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ランクルBJ41の思い出-
友人「このエンジンねえ、100万Km走るよ」。僕「\/?#=$+&%*!?!?」100万Kmって、一体そりゃなんなんだ。当時、トヨタ系の専門学校に通っていたエンジニアの卵の友人がこのクルマを見て発した言葉を聞いた時、驚きの余り言葉を失った。常識的にはクルマのエンジンの寿命は大体10万Km前後、20万Kmも走れば「これ、よくもったもんだねえ」となるのが通り相場だ。なのに100万Kmって。。。
今になって思うと、なんだかモツの煮込みみたいなクルマだった。それなりに美味しい食べ物なんだけど、疲れてる時とか、二日酔いの時とかは絶対に食べたくない、ってやつ。パワステなど付いていないハンドルは死ぬ程重い、極太トルクを受け止めるクラッチもまた重い、助手席の人とマトモに話できない程、エンジンやミッションの騒音で車内はうるさい。問題のエンジンは2B型3200ccのディーゼル(どうやらトヨタ製ではなくダイハツ製らしい)、有り余るトルクと低いギア比のせいで、街中でスムーズに走らせるのにはそれなりの熟練を要した。大雪の日に幌が潰れたりしたこともあったし、買った時はまずまずきれいだったボディは錆/腐りで穴だらけ。大体僕が今もって胃下垂気味なのはこのクルマのひどい乗り心地の仕業に違いないのだ。
そんなクルマだったが、それこそ僕は青春時代をこのクルマと一緒に過ごした。極東の小さい島国を、それこそぐるぐると走り回った。クロカンの真似事もやってみたし、旅行にも出かけた。使おうと思えばなんにでも使えた。そういう意味では、自己主張が強い割には従順な相棒だった。そうして走った距離が7年間で8万Km。友人に、このエンジンの寿命といわれた100万Kmという数字を考えると、「たった」8万Kmだ。この国は、このクルマには少し小さすぎたみたいだ。
大体そういう自己主張にしても、全て何らかの必然性があるものなのだから文句も出ない。太すぎるトルクは、山道をトランスファーのローレンジを使って極低速で走ったりする時に真価が表れる。乗り心地だって、耐久性/足の延びの良い前後リーフリジッドの足回りで、あれだけ太いホーシング(同サイズの三菱ジープなんかより一回りは太い)を吊るしていればそりゃ少し(?)はばたばたもする。錆易いボディは御愛嬌だけど、本当に乗る度に作り手の哲学が透けて見える、日本には数少ないクルマだったと思う。
クルマの整備士から転職し、ある程度の時間と金と情熱を自分のクルマに注げる環境が出来た僕は、以前から一度は手に入れ、いじりたいと思っていたフォルクスワーゲン・ビートルを買う事に決めた。長い間欲しかったクルマを手に入れることは嬉しい事には違いなかったが、ただ一つ心残りだったのは、ランクルを手放さなければならなかった事。僕は、このすばらしい道具の持っている真価を、7年かかってどれだけ使ってやる事が出来たのだろうか。ボディの程度の悪さから、僕が手放したら即解体になるだろうこのランクルを前にして、考える事は多かった。探してみると本当に少ない、純日本製の、はっきりとした哲学を持った良質な道具が、まだ使える可能性があるうちに潰されてしまうのは、元来の貧乏性も手伝って本当に惜しかった。
僕は結局、トラックの営業をやっている友人に頼んで、外国に輸出してもらう事に決めた。彼の地では(ランクルが得意なのは、主に東南アジアらしい)、クルマはボディが錆びてダメになればボディを架装し、いよいよフレームがダメになればエンジンだけ船の動力として使ったりするらしい。使えるものはとことん使い倒すという訳だ。実際、日本で使わなくなったトラックのエンジンなどを輸出している業者が存在していて、友人を通してその業者に依頼したのだ。こういう土地でこそ、きっとこのクルマは真価を発揮するのだろう。
このクルマに乗っていた7年間で、僕はこのクルマの真価の何割かしか使う事が出来なかった。その事にこれだけこだわるのは、これだけのクルマを作り上げたエンジニアの方達への敬意みたいな物なのだろうと思うが、そのクルマとこういう別れ方をして今になって思うのは、いい付き合いをしたし、いい別れをしたなあという事だ。若いうちにこういう本物の道具に触れられた事は幸せな事だったのだなあと今は考えている。
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