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須恵器時代(古墳時代) | ![]() |
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須恵器土器: 我が国の古墳は世界でもその比を見ない程多くあり、当時の人の権力と富を象徴しています。また、世界最大である仁徳天皇の古墳をはじめ、これと前後し大小幾千以上の古墳が造られています。須恵器が最初につくられた時代は四世紀頃と考えられています。日本書紀の雄略天皇に関するところでは、朝鮮の百済から同七年(四六二)新漢陶部(イナキノアヤノスエツクリベ)の高貴などが大和国真神原に来たと記載されています。また正倉院の文書に陶の文字を須恵と書いた箇所もあります。縄文式土器や弥生式土器が、野天や平地窯で焼かれたのに対し、須恵器土器は山の傾斜を利用した登り窯に似た方式によって焼成されているので、硬く、比較的破損しにくく、色は灰鼠色をしていて、なんの文様もない無釉の陶器ですが、時には窯中で高温のため灰がとけて暗緑色、または黄緑色を呈した状態が壷の肩や、胴の所にあるものもありますが、これは釉薬をかけたものではありません。須恵器は、全国各地や各時代で広く焼かれ、明治・大正時代では「祝部・陶質土器」とも称される、素焼きの焼き物です。
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埴輪:日本書記によると、垂仁天皇の時代に野見宿禰(のみすくね)が殉死した時、その従者や恩を受けた人々が生きながらに墓の周りに埋められる弊害を除くために、土師部百人に命じて土偶を作らせ、これを殉死に代えて埋めたのが「はに輪」の始まりであると伝えられています。また埴輪は古墳を造る際に高い塚の盛り土の崩れるのを防ぐために、円筒形のものが最初につくられ、それから次第に形象的な、動物や家などに発展して行ったものです。
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