第17回市町村障害者生活支援事業職員研修会 (2005年6月30日開催) |
【シンポジウム】「障害種別を越えた地域エンパワメントとは?」 コーディネーター 近藤 秀夫氏 ( 特定非営利活動法人 当事者エンパワメントネットワーク 理事長 ) シンポジスト(発表順) 田島 裕美氏( 八王子精神障害者ピアサポートセンター 代表 ) 中原 えみ子氏( 八王子市障害者生活支援センター ぴあらいふ 所長 ) 室津 滋樹氏 ( 障害のある人と援助者でつくる「日本グループホーム学会」代表 ) 池田 純氏 ( 社会福祉法人 信濃の里 長野障害者自立支援センター「マイステップ」所長 ) |
当日の様子 ![]() ![]() |
◆当 日 記 録◆ 近藤:みなさんの資料の中で「障害種別を越えた地域エンパワメントとは?」という題で4名のパネラーの方をお願いしています。田島さん、中原さん、室津さん、池田さんの順番でお願いします。時間も長くなりますので、途中で休憩をとりたいと思います。なお、講演は1人25分でお願いしています。多少、時間の前後はあると思いますがご了承ください。各団体のやっている活動の中からということで、緊張している方、慣れている方など様々です。その差は大きく、とくに今回グランドデザインの中で出てこようとしているのが、「3障害」という形で身体、精神、知的が一律に並べられています。 しかし、私達障害を持った者にとって、「一律」という言葉はそんなに簡単なものではありません。そういう意味では長く障害を持ち続けてきた歴史的流れからいっても、又は社会の中で実績を持って生活してきたかということを考えても「3障害」と一言で言えるほど簡単なものでないことは、現場をもっている皆さんの方がご存じのことだと思います。そういう意味では、今回快くシンポジストを受けて頂いた方々に、いろいろな立場から話をして頂きますので、みなさんも緊張しないようによろしくお願いします。一番の田島さん、くれぐれも緊張しないようによろしくお願いします。 田島:「八王子精神障害者ピアサポートセンター」の田島と申します。よろしくお願いします。まず、私は精神障害当事者です。病気のことについて先にお話をさせて頂きます。最近では精神病は脳内物質の代謝異常が原因と言われています。何年か前までは「遺伝ではないか?」と言われていましたが、最近では遺伝ではないと言われています。このように解かり始めてはいますが、今でも「精神病」=「心の問題」と捉えられがちで、自分の気持ちの持ちようで何とかなると思われることが多いです。でも精神病は自分の気持ちではどうにもならないと言うことを知ってもらいたいと思います。 私達はコミュニケーションをとても苦手としています。慢性的に、あるいは突発的に何の原因もなく不安と心配にさらされてしまう時があります。今以上にそうした負担を負いたくないのでその時々に、臨機応変に対応しなければならなかったり、応用ばかりの私達にとっては複雑に感じる人間関係はとても苦手なのではないかと思います。私達が心配や不安を感じることは一種の恐怖感があり、その恐怖は想像以上です。 例えば、理由も分からず突然自分が崖とかビルから落ちていく夢を見たことがある人もあるかもしれません。夢の中で落ちていきながら何かに掴まろうとしても掴まる所がなく無意識に手足を必死にバタバタさせて、それでも自分が落ちていって、地面に叩き付けられる前に目が覚めると言ったものですけれども、この夢はなんの脈絡もなくどこからか落ちていくというあまりにも唐突で突然で理不尽なものです。そして目が覚めても夢の中で感じた恐怖を覚えていることもあると思うのですが、私達が日頃感じる恐怖はこの夢の中で感じた恐怖に似ているような気がします。 精神病の特徴で良く知られているいくつかの症状とはこの夢の中で落ちていくときになぞられるかもしれません。夢の中で自分が地面にたたきつけられる前に誰かが自分を助けようと、とっさに夢の中で助けるように手を差し出してくれれば、その手に必死にしがみついて相手に絶対的な信頼感を持ってしまうという、皆さんが良く知っている「依存」というものになるし、落ちていきながら暴言をはいて誰かに当り散らしてそれが極端な場合、他の人を傷つけると言う恐れがあります。地面に落ちる前に不可抗力ではなく自分がこんな状態にしたんだと、極端に自分を責めると自傷の恐れ、これは自分を傷つけるということです。この様になるのではないかと思います。 これはどれも得体のしれない恐怖感から自分を守るために行っていることです。このことはあくまでも私が感じたことで、専門家が言っていることではありません。私達はきちんとした理由が欲しいのだと思います。誰でもそうだと思いますが、うれしいことは必死に理由を探さないと思いますが、辛かったり、苦しかったりすると、ちゃんとした理由が知りたいと思います。それは辛かったり、苦しかったりする原因、理由が解れば、その苦しみから解放されると考えるからだと思います。私達はその原因や理由の実感がないのです。私達は日常生活の中で急に、又は慢性的に心配や不安を抱えてしまいます。心配や不安は頭の中で起きていることなんだけれど、影響を受けているのは感情だから、辛かったり、苦しかったりする理由を探します。しかし、それは頭の中でおきていることで、実感がないから理由が解らないということになります。そして、理由が解らないので先の見通しがたたず、恐怖になります。 私の場合ですが、梅雨の時期になる前から具合が悪くなります。精神障害者の中で梅雨に弱い人は多いようです。私が病気に成り立ての頃医者に話したら、「医学的に考えたら、梅雨の時期に具合が悪くなることはないから、それは気の迷いだ。」と言われていました。私は本当に不安になりました。「医学的にはあり得ない。」と言われても自分の身に起こっていることは事実だし、気持ちの持ち様では何ともならない現実があり、自分のどこが悪いのか全然解らず先の見通しも立たず本当に恐怖でした。母親の勧めで東洋医学の病院に行ったとき、その先生は外の気圧と体の中との気圧の調整を健康な人は無意識のうちにできているが、病気になるとそれがスムーズにできないので、雨が降る前の気圧の変化に自分の体の中の気圧がついていかず調子が悪くなると言われ原因がわかり、先の見通しの不安も絶たれ本当にホッとして恐怖感がなくなりました。 私は今でも梅雨の時期は影響の受け方は違いますが、調子は悪くなります。でも、恐怖感はありません。体が動かなくなったり、原因が分からない不安や心配は相変わらずありますが、調子を崩す理由を知っているので、昔の様な得体の知れない恐怖感はありません。支援についてですが、職場での関係です。私と職場の方がどのような関係を作ってくれているかということです。職場では1年に一度どうしても具合が悪くなる季節があることを話しています。調子が悪くなった直後はちゃんと説明はできませんが、出勤できるようになった時にミーティングなどで、長期に休んだ理由は梅雨に入る前だったとか、まだ本調子ではないので遅刻、休みの連絡を入れられないということを話してこの季節、普段できていることでもできなくなることがあることを伝えています。 私達の職場では率直に色々なことを話してくれています。私が精神障害者だからこんなことをいったら傷つけるだろうということはなく、私の行動に心配をしたり、そう言う時は率直に話してくれています。自立生活センターとは当事者が主体になり、当事者の視点にたち仲間を支援するところです。支援する側に求められていることはみんな同じだし、障害の専門性や、それぞれの必要とするサポートの違いや配慮はあっても、障害で区別されることはありません。このことはいい関係だと実感しています。私が当事者としてできる支援です。 私の主人は、私が精神病であることを隠してはいません。主人は私が週1回の病院への付き添いをしてくれるために、仕事を休んでくれています。会社の同僚に私の病気のことを聞かれたりするそうです。そのときは精神障害者だと伝えていると言っていました。同僚の人にどうしてそんなに簡単に風邪をひいたかのように言えるのかと聞かれたこともあったそうです。その時、主人は精神病って他の人の目にはそんなに異様に写るものなのかと話していました。 ある日、職場で自分の家族の中に精神病の人がいると相談を受けたそうです。主人はその人の話を聞き私の名刺を渡してくれたそうです。そして「○○さんから電話があるかもしれない。」と言われていました。「あればいいな。」と思っていましたが、ありませんでした。つい最近聞いたのですが、主人に相談した人の家族の方の状態が悪くなって、仕事を早退して帰っていたようですが、しばらくして職場に来なくなったようです。どうしたのか?と気にしていたら相談していた人が自殺をしてしまったそうです。たぶん主人に家族のことを相談したその人自身もすでに病気になっていたんだろうと今思っています。 そして、「支援っていったいなんだろう?」と深く深く考えてしまいました。自分ができるかもしれない具体的なことや、過去に出会った人達のことを思いだしいろいろなことが頭の中を駆けめぐりました。私は本当に多くの人が死んでいくのを見てきました。もう嫌だと思いました。人が死ぬのも嫌だし、自分が取り残されていくのも嫌です。生きているって、すばらしい事じゃないですか。どうしてそれを忘れてしまったり、まったく知ることもなくて自分から生きることを止めてしまうのだろうと思います。 よく例えに使われる話があります。「お腹を空かしている人にあなたは魚と釣り竿とどちらを渡しますか?」私は自分の病気が本当に悪かったころ「釣り竿はいらないから魚をくれ。」と心から思っていました。今、ピアカウンセリングに出会って、魚よりも釣り竿の方が必要だと思います。当事者として私にできる支援はすぐに魚を差し出すような精神障害者が生きづらくなっている原因を対処療法的に取り除くことではなく、釣り竿を渡すようなピアカウンセリングを通してその人自身が自分で自分の生きづらさを見つめて自分のできること、できないことや自分のしたいことを知って自分にはどんなサポートが必要なのか?そしてそのサポートを周りの人に伝えられるように力をつけることを手助けしていくことだと、改めて思っていますし、こうしたことを続けていきたいと強く思っています。 八王子市での精神障害当事者支援の取り組みですが、八王子市には就労関係に関するところが3カ所、作業所などフリースペースがあるところが7ヶ所、グループホームが3ヶ所、地域支援センターが1ヶ所あるようです。それぞれについて詳しいことは解らないのですが、私は作業所に勤務していたことがあったり、それぞれのセンターに通っている仲間達に話を聞く機会があります。八王子市に限らず、精神障害者に向けて、自立生活プログラムや、ピアカウンセリングを提供しているところは私の知るかぎり当センターしかありません。八王子市では精神障害者が利用できるところは、14ヶ所あるので、当センターはそうした作業所が取り組まないものを提供したいと思っています。 また、精神障害者にはまだまだ「当事者主体」とか、「当事者自身がお互いサポートする。」と言った考えはあまり一般的ではないと感じています。そこで、当事者ならではの支援をしたいと思い、当センターは自立生活センターを目指し活動しています。現在の当センターの活動内容はピアカウンセリング、自立生活プログラム、サポートグループ、勉強会、講師派遣、個別相談業務などです。ピアカウンセリングでは主に心の問題を扱います。今まで生きてきた中で、傷ついたことがたくさんあります。同じ障害があるから共感出来ることがあります。このことは自分自身を見つめ、自分に出来ること、出来ないことを明確にし、自分の将来の目標を知り、必要なサポートを考えられるようになり、人間関係を作り直することが出来るようになります。また、自分自身がロールモデルとなって仲間達にも必要なサポートができるようになります。健常者の方が参加可能な公開セミナーも開催しています。 自立生活プログラムでは地域で生活するために必要な実際のノウハウを伝えることが出来ます。プログラムの中ではロールプレイをつかい自分がこうしたいと思っていることを前もって想定し、その場で実際にやってみたり、今までうまくいかなかった場面をつくり、次回自分はこの様にしたいと実際にやってみたりします。自分がどうしたら自分のしたいことに近づけるのかを実際にやってみるという経験は色々な経験を積んでこられなかった当事者に擬似的にも経験する機会となり考え方や実際の方法のバリエーションを増やしているように感じています。 サポートグループではピアカウンセリングで行うセッション、これは話をする人と聞く人とが同じ時間を交代して行うことですが、セッションをする時には安心して話が出来る場所が必要です。そうした場所を定期的に提供したり、講座では扱わないテーマを扱ったりしています。勉強会ではピアカウンセリングの講座中メモはとれないので、個人的に自立生活運動のこと、ピアカウンセリングの歴史、自立生活センターのことなど様々なことを伝えています。講師派遣は都内、地方などそれぞれの地域でピアカウンセリング講座を行いたいという団体から講師を依頼されることがあります。精神障害者や関係者の間でもピアカウンセリングという名前だけは有名なので、自立生活センターだけでなく、それぞれの地域の保健所や地域支援センターからの依頼もあります。個別相談は公に受け付けているわけではありませんが、個人的相談もあります。電話、メール、直接面談など、相談の内容は人間関係のこと、制度のことなど様々です。 精神障害当事者が地域で求めているサービスについてですが、精神障害当事者が求めているサービスを考える場合、病名、病気になってからの年数から考えるよりは、まず病気かどうか判断が付きにくい人または発病したての人、病気を受け入れて何とかやりくりしている人、そして病気故にいろいろなことをあきらめてしまっている人と3つくらいに分けて考えると解りやすいかと思います。それぞれの状態の時のサービスはちがうので、簡単にお話ししたいと思います。 まず、病気かどうか判断がつきにくいか、発病したての人達には、会社や生活している地域でちょっと具合が悪くなった人が気軽に相談できる場所や現状の生活が維持できるような支援があったらいいと思います。例えば、子育て中の人に子供のことが相談できたり、ベビーシッターのような支援、仕事をしている人には仕事が続けられるような実際的な支援があったらいいと思います。また、経済的に困る場合どんな制度が使えるかなどの情報提供ができるような場所があったらいいと思います。 病気と上手くやりくりしている人達にはその人が仕事をしたり、地域で生活出来るようなサービス、たとえば公共交通機関が苦手な方が少なくないと思うので、経済的にも気軽に頼める移動のようなサービス、病気の症状の反動が激しいので、ホームヘルプサービスの時間や内容が柔軟に対応してくれるような事だと思います。また、病気の故にあきらめている人には当事者同士の支援。これはピア・カウンセリングとか自立生活プログラムなど、自立生活を送る前に自立生活を試しに出来るようなところで、実際にホームヘルパーが使えたり、実際の生活に近い形で経験できるような場所があったらいいと思います。 精神障害者の場合、施設のような所が無いので、病院からすぐにアパートを借りて生活し始めたり、家族や本人の都合で家族と一緒に住むことができず、何の準備も無いまま地域に出てしまうこともあります。前もって、1人暮らしを経験することで、自分に何が必要なのかを知ることが出来たり、準備も出来ると思います。具体的なサービスはまだまだあると思います。支援者の方々にこれだけは知っておいてもらいたいと思うことは、繰り返しになりますが、基本的に私達を病名で先入観をもたないでもらいたい。1人1人を知る中で、その人自身がどのような支援を必要としているのかを知ってもらいたいと思います。 それぞれの病名にはある程度の傾向はあるかもしれませんが、同じ病名であっても、病気の症状は人によって様々です。私達の病気は頭の中で起こっています。それが症状として目に見える形で現れるとき、それぞれの人のそれまでの経験が全く影響しないとは言い切れないと思います。最初に話したように病名はその人が自分を守る守り方、方法だけを見て、張られたレッテルだと思います。もちろん、いろいろな制度やサービスを使うためには必要になるものですが、私達は主治医から本当の病名を知らされていない人もいますし、病名なんてしょっちゅう変わることも珍しくありません。 医者でさえ病名をしょっちゅう変えるのであれば病名でその人を知ろうと思うのはあまり意味のないことのように思います。必要以上にその人自身の力を奪うような過剰な支援も避けてもらいたいと思います。また、私達が生きずらさを感じジタバタにすることもありますが、それほど驚かないでください。社会のルールの範囲内でのことでしたらそのままにして貰えたらじきに収まります。そして、その時々に支援する人が必要な事を伝えてください。 例えば、「精神障害者」と言うと、「電話を掛けまくる」イメージがあると思います。私達は夢で見るどこからか落ちてる時の恐怖感を感じます。その時「いつでもいいから電話ちょうだいね。」なんて言われると、涙が出るくらいうれしいです。そう言われたからと言っていつでもその救いの手があるとは思っていません。私達は拒否されることをとても恐れているのでそんなに簡単に相手を信用したりはしません。その時間の長さや関係の深さは人によって様々ですが、その人にとってはこんな時もあんな時もこの人が私を支えてくれた。この人は信頼できると思ってしまう時間の長さや関係の深さがあったのではないかと思います。支援者は電話に限らず、どんな時でも、自分にとって難しいことなら難しいと、はっきり言って貰えれば、こうしたことは少なくなると思います。そして、私達の中には、いろいろな経験をする機会が少ない人もいるので支援者が難しいと言っている理由が解らない場合もあります。自分が支援出来ない理由をきちんと伝えて貰えると私達は安心します。 精神障害者の歴史は「誤解と偏見の歴史」とも言われています。こうしたことを考えると、人によっては、その理由を社会的に見てとか一般的常識から考えてと言う抽象的な言い方を避けて貰えると解かりやすい場合もあります。身体、知的、精神の障害種別を越えた今後の地域支援当事者支援のあり方について、私達が提供している講座には最近重複の方の参加が多くなってきました。個別相談などでその人の生きづらさを共感することはできますが、具体的な制度やサービスに関して解らないことも多いです。 当センターを支援してくれる自立生活センターでは、身体、聴覚、視覚、精神、知的のコーディネーターがいます。お互いに情報交換をし、協力し合うことがとても重要なことだと思います。ピアカウンセリングに参加された重複の方にまえもって、どんなサポートが必要なのかその障害の職員に聞き、必要なサポートをいれて講座を行った事もあります。当事者同志のピアカウンセリングでは参加者の方に障害名を書いてもらって申込みをしてもらっているのですが、今までの申込用紙に書いてもらった障害名に「精神遅滞」とか書いてある方が何名かいました。私は、新しい精神病名だと思い参加してもらいました。 講座では参加者全員がその人のありのままを受け入れているので今まで問題がおきたり、困ったりしたことはありませんでした。後で知ったのでが、「精神遅滞」とは、新しい精神病の名前ではなく、「知的障害」の事でした。いままでの講座でスタッフも参加者もその人の個性ととらえていたので、よかった事もたくさんあったとは思うのですが、障害を知っていれば、その方達にもっと障害に沿った提供が出来たのではないかと思いました。 最後に今回みなさんに特にお伝えしたかったのは、精神障害者が日常生活の中でどんな精神状態にいるかを知ってもらうと、私達が考えたり、思ったり、行動してしまう傾向の理由を理解しやすいのではないかと思い、このことに重点をおいてお話しさせて頂きました。一面に書かれている全ての項目を詳細にお話しできませんでしたが、きょうの話から少しでも精神障害者のことを知って貰えればと思います。 中原:田島さんが25分ぴったり話したので私はどうしようかと今不安がいっぱいです。私の所属している「八王子市市町村障害者生活支援センターピアライフ」ですが、1996年10月支援事業が始まった年に受託をしました。もともと「自立生活センターヒューマンケア協会」が1986年からありまして、そこに受託を受けた形になります。私達の頃は障害種別を越えてサービスを提供するということを基本的にやっていて、それぞれのサービス、障害の特性に応じたサービスを提供するという形でやってきたことを今日は具体的な事例を含めてお話して、みなさんが全国からきていると伺っていますので、何かの参考にして貰えればいいかと思います。 私はもともと進行性の筋萎縮症で、3歳から発病しています。したがって、障害の故に例えば、中学校の入学を拒否されたりしました。今日は電車に乗ってやってきましたが、何のトラブルもなくスムーズに来れました。今は殆ど当たり前になっていますが、2,30年前は1人で乗ることが、許されていなかった時代で、JR(当時の国鉄)、私鉄に乗るにも、前もって電話をして、「何時の電車に乗せてください。必ず介助者はつけます。」と言う約束のもとに乗っていたという事です。 今のように駅にエレベーターやエスカレーターもありません。階段の上り下りを駅員さんは殆ど手伝ってくれなかったので、自前で人を連れて行くという形で動いていたことを思い出します。そういう中で、いわゆる身体の障害、先天的な障害を持っている人、途中で事故等で障害を受けた方、様々いると思いますが、その時どのような支援を受けたか?その後生活していく場面では、大きな影響を受けたと思います。 最初は医療での場面です。病名がつかない内は、病名探しです。様々な検査をして、一つの病院で足らなければ、あちこち転々として、病名が付けられる。病名がつけられると治る病気か治らない病気か?日本では手帳を受けないと何もサービスを受けられないと言うことで、大体は完治しない病気。障害については手帳の交付という道になります。生まれた時から障害を持っている者にとっては一般の人が、普通に教育を受けられたり、就職したり、家族を持ったりとか、ごく普通のことが途中で遮断されるわけです。 遮断される時にある人は引きこもり、ある人は在宅で生活ができなく、病院へ入ったり、施設に入ったりと、多いのは在宅にいて、介助を担っている。介助を担っているのは主に母親ですが、母親が倒れると緊急的に病院や施設に入って、結果的に家に戻らない方とか、いろいろな生活を余儀なくされてきます。その中で経験をしないと言うことが、障害を持っている人にどういう影響を与えるか?と言うと、先ず自分に対して自信がない。それは責任あることを最後までやり通せる機会を奪われてきた。機会を奪われてきた故に自信を持てないわけです。 例えば、達成感、共同作業をする喜び、自分の能力を開発する場、そういう場が無いと言うことは人間にとってはとても、自分を否定する方に、いわゆる「障害は嫌なもので、マイナスな面しかない。」と考えられてしまう。途中で働き盛りのお父さんが働きすぎで倒れてしまって、障害者になってしまったとします。このような相談も多々きますが、その時、家族はこう言います。「家にもどることになったけれども、お父さんにどのように接していったらいいのか解らない。」どうして、いままでと同じような接し方ではいけないのか?これはひとえに「障害」と言う物に対しての価値観です。障害に対してどういう考え方を持っていたか?家族であったり、当事者本人です。途中でなった方は「ああ、これで自分の人生終わった。人間的価値が落ちた。」と思ってしまいます。 どうしてそう思ってしまうのでしょうか?それは今まで培ってきた価値観です。ところが、例えば、子供が生まれましたが障害を持った子供でした。夫婦で協力して育てていこうと言う家族もあれば、一方で障害児が生まれてきたのを相手のせいにしたりして、結果的に離婚される家庭もあります。私の友達にもいましたが、離婚をしたことが、自分の責任と言うことで、自分が障害者として生まれたから、自分の家族が不幸になったと何十年も抱えてきた人とか、色々な人がいる中で私達がどういう支援があったらプライドを持ってごくごくあたりまえに生きていけるのか、ということを模索してきました。 ピアライフの活動にもどします。去年の一年間の相談件数は参考までにお話しますが、支援事業を受託して、どのような仕事が増えたかというと記録をすることです。相談があったことに対して、新規の相談なのか?継続性のある物なのか電話の相談なのか?来所したのか?本人なのか?家族なのか?関係機関なのか?という一件の相談に何項目の記録をとるわけです。みなさんもとってますよね?記録を取る中で、いろいろな発見も出てきたわけですが、去年の平成16年間の一年間は2,367件の相談を受けました。特徴的には自立生活センターでしたので、「ピアカウンセリング」に占める割合がかなり多いです。それと「情報提供」です。 例えば、具体的にこの支援事業の目的の中に「自立と社会参加の支援」という項目があります。その「自立」という言葉一つをとっても、支援事業がオープンしたときに良くあったのが、就職を斡旋してくれる場と思ったらしく、「自立」=「仕事」を持つことという考えの方が多々いる訳です。もちろん仕事を持つことは人生の選択のひとつではありますが、様々な障害の理由で仕事を持つことが出来ない方もいます。またリハビリテーションの定義のなかでは、ADLの確立を重要視していたあまりにリハビリに一日中費やしたり、自分の病気は治るということで、ほとんど生活をリハビリに当てている。そういう中で実際の自立の考え方をどう伝えていこうか?「自立」とは「自分らしいその人にしかできない生活を作っていく」ということを知って頂きます。 障害をもってくると、だいたい障害のない専門家という人達がレールを引きます。「あなたはこういう障害だからこういう生き方がありますよ。」とレールを一本置かれる。そこに乗れる人もいれば、なかなか乗れない人もいます。それは当たり前のことですが、その人達が目指している物はちがうのですが、ともすれば、障害の種類によって選別されてしまう。あなたは残存能力が当時はもう少し手とか動いていたので、「洋裁をやりなさい。」と昔よく言われました。イヤでイヤでしょうがなく、結果的には反発心が強かったもので、「絶対やるまい。」という気持ちでいました。とにかく「何をやりたいか。」を聞いてくれる人、そういう機関がほとんどなかったのです。あなたはどんな気持ちで今まで生きてきて、そして、どんな生き方をしたいのか?こんなシンプルな言葉ですが、聞いてくれる人がいませんでした。やはり、支援をしていく上で本当に大切な物はなにか?そこに尽きると思います。 「ニーズをさがす」という言葉をよく使います。本来相談にきて、具体的な相談がある時はいいのですが、多分どうしたらいいかわからない。これから自分はどう生きたらいいか解らない、という相談がほとんどだと思います。この相談に対して私達はどう関わっていけるのだろうか?ということからスタートするのが、基本ではないでしょうか?先程、田島さんの言葉にもありましたが、支援事業には「ピアカウンセリング」というものが入っています。この「ピアカウンセリング」というのはひたすら傾聴するということでしょう。 「傾聴」という傾いて生きるという人の話を体と心で聞くということは大変疲れることです。1人の人の話をピアカウンセリングで聴くとなると、1時間30分しか持たないと思います。そのくらいエネルギーをつかうのです。しかし、それは本当に聞いたという証拠にもなります。相談を受けるときは時間の約束をします。その時間を傾聴して、一緒に次の方向性を探していくという方法をとっています。レジュメにも少し書きましたが、支援する上で心がけることは、色々な支援をしていく中で、教科書ではなく実際の体験の中から気がついたことを少し書かせて頂きました。私達はこれを原点に支援をしていく。これが基本ではないでしょうか?また、私達何年もこういう仕事をしていくなかで、こういう相談がきたらこうすればいいと頭の中にひらめいてしまう。これが時にマイナスになってしまう。いろいろなキャリアは有効になることもありますが、相手の支援を阻害してしまうということもあります。 例えば、言語障害が重く、「あ」と言う言葉も1,2分かかる人もいるわけです。私達は待つことが苦手でどうしても先に手を出したり口を出したりしてしまう。その時にどこまで我慢できるか、相手が話したいと思い言葉を開いてくれるまで、にらめっこではないですが、それだけ待って、相手が言葉をだしてくれてやっと関係がスタートするという経験をたくさんしてきました。とにかく本人が望んでいることはなんだろうと探して探して探し抜いて、もしかしたらこれかもしれない、本人も気がつかない内に見つかっていくものです。その時にはマニュアル通りの支援は行わないことです。これを決めていかないといけません。 マニュアル通りにやることは簡単なことですが、マニュアル通りに支援をうけてきて、すごく辛い思いをしてきた障害者も多いのです。そういう話は最初になかなかしてくれない。ところが、本当にセンターで何言ってもいいと、どんなことを言ってもOKだということを知ってもらうと、いろいろなことを話してくれる。話してくれたことから本当に必要な支援は何なのかと、私達は教えてもらっているということです。目の前にいる人は私達の鏡だと思います。私達の言う言葉、行動が敏感に帰ってくる。日々新しい支援の方法を学んでいる。そういう意味でマニュアル通りの支援は行わないということです。エンパワメント経験を積むと言うことは時間がいることです。 どうしても支援をしていると、結果が早く見たいものです。しかし、結果よりもプロセスが大事で、本人が決めていくという力。例えば、朝起きて何色の服を着るのかいままでは人に任せていた事を自分で何の洋服を着る?、一日何をやって過ごす?かなど時間をかけて自分で決めていく力をつける。とにかく早く結果をみたいと本人を追いかけないことが大事です。それから先程言ったように見守る姿勢です。どうしてもその人の先にいこうとするが、ある時は横並び、あるいは一歩後に下がって支援をしていかなければいけないのではないでしょうか。 それと障害種別を越えた部分では、当初からいろいろな障害の人が来てくれたということと、田島さんが言っていたように重複の障害の方が増えています。ある時には精神の方で飛び降りて、下半身不随になった方もいれば、もともと身体の障害をもっていて精神障害になった方、また聴覚障害、視覚障害を持っていて精神障害を持っている方。そういった意味では、いままでもだぶった方っていたと思います。ただ私達には見えなかったし声を出さなかったんだろう。たぶん声を出せないような社会を私達はつくっていたのだろう。声を出してもいいということになると次から次へと「こんな障害もあるのか。」「こういう暮らし方をしてきたのか。」ということを日々驚いて対応しているのが現実です。 精神、知的、身体ということで、共通に支援をしていくということで、身体の部分でやってきたか、精神でやってきたか、知的でやってきたか、ある集まりでいろいろな障害の方が集まったときにとても面白かったのが、お互いの障害のことを知らない。これに尽きるわけです。それは当たり前のことであって、オールマイティーに障害の仕事をしてきたから、自分が障害があるからわかるわけではなく、私達は白紙の状態から教えて頂きながらやっていく、具体的には教えてもらいながら初めて聴覚障害の方と一緒にピアカウンセリングの講座をやりました。この時も聴覚障害の方に入ってもらいました。知っている方はピアカウンセリングはタイマーをつかって時間を計るというのはご存じだと思います。 しかし、耳が聞こえないわけですから、どうしたらいいのかというと、天井の電気をオンオフにしてやればいいとか、旗をつくって上げ下げすればいいとか、言葉だけではなくボードをつかって足りない部分はそこに書いて説明すればいいとか沢山のことを教えてもらいました。そういうことで、聴覚障害者向けのピアカウンセリングも5年前からやり始めました。いま産休で休んでいますが、聴覚障害の当事者の方がリーダーになって定期的に講座も開いています。同じように視覚障害もそうですが、実際に視覚障害を持っている方に聞いて実際に言葉だけでは足りない部分をどう相手に伝えたらいいかなど、言葉をどのように足したらいいか、資料の提供はどのようにしたらいいか、私達は知らない間は「視覚障害の方」=「点字」と思いがちですが、そうではないことも教えてもらいました。 点字の読めない視覚障害の方もたくさんいると、テープで提供したり、データで提供したり、こういうことも教えてもらって初めて解ったことです。精神障害の方達とのかかわりも5年ほど前からもつようになり、ピアカンの講座に参加して下さった方が精神障害にもピアカウンセリングが大事だということで、是非仲間に伝えたいと言うことでかかわり始めてくれました。そのとき休憩の時間を、私達がやる講座では1時間半に15分のペースで休憩をとります。しかし、それでは持たないと言うことで、50分に10分の休憩でやった方がいいと教えて下さったり、障害と言うテーマでなく、病気と言う言葉も入れた方がいいというように教えてもらいました。 精神障害の方の中でも、いままで「自立」と言うことは健常者の方に近づくことで、病気を治すことを一番の目標に立てていた方が、自立ということはそうではない。自分の病気とつきあっていく、病気を受け入れていく、そうやって生きていくことがより豊かな生き方であると知ったとか、とにかく障害をどのように受け止めるか、本人もそうですし、家族もそうですし、そういう中で障害種別を越えて連携していく時に大きな広がりをもつことができると思います。 私達はもともと自立生活センターでいろいろな介助派遣をやっていくなかで、精神障害の主婦より家事援助の依頼がありました。そこで「家事援助を依頼していることは家族には教えないでくれ。」と言うことがありました。「それはどうしてか?」と言うと「自分でちゃんとやっているということを家族に解ってもらう。誰かの手を借りて主婦業をやっているのではない。」と言うこと、そうしたかったようですね。「ああ、なんて辛いんだろう。」と思いました。そういう風な形でしか、自分の病気は認められない。きっと家族にもその辛い思いを言えないのだろう。でも、その時にだんだん精神障害の病気を持っている人の話を聞いて一緒に時間を過ごす中でその方に伝えられるのは同じ障害を持った方しかいないと感じました。障害の種類が違うといろいろな経験、差別とか偏見と辛い思いをしているという共通のベースはありますが、やはり違いがあることも知っています。違うから一緒に出来ないのではなく、違うから一緒にやる必要があるのではないか?3障害を一緒にやる必要性も考えています。 知的障害に関しては去年初めてピアカウンセリングをやりました。知的障害の団体で、「ピープルファースト」と言う団体があり、ピアカウンセリングをやり始めています。そこでその言葉を聞いてきて是非八王子でもやりたと言ってくれました。知的障害の方になじんだ言葉、ふりがなを付けた資料を配るとか、その人に応じた一つの言葉の説明で解らなかったら他の言葉で代弁するとか、あるいは人によっては支援者を付けるとか、そのような形で去年初めてやりました。本当に皆、力を持っていて仲間の事も思うしリーダーとしてやっていけるのではないかと思って継続的にやっていきたいことです。 もう一つ自立については身体でもそうですが、人に手を借りることが恥ずかしいことではないと伝えています。人はもともと色々な人の手を借りて生きているわけで、障害があるということだけでそこが特徴とされてしまうわけです。そうでなく、自分は手を借りて、他の仲間のために何かする。社会参加する。仕事をするという生き方があると伝えています。障害の軽い方も沢山相談にきますが、親が障害があるから教育が一番だと大学まで行かせました。 しかし、勉強ばかりやっていて人とのコミュニケーションの作り方を知りませんでした。就職をしたのはいいが、結果的には人間関係がうまくできなくなって、親子で相談に来る方もいます。そのときに仲間を作ろうよ。本当に安心して話せる相手を1人でも見つけるだけでいいのではないか、人に応じてこういう障害だからこういう支援をしようではなく、その人と本当につきあって、話を聞いて、です。第一歩はインテックだと思ってますから、それから次のステップを決めていくと言うことを中心に行っています。 行政とのかかわりを一つ話しておきます。支援事業を96年受託から、行政とは調整会議を行っていて、お互いに情報交換をし、現場でやっている声を行政に伝え必要なサービスを拡充していただいたり、実際に必要なら利用者のお宅にきてもらうなど、ルートを作って八王子市を良くしていくことを共通の目的としてやっている現状です。 室津:横浜からまいりました室津と申します。私は今、横浜で相談支援事業に携わっているのと、グループホームをやってきたので今日は横浜で知的障害者を中心に行っている相談支援事業でちょっと起きていることと、それから主にグループホームの話をさせて頂きたいと思います。グループホームもホームヘルパーの上限問題と同じ時期にグループホームの単価を下げるという問題が起きてきてグループホームは中央の団体が厚労省とやりとりをしてきましたが、例えば施設の協会だとやはり本体施設がどうなるかという厚労省との話になって、グループホームのことまで話が出来ない。グループホームのことを中心に考える組織が必要ということで、昨年障害がある人と援助者でつくる日本グループホーム学会という組織を結成しました。その代表もしていて、厚労省とやりとりをしたり、この自立支援法でグループホームがどうなろうとしていて、どんな問題があるのか、と話をしてきたのでその話をしていきたいと思います。 今、私がいる横浜の「中区障害者支援スペースポート」でやっていることは、相談支援事業、自立生活アシスタント。これは1人暮らしをしている知的障害者の方を支援する仕組み。先程質問した「生活支援ワーカー」という国である制度をベースに横浜市が作っている事業です。この自立生活アシスタントでどんな援助を行っているか?知的障害者で1人暮らしをしていて、何人か布団を売りつけられたり、お金をだまし取られたり、と被害にあう場合があります。被害に遭ったということが意識出来たり、人に言うことが出来ない時に被害に遭ったみたいだと本人と話してみたり、被害に遭わないためにどうするかと言う取り組みをしたり、大家さんからの手紙で「オーナーが変わったので再契約をしたい」と言われても、なかなか理解がむずかしく、手紙の内容を聞きながら1人1人の支援をしています。1人暮らしの支援をしている事業です。一時ケアショートステイは知的障害者のところで「レスパイトケア」と呼ばれていて、一時的にこちらで援助をして、家族と離れて暮らす時間、泊まりが必要だと、ショートステイ、余暇活動の支援、障害があるのかないのかよく分からない人達を含めて、こども達がおもちゃであそぶという「おもちゃ図書館」をやっていたり、自立生活プログラムなどの事業をやっている所です。 横浜市中区は人口138,000人で過疎地域で人口が減っていましたが、ここ数年、また(人口が)増え始めた地域です。中区は中華街、伊勢佐木町、元町高級住宅街があったり、寿町といって日本三大ドヤ街があったりとか、狭いエリアに全部一緒にある地域、寿町から来る障害者もいれば、山の手の高級住宅から来る方もいる。そんな地域です。私達がやっている特徴のひとつが、相談支援がサービス提供者の都合で左右されないようにということで、実際の一時ケアとか、ショートステイとか行っている私達と、横浜には在宅障害者援護協会(在援協)というのがありましたが、直接サービスは行わずに、作業所やグループホームの支援を行ってきた団体です。 そこの相談員と同じ場所にいて、サービス提供にすぐ結びつけなければいけない相談は私達。独立性、中立性が必要なサービスは在援協の相談員が行うというような分担をしています。一つの相談支援の中に、立場の違うところが場合によって役割を分けているという活動をしています。知的障害の特徴をあげますと、今知的障害がある子供の親から相談が増えています。都市部マンションが増え、引っ越してきた人が増えています。もう一度、都心部に人口が戻っていると同時に、「療育手帳」、「愛の手帳」を持たない子供の相談が増えています。高機能自閉症、ADHD(注意欠陥多動性障害)、高次能機能障害、手帳は無いけれども生活していく上でとても多くの困難を抱えている方の相談が増えています。 子供が障害を抱えていることが一つの要因になっていますが、親が精神的に非常に不安定で、親が外に出られなくなると言う状態で、子供を外に連れて行けないと言う相談も出てきていると言うのが、この数年の特徴かと思います。その結果として継続した関わりが必要である場合が多くあります。サービスを利用する前の相談ですが、支援が必要な方が非常に多くおられます。障害を持って生まれて、親からの虐待等の結果で人間関係を上手く作れないで、大人になってきた知的障害の方からの相談が増えてきています。その場合、集団での活動がなじめず作業所、グループホームとかでの生活が難しく、様々な悩みを抱えて、何かのサービスと結びつけて解決する物ではない。という継続的なかかわりが必要な方が増えてきていると思います。 最近、知的障害者と関わって、以前と特に変わってきた相談内容というか今の時代で増えてきているのはこんなところですが、自立支援法に変わってきてこれがどうなるのか?介護、訓練が必要かどうか?ということでサービスを給付することになっていますが、基準に当てはめた時に、この人達がどうなるのかにとても不安があります。横浜市の支援事業についてですが、これは省略します。さて、自立支援法と今やっている地域生活支援というところで、関わる部分を説明したいと思います。 まず、知的障害者が障害程度区分で調査されていったいどうなるかが心配です。厚労省の説明ですと、身体、知的については、介護保険の要介護認定の調査で結構フィットしているという説明が先程ありましたが、本当にそうなのか?と言う意味で厚労省が行った調査結果を見てみましたが、現行の要介護認定を知的障害者に当てはめ、作業所利用者を限定でお話ししてみますと、利用者のうち要介護認定だと援助が必要なし17%。要支援23%。介護が必要な方は60%という結果がでています。作業所は何らかの支援が必要で通ってきている場所です。40%は介護給付の対象にならないと言う結果です。介護給付の中にホームヘルプ、短期入所が入っていますので、ホームヘルパーの派遣、ショートステイを使うためには要介護状態がないと使えないというのが今回の仕組みです。そうなると、作業所に来ている40%の人はホームヘルパーやショートステイの対象にならないと言う結果が出てしまいます。これをもって「知的障害者はフィットしている。」という厚労省の感覚は何なんでしょうか。このままでは知的障害者には大きな問題が起きてきます。 さて、1人暮らしをしている知的障害者の方ですが、介護が必要な方は殆どいません。1人でお風呂にも入れるし、トイレにも1人でいける。でもお風呂に1人で入れても、お風呂に入ろうとなかなか思わない。ご飯を作れるが継続していくのが難しい。掃除もできるが部屋をきれいに保つことができるのか?その辺で援助が必要でその結果としてホームヘルパーの家事援助を使っている人が多いです。介護はいらないが家事援助だけ必要という人に今回の介護給付の考えではホームヘルパーの派遣は提供されないと言うことになってしまいます。 そのような人達にサービスを行っている私達の自由・自立アシスタントであったり、全国的には生活支援ワーカーというのも先程の説明でいくつかの機能に分解されて、いくつかのところが引き継ぐことになるだろうという説明がありましたが、今現実に生活支援ワーカーが行っているサービスは継続出来なくなってしまうかもしれません。その意味では1人暮らしをしている知的障害者への援助が自立支援法が成立するとどうなるのか?というのは非常に大きな課題と思っております。それから私達としてアセスメント(障害程度区分の認定調査)にどう関わるのか?結論を出しているわけではありませんが、非常に悩んでいるところです。市町村からの委託を受けてこの認定調査を私達が行うのか?行わないのか?委託を受けないのか?そのところでどう考えるか?と言うことを悩んでいます。障害程度区分の認定のことが非常に問題の多い仕組みなので、そこにできるだけ加わって出来るだけいい形で調査をやるべきだと言う考え方もあります。私達としては「あなたの障害程度区分はこうです。」と結果を出してしまうのではなく、障害程度区分を受ける障害者側に立って、「こういう質問があった場合はこう答えた方がいいよ」という立場で相談支援を行うべきではないかと今は考えています。この辺をどう考えていくか各相談支援機関もお悩みの所であり、大きな課題だと思っております。 グループホームの話に戻ります。グループホームの現状とこれからということで、現在、知的障害者のグループホーム数はインターネットで6月16日で確認した時点で、4,665ヶ所ありました。支援費制度がスタートした地点では約3,000ヶ所。2年間で約1.5倍になったということになります。グループホームの制度は平成元年(1989年)スタートですので、15年掛けて3,000ヶ所に増え、2年間で1,500増えたと言う計算になります。支援費制度になってグループホームの数は急激に増えていると言えます。これからも増え続けるし、それだけの必要性があると思います。 精神障害者のグループホームは現在の数字は解りませんが、平成16年(2004年)4月1日で2,300ヶ所となっています。グループホームについての考え方、私達がどう考えているかと言うことですが、当然障害者が地域で暮らす住まいの一つ、訓練をする場所、通過をする場所ではなく、そこでずっと暮らせる場所。そういう場所だと思っています。グループホーム学会でも色々議論してきましたが、基本的には1人で暮らしたい人が1人で暮らす。結婚して暮らしたい人は結婚して暮らす。それから何人かで暮らしたい人は何人かで暮らす。どれもきちんと保障していくことが必要であります。人間の暮らし方を考えた時、1人で暮らすということは歴史的にはあまりありません。人間の歴史が200万年とか300万年とか言うことから考えると、殆どの場合集団で暮らしているのです。そんな動物なのではないか、そのなかで今の文明のなかで1人で暮らすということが出てきたのです。 必ずしも1人で暮らすことをみんなが望んでいるわけではないのです。1人で暮らしたい人が1人で暮らすために支援する制度も整えるのも必要ですが、皆が1人で暮らさなければいけない仕組みもおかしいのではないでしょうか?グループで暮らしたい人がグループで暮らせるのも必要です。それから、グループホームだと集団生活というイメージになりますが、グループホームでも基本は個別支援だし、個別の暮らしというのが基本的な暮らしだと思います。それプラス集団と2面性があるのがグループホームの暮らし方だと思っています。入居者の方が1人でいたい時は1人でいるし、1人が辛いときはみんなといられる。それがグループホームだと語っています。グループホームとはそういうところだと思います。いつも集団でやらなければいけないところでもないし、いつも1人でいなければいけない訳でもない。その両方が選べるのがグループホームの暮らしだと思っています。 実際、グループホームで暮らし、1人暮らしに移っていく人達も多いのです。その人を見てみると初めから1人暮らしをすると思ってグループホームに来ている人はそんなにいません。グループホームで暮らしてみて結果的に1人暮らしに移っていく、最初から通過の場ですよと決めてしまっては、通過する意図のある人しか入ってこれないことになります。実際に1人暮らしがいいのか?グループホームがいいのか?最初に決めることは難しく、暮らしてみて1人暮らしがいいなとか、グループホームがいいなとなっていくので、グループホームを通過の場と決めてはいけないと思います。グループホームでずっと住むか、何年か生活経験をして次の生活に移るのか、住む人が決めることで制度とかグループホーム側が決めることではないと考えています。私達が考えているグループホームの基本的な考え方はこんな感じです。 厚生労働省が自立支援法案でどう言っているかですが、先程、横幕さんのご説明をされた現行のグループホームと通勤寮、精神の方の生活訓練施設、3障害にある福祉ホームという大きく分けると、3つの仕組みが全部混ざって、ケアホーム、グループホーム、福祉ホーム、居住サポート事業に分けるというのが自立支援法での居住支援、サービスの再編ということになります。ここのところを軽く見ていましたが、グループホームは4,5名。精神は5〜6名位の平均規模になるかと思います。「地域生活援助事業」という名称になっています。通勤寮は知的障害者で就労している前提で20名からの規模で、2,3年で通過する。就労している知的障害者が生活をきちんとトレーニングする。就労を継続していけるような生活のトレーニングの場という位置付けになっています。精神の生活訓練施設は病院から退院して、通過していく2年程度で20名程度の訓練施設という位置付けになっています。これらを全部混ぜて、障害程度別にケアホーム、グループホーム、福祉ホームに分けるというのが、当初の厚労省のイメージでした。 結果としてどうなったでしょうか?「2,3年でトレーニングをする場所。」と言うのと「生活の場としてのグループホーム」とが一緒になってしまい、ケアホームとグループホームの性格が曖昧であり、訓練で通過していく要素と永住する要素が制度としては一緒になり、すっきりしない仕組みになりつつあると感じています。「訓練する場所」と「生活する場所」は性格もはっきり分けていかなければいけないと思いますが、一つの制度になってしまって、おかしくなっている気がします。これは大きな問題として提起しましたが、地域での住まいが障害程度によってケアホームとグループホームに分けられてしまう。これはおかしいのではないでしょうか?地域の暮らしの支援は障害程度、サービス内容が変わったら、提供するサービスを変えていくことで場所を変えていくことではないということが地域援助の非常に大きな原則でした。 施設では障害程度によって、場所を変わっていくということが行われていましたが、「地域での支援はサービスを変えていけばいい。」という考え方でした。それが、「グループホームで障害程度によって、場所を分ける。」と言うのが出てきました。しかし、これには非常に大きな反対がありました。これは各障害者団体が共通して問題だと指摘しています。これについての今の国会答弁の内容ですが、厚労省に言わせると、「大は小を兼ねるの理論」を説明しています。「障害程度が重い人達を対象にして手厚い援助体制があるところにそこまで援助が必要ない人が一緒に住むことは問題ない。しかし、援助体制が薄いところに障害の重い人が住むことは認められない。」と言う言い方をしています。これは言われるまでもなく当たり前のことです。例えば、夜間援助者がいないグループホームに夜間介助が必要な人が住むと言うことは実際にはあり得ない訳ですし、介助体制が整っていなければ生活出来ない訳ですので、介助体制のないところに介助の必要な人は住めないという仕組みは言われるまでもないことであります。 厚労省が言っているのはこの様なことです。「障害の重い人と軽い人が一緒に住むには介助体制が整っていれば問題ない。」となっているので、障害程度で住むところが分けられると言うことは今の厚労省の検討内容ではほぼなくなっていると考えていいと思います。そうするとホームヘルパーがつかえなくなる。いまグループホームに入居している人達は、グループホームでの4,5人に対する共通のサービスと別に1人1人の支援として、ホームヘルパーの派遣が認められています。この制度が出来ることで、マン・ツーマン体制が必要な人達もグループホームで生活するようになってきました。 ところが、今回グループホーム、ケアホームに行くお金の中から外部委託はカットとなって、たとえば、ケアホームに20万円の給付があるとします。その中から事業者が外部委託をして人に来てもらうのは勝手ですけれども、ケアホームのお金プラスホームヘルパーということは認めないといっているのです。これは実質的に外部委託は使えなくなるので、「ケアホーム、グループホームで決められたお金の中で全部やりくりをしなさい。」ということになってきて、実質的にホームヘルパーは使えないと言うことになってしまいます。ここのところは障害の重い人が実際生活を始めていてどうなるのか?と大きな課題として残っています。 「居住地特例」というのがグループホームとケアホームの場合あります。ケアホーム、グループホームの入居決定は入居前の居住地の市町村が行います。例えば、横浜に住んでいた障害者が川崎のグループホームに入居するとします。そのお金とかの決定は川崎市ではなく横浜市が責任を負うと言う仕組みになっています。基本的にどう考えてもおかしいということでずっと主張してきましたが、現実的にグループホームとは地域が偏っています。あるところにはたくさんある。ないところには全然ない。そうなると住んでいる市町村がお金を払うと言うことは、グループホームが偏っている市町村は非常に負担が大きくなって、グループホームがない市町村では自分の所にいた障害者がみな外のグループホームに入っていくので負担が減っていくということです。 これには市町村を中心に大変な反対があり、結局、前の居住地になってしまったという経過があります。グループホームが偏っていることを解消しないと現在住んでいる市町村から支援を受けられないというおかしい事態が続いてしまいます。現実にそこに住んでいるのに、そこの市町村が支援しないというのはおかしい状態であることは皆さんにも思って欲しいです。なぜグループホームが偏っているのか?入所施設がバックアップしないと造ってはいけないという仕組みが長く続いていました。グループホームの制度が貧弱で、どこかが支援していないとグループホームだけでは運営できないという課題があったから、入所施設の周辺にだけグループホームが増えてきたという歴史があります。その結果として入所施設がある市町村にはグループホームが多い。入所施設がない市町村にはグループホームはほとんどできていないという現実があり、その結果として先程の居住取得例みたいなものが出来てしまったという問題があります。 もう一つ大きな課題になっているのが、入所施設の敷地内にグループホームを認めると言う風に厚労省は言っています。入所施設の敷地内に精神病院やグループホームを造ってそれが地域移行であったり、退院であったりするのか?ということについて当たり前ですが非常に大きな疑問があります。例えば精神病院で7万人の社会的入院の人を退院させるとなると、今まで使っていた病棟が空っぽになるわけです。空いた病棟を福祉ホーム、グループホームに転用している。というこれからもそうしたいという要望が病院の方からあります。入所施設についても要介護認定で、介護給付の対象にならないと入所施設に入れないわけですから、入所施設でも相当な空きが出るという風に言われています。 入所施設の中でも軽度の人が多い施設では入居者の2,3割の人が介護給付にならなくて数年間の内にその入所施設を出ていかなければなりません。しかし、最近借金をして施設を建て替えてしまいました。借金は残って、住んでいる人が出ていってしまう。施設の側からもその空いた施設をグループホームに転用したいと要望が出ていると聞いています。その結果いままで入所施設であった建物が、グループホームと名前を変えてそこに住んでいた人達が入所施設をでて、同じ敷地内のグループホームに住んでいる。これで「入所施設の定員が減って地域移行が済んだ。」あるいは、「今までの病棟だったところにケアホーム、グループホームと名前が変わって、そこに住むことで退院が終わった。」と言うのはあまりにも嘘ではないでしょうか? 「地域生活」とは、地域でやっているから地域生活であって、病院の敷地や施設の敷地の中でやっている生活を地域生活とは呼べないと思っています。ここはグループホームについて言うと非常に大きな課題であると思っています。「グループホームの制度については、知的、精神だけ。」と支援法では言っています。現実に身体障害者の中でもグループホームが必要だし、生活したいといっている人達がいるのも事実です。障害が重複していて、20歳を過ぎて障害をもち、知的障害も同時に持つ様になった場合、20歳を越えた場合には知的障害者と日本の法律では考えないので、身体障害者手帳しか出ないということが起きます。そういう人達がグループホームに住もうとすると、「あなたは身体障害者手帳しか持っていないので、グループホームには住めません。」と言うことになります。1人で暮らすか、何人かで暮らすかは障害者が基本的には選んで暮らすことです。どうして身体障害者だけえらべないのか?ということについて非常に疑問があります。身体障害者が皆グループホームやケアホームで住めばいいとはもちろん思いませんが、身体障害の中でグループホーム、ケアホームで住みたいと思ってその道を閉ざしている制度は、やはりおかしいと私達は考えました。 入居者について、減免する仕組みがありますが、ややこしい話で「定率負担プラス上限、それ以外にグループホームの入居者には、よりきめ細かな配慮をして負担が重くならないようにしている。」と厚労省は説明していますが、減免した内容であってもグループホームの入居者にとっては、負担が厳しいものになっていると言わざるを得ません。厚労省の考え方は全国一律グループホームで生活するのには、66,000円あれば生活できるだろう。との前提で、66,000円を超えた収入からは負担金をとれるという発想をしています。しかし、全国どこでも66,000円で生活出来るわけではありません。家賃一つとってみても、過疎で空き家があるところと東京の都心でグループホームをつくる時に同じ基準で家賃が決まるわけがないです。非常に全国の中で生活費のばらつきがあるのに、一律66,000円を超えたら利用料をとるというのでは、本当に生活が脅かされてしまいます。それがどんな基準でどんな負担を厚労省がどう考えているのかは資料に書いてあります。後ろの方が短くなってしまいましたが、私からの報告を終わらせて頂きます。 池田:池田純と申します。長野の障害者自立支援センターから参りました。1998年、長野で冬季オリンピックが開かれた年にオープンしました。当初は「マイステップ」と言っていました。マイステップがオープンして7年、昨年の10月から「社会福祉法人信濃の星」となりました。事務所が2つあります。今までのマイステップと長野市の南の方にあります「コーディネートプラザ」を含めまして、10名の職員がおります。障害者4名、健常者6名、県から出向していまして、就労関係のワーカーを含め11名で相談支援をするセンターとしては、地方の中でも大きいセンターかなと思っています。 私は、昨年の4月、センターに来ましたが、それまで22年ほど(長野)県の職員をしておりました。リハビリテーションセンターというところで、更生相談という仕事をしてきました。これは先程、中原さんからのお話もありましたリハビリテーション、そのまさに最前線で病院とか施設とか持って更生相談の中でケースワーカーをしてきました。毎年毎年何百人と地域に障害を持った方を送り出しますが、その障害を持った皆さんがどんな暮らしをしているのかと言うことに察する機会が多く非常に厳しいものがあります。「地域の支援センターはどうなの?」と聞いた時に、私はマイステップ立ち上げの時から関わっていて、なんだかんだと引っ張り出され、マイステップの支援をしてきました。 私が来る間に本来の市町村障害者支援事業が目指している「地域で重度の障害を持っても暮らそう。」という自立生活の支援は一件もありませんでした。現在、生活をしている方の支援はありましたが、新たに施設から地域に出ようと言う方への支援がありませんでした。「これは少し違うだろう。」と思い県職員を辞め、昨年の4月この事業に飛び込んで参りました。私の中にまだ公務員というものが染みついていまして、うるさいことを言う所長だと、職員には思われていると思いますが、いろいろな思いを持ちながら職員と仕事をしております。 ここに参加したのは「地方都市の小さな所で頑張っている人達の応援団になりたい。」との思いからです。長野市も決して重度の障害を持った方が暮らしやすい所ではありませんでしたが、我々が努力する中で長野市と関わりを持つことによって少しずつ自慢できるものが広がってきたと言うことです。中原さん達の八王子、町田、立川で市町村障害者生活支援事業が始まった時の長野市の状態は惨憺たる物でした。そのとき思ったのは、中原さん達に怒られると思いますが、「国のこういう事業をなぜローカルの都市にくれないの?進んでいる所になぜ持っていくの?」と疑問がありました。私達に来たのは2年後でしたがこの事業が始まったことで、いろいろな事業が展開できて本当にありがたいことです。地方都市はあきらめないで頑張って欲しいという思いで話を聞いてください。 レジュメの中で1番目の相談支援、これは体制と言っていいかもしれませんが、私達はいろいろな角度から仕事をしています。まず、1番目は市町村障害者生活支援事業にあります自立生活プログラム、ピアカウンセリングなどの事業をやっています。 2番目は「長野市障害ふくしネット」というものです。「ふくし」はひらがなですが、これは間違えではありません。これは平成15年10月から始まったもので、長野市内の福祉に関わる方全て、身体、知的、精神、就労、教育、いろいろな機関が一同に集まってネットワークを作ろうということで始まりました。しかし、これは誤解されがちですが「サービス調整会議」というのを町事務所等が音頭をとってやっているのとは全く違います。任意の参加です。全く行政的な物ではなく、ネットワークを広げる中で障害者の生活を少しでも豊かなものにしていこうというものです。これ以前に、同じ平成15年4月から「長野市障害施策フォーラム」と言うのが始まっています。 これは長野市が障害を持った当事者や事業者と長野市の福祉施策を一緒に作り上げていきたい。行政がやるのでなくいろいろな方の意見を聞きながらやっていきたいと言うところから始まりました。この背景には、長野市は田中康雄知事が中核市である長野市をみなのけ者にする。それがおもしろくなく、長野県がやっていることに負けないように先取りをする形で何か施策を打ち出してくれないか?ということで、私が最初の年、座長をし、このフォーラムを立ち上げて、その後ふくしネットが出来ていると言うことです。詳細については省略します。 3番目はケアプラン作成事業を昨年の3月試行的にやりまして、昨年の4月から正式にやっております。モニタリングも含めて、昨年度82件のケアプランを作成しております。これは国で言うところのケアマネジメント従事者の研修を受けた人間がケアプランをしております。これは身体、知的のみで、精神は入っておりません。 4番目はこの作られたケアプランの審査事業をしておりまして、昨年で480件でした。これは新規作成と、モニタリングを含めて480件です。このケアプラン審査事業は同じ法人の中でやっています。同じ法人の中でケアプランをつくって、審査までおかしいということですが、これは国がこういうものをやろうということで長野市が先取りして、始めた物です。この意見を聞きながら国の参考にしていると思います。 5番目はホームヘルパー等の養成事業です。これは多様なホームヘルパーの養成事業をしています。一般的なホームヘルパーもそうですが、昨年取り組みましたのは外国人の方、タイ、フィリピン、ブラジルから来た方とか沢山いますが、その方達は日本語が不自由ですから、配慮したい。長野で外国から来た人達が生き残って支援したいとヘルパーの養成事業をします。知的障害をもったホームヘルパーの研修もやっています。知的障害をもった方、地域で自立するためにハウスクリーニングという企業名を出していいと思いますが、ダスキンさんという会社の協力を得まして、研修をしています。 2番目で事務局の方から「視覚障害者の方への支援はどのようなことをやっているか具体的に挙げてくれ。」と言われました。いくつか挙げさせてください。 1つは障害者ケアマネジメントということで9名の視覚障害者の支援をしています。見てもわかるように私は視覚障害者ですが、視覚障害者のピアカウンセラーではございません。私は樋口惠子さんに長野に来てもらいピアカウンセラーの講座をやっていただき1年やりましたが、「池田さんは向かないからやめた方がいい。」といわれ、それ以来ピアカウンセラーは目指さないと心に決めています。したがって視覚障害者のケアマネジメントは経験ないということになります。 視覚障害者の為のガイドヘルパー。移動介助になりますが、このガイドヘルパーの養成研修をしています。法人単独の部分もありますが、長野県内の支援センターの連絡協議会があります。「県連協」といっていますが県連協としてやっている物も含めまして、ガイドヘルパーの研修を行っています。また、昨年から始まったものですが、ガイドヘルパーの指導者の養成講座もやっています。これはガイドヘルパーの一般的知識だけではなく、より深い知識を持って、地域で指導が出来る方を養成しようとするもので去年から始まっています。 長野県内にある信州大学とWeb教材、ホームページの教材を視覚障害者の為にどういうものを作ればいいか?という共同プロジェクトを行っています。これは、信州大学はインターネット上で工学部の大学院レベルのものを受けられるように講座を開催しています。これを視覚障害者にも受けてもらいたいと言うことでどういう教材を作ればよいのか、文部科学省の「グッドプロジェクトGP」というのですが、これに基づいて研究を始めた物です。 具体的に言いますと、例えば、元素記号「H2O」(エイチ・ツー・オー)(水)と言う場合Hは大文字、2(ツー)は小さい字を使います。Oが又大文字になります。こういう物について音声で、「ラージH、サフィックス、始まり、2、サフィックス、終わり、ラージO」というように大文字小文字も音声で解ります。小さい文字は「サフィックス」と表現します。工学部で使っている教科書を音声で表現するとどうなるか?これは言うのは安く行うのは難しく膨大な作業です。かなりの文ができてきまして、視覚障害者の方は2回ほどこの評価会を開いています。皆さん感動していました。 5番目は中原さんから「視覚障害者=点字だよ」と言われましたが、実際に視覚障害者の方の中で点字を使えるのは15%位とも10%ともいわれています。殆どの方が使えなくテープに頼るわけです。しかし、テープというのは非常に作るのにタイムブランクが出来てしまいます。早く欲しい情報も1,2週間遅れになってしまいます。それと読みたいところを選択できないというネックがあります。そしてストレスを感じています。そういう方達は視覚障害者でも最近パソコンを使うようになりました。 しかし、私も視覚障害者の方々のパソコンのサポートを10年やってきました。しかし、なかなかマスターできません。ましてやインターネットを利用するということは厳しいです。そうした皆さんにもっと使いやすいインターネットのツールがないか?と上田市にある「城下工業」と言う会社が音声でインターネットを通じて配信する生の音声でも配信できます。PCでつくったテキストデータでも配信できます。両方音声でできます。 この機械を作る時に是非使って欲しいと思った方達がおりまして、視覚障害者と文字で学習が困難な学習障害者、目が見えにくくなってきた高齢者の三者に使ってもらいたく、デザインもして頂きました。ボタンは最小限にとどめてあります。特に高齢者は小さいところでコチョコチョやるのはいやがりますから高齢者の方々にも抵抗のないボタンの大きさと文字作句機ができています。できれば年内に長野県のどちらかの市で試行実験を始めたいと言うところまで来ています。 これは1週間分のデータが機械に蓄積されますが、自動的に電話回線を通じて送り込まれます。どんどん機械の中に新しい情報が入ってきます。長野県の広報、長野市の広報、お買い物情報等いろいろなメニューを考えています。これは単なる情報提供だけではなく、情報のコンテンツをつくるのを障害者自身ができます。特に肢体不自由の目が見える人であれば在宅でもできる。双方でもできる障害者の働く場の開拓にもこのシステムを使いたいと色々な方面と協力しています。 6番目は防災避難マニュアルです。この関係で昨日も朝10時から夕方4時半まで長々シンポジウムをやりましたが、視覚障害だけでなく障害を持ったみなさんの防災。災害後の避難のマニュアル作りをしています。この原稿は私の所から1週間ほど前に離れ長野市に決済をまわし、チェックしているところです。これができたら、全国の方に読んでもらいたいと思っています。このような形で視覚障害者の支援をしています。 3番目は「障害を越えた部分についてどのようなことをやっているか?」と言うことで事務局の方から言われましたので、説明します。私どものセンターは、昨年度で相談件数が2,096件。中原さんのところと近いなぁと聞いていました。電話によるものが1,000件くらいになります。精神障害者の相談119件、知的障害者400件弱、精神障害者については関わっていらっしゃる方はご存じかと思いますが、同じ方が繰り返し相談にきたり、電話がきます。知的に関してもそういう傾向があります。 件数の中には同じ方がダブっていますが、精神障害者の相談もやっております。私が表号しているのは「いつでも、誰でも、どんなことでも相談に来てください。」どこでもということで、訪問による相談も255件こなしました。来所によるものは300数件。来所だけでなく、訪問の回数も非常に増えています。精神障害者の方々が当事者の団体を立ち上げてピアカウンセリング、長野県ではピアサポート事業と言って県が立ち上げました。それに呼応する形で当事者の団体ができ、ピアカウンセラーを養成したいということで、ピアカウンセラーの羽入田が援助をしています。 2番目は知的障害者の生活支援です。これは色々なことをやっています。権利擁護まがいのことから始まり、知的障害者のサービス、サポートをしています。私達の事業としてやっていることで、けっして「生活支援ワーカー」と言うことでやっているわけではありません。 3番目は障害児・者の家族へのサポートを何とかしたいと言うことです。今年の5月からファミリーサポートグループとして“ママと母ちゃんの子育て勉強会”を行っています。ママと母ちゃんといったのは、東京から越してきた、いかにも「ママ」と言った感じと、長野の土着で「母ちゃん」といった感じの人がいて、ママと母ちゃんが一緒に勉強しようよという障害児を育てたことがあるお母さんの体験談を話してもらいます。 ワンポイント講座ということで、一回で一つ。ワン制度ですね。例えば今日は支援費だけ、この前はタイムケア事業を長野市がやっていますが、それだけといったように体験談をきいて一つだけ制度を勉強します。あとはお母さん達にいろいろなことを自由に出してもらおうということで、「ファミリーサポート」ということでお母さん達の支援を始めました。 4番目は「障害者社会参加促進事業」と言って、長野県でやっている事業ですが「障害児に余暇活動の時間を作ってください」という事業です。これを今年「ヒューマンネット長野」と言うNPOと共同でプロポーザーに参加しまして受託しました。6月25日に愛地球博にバスで日帰りで行ってきました。障害児11名とスタッフ20名で暑い中大変だったみたいです。秋にディズニーランドの見学も予定しています。この中で療育相談もしますが、障害児のみなさんのいろいろな角度の支援も今年からやっています。 5番目は、これは長野県が全国に先駆けてやっていることだと思いますが、長野圏域の障害者相談支援センターです。(圏域とは、長野県では10圏域に分かれ、長野市中心に人口が40数万、圏域の総合支援センター、県の事業です。)人口の少ない木曽地方とかに行きますと、一カ所にいろいろなワーカーが集まってやっていますが、私達の圏域は広いので旧事業所がこの事業に参加しまして総合支援センターということで、みんなで協力していこうと。この中には知的、精神、いろいろな事業所の人達が集まってきて事務局を私たちがやっています。この中で障害を横断的に助け合っていこうとやっています。 6番目は重度障害者の方々のパソコン講座。知的、精神も含め肢体不自由はもちろん、色々な角度からパソコン講座を昨年は4講座開きました。もちろん今年もやります。 7番目は障害者週間の12月9日の前後にやりますが、昨年は11月27日に特別企画ということで3障害合同でやりました。分科会も障害別に試しにやってみました。分科会で一番多かったのが精神障害の方でした。80名ほどの分科会をやって非常に活発に精神障害の方が討議をしてくれました。3障害をこえた支援をしています。この後、お時間をいただき、文字にならない部分の支援ですが、障害者差別禁止条例へむけて2年前に県に条例案を提出しました。現在、宮城県で具体的にできつつあり、色々な支援センターに意見を求められていると思いますが、私どもも長野県にはお願いしております。しかし、田中知事が「なぜ障害者だけなの?児童にはいらなの?老人にはいらないの?」と訳の分からないことを言っていて全然進んでいません。これについては、昨年長野県と共同で、熊本の東という弁護士、DPI権利擁護センターのキム・ヂョンオク(金 政玉)さんをお呼びして、差別禁止条例にむけて国連の動き国の動きとを含めましてシンポジウムをやりました。今年も長野県は2ヶ所これについてやっていくつもりです。 最後に長野県の障害福祉のこと「地域移行」と言う言葉を聞かれると思います。しかし、私は「理念無き地域移行」と言うことで批判的な立場を取っています。と言うのは施設に入っている軽度の知的障害を持った方を地域のグループホームに出します。しかし、最低限のお金で業務委託をし、酷い所に至っては世話人さんが3,4時間しかいない。夜10時以降にはまったく世話人がいなくなる。ということで、夜になると入所者が、毎日ゲームセンターで遊んでいたり、ひどい時は、裸で町を走り回っていた。という馬鹿なことがおきています。 しかし、これが長野県で進めている「地域移行」の現状なのです。方向としては間違っていないのですが、私は絶対違うと思います。知的障害者を単に地域に出すことが、地域移行ではない。先程、室津さんが言われたようにグループホームの生活もそんなに簡単に支えられるものではありません。長野県の地域移行を見たら「池田が、あれは「理念無き地域移行」なんだと言っていた。」と思い出してください。このグループホームの実践については、県が考えているようなものではなく、もっと手厚いものをやっています。後ほど時間があったらお話しします。有り難うございます。 近藤:池田さんの話の障害を越えた支援の対応に非常に興味深い物がありました。それでは、質問の前にどうしても言いたいというシンポジストの方がいますので少し時間を下さい。 田島:地域で生活していく支援ですが、支援は本人の為にあるもので、支援者がこういうふうに自立したらいいと伝える物ではないと思います。例えば、私はパニック発作を持っています。「あなたはパニック発作を持っているから電車に乗らなければいいじゃないか。」とそれはそうですが、それでは私は何処にも行けません。こう言う所で話をすることもできなくなります。私は発作を起こしたら自分がどうしたらいいか良く知っています。「発作を起こしたらこうしてください。」ということを、一緒にいる介助者なりヘルパーさんにお話してここに来たいし、ここで話がしたいと思います。自立支援センターの方もそうであって欲しいと思います。 近藤:確かに精神の方との日常、又は仕事上の活動の分野では非常に狭かったと思います。そう言う意味では田島さんがもう一言と言われた意味がわかりました。有り難うございました。 |
| ◆質 疑 応 答◆ A:○○県で地域生活支援センターの職員をやっています。以前ベテランの相談員の方から「当事者や家族の方が力を付けていけば、専門家と言われる人のやるべき事が見えてくるよ。」と言われました。今現在、○○では、地域当事者の方が力を付けてこられて当事者だけの作業所が作られて、ピアヘルパー、ピアカンとか研修会を行っているところもあります。実際、言い方が良いか解りませんが、健常者スタッフとピアスタッフと言う部分で健常者スタッフに最終的には任せたい部分とピアスタッフだからこそ出来ることがあると思いますが、その辺でコメントを頂きたいです。 中原:私達もその辺を明確にして働いています。系列の事業所を含めると25名働いていますが、その中に障害を持っている方、持っていない方がいてそれぞれ役割が違います。当事者の職員でなければ出来ないこと、健常者スタッフでなければ出来ないこと、それから両方の立場で出来ることと3種類の仕事があると思います。これをお互いが確認をしあわなければ不満が生まれてしまいます。例えば、当事者だからピアカウンセラーになれるのでしょうか?これはなれません。ピアカウンセラーになるには最低2年の研修を受けて、なおかつ講座にも出てもどうしても合わない人もいます。 ピアカウンセラーというのは忍耐と相手に合わせたスピードで支援をしていくということで、あわなければ別の仕事もあります。一つはロールモデルが必要で、「自立とはどういうものか?」もちろん、どういう形で住みたいかとういことは別としても、いろいろなスタイルがあると言うことを知ってもらわなければいけません。では、1人暮らしはどうなんでしょう?1人暮らしの人が目の前にいなければわからないわけです。グループホーム、施設で住んでいる人達の声を聞きながら選んでいくのです。 障害を持っていて何が大きなハンディか?いろいろありますが、選択する権利がなかった。選べなかった。「あなたはこういう障害だからこう生きなさい。」と言われていたのです。そう言うことについては当事者の職員。なおかつ施設に入った経験がある人、色々な差別を受けてきた人そういう人達だからこそ解ることがあるのです。健常者スタッフというのはこういう事業をしていく。組織の中で書類作成、飛び回らなければいけない仕事があります。例えば障害を持っていて夜中の12時まで働き続けられるのか?と言えば私の場合は続けられません。いつも5時には帰ります。今日は少し遅くなりそうですが、そうでなければ仕事は出来ません。 例えば、健常者スタッフが自分達だけ働いて当事者スタッフは早く帰ると、そこは理解が無いとうまくいきません。両方の立場で仕事が出来ることは沢山あります。チームを組んでやることは大事。女性の職員がいて男性の職員、当事者がいて、そうでない人がいて、やはり、この仕事は「チームワーク」だと思います。地域で何が必要かをアンテナをはって良く知っておくことが必要だし、私達が地域で生きること実際に障害を持って生きていることを健常者の職員の方も知って欲しいです。知らないとどんな支援が必要かも解りません。 B:視覚障害のBと申します。私はピアカウンセラーの仕事をしていますが、不器用で自分とか自分が出会ってきた人達、私は先天性視覚障害で、中途視覚障害者の方に出会ったのはずいぶん私が年齢を重ねてからでした。そう言う方達も含めて、その出会った方達の必要なことを一つ一つ仕事にしてきました。これからも経験や学びの中で続けていくのだと思います。みなさんのお話を聞いていて、本当に支援センター、ピアカウンセラー、障害の無い方の支援センターの仕事はいくらでもあります。やることはたくさんあります。仕事を作っていく、生活を見ていると沢山あると思いました。そこで池田さんに質問です。池田さんは視覚障害で盲導犬をつれていらっしゃいますが、先程、地域の中での仕事を伺いましたが、池田さんが持っている障害の中で、自分にとっての自分の身から出てきた物がどの辺にあるのか?先程は自分の話を余りされなかったので自分の障害と仕事のつながりをお聞きかせください。 池田:私は早稲田大学法学部在学中に「ベージェット」という病気に掛かって、2年ほどで失明しました。25歳の時でした。何も出来ない所から福祉の仕事に就こうと結果的に29歳の時に県職員になり、リハビリテーションセンターに勤めだしました。そこで勤める時に自分の経験が生きるだろうと思い入りました。しかし、目の前には脳性麻痺の方、脊髄損傷の方、頸椎損傷の方と全く接したことがない障害者の方が沢山いて、就職して1ヶ月で具合が悪くなり入院をしてしまいました。 本当に、自分の人生終わりかと思うくらい食事が出来なくなり、それまで落ち着いていたベージェットという病気も再発し、目がガンガンに痛くなり、3週間ほど入院をして職場に戻りました。自分が何をしていいか解らない時に脳性麻痺で言語障害をもった利用者さんとコミュニケーションをとるのに困っていた職員から面接を頼まれ、とにかく時間を掛けてその方の思いを私が点字でメモし、それをタイプライターに打って、私が打ったタイプを彼が電子ライターで打ち直し皆に伝える。それは随筆でもあり、詩でもあったわけです。それをきっかけとして私は障害を持った方々と心から接することを教えられました。 そんなこんながありましたが、何年かすると今度は職場でいじめがあり、「池田なんかどこかにいってしまえ。」とも言われ非常にショックな時期がありました。そのころ「ピアカウンセラー」と言う言葉が気になっていて、俺は「ピア」として生きる道はないか?と長野県で初めてピアカウンセリング講座を樋口恵子さんにお願いをしてやったのはそういう時期です。その時に自立生活の問題やピアカウンセリングの問題と同時に私が2年後に取った行動はとにかくアメリカに勉強に行きたい。と言うことで、アメリカのバークレーを中心に自立生活に関係する所、十数か所を回って勉強してきました。 そして自分の目が開けて10年ほどなんとかやってきましたが、地域の問題が迫ってきて、また「地域へ」「地域へ」との気持ちが強くなってきました。と言うのは私の長女が重度の知的障害を持っています。その子の将来のことも考えなければいけない。そうしたら、妹が高校2年の時に摂食障害、過食と拒食を繰り返すのですが、鬱的なものになり、長女、次女の事を考えるなかで、自分がリハビリセンターのなかでぬくぬくとやっている場合ではない。地域の中で自分自身がこの子達の為もあるし、自分の為でもあり、色々な人の為にもやりたいと言うことで、県を飛び出し現在の仕事をしています。 視覚障害者という視点は私の中では薄いのではないかと思います。私の前を通っていった肢体不自由な方、自分のこどものこととか、そんな思いを抱きながら仕事をしています。自分の障害だけにこだわらずにやったらいいかなと思います。 C:○○県の○市から来ました生活支援センターという所のセンター長をやっていますCです。今回みなさんすばらしい方々がいらして、何を質問していいか、戸惑っています。今回の研修会に出ようと思ったきっかけですが、エンパワメントネットワークのニュースに中原さんの一文がありました。「ピアカウンセリングでは必ず4つの約束を全員で確認しあっていますということ。1つは時間を対等にすること、口外しないこと、助言アドバイスをしないこと、否定、批判をしないことの4つです。」 「助言、アドバイスをしないこと」と言う言葉の中に、私達は療育等支援事業と今年から市町村障害者支援事業が入り、重い障害を持った方へのピアカウンセリングをどのように進めていったらいいのか?どうしてもその方々は依存性が非常に高いので、その方に対してのエンパワメントの部分と、ピアカウンセリングの部分をアドバイスしてもらえればと思います。 中原:私も全国、北海道から九州までピア・カウンセリング講座をやりにいきますが、その時、20,30年間施設にいたり、数年前に障害者になった方と色々な方に会います。その時、大事にしていることは、とにかく簡単な言葉ですが、「相手の味方になる。」あなたのことを障害の重度、軽度関係なくとにかく関わっていく、そうすると通じます。3日間の講座をやりますが、1日目は、言葉が解らずに申し訳ない。あなたの声が聞きたいと言うと、解ってくるんです。これば不思議です。 判ってくると、私達も嬉しいですし、本人も嬉しいのです。ある時は20年間誰にも言えなかったと言うことを講座で会った人に言ってくれたと言うことがあります。そういうことを何十回と経験させてもらう中で、知的、精神、どんな障害の方にも可能性があるし、力がある。まず私達がそこを原点に考えないと伝わらないと教えてもらいました。みんな変わっていく。私達が変えようとしない。本当に安心して、信頼できる。もちろんそれは健常者職員でも良い訳です。 私のことを本当に信頼して味方になってくれる人がいれば出来るのです。是非1人の人と付き合って欲しいです。シンプルな考えですが、それを続けて行けばみんな元気になっていきます。今日はピアカウンセラーの方達が沢山いるので少し恥ずかしいですが、皆、そう言う事を念頭にやっていると思うので、○○でも絶対に出来ると思います。是非やって下さい。また何かあったらいつでもこのセンターを通して連絡していただければ、情報提供とかさせてもらいます。 近藤:「ピアカウンセラー」と言うと障害者に限られたように思われますが、「ピア」と言う言葉は同じ状況に置かれた人間ですので、何にでも使えます。この場では制度上、「障害者」と言うことで区切っていますが、聞く姿勢は全て同じだと思います。そういう意味では今の質問の方、よろしいでしょうか?では、次の方どうぞ。 D:○○の障害者生活支援センターのDと申します。室津さんに質問いたします。資料の中で、「継続した関わりが必要な場合が多い。」と言うことで、P.12でサービス利用以前の関わりというところで、具体的などう言った例があるのかを教えて頂きたいです。と言うのは、引きこもり状態の方、知的障害の方で「サービスを利用するところまではいかないが、ボランティアの方達と楽しく運動などをして過ごしたい。」と言う方がいます、そういう方の希望に応えられるような取り組みをしていますが、室津さんの方も何かありましたら、教えて頂きたいと思います。 室津:最近多いのが40,50代になって知的障害として、療育手帳を受け取って接触が始まると言う方も結構います。親は「自分の子は障害者ではない。」と言っています。しかし、実際には重い障害があってもサービスを一切拒否して生きてきているので、親が亡くなって初めて福祉事務所が関わるのです。本人も障害者の意識を持っていないし、周囲も持っていない。そうなると「障害者のサービス」といってもすぐに使える訳でもないのです。 それこそ最初に相手の話を良く聞いて受け入れていく関係作りから始めていくことが多くあります。色々な形でです。○○という所が私達の地域にありますが、結構放浪している知的障害者が多いのです。では、各地の福祉事務所は、そう言う人達が自分達の町に来た時どういう対応をするかと言うと、隣町の電車賃を渡して、「はい、サヨウナラ」です。 あちこち転々としている方が自分の町には来て欲しくない。相談に来ると、隣町の電車賃を渡して出ていってもらう。そういう方がドヤに集まってきて生活する時にどう考えるか?ストレートにサービスを使って何とかとはなりません。そこで、まず自分の思っていることを話せる関係であったり、「どうしたいのか?」「どういう生き方をしたいのか?」と言う風に考えるまでのプロセスが大事だし、長いなと感じています。その意味でサービス利用以前の関わりが必要だし、時間が多く掛かる人が増えている。と感じています。 E:○○市から来ました障害者生活支援センターのEと申します。池田さんに質問があります。私は県の相談支援事業の相方検討の仲間にも加わっています。その中で今後、障害者自立支援法の中にも出てくる圏域の相談事業、これは資料にもありますが、都道府県は特に専門性の高い相談支援事業を実施すると言うことで、圏域の相談支援事業の見本として、長野県の圏域の障害者総合支援センターも参考にとのお話が出ていましたが、そのことについてお聞かせ下さい。旧事業所が参加ということで、県から就労支援のコーディネーターの方も見えているとのお話でしたが、連携のこと等も聞きたいのでお願いします。 池田:この総合支援センターの構成メンバーは「就業支援ワーカー」と言って県の職員になります。「生活支援ワーカー」と言うのは、殆どが社福(社会福祉法人)に委託されています。これにプラス「療育コーディネーター」と言うことで、私どもの場合は年間500万円の補助金が来ます。「私どもで療育コーディネータを雇ってください。」と言うことで、生活支援ワーカーは他の法人から来ています。3種の職種プラスそれぞれの地域の地元の支援センターの職員が加わって最低5,6人です。しかし、長野県の圏域は広いですから旧事業所10数名のコーディネータが一緒にやりましょうと言う事です。しかし、一ヶ所には集まっていません。私どもが事務局をやっていくと言うことです。 まとまっているところは長野県下でも10圏域のところで7ヶ所くらいはあると思います。就業支援ワーカーについては県職員の出向、その他は法人の職員です。これは何を示しているか?というと国でも示していますが、「包括支援センター」と言うような考え方で介護支援の方でも出てきています。それを先取りして、障害の部門でも包括支援センター構想が出てきているのです。これは何を目指しているか?県が障害福祉から手を引きたい。いろいろなところにいろいろな事業を委託してしまいたいと言うのがあります。 とは言っても、やはり手を引けない部分もあり、支援センターを作った上で民間の活力を活用しながらやっていったらどうかな?という長野県の試行錯誤の一つで、もっと言うと地域移行の受皿として、支援センターを活用したいと言うイメージがあります。その先には当然ケアマネジメントの問題もある。色々な思惑が絡みながらこの支援センターは動き出していますが、長野圏域ではまだ機能していません。あまりに(圏域が)広すぎてしまって・・・。あまりお答えできなくてすみません。 近藤:ありがとうございました。制度が変わってくると、県の立場が一時見えにくくなってきます。(東京)都もそうでした。「都は何をすべきか?」「何回も人を呼んで何を求めますか?」と言うことで当事者から声を求めたくらい県のこれから取るべき道が見えにくくなっています。「国が市町村に下ろしたから県は何をすべきか?」大きなテーマでした。これから広がっていき、構築されていく分野なのです。専門職は確実にいますからどう使えるか大きなテーマです。では次の方どうぞ F:○○市にあります市町村障害者センターに勤めていますFと申します。室津さんに質問ですが、30,40,50代になってから手帳を所持された方の相談が増えています。私も36歳の女性で昨年から関わらせて頂いている方がいるのですが、それに加えボーダーラインの方も増えてきています。室津さんの経験の中からその方達の関わりでなにかアドバイスがあればと思います。 室津:特にボーダーの人達の場合に自分が出来ないことと言えないことが援助、サービスに繋がらない大きな問題だと思います。「私は歩けません。」と言って笑われることはありませんが、「私はこの字が読めません。」と言った途端周りの人が皆笑うということは散々経験してきています。 したがって「私は字が読めません。」「あなたの言っている意味が解りません。」とは、それを言ったら「皆に馬鹿にされる」という経験を30,40年間してきた人ですので、その人達に「あなたが出来ない。」と言った事に「私は馬鹿にしない。」と言う関係が作れるまで、本当に必要なことは語って貰えないです。 とにかく関係を作ることです。「自分が障害がある。」と言うことを言えるようになることが大きな目標であると思いますし、「それはあなたが勉強しない。さぼってきたからではなく、脳にこう言う障害があって、こう言うことが苦手なんだ。」ということを伝えていくことです。すごく時間と振り回されることもあり、援助者がヘタってしまうことがあるかと思いますが、頑張ってください。 G:○○で障害者支援ハウスを事業としてやっている施設長のGと申します。室津さんに質問です。先程長野の池田さんがおっしゃったように「障害者の地域生活移行」と言われていますが、現実は言われているほどきれいなものではなく、中味は空白なものが多いということを思い知らされております。 私どもの施設のなかに「体験型グループホーム」という形で事業を行ってきました。東京都のモデル事業でスタートしましたが、都は「グランドデザイン案」の中に「体験型グループホーム」ということを要項から外してしまい中座してしまった事業です。これによって私どもはその事業を運営し始めたものの破綻してしまいました。看板は下ろしたものの中味は地域移行を進めていくための体験型グループホームということでやっています。 その中で、実際、地域のグループホームに移行して頂くと言うことで、知的障害の方を移行していきますが、最近の規制緩和でNPO法人でもグループホームが設立できるようになりました。それは良いことだと思います。しかし、実際は支援の内容が杜撰です。これは私どもから移行したグループホームではありませんが、他法人が運営するグループホームが立ち上がって指定を受けたものの、たった数ヶ月で運営が杜撰な為、東京都から事業指定を取り消されました。内容的には利用者に対する対応が非常に悪いという一言になります。そう言ったところも多くあり、地域移行を進めていく中でグループホームの質の向上をどのように考えていったら良いのかとご意見を頂きたいです。 近藤:「地域移行」は今、大きなテーマとして出されています。出来るのかどうか懸念すら抱く人が多いと思います。室津さんに質問された方は知的の方だと思います。日本がかつて大きな施設として「コロニー」のようなものを持った歴史の中では全国で「コロニーから出たい。」という人達がいます。何十年も入っている重度の障害者がいますが、軽度の障害者は出たいと言わないで、重度の障害者が出たいと言っています。そう言うことを受けるのが地域の支援センター、また自立生活センターと言う名称のところに相談が来るのですが、知的という中で室津さんお願いします。 室津:「地域移行入所施設」に入っている障害者の方がこの生活をいいと思っている訳ではないし、入れている親もこの生活を望んでいる訳ではありません。他に選択肢がなくて入っていると言うことはこちらも抑えておかなければいけないですし、制度的に不十分であるからやらなくて良いとか、制度的に不十分だから待っていた方が良い。そう言うことではなく、地域移行をどうやったらできるのか?どうやって生活を支えるのか?それは制度の問題だけでなく、私ども取り組みの内容の問題と思っています。 「地域生活移行」と言った時に「地域移行」と言うこと自体が脱施設ではなく、その意味では施設を否定しきっていない言葉だと思います。施設の何が問題で、地域移行をしようとしているのかを曖昧にして、施設の運営している法人が地域のグループホームを作っていたりする訳ですので、ここにもいらっしゃるので申し訳ないのですが、その意味では「施設の何が悪いのか?」ではなく、「施設の延長としてのグループホーム」が現実的に多いというの事実だと思います。そこでの援助の質もかなり問題がある場合が多いと思います。グループホームを支えるのが今までは出身の法人だけであったわけです。 例えば千葉で中核支援センター、長野でも出ていたような全体的な支援センターができ、そこにグループホームワーカーを置くという案が千葉では出ています。グループホームを運営している法人がグループホームを見ているだけでなく外の支援センターの支援ワーカーがグループホームに出入りするようになるのです。そのことが重要なことではないでしょうか?グループホームでの暮らしは外には見えないので、訴える力が弱い人たちが多く住んでいます。グループホームを外から見ている地域にある支援センターの目が重要なポイントだと思います。 地域移行を進めていく上で支援センターがどのようにケアマネジメントしていくのか?と言うことが重要な問題になっていくのではないでしょうか?「理念無きグループホーム」と言うのがやはり大きな問題があるのです。施設と同じものがグループホームに持ち込まれるかもしれないし、施設以上の閉鎖性がある場所になりうる恐れもあるので、「何のための地域移行か?」「何のためのグループホームなのか?」を繰り返し確認をしていかないととんでもないものが出来るのではないでしょうか? グループホームの制度の問題として、世話人に任せてしまう面が非常に大きく、世話人の人を雇って、「この4人の人をよろしくね。」と終わってしまう運営者が実際に非常に多いです。自閉症の人にどうやって関わっていいかわからない人がいきなり4人を「お願いね。」と言われても上手く生活が成り立つ訳がありません。そのような相談が多く来ています。その意味では、地域でどのように世話人に支援のあり方を伝えられるのか?と言うことも課題としてあると思います。 近藤:「脱施設」については身体障害者の方で中原さんに頼もうかと思っていましたが、(時間が無いので)2分でお願いします。 中原:2分でお話します。私はある療護園のオンブズマンを何年かやらせてもらっています。そこで大きく感じることは、「自分たちがどこで暮らすか?」地域で暮らせるメニューを知らない人が多かったと言うことです。閉鎖された家庭の中で暮らしてきて、親の意見に従って生きてきた、それは「親が亡くなる前に自分の子供を施設に入れた方が幸せだ。」と言うことです。それに対して反発できる力はなかなか持てないわけです。 反発できる自分の生き方を決める支援が私たちがやるべきことなんです。いろいろな生き方があり、その中のひとつがグループホームであってもいい訳ですが、その前段階がないうちに決めてしまうのが今までの福祉施策のやり方だったと思います。いろいろな生き方があるというものを造っていけるのがこの支援センターの役割だと思います。ホームヘルプの事業所でもそうですが、介護保険、支援費制度が始まって、事業所が出てくる中で良いサービスをしないところはどんどん潰れていっています。キチっとしたサービスをしているところは生き残ります。それはグループホームでも施設でも同じだと思います。今施設に入っている人たちが何を心配しているかと言うと、支援費制度が始まって職員が削られていっている。今までのメニューがなくなっている。自分たちはどうしたらいいか?ということが施設に入っている人たちの切実な問題です。 近藤:これで時間がギリギリです。今日のテーマは「障害種別を越えた地域エンパワメント」でした。考えてみると今問題になっている自立支援法の中に「3障害をサービス的に揃える」と言うことがありますが、サービスだけではなく、今日言われた障害を越えた一つ一つの障害を持った人と向き合う。生活の中身を解らずして、国が制度を揃えることは非常に怖いものがあるということを思い出します。今まで勉強会、講演会をもちました。どうかすると、縦の線で法律がそうであったように「身体は身体だけ。」「知的は知的だけ。」という勉強会や会合が多かったと痛感せざるを得ません。 今日の「障害種別を越えた」という視点からもう一度切り直してみると今までとは全然違います。「自立」というものに対しても障害を越えたら完全に変わってきます。それでいながら一人一人のもつ問題に向き合っていかなければならないのです。皆さん、今日のパネラーの方々が障害を越えたそれぞれの立場で言っていただきました。障害種別でシンポをしましたが、考えてみるとそれぞれの言っていることが違う障害にも全く同じ意味で響いてくる事が多いのです。 制度ではなく、私たち自身が障害を越えた力を共有しないとこれからの時代やってはいけません。地域生活、または重度の方の生活があるんだとわかってきましたが、これを積み重ねないと他の障害のことは見えてきません。特に今フロアからお聞きした中では田島さんの精神の部分で質問が完全に無かったことに対してはその特徴をよく現しています。「精神については、聞こうにもどう聞いていいのか分からない。」のが現実です。その意味では田島さんは大変ですが、これからもこのような場に参加して頂き、ご自分の生活の中から今日言われた自分たちの生活を通して知って欲しいことという視点でまた私たちのここ(シンポジウム)にもう一度来てほしいと思います。皆さん長い間ありがとうございました。 |