遅刻で罰金100円は是か非か?
2006年7月10日の報道によると、琉球大学工学部の教授(62)が講義に遅刻した学生から「罰金」として100円を徴収していることがわかったそうだ。学生からの苦情を受けた学部側がこの教授に徴収をやめるよう勧告したが、教授は「遅刻を減らすには教育上必要な措置」として応じていないという。集めた「罰金」の総額は教授によると数千円であり、一部は四年生の印刷代として使い、残りは自分の研究室に保管しているという。大学は「教室で学生から金銭を徴収するのは好ましくない」「学生は既に授業料を納入している」などとして調査委員会を設け、教授の処分を検討するとの話である。
確かに、学生から教員が直接に金銭を徴収することは好ましいことではない。私の知る限りでも、事務方、経理部門は教員が学生の金銭を扱うことを嫌う。恐らくは紛失など何かトラブルがあったときの対応が面倒だからだろう。「払いなさい」「○○先生に渡しました」「そんなお金は預かっていない」といったやりとりがあったとき、経理部門が処置に苦慮するのは容易に想像できることだ。
ただ、そうした点をあえて無視してみると、この教授の「罰金」はなかなか興味深いといえる。なぜならば、遅刻に対して100円を支払うという金銭的なペナルティを課し、負のインセンティヴを与えることで学生の遅刻という好ましくない行動を抑制しようと意図しているからだ。
大学によっても異なるだろうが、成績評価の方法は基本的には教員の裁量の範囲内である。試験の成績で全部決まる場合もあれば、課題の提出状況や出欠席の状況や受講態度なども加味されて評価される場合もある。私事で恐縮だが、学部の学生時代に私がお世話になったある先生は試験の代りにレポート提出を求めていたが、私がまだレポートを出していないうちに、「教務には優で出しといたから、課題を出しといてね」とおっしゃって、面食らった記憶がある。普段からしばしば質問にいって、その先生の専門分野について講義以外のこともあれこれ話をしていたので、実際にレポートを見なくても優という評価を下さったのだと想像するのだが、それ以前にはそういう評価をする先生を知らなかったので、戸惑ってしまったのである。これは極端な例かも知れないが、それぐらい大学の教員による成績評価のやり方というのは幅があるわけである。
通常、出欠席の状況を気にする教員は、成績評価に当っては「出席点」といったものを用意して、欠席や遅刻すると出席点が目減りしていくとか工夫している。遅刻2回で欠席1回として扱うとかやるわけである。定期試験の成績と出欠席の状況とをどの程度のウェイトでみるかは、全く教員の裁量である。半々でみる場合もあるだろうし、8:2といったウェイトでみることもあるだろう。それについては、大学の事務方からあれこれいわれることはない。近年では、文部科学省の指導もあってシラバスに成績評価の方法を明記するようになっているが、あれを見ても、同じ学部でも教員の成績評価の方法は千差万別、十人十色といったところである。
今回、この教授は遅刻してきた学生に対して「罰金」として100円を支払わせていたわけだが、金額が100円であることを考えても容易にわかるように、別にこの教授はおカネがほしくて学生から「罰金」を集めていたわけではない。恐らく本当に遅刻を減らそうという教育的な観点から考えたものだろう。ただ、実際のところ、100円を支払わせることによって教授の期待した通りに学生の遅刻を抑制するような効果があったのだろうか。マスコミ報道では残念ながら、その辺りのことはさっぱりわからないままだ。昨年度と今年度とを比べて、他の講義では遅刻の状況に特に変化が見られないのに、もし、この教授の講義については遅刻がはっきりと減っているというような事実があるのなら、「罰金」は遅刻を抑制する上である程度の効果を持ったといえるだろう。しかし、そうしたデータは何もわからないので、その点については評価のしようがない。
今回の「罰金」は、デポジット・リファンド制度やロード・プライシングに通ずるものがあるように思える。予備知識のない諸君のために少しだけ解説しておこう。
デポジット・リファンド制度の場合、例えば、缶入りの飲料を販売する際に、10円なりのデポジット(預り金)を預かっておいて、消費者が飲み終えた空き缶をポイ捨てせずに販売店や回収拠点に持って来たら、預かっておいた10円をその消費者に戻すというものである。空き缶をポイ捨てしてしまえば、預けておいた10円は戻ってこないという意味では、デポジットの10円はポイ捨てという行為に対してはある種の課徴金としての意味を持つし、見方を変えれば、空き缶をポイ捨てせずに戻しに来たことへのある種の補助金としての意味も持つわけである。
ロード・プライシングの場合、例えば、ある時間帯にある地域へ自動車で侵入する場合に、料金を徴収するというものである。料金を支払うのがイヤな利用者は迂回したり、時間帯をずらしたり、自動車の利用を止めて公共交通機関(バスや電車)などを利用するといった対策をとるから、結果的にある時間帯にある地域に集中する交通量を減らすことができ、交通渋滞の緩和や騒音・排気ガスといった環境破壊をも軽減化できるだろうと期待されている。
今回の「罰金」の場合も、100円を支払うのがイヤならば、そもそも遅刻をしなければよいわけである。というか、100円を支払うのは誰でもイヤだろうから、「罰金」として100円を徴収すれば、遅刻が減るだろうと期待しているわけである。ただし、これは「罰金」であって、遅刻してくる学生に対して負のインセンティヴを与えていることになる。また、徴収した「罰金」の管理や使途も問題となってくる。
ここで発想を変えて、「遅刻しなければ教授が学生に100円を支払う」という仕組みだったらどうだろうか。こういう仕組みであれば、遅刻せずに講義の冒頭の出欠確認の際に顔を出していれば100円をもらえるわけであるから、100円は遅刻しなかったことへのいわば「ご褒美」となる。遅刻した場合も、学生には金銭の直接的な出費はない。もっとも、遅刻せずに来ていたらもらえたはずの100円をもらい損ねたという意味で、サイフからおカネが出ていったわけではないにせよ、遅刻した学生は潜在的には100円の損をしたことになる(この辺りの理屈は経済学の基本の基本である機会費用についてわかっていればすんなりと理解できるだろう)。
とはいえ、教授が遅刻しなかった学生に対して100円を支払うとなると、そのおカネは文部科学省からの補助金でまかなうというわけにもいかないだろうから、教授のポケット・マネーということになるだろう。これも何だか妙なものである。
(以下続く)