

第四章 イカ天で人生大逆転!?
イカ天、という深夜のテレビ番組がその頃人気を博していた。
アマチュアのバンドコンテスト番組で、毎週10組のバンドが出場するのだ。
5人ほどの音楽評論家やプロのミュージシャンがいて、つまらないと思われると「ワイプ」というボタンを押され、演奏画面がシュルシュルシュルーとどんどん小さくなっていき、ボタンを押す人が多いと30秒もしないで演奏が消されてしまうこともある、という趣向だ。3分持てば「完奏」となる。
そしてその週に出た10組の中から最優秀だったバンドが前週までのイカ天キングと対決し、より反応がいいと、最長5週間まで勝ち抜け、5週勝ち抜いたバンドは「グランドイカ天キング」と呼ばれる。
確かこの番組が始まった当初、生番組だったのだが、演奏中にあるバンドの女性メンバーが突然パンツを脱いでモロミセにしてしまったというハプニング等もありそれも番組人気の一端だったと思う。
その後さすがにそーゆーハプニングはお上からもヤバイという判断か、生番組ではあるが、演奏シーンだけは当日の昼間に収録し、そのビデオを観ながら審査結果を待つ、という構成になった。
さて、俺達「たま」だが、やはりこの番組の事は話題にのぼり、「出るべきか、出ざるべきか」で意見が真っ二つに別れた。
「出てもいいんじゃないか派」は、東京ではそこそこライブハウス等でお客さんが入るようになったが、地方のツアーとかはまだ動員が弱いので、テレビによって地方の人でもこの手の音楽が好きな人に伝えられる。そして何より現在はチラシ(今ではフライヤーと言うのか?)でしか宣伝が出来ず、それではイメージを伝えることしか出来ないが番組に出ることによって実際の演奏を見せられればチラシよりよほど直截的でいいのではないか、という意見。
「出るのはいかがなものか派」は、今ブームになっている番組にブームだからとへーこら出るのは安易すぎる。徐々に動員も増えているのだから、このままコツコツやればいいではないか、という意見。
どちらも一理ある。
友人のバンドが出て、チャンピオンになったわけでもないのに一気に動員が増え、ライブハウスが満員になっている状況なども見てたりもして、4人で、
「うーむ」
「うーむ」
「うーむ」
「うーむ」
と唸っていた。
しかし俺達バンドのおおきな特徴に優柔不断というのがあり、「うーむ」と腕組したまま、いつのまにか何週間も時が経ってしまったのだ。
すると、そんな様子を見かけていた当時「たま」のスタッフをしていたあかねちゃんがそんなだらしない男どもに業をにやし、メンバーに何も言わずにデモ・テープを勝手に番組に送ってしまったのだ。
と、返す刀で事務局から返事がきて「収録日の決定」を知らされた。
俺達は「ええっ!?」と思ったが、
「収録日が決まったんじゃなぁ・・・」
「じゃあ、出るか・・・」
相変わらず優柔不断なまま、結局出演することにした。
最初の収録日、89年の11月11日は奇しくもバンド結成の5周年であり、なおかつ「MANDA-LA2」でのライブ当日でもあった。
俺達は昼間テレビ局に行って演奏シーンの収録を済ませると、大急ぎでライブハウスに入り、リハーサル、そして本番を行い、お客さんに、
「あのー・・・これから『イカ天』に出まーす」
とか言ってまた大急ぎで車を飛ばし、深夜のテレビ局へと戻った。
番組は始まり、何組めかは忘れたが俺達の番が来た。
曲は「らんちう」。
ビデオが流れはじめた時、俺達の願いは只ひとつだった。
「ワイプ攻撃で消されずに、完奏(3分間)まで流れてくれー おたの申しますー」
何せ、審査員の評価が低いとあっという間に消されて、
「こういうふざけたのは、駄目ですね!」
てな感じで審査員から軽ーいコメント一言もらってアジャパーという可能性だって充分にあり得るのだ。
インディーズではちょっとだけ名前が出てきたところだったので、
「正体見たり、枯れ尾花!」(言葉の使い方違うか?)
でイメージダウンし、かえってお客さんが減るおそれだってあったのだ。
結果、なんとか完奏。審査員の反応も何となくいい感じだった。
審査員の中島啓江さんからも、
「もしかしたら凄いかもしれない!」
のお言葉も頂戴した。
それでも「優勝」とかは全く考えていなかった。
なにしろ、それまでイベント等に出演してもどのジャンルからも異端児扱いされていた、言わば「醜いアヒルの子」であったからだ。
ところが、30分ほどあとに番組に異変が起きた。
この番組には出演審査員の他に何十人かの「在宅審査員」というのがおり、特に気に入ったバンドがあるとFAXで連絡があり、バンド名が書かれたホワイトボードに選挙よろしく、赤いバラの花の飾りがつけられるのだ。
だいたいのバンドは多くても3、4個。ところが「たま」のところにはみるみる10個以上のバラが貼られたのだ。前代未聞といっても良い数だ。
「あ・・・れっ?」
メンバーはちょっと唖然とした。
通常はそのボードを見ながら、中間報告的に次々とバンドへのFAXを司会の三宅裕司さんが読み上げるのだ。
そして番組がCMに入った時だった。ディレクターの慌てた大声が会場に響き渡った。
「『たま』だけ、別で! 『たま』だけ! 他のバンドはまとめてコメントしちゃって下さい!」
そのちょっと異様な雰囲気とバラの数を見て初めて俺達にも、
「・・・もしや優勝ということがあるのか!?」
と気づいた。
結果、優勝。さらに前週までのイカ天キングも破り、新イカ天キングに。またさらに知久君は「最優秀ボーカル賞」を、俺も何か「特別賞」みたいなものまで個別で貰った。
番組が終わり、俺達はちょっと昂揚しながら、朝方でも開いている歌舞伎町の「養老乃瀧」に行き、ひとまず乾杯した。
「あの・・・俺達・・・勝っちゃったんだよね」
「・・・そうみたいだね」
「あれ、ってことは来週も出るってこと!?」
何せ、前述の通り全く勝ち抜くことなど考えてもいなかったので、次の週の曲のことなども当然なーんも考えていなかったのだ。
「どうしようか!? せっかく今回評判が良かったから、また知久君の曲でいく?」
「いや、『たま』は全員がボーカル取るし、せっかくだから他のタイプの曲もどんな反応があるか、知りたくない?」
「じゃあ、柳ちゃんの曲でいくか。何にしよう。何でもいいんだけどねー」
「まぁ、今回の『らんちう』がアングラ丸出しだったから、ちょっとポップな『さよなら人類』なんかどう?」
「あぁ、それでいいかー」
歌舞伎町の朝は、昨日の名残りのピンクチラシやらのゴミが、一陣の風に舞っていた。
俺達は通勤客の流れに逆らって、深まっていく秋の朝、帰宅の途についた。
しかしたった数時間後に俺達は「テレビ」という巨大メディアの影響力をまざまざと知ることになる。
その日の午後に起きた俺は、知久君と、以前から誘われていた友達のライブに行く為、新宿駅で待ち合わせをしていた。
すると電車の中で、
「昨日のイカ天観た? 凄いの出たよね」
とちょっと離れた席の高校生らしき女の子達が話している。
「あれって、もしかして俺達の事かなぁ・・・」
と知久君と小声で話し合ったりしていた。
そして、駅についた。すると、ドアから出た途端、ホームにいたオッサンが、
「うわあぁぁぁぁ!!」
と俺達を見て腰を抜かさんばかりの大声をあげた。
俺達は化け物か・・・。
「た、たまの方達ですよね」
「はい」
「き、きのう観ました。よ、良かったです」
「あ、ありがとうございます」
そしてライブ会場に着くと、何かみんな明らかにこっちの方を見て、ひそひそ話している。
「あれ・・・俺達の事、結構噂になってるのかなぁ」
でもまぁ、ライブハウスに足を運ぶような人というのは割と「イカ天」を観ている確率も高いと思われるので「ちょっと俺達有名人?」ってな感じでニヤニヤしてしまった。
しかし、それがその次元ではないことに、帰りの新宿駅ではっきり気づかされた。
ホームで電車を乗り換えようとしていると、何と女子高生の集団が、
「『たま』だー!」
「『たま』があそこにいるぞー!」
と叫んで、凄い勢いでドドドドッと追いかけられたのだ。
「ど、どうなってるんじゃあぁぁぁぁーっ!!」
俺達はあわてて電車に飛び乗った。
つまりたった一夜にして、全く無名だった俺達が、いきなりシンデレラのようにまわりに認知されてしまったのだ。
ちなみに当時、たまの連絡先は知久君の家になっており、ライブハウス等に貼ってあるチラシにもその電話番号が記されていた。
そして数日後だったか、知久君がちょっと疲れた顔をしていたので、
「どうしたの?」
と聞くと、
「留守番電話に毎日数百件のメッセージが入っていて、それを聞くだけで朝になっちゃうんだよ・・・」
ほとんどはテレビを観たファンからのものやイタズラ電話だったらしいが、中にはレコード会社や音楽事務所などからの重要なものもあり、聞かないわけにいかないが、とてもとても個人で捌ける量ではなかった。
また、その頃ちょうどナゴムレコードから俺達の始めてのアルバム(まだアナログ盤だった)が発売になったのだが、そこはインディーズのレーベルなので、それまで1日多くてもせいぜい数十枚程度の通販をスタッフが細々とやっていたのだが、いきなり1日で何千通だかの通販申し込みが来て、パニック状態に陥ってしまったそうだ。
つまりカウンターだけの常連さん相手の居酒屋に、ガラッとドアが開いたと思ったら見知らぬ何千人もの客が一挙にズドドドッと暴れ馬のように押し入ってきた状態、と思えばいいだろう。
ちなみにケラさんは「たま」で儲けたお金でお父さんのお墓を建てられた、と言っていた。俺達がした数少ない善行である。
その後、「さよなら人類」「オゾンのダンス」「ロシヤのパン」「まちあわせ」と結局俺達は5週勝ち抜いてグランドイカ天キングになってしまった。最後の5週目など、
「どうせ勝っても負けても演奏が見せられるのはこれが最後なんだから、思いっきりチャカすかー」
と、あろうことか「バンドコンテスト」なのに、楽器はギター一本のみ。
俺だけランニング姿でボーカルを取り、あとのメンバーはタキシードを着て、無表情でコーラスを取るだけ。
しかもその週の優勝バンドは既にライブハウス界では相当名の知れた、圧倒的な実力も持つバンド、マルコシアス・バンプだったのだ。
それでも世の中の流れ、ちゅーものは恐ろしい。なんと4対3で勝ってしまったのである。
当人の俺達でさえ、
(そんな馬鹿なー。負けにいったのに・・・)
という感じだったが、ここで後日「イカ天の名采配」と言われた審査委員長・萩原健太氏の、
「勝負では負けたけど、あまりにもこのバンドを落とすのは惜しい。『たま』もグランドチャンピオンになって来週はもう出られないのだし、ここは『暫定的イカ天キング』ということで、マルコシアス・バンプには来週も出てもらう、というのはどうですか」
という発言により、結局その後マルコシアス・バンプも他を寄せつけぬ圧倒的な強さで5週を勝ち抜き、グランドイカ天キングになったのだった。
さて、「イカ天」はこれで終わりかー、と思った12月、イカ天の事務局から連絡があった。
「元日にイカ天の特番をやるから出演して欲しい」
しかし俺達は急激なまわりの変化に少々疲れていた。
いきなりどこに行っても声をかけられたり、指をさされたりと、鼻クソも自由に掘れない、ましてやそれを食べることもままならない(いや、食べないがね)状況に突如投げ込まれたのだ。
そして何よりGさんはサラリーマン、他の3人も普通にバイトもまだしていたので、
「なんかこれからも忙しくなりそうだから、正月ぐらいはゆっくり休もうぜ〜」
ってな感じになって、業界のことなども知らないので、気軽に、
「あ、その番組は俺達、いいです」
と言ったところ、当時あまりに慌ただしくなったので臨時にマネージャーを請け負ってくれた女の子がテレビ局に呼ばれ、
「もし出ないなら、今後一切局には出入り禁止になるぞっ!」
と半分脅され、ちょっと青ざめて報告してきた。
俺達は正直、まだこちらが何とも言ってないのに、出演は当然だ、みたいな感じで言われて釈然としない気持ちもあったが、今考えると、当時の状況では俺達はどうやらメイン扱いで、番組としても俺達の出演拒否は考えてもいなかったのだろう。
結局、今後メジャーでの活動を考えていくなら、ここは穏便に出演した方が無難だろうということになり、90年1月1日、武道館にて「輝け! イカ天大賞」という今までのグランドイカ天キング等、1年間に同番組に出た500組以上のバンドの頂点を決める特別番組に出演した。
俺達もテレビ番組とはいえ、実際お客さんも満杯に入った武道館というステージに立つなどとはそれまでの音楽活動を続けている間に、全く考えたこともなかった。
なにせ、自分達はそういう大きな舞台でやるような音楽をやっているとも思っていなかったので。
そして、俺達の出番。
「まぁ、演奏はいつもの通りに・・・」
と思ってさほど緊張感もないまま、ステージにと出ていった。
しかし俺達が出た途端、そこにあったのは想像を遥かに越えた会場がどよめくほどの物凄い音量の拍手と嬌声だった。
これにはさすがの俺も、
「・・・えっ!?」
と正直驚いた。
それまで番組内のバンド人気投票で1位とかにもなったが、あまり実感がなかったが、この日の観客の生の反応の凄まじさは、例えたら笑われるであろうが、昔観たビートルズの来日ビデオのような阿鼻叫喚にも近いものがあった。
「たまー!!」
「知久ー!!」
「柳原ー!!」
「滝本ー!!」
「ランニングー!!」
こちらの演奏もかき消されるような声・声・声。
「ななな、なんだ、これは!?」
そしてあれよあれよで結局この「イカ天大賞」でも見事大賞を受賞してしまったのだ。
それからはも〜何がなんだかシッチャカメッチャカでわからなかった。
ちょっと前までたかだか数十人の客の前で好き勝手に演奏していて、だ〜れにも知られていないのでノホホーンでヨダレ、ダッラ〜の俺達が、まだ正式にメジャーデビューもしていないというのに、音楽誌の人気投票とかでも一位とかになり「日本を代表するミュージシャン」的な扱いにあっという間になってしまったのだ。
次々と取材の依頼やら大企業のCM撮影やらがやって来て、あろうことか「少年サンデー」や「ぴあ」とかの大メジャー雑誌とかの表紙も次々と飾ったりして、まさに、
「ちょ、ちょっと待ってくれー、心の準備がまだ出来てないでガンスー。ガンスーガンスー、あわわわわ!」
という感じだったのだ。
みんな当然バイトや仕事もやめたが、それぞれの勤務先の社長とかも騒動を見て知っていたので、「退職届け」に退職理由を書く必要もなかったのであった。


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