「すわてのメモ」ページ

http://homepage3.nifty.com/p_swkt/

私の読んだマンガ単行本 新刊

2002/11/09 『エイケン』7 松山せいじ(秋田書店、少年チャンピオンコミックス 2002.11.10)

顧問たんと小萌ちゃんが表紙の 7巻。この二人、すっかりペアになることが多いね。この巻では、梅雨の話で、二人で長靴はいてはしゃいでいるのが微笑ましかった。今年、春から夏にかけてのエピソード、最初の方は、大阪の女の子、美八留のエピソードの続き。後半は、先生の婚約者と称して、伝助が博多へ行く話。先生のお母さん、さばけ過ぎというかオープン過ぎないか(笑)。『エイケン』では、毎度のドタバタな騒ぎも楽しいのだが、私がこの作品を気に入った原点というと、やはり、少年少女の(フォークダンスで手をつなぐことさえ嫌がるような時期の)異性への思いの気恥ずかしさのようなものを、プラトニックな部分からボイーンでプリーンな部分までにわたって思い出させてくれるような、そういう感触がこのマンガにあるということも大きい。そういう感触については、梅雨の前の部室の大掃除、土手のようなところで伝助と東雲さんがつかの間、二人だけで休憩する場面、そこでやっとのこと二人で海へ行く約束をするシーン、そして次週、雨漏り直しの話で、東雲さんがその海へ行くときに弁当を作りたいから伝助に食べたいおかずを聞くシーンは非常に私のセンチメント(=感受性?)に訴える度合いが強かった。しかし、このマンガに登場する女の子、前巻の感想に書いたように、みんないい娘(こ)であって、伝助の見舞いで暴走する百合子も可愛いし、グレース=鈴との下町(映画『男はつらいよ』シリーズにおける、いわゆる下町、本来の下町である日本橋あたりとは異なる)デートも楽しいエピソード(夕日の逆光での鈴の正面の顔にちょっと違和感があるなあとは思うのだが)だった。おまけで母の作ったグスタヴI を紹介する自慢気な京子もカワイイ。

 

2002/11/02 『あさりちゃん』69 室山まゆみ(小学館、てんとう虫コミックス 2002.9.25)

なんと、ラストの恒例、次の巻もよろしくというマンガで、次は70巻、「読者のみなさまもがんばってついてきてね。」と作者。私は50巻から読み始めたのだが、それがついこないだのようだが、そうすると、この69巻でもう20冊も持っていることになるのか。他にさかのぼって買った40巻台が何冊かあるし。うーむ。うーむといっても、いつもと変わらぬ、あさりちゃんワールド。この巻は、飼い犬のうにょが登場するエピソードがいつもより多いように感じた。今どきなネタとしては、「レアものフィギュアをゲットする方法」、お菓子についてる犬の人形、袋の重さでレアものを当てるために練習するという話。また作者のページによると、表紙に、あさり、タタミ、犬のうにょ以外の人物?が登場するというのは今回のうつぼ校長が初めてなんだそうだ。同じく作者のページで、30歳近いので本屋で「あさりちゃん」をレジに持ってゆくのが恥ずかしいというお便り。それに答えて作者真弓、私も学生時代エッチな本をレジに持ってゆくのが恥ずかしかったって、今やそういう経験を語るのも平気という(笑)(作者と私は同年代のはず)。またもう一人の作者、真理子が冗談で「この年になると、あさりちゃんを描くのに……」。ホント、作者なら何歳になっても、子ども向けマンガを描いていて良くて、読むのは恥ずかしいというのも妙な話だ。この、エッチな本や少年マンガをレジに見せるのが恥ずかしいという話はたまに聞くが、レジの店員ってそんなにいちいち人の買う本のこと、気にしてないよ、たぶん。

 

2002/11/01 『シネマの帝国』2 赤石路代(小学館、プチコミフラワーコミックス 2002.10.20)

沖縄出身で、相手の出すオーラのようなものが見える主人公、玉城(たまぐすく)花王莉(かおり)は、一連のヒロインが凸であるなら、その見るという能力ゆえにか、なんとなく一歩引いた凹の形でシーンを見ているのが面白い(これからまた違ってくるのかもしれないが)。そのシーンでは男たちの映画作りをめぐるさまざまなドラマが展開される。案外に男(今風に書くと「漢」?)のマンガなんだな。大映画会社の屋敷にメイドとして働いていた主人公はその能力で陰から老会長をサポートしていたが、会長の死後、肉体関係まであった長男、青矢は会社を取って花王莉(かおり)を捨て、花王莉(かおり)は次男の陽平とともに自主制作で映画を作り続ける。しかし、青矢はその映画をつぶそうとする兄弟の確執、彼らはもちろん若いのだけど、映画作りだけあって、いろんな年代の人間たちがかかわりあって、分厚いドラマになっている。中年のカメラマン、花王莉たちに好意的な大広告代理店の男、大会社なんて嫌いだというミニ・シアターのオーナーとか、ありきたりの表現ですが、いい味出してます。各話に映画の題名がタイトルとしてつけられていて、「太陽がいっぱい」、この映画、淀川長治が吉行淳之介との対談で語っていたが、映画の文法によると、映画中のアラン・ドロンの役柄ははっきりとホモセクシュアルだ分かるんだそうだ。そのアラン・ドロン『太陽がいっぱい』についての作者のコメントで、はじめて一人で観に行った映画がアラン・ドロンの『ブーメランのように』、ああ、あったなあ、懐かしく思った。私は映画マニアにはほど遠いが、ある時期、一人でいろいろと名画座などに映画を見に行った者としては、そういう映画館で映画を楽しむという行為をちゃんと知っている作者の描くこのシリーズを楽しみにしている。

 

2002/08/29 『エイケン』6 松山せいじ(秋田書店、少年チャンピオンコミックス 2002.8.25)

エイケン部総帥、霧香姐御が単体でどーんと表紙を飾っている、6巻。伝助は美八留や百合子とまたまたいろいろあってという展開の一方で、単発的エピソードで、伝助が顧問たんの代わりに小萌のおばあちゃんの掃除の手伝いに行く話がとてもなごんでいい。もちろん、『エイケン』ならではの、すさまじすぎて笑うしかないお色気シーン、プールのすべり台だゲームセンターだ身体検査だといろいろあり。プールのすべり台というと、諸岡京子が一人で楽しくすべっていた、ささやかなエピソードも捨てがたい。伝助の妹、このはちゃんもついにその姿を見せる。これまた独特のキャラクターで楽しい。また、伝助がたびたび女装させられるというエピソードが彼女の登場に生かされていたのに納得した。このマンガ、ビートルズの初期のアルバム“BEATLES FOR SALE”中の曲名'EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY'、邦題は「みんないい娘」。

 

2002/08/20 『AMAKUSA1637』 3 赤石路代(小学館、PFフラワーコミックス 2002.6.20)

天草の乱の前夜にタイムスリップしてしまった主人公で剣の達人の夏月たち高校生たちだが、微妙にタイムスリップした時期が違うというのがこのストーリーのポイントだが、ゲイの八塚はすでに生き延びるために、殿の寵愛を受けて城代になり、キリシタンを何十人も殺している。かつての級友が、再会したときは、違う時代とはいえ何十人もの人を殺しているというのも相当特異な体験だが、そういう八塚を夏月、癒す癒す。んでもって、SFでタイムトラヴェルとかすると、通常はその時代を変えてはいけないということだが、一揆で3万人殺させはしない、そのためには歴史なんて変えちゃうぜという勢いで突っ走るストーリーがやはり読んでてハイになる痛快さなのだ。

 

2002/08/20 『がんばれ酢めし疑獄!!』3 施川ゆうき(秋田書店、少年チャンピオンコミックス 2002.8.5)

ラムニー君やら「見てやるわ」の、みっこちゃんやら、かなり最近のものまで含むが、一方で渋沢警部やのん子ちゃんなど2巻から引き続き登場のキャラクターも。チーズをネズミの探すチュニック君は、そういや、チーズがなんとかって本が売れたんだなあ、その頃。やたらに照れるアサミンという女の子もいるが、今みたら「アサシン」(暗殺者)って題の4コマもあった。のん子ちゃんのツッコミがやはり面白いのだが、この醒めた思考を繰り広げる彼女にもかかわらす4コマ目は、やっぱり愛がなくちゃ生きていけないってことか。

 

2002/08/03 『脳みそプルン!』7 川口憲吾(講談社、少年マガジン・コミックス 2002.2.15)

2月に出たのだが、買うのをすっかり忘れていて、こないだ買って読んだ。かように自分の中で、一見重要でない位置のマンガのようであるが、これがそう思って本でじっくり読み返してみると、しっかり面白いんだなあ。地に足がついてるギャグというか。ギャグ、笑いというのは不確定な要素が強いものだが、確かにこりゃ可笑しいというような展開をさせる。7巻は昨年の春から秋あたりの連載分。野球チーム東京ウルトラ超人ズとか3年B組C組先生などが活躍。3年B組C組先生のネタは数は少ないんだけど、私は好きだったな。7巻の特徴というと、他には前巻から続いて結構下ネタをやるようになったこと、それから4コママンガはいよいよ少なくなって、ほとんど1ページから2ページのショートギャグ中心。こないだ亡くなった作曲家、山本直純の1960年代末にやってた森永チョコレートのコマーシャル「大きいことはいいことだ」じゃないが、笑えることはいいことだ。

 

2002/08/01 『少女少年Y -MINORI-』やぶうち優(小学館、てんとう虫コミックススペシャル 2002.5.25)

このシリーズも5作目。1年かけて小学館の学習雑誌に連載されているわけだけど、本にすると1冊。しかし、1冊分でもそこに、やぶうち優には一見淡々とした絵の中に表現されているあふれる感情というものがあり、それをさっさと読んでしまうというのは、もったいないことをしてるなと思って反省する。可愛い男の子が、いろいろな事情から、女の子として芸能界にデビューするという設定のシリーズ、今回は稔という男の子が主人公。クラスメートの芸能一家の茜といっしょにデュエットでデビューする。茜は美人女優である姉、忍にコンプレックスを持ってるのだが、父親に強引に芸能活動を始めさせられる。どうも父との関係がうまくいってない。一方、稔の方も両親が離婚の協議中で、父の家と母の家を一週間ごとに行ったり来たりしている。稔の両親の登場する場面はそう多くはないが、親子の心が通じてないということを表すためにか、両親の顔が全然描かれてない、のっぺらぼうなのがちょっと読んでて怖かった。しかし、いつもいつも少年少女たちは、少女少年たちは1年を通して成長してゆくのである。

 

2002/07/27 『浦安鉄筋家族』31 浜岡賢次(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.6.1)

現在、リニューアルして小鉄たちの学年が一つあがった『元祖・浦安鉄筋家族』が連載されている浜岡賢次の『浦安鉄筋家族』としての最後の巻。この本には、リニューアルは1年半ほど前から考えていたと書いてあるが、確かに、その頃からなにか動きがあっていいような感じは絶えず読んでいて、していた。しかし、まさか『元祖・浦安鉄筋家族』になるとは思わなかった(笑)。さて、毎回書いてるかも知れないが、単行本で『浦安鉄筋家族』を読む楽しみは巻末に載っている作者自らの作品評を読んで、自分の感想と照らし合わせるというのがある。同感であったり、逆に作者の評と私の感想がまったく違っていたりするのだが、今回も作者は後半、リニューアルが決まってからイマイチというのだが、私は後半の方が面白い。『浦安鉄筋家族』としての最終回は、ちゃんと最初から読んでいる読者のためのサーヴィスといえる話で、連載が進んでゆくにつれて、当初登場していたキャラクターがいつの間にかいなくなるのは、ギャグマンガの連載としてはよくあるが、それをこういう風にネタにするというのが、浜岡賢次らしい。最初は小鉄もボウズ頭じゃなかったし(私はその方が好きだった)……しかし、あっという間の31巻だったなあ。

 

02/07/09『あさりちゃん』68 室山まゆみ(小学館、てんとう虫コミックス 2002.5.25)

「タタミちゃん」がなくなったので、レギュラーの「あさりちゃん」以外は巻末に番外編「ハイスクールあさりちゃん」があるだけのすっきりした構成になった。今までになかったことろ、掲載、今までは単に小学館の学習雑誌に掲載とあったのが、奥付ページに、えらく詳しく、“小学×年生”何月号から何月号といった調子で記載されていた。連載担当者や単行本編集者の名前までちゃんと明記している。これからは小学館の単行本はこういうふうになるのか?内容は適度に面白おかしくて、格別とりたてて言うほどのことはないのだが、そもそも私が『あさりちゃん』を読み出したのは、そういう風に気軽に読みたいなあという動機で読み出したので、これでいいのである。あさりちゃんは漫画を描くのが得意なので、友だちの誕生日に自分の描いたストーリーマンガをプレゼントするという話で、そのマンガの中の、あさりが美少女でモテモテというのが可笑しかった。それから最後の「ハイスクールあさりちゃん」の前にある、月が落下してきて人類絶滅、地獄の閻魔大王が仕事が増えて大変、一方あさりは背負っているリュックが重い方がいいのだと他人のリュックをかっぱらうという、あさりちゃん、地獄でも大暴れという話がちょっと異色。たまに童話物みたいなのがあるけど、そういう類い。「作者のぺえじ」で、自転車に乗りながら、生のニンジンをかじってる若者を見て驚いたというのが可笑しかった。確かにめったに見るような光景ではない。

 

02/07/07『キキララ火山』かわかみじゅんこ(飛鳥新社、2001.11.28)

この本も、先に感想文を書いた黒鉄ヒロシの本と同じ頃出ていて、買ったのは少し遅かったのだけど、それでも出てからぐずぐずしてたら、半年過ぎてしまった。収録作品、10編のうち、3編が1996年〜97年にかけての、古い作品で、あとの7編は2000年に発表されたもので、そのうち、1編が“マンガ・エロティックス・F”に載ったもの、残りは“キューティ・コミック”に掲載されたもので、“キューティ・コミック”は毎月買ってたので、それらは全部読んでる……はずなんですが、案外きちんと読んでないのだ。そして、今回また本で読み返そうと、そして未読の作品を読もうとしても、若くて鋭くてカッコいい、かわかみじゅんこの世界に、この40歳過ぎた男である私は、なかなか入ってゆけないんです。悲しい。そもそもがマンガそのものを、私はそんなに読んでるわけでないし、その中でも女性向けの“キューティ・コミック”を毎月買っていたというのは、本当にたまたまと言っていい。朝倉世界一の連載があるし、やまだないとも描いてるし、ネットで(といっても、私がアクセスしてる数少ないマンガ関係サイトで)結構話題になってたし、朝倉世界一の連載が単行本になるところまで行くかどうか微妙だったから、ちょっと買い続けてみました、そんな感じ。そしたら、かわかみじゅんこの短編「グッド・モーニング」を初めて読んで、これは何かある、と思って、それから今に至ると言う次第。そして今日も『キキララ火山』を前にジタバタ。ところで、その表題作「キキララ火山」でララが着てるのって、これも昔のブルーマーだよね。言うことはそれだけか。クラスのやつらなんかP.153〈あいつらみんな小さいおじさんとおばさんだ!!〉。確かにそうだった。

 

02/07/04 『人間区人体町』黒鉄ヒロシ(河出書房新社、2001.11.20)

PHPからの幕末三部作に続く、ハードカヴァーの新作。買ったのは、出てすぐだったのだが、じっくりと時間をかけて読んで、それからなかなか感想を書かずにいたら、半年経ってしまった。題名の通り、肛門から性器、そして狂った頭へとまわってゆく、人体的世界のギャグ連作、病気で意識不明になった男とその恋人と友人を中心にしたストーリーで、ほーっと息を飲んだり、爆笑したり、あまりのバカバカしさに苦笑したり、よく分からなかったり、あまねくナンセンスなギャグ世界を堪能できる。幕末三部作もやはり基本はギャグであって、強いて言うなら唯ギャグ史観とでも言ってしまえばいいか。歴史つうものはなんつうナンセンスだ、みたいな? しかし、歴史ものが続いたので(ふだんの“ビッグコミック”連載も時代劇『赤兵衛』だし)、こういう現代物は新鮮で楽しめた。形がハードカヴァーなだけでなく、内容もそれに相応しく時間をかけて、じっくり読み、また繰り返し読んで楽しむというようなもので、こういうハードカヴァーが本棚に並べば、それで本棚はすぐいっぱいになる、そうしたらもうそれ以上の本は買わずに、並んだ本を繰り返し読んで楽しめばいいのだなあと思う。

 

02/06/20 『エイケン』5 松山せいじ(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.6.25)

こないだオギャアと生まれた『エイケン』も、はや5巻目というから「ためらいもなく時はすぎ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『身も心も』1曲目)。表紙、ちはるの顔アップは一見おとなしいが、ピンクがドギツイ。今回は一口でいうと、「ヌルハチッ」の巻か。ヌルハチとは、満州女真族のリーダーにして、中国の清国の基盤を作った人。そして、温泉で伝助と百合子がヌルハチッ。この擬音はやはり受けたのだろうか、そのあと、『樹海少年ZOO1』で使っていた。それにしても、諸岡京子は不思議な場所に住んでいるなあ。高台に研究所があって、その付属施設、工場みたいなのが岩山の下から上に続いていくつもあるという。連載で読んだときも思ったのだが、これって何か元のネタがあるのだろうか。この回、諸岡京子の可愛さがよくでたいい話だと思った(バレンタインデーのチョコを渡すシーンも良かった)。元ネタがあるのか知りたいのは、この巻ではお茶会に招いた伝助と自分の屋敷内で遭難するというリンリンランランは「恋のインディアン人形」、グレース=鈴の口癖「……ですの」もだ。そしてまた霧香が謎のしとやかぶりを見せたり、先生がお見合いしたりというこの巻、春を告げるかのように新しいキャラ、美八留(みはる)が登場でちはるの家で勉強する話、かじゅくんかわいいなあ。そして、一君を優しく相手する伝助を見守る、ちはる。ああ、嬉し恥ずかし。さまざまに笑え、なごみ、世界は楽しい毎日です、マル。

 

02/06/15 『シネマの帝国』1 赤石路代(小学館、プチコミフラワーコミックス 2002.5.20)

掲載雑誌で言うと『サイレント・アイ』、そしてその前の『P.A.』に続くシリーズということになるのだろうが、今回のヒロイン、玉城(たまぐすく)花王莉(かおり)は、あまり正面から強く存在を主張して、事件にぶつかってゆくような感じのヒロインではない。いきなりのメイド姿に、ついときめいてしまったが(笑)、こういうメイド姿でも不思議はない。日本映画界の大手、北斗グループの総帥、北斗良造の屋敷でメイドとして働いているのだ。そして彼女にはある秘密があった。沖縄の巫女、ユタの瞳を持った左目は、人の持つ隠された面を見抜けるのだ。良造はそれを知っていて、身寄りのない彼女を6歳で引き取っていた。北斗グループを動かしていたのは、彼女の力だったのだ。長男、常に冷静な青矢と彼女は肉体関係を持つようになっていたが、良造の死、そしてその遺言で彼らの大きく運命が変わる。彼女は北斗グループを引き継いだ青矢と別れ、親に頼らずに自主製作映画を作っている、破天荒だが人に好かれる人柄である弟の陽平と結婚することになったのだ。1巻後半では、彼女が陽平とともに、いろいろとわけありだが有能な映画のスタッフを一人ずつ集めてまわる話で、こういうのってやはりちょっとワクワクする。そして花王莉は人を見抜くとともに、人を回りに自然と集めてしまうような人柄でもある。当然ながら、映画の好きな漫画家は多いだろうけど、赤石路代も、ホームページに書かれていたエッセーでは、一人で横浜の日出町の方の名画座まで映画を観に行って足りしたそうで、そういう作家が真正面から映画界を取り上げてどういう話を作ってゆくか、新しいタイプのヒロインがどんな活躍をしてゆくのか、楽しみだ。ちなみに各回のサブタイトルは映画作品の題名が使われている。

 

02/06/02『浦安鉄筋家族』30 浜岡賢次(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.3.20)

30巻は、昨年夏から秋にかけての作品を収録。連載時に読んでいた印象では、すっかり地味になった印象で、それは少年マンガの対決ものに対して言われる「強さのインフレ」ならぬ、ドタバタのスケールのインフレを避けた賢明な選択だと思うのだが、あらためて本で読んでみると、ドタバタながら枯れた境地とでも言うか。小鉄のママ、順子さんが夏休みになって暴れ回ろうとする小鉄の膝を心配する話で、小鉄たちの缶蹴りに成り行きで加わってしまうという、順子さんファンの私としては、いいなあ。もう一つ、順子さんが主役で、不気味な人形、青田君をめぐるドタバタ、この作品など浜岡賢次を堪能できる話だ。中田さんが2話に渡って象の習性を書いた本に言及するエピソードなども楽しい。浜岡賢次の描く、いろんなキャラクターのパロディ(サザエさんとかペコちゃんとかキテレツ大百科とかの一連のヤツね)をみると、悪意は感じられないのに不思議にそのキャラクターの裏に潜む狂気の部分を抽出していて、そこがいいのだが、今回は宮崎駿のアニメ映画、私は観てないのだが『魔女の宅急便』の主人公らしき少女が大暴れする。

 

02/05/02『あさりちゃん』67 室山まゆみ(小学館、てんとう虫コミックス 2002.1.25)

毎度のお楽しみ、『あさりちゃん』今回の今どきな話はテレビの小学生の女の子向けタレント・オーディションにクラス全員で、男子も女子と偽って応募、何人受かるか賭けるというもので、あさりちゃんの友だち吉川ゆかりが今回はストーリー上、案外といたずらっ子な面を見せる。繰り返し、マネしないようにと書いてある話。それから女の子たちで遊園地に遊びに行くが、ドットで統一するという。ところが、あさりちゃんはドットの意味が分からない。最近、良く見る企業webページのURLアドレスから、ドット=点、つまりお弁当は……というのが笑える。ちなみに彼女たちの言うドットの意味は私も最後まで分からなかった。うつぼ校長が校長室に呼びだされた夏休みなので日焼けしたあさりに自慢の寒い駄洒落ギャグを自慢。あさりと校長のダイナミックな喧嘩はいつ見てもいいね。ファンレターの返事をもらうために、姉が最近死んだことにするというのは読者がシャレで送ってきた手紙がヒントになったそうで、これまたマネしないようにという話。「作者のぺえじ」は今回は作者二人が子どもの頃、学校のクラスであだ名や名前の呼び捨てで呼ばれるのが嫌いだったという話で、やはり、ギャグにたずさわる人はこのくらい偏屈なところがないとね。ところで、その話題に関連して、学生時代によく読んでいた作家が、ハインラインとある。それから前回ギャグとして私に受けたジンジャーティーは実はまずいらしく半月で挫折とか。「タタミちゃん」は、幼稚園児あさりも春から一年生ということで、一応今回でおしまいらしい。

 

02/04/09『弥次喜多 in DEEP』7 しりあがり寿(エンターブレイン、ビームコミックス 2002.4.5)

いくつもの物語を経て、6巻の大きな物語を終え、これでみんなが幸せになれるかと思ったら、みんなを幸せにしたいというその気持ちがいつか新たな悲劇を産んでいた。人類というヤツは紀元前の昔から洋の東西を問わず、宇宙の真理に直感で到達するような、そして人々を救うような思想をさまざまにはぐくんできたけど、でも一方では大戦争やら何やらの野蛮な行為を繰り返してきた。素晴らしい思想がいつしか人々を支配する道具に使われたりしてきた。一体人類がもっと高い地点に立つことが出来るのかどうかが21世紀に問われているのではないか。心ある人々はとっくにそういったことに思いを至らせていると思うが。古い少年マンガや現代でも低年齢向けのテレビ番組などでは正義と悪がはっきりしてるが、それに対して白土三平などの劇画は悪い方が強かったりして、ではカムイは善なのか悪なのかというと、それはただ自分の生をまっとうするために、敵対するものは殺していかねばならないのだった。古い少年マンガの正義に対して、青年マンガ、例えばゴルゴ13は善なのか悪なのか、ただ俺のルールあるのみ、さすが青年マンガだねー? 筒井康隆が『夢之木坂分岐点』を書いたとき、夢の中にもぐってそれを描くには、ギャグでも入れないとやってられないと書いてた。しりあがり寿もこの作品で、しっかり作中にギャグを入れ続けている。無意識に通じるナンセンス・ギャグというものを追求する作家であり、マンガ家だからこそ、むしろナンセンスから夢の中に至る道筋をたどる作業に身を投じてしまうのかも知れない。

 

02/04/09『エイケン』4 松山せいじ(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.4.30)

ストーリー展開の必要とはいえ、伝助がなんだか状況説明的なセリフをノー天気に吐くシーンがあって、この巻では例えば、27階目のフィットネス・ジムの話で P.29「たくさんの器具があるなあ」とか、こういう明るいマヌケ具合がなんとも言えず、伝助イイやつ、好きだぜと言いたくなる。このセリフのノー天気具合で思い起こすのは、1980年代後半に川崎徹の演出で掛布選手が出ていた金鳥の一連の蚊取りマットのCM。「明日はオールスターだから早く寝よう」とか「これからは蚊のカッちゃんと呼んでください」とかいうヤツ。さらに思い起こすと、これは加山雄三の一連のヒット曲、「君といつまでも」などのセリフの部分に通じるものがあるのではないかと思ったら、お正月の話で伝助が P.153「ぼかぁ幸せだなあ」なんて言っていたんだね。単行本で読み直して感じたのは、伝助と東雲ちはるが後半でいい感じになるという展開の話で、その部分に思った以上にページ数が割かれてるんだなあということ。こういうときの二人の、日本のずっと昔、親の決めた通りに見合いして、その相手とロクに顔も見ずに結婚して、初夜が明けて始めて相手の顔をちゃんと見た、なんて話があるじゃないですか。そういう時代に生きてるみたいな二人の嬉し恥ずかしな感じがなんともいえずいいなと思う。その一方、新たに、ちはるの妹、百合子を加えた女の子たちが様々に楽しませ、面白がらせてくれる。伝助が作中で繰り返し体験してくれてるが、女の子(顧問たんは「子」じゃないけど)って、おっぱいやらおしりやら、柔らかくてホントいいよね。性に関して様々なタブーが強かった時代そのものの、性的なものを抑圧しきった、「ほのぼの」というのが今も生き永らえている。一方、野郎たちの性欲ギラギラなものはほっといても存在しているが、そうでなくて、性を抑圧するんじゃない、でもなごやか、やすらぐっていう世界があってもいいのではないか。成年マンガでは加賀美ふみをあたりがそういう世界を描いているが、『エイケン』も私から見るとそういう世界の一つではないかと思う。

 

02/03/26『CROSS』1 群りゅうせい(少年画報社、YCコミックス 2002.3.1)

意図したわけではないのだけど、成年マンガ、GUN名義『放課後ぷれい』のすぐあとの感想文となった。『放課後ぷれい』は雑誌連載時にしっかり読んでいたのだが、そのせいかかえって単行本の感想を書くのが遅れた。逆にこちらは案外と早く読めたのだ。出来すぎた主人公の男の子が女の子食い放題という、ヤング誌に相応しい内容だが、ややこしいのは単行本がヤングコミックのシリーズで出ているということは“ヤングコミック”に連載されているらしいのだが、ところがこの“ヤングコミック”は名前はヤングでも、1980年代になって大手の男性向けマンガ雑誌出版社が少年誌と青年誌の中間の層向けにヤングを冠した雑誌の一つではない。“漫画アクション”や“ビッグコミック”などと並ぶ60年代からの青年誌の老舗なのだ(望月三起也のマッド・ドッグ・シリーズが載ったのもこの雑誌)。さて、この『CROSS』、女性器の部分が真っ白に消されているということをのぞくと、かなりストレートにポルノである。エッチ大好きだが、成年向け雑誌は買えない層の需要を十分に満たしている。しかし、形而下的にポルノであるだけではない。「同時多発型恋愛」と称して、海外に両親が出張、一人で豪華なマンションの一室に住む美形の少年が三人の女性たちと同時に関係してゆく。ちょっとした光源氏的状態。その関係発展の流れの細やかなところ、かつ絵、ストーリーから余計なものを大胆に省いたところが、形而上的に?もしくは精神性が正統的なポルノグラフィーだなあと感じる。主人公が料理を作ったりするのもいい。先生と親しくなるきっかけが、登校拒否の同級生の訪問についていったからという回想シーンは、このストーリーには似合わない、ちょっととってつけたような感じもあった。逆に、その先生が主人公と関係を持った後、淫行しちゃったと言うところとかはいいエピソードだなあと思った。

 

02/03/07『おやつ』5 おおひなたごう(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.2.28)

『おやつ』最終巻。 この巻で印象に残るのは、やはり、ミナミの鬼が吠えたーっ、とか、キムタクにクリソツな男だー、とか、相変わらず可笑しい読者の考えたオリキャラ、ニセモンブランの絶妙なヘタれ加減、そして同じオリキャラの毒バラにモンブラン暗殺を依頼しておきながら、自分はトラックの内輪差に巻き込まれてひっそりと息を引き取っていた。『がんばれ酢めし疑獄!!』施川ゆうき先生をおやつ君が直撃取材、あまたの施川ゆうき先生、どっかで見たようなマンガの顔が続々と登場するのが圧巻。おやつ君に弟が誕生。最初にしゃべる言葉は「あんたら、まともじゃねえ」にしよう夢をふくらます、おやつ君とパパ。そうそう、モンブランとシャドーが合体してシャモン、それがおやつとゼリーの陰謀により足と胴だけのエックスとなる、それをあれって何と問い詰めたビスコちゃんにミナミの鬼がブチ切れたのだった。ビスコちゃんと言えば、送りバントで送られて帰宅するビスコちゃんが滑り込むポーズが色っぽい。ビスコちゃんをはじめとして、おおひなたごうが描く女の子の可愛さは私の思い出の中の藤子キャラの可愛さを抽出したような可愛さだと思う。題名のように軽いタッチのスマートなギャグ、楽しく毎週読んでいるうちに5巻ということは、ページ数が短いから、思えば結構続いたね。最初の頃って、まだ『覚悟のススメ』の終わりの方じゃなかったっけ。『悟空道』と同じ頃に連載が始まったんだっけね、調べれば分かるのだけど。最初の頃思い出すのは、真ん中に立つ男、真中さんとか。試行錯誤というか、今とは少し感触が違った。そして3巻の頃だっけ、オリキャラ大活躍、描き損じのバツがついたままの教頭とか、南こうせつとかが運動会でおやつ君チームと対戦するとか、あれは笑ったなあ、などという、いろいろな思い出を残しながら、おやつ君ともお別れの時期が来ました。でも思い出の中で何度でも会えるのです。そうそう、5巻で書いておきたいのは、猫目のイラスト屋さん、“チャンピオン”読者欄に投稿、やらせなしというイヴェント、単行本ではその舞台裏が明かされているのだが、マンガを読んでいるときは、猫目のイラスト屋さん=おおひなたごうだろうというのを前提としながら、独立したキャラクターとして猫目のイラスト屋さんがマンガの中に存在しているのだろうと思っていたので、あらためて猫目のイラスト屋さん=おおひなたごうと明記されるのがちょっと不思議な感じがした。

 

02/03/07『デザート・ストーム』 赤石路代(小学館、プチコミ・フラワーコミックス 2002.12.20)

『AMAKUSA1637』の2巻と同時に発売されたこの本は三編の短編が収録されている。表題作である「デザート・ストーム」は『P.A.』に続いて“プチ・コミック”に連載され、先だって完結したシリーズ『サイレント・アイ』の番外編。『サイレント・アイ』は、内戦下のロシア周辺国、チェチェン共和国に取材に行って行方不明になった恋人、九島大樹(だいき)の残したニコンのカメラを持ち、カメラマンとして活躍するヒロインが様々な事件を解決するシリーズ。この番外編はチェチェン共和国の恋人が主人公である。本編のストーリーをばらすことになるから、あんまりストーリーは書かない方がいいのだろう。権力者の欲望の犠牲になるのはいつの時代も一般の人々や最前線に送り込まれる兵士であるということですね。二編目の「野薔薇の庭」、これは『サイレント・アイ』と同時期に“少女コミックCheese!”という雑誌に連載された長編『永遠かもしれない』の番外編、『永遠かもしれない』は神秘的なパワーをさずかった少女が、日本を陰で支える「日巫女」の百代目として現代日本に災厄をもたらそうとする神々と戦うストーリー、「野薔薇の庭」はその副主人公の一人でワルっぽい魅力の美少年、天狼が登場するが、主人公はまだ少女みたいに見える庭師の女の子。人とは違う能力があることを悟った主人公が、彼女に恋を告白しようとする紳士の青年より天狼と行動をともにする。この感想を書くのがきっかけで、今『永遠かもしれない』を読み返している。これは8巻まで、結構続いた長編なのだ。ふだんは可愛い女の子が愛する人を守るために強くなる、というシチュエーションがいいのだ。最後の「いつか黄昏に出会う」は転生を扱ったホラー。自分が殺される夢を繰り返し見る少年が、高校生になってホテルの宴会場でアルバイト、ウエディング・ドレスの試着をしている夢の中の少女に出会う。そのフィアンセは夢で自分を何度も殺した男だった……。単行本収録に際して気に入らないラストを描き直したそうなのだが、その描き直したラスト、夢の中のように黄昏の野原に少女がたたずんでいるというラストが良くのみこめないのだった。

 

02/02/24『鎌倉ものがたり』(文庫版)8 西岸良平(双葉社、双葉文庫 2001.12.15)

毎度おなじみ、ほのぼのなようで、あんがいおどろおどろしかったり陰惨だったりする話もある、でも亜紀子さんはかわいいなあという『鎌倉ものがたり』の文庫版の新刊。この文庫版で4巻にあたるあたりからは、毎回“漫画アクション”に連載されているのをリアルタイムで読んでいるので、わざわざ単行本までは買わないつもりだった。それを文庫版で出始めたのをきっかけに買いだしたのは、実はその雑誌で読んでいる話で、是非もう一度読みたい話があるのだ。タイトルは不明、だいだい1990年代の中頃に載った話だというあたりしか覚えていない。もうその話が出てきてもいい頃なのだが。電車の地獄の駅に行くという場面がある話で、似たような話はときどきあるのだが……。何かの記憶違い、思い違いだろうか。思い違いというと、こうして文庫で再読してみると、雑誌で読んでいるときは大体あわただしく読んでいることが多いのだなあ。よく覚えている話もあれば、こんな話あったかな、ほとんど初めて読むような感じがする話もあるのだ。今回は一色先生の隠し子が……なんて話は一見面白いが、しかし、これも実は悲しい出来事なんだよねえ。SFファンタジー的な話では、一色先生たちが子どもの頃、捨て犬を育てた記憶があるが、その記憶が友人それぞれで異なっているという。この話に登場する三つ目の宇宙人のやさしそうな表情。子どもを守る五月人形の金太郎が誘拐された男の子を助けに、誘拐犯たちのところまで鯉のぼりに乗って飛んでゆくという場面もユーモラスかつあざやかだった。そんなこんなで、もうしばらくこの文庫シリーズ、読み続けるつもりだ。

 

02/02/12『エイケン』3 松山せいじ(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.2.15)

美少女たちが可愛い愉快マンガ。バレーボール大会や学園祭の話がある昨年秋の連載部分。小萌、京子、鈴、そして霧香それぞれが活躍する話があって、エイケンの世界が一歩深まった印象。一方では伝助の恋敵が登場、ちはるを巡って伝助と競い合うが、この結末のなんだか訳分からないような決着のつけかたが、いかにもエイケンらしい。そう、エイケンらしいというと、やはり、このなんだか分からないようなところじゃないかなと私が言うまでもないか。世の中だんだん自由になってるはずのに、なんだかそのくせ窮屈になってるんじゃないかという現代においてホッとするようなゆるさがあるのが、この42歳のオッサンである“少年チャンピオン”読者(特に毎週ちゃんと買って読んでいるというのはこの7年ほど)の私の心をとらえたところだろう。ホッとするようなゆるさというと、伝助のダメダメぶり、この3巻で改めて印象づけられる。恋敵とのいくつかの勝負に加え、文化祭の話では美術の才能もないことが分かる。霧香には毎度もてあそばれ、20話では女装、ブルマーまではかされてしまうという。身体を張ってダメダメしてくれてる。ナイスガイ、伝助。さて、ネットでは年齢や性別、はっきりと自分で言わないと全然分からないというところがあるのだが、この手のマンガやアイドルの話をすると、ニフティの「パソコン通信」時代に経験あるのだけど、二十歳くらいの人に馴れ馴れしくタメ口きかれたりして、そうすると人間が出来てない私は内心ムッとするので、一応他人に読まれる可能性のある、こういう文章で、こうしてはっきりと年齢を表明しておくのだ。いや、年齢性別のいかんを問わず、あまり親しくない相手に馴れ馴れしい口のききかたはしないのが一般的なマナーですが。そういうオッサン的立場からいうと、エイケン的エッチさというのは、まあ、いいんじゃない、こういうのって、いつも少年マンガにあって、くらいなもんで。

 

02/02/09『家族のオキテ』3 沖田龍児(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 2002.2.10)

完結3巻まで読んで思うことは、やはり、連載終了のときと同じく、ちゃんと完結して良かったなあということ。3巻では、秋葉原を舞台にした美少女ゲームマニアの佐藤のエピソードなど、なかなかこういう角度から描かれることはないのでは、また、一見普通の少年、純平のエピソードしかり、彼らのエピソードまできちんと描かれたことが良かったと思う。 映画で言うと、最近は(確か小林信彦が言ってたと思うけど)金をかけて作って宣伝も大々的に行う超大作かそうでなければ、ミニシアターの単館で封切られるような芸術っぽいまたはサブカルチャーっぽい映画ばかりで、普通にいい映画というのがなかなかない。このマンガ、映画で言うと普通にいい映画なのだな(映画が好きなマンガ家は多いと思うけど、沖田龍児はこの3巻の作者紹介的なページには映画のマイベスト10をあげていて、かなりの映画好きらしい)。マンガ、ネットがなかった頃は活字、本や雑誌でマンガについて語られるというと、なんだか語られやすいマンガが決まっているような印象があった。最近はネットではネットで、やはり話題になりやすいマンガとそうでないマンガがある。このマンガなどなかなか話題になりにくいようなマンガだろうと思うので、そもそも単行本まで買って読むつもりではなかったのだが、せめてこの自分のページにだけは感想を書き留めておきたいという気になる。マンガというジャンルの層を厚くしているのは、こういうマンガだと思う。このマンガを読んで例えば自分の悩みがすぐにどうこうなるというわけではもちろんないが、雑誌で読んでいたときに書いたことを繰り返して書くと、いい物語を読むということはいいことなんだろうと思う。小説でいうと筒井康隆がジュブナイルという枠組みで『私のグランパ』という小説を最近書いたが、それって、普通にいい物語がやはり求められているということなんじゃないかな。この『家族のオキテ』、1巻2巻とそれぞれに印象に残るセリフがあったが、3巻では深町美子の、深町家の子どもはみんなが希望の星だというセリフがいいと思った。深町美子がそもそもなぜ保護司となったのか、刑事である夫が亡くなって……ということは遠回しに語られているが、はっきりとは最後まで分からない。しかし、このマンガにとっては、そこらへんまではっきりと描かない程度で終わったことがまた良かったのではと思う。

 

02/02/07『AMAKUSA1637』 2 赤石路代(小学館、PFフラワーコミックス 2002.12.20)

現代の高校生たちが17世紀、天草の乱前夜の九州にタイムスリップしているのだが、皆が同じ場所、時間についたわけでなくて、ズレが生じているところがストーリーのポイントになっている。そして、このグループの中で、主人公、夏月の剣道の好敵手であり、ゆくゆくはカップルになりそうな相手、宮本政希は、現代の記憶を失い、宮本武蔵として生きている。ゲイではないかと自分でも思っていたが、唯一好きになれる相手が夏月という八塚は、キリシタンを見つけては処刑する役目の城代となっている。夏月とすぐに再会出来た記憶力抜群の秀才少女、英理は夏月に憧れている。そして長崎にはさらに……。こう書くと、とんでもないストーリーみたいだが、そう、とんでもないですね。私が読み始めてから、1990年代以降の赤石路代の作品の、そのうちの半分くらいは主人公が特殊な能力を身につけて活躍、というSFまたはホラーアクションみたいなものだけど、このように丸ごと、別世界へ行ってしまうというのは初めて、荒唐無稽さは一番だろう。1巻の感想で、蛮勇と書いたと思うけど、こういうとんでもないストーリーを着実に進めてゆける作者のヴェテランのエンターテイナーの技量、読んでるとハイになる。デビュー当時から描きたかった話だと1巻の作者の言葉に書かれているが、やはり、作者自身が言うように、今まで温めてきて結果的に良かったのではないかと思う。愛する人を守るために戦うヒロインというのは繰り返し描かれているんだけど、さらにそのヒロインの守りたいものの視野が広まるのは、ある程度の作者の成熟が必要だったのではないかと思う。ところで読み返してみて、タイムスリップする直前の修学旅行の船上、剣の白鳳流の家を継ぐのは、抜群の剣の腕を持つ夏月でなく自殺未遂を起した夏月の兄というのは(夏月はアメリカの大学に入学して、卒業したら国連職員を目指している)何かの伏線なのだろうか。2巻のストーリーは夏月と宮本との再会を軸として描かれる。(2002/02/09 追記、「蛮勇」というのは、『市長 遠山京香』1 の感想に書いたことでした。)

 

02/01/15『Refrain −リフレイン−』3 中島史雄(集英社、ヤングジャンプコミックスBJ 2001.11.24 )

2巻、キリカと高間のイギリスでの馴れ初めから現在に戻って、仁の義母が倒れたりした後、再び過去へ。3巻は仁(ひとし=ジン)の大学時代、キリカとの出会いと過去のドラマの続き。仁がバーテンのアルバイトで生活費を稼いでいた苦学生だったというのも少し意外だが、現代風の苦学生といおうか、かえって普通の学生よりお金を持っていたりするし、それだけ生活がアクティヴなので、テニスサークルでしっかり女の子と遊んでたりする。そのサークルで知りあった訳あり少女がキリカだったというわけなのだが、途中でスキモノの先輩女子大生が仁にちょっかいを出してきたりと、なかなか話は素直には進められない。そして苦学生ゆえに安定と平穏な幸せを求めたはずが、仁の現代の泥沼なわけなのです。語り語られ語られる物語、じわーっと悪夢がじっくり読めばじわーっと面白い。

 


[PR]今週のあなたの運勢は?:精霊が無料診断