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茶碗の鑑賞 |
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| 茶碗の歴史 | |||||||||
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| 一、喫茶の風習は天平時代から | |||||||||
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| 茶碗という言葉は中国の忠茶(zhong cha)から由来しています。現在英語をはじめ、世界のほとんどの国は、陶磁器のことをチャイナ(china)とよんで通用語としています。これはもちろん中国(china)という言葉から転化したものです。換言すれば中国はそれほど世界のいずれの国よりも陶磁器が進歩し、かつ昔から海外に数多く輸出して世界の需要に応じて親しまれて来ました。 わが国に喫茶の風習が起こったのは奈良朝の天平時代にさかのぼります。室町時代の一条兼良卿の『公事根源』などによると、『聖武天皇は天平元年四月、百人の僧侶を宮中に召して大般若を講ぜらる、第二目目に行茶の儀あり……貞観のころには毎季行はれるとかや』と記され、奈良時代に行茶、つまり喫茶がおこなわれていたことを証明しています。また平安朝初期の『延喜式』によると『隼人に二尺の茶籠を毎年、新に二十拝造らしめ、更に尾張、長門などの諸国に命じて、径五寸の茶椀二十口づつを造らしめた』とあります。また木芽説には『天暦の御時(村上天皇)御仏名のあした、人道親王(敦実)に給はする禄の中に茶一つつみ、茶具そえて……』とあり、茶具の中には茶碗も当然あったことと考えられます。つまり喫茶の風習は高貴な方や、禅僧達の間で流行していました。そして喫茶には必ず茶碗がつきもので、茶碗の歴史は喫茶の盛衰と表裏一体をなすものです。 |
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| 二、茶碗の文字の起源 | |||||||||
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| 一般に昔から茶碗といえば茶をのむ器とされていましたが、現今では喫飯の器がまず頭に浮かびます。一方茶碗という文字については工芸誌料などによると、『恒武夫皇、都を平安城に定められてより、天下の形勢一変し、旧俗を改めて、新様を用いるもの多し、此の時中国の商人陶器をもたらし来る、朝廷、顕伸(けんしん)これを得て甚だ賞愛す、其の器に茶を盛るもの多し、時人これを知也和牙(ちゃわん)という』と記されています。つまり目本へ伝来した陶器を中国の発音どおり、知也和牙と万葉仮名をあてはめています。 | |||||||||
| 三、茶碗は中国、朝鮮から渡来 | |||||||||
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| 土器時代の考古学的考証に待たなければなりませんが、古代では木の椀を使用していて、わが国ではまだ土器の茶碗はなかったという説が有力で、中国や朝鮮から伝来したものだといわれます。また、奈良時代に中国の唐三彩を模倣してつくったのがそのはじまりだとされています。一般に茶飲み茶碗として使用され、観賞され出したのは、鎌倉時代に入って、わが国の禅僧たちが中国(宋)に留学し、その帰国の際、持参した天目茶碗や抹茶の風習がもとで、天目や青磁茶碗が盛んに輸入されだしてからのことです。そして室町時代の茶の湯の流行につれて、之等唐物茶碗の不足を補うためにこれを模倣した瀬戸天目や、伊勢天目などとよばれる釉薬のかかった当時としては、最高の茶碗がつくられました。 | |||||||||
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