テキスト論用メモ(テキストサイト界の風潮)


2002/02/02(3−435まで消化)
●誤読
これは松田スタイル「対談2」に関する部分で書こうかなと思ってたのですが、とりあえず。

「対談2」は、サイト管理者の心情を代弁する部分を確実に持ち合わせてはいるのですが、とても読み辛い。理解を妨げる障害があまりに多すぎるのです。彼自身分かっていて、そこでは敢えてそれをやっているようでもあるのですが、色んな部分で刺激が強すぎて、本当に言いたいことが伝わり難い。(そのことは近々纏めるつもりです)

さて、彼の言いたいことの一つである「誤読」というもの。果たして「誤読」という現象を引き起こすのは何かを考えれば、要素として2つ挙がります。

1.筆者側の問題
2.閲覧者側の問題
「対談2」では1.からの視点が欠落しています。それは「美少年憑き」の12月29日でも指摘されています。

まあ、それは置いといて、今回問題にしたいのは2.閲覧者側の話。なぜ、閲覧者は誤読してしまうのか?

理由はいくつか挙げられるでしょうが、その中でも一番やっかいなのは閲覧者の「感情」ではないかと。個々人の持ち合わせる感情が文章の本意への理解を妨げさせているのではないかと考えたりしてます。
例えば、昨日の文章のこの部分。

チャー「はぁ・・。別に良いんじゃないですか? 慶応幼稚園の問題なんでしょ?」
アルオ「なにー!!け、慶応?! ふはは、この程度の問題か。慶応の弱点見つけたり!!
    よし!オレがその謎を解いてみせる!!」

チャー「あのー、幼稚園なんですけど」
アルオ「うるさい!これはオレと慶応との戦いなんだ、口をはさむな!!
    あの時の屈辱を忘れはせん。今こそ、その仕返しを・・。ふはははh」

チャー「(嫌なことでもあったのかしら・・・)」

ちょっとしたジョーク(ここは笑うところだったのです。お願い、笑って)で書いていますが、アルオは完全に違うところで反応してしまい、言葉の真意を捉えきれていません(MY LIFE AS A DOCの「議論になってない」でも、議論に引っ掛けて、このような人間の心の動きについて解説されています)。

さて、今回のタイタンの誤読振りを振り返って見ると、多分、非常にコンプレックスの多い方なのではないかという気がしてなりません。アルオのように、一つの言葉に反応しすぎて真意を読みきれてない。何がそうさせているかまでは分かりませんが、そのコンプレックスに起因する感情の起伏の激しさが今回の事件を生んでいることを、彼はもっと自覚すべきでしょう。

もちろん、これは誰しもに内在する問題で、私にもそういう部分があります。そういう意味では私も多数のコンプレックスを持ち合わせる人のようで、すぐにカチンと来て人に食って掛かることが多かった。最近やっとバランスを取れるようになってきたかな、とも思うのですが、自分の青さを痛感させられる時も多々あります。まだまだ修行が足りんのー。

話を戻すと、とりあえず、タイタンは己に内在する絡み合ったいくつものコンプレックスというものを一つ一つ解きほぐさなければならないのではないかと。それは大変な作業なのだけど、いつかはやらねばならないのでしょう。苦い話ですが、耳をふさいで頑なになっても何も解決などしません。

まあ、なんというか、誤読し、真意を理解せずに食って掛かる人は、大抵、そこら辺に何らかのコンプレックスを持っているのでしょうね。これもまた他人事ではない話です。私たちもそれに気付き、己と向き合わなければならないことがあるですから。

そうそう、負のコンプレックスについて言いましたが、それに対して正のコンプレックスというものもあるわけで、そこら辺についてはいつか。尚、ここら辺に興味のある方は、ユング心理学関係の本を漁ってみては? 河合隼雄先生や秋山さと子先生の本などは読み物としても結構面白いですよ。


2002/02/03(3−435まで消化)
●投影
さて、ちょっとだけ昨日の続き。

人間というものはうまく出来ているものでして、嫌なことがあったり、受け入れ辛い状況に見舞われたりした時、さまざまな手段を用いて自我を安定化させようとします。心理学では、そのような心の動きを防衛機制として、いくつかのパターンに分類しています(《内山ノート》2.心理学 [心理学2](社会福祉士たんぽぽネット)に、用語集的にまとめてあるので、興味がある方はどうぞ)。

この防衛機制の中には「投影」というものもあります。《内山ノート》から引用してみると、

[投  影] 同一視とは反対に、自分でも認めがたい自らの欲求や衝動、あるいは弱点などを他人の中に見いだし、それを指摘したり非難することによって、不安を解消しようとすること。自信のない人ほど、他人の欠点を批判したりする。
これは誰にでもある心の作用です。しかしまあ、困ったことに、本人の自覚の無いままに他人を攻撃してしまうケースが多いようです。

私自身もそうでして、友人の行動を非難していたら「お前もそうじゃん」などと言い返され、自分を省みてやっと自分の愚かさに気付くことがある。そんな時は、苦笑いで誤魔化すのですが(w

この場合、結局、他者は鏡に映った自分なのです。他人への攻撃は、実は自分への攻撃でもあるのです。

時たま見かける無思考な攻撃的文中リンク(文章自体は正論なことが多い)も、それに当たることが多いのかなぁと思ったりしています。もちろん、それだけで全てが割り切れるはずもありませんが、要素としては捨てきれません。

このことは、皆がそれぞれに考えなければならないのではないかと感じています。もう少し自分というモノを知っていても良いのではないかと。ただ、考えすぎると何も出来なくなってしまうので適度にね(w

もう一度言えば、このような心の動きは誰にでもあるのです。

そして、タイさん。大分落ち着いてきたようなので言ってみます。狙っていたかどうかは知りませんが、貴方は今回の事件で主役を演じたわけですが、これを読んでどう思われましたか?


こっちは雨なので、今日は外に出歩かないで本件の事件簿を作成することにしました。これは第三者である私の視点から書かれております。貴方にとっての他人から、どう見られていたかが分かるでしょう。あとでアップするので、事件簿の方は冷静になれたときにでも読んでみて下さい。それが貴方の成長の糧になることを期待します。かしこ。

追記:
やっと形になってきたので暫定1版としてアプ。


2002/02/05(3−435まで消化)
●2面性(さらに修正版)
斬鉄剣<水槽・多分終わり>を見ていて、面白そうな話だったので、ちょっと考えてみました。

ユング心理学的では、人間の心を意識と無意識に大別している。また、この2大要素はバランスを保っており、常に全体を安定化させようとする動きがあるともしている。

嫌なことや辛いことなどの受け入れ辛い事象が発生した場合、人間の心はそれを忘却したり、都合の良い論理に置き換えたり等をして、意識→無意識に押し込めようとし、対外的には表面上の安定を取り繕う。が、意識が弱かったり(情緒的というのか?)、意識が緩んだり(酔っ払ったり、寝てたり)、意識すら超えるような感情(「カッとなって」とか)があった場合等では、無意識の中に抑圧されていたものが、一気に表に噴出してくることもある。

さて、インターネットというメディア。ここでは対人という関係は非常に希薄であることが一つの特徴として挙げられる(実社会に比べてという意味)。

その場合、人間は意識レベルを下げ、無意識というものが非常に活発となる傾向にあるのではないだろうか。日頃抑圧された感情というものが噴出しやすい環境であると。そして匿名性というものがさらにそれを助長している。

実はその問題は以前から危険視されている。例えば「インターネットよ"最悪のメディア"になるな」(1997/08/04、歌田明弘の地球村の事件簿)では、ネットによる集団心理(大衆?)の怖さを訴えている。2ちゃんの問題も同様であろう。(電脳私刑所でしたっけ?)

語弊の無いように言っておくと、無意識が悪いというわけではない。それは人間にとって重要な要素である。が、この要素の度合いが強くなりがちなインターネットという社会は、比較的人間のダークな部分を映し出してしまうのかもしれない。(※1)

さて、ここで日記系サイトというものを考えてみると、もろに上記に挙げたインターネット的な傾向を感じてしまう。サイト管理者にとってはリラクゼーションの場なのだろう。無意識内に抑圧された負の感情の吐露。毒抜き。懺悔室。それをすることで、心のバランスを取っているのだ。この場合、閲覧者はその負の部分を自分にシンクロさせて、気持ちを浄化させる(癒し?)ことが多いように思える。気持ちの代弁者と言う訳だ。

それとは逆に、インターネットを公的場として捉える人も居る。その人々は他人に見せるための文章を書いている。それは、ある意味での腕試しであり、自信をもって発表されたものであるためか、見ごたえのあるものが多い。そして、公的であるがゆえ、そこでは他者とのコミュニケーションが成立しやすく、対立や発展や止揚が生まれやすいと考えている。

なんというか、インターネットというものを公式の場と捉えるか、閉じた私的な空間(グチ溜め?)と捉えるか。。。なのかな? この立場の違いこそがweb日記界を分断させている大きな溝の正体なのかもしれない(なんとなく、以前私が居たソフト系には前者が、日記系には後者が多いように感じている)。


あと、最後に言っておきますが、色んなサイトで言われているように(※2)、web日記では「人間の心のある側面が露呈する」というのが正解なのでしょう。

また、実は、意識的に書かれた文章よりも無意識に書かれた文章の方が、その人の全体像を図りやすかったりします。たまに、訳分からない説を唱えた挙句、「インターネットと現実社会は違うんだ」と言い切って逃げてしまう人が居るのですが、そんなことはなく、そういう人はインターネットでも実社会でも同じことを繰り返していることに気付いてないだけでしょう。(※3)

ちょっと中途半端でゴメンね。
以前、九十九式では「日記サイトが批評された時、何故激怒するか」ということを論じてて面白かった。あと「尾崎と浜省」も。それらも考慮に入れて、もうちょっと論文っぽくして「日記サイト論」みたいな奴をいつか作ってみたいなあ。。。

他におもろい奴があったら是非教えてください。ここに書いておいてもらえると助かります。とりあえず、今回、考えを纏める上で参考にしたサイトを以下に挙げておきます(順不同)。

歌田明弘の地球村の事件簿--インターネットよ"最悪のメディア"になるな」(1997/08/04)
ベロス同盟(ルミたん)--2/4,BBS
斬鉄剣(ナミ氏)--<水槽・多分終わり>
WEB SITE(いがらし氏)--日記1/29
D-Point--日記才人ネタのカテゴリは居心地が良い
if→itself(if氏)-- 02/01/17【ちなみに私はアンチ剣です。】
99式(宮本勇次郎氏)--2002年 1月17日(木) ニンジャくんのテキサイニュース3
デマゴーク(朕氏)--「面白いテキストを書いてみよう」
無題(マサムネ氏)--どの文章を参考にしたか失念。失礼。今度ちゃんと探します。
無情な日常(マサ氏)--どの文章を参考にしたか失念。失礼。今度ちゃんと探します。
一連のお魚騒動

(※1)
インターネットに社会はないという意見もありますが、人が集まり影響し合っている現状を考えれば、そこは一つの社会であると言ってよいでしょう。

(※2)
斬鉄剣と無題は、「web日記から見える人間性」について、一見違うようなことを言いながら、実は同じようなことを言っている(いや、微妙に歩み寄ったのかもしれない)。但し、両者の立場は違う。斬鉄はリラクゼーションとして無意識的に、無題は公式の場として意識的にwebを捉えている節がある。

(※3)
ルミたんも同じようなことを言っている。が、実は微妙に違うことも言っているので本稿と共に参考にされたし。

追記。
龍成さんのD-Point「”作品”への思い入れの希薄さ」も、面白い視点でした。


2002/02/06(3−511まで消化)
●2面性(追記)
誤解の無いように言えば、昨日言ったのはwebに対するスタンスの話でして、意識的だから面白い、無意識的だからつまらないというわけではないです。そこら辺は管理者のセンスや器に基づいちゃうと思うんですよねー。

それに、意識的でありながら、無意識的な要素が散りばめられているとか、その逆とか。それらは割合いの問題なので、傾向が出るのは確かなのですが、明確に2分できるというわけでもありません。

まあ、傾向があると。

例えば、エッセイ/随筆/日常語り何かは非常に無意識的であり、主張/コラム/ネタなんかは非常に意識的であるという程度に思っています。どちらが良いというわけではありません。そして、それぞれ求められるものが違うのではないかと。

ただ、(身体ではなく)精神的に成長過程の方々も時々いらっしゃるようで、あまりの浅薄さに呆然としてしまうこともあります。まあ、大器晩成なのかもしれません。揉まれて大きくなっていってください。

学術書が実家にあるので、うろ覚えの知識で書いていて申し訳ない。なんとなく調べていたら、 ”臨床ユング心理学”(物語り研究所「夢前案内人」)なんていうのがありました。ユングについて、比較的教科書的に纏められているように思います。興味のある方はどうぞ。

。。。しかし、心理学を学ぼうとする人は、何故か変わっている人が多いような気がするなぁ。あ、そう言えば、ひろゆきも心理学専攻でしたっけ?(w


2002/02/08(3−511まで消化)
なんかよく分からないけど昨日からルータが正常動作しなくなってしまって、つなげるのに午前中を費やしてしまった。。。とりあえずつながりましたが、原因不明なところが怖いです。。

●フリーとシェア
デマゴーグにて「そのサイト1回なんぼや」という企画が催されていました。「ありゃま、危ない橋を渡るなぁ。。」というのが正直な感想です。それって結構センシティブな言葉なもんで。

もちろん、デマゴーク的にはジョークでやっているわけですが、誤解は受けやすいかも知れませんねぇ。

なんというかなぁ、多分、日記系というのは無償だから面白い。という側面を持っていると思います。ソフト系もそうでして、製品(シェアウェア)がナンボのもんじゃい!という空気の流れていた時期があったと思います。まあ、最近ではシェアウェア容認という流れのようですが。

実際の話をすれば、フリーウェアって労力に対するメリットがあまりに少ないんですよね。自分が必要だからとか自分が面白いからとかいう枠を超えちゃうと、そのギャップに馬鹿らしくなってくるのは確か。最後の方は特定の誰かのために、とか己の意地だけでやったりするのですけどね。段々萎えてくるものでして。その辺はいつか書いたと思いますけど。

その点、マネーは作者側のモチベーション維持のために大分役立つのは確かなのでしょう。責任も重く圧し掛かってきてしまいますけどね。

ただ、周りに居る人は良い顔をしないかもしれません。「なんだよ!オレ達だって頑張っているのにアイツ等だけ得しやがって!!」と言った感じ。それによって、一時的にその界隈の地盤沈下が引き起こされてしまうかもしれませんね。

でも、腕に覚えのある連中がどんどんプロ化したり、ベンチャー企業を立ち上げたりしている様子を見ると、このやり方も間違ってないのかなぁという気もしています。そして、テキスト界もそういう流れになっていくのかなぁ。。などと夢想してみるのです。

結局あれなのかな。テキスト界が大きくなりすぎたと。提供者は与える一方となり、閲覧者は貰う一方となり。それぞれ専門化が進んだと。その場合、閲覧者から提供者にメリットが行かない。非常にアンバランスな状況であると。

少し前は侍魂、最近はロジパラが広告張ったことに対する是非というものが取り沙汰されたりするけれども、あれはそのアンバランスを是正するための一つの実験になるのかもなぁと思ったりしてみました。

あぁ、話がそれすぎ(w

そうそう、集計に際して、テキストサイト界にはどれくらい経済効果があるのか、辺りの分析もしてもらえると面白いなぁ。>朕殿。


2002/02/13(3−604まで消化)
●匿名性(2)
02/05において、インターネットの特徴の一つである匿名性について書きましたが、マイナスばかりではないことも記述してみたいと思います。

人間というのはとにかく権威に弱いようです(*1)。権威者の発言をそのまま受け入れてしまう傾向が人間にはあるのです。その場合、内容の正当性等は考慮されません。

これは時に不幸を呼びます。YESマンに囲まれた権威者(例えば社長とか)が思想のバランスを崩して、廃退していくなんてのはよくある話です。

その点、匿名には権威がありません。故に、匿名の方が、自分の意見をストレートに相手に伝えることができ、また相手からもストレートな意見を引き出しやすいのではないかと思ったりしています。

にも関わらず、昨日はあまりに情報を流しすぎたような気がしてなりません。匿名が匿名で無くなってしまった気が。。。やっぱ失敗でした。。。失礼。まあ、既に、名無し537という匿名でないモノになっているのでしょうけど。それもあんまり良くないなぁ。。。

とりあえず、失礼ながら、一言だけ言わせてください。

最近、ここには800人程度の方がいらっしゃっている様子(このカウンタでは同一IPは24時間カウントアップされません)。大変有り難いことと思っております。

また、リンクしてくださる方も増えてきまして。そこでちょっと気になったのですが、どうも中立とか客観的とか評されているようです。私はそうでも無いと思っております。

あんまり安心して読んでいると、いつかきっと私に騙されますよ(w 参考レベルで読んで頂く程度が宜しいかと。

(*1)
すみません。これもうろ覚えです(手元に資料がない。。)。「服従の心理」(ミルグラム著)という古典的名書に詳しいので、興味のある方はどうぞ。googleで調べたら、僕は何故ここにいるのか?−−第四十二編 服従の心理―アイヒマン実験 第220章 ミルグラムの実験を見つけることができました。比較的簡易に纏めてあるので、ご参考にどうぞ。


2002/02/13-2(3−604まで消化)
●軽率な他人弄り
「メギャーン」ネタや野牛レンジャーに対する優しさを垣間見せて、好感度アップ中だった斬鉄剣ナミ氏であるが、騒動の起点となりうる発言「<軽率な他人弄り>」を残し、朝イチ新幹線へ。主旨としては「無題の影に隠れてコソコソと斬鉄剣を誹謗する奴等はムカツク!」ということであろう。

それに呼応したのが、下記サイト。(情報ソース−テキスレ523及び野牛スレ138

WEBSITE(イガラシ氏)−2/11付日記
荒廃の歌(黒猫氏)−私の今日の想い(テキスト関連)
ケルベロス(獄氏)−2/13 War Zone
NO FUTURE(Sakai氏)−2月12日
尚、無題マサムネ氏は2/11,12にて、事態を静観する構え。

無題で紹介されているが、暗黒KANON(弁証と弁論(日々雑記))において今回の文章について面白い角度から考察している。また、小太刀では2月12日にてちょっとした憂いを表明している。

所感を述べれば、心情は理解できるも、ナミ氏の発言はちょっと踏み込みすぎたように思える。先日の匿名性でも書いたが、大手はそれだけで多大な影響力を持っているのだ。そういう立場の人物であればあるほど、慎重であり、人格者であるべきだと私は考えている。一人の人間としては辛いところであろうが、そういうものではないだろうか?

ちょっとだけ気になった点について、夜にでも書いて見たいと思います。まあ、ナミ氏の置き土産「他人弄りをいとも簡単にやっちまう今の風潮」についても暇見て。忘れないように羅列メモ。

・理論と論理はモノが違う。
・論理は万能ではない。(論理による考察には限界がある)
・風潮
 ・そもそもweb同士は並列の関係
 ・パソコンの普及、プロバイダ料金の低価格化等による大衆化
 ・大衆化とともに人気の一極集中化(CDのメガヒットに通じるものがある?)
 ・webへの接し方の劇的な変化(give&take→give側とtake側に2極化)
 ・匿名性(無意識の開放)
 ・公的と私的の混同(webにおける対人への希薄な意識)


2002/02/14(3−604まで消化)
●他人弄り
「他人弄りをいとも簡単にやっちまう今の風潮」と斬鉄剣のナミ氏は「<軽率な他人弄り>」にて訴えます。

ここには「昔の風潮はそうでなく、今の風潮はそうだ」というニュアンスが含まれているように思えます。果たしてそうなのか? 客観的な統計データがあると良いのですけどね。実際のところ、本当にそうかどうか分かりませんので、私としてはいきなり解無し状態に陥ります(w

そこで、まあ「webでの他人弄り」に範囲を広げて大雑把に考えてみようかなと思っています。明日以降になりますが。

それではお休みなさい。

●追記:権威の怖さ
そうそう、2/13で書いた「●匿名性(2)」で書いた権威の怖さについてですが、荒廃の歌(黒猫氏)の「斬鉄剣解体新書」でも書かれていましたね。ご参考まで。

題材として、斬鉄剣を持ってくるのはどうかと思いますが(別に題材を斬鉄剣にする必要も無かったはず)、言っていること自体は正しいかと。


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