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マニアックの向こう側
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■団体: アンサンブル・フラン(パンフ中コラム) ■日時: 2002年1月14日 ■曲目: マデトヤ、ラウタヴァーラ、ノルドグレン、MOZART(指揮:新田ユリ) ■コメント:みーさんの音楽鑑賞エッセイに触発され、フラン風にアレンジ。 |
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「グシャーン」。その時、皆の顔が砂を噛んだような表情になった。曲選びをすべく、ラウタヴァーラのCDで冒頭の不協和音を聞いたときのことである。 それから数ヶ月、12月のある練習の時のこと、私はふと演奏しながら楽器や弦だけでなく、自分の芯が振動しているような錯覚に陥った。 「曲が手の内に入ってきた」とか「心が開いてきた」と感じる一瞬である。そして翌日の出勤時には歩きながら鼻歌で歌っていたのである。 よくフランの選曲はマニアックだと言われる。知り合いにチケットを渡したりしても、必ず「エーこれ誰」とか「こんな曲知らない」と言われる。 今回もマデトヤ、ラウタヴァーラ、ノルドグレン なんてのを全部知っている人はかなり少ないと思う。 演奏時もそういう俗に「マニアック」と言われる曲の時はお客様の顔がうつむきがちになり、手元のパンフで「××は何年頃の人で、△△と同じ頃か」とか確認している気配が感じられたりする。 しかし有名な曲も、ここで言う「マニアックな」曲も共通点が在る。弦楽器の合奏で演奏する音楽だということである。そして宇多田ヒカルや演歌とも同じ「音楽」であると言うことは言うまでもない。 今の世の中、情報は猛烈な勢いで言語化されている。言語化されないメッセージはどんどん重要でないかのような扱いを受けている。音楽もどんどん言葉でカテゴライズされ、みなその言葉で必要な音楽を理解し、要求するようになっている。 フランで奏される「マニアックな」曲は「音楽鑑賞」とか「音楽史年表」の箱に入れられ、さらにその奥深くの手の届かないところに置かれてしまう。 しかし、CDショップのロック売場に行こうか、Jポップ売場に行こうか、クラシック売場に行こうか決めるのとは別に、音楽を頭の中で「ムムム」と生理的に判断する過程があると私は考える。 それが冒頭の「グシャーンから鼻歌」である。 私たちも最初は「××作曲の作品○○」から入るが、最後は鼻歌に落とし込んでいるのである。 音楽は、大作曲家がピアノの前で苦悩し完成しようとも、ギター小僧が散歩中にふと思いつこうとも行きつく先は「その人の鼻歌と閃き」なのだと思う。(ちょっと強引かな) 日常使っている言葉が、文豪が書斎で練りに練った描写や、研究者の考えた新たな概念、日本や中国の故事、街頭でコギャルが言っている「ウザイ」や「チョー」やとかを色々取り入れていたりするように、音楽が自分の持つ心の鼻歌にどう響き、作用するかはとても面白い。 (数年前に武満徹の「ア・ウェイ・アローン」を演奏し非常に心酔したが、実は幼時によく聞いたアニメ「赤毛のアン」のエンディングが同じ武満作曲であったなんてこともあった) そして本日のプログラム。「史上最強の鼻歌歌い」モーツァルトと、現代音楽(クラシック的な)に背を向けて北欧の伝統的な歌をモチーフに作曲する彼らの「鼻歌」をご自身の「鼻歌」と並べてお楽しみ頂きたい。 世界の「鼻歌」が同時に同じ舞台に乗るこの楽しさを! |
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