
エホバの証人からの帰還
林 俊宏
エホバの証人の問題は一筋縄ではいかない問題です。これからどういう話になるか見当が付かないのですが、私が『エホバの証人の悲劇』を書いたのはちょうど10年前です。私がそれをテーマに講演した回数は、この前数えてみましたら、十数回に上りました。このたび上越市にある教会と親しくなりまして、来週、上越でエホバの証人の話をするようになりました。
エホバの証人の人数は26万人、日本人500人に一人が証人で、関係者を含めると120万人になります。
地方都市に行くとエホバの証人の問題は知っているんだけれど、なかなか問題の本質がつかめないということを耳にします。全国には3,500の会衆があり、エホバの証人にどう対応したらいいか分からない。今日は、出版の経緯、読者との関わりを通して何を感じているか、この問題から抜け出すとは何なのかを体験をふくめて話をします。
私がエホバの証人の問題と関わるようになったのは、今から30年です。別れた妻がエホバの証人の友人から手紙をもらい、聖書研究を始めたけどどうしたらいいかと尋ねられましたので、教会に行ってみたらどうかなとアドバイスをしました。すると妻が近くの教会に行きましたところ、きちんと相手にしてもらえなかったということでした。エホバの証人の問題はきちんと理解しないで対応してしまうためです。それが大きな出発点でした。そのとき、教会が彼女の心ときちんと向かい合っていれば私の人生も全く違っていただろうと思います。『エホバの証人の悲劇』を書くまでにはさらに20年あります。皆様の体験している宗教戦争を繰りかえしながら、妻と何とか絆を保ちながら暮らす方法はないのか、また子どもたちをエホバの証人から引き離せないかと悪戦苦闘しながら14年を暮らしてました。
本を書くきっかけは神業のようなものでした。10年前、私は週刊現代の記者をしてました。その頃、オウム真理教が脚光を浴びて、カルト宗教が非常に社会的な関心を集めていた時期でした。その中でものみの塔はそれほど注目されていませんでした。97年以前に大ちゃん事件があって社会的関心を集めましたが、そのときの論調では一つの信仰形態があるんだなという見方でした。10年前にたまたまカルトの特集をすることになりました。それで私は家族を救出する気はなく、子どもへの影響を最小限にとどめればと、思っていました。妻が関係を持っていた宗教には関心を持ってましたので資料などを集めましたし、救出できないかとウッドさんに相談しましたがやはり救出は難しいと思ってました。いろいろなカルト宗教があり、データが集まりました。ものみの塔は格闘技拒否とか、輸血拒否がありますが、必ずしも反社会的な活動をしていないようだ。カルト宗教は有名人を広告塔にするパターンがありますが、ものみの塔の広告塔は誰かということになりました。長島亜希子さんがエホバの証人ではないかと聞きましたので、取材をしました。別の取材で無関係だと分かりましたが、たまたま「ものみの塔」や「目ざめよ!」を読んで関心を持っていた程度で噂が広まったのかなと今では解釈しています。これが『エホバの証人の悲劇』につながる導火線です。取材の中で中澤牧師に会いました。JWTC発足一年目の頃でした。当時は強い関心を持っているJWTCを知らずにいました。中澤先生とお話ししている時に私から「実は妻が証人で困っています」と言いましたところ、「とにかくこの問題は複雑な要素が絡んでいて実態を説明するのに骨が折れます。教理を批判する本はいろいろあるんですが、できれば一歩距離を置いて社会的にどうなんだという視点から書かれた本があるといいんだけど」という話を伺い、当時はそれまで書く気はなかったのですが、それでは私がやってみましょうとなりました。それが1997年の始めだったと思います。それが『エホバの証人の悲劇』が生まれる狙いでした。
『エホバの証人の悲劇』は3,000部くらい売れればお終いだろうと予想していましたが、これほど尾を引くとは思ってませんでした。今でも売れ行きは衰えず、業界の人から言わせると珍しい本だと言われてます。出版当時は注文の電話が鳴りやまず、毎日のように読者から切実な手紙が届きました。否応なくカウンセラーの立場に立たされました。手紙には二通りありました。一つは体験者、元信者の体験記でした。その人たちは過去を追体験することで手紙を書いて気持ちの整理をしたかったのでしょう。誰かに自分の思いを伝えてエホバの証人だった時期を整理したかったのだと思います。本を読んでショックを受けた脱会した人たちからのものもありました。中澤先生に回送してフォローをしていただきました。もう一つは家族からの手紙でした。妻がエホバの証人で困っている方々です。この2つの比率は半々だったと思います。具体的な展開が書いてあると対応しやすいのです。例えば話し合いをしていて輸血拒否についてもっと詳しい材料が欲しいとか書いてあると切り返し方があります。当時はほっといたらどうかと返事したことも多かったと思います。救出は難しいと理解してほしいし、ほっとくという選択肢もあります。エホバの証人の問題は、人間関係での拒否反応が多く、反応しても消耗してしてしまいます。関わる人間にとってはとっかかりがなく、苦しみますが、エホバの証人は攻撃的ではないので時期を待って見守っていくのも一つの解決方法ではないですか、と返事を書いていたことがあります。子どもだけでもなんとかしたいといった手紙も受け取りますが、子どもは子どもが自らの未来を考えるときになったら対応したらどうですかと返事をしました。
当時非常に印象に残っている手紙がありました。一つは短大生からで、母親がエホバの証人、父親が未信者で毎日激しい夫婦けんかを続けていました。母親からは離れて暮らしています。いつもけんかしていたのはなぜかと思っていたのですが、その原因を知らずに『エホバの証人の悲劇』を読み、悪いのはエホバの証人を操っているものみの塔だと気が付いたそうです。それで両親を許せるようになり、父親は口には出せず辞めさせようとしていた一種の愛情表現だったと分かったそうです。母親は考えを誤っていたけれど何かを求めてものみの塔に入っていきました。ものみの塔に騙されているということが分かって自分は救われたという内容でした。
もう一つはバプテスマ直前まで至った女性の例でした。その方はバプテスマを受けたいと夫にうち明けたところ、夫が「エホバの証人の悲劇」を差し出して「この本を読んでみないか、気持ちが変わらなかったらバプテスマを認める」と言われたそうです。本を読んでみて騙されていたことに気が付きました。気が付いたらとんでもないことをしたと思い、私に手紙を書いてくれました。騙されましたと夫に言ったとき、夫は「よく気が付いてくれたね」と言ったそうです。それで自分が救われたという手紙でした。夫はずっと見守ってくれていて最後に許してくれた、それで愛情を感じたと思っていました。
ものみの塔にとってこの十年間で意外だったのは「エホバの証人の悲劇」が登場したことです。ものみの塔は停滞していて伸びてません。その理由の一つは「エホバの証人の悲劇」だとものみの塔が言っているという話を聞いて納得しました。一つはこの世界で研究を進めた人にこの本を読ませて予防薬になっているという面があります。ものみの塔から帰還した人が防波堤になって人数が増えない原因になっていると思います。
私のようにエホバの証人の家族がエホバの証人に取り組んだ本というのは「エホバの証人の悲劇」が最初だそうです。教義を批判したり、歴史を書いた人はいますが家族の視点で書いた本は「エホバの証人の悲劇」が初めてでしょう。痛い者は痛い、困るものは困る、それが真実です。真実が心を打ったとき人の心が変わり方をします。30年間エホバの証人活動をしていて本を読んでマインドコントロールが解けていったという話を聞いています。本の中にある真実に触れたときに人の心が動いていく、ものみの塔から帰還していくきっかけになるんではないかと思っています。
エホバの証人に関心ある人に言いたいのは予防です。「エホバの証人の悲劇」を持っていって相手に差し出すのは有効です。買えない人は近所の図書館に本をリクエストしてください。それほど抵抗なく購入してもらえます。図書館にこんな本があるから読んでみたらどうですかと。カルトは信じたらどうなるかを伝えない集団です。特徴です。信じたらこうなりますと教えるのが予防です。もう一つは現実にエホバの証人が居たらどう対処するかです。最近、私は、教会に連れて行ってください言っています。牧師にエホバの証人問題は何かを説明してください。エホバの証人になりたがっている人がいるけれども話し相手になってもらいたいと教会に話してください。教会は温度差があってエホバの証人に関心がない教会はエホバの証人とどう向かい合っていいか分かりません。それについてはできるだけ情報を提供して教会が問題に向かっていただくような取り組みをする働きかけを教会でやっていただきたいのです。
エホバの証人をやっていた人たちとどう向かい合うかといいますと、気が付いた後、ふらふらふらついています。エホバの証人や研究生をやっていた人ときちんと向かい合っていくような教会が一つでも多く出てくればこの問題は軟着陸できる余地ができるのではないかと思っています。エホバの証人に疑問が出てきたとき教会に連れて行ってカウンセリングを受けさせてもらいたい。専門家に連絡を取って専門の牧師と連携を取るような、エホバの証人と向かい合うような体制を作ってもらいたいとお願いしています。その体制ができたとき、教会がエホバの証人に向かうきっかけになると思います。
結論は神の愛をどう捉えるのかです。エホバの証人は何かをしなければ神の愛を受けられないと言います。神は信仰によって一方的に愛を与えるというのが教会の教えです。この違いが大きな違いだと思います。神から見ればエホバの証人も大切な人たちでしょう。神はものみの塔の冊子を配ることに人生を費やしなさいとは思っていないはずです。それぞれの個性に見合った生活をしてもらいたいとエホバの証人を見ていると思います。