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地域社会論2000年度前期レポート
長野県小県郡真田町に於ける変化と
その地域特性
F99180 山岸 周作
T概要
真田町は、明治7年に洗馬、曲尾、入軽井沢の各村が合併して傍陽村に、同年上原、中原、下原の各村が合併して本原村に、明治9年には大日向、横沢、真田、横尾の各村が合併して長村となり、この三ヶ村が昭和33年10月に合併して現在の真田町が誕生した(図1参照)。
図1沿革(真田町ホームページより転載)
図2位置
地勢的には、上田市の北東部に位置し(図2参照)、三方を烏帽子岳・根子岳・四阿山・太郎山に囲まれた扇状地となっており、菅平高原の四阿山2,333mを頂点とし、標高約640m前後の本原地域の平坦面までかなりの高低差がある。地形的分類に分けると、@菅平高原一帯A神川流域の長地域B傍陽川と洗馬川に沿った傍陽地域C大沢川が形成した洗浄地上の本原地域とに分類することができる。面積は、東西約19,6q、南北約17,2qの181,90ku(県内120市町村中21位)である。また町の80%以上を森林資源が占めている。ちなみに町の東北部は上信越高原国立公園となっている。また真田町は、歴史と関わりが深い町として広く知られており、日本武尊や坂上田村麻呂、白山此姫の伝説にはじまり、中近世においては真田一族の発祥の地として有名であり、お屋敷跡や真田本城跡など、真田氏ゆかりの遺跡も数多く点在している。
U人口動態等
次に、人口及び世帯数並びに一世帯当り人口及び人口密度の推移を見てみよう。(表1参照)
表1人口等の推移:単位=人・戸:下段=増減率
| |
1950 |
1955 |
1960 |
1965 |
1970 |
1975 |
1980 |
1985 |
1990 |
1995 |
95/50 |
人口
|
14024
― |
13274
▲5.3 |
12447
▲6.2 |
11406
▲8.4 |
10630
▲6.8 |
10321
▲2.9 |
10449
1.2 |
10642
1.8 |
10821
1.7 |
11339
4.8 |
▲2685
▲19.1 |
世帯数
|
2688
― |
2620
▲2.5 |
2606
▲0.5 |
2584
▲0.8 |
2559
▲1.0 |
2610
2.0 |
2687
3.0 |
2769
3.1 |
2871
3.7 |
3146
9.6 |
458
17.0 |
1世帯当り
人口 |
5.3
― |
5.1
― |
4.8
― |
4.4
― |
4.2
― |
4.0
― |
3.9
― |
3.8
― |
3.8
― |
3.6
― |
▲1.7
― |
人口密度
(1ku当り) |
―
― |
―
― |
68.5
― |
62.8
― |
58.5
― |
56.8
― |
57.5
― |
58.5
― |
59.5
― |
62.3
― |
|
真田町の人口は、この表を見て分かる通り、1950年からいや実はその三年前1947(昭和22)年から減少し続け、1970年にはついに11000人台を割った。しかし、五年後の1975年の10321人をピークにその減少はストップし、1980年からは緩やかなながら上昇をみせ、1995年には11000人台を回復、本年8月1日現在では11818人にまで回復してきている。また世帯数は、1950年から1970年まで緩やかな減少を続けたが、1975年からは上昇傾向にあり、1990年から1995年までの間では、団地の造成等の要因も重なり、9.6%という大幅な上昇に転じた、現在(H12年8月1日調べ)3602戸と手元に資料がある内もっとも古い記録、大正9年10月1日調べからの、最大値を記録している。その一方一世帯当り人口は年々わずかながら減少を続けており、平成7年10月1日現在の、全世帯中単独世帯が占める割合は10%となっていて、長野県全体120市町村中112位と、各世帯に於ける核家族化が一層進展していることがうかがえる。
真田町内の人口動態の内容を細かく見てみると、男女別内訳は、大正9年は、男性5264人、女性5127人とわずかながらも男性が上回っていたのであるが、戦争の影響からであろうか、昭和15年には、男性5625人、女性5789人と逆転をみせ、現在では、男性5847人、女性5971人となっており、戦中・戦後とその流れは変わっていない。年齢別人口(平成11年10月1日現在)によると、0〜14歳が1911人、15〜64歳が7052人、65歳以上が2648人となっており、高齢化率は22.8%、長野県全体の高齢化率21.0%よりも1,8ポイント増となっている。そのほかのデータとしては、平成10年度の厚生省資料として、一年間の出生数が94人、死亡数が112人、婚姻件数が40件、離婚件数が14件となっている。
次に産業別人口動態等を見てみたいと思うのであるが、その前に真田町の地目別構成比(平成3年1月1日現在)を見ておこう。それによると、地目別面積、宅地2594ku、田3566ku・地目別構成比、宅地4.27%、田5.87%、畑17.67%、山林36.80%、その他35.38%、とその大半が山林である。それをふまえて産業別人口を見てみよう。
表2産業別人口動態(単位:人:下段は増減率)
| |
1965 |
1975 |
1985 |
1995 |
95/65 |
第一次産業
|
3851
― |
2328
▲39,5 |
1624
▲30,2 |
1326
▲18,3 |
▲2525
▲65,7 |
第二次産業
|
1266
― |
1778
47,8 |
2133
20,0 |
2072
▲2,9 |
806
69,0 |
第三次産業
|
1477
― |
1808
22,4 |
2204
21,9 |
2711
23,0 |
1234
83,5 |
計
|
6594
― |
5914
▲10,3 |
5961
0,8 |
6112
2,5 |
▲482
▲7,3 |
表3産業(大分類)別15歳以上就業者数(平成7年10月1日現在)単位:人
| |
総数 |
農業 |
林業 |
漁業 |
鉱業 |
建設業 |
製造業 |
| 真田町 |
6112 |
1304 |
22 |
― |
7 |
510 |
1555 |
電気
ガス
熱供給
水道業 |
運輸
通信業
|
卸売
小売業
飲食業
|
金融
保険業
|
不動産業
|
サービス業
|
公務
(他に分類されないもの) |
分類不能の産業
|
| 22 |
234 |
868 |
83 |
24 |
1315 |
165 |
3 |
『水は低きに流れ、人は高きに集まる。世界各国の近経済史は、一次産業人口の二次、三次産業への流出、つまり、人口や産業の都市集中を通じて、国民総生産の拡大と国民所得の増加が達成されてきたことを示している。農村から都市へ、高い所得と便利な暮らしを求める人びとの流れは、今日の近代文明を築き上げる原動力となってきた。日本もその例外ではない。明治から百年あまりのあいだ、わが国は工業化と都市化の高まりに比例して力強く発展した。』
これは私が尊敬する、故田中角栄元総理が昭和47年に発表された『日本列島改造論』の出だしの一文である。少し見づらくなってしまったが、表2,表3を見ると、この一文を思い出さずに入られない。この小さな山あいの町に於いても、第一次産業から、二次・三次産業への人口の流出は顕著に現れている。特に第一次産業の増減率は−65,7%と、1965年の半分以下になったのに対して、第三次産業は、83,5%の伸びとなった。1965年には産業別就業人口の58,4%を占めていた一次産業が、1995年には21,7%となり、真田町の産業の様相は大きく変化した。殊に農家数の減少は、目を見張るほどのものであった(図3参照)。
図3真田町に於ける農家数の推移(真田町ホ−ムページより転載)
真田町は、古くから、農業を中心に発展してきた。また、副業としては養蚕業(桑畑)や、酒造業が盛んであった。とくに養蚕業は盛んであり、今でもお年寄りなどは、かいこのことをおかいこさんだとか、おかいこ様と呼んでおり、この地においてかいこがいかに大切に扱われてきたかを伺わせている。しかし、図3を、見て分かる通り、農家数は約半分にまで落ち込んできており、殊に、専業農家数は、1995(平成7)年には177戸と大幅に落ち込んでいるのが分かる、それとは反対に第二種兼業農家が大幅に増えているのも特徴といえよう。また長野全県で見ると第一次産業の構成比は12,8%であるから、それに比べて真田町の21,7%は約10ポイントほど高いことになる。
産業別(大分類)別就業者数を見ると、1位製造業、2位サービス業、3位農業、4位卸売・小売業・飲食業、の順になっており、特に2位と4位の当りは特に県内でも有数の観光地菅平を抱えているという特徴が現れている。ではその菅平には一年を通してどのくらいの観光客が訪れているのであろうか。
図4菅平高原に於ける観光客数の推移(真田町ホームページより転載)

図4を見て分かるとおり観光客数はH3年をピークに大体12000人前後をほぼ横ばいに推移している。このほかにも合宿等で訪れる人も多いことから、産業としては馬鹿にならない数字であることが伺える。
さて産業的な人口推計から教育方面に目を向けてみよう。(表4参照)
表4真田町に於ける小中学校の状況(平成11年5月1現在、単位=校・人)
|
学校数
|
学級数
|
児童・
生徒数
|
本務
教員数
|
本務教員
一人当り児童・生徒数 |
1学級当り
児童・生徒数
|
| 小学校 |
4 |
33 |
890 |
53 |
16,8 |
27,0 |
| 中学校 |
2 |
16 |
490 |
34 |
14,4 |
30,6 |
小学校4校とは、本原・長・傍陽・菅平であり、中学校は真田中と菅平中である。全般的に児童・生徒は若干ながら減少傾向にありそのためか、最近よく騒がれている30人学級がほぼ行われている状況にある。また本務教員数も件平均よりも高い水準となっているのが現状である。最後に地方公務員全体の状況を見ておくと、(平成10年4月1日現在)総数が131人(すべて一般職)、その人件費合計は、1,050,268,000円となっている。
V人工的環境の整備状況等
人工的環境を見る前に、平成12年度真田町の一般会計の状況を見ておこう。まず総収入・総歳出予定はともに52億円、その内訳は、収入が地方交付税21億5,500万円(41,4%)徴税が14億4,010万円(27,7%)等となっており、地方交付税に依るところが大きいことが伺える。また、歳出は、教育費11億6,857万円(22,5%)民生費7億383万円(13,5%)土木費6億5,333万円(12,6%)等となっている。
さて、人工的環境の整備状況を見ていこう。町村道舗装率は、平成3年時点で65,91%県内全市町村中36位。下水道普及率は9,8%で県内全市町村中23位であった。下水道整備はここ数年、町を挙げて行っており、上昇しているものと思われるが、町道舗装率は上昇が望めない状況である。次に町内の医師数等であるが、病院診療所等が(97年10月現在)4件、医師数は2名で人口1万人当り1,85人であった。しかし、その後の真田クリニック(黒沢病院)等の流入により、この数は若干ながら上昇しているものと思われる。次に町内の飲食点数及びその販売額であるが、それぞれ平成4年調べで、店舗数が42店、県内全市町村中35位。販売額が84,640万円、県内32位であった。その他のデータとしては、住宅に住む一般世帯は、平成2年調べで、2,853世帯。その種類別構成比は、主なところでは、持ち家が95,34%と最も高く、ついで民営借家が2,87%、給与住宅が1,51%等となっている。また、97年度着工新設住宅戸数は103戸であったほか、98年3月末現在の乗用車保有台数は、合計が4,380台。保有率、125,5%その内訳は、普通車1,050台、小型車3,330台。貨物自動車保有台数が982台。軽自動車保有台数は合計3,739台、うち乗用車が1,072
台等となっている。
(新築されたばかりの真田中学校)
W第4次長期振興計画と中山間地域総合整備事業
真田町の現状等は前項までで見てきた通りであるが、ここではそのような現状のなか真田町はどの様な政策・施策を行っているのかを見てみたいと思う。 真田町では、昭和43年度から十年単位で第一次・二次・三次の長期振興計画(長期振)に基づき行政計画を進めてきた。そして平成10年度から平成19年度までの十年間の町づくりの基礎及び目標となる第4次長期振が平成9年9月3日、町民各団体の代表者約30人で構成された「長期振興計画審議会」に諮問された。町づくりの基本目標を、『自然・文化・人・そして夢・・・・・・子どもたちへ』としたこの第4次長期振の諮問書では、基本構想の柱となる町づくりの重点テーマとして、@輝く未来への町づくりと連携(地域の活性化・交流の拡大)A快適で住みやすい潤いのある生活(生活環境基盤の整備)B豊で魅力ある産業の育成と展開(高付加価値・高生産農業、森林資源の活用と保全)C福祉健康の町づくりの推進(高齢者や婦女子の活躍)D誰もが将来に夢をもてる町づくり(真田町らしさを誇れる環境)E町民一人ひとりを大切にする行政の運営(行政と町民が一体となっての町づくり)以上の6項目を柱として掲げ、魅力ある町づくりを実現させることで、平成19年の人口目標を12,500人として展開しようとしている。
その後第4次長期振は同年11月3日町長に対して答申、それに基づき同年12月議会にて審議可決された。真田町は前項までで見てきたように、農業就業人口が年々減少傾向にあり、高齢化も進んでいる。無作付け遊休荒廃農地については、平成6年度町のアンケート調査によっても所有面積の2割以上となっている。また観光面では、多くの観光客が真田町を訪れているものの、せっかく地域に足を入れた人たちが、農業の活性化・活力に上手く結びついていないことが問題視されている。このような状況の中で真田町は、平成元年に(財)真田町振興会を設立、地域資源を活用した地域の活性化や地場産業の振興及びイベントの開催等を通して地域の活性化を図ってきた。また、平成7年に農地保有合理化法人格を取得、担い手農家への農地の集積と遊休荒廃地の拡大を防止するため,営農推進部を設けた。併せて町では、そば、大豆の奨励補助金制度を設けて振興公社との協力により遊休荒廃地の歯止めにつとめている。平成10年には国道144号線沿いに直売所を開設し研究開発を進めたり、そばうち会の実施やそばの販売等の活動を行ってきた。しかし、加工施設の老朽化が著しく、新しい特産品開発の施設もないことなどから活動が息詰まり状態にある。それに追い打ちをかけるかのように、農道や水路などの基盤整備がなされていないところでは、農地の借り手が見つからず農地の荒廃かが一層進んでいる。このため、第4次長期振の「豊で魅力ある産業の育成と展開」という一文を基礎に、町の自然や文化、歴史などの地域資源を生かしながら、農業を通じた交流の拡大や生産基盤の整備をはじめ、農村公園などの生活環境の整備も進め、活性化を図ろうとする「中山間地域総合整備事業」を活性化構想として導入するに至った。この事業は、”幸村の郷”づくりをテーマに、真田町を七つの郷に分け、真田十勇士と、じもの農業を組み合わせた地域おこしを行い、七つの郷は、真田町にゆかりの深い地位域の特色にあったなを冠として、@十勇士の郷A原の郷B傍陽の郷C陽だまりの郷D水哉の郷E牧狩りの郷F角間の郷、の七つのゾーンに分けて、「住んで良し、来て良し、耕して良し」をキャッチフレーズに幸村の郷づくりを進めていくとしている。また、十勇士の郷を交流拠点とし、本事業での活性化施設を、情報・人・物の発信・集積基地として位置づける。活性化施設では幸村御膳味噌、十勇士豆腐、大助パン、海野六郎ジャムの加工とそば打ち体験をはじめ味噌、豆腐等の体験学習及び新たな特産品開発にむけて加工研究を行う。
(特産品、幸村御膳味噌) (町内各地で進むほ場整備)
農業基盤整備では、ほ場整備を実施することによって農地の荒廃を阻止することはもとより、農地流動化や受託耕地を促進すると共に、経営規模拡大を可能にし、作業の効率化及び生産性の向上を図るとしている。十勇士の郷以外に於いても、豊かな自然と人がふれあえる健康空間である「原の郷」で、現在生産されている「リンゴ」を核に、新たにブルーベリーやプルーンなどの果実や木の実狩りを提供すると共に、農作業準備休憩施設を設置し、作業効率の向上を図るとともに、近年要望が高くなっている農業体験を受け入れ、集落の公民館や町分か会館等を利用して、都会との対話・交流を促進するとしているほか、「牧狩りの郷」(菅平高原)では、旅館及びホテル等が通年利用ができるので、避暑や観光を農業体験等を通して日帰りから長期滞在型まで、幅広いニーズに対応でき十分に楽しめるフレキシブルな利用を可能にするとしている。また活性化構想の最後には、このように本事業を投入することによって農業と自然・歴史・文化など町にある地域資源・町内にある既存施設を大いに活用し、都市との交流を促進しながら生産基盤の整備を中心に活性化を図るとしている。なお、五年計画の総事業費は約13億円と試算されている。
X結論
真田町が抱える諸問題、殊に環境・農業・観光の三つの問題に対する解決への取り組みを示している中山間地域総合整備事業は、ソフトとハード事業が組み合わされた事業で、ソフト事業も重要な柱となってくるのは言うまでもない。箱山好猷町長も、本義会において「本事業は地域のやる気、熱意が事業採択の大きな要因となる」と語っている。また「あくまでもソフトとハードが上手くリンクしたところに、この成果が現れるので決してハード事業だけではないことを理解して欲しい」とも語っているのであるが、実際は、ハード面での整備はある程度まとまってきている一方で、ソフト面では、「構想と実際の持って行き方で悩んでいる状況である」(農林課長)として形としては現れていないのが本音のようである。21世紀を迎えようとする現在(いま)、真田町が抱える既存の問題をいかに克服し、この町をいかにして新たな世代に引き継いでいくか、この事業が負うところは大きい。是非ともハードとソフトの融和を目指すと共に古城緑地公園等の既存の施設等も大いに活用して行くことによって、真田町の独自性を大きくアピールしていって欲しいものである。
(既存施設、古城緑地公園)
参考文献等
『1993年長野県市町村別統計集』((財)長野経済研究所、1993)
『平成7年国勢調査報告』((財)日本統計協会、1996)
自治省行政局編集『住民基本台帳要覧(平成10年版)』
((財)国土地理協会、1998)
関東農政局長野統計事務所『長野県農林業市町村別統計書(平成11年度版)』(長野農林統計協会、1999)
『長野県統計書』(長野県企画局情報政策課、1999)
厚生省大臣官房統計情報部編集『平成10年人口動態統計』
((財)厚生統計協会、2000)
長野県企画局情報政策課編集『長野県の人口平成11年』(長野統計協会、2000)
総合労働研究所『地方政治家活動事典、第三版』(田中館紳喬、1999)
田中角栄著『日本列島改造論』(日刊工業出版社、1972)
議会広報編集委員会『真田町議会だより第98号』(真田町議会、1999)
真田町中山間総合整備事業計画書