1:改めて当ホームページの意図
ぶっちゃけた話、今の日本人の多くは、日本の近代史を知らない。
なにしろ、それを教えられる機会なんか、ないのである。義務教育では教えられないし、入試の問題にも出ない。NHKの番組でさえ、「日本がアメリカと戦争したのは何故か?」をきちんと取り上げることはない。
そういう状態では、日本近代史に詳しい一般市民は、ごく一部の歴史おたくや戦史マニアだけだろうと思う。
なお悪いことに、そういう状態の中、種々の歴史歪曲論が、横行していくわけである。左派式の「日本だけが悪だった」という歪曲や、右派式の「日本は正義だった」という歪曲や、あるいはトンデモな陰謀論じみたものまで。
だが、こうした状況はまずいんじゃなかろうかと、筆者は考えている。
まずひとつには、歴史という物は、民族的な財産であると思うからである。せっかくそれがあるのに、知らないのでは存在しないも同じことであり、それではあまりにもったいない。たとえば旅行で、せっかくの名所旧跡を素通りしてしまうような物である。好き嫌いはまた別に、見るだけは見るべき物じゃなかろうか?
そしてもうひとつは、そこから貴重な教訓を読み取ることができるからである。民族的な精神面の特性は、たかだか数十年で変わるような物ではない。だから、近代日本人が持っていた精神の特性は、我々、現在の日本人にも受け継がれている。したがって、過去の日本人と同種の、少なくとも大して変わりはしない振る舞いを、今の我々も行っているわけである。
だから、過去の歴史を研究することで、今の我々にも通用する貴重な教訓を、得ることができる。そして、それが可能であるにもかかわらず怠るというのは、これまた、あまりにもったいないことではないか。
また逆に、過去から教訓を引き出すことを怠ることは、実に危険な状態であると筆者は思う。
例えば、無責任体制である。拙論『対米戦までの道のり』にその一端は記しているが、昭和の日本帝国はまさしく一種の無責任体制であり、それが大破局の大きな一因となった。そして戦後の日本国では、政府においては、そのような体制は是正されている。とにもかくにも首相が全責任を負うのであり、旧陸軍の暴走のような事態など、起こりえない。
なのだが、官僚の方は、どうだろう? いくら税金を浪費しても、結局は誰も責任をとらないのが、現状だ。これ、一つの無責任体制ではないのか? また、筆者に確認しようはないが、民間の企業においては、どうだろうか?
そして、ここで是非、紹介したいことがある。かの山本七平は、軍国主義の時代と同様、戦後の平和主義も、批判しているのである。「かつて戦争を叫んだ同じやり方で、今度は平和を叫んでいる」と。筆者流に言い換えるなら、<戦中の軍国主義者と、戦後の平和主義者は、主張の内容が違うだけで、質的には全く同じ>ってことである。そしてたぶん、それは正鵠を射ている。これは、恐ろしいことではあるまいか。
そして、繰り返すが、だから筆者は思うわけである。
歴史について、知っておいた方がよいと。
そしてそれは、歴史マニアだけでなく、広く一般市民の、当たり前の教養として、広められるべきであると。
しかしながら、今の人間は誰も彼も忙しい。仕事行ったり学校行ったり、習い事や育児に追われたり、また自身のお楽しみにも時間を割かなければ。
で、そういう人々向けに歴史書を書くとしたら、どういうものにするべきか?
というと、ま、言うまでもないでしょ。手頃な分量で、簡潔でわかりやすい、そういう本である。
例えば文庫一冊にまとめてしまえば、通勤通学の電車の中でも、読めるわけでしょう。そういう風になっているべきだ。
インターネット上で公開するのなら、文章量の制限はなくなる。が、それでもやはり、読者の時間には限りがある。みんなそれぞれ多忙なのであり、歴史の勉強に何時間も費やせるわけではない。だからやはり、簡潔を旨とし、文章量を抑えていなければならない。
そしてもちろん、分量を抑えるためには、説明は省かなければならない。記述の精確を期そうなど、無用。そういうのが必要なら、別の本を探せしていただけば良いだけのことである。カレーが食いたいならカレー屋、寿司が食いたいなら寿司屋だ。
ただし、教科書みたいに結論だけ並べるようじゃ、かえって訳が分からない。必要な事柄は十分に押さえた上で、なおかつ、そのような物に仕上げる必要がある。
例えば太平洋戦争の理由だが、それを正しく理解するためには、満州事変以降、約10年のややこしい紆余曲折を、ちゃんと押さえる必要がある。それも、激変していく国際情勢や、日本の特殊な国内事情もふまえた上で。これを省いてしまったのでは、正しく理解できない。
また満洲事変について十分理解するためには、事変そのもののみならず、当時の国際関係(ワシントン体制)や、日露戦争以降の日本の歩み、当時の中華民国の状況、清帝国の略史、などを押さえる必要がある。
これだけ多岐にわたる内容を、なおかつ簡潔にまとめようと言うわけである。筆者自身の体験として、やっぱり、骨が折れる。また、当初の意図に反し、文章量がどんどん増えていったりもするわけだが……
まあ、何をどう書こうと、どうせ興味のない人間が読むわけはないんだけどね。
けど、それでも、そのための本は用意されているべきではないかと、筆者は思うわけである。
そして筆者の見た限り、どうもそのような種類の本は、見あたらないように思った。
だから、しょうがない、筆者自身で書いてしまおうと、思った。
以上、これが当ホームページの意図である。
2:未定な予定
当ホームページは、上記のような意図から、日本の近代史を記していこうという物である。
具体的には、日露戦争後から、講和条約まで(もしくは、「もはや戦後ではない」の時代まで)と、考えている。
また、これは特に申し上げたいのだが、筆者が書く物は、歴史の一部分であり、一断面でしかない。決して全てではないし、異なる観点もあり得るわけである。
そしてそれは、以下のような、テーマを絞ったいくつかの作品として、書いていくつもりである。
○対米戦までの道のり
○基礎からの満洲帝国(執筆中)
○226事件まで。そしてその後(仮。まだ未着手)
○ポツダム宣言から講和条約まで(仮。まだ未着手)
○日露戦争後から、満洲事変前夜まで(仮。まだ未着手)
○他(未定)
その他、太平洋戦争そのものや、日中戦争。また、特攻や戦艦大和など個別なテーマも、手がけてみたいとは思っている。
ただし、それが出来る目途は、立っていない。
また、実はある人から、満洲の状況について説明が足りない、などとご批判を受けたことがある。
実はそれ、筆者自身も感じていたことであり、それは漠然とだが、将来のテーマに回そうと、思ってはいたのである。<日露戦争後>も、じっくり学んでみたいと、かねがね思ってはいたので。
が、そうできる目途は、やはり、立っていない。
それでまあ、当初の予定としては、頑張って10年くらいで全て書き上げてしまうつもりではいた。(ただし、当初思っていたのは、今より少ない範囲)。
ところが、諸般の事情で、それは遅れに遅れてしまっている。今書いている『基礎からの満洲帝国』も、2年も立っているのに、まだ半分しか進んでいない。2008年中には終わらせたいと思うが、そうできるか分からない。
ここまで伸びてしまうと、自分の残り寿命も考えなきゃならなくなるわけである。
筆者はもう40代である。そして筆者の家系はあまり長命ではなく、だからたぶん、60代でお迎えだろうと思う。
とすると、天寿を全うできたとして、あと20年くらい。
これでは、現在のペースでは、すべてを書き上げるのは不可能。その前に寿命がきてしまう。
また、人間誰しも、その長短は違うとしても、人生の持ち時間は有限である。だから、ある事柄に没頭するなら、そのぶん他へ向ける時間は減少してしまう。
では、何に対して時間を費やしていくべきか?
なんてことを、残り寿命を考えるような年齢となってしまった筆者としても、時々思うわけである。
執筆に時間を費やすことは、自分にとって、本当に価値のあることなのか? もっと楽しいことはいくらもあるわけであり、限られた持ち時間はそっちの方に向けるべきではないのか?
なんてことを。
そして、実は筆者としては、時々、深刻な疑問を感じたりもする。もしや、自分のやっていることは、全く意味がないんじゃないかと。
また、これは非常に手間がかかるし、金もかかる。なにしろ、手に入る限りの本(ただしトンデモなのは除く)を全て読むくらいのつもりでやらなきゃ、こういうものは書けない。それは趣味の範疇は、たぶん、超えてしまっている。趣味なら、好きな本だけ楽しく読んでりゃいいわけだが、それでは足りないのである。そのような趣味を超えた事柄を、一個人で、しかも無償でやるのは、かなりつらい。それはまあ、わざわざ好きこのんで、時には大枚はたいてでも、要らぬ苦労や不便を楽しむのが、趣味って物であるとしても。
いや、仕事としてやってるんなら、疑問だろうがつらかろうが、石にかじりついても書きまくらなきゃならない。でなきゃ、おまんまの食い上げなんだからして。でも、そうではないとすると、ね……
まあ、そういうわけである。
結局、筆者自身としては、「どうしようかな〜」状態である。書き続けようか、それともやめちゃおうか、と。
といいますか、そういう風に思っているって事自体、すでに墜落寸前、ないしは墜落後ってことなんだけど。
それはともかくとして、今後どうなるにしろ、せめて筆者の意図と当初考えていた予定だけは、改めて書き記しておきたいと思った。
また、少ないながらも筆者にも読者はいるわけで、その人たちのために語るべき事は語っておく必要もあるな、と。
そういうことである。
ご期待にお応えできなさそうなこと、まことに申し訳ない。