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書籍(名物帳)



名物の陶磁器


名物の分け方よび方

名物という言葉は茶碗や茶入れなどの陶磁器にかぎらず、書画や釜、あるいは刀剣類などについても、しばしば耳にする言葉ですが、とくに陶磁器は『大名物』『名物』『中興名物』の三つに区分されます。
大名物 大名物とは、干利久以前の名晶、つまり足利将軍家の所蔵晶で、足利義利の茶道役を務めた相阿弥が、永正八年に書いた『君台観左右帳』に記載されているものをいいます。
名物 名物とは利久時代のもの、つまり天正時代の千利久を中心とした武野紹鴎、津田宗及などが大切にした品で、歴史的にも由緒あるものや、天正十六年山上宗二が著した『茶器名物集』に所載されているものをさします。
中輿名物 中興名物は小堀遠州が選定したものです。これは茶入れが主で、彼の手記を基礎とした『玩貨名物記』から大名物、名物を取り除き、残ったものにさらに遠州所蔵晶を加えたものをいいます。また鳥羽城主、松性乗邑が寛保年間に書いた『三冊名物記』や、松平不昧著『古今名物類聚』、およぴ高橋籍庵氏の『大正名器鑑』(従来の名物晶を集録し、その上同氏が推賞したものを追加)に記載されている品も、今日では名物扱いを受けています。
 
一方では有名な所蔵者の名を冠した、何々名物と称する呼び方もあります
東山名物(御物) 足利家重代の宝物で、いわゆる大名物該当品のことで足利義政の蒐集品が多いです。
柳営名物(御物) 〈片桐石州再選定〉徳川将軍家所蔵品で、大名物、名物などの登録済みの有名品をさします。
千家名物 三千家の家元に由緒のあるもので、代々同家が秘蔵していたいわゆる今日庵名物、不審庵名物などとよばれるものです。これらは利久から少庵、あるいは宗旦、さらに後代の千家に伝わった名品もありますが、中には茶道の宗家の所持晶として世間が故意にもてはやしたため、天下の名物としてはその名に恥るようなものもかなり混っています。
その他 鐵内流家元の『燕庵名物』、本願寺所蔵の『本願寺名物』、奈良の『松屋名物』、松花堂所持の『八幡名物』と称せられる晶々もあります。蔵帳とよばれて名物に準ずる取り扱いを受けているものがあります。これはその所持者の道具類を控えた帳面に記載されている晶々をいいます。つまり遠州蔵帳(小堀遠州所持品)、土屋蔵帳(土浦藩主、土屋相模守政直所蔵晶)、雲州蔵帳(出雲藩主、松平不昧集蔵晶)、神尾蔵帳(神尾備前守元勝所有品)などがこれに当たり、さらに旧大名加賀百万石の前田家、姫路城主の酒井家や町人としては京都の矢倉家、大阪の淀屋、鴻池、江戸の冬木家などの所蔵晶の一部が名物ではないが蔵帳に準ずる取り扱いを受けています。
 
名物としての条件

名物に選定された条件を茶碗に求め考察すると、そのほとんどはつぎの要素を具備しています。
一、 名物としてその名に恥じない風格を備えている。
二、 作柄が優秀で姿もよく、他に類例の稀なもの。
三、 古き時代のもので、茶趣味に適応していること、つまり茶道精神に叶っていて、お茶がおいしく飲めるもの。
四、 歴史的にも有名な品で、由緒伝来の正しいもの。
一般に名物とよばれるものは、後述するような犯しがたい風格、塑言すれば頭の下るような品格があり、姿もよく、決して平凡な作ではなく、また世間に類似の品がたくさんある物でもありません。つまり優秀品であり、数の少ないものです。さらに大切なことは、茶趣味に叶ったものでなければなりません。たとえば須恵器の境のように時代の古い、しかも数が少なく、出来栄のよいものでも、茶席で茶碗としてはとても使えません。また値段もそんなに高価ではありません。これは茶趣味に合致しないからです。また茶道界では、とくに伝来が尊ばれ、利久が秀吉に献上し、これが軍功によって秀吉より何万石の加俸に替えて、某大名が拝領した晶が何々家に伝わったという風な古事来歴がものをいう社会です。そして箱書や書付け、仕覆も揃い、立派にこれらのことを物的に証明できるものでなければなりません。

書籍


名物帳

刀剣類のように、名物帳とよぱれるような帳面になっているものはありませんが、名物の基本となっている元本の著書について、その大要を記してみます。
君台観左右帳記 これは相阿弥(足利義政の諸道具係りをつとめ、鑑岳と号して、詩歌、書画をよくし、名器の鑑識にも長じた人で、芸阿弥の子として生まれ、大永五年十月二十七日残)が、足利将軍家秘蔵の数々の名器を永正八年に記したものです。茶具の図説、絵画の目録や、その筆者などを挙げたもので、この種の最古の記録です。この中で、陶磁器関係については、これを『茶椀物』と『土之物』に分け、前者は青磁、白磁、銭州椀、璃瑠、『はくをしのちやわん』といったような磁器を記し、後者には曜変、油滴、建讃、烏翌、瑞皮蓋、騎蓋、天目のような陶器をあげています。また葉茶壷や、抹茶の壷については茄子、肩衡、大海、鶴頸などの唐物茶入れが記載され、その主な茶入れについては、姿恰好などが図示されています。そしてこれによって当時の鑑賞の好みを知ることができます。つまり茶碗については、『曜変は建翌の内の無上也、世上になき物也……代万匹の物也とし、っぎに油滴は第二の重宝にて地くすり、いかにも黒くして、うす紫色のしらけたるほし内外にひたとあり、曜変よりは世に数あまたあるべし、五千匹、建蓋は(この建翌は狭義の建翌のことで兎毫翌のこと)は油滴にも劣る……三千匹』とありますが、それでも非常に高価なものです。また建蓋以外の珊皮蓋について『くすき色にて黒きくすりにて花鳥いろろいの紋あり千疋。天目はつねのごとし、灰被を上とする也、上には御用なきものにて候間不及代候也』とあって、普通の無文様の天目は貴ばれなかったことを示しています。そして穂薬面の美しい曜変を最高品として賞賛したことがうかがわれます。
〔備考〕蓋とは元来盃のことで、椀を意味します。
茶器名物集 茶器名物集とは、山上宗二(泉州堺の人、瓢庵と号し茶道を武野紹鴎に学ぴ、千利久と交友があり、天正十八年四月十一日残)が天正十年年に著したものです。元来は『続群書類従』の遊戯部巻として記載され、御茶湯道具しだい不同として、初めに茶入れの晶目、所持者を記し、つぎにその伝来を説明していますが、茶入れの外に茶碗、花入れ、御絵、墨蹟、香炉、葉茶壷、水指、天目、名物釜などにもおよんでいます。その中の茶碗についてみますと、白天旦ニツ(内ニツ関白様にあり、一ツ紹鴎所持)灰被(引拙)、同(油屋)黄天目(灰被に劣る)、建藷(此内曜変、油滴、鳥翌、別議、珊披蓋)、松本茶碗(本能寺焼失)、引拙茶碗(同上焼失)、安井茶碗(関白様より豊後の太守へ)、珠光茶碗(本能寺焼失)、坤寧殿茶碗(青磁、堺満田)、善好茶碗(宗及)、井戸茶碗(関白様にあり)と記載されています。
玩貨名物記 玩貨名物記の著者は不名ですが、その序文に『往年小堀遠州公、平素所達干見聞之名貨自記之、余幸得其写本』とあって、万治庚子(三年)四月の年号があります。つまり小堀遠州の選定したものを根底としたことが明瞭です。その内容は徳川将軍家のいわゆる御物と諸大名、諸名家のものに二分し、蟄物、茶入れ、花入れ、茶碗、水指、大目、壷、釜、香炉、茶杓などを記載しています。御物の茶碗としては割高台(織部)、同(大炊)、紀三井染付、三島筒、妙国寺、富田、曜変、灰披、蓼冷汁を所載し、諸方名物道具には三島桶(尾張様)、藤袴三島(同)、大高麗(同)、荒木(同)、塩笥(松平肥備)、引木の鞘(細川肥後)、いびつ高麗(松平安芸)、狂言袴手(稲葉美濃)、割高台(犬千代)、割高台(森内記)、割高台(酒井讃岐)、魚屋(小堀大)、大黒(所持不知)、早舟(同上)、白天目(尾張様)、灰被(同)、曜変(同)、珊皮蓋(紀伊様)、曜変(松平肥前)、灰披(同)、はいかつき(松平陸奥)、同上(同)、同上(毛利甲斐)、同上(小堀大膳)、同上(箔屋九郎左衛門)、曜変(稲葉美濃)、タ陽(奈良四聖坊)、虹(同上)を挙げています。
古今名物類聚 古今名物類聚は松平不昧(本名を松平治郷、出雲藩主、号を宗納、茶道は石州流不味派の祖、書画を巧にし、文化十五年卒六十八歳)の著書で、作者名は陶斎尚古老人という匿名になっています。全十八巻にもおよぷ大作で、不昧侯が三十九歳の寛政元年から、四十七歳になる寛政九年にわたる著述で、図録付きの解説書です。一般に十八冊本とよばれているもの。
中輿茶入れの部 一巻唐物、二巻古瀬戸春慶、三巻藤四郎、藤四春郎慶、四巻金華山、五巻破鳳
夫名物の部 六巻唐物、七巻古瀬戸(以上七巻)
後窯国焼の部 一巻後窯、国焼
天目菟碗の部 二巻天目名物茶碗
楽焼秦碗の部 三巻楽焼茶碗
雑記之部 四巻 茶杓、華入れ、茶碗、壷、五巻 水指、釜、硯(以上五巻)
拾遺の部 一巻藤四郎、金華山、破風。二巻唐物、古瀬戸、春慶。三巻錨物、歌の物、小倉色紙、墨跡。四巻香炉、台、盆、香合、附八幡七種の名物(以上四巻)
名物切の部 一巻纏子、金欄。二巻間道、雑載(以上二巻)
この今古名物類聚に所載されている主なものの一部を挙げてみますと、書画では、無門、無準両筆『布袋図』、牧渓『松に寄鳥図』、北澗筆『草亭一首』。茶入れでは大瀬戸茶入れ『円乗坊』、万右衛門茶入れ『振鼓』茶入れ『増鏡』、唐物肩衝茶入れ『富士山』、唐津茶入れ『思川』、利久焼『谷川』、薩摩焼『甫十』、伊部茶入れ『走井』、天目手、小茄子茶入れ、丹波焼『生野』。茶碗では呉器茶碗『大徳寺』、粉引茶碗『酢次』、長次郎茶碗『北野黒』、熊川茶碗『千歳』、井戸茶碗『喜左衛門』、『加賀』、『三芳野』、『細川』、信楽茶碗『水の子』など多数におよんでいます。なお不昧公は道具商、伏見屋甚右衛門こと亀田宗振に授けた形式を以って『瀬戸陶器濫膓』という巻物三巻を著し、茶入れの窯別分類を示しています。『宝永の頃、数寄者ありて、諸国の茶器ども借覧して、其形を模したるものに合三冊あり、名物はこれと同物にはあらざるなり、今世誤りて名物記三冊物と名づけ、真の名物を弁へざる事を、亀田氏深く嘆き、余に筆記を乞ふ、需に応じ以て三巻の書となし、これを授くるもの也、干時文化八辛未二月』とあります。すなわち松平乗邑の『三冊名物記』の中には、名物でないものもまじっていますが、世人はこれを全部名物と信じているようだから、これを明かにするためにこれを書くといって『三冊名物記』を非難し、自著の『古今名物類聚』の不備をも書き改めています。
三冊名物記 三冊名物記は松平左近将監乗邑の著者です。棄邑は志摩国(三重県)鳥羽城主で、和泉守を受領し、八代将軍徳川吉宗を補佐して、老中在職二十二年にもおよんだ犬名です。そしてその間(宝永、正徳、享保、元文、寛保)に諸侯の名物茶器を借覧して、その所持者や実見した茶器の図形、実測寸法、あるいは附属晶などを書き留めた本です。大正名器鑑など姻刊行されない以前には、よい参考書として愛陶者や茶人間では非常に珍重されていました。彼は延享三年四月六十一歳で破しています。なお三冊の外に名物附録一冊があります。
雲州蔵帳 雲州蔵帳とは雲州松江藩主松平不昧公が収蔵された品のことです。公は明和四年(一七六七)十七歳で松江藩主となり、朝目丹波茂保を執政に抜擢して、藩の財政の窮乏を救い富雄藩となったので、子孫に財貨を遺すふり名器を買収することに決心し、目本国中の名品の購入に取りかかりました。そして公が五十歳になった文化八年二八一一)家督を子息の月潭侯に譲った際には宝物(子孫大切に致すぺきものなり)淋十二点、大名物三十七点、中輿名物六十七点、名物並九十一点、上之部三百三十九点さらに中、下の珍晶に至ってはおぴただしい数量に及んでいます。宝物之部には円悟禅師墨蹟、漢作油屋肩衝茶入れ、虚堂禅師墨蹟、古瀬戸鎗の鞘茶入れ、漢作残月茶入れ、漢作伊木肩衝、漢作日野肩衝茶入れ、定家郷小倉色紙、大恵禅師墨蹟、玉潤筆山市晴嵐、牧渓筆遠帰帆、虚堂禅墨蹟、無準禅師墨蹟。大名物に属する一例では茶入れで本能寺文琳、山の井肩衝、円乗坊肩衝、大文字屋文琳、茶碗では喜左衛門井戸、細川井戸,加賀井戸の天下三井戸を始め長次郎作黒楽北野茶碗や油漕天目、粉引本茶碗などが世に知られています。中興名物の部では茶入れだけでも四十四点もあり、増鏡、思河、吹上、藻塩、佗助染色、節季、藤浪膳所大江、茶碗では加賀光悦、長次郎作の銘『西条柿』や『無一物』の赤楽茶碗の外に奥田伯庵、長崎堅手、江戸斗々屋、千種伊羅保、小塩井戸、染付面影茶碗等があります。
 

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