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「ガーシュインになれソーの記」
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■団体: アンサンブル・フラン(パンフ中コラム没バージョン) ■日時: 2002年6月2日 ■曲目: チャイコフスキー/弦楽セレナーデ、ガーシュイン/ラプソディー・イン・ブルー(弦楽合奏版)、エングルンド/交響曲第4番(指揮:新田ユリ、ピアノ独奏:山下洋輔) ■コメント:音楽の自由とか、音楽は個人的なものとか、即興の裏側にあるものを伝えたかったが、字数制限に引っ掛かり没に。 |
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世の中には、「自由」という言葉が氾濫しているが、実生活において「自由」は結構限られた中でのものであったりする。 私は今、職場でこっそりとこの原稿を書く事ができる程度に「自由」であるが、原稿も仕事もホッポリだして外へ遊びに行くのは、様々なしがらみを考えるとちょっと難しそうである。 また、本日の演奏会のチケットには「全自由席」の字があったりするが、それは好きな座席を選べるということであり、座席での飲食・喫煙はもちろんのこと、写真撮影・録音は固くお断りされているし、携帯電話や時計のアラームも設定を解除しなくてはならなかったりする。(すいませんお願いします) 本日演奏する「ラプソディー・イン・ブルー」の編曲には、ピアノソロのみでなく、弦楽の譜面にも随所に「free play」の指示が盛り込まれている。 直訳すれば「自由」に演奏せよという事である。この指示は、小節単位での設定に留まらず、突然曲のド真中に「10秒毎に合計2分間」という時間の単位での設定がされたりもする。(もちろん原曲にない趣向である) 日頃私達は、楽譜を実行・再生することによって、そこに作曲家の「作品」が姿を現すというプロセスを踏んでいる。コンピューターに例えれば、プログラム言語をしっかりと入力しないと、きちんとプログラムが作動しないのと同じで、私達はその忠実な再現に注力し、そこに様々な意図を盛り込まんとするのが常であった。 しかし、今回の「free play」に楽譜は存在しない。コードの指示もない。そこには何を差し挟んでもよい「自由」な時間なのである。 最初は「とにかく、何でも弾きゃーいいんだよ」(団員某A氏風)とばかりに弾いていたのだが、練習が進行するにつれ、この「自由」な時間の存在と重みがプレッシャーとなってきた。 十数年前のバッハでの大ハメ外しを知らないせいか、はたまた恰好よいものをという気負いか、「自由」といいつつも、見えないルールの枠を自分ではめてしまっているのか…。何を「free play」に盛り込んだらよいか、解らなくなってしまった。 (「個人的」に、ジャズの即興演奏をコピーし、盛り込もうとした時もあった。しかし、自分のものにならず、オジさんがコギャルに安易に迎合しようと、「チョーなんとか」とか言ってみるような、上っ面だけの不自然さを感じてしまったりもした。) そうこうしている内に、山下氏との初顔合わせを迎えた。そして「free play」。きっとフランの団員もそれぞれの「個人的」を胸に練習に臨んだのであろうが、山下氏はそんな不揃いな「個人的」の上を飛び越え、時につまみ取り、そして自身の「個人的」を返しつつ、「自由」な時間をサラリと進めていった。 山下氏がパッセージを弾き返し始めた時に、私は「これ、なーんだ?」と謎解きを出されたような不思議な感覚を感じた。そして、あっという間に初顔合わせが終わり、ふと考えた。「ガーシュインは何でこういう曲を思いついたのだろう?」 それから数日は、自分がガーシュインであるかのように過ごした。自らがピアノを弾き、ビックバンドと対峙するしたら何をしたいか?そんな根本の発想を考えながら、練習したり、サボったり、お酒を飲んだり、仕事をしたりした。そして再び原曲を聴き、モチーフがあやを成し、言い換えられるように進んでいく様に、こんなことを考えるようになった。「大クイズ大会をやってやろう!」 「free play」の中に、自分の持ちうる「個人的」の中からお題を選び出し、問うて行くのだ。そこにはもちろん山下氏のお題も、指揮の新田氏のお題もでるし、フランの各団員も様々なお題を持ってくるに違いない。そのお題の背後の広がりたるや恐ろしいものがある。もちろん客席の皆様も自らの「個人的」に当てはめて、頭の中で、「あれは何だ!」「ジャズだ!」「クラシックだ!」「ガーシュインだ!」てな感じで考えを巡らせ、答えを念射して頂きたい。(もちろん「何じゃコリャ?」でも結構である) そしてその反射を受けて、私達はまた新たなお題を返していくに違いない。 「そこでいくつ、何が考えられたのか」 「そこからいくつのイメージが湧いたのか」 ここに、ワクワクする何かがある。限られた「自由」の枠の中で、どんな「自由」を求めるのかが見えたような気がしている。 ベースとなる考え方が決まれば、後はどんなシステムであろうと構わない。コンテンツの中身が決まれば、HTML言語を使おうと、JAVA言語を使おうと同じWebページが出来上がる様に、 「この曲の中に、どんなフレーズが入ろうとも、どんな時間が入ろうとも、そこにあるものはラプソディー・イン・ブルー」なのである。 |
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