まあ、ここはストレートに行こう。
筆者は、ある種の憤りから、このホームページを作った。
どのような憤りか?
それは、第一には、いわゆる左翼への憤りである。
彼らは、多分に事実と相違する、それこそ宗教的とも言える思いこみのもと、いろいろな歴史歪曲を行ってきた。日本イコール悪という思いこみの元に。
いや、それが事実であるのなら、筆者は諸手を挙げて賛同する。
しかし残念ながら、それは事実とは相違している。相違しているにもかかわらず、戦後の日本では、その虚偽をあたかも絶対の真実であるかのように流布されてきた。
ここに、筆者はある種の義憤を覚えた。
そして第二には、いわゆる右翼への憤りである。
彼らもまた、いわゆる左翼と同様、歴史の歪曲を行っている。違うのは、その歪曲の方向だけだ。
まあ、おそらく彼らは日本という国を愛しているのであり、それ故の行為ではあるのだろう。だが、それが事実と相違する虚偽であるのなら、それは批判されなければならない。
ここにも、筆者はある種の義憤を覚えたわけである。
つまり筆者は、なによりも事実を追求するべきだと思うのだ。
それは、イデオロギーや信念などによってねじ曲げられるべきではない。
それから筆者は、大風呂敷を広げるようだが、日本国民のためと思って、このホームページを作ろうと思った。厳密には、あまり歴史の知識がない若者を念頭に置いてだが。
つまり、「賢者は歴史に学ぶ」である。
例えば、日本は計画的に侵略戦争を行ったかのように言われることがあった。しかし、それは事実とは相違する。現実には、多分に場当たり式に、深慮遠謀というものを欠いたまま、重要な国策が決定されていった。では、なぜそんなことになってしまったのか?
例えば、「日本は負けると分かっていてアメリカとの戦争を開始した」かのように言う人もいる。しかし、これも事実とは相違する。現実には、アメリカには勝てないという情報がありながら、しかし何とかなるだろうという結論がねつ造され、そして開戦が決定されていったのである。では、なぜそんなことになったのか?
また例えば、当時の日本軍は、銃剣で機関銃に突撃するような戦法を繰り返した。常識で考えても分かるだろう。それで勝てるわけがない。しかし、日本軍は大まじめにそういう戦い方を繰り返していった。それは、なぜなのか?
これは、非常に複雑な話となる。
いや、「日本軍は無能だったからだ」の一言で片づける人もいるだろう。
しかし残念ながら、それは違う。彼らは優秀には違いなかった。しかし優秀であるはずのその人々が、とんでもない失敗を繰り返していったのだ。
そして現在の日本でも、この種の事例は無視できない。各種の報道で明らかだろう、優秀であるはずの官僚たちが、いくつもの失敗を犯している。
では、それは何故なのか?
もしや、今の官僚と過去の軍人は、同種の失敗を犯しているのではないか?
と、筆者はそのように考える。
だから我々は、日本帝国が犯した失敗を分析する必要がある。
それは60年も昔の出来事だが、決して他人事ではない。今の我々だって、彼らと同種の失敗を犯しうるのだ。
以上が、筆者の思うところである。
繰り返して言うなら、
1−右や左の歴史歪曲を廃し、事実を見る努力をしよう。
2−教訓として現在に生かすために、歴史を学ぼう。
と、そういうことだ。
そして筆者は、細部にはこだわらず全体像を達観するという方針で、行きたいと思う。
物事はみんなそうだろう。まず、大局を正しく把握しなければならない。そうでなければ、間違った道にはまりこんでしまう。
しかるに、その種の間違いをしている方も、少なくないようなのだ。部分にこだわるあまり、全体を見ることを忘れているような方が。
筆者としては、そのような轍は踏みたくないと思う。
それから、先にも述べたが、このホームページは、あまり歴史の知識がない若者を念頭に置いて記述している。
なので、なにより分かりやすさを優先している。
浅い部分・省略が行き過ぎている部分は多々あると思うが、その点はご承知いただきたい。
それでは、最後にもうひとつ。
ある意味、この筆者の意図は、科学的精神を持って迷信を打破しようとするものだ。
それはすなわち、あらゆる事に疑問を持ち、それを検証していこうという姿勢である。
繰り返しになってしまうが、右も左もある種の固定観念にとらわれている。日本は無能な悪の帝国だったのだという思いこみや、日本は英雄的な正義の国だったのだという思いこみである。
そしてそれは、実際はどうだったのかという検証や、自分の考えは本当に正しいのか?という疑問にさらされることがないまま、一種の宗教的教義と化してしまっている。(それはもちろん、みんながみんな、そういうわけではないにしても)。
これでは、ある種の迷信だろう。
そして、その迷信を真に受け、声高に叫びたてているようでは……。
これはもう、文明人ならぬ未開人のやることに他ならない。
そして、いつまでも未開人のまねをしていても、仕方がないだろう。
本当に誠意や良心や向上心があるのなら、もっと高い境地を目指すべきじゃないのか?
それがなんであれ、とにかく人間というものは間違いを犯すものである。(人のことは言えない。この筆者だって、いろいろ間違いは書いてきた)。また、全知全能ならぬ人間のこと。知らないこと、分からないことがあるのは仕方がない。
そして、そのことを素直に認め、それをふまえた上で、研鑽を重ねるべきだろう。
論敵と不毛な論争を重ねていても、何も進歩はない。自分の不足こそを認識し、自身の知性こそを向上させるよう努めるべきだ。
この筆者は、そのように思う。