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第六章 恐怖の海外レコーディング
さて、ほんの数年前まで公民館の一室にカセットレコーダーを一台だけ置いてそのまわりを囲んで「せーの!」で全員で音を出していた俺達のレコーディング作業も、あっという間に様変わりしたのだった。
最初のアルバム「さんだる」は喧噪の中で東京で作ったが、どうしても他の仕事が合間合間に入り集中が途切れるので、出来たらまとめてレコーディング期間を設けて、その間はそれに専念したいという希望を出し、その結果二枚目「ひるね」三枚目「きゃべつ」は外国での録音となった。
これは時代がまさにバブル期だったから出来たことでもあるが、逆に言えばバブル期だからこそ日本を出たとも言える。何故かというと、バブルで値段が高騰し、ちょっといいスタジオとかだと1日50万近くのスタジオ使用料がかかる、というのだ。これには流石の俺達も「ヒエ〜」となって、いきなり無言で前方回転やカエル倒立やラジオ体操第二をオイチニッサンシーと始めてしまったぐらいだ。
だいたい平均的には1枚のアルバムを作るのに、録音・MIX作業等を入れると一ヶ月前後のスタジオ作業というのがメジャーでの相場らしかったが、ということはスタジオ代だけで1500万円。これなら外国のいいスタジオを借りて、そこの渡航・宿泊費等考えてもむしろそちらの方が安いということがわかったのだ。
俺は個人的にも旅行好きだったので「外国に行ける」というだけでウッシッシ〜のアッハッハ〜のオッヒョッヒョッ〜なのが本音だったのだが。
ただ、その時は自分達があんな恐ろしい目にあおうとは、露ほども知る由もなかったのだが・・・。
渡航先はイギリスとフランスに決まった。
イギリスはオックスフォード郊外の「マナースタジオ」というところだった。
ちなみに、タクシーに乗って「マナースタジオ」と言っても通じないぞ。英語の本場エゲレスなので、「マヌアーステューデュオス」と顔をクチャクチャに往年の「クシャおじさん」の様に歪めながら舌を血だらけにして発音しないとわかってもらえないぞ。
ま、クシャおじさんのことはどうでもいい。
とにかくそこに到着した時、誰もが「オオーッ」と唸った。
特に同行した俺の妻の目は突如普段の5倍ほどにも大きくなり、目の中にはお星様がやたらめったら輝いていた。つまり、完全に少女漫画の主人公に一瞬にしてなりきっていたのだ。
それほど「夢に見た理想の貴族の館」そのもの、だったのだ。
古い中世の館をそのまま使った建物がホテルで、そこかしこに美しい花が咲き乱れていた。
離れの石造りの建物は中がスタジオに改造されていたが、風情があった。
そしてよく手入れされた庭は、代々木公園ほどもあるのか、見渡す限りの芝生や森や池を含みすべてがこのスタジオの所有地だという。
その遥か彼方から白馬の王子様が白い歯をキラリと光らせながら、
「お嬢さん達、僕と一緒に森にでも遊びに行かないかい?」
とパカランパカランと走り出てきても全くおかしくない光景だった。
大きなおとなしい犬が出迎え、すぐにさり気なく重厚な装飾物や家具がおかれた部屋で、スコーンと紅茶が上品なティーセットで振る舞われた。
ハッ、と振り返ると妻の目は先ほどの5倍から10倍になっていた。顔の半分強だ。
「すっ、素敵・・・」
男まさりの妻からこの言葉を聞いたのは、結婚後初めてであった・・・。
さてしかし世の常として明があれば暗もある。善があれば悪もある。吉野家があれば松屋もある。ということで、この古い建物も夜になるや、恐ろしい「恐怖の館」へと変身したのだった。
まず最初の異変には妻が気づいた。
俺達が離れでレコーディングしている夜も10時を過ぎ、妻はベッドに寝転びながらうとうとしていたのだが、突然耳元で「ハァッ、ハァッ」という男の声。
「んっ?」
と振り返ると耳元ではなく、窓の向こうに気弱そうな男が顔を覗かせていた。
咄嗟に痴漢と判断した妻は、日本語で、
「何よっ!」
と大声をあげると、男は困ったような顔をして下に降りていった。
そう、ここは二階なのだ。しかも古い建物なので現代の建物の三階にも匹敵する高さだ。
そこへちょうど俺がレコーディングを終えてヘラ〜と帰って来た。と、すぐに妻は、
「ダンナ〜(俺の愛称。友人達からもそう呼ばれてる)、ひどいんだよ。今、痴漢が覗いてたんだよ〜」
「えー、まじかよー」
と言いながら俺も窓の外を見る。すると確かに男が下で向こうを向いて何事かブツブツ言いながら立っているのが見えた。
「確かに人がいるねぇ。でもなんか痴漢のような感じには見えないけど・・・」
「何か工事かなんかの人だったのかな?」
「こんな夜中に? あぁ、でもそういえばそんな雰囲気だね」
「じゃ、私、大声出して悪いことしちゃったかなぁ。カーテン閉めてなかったのが悪かったかもしれないし」
「そうだねぇ・・・んっ? 待てよ。窓から覗いてた、って言ってたよねえ」
その途端急に俺にブルッと震えがきた。そしてもう一度窓の下を見てみると、もう誰もいない。
「あっ、あのさあ・・・」
「んっ?」
「ここテラスないよねぇ。ってことは・・・」
「あれっ!? そうだ。どうやって上って来たんだろう!?」
「長い梯子でも使わない限り、窓から覗くの無理だよね・・・」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って。そんな物立て掛けている物音も時間もなかったよ。ってことは・・・」
そして俺達は気づいた。この窓の向こう側がちょうど、ホラー映画にいかにも出てきそうな、墓石も倒れたままの、朽ち果てた無人の教会だったことを・・・。
次の朝この話をした時、急にホテルのマネージャーの顔色がサッと変わった。
「人が居たって! それはあり得ない!」
そう、ここは世界中から有名アーティストがレコーディングに訪れる為、見た目は古いが実は最新のセキュリティシステムが導入されていて、知らない人間は例え白木みのるですら入り込めない様に、赤外線とかで監視されていたのだった。
そして普段は大人しく寝そべっているだけの大きな犬も、実は他所者が侵入したと判断するとすぐに反応する優秀な犬だったのだ。
早速、うちの夫婦の部屋の下あたりを犬に嗅がせてみたが、全く反応はない。もちろんセキュリティシステムにも何も異常はない。
ということは俺達が見たのは、少なくとも生きた人間ではない、ということだ・・・。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった。
ちょうどやはりイギリスに遊びに来ていた妻の妹が、俺達の部屋に一泊していったのだ。朝起きると、目を真っ赤にさせている。
「どうしたの?」
「一睡も出来なかった」
「何で!?」
「みんなには聞こえなかったの? 夜中じゅう耳元で延々苦しそうな唸り声がしてたじゃないのっ!!」
鈍感な俺達夫婦には何も聞こえなかった・・・。
でもやはり「耳元で呻き声」なのだ。
義妹は本当はもう何泊かしていく予定だったが、とてもここにはいられないと言って、その日のうちに予定を変更して帰っていってしまった。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった。
決定的な事が起きてしまったのだ。
たぶん霊達は自分の存在をわかってもらおうと必死だったのだと思う。
ところがうちの夫婦があまり怖がりもせず、グータラ〜のフニャフニャ〜のヘラヘラのビヨヨヨヨ〜ンとしていたので、遂に業を煮やしたのだろう。
ある日の昼間、夫婦で外出から帰って来ると、何と部屋の壁じゅうがクレヨンで滅茶苦茶に落書きされていたのだ。
確かに部屋にクレヨンは置いていたが、蓋も閉じたままだ。
しかもその描き位置からして、子供の視線のあたりにびっしりと描かれている。
このホテルで子供と言えば、Gさんが連れて来た長女ぐらいしかいないが、まだ2、3才だったので常にお母さんが横についていたので、人の部屋に入って壁じゅうに落書きをする、などということは考えられなかった。
ちなみに割と霊感の強いスタッフのひとりは、この光景を見た途端、あまりの霊力に吐きそうになったという。
ホテルのスタッフが慌てて落書きを消していた。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった。
そのホテルは二階が宿泊部屋になっていて、一階は長いテーブルのある食事場所だったり、スヌーカー(ビリヤードみたいなもの)室だったり、ピアノ室だったり、テレビ室だったりと共有のゆったりとしたスペースだったのだ。
そこでは夜毎、レコーディングが終わるとメンバーやスタッフ達はビールなど飲みつつ、カードをやって遊んでいたりしたのだ。
ある時は、俺が汚い手で大逆転であがって、みんなむかっ腹を立てて、
「もう、石川さんとは一生遊ばねぇっ!!」
とか言われたりしていた。おひおひ、小学生じゃないんだからそんなに怒るなよ〜。
で、そんなことはいいのだが、先ほどのGさんの娘がある時、真っ暗なピアノ室にひとりでちょこちょこ入っていったりした。
夜で電気も灯いていなかったので、
「ほらほら、そんな誰もいない真っ暗な部屋なんかでウロチョロしていると、頭とかぶつけるわよ」
とお母さんが窘めていた。
すると、娘からニコニコしながら返って来た言葉は、
「お兄ちゃんや、お姉ちゃんがいっぱいだよっ!!」
もちろんまだ大人に嘘をついてからかうような年ではない。
・・・見えたのだ。
彼女には、たくさんの大人達がピアノを囲んでパーティを開いているのが。
大人の俺達には全く何も見えない真っ暗なピアノ室でそれが行われているのが。
俺達は、一様に黙ってしまった。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった・・・。
ある夜、スタッフがふたり、物凄い勢いで二階からメンバーがいる一階に、
「うわーーーーーっ!!」
と叫びながら階段をズダダダッと降りてきた。
「オキョ、オキョ、オキョーッ!」
「はっ!? お喜代!?」
「オキョーッ! お経が誰もいない天井裏から聞こえて来たんだよっ!!」
「お経? ・・・日本語の!?」
「そう、日本語のお経!」
「そんな馬鹿な・・・」
俺達も凍り付いた。しかもそのスタッフはふたりともどちらかというと冷静なタイプなのに、そんな彼らが取り乱しているのだ。
だがその疑問はホテルのスタッフによって氷解した。
実は二階の上に特殊な場所からしか登れない屋根裏部屋があり、そこに管理人が住んでいたのだ。
そしてその管理人は日本の某宗教の熱心な信者で、本当にお経をあげていたのだった・・・。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった。
ある真夜中、真っ暗なリビングのソファーに人の気配がした。
「こんな時間に? 真っ暗な部屋に人が!?」
みんなをこっそり呼んで来た。
「ふたりいない?」
「いるいる!」
「しかもふたりとも男だよね・・・男の霊?」
しかし良く見ると、それはホモの現地スタッフが、リビングの暗がりで静かにウフフフとイチャついているだけだった・・・。
と、恐怖話がだんだん馬鹿話になってきたのでこの辺でやめておこっと。
だがどれも事実には変わりない。
本当に数百年前に建てられた建物で、尚かつ裏が崩れかけた教会ということで、あまり幽霊関係に関心が強くない俺でも、この体験は「う〜む」と唸らざるを得なかった。
でもそんなに強い「怨念」みたいな気はしなかったので、ただ、
「おーい、俺達もいるんだよ〜!」
ということを教えたかっただけの気がするが・・・。
本当に、謎の屋敷だった。
フランスは南部にあるトゥールーズという石畳の古い町でレコーディングをしたのだが、スタジオ自体は郊外の新興住宅地にある新しい施設で、イギリスのような怖い目には会わなかった。
スタジオに併設したホテルには部屋の中に安っぽいバーカウンターみたいな場所があり、いつも夜レコーディングを終えると、妻と「バーごっこ」をして遊んだ。
「ママさん、今日も一段と綺麗だねぇ」
「まー、コーさんったら! フフフッ」
とか馬鹿丸出し夫婦であった。
ちなみに近くのスーパーに行ったらワインが水より安くて、
「こりゃいいや〜」
とふたりでニッコニコしてカゴの中に入れると、たまたま横に来ていた現地のスタッフに、
「そのワインは浮浪者の飲むワインよ・・・」
と静かに言われたりしたが。
しかし、フランス人はこう言っちゃなんだが、仕事しねぇ〜。でもプライドは高ぇ〜。
実は日本とラジオの生中継でフランスのレコーディングスタジオから生演奏をお届けする、という企画があり、時間差の関係で朝の5時頃には叩き起こされて、寝惚けまなこながらも、演奏のスタンバイをして待っていた。
ところが放送がもうすぐ始まるというのに、日本との回線が繋がらないという。
結局原因不明のまま番組開始時間になり、仕方なく「電話インタビュー」にすり替え、演奏は行えずCDを流すだけというなんだか間抜けなものとなった。
後日、あくまで噂ではあるが原因がわかったという。この中継はトゥルーズからいったんパリに演奏が回線で送られ、そこから東京へと送る手はずになっていたのだ。
ところが、その中継地点のパリの担当がグースカ鼻チョーチンで寝坊していたというのだっ!
起きたら番組は終わっていたという。
つまりその時間、中継の放送局にダーレモもいなかったらしいのだ。それじゃ、繋がらんわな。
「郷に入れば郷に従え」と言うが日本では考えられないミスだ。この程度の事は、フランスではノー・プロブレムなのか?
レコーディングにおいてもフランス人のルーズさは同様だった。
現地アシスタントはふたりいたのだが、何か用事がある時は呼べば来るが、それ以外はほとんどロビーでMTV見たり、おしゃべりしてゲラゲラ笑っているだけだった。
ある夜こちらのスタッフが、
「この楽譜をコピーしてくれ」
と言ったところ、
「いや、コピー機は社長室にしかなく、社長は夕方帰ってしまったので今はコピー出来ない」
と言うので、
「それは困るな。今すぐ必要なんだ」
と言うとしばらく考えてから、
「・・・ウイッ!」
と言うと紙を受け取り、コピーを取ってきた。やけにコピーを取るだけなのに時間がかかるな〜と思ったが、合鍵でも探していたんだろうと気にも止めなかった。
しかし、問題は次の日に起きた。
なんと彼は昨日コピーを取るのに、社長室のドアを蹴破って全てを破壊してコピーを取ってきたことが判明したのだ。おめーはシュワルツェネッガーか!
社長は当然烈火の如く怒ったが、そこで労働争議が起きてしまったのだ。
コピー機が時間外に使えないだけじゃなく、女子社員が、
「社長はケチ過ぎるのよっ! だいたいねー、あたしの使ったホチキスの針の数までネチネチ数えるのは、どういうわけっ!」
とか言いだし、他の社員も次々と機に乗じて社長に不満をぶちまけ、一大騒動になってしまったのだ。
が、ちょうどこちらはレコーディングも終了したので、
「オ、オラ知らね〜」
とそのままスタジオを出てきてしまった。
今でもそのスタジオがあるかどうかはおーいに疑問だ。
しかし初めての「たま」での海外は愉快だった。
特に知久君など、飛行機に乗る為日本のイミグレーションを通る時は、なんと顔パス。
係員はパスポートを見ることもなく、ニコニコと、
「いってらっしゃいませ!」
そう、それだけ日本人なら知らない人はいない「国民的な顔」だったのだ。
それがロンドンに着いた途端、大逆転。
イミグレーションの係員は知久君の異様な髪型、異様な服装、異様なリュック姿、異様な下駄等を見て目をひん剥き、もちろん入念に荷物チェックもされて、他の人の3倍は時間をかけて徹底的に調べられていた。
そしてロンドンで今でいう「クラブ」みたいな所にライブが行われると勘違いして入った時はもっとひどかった。
俺とか妻とかは全くノーチェックだったが、知久君はやはりリュックを開けて調べられていた。と、そこにファンの人から貰った「喉に効く漢方です。知久さんよかったら使って下さい!」という感じの、碇剤状のにんにく粒が出てきたのだ。
これは端から見たら何かヤバイ物に見えないこともない。で、ガードマンのごつい黒人のオッサンに、その粉末を眼前に突き付けられ、
「お前、これはなんなんだっ!!」
とさも犯人扱い。もちろん英語でも何と説明してよいかわからず、知久君しどろもどろ。
3日ほどオフをもらって、スペインのマドリッドにも行った。
ピカソの作品「ゲルニカ」などをみたり、つかの間の休息を取った。
柳ちゃんは俺と同じB型の「モード派」なので、「さり気なくスペインを歩く僕」に酔って、ちょっと気取って歩いているところを、偶然ホテルの近くを妻と散歩している時にみかけた。柳ちゃんは、
「オスッ!」
という感じで、いかにも町歩きの地元の人っぽく手を振ったあと、さり気なく俺達に聞いてきた。
「ところで、ホテルってこっちだよね〜」
その彼の歩先は、完全にホテルと逆方向だった。
気取って歩いてさり気ないふりをしているのだが、実は完全に道を見失い、頭の中で冷や汗だらだらだったのだ。
「いや・・・ホテルこっちだよ」
と言うと、
「あっ・・・そ、そうだよね」
と言うとクルリとそこで回転するのはさすがに格好悪いと思ったのか、
「じゃあっ!」
と言って小道にと入っていった。
大回りして待ち合わせ時間に帰ってきた柳ちゃんは、汗だらだらだった。
・・・かわいいと思った。


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