
| テキスト論用メモ(アクセス至上主義) |
|
2002/02/06(3−511まで消化) ●アクセス至上主義 −−なぜ山に登るんだい? 「そこに山があるからだ」という名言を残したのは、英国の登山家ジョージ・マロニー氏。「男のロマン」ですねー。なんというか、やらなくても良いような下らないことに情熱を燃やせるのは、ある意味男の特権なのかもしれません(w テキストサイト界でもそういう熱い人達が居て、私が知っている中で一番古いのは呉氏かな。以下、Kure's Home Page−−「HPの星」冒頭部より引用。
「エロサイトに勝つ!」これは男のロマンだ(w
どうでしょうか? これはただ単に、自分が楽しむだけではなく、相手を楽しませることによってアクセス数を増やそうとしているように思います。そして、サイト作成に対してストイックであり、お互いに切磋琢磨し、より面白いサイトを作っていこうという気概を感じる。 なんというか、以前居たソフト系もこんな感じだったように思います。情報を共有し合い、より良いソフトを作っていく。そこに報酬などは求めない。作ることが楽しく、成長するのが楽しく、技術について仲間と議論し合うのが楽しかったから。。。 当時、インターネット(パソ通含む)は小さかったし、そこにはgive&takeが明らかに存在していた。古き良き時代だったのかもしれない。
さて、呉一派に対して最近のアクセス至上主義はどういう傾向にあるのでしょうか?
追記: 呉氏の場合で言うと、馬鹿げているがドデカい目標を立てて、それに立ち向かって行く男の滑稽さがある。しかも、非常にストイックで、ズルは無い。その内、賛同者が出来てきて、皆でわいのわいのやっているうちに、無理だと思われた目標を達成してしまう痛快さはあったような。。。実は、彼の精神は、外側(他人)に向かっているようで、内側(自分)に向かっている。「己に勝つ」的かな。 最近のアクセス至上、例えば塾○はどうだったのだろう? よく分からないが、価値基準が外側(他人)にあったように思えるな。。。ただ単に人に誉めて欲しいとか、認められたいとか言ったような。。。賛同者は多かったのだけど、どちらかというと、便乗というか、利用されていただけのような。。。それに、勝つためには手段を選ばないようなところは感じる。 果たして本当にそうだったのか? これは検証が必要だな。。。
|
||||||||||||||||
|
2002/02/09(3−511まで消化) ●アクセス至上主義 昔からアクセスアップについて語ったサイトはありました。サイトの見せ方等のテクニック的な部分を解説するところが多かったような。もちろんアクセス至上主義に結びつくような発想もあったはず。それが、検索エンジン登録などの広告的なところに主眼を置いたものだったと思います。 テキストサイト界で、アクセス”至上”主義を確立させたのは塾憂だったのかな? ネトヲチ板の「堕落雑〜塾憂〜ってウザイ」スレを読む限り、そんな感じがしています。 で、webリングまで作って楽しんでいたところ、結局調子に乗って他の大手サイトに悪戯なメールを送りつけ、それをLineOnに一喝されてショボーン。そのまま終焉を迎えるということなのでしょうか? 別にアクセスアップは良いのでは?と思ったりします。まぁ、そのために取った手段があまりに独善的であったということなのかな。 そうそう、私の思想のベースには、やはり「良い物は売れる」という発想があるようです(古臭いかもしれませんが)。売れなかったら何かが不味い。問題点を見つけ出し改善を試みる。そして更に良い物を作っていくのだと。それに対して、彼らは宣伝活動を重点としているようにも思えます。 例えば商品を作る上においていくつか要素があって、「企画」「製造」「販売」かな? 大きく分けすぎか(w まあ、宣伝は販売に属すると。これらの要素はどれも重要で、売れる商品を出すためにはどれ一つ欠かすことはできないものなのです。 そう言った意味では、私の思想は「製造」に偏りすぎ、彼らの思想は「販売」に偏りすぎなのかもしれませんね。なぜ、彼らは「販売」に偏ってしまったか。2002/02/07に書いた文章にも関連がありそうです。 実際のところ、彼らを短絡と言っていいのかどうか、まだ良く分かりません。もともとのテキストに対するスタンスが違うだけなのかもしれないので。もう少し、調べる余地がありそうです。でも、実はよく知らなくて、書きあぐねています。情報があったらプリーズ。
とりあえず、参考になりそうな文章をアップ。
|
|
2002/02/10(3−604まで消化) ●参考リンクについて(ちょっと修正) 認知的不協和に「いまさらアクセス至上主義」が追記されていたのでアップしておきます。
|
|
2002/02/11(3−604まで消化) ●アクセス至上主義(2) 透音響界殿の文章で、もう一つ気になる記述が。
他にもif殿からこんなご意見もあった。
稀かどうかは分かりません(w ただ、お二人のご意見を読んでみて思ったのは、サイトを立ち上げるのって、なんかこう微妙な気持ちなんだろうなということ。あまり意識的なものではなく。(多分、ifさんもその考えはサイト運営を通して構築していったアイデアだと思うのですよ。設立時はもっと淡いものだったのではないかな。その内に色々考えたり、色んな交流をしたりして、視野を広げ、思想を成長させていくのだと思います。) 今、自分のサイト設立当初のことを思い返してみるとこんな感じでしょうか? 他の面白いサイトを見て感銘を受けたり、なんか知らないけど気持ちが昂ぶってモノを書いてみたり。恥ずかしいから見られたくない、でも見てもらいたいという葛藤の中、試しにアップしてみる。 毎日書き続けている内に段々書くことにも慣れてきて、人に見てもらいたい気持ちが増えてくる。ちょっと宣伝したりしてみて、訪問者数の増減に一喜一憂してみたり。そのうち、閲覧者との対話が生まれたりして喜んでみたり。 それは誰にでもある気がする。うまい言葉が見つからなくて申し訳ないけど、ここら辺が根底にあるのだろうな。。。 変な言い方をすれば、サイト管理者は誰しもアクセス至上に陥る可能性を秘めている。そう言った意味では、塾憂がたまたま筆頭に上がってしまったが、別に彼が悪というわけでもなさそう。ある意味、サイト管理者の代弁者だったのだな。 塾憂は、結構工夫していたし、面白かったと思いますよ? 数回しか見たこと無いけど(w でも、認知的不協和殿の「いまさらアクセス至上主義」に書かれているように、「アクセス至上」ってやっぱりおかしいと思う。 多分「アクセス至上」というのは主従が逆なんだな。本末転倒であると。 塾憂自身がどこまで「アクセス至上」だったかは知りません。本当にそれだけだったのかなぁ。ただ、罪としてはそれを許す雰囲気を作ってしまったと。(失礼ながら)中身のあるとは思えないサイトの増長を助勢したと。そこら辺が呉氏との違いだと思われ。呉氏は明らかにサイトの質向上のために一役買っていたのだから。 まあ、本来、「アクセス数アップ」≠「アクセス至上」なのだけど、アクセス数を増やしたいサイト管理者達の「アクセス数アップ」のために、塾憂が利用された部分は見受けられますね。しかも、そのサイト管理者達はそこら辺の意識が曖昧で、訳も分からずに塾憂を自分たちの代弁者として祭り上げていたようにも思える。一種の教祖。 で、信者の祭りに悪ノリした塾憂はいくつか企画を立てていったのだけど、LINE ONに一喝されて(12/4、5付け日記を参照のこと)、ショボーン状態。(2/11追記:LINEON 12/7にも記述あり) そこから、もともと「アクセス至上」を快く思っていなかったコンテンツ重視サイトでのアクセス至上主義叩きが始まると(これは嘘だな。違ったところで論争がたくさんあったし)。まさに揺り戻し現象。 そして現在のテキストサイト界では「アクセス至上」を巨悪とする雰囲気に包まれていると。行き過ぎて「アクセス数アップ」すら自己顕示欲として否定されるような雰囲気もあると。 そんな感じなのでしょうか? 事実関係をもうちょっと調べないと断定できないですよね。。。 最近、乱文気味ですみません。。。お休みなさい。
|
|||||