橡 の 花

――或る私信――

 

 

 

 此頃の陰鬱な天候に弱らされてゐて手紙を書く氣にもなれませんでした。以前京都にゐた頃は毎年のやうにこの季節に肋膜を惡くしたのですが、此方へ來てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなつたせゐかも知れません。然しやはり拐~が不健康になります。感心なことを云ふと云つてあなたは笑ふかも知れませんが、學校へ行くのが實に億劫でした。電車に乗ります。電車は四十分かゝるのです。氣持が消極的になつてゐるせゐか、前に坐つてゐる人が私の顏を見てゐるやうな氣が常にします。それが私の獨り相撲だとは判つてゐるのです。と云ふのは、はじめは氣がつきませんでしたが、まあ云へば私自身そんな視線を捜してゐると云ふ工合なのです。何氣ない眼附きをしようなど思ふのが抑ゝの苦しむもとです。

 また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘々しい心を持ちます。これもどうかすると變に人びとのアラを捜してゐるやうになるのです。學生の間に流行つてゐるらしい太いズボン、變にべたつとした赤靴。其他。其他。私の弱つた身體にかなはないのはその惡趣味です。なにげなくやつてゐるのだつたら腹も立ちません。必要に迫られてのことだつたら好意すら持てます。然しさうだとは決して思へないのです。淺墓な氣がします。

 女の髪も段々堪らないのが多くなりました。――あなたにお貸しした化物の本のなかに、こんな繪があつたのを御存じですか。それは女のお化けです。顏はあたり前ですが、後頭部に――その部分がお化けなのです。貪婪な口を持つてゐます。そして解した髪の毛の先が觸手の恰好に化けて、置いてある鉢から葉子をつかみ、その口ヘ持つてゆかうとしてゐるのです。が、女はそれを知つてゐるのか知らないのか、あたりまへの顏で前を向いてゐます。――私はそれを見たときいやな氣がしました。ところが此頃の髪にはそれを思ひ出させるのがあります。わげがその口の形をしてゐるのです。その繪に對する私の嫌惡はこのわげを見てから急に強くなりました。

 こんなことを一々氣にしてゐては窮屈で仕方がありません。然しさう思つて見ても逃げられないことがあります。それは不快の一つの「型」です。反省が入れば入る程尚更その窮屈がオークワードになります。ある日こんなことがありました。やはり私の前に坐つてゐた婦人の服装が、私の嫌惡を誘ひ出しました。私は憎みました。致命的にやつつけてやりたい氣がしました。そして効果的に恥を與へ得る言葉を捜しました。ややあつて私はそれに成功することが出來ました。然しそれは効果的に過ぎた言葉でした。やつつけるばかりでなく、恐らくそのシヤアシヤアした婦人を暗く不幸にせずにはおかないやうに思へました。私はそんな言葉を捜し出したとき、直ぐそれを相手に投げつける場面を想像するのですが、此場合私にはそれが出來ませんでした。その婦人、その言葉。この二つの對立を考へただけでも既に惨酷でした。私のいら立つた気持は段々冷えてゆきました。女の人の造作を兎や角思ふのは男らしくないことだと思ひました。もつと温かい心で見なければいけないと思ひました。然し調和的な氣持は永く續きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。

 私の眼がもう一度その婦人を掠めたとき、ふと私はその醜さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです。わる達者といふ言葉があります。さう云つた意味でわるく健康な感じです。性におへない鐵道草といふ雜草があります。あの健康にも似てゐませうか。――私の一人相撲はそれとの對照で段々~經的な弱さを露はして來ました。

 俗惡に對してひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖でした。そしてそれは何時も私自身の拐~が弛んでゐるときの徴候でした。然し私自身みじめな氣持になつたのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしてゐるのを知りました。

 電車に乗つてゐてもう一つ困るのは車の響きが音樂に聽えることです。(これはあなたも何時だつたか同様經驗をしてゐられることを話されました。)私はその響きを利用していゝ音樂を聽いてやらうと企てたことがありました。そんなことから不知不識に自分を不快にする敵を作つてゐた譯です。「あれをやらう」と思ふと私は直ぐその曲目を車の響き、街の響きの中に發見するやうになりました。然し惡く疲れてゐるときなどは、それが正確な音程で聞えない。――それはいゝのです。困るのはそれがもう此方の勝手では止まらなくなつてゐることです。そればかりではありません。それは何時の間にか私の堪らなくなる種類のものをやります。先程の婦人がそれにつれて踊るであらうやうな音樂です。時には嘲笑的にそしてわざと下品に。そしてそれが彼等の凱歌のやうに開える――と云へば話になつてしまひますが、とにかく非常に不快なのです。

 電車の中で憂鬱になつてゐるときの私の顏はきつと醜いにちがひありません。見る人が見ればきつとそれをよしとはしないだらうと私は思ひました。私は自分の憂鬱の上に漠とした「惡」を感じたのです。私はその「惡」を避けたく思ひました。然し電車には乗らないなど云つてはゐられません。毒も皿もそれが豫め命ぜられてゐるものならひるむことはいらないことです。一人相撲もこれでおしまひです。あの海に實感を持たねばならぬと思ひます。

 ある日私は年少の友と電車に乗つてゐました。この四月から私達に一年後れて東京に來た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかつたことを云ひ云ひしました。私にも少くともその氣持に似た經驗はありました。またやつて來た匆々直ぐ東京が好きになるやうな人は不愉快です。然し私は友の言葉に同意を表しかねました。東京にもまた別種のよさがあることを云ひました。そんなことをいふ者さへ不愉快だ。友の調子にはかう云つたところさへ感ぜられます。そして二人は押し默つてしまひました。それは變につらい沈默でした。友はまた京都にゐた時代、電車の窓と窓がすれちがふとき「あちらの第何番目の窓にゐる娘が今度自分の生活に交渉を持つて來るのだ」とその番號を心のなかで極め、託宣を聽くやうな氣持ですれちがふのを待つてゐた――そんなことをした時もあつたと其日云つてをりました。そしてその話は私にとつて無感覺なのでした。そんなことにも私自身がこだはりを持つてゐました。

 

 

 或る日Oが訪ねて呉れました。Oは健康相な顏をしてゐました。そして種々元氣な話をしてゆきました。――

 Oは私の机の上においてあつた紙に眼をつけました。何枚もの紙の上に waste といふ字が並べて書いてあるのです。

 「これはなんだ。戀人でも出來たのか」と、Oはからかひました。戀人といふやうなあのOの口から出さうにもない言葉で、私は五六年も前の自分を不圖思ひ出しました。それはある娘を對象とした、私の子供らしい然も激しい情熱でした。それの非常な不結果であつたことはあなたも少しは知つてゐられるでせう。

 ――父の苦り切つた聲がその不面目な事件の結果を宣告しました。私は急にあたりが息苦しくなりました。自分でもわからない聲を立てゝ寢床からとび出しました。後からは兄がついて來てをりました。私は母の鏡臺の前まで走りました。そして自分のざめた顏をうつしました。それは醜くひきつゝてゐました。何故そこまで走つたのか――それは自分にも判然しません。その苦しさを眼で見ておかうとしたのかも知れません。鏡を見て或る場合心の激動の静まるときもあります。――兩親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を燒いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云はないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました。そしてそれを消した上こなごなに破らずにはゐられなかつたことがありました。――然しOが私にからかつた紙の上には waste といふ字が確實に一面に並んでゐます。

 「どうして、大ちがひだ」と私は云ひました。そしてその譯を話しました。

 その前晩私はやはり憂鬱に苦しめられてゐました。びしよびしよと雨が降つてゐました。そしてその音が例の音樂をやるのです。本を讀む氣もしませんでしたので私はいたづら書きをしてゐました。その waste といふ字は書き易い字であるのか――筆のいたづらに直ぐ書く字がありますね――その字の一つなのです。私はそれを無暗にたくさん書いてゐました。そのうちに私の耳はそのなかゝら機を織るやうな一定のリズムを聽きはじめたのです。手の調子がきまつて來たためです。當然きこえる筈だつたのです。なにかきこえると聽耳をたてはじめてから、それが一つの可愛いリズムだと思ひ當てたまでの私の氣持は、緊張と云ひ喜びといふにはあまりささやかなものでした。然し一時間前の倦怠ではもうありませんでした。私はその衣ずれのやうなまた小人國の汽車のやうな可愛いリズムに聽き入りました。それにも倦くと今度はその音をなにかの言葉で眞似て見たい欲望を起したのです。ほとゝぎすの聲をてつぺんかけたかと聞くやうに。――然し私はたうとう發見出來ませんでした。サ行の音が多いにちがひないと思つたりする、その成心に妨げられたのです。然し私は小さいきれぎれの言葉を聽きました。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故クの然も私の家族固有なアクセントであることを知りました。――おそらく私は一生懸命になつてゐたのでせう。さうした心の純粋さがたうとう私をしてお里を出さしめたのだらうと思ひます。心から遠退いてゐた故クと、然も思ひもかけなかつたそんな深夜、ひたひたと膝をつきあはせた感じでした。私はなにの本當なのかはわかりませんでしたが、なにか本當のものをその中に感じました。私はいさゝか亢奮をしてゐたのです。

 然しそれが藝術に於てのほんたう、殊に詩に於てのほんたうを暗示してゐはしないかなどOには話しました。Oはそんなことをもおだやかな徴笑で聽いてくれました。

 鉛筆の秀をとがらして私はOにもその音をきかせました。Oは眼を細くして「きこえる、きこえる」と云ひました。そして自身でも試みて字を變へ紙質を變へたりしたら面白さうだと云ひました。また手加滅が窮屈になつたりすると音が變る。それを「聲がはり」だと云つて笑つたりしました。家族の中でも誰の聲らしいと云ひますから末の弟の聲だらうと云つたのに關聯してです。払は弟の變聲期を想像するのがなにかむごい氣がするときがあります。次の話もこの日のOとの話です。そして手紙に書いておき度いことです。

 Oはその前の目曜に鶴見の花月園といふところへ親類の子供を連れて行つたと云ひました。そして面白さうにその模様を話して聞かせました。花月園といふのは京都にあつたパラダイスといふやうなところらしいです。いろいろ面白かつたがその中でも愉快だつたのは備へつけてある大きなすべり臺だと云ひました。そしてそれをすべる面白さを力説しました。ほんたうに面白かつたらしいのです。今もその愉快が身體のどこかに殘つてゐると云つた話振りなのです。たうとう私も「行つて見度いなあ」と云はされました。變な云ひ方ですがこのなあのあはOの「すべり臺面白いぞを」のをと釣合つてゐます。そしてそんな釣合ひはOといふ人間の魅力からやつて來ます。Oは嘘の云へない素直な男で彼の云ふことはこちらも素直に信じられます。そのことはあまり素直ではない私にとつて少くとも嬉しいことです。

 そして話はその娯樂場の驢馬の話になりました。それは子供を乗せて柵をまはる驢馬で、よく馴れてゐて、子供が乗るとひとりで一周して歸つて來るのだといひます。私はその動物を可愛いものに思ひました。

 ところがそのなかの一匹が途中で立留つたと云ひます。Oは見てゐたのださうです。するとその立留つた奴はそのまま小便をはじめたのださうです。乗つてゐた子供――女の兒だつたさうですが――はもぢもぢし出し顏が段々赤くなつて來てしまひには泣き相になつたと云ひます。――私達は大いに笑ひました。私の眼の前にはその光景がありあり浮びました。人のいゝ驢馬の稚氣に富んだ尾籠、そしてその尾籠の犠牲になつた子供の可愛い困惑。それはほんたうに可愛い困惑です。然し笑ひ笑ひしてゐた私はへんに笑へなくなつて來たのです。笑ふべく均衡されたその情景のなかから、女の兒の氣持だけがにはかに押し寄せて來たのです。 「こんな御行儀の惡いことをして。わたしはづかしい」

 私は笑へなくなつてしまひました。前晩の寐不足のため變に心が誘はれ易く、物に即し易くなつてゐたのです。私はそれを感じました。そして少しの間不快が去りませんでした。気輕にOにそのことを云へばよかつたのです。口にさへ出せば再びそれを「可愛い滑稽なこと」として笑ひ直せたのです。然し私は變にそれが云へなかつたのです。そして健康な感情の均整をいつも失はないOを羨しく思ひました。

 

 

 私の部屋はいゝ部屋です。難を云へば造りが薄手に出來てゐて濕氣などに敏感なことです。一つの窓は樹木とそして崖とに近く、一つの窓は奧狸穴などの低地をへだてゝ倉の電車道に臨む展望です。その展望のなかには舊コ川邸の椎の老樹があります。その何年を經たとも知れない樹は見わたしたところ一番大きな見事なながめです。一體椎といふ樹は梅雨期に葉が赤くなるものなのでせうか。最初はなにか夕燒の反射をでも受けてゐるのぢやないかなど疑ひました。そんな赤さなのです。然し雨の日になつてもそれは同じ。いつも同じでした。やはり樹自身の現象なのです。私は古人の「五月雨の降り殘してや光堂」の句を、日を距ててではありましたが、思ひ出しました。そして椎茜といふ言葉を造つて下の五におきかへ嬉しい氣がしました。中の七が降り殘したるではなく、降り殘してやだつたことも新しい眼で見得た氣がしました。

 崖に面した窓の近くには手にとゞく程の距離にかなひでといふ木があります。朴の一種ださうです。この花も五月闇のなかにふさはなくはないものだと思ひました。然しなんと云つても堪らないのは梅雨期です。雨が續くと私の部屋には濕氣が充滿します。窓ぎはなどが濡れてしまつてゐるのを見たりすると全く憂鬱になりました。變に腹が立つて來るのです。空はたゞ重苦しく垂れ下つてゐます。

 「チョツ。ぼろ船の底」

 或る日も私はそんな言葉で自分の部屋をのゝしつて見ました。そしてそののゝしり方が自分がでに面白くて氣は變りました。母が私にがみがみおこつて來るときがあります。そしてしまひに突拍子もないのゝしり方をして笑つてしまふことがあります。ちよつとさう云つた氣持でした。私の空想はその言葉でぼろ船の底に疊を敷いて大きな川を旅してゐる自分を空想させました。實際こんなときにこそ鬱陶しい梅雨の響きも面白さを添へるのだと思ひました。

 

 

 それも矢張雨の降つた或る日の午後でした。私は赤坂のAの家へ出かけました。京都時代の私達の會合――その席へはあなたも一度來られたことがありますね――憶えていらつしやれぱその時ゐたAです。

 この四月には私達の後、やはりあの會合を維持してゐた人びとが、三人も巣立つて來ました。そしてもともと話のあつたことゝて、既に東京へ來てゐた五人と共に、再び東京に於ての會合が始まりました。そして來年の一月から同人雜誌を出すこと、その費用と原稿を月々貯めてゆくことに相談が定つたのです。私がAの家へ行つたのはその積立金を持つてゆくためでした。

 最近Aは家との間に或る悶着を起してゐました。それは結婚問題なのです。Aが自分の欲してゐる道をゆけば父母を捨てたことになります。少くも父母にとつてはさうです。Aの問題は自ら友人である私の態度を要求しました。私は當初彼を冷さうとさへ思ひました。少くとも私が彼の心を熱しさせてゆく存在であることを避けようと努めました。問題がさういふ風に大きくなればなる程さうしなければならぬと思つたのです。――然しそれがどちらの旗色であれ、他人のたてたどんな旗色にも動かされる人間でないことを彼は段々證して來てをります。普段にぼんやりとしかわからなかつた人間の性格と云ふものがかう云ふときに際してこそその輪郭をはつきりあらはすものだといふことを私は今に於て知ります。彼も亦この試練によつてそれを深めてゆくのでせう。私はそれを美しいと思ひます。

 Aの家へ私が着いたときは偶然新らしく東京へ來た連中が來てゐました。そしてAの問題でAと家との間へ入つた調停者の手紙に就て論じ合つてゐました。Aは其の人達をおいて買物に出てゐました。その日も私は氣持がまるでふさいでゐました。その話をきゝながらひとりぼつちの氣持で默り込んでゐました。するとそのうちに何かのきつかけで「Aの氣持もよくわかつてゐると云ふのならなぜ此方を骨折らうとしないんだ」といふ言葉を聞きました。調子のきびしい言葉でした。それが調停者に就て云はれてゐる言葉であることは申すまでもありません。

 私の心はなんだかびりゝとしました。知るといふことゝ行ふといふことゝに何ら距りをつけないと云つた生活態度の強さが私を壓迫したのです。單にそればかりではありません。私は心のなかで暗にその調停者の態度を是認してゐました。更に云へば「その人の氣持もわかる」と思つてゐたからです。私は兩方共わかつてゐるといふのは兩方ともを知らないのだと反省しないではゐられませんでした。便りにしてゐたものが崩れてゆく何とも云へないいやな氣持です。Aの両親さへ私にはそつぽを向けるだらうと思ひました。一方の極へおとされてゆく私の氣持は、然し、本能的な逆のカと争ひはじめました。そしてAの家を出る頃やうやく調和したくつろぎに歸ることが出來ました。Aが使から歸つて來てからは皆の話も變つて專ら來年の計畫の上に落ちました。Rのつけた雜誌の名前を繰り返し繰り返し喜び、それと定まるまでの苦心を滑稽化して笑ひました。私の興味深く感じるのはその名前によつて表現を得た私達の拐~が、今度はその名前から再び鼓舞され整理されてくるといふことです。

 私達はAの國から送つて來たもので夕を御馳走になりました。部屋へ歸ると窓近い樫の木の花が重い匂ひを部屋中にみなぎらせてゐました。Aは私の知識の中で名と物とが別であつた菩提樹をその窓からヘへて呉れました。私はまた皆に倉の通りにある木は七葉樹だつたと告げました。数日前RやAや二三人でその美しい花を見、マロニエといふ花ぢやないかなど云ひ合つてゐたのです。私はその名をその中の一本に釣られてゐた「街路樹は大切にいたしませう」の札で讀んで來たのです。

 積立金の話をしてゐる間に私はその中の一人がそれの爲の金を、全く自分で働いてゐるのだといふ事を知りました。親からの金の中では出し度くないと云ふのです。――私は今更ながらいゝ伴侶と共に發足する自分であることを知りました。氣持も可成調和的になつてゐたのでこの友の行爲から私自身を責め過ぎることはありませんでした。

 しばらくして私達はAの家を出ました。外は快い雨あがりでした。まだ宵の口の町を私は友の一人と靈南坂を通つて歸つて來ました。私の處へ寄つて本を借りて歸るといふのです。ついでに七葉樹の花を見ると云ひます。この友一人がそれを見はぐしてゐたからです。

 道々私は唱ひにくい音諧を大聲で歌つてその友人にきかせました。それが歌へるのは私の氣持のいゝ時に限るのです。我善坊の方へ來たとき私達は一つの面白い事件に打かりました。それは螢を捕まへた一人の男です。だしぬけに「これ螢ですか」と云つて組合せた兩の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。螢がそのなかに美しい光を灯してゐました。「あそこで捕つたんだ」と聞きもしないのに説明してゐます。私と友は顏を見合せて變な笑顏になりました。やゝ遠離つてから私達はお互に笑ひ合つたことです。「きつと捕まへてあがつてしまつたんだよ」と私は云ひました。なにか云はずにはゐられなかつたのだと思ひました。

 倉の通りは雨後の美しさで輝いてゐました。友と共に見上げた七葉樹には飾燈のやうな美しい花が咲いてゐました。私はまた五六年前の自分を振返る氣持でした。私の眼が自然の美しさに對して開き初めたのも丁度その頃からだと思ひました。電燈の光が透いて見えるその葉うらの色は、私が夜になれば誘惑を感じた娘の家の近くの小公園にもあつたのです。私はその娘の家のぐるりを歩いてはその下のベンチで休むのがきまりになつてゐました。

 (私の美に對する情熱が娘に對する情熱と胎を共にした雙生兒だつたことが確かに信じられる今、私は窃盗に近いこと詐欺に等しいことをまだ年少だつた自分がその末犯したことを、あなたにうちあけて、あとで困るやうなことはないと思ひます。それ等は實に今日まで私の思ひ出を曇らせる雲翳だつたのです。)

 街を走る電車はその晩電車固有の美しさで私の眼に映りました。雨後の空氣のなかに窓を明け放ち、乗客も程よい電車の内部は、暗い路を通つて來た私達の前を、恰も幸福そのものが運ばれて其處にあるのだと思はせるやうな光で照されてゐました。乗つてゐる女の人もたゞ往來からの一瞥で直ちに美しい人達のやうに思へました。何臺もの電車を私達は見送りました。そのなかには美しい西洋人の姿も見えました。友も其晩は快かつたにちがひありません。

 「電車のなかでは顏が見難いが往來からだとかすれちがふときだとかは、可成長い間見てゐられるものだね」と云ひました。なにげなく友の云つた言葉に、私は前の日に無感覺だつたことを美しい實感で思ひ直しました。

 

 

 これはあなたにこの手紙を書かうと思ひ立つた日の出來事です。私は久し振りに手拭をさげて錢湯へ行きました。やはり雨後でした。垣根のきこくがぶんぶん快い匂ひを放つてゐました。

 錢湯のなかで私は時たま一緒になる老人とその孫らしい女の兒とを見かけました。花月園へ連れて行つてやり度いやうな可愛い兒です。その日私は湯槽の上にかゝつてゐるペンキの風景畫を見ながら「温泉のつもりなんだな」といふ小さい發見をして微笑まされました。湯は温泉でそのうへ電氣浴といふ仕掛がしてあります。ひつそりした晝の湯槽には若い衆が二人入つてゐました。私がその中に混つてやゝ温まつた頃その装置がビ…………と働きはじめました。

 「おい動力來たね」と一人の若い衆が云ひました。

 「動力ぢやねえよ」ともう一人が答へました。

 湯を出た私はその女の兒の近くへ座を持つてゆきました。そして身體を洗ひながらときどきその女の兒の顏を見ました。可愛い顏をしてゐました。老人は自分を洗ひ終ると次にはその兒にかゝりました。幼い手つきで使つてゐた石鹸のついた手拭は老人にとりあげられました。老人の顏があちら向きになりましたので私は、自分の方へその子の目を誘ふのを豫期して、ぢつと女の兒の顏を見ました。やがてその子の顏がこちらを向いたので私は微笑みかけました。然し女の兒は笑つて來ません。然し首を洗はれる段になつて、眼を向け難くなつても上眼を使つて私を見ようとします。しまひには「ウ……」と云ひながらも私の作り笑顏に苦しい上眼を張らうとします。そのウ……はなかなか可愛く見えました。

 「サア」突然老人の何も知らない手がその子の首を俯向かせてしまひました。

 しばらくして女の子の首は樂になりました。私はそれを待つてゐたのです。そして今度は滑稽な作り顏をして見せました。そして段々それをひどく歪めてゆきました。

 「おぢいちやん」女の子がたうとう物を云ひました。私の顏を見ながらです。「これどこの人」

 「それやあよそのおつちやん」振向きもせず相變らずせつせと老人はその兒を洗つてゐました。

 珍らしく永い湯の後、私は全く伸々した氣持で湯をあがりました。私は風呂のなかである一つの問題を考へてしまつて氣が輕く晴々してゐました。その問題といふのはかうです。ある友人の腕の皮膚が不健康な皺を持つてゐるのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘したことがありました。すると友人は「死んでやらうと思ふときがときどきあるんだ」と激しく云ひました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出來ないといふのです。それは單なる皺でした。然し私の氣がついたのはそれが一時的の皺ではないことでした。とにかく些細なことでした。然し私はそのときも自分のなにかがつかれたやうな氣がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思つたときがあると思ひました。確かにあつたと思ふのですが思ひ出せないのです。そしてその時は淋しい氣がしました。風呂のなかでふと思ひ出したのはそれです。思ひ出して見れば確かに私にもありました。それは何歳位だつたか覺えませんが、自分の顏の醜いことを知つた頃です。もう一つは家に南京蟲が湧いた時です。家全體が燒いてしまひ度くなるのです。も一つは新らしい筆記帳の使ひはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨てゝしまひ度くなるのです。そんなことを思ひ出した末、私はその年少の友の反省の爲に、大切に使はれよく繕はれた古い器具の奧床しさを折があれば云つて見度いと思ひました。ひびへ漆を入れた茶器を現に二人が讚めたことがあつたのです。

 紅潮した身體には細い血管までがうつすら膨れあがつてゐました。雨腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顏を先程したやうにおどけた表情で歪ませて見ました。

 Hysterica Passio ――さう云つて私はたうとう笑ひ出しました。

 一年中で私の最もいやな時期ももう過ぎようとしてゐます。思ひ出して見れば、どうにも心の動きがつかなかつたやうな日が多かつたなかにも、南葵文庫の庭で忍冬の高い香を知つたやうなときもあります。靈南坂で鐵道草の香から夏を越した秋がもう間近に來てゐるのだと思つたやうな晩もあります。妄想で自らを卑屈にすることなく、戰ふべき相手とこそ戰ひ度い、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願ふ私の氣持をお傳へしたく此の筆をとりました。

 

 

 

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