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第1回 ニキシュ 第2回 ミケランジェリ
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自分が、始めてミケランジェリの演奏に接したのは1995年のこと。1995年…そう、ミケランジェリの亡くなった年である。その年の(何月号かは覚えていない)、『音楽の友』に組まれた特集で、ミケランジェリの演奏に興味を持ったのがきっかけ。 それまでは、彼自身の録音が少ないと言うこと、自分がピアノ曲に興味がないと言うことが相俟って、ミケランジェリの名は聞いていたものの、その演奏に接する機会は全くなかった。『音楽の友』にどんなことが書いてあったか、全く覚えていないが、幾つかミケランジェリの写真が載っていて、何となくその容姿に惹かれたのは覚えている。そんなことで、興味を持ったのだろうか、数日後、今までの自分の趣向にはなかったミケランジェリのドビュッシーを買いに石丸電気に足を運んだ。 最初に買ったのは、前奏曲集第1巻。冷たく透明感のある響きにグッと惹き込まれた。有名な「亜麻色の髪の乙女」では、鳥肌すら立った。それまで、複雑に音の絡み合う、華麗な交響曲や管弦楽曲を好んで聞いていた自分の嗜好に変化をももたらした。シンプルでありながらも、表現力は管弦楽曲に較べてひけをとるものではなかった。一音一音が鮮烈ですらあった。 ミケランジェリの音に魅了された自分は、前奏曲集第2巻や子供の領分を次々と買って行った。その度に、新たな感動を覚えた。その頃のミケランジェリは自分にとって唯一無二のピアニストだった。 ある日、図書館でワイセンベルクのドビュッシーを借りてきたことがあった。ミケランジェリよりも人間臭い音楽がそこにあった。妙に、生暖かい音楽だな、とその時は思った。後で、ワイセンベルクの演奏を聴くと、硬質の響きの中に、他のピアニストほどの人間臭さは感じない(ドビュッシーの演奏はそれ以降未聴)。しかし、ミケランジェリの演奏ばかりを聴いていた自分には、ワイセンベルクの音ですら人間臭く濁って聞こえたのだ。もっと冷たく、もっと透明に…ドビュッシーはそうあらねばならぬと、その時強く思った。 その後、シューマンやブラームスの演奏も聴いた。一音一音が際立っていて、丸で淀むことがない。もちろん、音楽には力があって、聴く人を惹き付けて止まない。改めて凄いピアニストだと感じ入った。 ミケランジェリの演奏を嫌いな人もいる。とある評論家は、機械のように冷たくて、付いていけないと書いていた。それでも、その評論家ですら、ミケランジェリのドビュッシーにだけは、脱帽していた。ドビュッシーの音符にあの冷たくて透明感のある音が絡めば、誰もが魅了されるだろう。シューマンやブラームスは好みもあろうが、ドビュッシーの演奏では、彼の右に出るものはいない…と自分は思っている。 ラヴェルのピアノ協奏曲もいい。EMIの演奏も聴いたことがあるが、自分がよく接するのは、チェリビダッケ/ロンドン響がバックを演奏している映像。流石は十八番にしていただけあって、素晴らしい腕の冴えを見せてくれる。 だが、残念なことに、ミケランジェリは録音が嫌いだった。CDは数えるほどしかない。演奏会もよくキャンセルした。だから、彼の演奏に多く接するためには、少なからぬ努力を要する。しかし、彼の残した録音に死角はない。ファンを失望させることはない。 希代の名ピアニスト・ミケランジェリは後世に好い加減な録音を残したくはなかったのだろう。それもそれで良いと思う。 (2003.6.9) |
〜おすすめCD〜
この曲の決定盤と言われる録音。自分にとって記念すべき、ミケランジェリ第1号。
およそ20年ぶりに再録された謝肉祭。ミケランジェリの数少ない録音の中で、再録された曲は数えるほどしかない。それほど、気に入って弾いていたということである。旧録は、ドイツ・グラモフォンから擬似ステレオのものが出ている。 〜NEWS〜 2003年7月に1981年ルガノリサイタルのライブ録音がRCAから発売。国内盤限定プレス!
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