[PR]看護師の好条件な求人情報満載:≪高待遇な求人続出≫専任がサポート!

日本の焼き物の歴史

 
日本の焼き物の歴史
縄文時代
弥生時代
須恵器時代
奈良平安時代
鎌倉室町時代
桃山時代
江戸時代
現代

MAIN MENU

縄文時代

縄文式土器:

縄文式土器の呼び名は明治十九年エドワード・モース博士が、東京の大森貝塚で初めて発見し名づけた。紀元前三世紀ごろから次の弥生式土器が出現するまでの数千年以上の間、土器に縄目やむしろ目の凸文様があるのが特徴で、多くは縄文文化の遺跡である貝塚・墓地・住居地域から発掘される。この時代の原始人は農耕作業を知らず、天然の産物である木の実や貝類、或いは動物を捕らえて(狩猟)、その日暮らしの生活をしていた。縄文式土器は手造りであり、焼成方法は、まだ焼成窯がなく、野天に積み重ねた成形品の周辺に薪木を積み重ね火を付け、低火度に焼成した軟らかい土器で、黒褐色を呈し、縄文が表面に施されいています。縄文式土器の中で最も多いものは、煮炊き用のかまや鉢類、それに高杯、徳利などがある。

縄文初期:

尖底土器と呼ばれ三角型をしている。成形方法は粘土をひも状にひねり、蛇がどくろを巻いた恰好に輪状にひねりあげたもので、器面は凹凸の連続で、巻き揚げられた粘土が崩れないように貝殻や鉛筆の形状をした軸木に撚糸を巻き付け、転がしたり、たたきつけたり、擦ったりして巻き上げの際の凹凸をなくし密着させて、器面をなめらかにした。この際の痕跡の跡から「多縄文・撚糸文・貝殻文」と呼ばれる。この文様は土陶の表面を飾るためではなく、製作工程上やむを得ず自然にできたものです。


縄文中期: 文様が初期のものより一段と秀れ、細かい粘土のひもをつくり、これを文様的に張り付け浮線文様を出し、土器に粘土でつくった文様をくつけたり、張り付けて、土器と文様が渾然一体となり調和し、当時の人の好みが表現されている。
 
縄文式土偶:縄文式土器の中期頃から、人間の形を作った最初の彫刻である縄文式土偶が現れ、胴体に縄衣を着た縄文があり、総体に奇怪な形態をした野蛮的デザインで、その多くの土偶は女性像です。目的は判明しませんが、古代人の「まじない・お守り・呪術・信仰」に関係あるとされている。この時代の原始人は、まだ布や編物をすることは知らず、狩猟で得た動物の皮衣を着るか、草木の葉や繊維を綴り合わせて着ていた。当時の人々が人間のどの部分を表現しょうとしていたのか興味深いものがあります。


縄文後期: 器物が薄手になり、小型化して、多種類のものがつくられ、姿恰好もよくなり、表面の文様も龍線文の外に、ヘチで文様を一気に数本の線を刻み込んだと言われる、陰線文が多く現われる。また地文としてできた縄文の上に、“ヘラ”で線を入れ、この線を囲んだ部分だけを残し、他は全部削り取り、線内を浮き彫りの恰好にした磨消文も出現していて、壷や土版によく見られます。

(参照:日本各発祥説 最古の焼物発祥について)

≪≪BACK

TOP

NEXT≫≫

[PR][無料]足し算引き算で分かる:電卓で気になるあの人も恋人の相性も診断