100分は動いている


■団体: アンサンブル・フラン(パンフ中コラム)
■日時: 2001年6月10日
■曲目: シューベルト/死と乙女、オネゲル/交響曲第二番、エルガー/弦楽セレナーデ、グリーグ/ホルベルク組曲 (指揮:十束先生)
■コメント:HP開設後初コラム。音楽の魅力について。2時間で慌てて書いたため未熟成。


「100分は動いている」


いまから20年程前、とあるテレビの討論番組でクラシック音楽愛好家たちが集まって、「なぜクラシック音楽が好きなのか」とか「私はこうして楽しんでいる」といった事を語っていた。

番組も終盤に差し掛かり、司会者から「最後にみなさんクラシックの魅力とは何ですか?」との質問があった。一番前に座っていた男性がすかさずこう答えた。「限りなく美しい」
この答えにどよめく場内。(「キザだな」という意味合いもあったと思う)

当時サッカーに明け暮れ、音楽はロックと歌謡曲という少年だった私はテレビの前で「ふーん」と聞いていたのだが、すかさず女性が挙手し反論した。その女性は、自分の参加するアマチュア団体での経験をもとに、音楽に参加する素晴らしさ、苦労を乗り越えて演奏した時の感動を語り、最後に「美しいの一言で片付けて欲しくありません。」と結んだ。 場内大拍手。

やはり私は「ふーん」と聞いていたのだが、何かバツの悪そうな男性の様子に、掃除をサボり、学級会でクラスの女子生徒に怒られる己の姿を重ね(まったく関係ないのだが)「そこまで言われなくても」と同情したのを何故か覚えている。

その後、年を経て自分も楽器をはじめたのだが、その時は「楽器を弾いて、合奏とかに参加できたら楽しいだろうなあ」なんていう憧れだけで、このテレビのやり取りや、「音楽の魅力とは」なんてことは 微塵も頭にはなかった。

楽器を続けていくにつれ、合奏に参加する楽しさや場面場面での素敵なハーモニーやきれいなメロディーの魅力を体験し、思い出も増えていった。 音楽の歴史や、作曲家の生涯について書かれたものを読んだり、「名演」といわれる演奏のCDを聞き、その解説を読む。音楽のドキュメンタリーを見る等々様々な経験もした。こうした機会によって増す音楽への感動は確かにある。 フランで行われる、フレーズや掛合いの雰囲気を言葉のイメージに置き換えて共有するという作業はとても楽しいもので、そんな機会の一つである。

しかしそれにとどまらず、フランでの演奏を続けていく内に、新たな感動が生まれてきた。
それは「時間を動かしている」という感覚である。

そもそも時間は目に見えない。そして時は過ぎて行くものなのだが、音楽はこの目に見えない時間というものを、人の感覚に訴えるような形に変え、時を形作っていく作業ともいえる。作曲家が感じた音楽=時間を楽譜という設計図を基に形にし、その 過程で作曲家の感じた時間を受け取り、動かしていく事ができるのである。

一見自由に感じられるテンポの中にも、その中にはよどみなく流れる一定の時間が存在する。そんな大いなる流れの中で、音楽の進行から様々な要素を感じとり、その都度強力なエネルギーを持って、緊張や弛緩、前進や停滞を駆使して時間を動かしていくのである。いつの間にか私はこの作曲家の作った時間 (「死と乙女」には最後の音の後に空白の1小節が書かれていたりする)、そしてその時間との関わりを「美しい」と思うようになった。

もちろん完璧なコントロールは難しい。時に自分の衝動やその場の雰囲気に流れてしまったり、作曲家の作った時間を埋められず呆然とする事もある。これらは音楽を聴いている上では不格好だったり、不細工なことなのかもしれない。しかし、いつのまにか私はこうした事も素敵な時間との関わりの一部として楽しめるようになり、そういった関わりも含めて音楽の美しさなのだと感じるようになってしまったのである。

はてさて本日のプログラム。4曲、15楽章、略100分。十束先生の指導の下、フランは素敵な時間を動かすべく格闘している。ご来場の皆様には自分の鼓動やホールの時計といった様々な時間を感じつつ、十束先生とフランにより動き出す作曲家 の感じた時間をお楽しみ頂きたい。

と書いたところで、さて冒頭の質問にどう答えるかなと考えていたところ、畑違いの本からこんな言葉を見付けた。ある言葉を置き換えてみるといい感じである。


「人びとは、そこから感動をうけとる。人びとは、そこからラグビーそのものへの憧憬を抱く。ラグビーの魅力は、永遠である。」

(虫明 亜呂無「ラグビーへの招待」より)
 





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