強化事業、生活サポート事業、居住サポート事業等があるが、身体障害者の相談支援事業でやれることは何かと考えた場合、相談支援機能強化事業があると思う。社会福祉士等専門的な力を有するものを1名配置するための予算を取りにいこうかと思っていたが、大阪市が1500万を確保する為に相談支援機能強化事業を相談支援事業の中に組み込んで予算確保をしてしまった。今から自分達がやるといってもダメであって、同様に療育等や精神の相談支援事業においても予算確保の為に生活サポート事業、居住サポート事業も組み込んで予算化している。機能強化事業の職員配置で、国は社会福祉士等専門的な知識を有する者という文言になっているが、大阪市はピアカウンセラーがその職員配置に准ずると位置づけている。今後このような形で行っていくことになっている。委託料の引き下げが起こっているのが、安易な引き下げには抗議をしていく。今後の相談支援事業をやっていく中では地域自立支援協議会を委託型の相談支援事業者が中心となって運営していき、相談地域の障害福祉計画を策定していくと書かれている。委託を受けている相談支援事業者は地域自立支援協議会で実績報告をして、そこで評価を受けなければいけないと書かれている。 |
|
| 今後の課題 | |
|
大阪市において地域支援システムは、障害者、高齢者、療育等色々な分野での相談支援事業のシステムを既に実施しているが、形だけでうまく機能しているとは言いがたい。区のレベルでは、実務者会議の障害者部会で連絡調整会議を毎月やっている。メンバーは相談支援事業者、療育等相談支援事業者、精神の相談支援事業者、市役所の担当者、社協のスタッフ等で構成されている。その時の課題を話しあっていくということになっているが、一年間何もやっていない区もあり、地域での格差があるのでオールラウンド交渉において大阪市として自立支援協議会をどうしていくかを明らかにしたい。 |
|
| 事 例 | |
メインストリーム協会の方から大阪で自立をしたいと言われた。複雑なケースであったので、受け入れてくれるセンターが殆どないので断ったが、頚損の方であったので協力できることはしましょうということで、四国まで行った。何とかしてあげたいと思うようになり、月一回のNPO会議をやっていて、その会議で難しいとは思うが僕はやりたいと言ったところ、スタッフが「やりましょう」と応えてくれた。未熟なセンターであったが皆が動いてくれて自立生活を達成することが出来た。いまでも大変なケースを抱えているが、我々の仕事はこういうケースを通していかないと学べないと思った。いろいろなケースを経験することで、学んでいけると思う。 |
|
| 【尾崎】 |
|
| はじめに | |
|
私が関わっているのは知的障害者の更生施設隆光学園で、現在80名が入所している。昭和60年の開設。当時は50名であった。短期入所事業を受託し当時は短期入所事業が大阪府では確立していなかったため、遠いところの方の受け皿にもなっていた。50名も入所者がいるのに新しい方を入れるのは大変であるとの意見もあったが、入所の方だけを守っていくのではなく地域に施設として何を還元し、何をしていけるのか早い時点で地域に向けて発信をしてきたと思う。支援についてはそれぞれに歴史があり、私達もここに掲げていただいた。施設は一人勝ちしているようにも見られるが、実際はやればやるだけ施設は赤字を抱える状況にある。地域療育等支援事業は平成12年10月からで、寝屋川市で在宅の障害者を対象にスタートしている。寝屋川にある入所施設はうちだけで、ショートステイを使う方はいたが入所施設はいやだという受け取られ方をしていた時代であり、療育等の方で実施した事業の中で一緒に入所者がスタッフと同行する余暇活動などで、地域で障害のある方と仲良くなってきたかなと思っている。 |
|
| 相談事業の状況 | |
|
支援センターでは相談事業を受けているところが多くあり、相談事業の窓口は沢山あると思う。 |
|
| 当事者本人とのやり取りについて | |
|
地域で家族と生活している障害者で自分の意見を言える人は少なく、親に頼ってしまう方が多い。本人を真中において考えるとき、グループホーム、ケアホームで過ごしている人は支援しやすい。ケアプランの作成ということでは保護者も巻き込み、こんなサービスがあったらいいと思ったら応じてくれる事業所を探していく。しかし、サービスをすぐに使える人とそうでない人がいる。サービスをすぐに使えない人には知的の障害のある方が多く、他者と関わらせるまでの段階的支援が必要である。介助者に来てもらう為には部屋を掃除しなくてはならないからなどの抵抗もある。サービス利用までのサポートが必要で、そのような制度で支えきれない人をどうするかと言う様な事例では、療育等支援事業は本人の所へ出向いて療育をする。反対に本人に来てもらい療育を受ける等、なんでもありと療育支援事業には盛り込まれている。ヘルパーには頼めない事、近隣にも頼めないことの隙間の支援ができる事業で良かった。人と人をつなげ、家族の支援が得られるようにも援助していく。この方は知的と精神の障害であったが、服薬の拒否があり、入退院を繰り返し、家族とも上手くいっていないところに職員が1週間に1日関わることで次第に人の輪も広がっていった。今では居宅のヘルパーを使えるようになった。人の中に入っていけない人には一人の人がしっかり関わるということが重要だと思う。 |
|
| 支援のネットワーク化 | |
|
ネットワークによる支援体制作りは職員が当事者を訪問していく中で訪問支援員をキーパーソンにし、家庭内環境の整備をする。さらにコーディネーターが入っていって、訪問診療のスタッフへの情報提供をしたり、どこの事業所に聞いても本人の意向は同じであるといったような確認していく。障害の度合い、どの自立段階にあるのか、家族も含めライフサイクルを考え10年先20年先の生活も視野に入れ、本人の望む生活の実現に何が必要かを考えることを今やっている。24時間電話がかかり相談されるが、それは覚悟して利用者側に負担がかからないようにしていかなければならない。全体像が見えたところで事業所に適確に伝えていけたら良いと思いながら日々取り組んでいる次第である。 |
|
| 【山本】 |
|
| はじめに | |
|
精神障害者の作業所職員になったのが23年前、その後グループホーム職員をやり、去年まで5年支援センターの職員をやっていた。精神の事業を渡り歩いてきて、今はグループホームの世話人と法人の事務局に携わっている。 |
|
| 精神障害の支援センターの沿革 | |
|
精神の状況に限って話す。精神の障害者地域生活支援センターの生まれた背景ということで、9月30日を以て社会復帰施設としての事業は終了した。今更とも思うが精神の場合は他障害と比べ法整備が遅れてきた。精神保健福祉法が1986年に成立し、翌年の1987年から社会福祉施設の体制が出来てきた。20年にも満たない歴史でありながら、支援センターでの事業は終了する。 |
|
| 八王子市の状況 | |
|
所属は地域生活支援センターあくせすであったが、2006年10月に別法人に異動した。八王子市は人口54万人で18の民間の精神科病院がベッド数でいうと4400床ある。地域の限られた支援活動で、社会的入院者7万人を5年間でどのように地域移行させるか?八王子市の場合、ベッド数換算で言うと毎年200名を病院から地域移行できるか?在宅のサービスはどうするか?どこから手をつけたらいいのか?となる。 |
|
| ニーズ把握の困難さ | |
|
実際の支援センターの活動からと言うことであるが、この分野に関わっている者は、精神のことで困った時は医療的なことはクリニックであったり、福祉サービスは市役所にとか、訪問サービスが必要なら保健所になどと考える。しかし、支援センターを開設してみると、「今までどこへ相談に行って良いのか分からなかった」と初めて相談に来る方が、まだまだ多いことに気づかされた。ニーズを持っていてもどこに相談すれば良いのかが分かっていない。社会的な理解が進んでいない、外に出すのではなく内部で押さえてしまう。だからニーズが表に出てこない。 |
|
| 事 例 | |
センターを利用したいという方にはこちら側も関わっていけるが、精神の方の場合、本人が利用したくないという方たちも多くいる。こちら側としてはサービスを利用できると思う人がいても、本人が利用したくない。しかしセンターには顔を出すという方もいる。相談とかケアマネジメントとか支援計画を作って訪問をするといった、単にサービスを利用する・紹介するというばかりでなく、障害を受けとめるまでに5〜10年かかる方もいるが、そういう方に丁寧に関わり、サービスを利用するきっかけを提供できるかを考える。 |
|
| 事 例@ | |
|
アパートの住人の騒音に悩まされた方。精神の方の場合は音や対人関係に敏感で、近隣との音の問題での相談も多い。住宅騒音は障害者の問題だけではなく一般的にも直接訴えて解決することはあまりないが、精神の方にとってはそれ以上の問題になる。毎日かかってくる電話の相談を受けとめるが、具体的な対策もない。「小さな音が大きく感じてしまうだけなので大丈夫」ではなく、「それは大変ですね」と同意してあげる事から関係を作っていく、相手と呼吸を合わせていく。相談を始めて2年くらいで都営住宅に移ることができた。問題を心理的に支えるだけではなく、環境を変えたことがその方にとっては大きかった。その人が困っていることを丁寧に受けとめながら呼吸を合わせて物理的な環境を変えるということで解決をした。 |
|
| 事 例A | |
一人で出かけられない。何かの具体的なサービスにつなげたということではないが、在宅でこもっていると出かけるきっかけをなくしてしまう。この方は一般就労もしていたし、車の運転もして出かけていた方であるが、バスにも乗れなくなり通勤にも支障が出てきた。出られないことが課題で、この人が精神障害者であるかどうかではなく、出られない方をどうしていくかが課題であった。障害者であれば障害者だからこのサービスを利用しますとか、今は移動支援のサービスも出来ているのだが、手帳も持ってないし障害者ではないと言っている本人に障害者であると受け入れさせるのではなく、「出られないこと」に何かサービス提供はできないだろうか。この辺りが精神の課題である。 |
|
| 事 例B | |
|
10年の間入浴しなかったこの方も発病される前は仕事もしていた。旦那さんが亡くなるまでは普通の生活であった。亡くなってから通院をしたが引きこもってしまい、アパートの共同風呂が壊れてしまってからは入浴をしなくなってしまった。支援できたのは旦那さんがいたころに作業所に顔を出していたので面識があり、20年来の付き合いがあったからである。自閉的な生活になり大変であったが少しでもつながりがあったことできっかけがとれた。私たちもそうだが、毎日風呂に入っている習慣があれば毎日入るが、10年入らないと入らないのが普通になってくる。 |
|
| 地域生活センターの今後 | |
|
精神障害者の地域生活センターのこれからということで話したが、東京には47ヶ所ある。1ヶ所が市の委託を切られたので46ヶ所になる。来年度以降はどうなるか分からない。いま三障害の一元化と言われている中で、精神の分野では特化した支援が、もう5年、10年は必要であると思っている。自立支援法の地域生活支援事業への移行の中で東京、横浜、神奈川の精神のセンター連絡会で厚労省や議員に働きかけていく中、いろいろな批判もあるが精神の今までの事業が支援法の下に引き継がれていった。 |
|