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子供の憧憬
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■団体: アンサンブル・フラン(パンフ中コラム) ■日時: 1999年1月31日 ■曲目: ベートーベンSQ12番、チャイコフスキー弦楽セレナーデ(指揮者なし、山口先生ゲストコンマス) ■コメント:心の師である山口先生(N響コンマス、フランアドバイザー)との思い出。(文中の川崎先生は同ビオラ主席) |
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「もると・かんたーびれ」。合宿2日目の朝、前夜の宴会の余 韻を引きずり、朦朧とした頭で練習場にたどり着いた私の目は、譜面に鉛筆で丁寧に書きまれたこの文字に釘付けとなった。よくよく見ると、他のページにも「静かにネ」等々の注意書きやケロケロけろっぴのマーク(歌え、主張しろの意か)が随所に書き込まれていたのである。 遡ること数時間前、合宿初日の練習後の宴会で、私はVc.のW氏(休団中)ら数人と、山口・川崎両先生に酔った勢いに乗ってからんでいた。「フランはこれからどんな音を目指せばいいんでしょうか..」(気の毒な事に川崎先生はその日がフラン初登場であったと思う)、「先生がダメだなと思って諦めている様子は私たちも解るんです。ダメな時はダメとはっきり言って下さい」等々..そんな私たちの戯れ言を延々明け方までニコニコと聞いて下さっていた先生であったが、それに留まらず、なんと私たちが寝静まった後に練習場で各人の譜面に御一人で書き 込みをして下さっていたのだった。 その心遣いに大変感動した私であったが(今もその譜面は大切に保管している)、その日の練習では、二日酔いで廃人同様になっているW氏の隣で厳しい「ダメダメ」の嵐にさらされたのは言うまでもない。 この時演奏したモーツアルトの協奏交響曲は、私のつたないフラン歴の中でも大変思い出深い1曲である。当時フランに入団したての私は、ベースという楽器の地味さ故か、日頃「ちゃんと居ればいい」程度の指示の下で、我が世の春を謳歌していた。ところが、いざ山口先生と対峙するとアンサンブルの端、且つ土台としてありとあらゆることを要求されるのである。「なんとなくバイオリンとビオラがゴチャゴチャしてるな」などと思っていると4小節程前の私の運びのまずさを指摘されたり、入る数小節前の起動体制が甘いと「先生と目を合わせ、いつもの笑顔で返事をして入る」約束をしたり、旋律の上に寄りかかって弾いていると「伴奏の論理をちゃんと主張しなさい」等々、「お前の団費は3倍だ」と皆に言われるほど沢山の指示を先生から頂いた。 もちろん演奏中も処理しきれない程の膨大な情報が「気」と共に送られてくるのである。(もし、今日も先生が上目遣いで動きを止めていたら、皆さんも「関口早く気が付け」と念じて頂きたい)この新鮮な刺激と濃厚な時間の味に目覚めた私はフランの先達同様、先生にすっかり心酔してしまったのである。 フランの皆を虜にする山口先生の練習の魅力として、まず挙げられるのは「絶妙な表現による徹底したイメージの共有化」である。その場のテンポ感、フレーズの性格、掛け合いの雰囲気が「どうして思いつくのか」と思うような表現で我々に伝えられる。遅くなり方一つとっても「都電が車輪をきしませ停車するように」もあれば、「銀玉鉄砲を水に打ち込むように」だったりと、懐かしのTV番組から物理の法則、JR某線の車窓の景色に至るまで泉の様に湧くその表現を下に、我々は譜面に書かれた音楽を蘇らせるべくイメージを膨らませて行くのである。 こうして伝えられるイメージは「同じ時間の中での異なる性格・テンポの共存」(先生の頭の中にはトラックが12個位あるのではと思う程である)といった指揮者に導かれるそれに勝るとも劣らない濃厚なアンサンブルを生み出すのはもちろんのこと、時として「ベルリオーズ、マーラー、R・シュトラウス達が受けた影響を遡って弾くベートーベン」、「ジャズを知る者が弾くバッハ」、「浅草ジンタ風チャイコフスキー」といった逆説の音楽史をも我々に垣間見せてくれるのである。 このイメージ(練習成果)は練習後「冷凍」され、今日「そっと解凍」されるのであるが、フランに集う大勢の老若男女がイメージを同じくし、舞台上で先生を中心にその情報を、あらゆる手段でコミュニケートする様相は、正に人生の醍醐味といった感が ある。 あの合宿から8年。。先生の「気」にただ立ち尽くしていた私も少々生意気になってきた。最近は、いつの日か先生の「気」を余裕をもって受け止め、口端に笑みを浮かべつつ仕掛け返してみたいなどという大胆不敵なことを考えたりしている。 道は遠い。。。 しかしかつて「そこに山がある限り」といった登山家がいたように、正に「そこに山口先生とフランがある限り」との思いで、 免許を持たない私は今日も楽器を担いで山手線に乗っている。 |
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