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A. Tanzania

- Jottings-

(2000
10) 
1) 1985
年よりは3年半のタンザニア駐在となったが, その頃のDar es Salaamはアフリカ型社会主義を続けていた為 市場に物がなく,まともなHotelもなく,又,外国人が使えるレストランもなかった。食材も外国より運び込み,自宅に発電機を取り付け,自給自足の生活をするしか一定の生活水準を維持する方法はなかった。水の確保にも努力を要した。 象牙やマコンデの木彫は屋台で並べられていたが,古着や時計との物物交換も可能だった。 生活環境は開放政策に転換後徐々によくなったが,相変わらず治安が悪く強盗等の日本人犠牲者も多く出た。

2
)駐在員の子弟はInternational Schoolに通い,又,日本人補習校もあった。四国よりも広いセレンゲッティやゴロンゴロと言う動物保護区があり四輪駆動で動物を探して走り回るのは別世界の出来事の様で野生動物の姿や景色が今でも夢の中に出てくる。 ガイドの視力2.0はあたりまえで5.0という人もいて数100メートル先の木の上
の豹(Leopard)を見つけ案内してくれた。

3
)アフリカ象はインド象と違い絶対に人には懐かない。現地の人も象の集団を見ると通り過ぎるまでじっと待っている。ロッジのそばに来た象にバナナをあげようとした外国人が象の鼻の一撃で即死したとの話も聞いた。ライオンはメスの集団が狩りをしてオスはそれを横取りする。ハーレムの中心にいるオスの役割はハイエナ等をおいはらうこと以外はハーレムを他のオスより守りぬくのが仕事。サイ(rhinoceros) やチータ(cheetah)は探すのに苦労する。シマウマ(zebra)やキリン(giraffe)はどこにでもいた。 カバ(hippopotamus)やフラミンゴ(flamingo)はいる場所が決まっている。トムソンガゼルやジャッカルも良く見かけた。

4
)ロッジで夕食をとった際,カバ肉とシマウマ肉ステーキから選ばせられ,料理が来たのでナイフとフォークを手に取った時,目の前から消えた。マントヒヒにとられた為であることがすぐわかったが逃げられた。野外では鳥のモモ肉を口にくわえようとした時,羽のようなもので顔をたたかれ手からモモ肉が消えた。これはコンドルに横取りされた為。鳥は目が良いと再確認。

5
)現地のチェコ大使館の人と仲良くなり,チェコグラスを大量に仕入れた。それが縁でチェコ製トラックタイヤの輸入も手掛けた(300万米ドル) 契約交渉の為プラハに出張した際,この参事官の家に招待された(当時は社会主義国だったので外国人を家に招くことは稀だった) 彼は古董品を集めていて手書きの独語で書かれた年代物の聖書を見せてもらった。

6
)熱帯熱マラリアには駐在員の半数以上かかった。早期に薬を投与すれば治り,戦時中日本兵がかかった3日熱マラリアと違い再発することはないが,手遅れとなると死ぬ。又,近海魚を充分水洗いせずに刺身にしたものを某日本人宅で食べ,コレラにかかり水も受け付けなくなり脱水症で死にそうになった。抗生物質と点滴で一命をとりとめたが,これは“好塩菌”に対する知識が無かった為。 日本で Diving Licenceを取った時も教えてもらえなかったが,日本の近海魚もよく水で塩分を流してから刺身にする必要がある。

7
)タンガニーカ湖の辺りにチンパンジーの研究者が常駐しているところがあった。京大の霊長類研究所の人も来ていたが,日本人はチンパンジーの顔を見分けられると他の外国人研究者がおどろいていた。花子とか太郎といった名をつけて生態を研究していた。中波ラジオ放送局(ODA)の引渡し式で近くに行ったことがあるが涼しくて空気の良いところだったがワニが時々現れる由。

8
)キリマンジェロ山に登ることも可能で,カーター元大統領や日本の某映画俳優の親子が登頂した。現地のガイドが3040kgの荷物を平気でかついで一緒に登ってくれるので,杖一本で登山が出来るが,高山病にかかったらすぐ下山すべき。


B. India

- Jottings -

(2000
10)
1)
インドには1984年陸上ガスパイプラインProjectの件でNew Delhiに約2週間滞在したことがある。当時はインデイラガンジー首相の時代で, このProjectに円借が付く可能性を聞きに出張前に通産省の担当官に説明に行ったが,“穴を掘って埋めるだけではそれほど技術もいらないのでは”とNegativeな反応だった。

2) New Delhi
にて現地の大蔵次官や日本大使館の参事官と面談時,Gas Pipeline には高度な技術が必要なことを力説した。 数日後に来られた中曽根首相が 記者団を前に(スピーチ原稿にはなっかたらしいが)本件を円借案件として考えている旨の発言をされた。 翌年アフリカの駐在となったので,その後の経緯は詳しく知らないが,1984/85/86年度計550億円の円借案件として実現した。

3)
宿泊先の某一流ホテルの水割りの氷のせいでアメーバ赤痢にかかり発熱と下痢に丸2日間苦しんだが,週末にはGolfが出来る迄回復した。  暑さには慣れているがDelhi Golf Club内にクジャクや牛が歩き回ったり寝そべったりしていたのを今でも思います。

4) Hotel
で知り合ったインド人より“昔はインドも緑茶を飲んでいたが,インドから英国に船で運ぶ途中に発酵し現在の紅茶になった”という話を聞いたが,これは俗説。 緑茶は不発酵茶故, 如何に高温多湿の環境下でも発酵がすすむ事は無い。 中国では今でも緑茶をよく飲んでいるが, 日本の緑茶とは熱処理の方法が違い, 釜炒りが多い。


C.
イラン

 - Jottings -

(2000
10)
1)
オイルタンクProject の件で, お土産にシャブシャブ用の牛肉を4kgかかえTehranに入ったの1990年。 ブタ肉ではないので通関は問題なし。 数ヶ月後,タシク材を受注出来た。

2) Tehran
のバーザールで ペルシャ絨毯 が日本のデパートの1/3以下の価格で売られていた。現金の持ち合わせもなく クレジットカードも持ってなかったのに,ペルシャ商人に“日本に送ったった。 品質もPackingも問題はないが,日本の家では使う場所も限られ,今も押入れの中に眠っている。

3)
黒海のキャビアも安く,空港で買い求め,日本で キャビア丼 にして食した。


D.
南アフリカ、レソト、スワジーランド
 
- Jottings -

(2000
10)
1)
南アフリカのJohannesburg には1990年に レソト 及び スワジーランド へ行く為のTransit何度か入った。 “ゲームの達人”という本を読んで映画も見たあとだったので,是非Cape Townへも足をのばしたかったが,かなわなかった。南アの白人は数100年前のオランダ語がもとになっている アフリカーナ と言う言語を使っていた。

2)
黒人居住区ソエトにも行ってみたが, 以前 タンザニア にいたせいか,意外と大きな病院もあり,きれいな街並みだとの印象を持った。マンデラさんの大きな家も見てきた。

3)
スワジーランド レソト には水井戸の 無償援助の仕込みの為に何度か行ったが、 外国人は現地で投資している台湾人が多かった。 現地政府の大蔵次官や外務次官にも会ったが,“日本政府は南アとの経済関係を問題にするが(アパルトヘイト政策を取っていた南アとの問題)陸続きの隣の国と経済関係を断つことなど出来ない”とぼやいていた。 数年後この水井Projectも実現した。

4) Johannesburg
よりは飛行機でも行けたが,陸路を利用したこともある。 サバンナを道路がほぼ一直線で通っていて景色がいつまでも同じな為 ウトウトしてしまう。 レソト には“夜明け前”と言う映画で見た川を渡り国境を越えた。  スワジーランドのHotel内にあったCasinoでは大負けした。

5)
日本人はJohannesburgの北にある白人居住区に住んでいて,ほとんどがプール付きの一戸建てで番犬を飼っていた。 更に北のSun CityにはCasinoがあり,素晴らしいGolf場も隣接している。 鮑のステーキが最高に美味。


E.
台湾

- Jottings -

(2000
10)
1.
台湾には学生時代に 中国語の勉強の為? 何度か貧乏旅行をした(1968-69)その際“日本語家庭”育ちの台湾人の 流しのオジサンより教わったシリトリ歌をまだ覚えている (戦前の時代背景が垣間見える)

        
日本 島国 松の国
        
国を守る は兵隊さん
        
算術しっかり 勉強する
        
駿河の名所 田子の浦
        
浦島太郎 亀に乗る
        
乗るとすぐでる 汽車の旅
        
足袋屋の看板 大きいな
        
成程感心 姉妹(アネイモト)
        
元より強い大日本

そう云えば お祖父さんより教わったシリトリ歌に こんなのがあった (日露戦争)

      
陸軍の  及木さんが  凱旋し シジメ  メジロ  ロシヤ  ヤバ0
      
クロポトキン  キン00  マカロウフ  フンドシ  シメタ  タカチャーボ  ボンヤーリ


F.
香港

- Jottings -

(2000
12)
1.
日本には“Tax Heaven対策税制”と云うのがあり,仮に香港において節税目的で会社を設立しても発行株式数の50%超を日本の会社が所有する場合はその留保所得のうち持分相当分を出資者である日本法人の所得に合算して課税される。但し,日本人であっても日本国の非居住者の持株が50%超ある場合は日本国の課税対象とはならない由。現在でも香港の法人はOffshore Incomeに対して非課税となっている。難点は会計士の費用がやたら高いこと。

2. 香港は食事や買い物が有名だが、何度も行ってると、物価も高いし、特に面白いところもないので、時間がゆるせばマカオに足をのばすことになりがち。

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