●宮台真司(みやだい・しんじ)


 社会学者。東京都立大助教授。
 少なくとも商業的にはおそらく「90年代最強の評論家」(小林よしのりを除けば)
 あの東大小室直樹ゼミ(橋爪大三郎とかを輩出)伝説の大秀才。
 初著作「権力の予期理論」は列記とした専門書なのでサブカル狂いの頭の悪いオニーチャン・オネーチャンは買わないように。
 
 「左翼にありがちな無政府主義的な発想を論破するために」社会学を学んだという本人の言葉どおり、デビュー当時は自動化し、形式化された戦後民主主義的言論の偽善を暴く「新保守」論客と思われていた(ド右翼の小室ゼミ出身だし)

 だが、いわゆる「ブルゼラブーム」の頃(90年代はじめ)自分の下着を売る少女たちを「新しい時代に適応した正しい選択」と擁護した瞬間に、保守論陣から「左翼」のレッテルを貼られ、以後敵対関係に。

 以降、同様の文脈で援助交際少女たちを擁護、以前からアニメ・マンガなどのオタク系評論をやっていたことも手伝って、とにかく「風俗」とか「反体制」が大好きなサブカル連中の絶大な支持を浴びる。

 こう書くと、本業に学者先生をやっていることを除けばただのサブカル系ライターと何ら変わりないように思えるが、宮台の「段違いの強さ」は例えば相棒の宮崎哲弥などの追随を許さないものがある。

 その強さの秘密の第一は、本業の「社会学」を援用した論理性の高さ。
 オウム問題を扱った「終わりなき日常を生きろ」は(吉本隆明のパクリではあるが)オウム問題というより90年代の文化的特質を適切に解説した本として他に類を見ないだろう。

 「成熟社会では色んなものが簡単に手に入りすぎるため、<終わりなき日常>を楽しんで生きることが難しくなる。そこで人々は無理に充実感を求めて<国家のために>とか<全人類の平和と幸福のために>などとスケールの大きな自意識過剰に陥りがちである。そのために我々はこの<終わりなき日常>を飽きずにまったりと生きる智恵を身につけなければならない」
 ・・・・・概ねこんなことが書いてある。

 こうして書くとまるで小林よしのりの「脱正義論」ソックリに思えてくる。
 やはり、犬猿の仲のこの二人の確執が基本的に「近親憎悪」であるという多くの指摘は当たっていると思う、タネ本も同じだし。

 宮台の強さのもう一つの秘密は「キャラ売り」の巧さだろう。
 評論家というのは基本的に自己顕示欲の強い連中であることは容易に想像がつく。

 そのため、言論空間上の「自分のイメージ」をまるで「自分自身の個性」であるかのように錯覚し、みっともない言動をとって失速して行く人間ばかりなのがこの業界だ。

 その点、宮台の「キャラ売り」は非常に巧みだった。
 宮台はサブカル連中(=今時本を新品で買ってくれる連中、但しファッションとして)の性向と言うものを熟知していた(なんせ本人はもとアニオタでSF者でアングラ映画青年なのだ!)

 だから「どういうキャラで売れば」受けるか、よく分かっていた。何より本を売るために一番重要なのが、買い手が「俺って宮台とか読んでるんだ、カッコイイだろ」と思い込めることだということを(現に宮台の読者はほとんどその内容を理解していない)。

 色々カッコイイ理由を列挙してはいるが、宮台が援助交際やブルセラなどのジェンダー論で実質デビューしたのは全て計算済みの「戦略」だったのだろう。そしてこの宮台のクールな態度を筆者は強く支持する。

 だが、こうして「90年代最強の論客」として名を馳せた宮台だが、最近は絶頂期ほどの勢いはないような気がする(本業が急がしかったり、単に本人が飽きたりしただけかもしれないが)

 この理由のうち一つはやはり「書いている文章の質の低下」だろう。
 特に、最近妻(籍は入れてないみたいだが)の速水由紀子(=桜井亜美)との共著「サイファ」ははっきり言ってオカルトで(なんせニューサイエンス用語らしい「サイファ」に覚醒すれば<まったりと>生きられるのだそうだ・・・ニュータイプじゃあるまいし)多くのファンを離れさせた。

 宮台真司の仕事は、この速水由紀子が絡むと途端にダメになる。
 なんせ、本人があれほど忌避していた「自意識」に溢れているからだ。

 特に、宮台がコネで出版社にねじ込んだ速水(=桜井亜美)の援助交際小説が全国各地の頭の悪い自称ハイセンスたちにバカ受けした後は留まることを知らず、色んな著作に「自分とパートナーの」運命的な恋愛体験がドラマチックに語られるようになった・・・・7つ年上、子持のオバサンとのステキな恋愛体験が・・・・。

 あれほど「メディアの上の自分は<キャラクター>でしかない」ということに自覚的だった宮台が、近年多くのところで「自分の物語」を語り始めているという大塚英志の指摘は正しい。そして、その気持ち悪さはまだメジャーになりきる前、アニメ評論をやっていた頃の彼のファンとしては痛すぎるものがある。
 (評論でとりあげる作品もサブカル受けを意識しすぎるようになったし・・・でもハルキ文庫版∀の解説は秀逸)

 さんざん「まったりと」生きろとアジっていた宮台先生は、今では必死に「物語」を求めて「世界のあり方が変わった」と騒いでいる。
 かつて「逃げろや逃げろ」とアジった浅田彰が逃げ切れずに失速したように。(文責:倉田)
 


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