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第七章 4人はアイドル!?
それからしばらくも、俺達はまるでアイドルのような扱いを受けていたのだ。というか、ある種アイドルそのものだったのだ。
この俺がキャピキャピアイドル雑誌やオシャ〜レな女性雑誌に載ったりしている。
写真集が出る。カレンダーが出る。テキやのオッチャンが無許可でこっそり作ったメンバーの人形や貯金箱、うちわなどもホールの外で売られている。
ライブにも知久君とすっかり同じ髪型、服装をしている女の子も多かった。
今をときめく釈由美子さんが俺のランニング姿をして観に来た事もある、ということを雑誌で読んで、
「えっ!? む、む、む、胸はどーなっとるんじゃーいっ!!」
と思ったが、よくよく計算してみるとその頃彼女はまだ小学生であった。
とにかく他のメンバーはわからぬが、
「こんな俺がアイドル扱いになるなんてぇコンコンチキのふざけた話、どうせそー長く続くもんじゃないのはわかってんだから、みんなが誤解しているうちに、せめて滅多に見られない物いろいろ見てやろう〜っと」
と俺は思って、この滅多にない状況をなるべく楽しむことにしたのだ。
まぁ、この章の最後ではそんなこと言っていた俺自信が遂にズドドドーンと噴火してしまうのだが・・・。
CMには何本か出たが、印象に残っているのは動物と一緒に温泉に入る、という物だったな〜。
これはもしかして観た事のある人は合成だと思っている人もいるかもしれないが、全くの生の撮影であったのだ。
いろいろな動物が登場して、ほのぼの〜と「動物も人間も皆兄弟」ってな感じのコンセプトだったが、実は現場は結構修羅場であった。
象が別の方を向いてしまったので、タイ人らしき怖い調教師が必死に「ホウッ! ホウッ!」とかけ声をあげながらビシッ、ビシッと象に鞭を打っている。
それを見て猿はおびえて逃げようと必死。
アライグマにいたってはジョージョー失禁している。
そんな騒ぎに、今度はラクダが歯を剥き出して、唾をブッシャーッと俺達を含むまわりじゅうにまき散らしている。一応見えないお湯の中に柵があるからいいようなものの、それがなければ「地球兄弟」どころか「アニマルデスマッチレスリング何が起きるか想像も出来ないもんね場」だったのだ。
そしてシーンは温泉という設定だったが、撮影に長時間かかるのがわかっていたので、実際俺達が入っていたのはぬるま湯。撮影にはやはり数時間かかり段々冷えてくるし、ケモノの臭いがあたりに充満してくるし。
しかし悲劇はそのあと起こったのだ。
シャワーが二基しかなかったのでまず俺とGさんがシャワーを浴び、 「ふーっ」とか言いながら休憩所で休んでいると、知久君と柳ちゃんがしばらくして、泣きそうな顔で青ざめながら飛び込んで来た。
「シャ、シャワーが途中から水しか出なくなっただーっ」
折しも季節は真冬。
ブルブル震えているふたりは、寒そうなだけじゃなく、ケモノ臭かった・・・。
テレビ・ラジオとかのトークも基本的にみんな苦手だったな〜。
興が乗るとそこそこ喋れることもあるのだが、疲れてたりすると、途端に4人ともヨダレ以外な〜んも口から出てこなくなってしまうのだ。
普通はバンドとかだと、だいたいリーダーなりのメインの人が受け答えをして、たまに他のメンバーがチャチャを入れるというパターンが多いのだろうが、「たま」はリーダーも「いや・・・特にいません」だし、ボーカルも全員が取るので、DJの人も誰に振ったらいいかわからず、クルクルと誰が喋るのだろうかと首を振る民芸玩具「首振り人形」のようで可哀想であった。
まぁ録音番組とかなら長めに収録して、誰かが興に乗って喋ったところだけうまく編集で流せばいいのだが、生番組は本当に苦手だったのだ。
みんな、じっくり考えてから答える哲学者タイプなのである。
もしくはみんな「他に3人もいるんだから自分以外の誰かが答えてくれるであろう」という楽観主義者だったのである。
しかしラジオとかは何秒間かの空白時間があると「放送事故」になってしまう。
だから、答えが出なくてもせめて声だけは出そうとしょぼい努力をして、
「ウウム・・・そおぉーーですねーーーー」
「えーとぉ、そおれえわあぁ、やっぱりぃぃぃぃ・・・」
「うひゃひゃひゃひゃっ」
「よっこらしょ、はーどっこいしょ」
で、やっと答えが出て満面の笑顔で首を上げた時にはたいてい、
「ハーイ、この質問は悩ませちゃったようですね! 答えはなしっ! ということで次の質問で〜す!!」
なんてぇことも多かったのだ。
しかも予定調和的な「がんばります!」とか「応援してくださいねっ!」などと答えるのがみな妙に恥ずかしくて苦手だった傾向もあったので、
「リスナーのみなさんにメッセージをお願いします!」
とか振られても、適当に「CD聴いてねっ!」とか元気な挨拶をすればいいものを、
「メッセージ、か・・・」
とまた真剣にムーンと腕組みして考えてしまうようなところもあったのだ。
ある時など、そのDJの人が人並み以上にテンポ良くいく人だったので、「ウウム」という言葉をこちらが出すまでもなく、質問して0・5秒で返事が返って来ない物は、パッとメンバープロフィールの紙など見てDJ本人がどんどん自分で「こうですよね〜」と答えてしまい、1時間くらいの番組で俺達が喋ったのは、ほとんど「こんばんは〜」と「さよーなら〜」だけだった事もあった。
やっぱり俺達そーとー頭の回転が亀なんだな〜。
デビューして最初の二年間で友部正人さんとの合作アルバムを入れるとアルバムだけで4枚出したので、途中にこういうラジオやテレビ、取材などをやりながらツアーもかなりの本数やった。
そして毎日がライブだと頭も混乱してくる。地方とかならまだ「次は札幌か〜」とかちょっとは思うからいいのだけど、東京では例えば渋谷公会堂をやって次の日は道を挟んだNHKホールでやって、その次の日はまた渋谷公会堂に戻るなんて紛らわしい3daysの時は、知久君とかはボーッとしながら別のホールの楽屋に入ろうとしたらガラーンと誰もいないことに気づいて慌てて道を渡って「やべえやべえ」とやって来た事もあった。
また長野の上田という町でやった時は、普段はスタッフと一緒なので問題ないのだけど、その時は前日メンバーだけが知り合いの家に泊まらせてもらった関係で、さてホールに行こうとしたら、メンバーの誰もホールの名前も場所もぜーんぜん知らない。いーかげんなので予定表とかも貰っていたはずなのに、マネージャーまかせでたまたま誰も持っていなかったのだ。
はて困った。
で、適当に当たりをつけて「市民会館」か何かを調べて行ってみると門がかたく閉ざされていて、とてもその日ライブが行われる雰囲気ではない。
「ありゃりゃー」
とかそんなことしているうちにどんどんリハーサルの時間が過ぎていき、
「おいおい、どーすんだよっ!」
「知らねえよっ、どこかポスターとか貼ってねーのか?」
とか言ってキョロキョロしながら車で町を走らせていると、見覚えのある東京からのおっかけのファンの人の姿が。
「助かった!」
すぐさま車を止めるや、
「あの〜、えーと、ひとつ質問です。今日僕らどこでライブやるんでしょう?」
と間抜けに聞いて会場にバブバブ連れていってもらったりした。
さて、ここでホールとライブハウスの基本的な違いを教えてしまおう。
まず、ホールはイベント等で呼ばれたのでなければ、自主企画ではまず絶対に儲からない仕組みになっているのだ。客席が満員でもやっとトントン、豚二匹。空席があれば赤字。つまりお客さん同様、俺達もお金を払ってライブをしなくてはならなくなるのだ。
何故なら、照明、音響、警備などのスタッフが大勢必要で人件費も膨大になり、地方ならもちろん交通費・宿泊費もその人数分かかる。機材等もすべてレンタル料金がかかり、なおかつ会場費などももちろん必要なのだ。さらに大道具などを使用すれば莫大な経費がかかるのだ。
それでは何の為にやるのか? 本当に儲けはないのか?
やる理由の最も大きいことは、実はCDの販売促進のプロモーションと「ホールでツアーが出来るバンドでっせ〜、売れてまっせ〜、CMとかどないでっしゃろ」という外部への商業的アプローチ、ステイタスの確立なのだ。
そして儲けはパンフレット等グッズの販売。これが馬鹿にならない。というか、これでしか直接には儲けは生み出せない。
対するライブハウスは、既に照明・音響等のスタッフや機材はお店に付属しているので、それに対して個別にお金がかかることはまずない。
そして店によってシステムは異なるが、基本的にチャージバックの店がほとんど。例えば入ったお客さんの人数によってチャージの何割かが、バンドにギャラとして支払われるのだ。なのでよっぽど閑古鳥が鳴いてない限り、こちらからの持ち出しはまずない。但しホールよりキャパシティは当然少ないわけで、つまりはノーリスクだけどローリターンなのだ。
でもまぁそれは所属事務所なりが総合的に判断してどちらがメリットが大きいかは考えることだ。ともかくデビューからしばらくは、俺達もホールでのライブが続いたのだ。
でも、俺はやっぱりお金の事を抜きにしてもライブハウスの方が好きだにゃ〜。
もちろんホールにはホールの良さがあって、ゆっくり座って観られるとか、照明効果が面白いとか、大道具で遊べるとかがある。
しかし、基本的にはステージと客席は離れているから「本人がそこにいる」という確認作業が強いケースが多いと思うのだ。
また、音響、照明のタイミング等、自分達以外のスタッフの比重も大きくなり、それはそれで共同作業の面白さがあるのだけども、逆に言えば、
「今日はイマイチのライブだったな〜」
と思ってもアンケートを見ると、
「今日は今まで観た中で最高のライブでしたっ!」
とか、その逆ももちろんあるのだ。そこには音響・照明等の出来の効果も大きく、やはりお客さんとの間に距離を感じてしまうことがあるのだ。
で、俺は顔の表情までハッキリ見えて、本当に同じ空気を共有している感の強いライブハウスがどーもやっぱり好きなのだな〜。
(あ、とはいえホールでのイベントは嫌いだから出ない、と言っているわけじゃありませんよ。俺は面白そうな企画ならもちろん出まっせ〜。呼んでね〜。)
まぁ、これは人それぞれの趣味だから「ライブハウスはその雰囲気からして嫌い」という人だっていて当然なのだが。
とにかく、へたすりゃ客がステージに登ってメンバーを殴ることだってキスすることだって出来る、そんな緊張感が俺は好きなのだ。(あっ、あっ、もちろんそう俺が書いたからって、本当にステージにあがってきて殴るのはもちろん、キスでも困惑するだけだからやめてね。するなら、へ・や・で)
さて、話しをツアーに戻そう。
その頃Gさんが麻雀を覚えてしまったということがあったのだ。
知久君はやらないので、それまでは俺と柳ちゃんがやりたくても2人ではどうにもならなかったのが3人になれば、あとひとりスタッフでも誘えば簡単に出来る状況になってしまったのだ。
麻雀をやってきた人ならわかるであろーが、覚え立ての頃はとにかく猿のようにやってやってやってやってそれでもまだやってやりまくりたくなるものなのである。
なのでツアーの時などはライブが終わって打ち上げを軽くして、午前0時頃から終夜営業の雀荘を探し打ちに行くのが日課になってしまったのだ。
最初は、
「明日も移動してライブだから、3時までな〜」
とか言っているのだが、たいてい負けている奴が、
「あと一回! あと一回だけ、頼むぅぅぅーーーーっ!」
とか言っているうちに終わって外に出るともう早出の出勤者などが足早に駅に向かったりしており、
「またやっちまっただ・・・ホテルいらなかったな・・・」
ということも多々あったのだ。
今考えると、それでほとんど寝ずにライブではピョンピョン元気よく跳ねまわったりしていたんだから(もっとも跳ねるのはもっぱら俺だけだが)、やっぱり若かったのだな〜。
ある時など、雀荘を探したがどこもない。でもやりたくてしょうがない。
ということで、俺達は頭を捻り、いいアイデアを思いついた。
まず柳ちゃんの部屋にみんなでそれぞれの部屋に飾ってある額縁付きの「絵」を持って集合したのだ。
なぜ手に手に「絵」を?
俺達は静かにベットを持ち上げて壁にもたせかけると部屋を広くし、小さめなテーブルの上に「絵」を4つ並べて毛布をかけ、簡易麻雀卓を作り、そして打ち始めたのであった。
そこまでしてもやりたかったのである。・・・馬鹿である。
しかしさすがの神様も「いいかげんにしなしゃれっ!」と思ったのか、明け方あたり、「そろそろ終わろうか」と言った途端、突然立て掛けてあったベットがズゴゴゴーッという音とともに倒れこんできて、あやうく、
「たまメンバー謎の圧死。ベットの下に麻雀牌と四枚の絵とともに」
という記事が週刊誌を賑わすところだった・・・。
「ひるねでグー」という長いツアーの時は、シンプルなステージが多い俺達には珍しく、凝ったセットを使った。
最初は「生活感のあるビルの屋上」というイメージで、洗濯物とかも干してあったり、横の水道の蛇口からはちゃんと水が出て、ライブ中に顔を洗ったりした。
そして途中から「おどろ四連発」というメンバーそれぞれの、とっておきのおどろおどろしい曲が立続けに演奏されると、後ろの斜幕から巨大なキノコのオブジェが登場し、ガサゴソそれが動き始め、途端に「植物に犯された都市のビルの屋上」になる、というスペクタルものであった。
その頃「たま」と言うと「さよなら人類」や「夕暮れ時のさびしさに」ぐらいしか聞いたことがない人には「コミックバンドもどき」と思われていたところもあったよーな気がする。
で、確かにそういう要素がゼロとは言わないが、それは全く「たま」の一面でしかなく、一度ライブを見てもらえばわかるが曲調もしっとりとしたメロディの曲からポップぽい馬鹿ソング、郷愁をさそう歌に即興インプロビゼーションから、かなりダークやディープで子供が泣き出しそうな曲まで多彩だったと思うのだ。
なのでデビュー前は良く、
「音楽ジャンルは何ですか?」
と聞かれて答えに窮する事が多かった。
フォークにしては激しすぎる。ロックにいけばアコースティック楽器がほとんどなのでやはり違うと言われる。ポップであっても決して歌謡曲ではない。即興演奏もあるけどジャズとももちろん違う。
なので呼ばれるイベントや共演者も様々であったのだ。
実は「イカ天」に出たもうひとつの理由に、
「似たようなバンドが先に出て『○○みたいなバンドだね』と言われるのはいやだよね」
というのもあったのだ。結局それは全くの杞憂だったのだが。
そーいえばアマチュアの頃、ある過激パンクバンドとイベントで共演したことがあった。その時もそのバンドは演奏中に客と殴り合いの喧嘩をし、救急車まで来る騒ぎになったが、その後に出演した俺達のステージを見て、別に暴力的なことをしているわけでもないのにそのパンクの人達が、
「こいつら、本当に危ねえぜ・・・」
と囁いていたという話しも聞いたことがある。
なんなんだ、俺達は?
このツアーの頃は、ライブ後のいわゆる「出待ち」も多く、ハイヤーでメンバーがホテルを出るも、まわりは「箱乗り」をしたファンの車でヒャーヒャー言われて囲まれることもあった。こうなると意外に燃えるのが運転手というものである。
「よおがす。巻きやしょう!」
というやスピードを上げると、とあるホテルの地下駐車場へ。そしてそのホテルの裏口からまた猛スピードで走り抜け、
「へっへっ。このホテルに入ったと思ったでがしょうなぁ!」
と笑いながら本来のホテルにたどり着くと何のことはない、もうホテルの情報はどこからかとっくに漏れていて、ファンの人達はゆっくりとロビーで俺達の到着を待って、余裕で煙草をふかしたりしていた。
ハイヤーのおっちゃんも「負けた」という顔をして、肩をガックリ落としていた。
急いでチェックインするも、晩飯をちゃんと食っていないのでお腹が背中に完全にくっついて怖いことになっている。しかし飯を食いに行く為には、ファンの写真・サイン攻勢がロビーにはヘイ、カッモーンと待っている。元気な時はいいが、疲れがピークに近い時は、俺は下に降りるのを諦めたこともあった。
そして、俺の夕食はエレベーター脇の自動販売機のピーナッツ3袋だった。ひとりのホテルの部屋に響き渡るポリポリシャリシャリの音は、ちょっと侘びしいものだったぞい・・・。
ファンの人にも印象深い人がたくさんいたが、とある雨の日、我が家の前に子供の傘が何十個も並び、
「ランニングの人ここにいますか〜。出てきて下さい〜」
とやってきたのはかわいかったな。さすがにあまりの人数の多さにびびって出てはいけなかったが・・・。
またある時はやはりライブ終了後、隠れ家のような飲み屋でメンバーだけで飲んでいた。
と、少し離れた席にいた、30才前後の大人のカップルが、こちらにやってきた。
「たまの皆さんですよねぇ」
「はい」
「ライブに何回も行かさせてもらいました」
「それはありがとうございます」
ところが、何かふたりがモジモジしている。
だいたいはサインを書いて欲しいとか写真を撮って欲しいとか握手をして欲しいとかで、たまに頭を触らせて欲しいだとか俺の腹を撫でさせて欲しいだとか私に子種を植え付けて欲しいだとか鞭で叩いて欲しいだとか鞭で叩かさせて欲しいだとかお金をくださいなので、そんな言葉をかけられるものだと思ったら、彼らの口からは予想しない言葉が出て来た。すなわち、
「恨んだこともありました・・・」
と暗い顔で言われたのだ。
一瞬俺達は何かの聞き間違いだと思った。
ライブに何度も来ているということは普通に考えてファンということで、それが何で俺達を恨んでいるのかわからず、ポカンとポカホンタスしてしまった。
「実はこの度、私達結婚することになりまして・・・」
あ、何だ、やっぱり聞き間違いだったんだ。
「それはおめでとうございます〜!」
しかし相変わらずふたりの顔は暗い。
しばらく躊躇してから、ゆっくりと男の口が開いた。
「実は、ふたりとも家庭を持っていたんです。彼女には子供まで・・・。でも『たま』のライブ会場で私達は出会ってしまって、そして離れられなくなってしまったんです。」
「・・・・・・。」
「ふたつも家庭を壊してしまった。こんなことになったのも貴方がたのせいだ。一時は相当恨んだものです。」
「・・・・・・。」
「・・・それでは失礼します」
世の中、無意識のうちに知らないところで人の人生を変えてしまっていることもあるんだなぁ、とつくづく思ったのだ。
またこの頃、俗に言う「ヤオイ本」といわれるミニコミ誌も続々出され、俺達自身の手元にまわってきたものもあった。「ヤオイ本」とは言わばアイドルの男同士のホモセクシュアルな様子を描いた「女性の為の自主製作エロ本」である。「山なし、オチなし、意味なし」から「ヤオイ本」と呼ばれているものだ。
耽美な女形の柳ちゃん、呻くGさん。犯される知久君・・・。
「好きだったよ、柳ちゃん」
「あぁ・・・Gさん・・・そこは・・・僕には知久君が・・・」
しかし何故か俺だけは、ストーリー漫画の中のお遊びのギャグキャラクターとして、手塚治虫の「ヒョウタンツギ」の様な役ばかりだった。
俺も、俺もまぜてくれ〜いっ!!
って嘘だからな。は〜良かったわっ、美少年じゃな・く・っ・て!
・・・フンッ、なにさっ!!
たまは何故か漫画家の人に、ライブを観に来てくれる人や知り合いが多かった。個人的な付き合いも合わせてざっと思い出してみても、さくらももこさん、吉田戦車さん、山上たつひこさん、おーなり由子さん、萩尾望都さん、とり・みきさん、故山田花子さん、蛭子能収さん、根元敬さん、しりあがり寿さん、西原理恵子さん、花輪和一さん、大竹サラさん・・・。
さくらももこさんはデビュー後しばらく「宝島」という雑誌にたまの連載ページがあって、そこに「たまのひと」という4コマ漫画を描いてもらったり、御存知テレビ「ちびまる子ちゃん」のエンディング・テーマ「あっけにとられた時のうた」などもやらせてもらったりした。
吉田戦車さんは彼の作品「ぷりぷり県」をモチーフに架空の県の歌ばかりを入れた「パルテノン銀座通り」というシュールなアルバムも作った。
その中でも「デビューして良かった!」と最高に嬉しかったのが山上たつひこさんとの出会い。俺達が高校生ぐらいの頃、最も熱中して読んだのが「死刑!」「八丈島のキョン」等のギャグが一世を風靡した「がきデカ」だった。 そしてこの頃、リバイバルでまた「がきデカ」の連載が始まったのだが、なんと主人公の「こまわり君」にたまのメンバーがなる、という漫画が掲載されたのだ。最も俺が好きだったキャラクターに自分がなれるとは!
これがある意味、俺のデビューした最高の喜びだったかもしれないな〜。ウヒョヒョヒョヒョッ!
ってなことで嬉しいこともあったがはっきりいって、どこに行ってもキャーキャー状態が続いていて、さすがの俺達も少々この状況にうんざりしてきた。
そこで遂に俺が先陣を切ってキレテしまったのだ。
あれは名古屋だったか、デパートの一角に設けられたステージでラジオの公開録音があったのだ。
そしてたぶんその日はそれまでもアイドル的な雑誌の取材等を受け、自分の中で、
「違う!」
と囁く声が繰り返し聞こえていたのだ。
そしてそれにデパートのスピーカーが追い討ちをかけてしまったのだ。
「『さよなら人類』でおなじみの『たま』が本日、○○時に登場致しま〜す。みなさんこぞって○階のステージまでお越し下さ〜い。「紅白」にも出場した人気者のたま、「紅白」にも出場した人気者のたま、でございま〜す!!」
その時、俺の中のダーク浩ちゃんが、
「違うーーーーーーっ!!」
とキリキリと叫び声をあげた。
俺の中のアングラ魂が遂に富士山大爆火を起こしてしまったのだ。
「それでは『たま』の皆さんの登場です。皆さん拍手でお迎え下さい!」
ズゴゴゴゴーーーーーッ。
「こん・・・にちは」
ズズズズババババーッ。
「はーい、今、人気絶好調の『たま』のみなさんで〜す」
ガガガガガーーーーッ。
「それでは、いつも真っ白なランニングでおなじみの彼から、自己紹介をお願いしま〜す!」
ブルブルブルバリバリバリ
バキューンバキューン
ボゴゴゴゴゴ
ブッシャーーーーーン!
「はい、最近まわりがうるさくてすっかり耳が聞こえなくなってしまいました。ツ○ボリーナ・石川でーす!」
ザッバーンドッボーン
シャーシャーシャーシャー
ブリブリブリブリ
ドッパーーーーーン!
爆裂絶対放送禁止用語。
「あっ、ああっ。えーと、意外と過激な・・・他の人もお名前を・・・」
Gさんは黙っている。
すかさず知久君が、
「あっ、あっ、この人オ○だから、喋れません!」
ミヤーンミヤーン
モゴゴゴゴ
ドグラマグラドブラマブラ
ボンボンバカボンバカボンボン!
・・・その後の事はもうよく覚えていない。
この事は思った以上に波紋を呼び、次の日のとある新聞の「読者のコーナー」にも、
「『たま』はなっとらん!」
と書かれたりした。
この場を借りて本当にあの時のラジオ局の方にはお詫びします!
タイミングが悪かったのです。
ラジオ局の人は何も悪くないのです。
本当に申し訳ない。
俺の噴火が起きてしまったのです。
どうか、どうか自然災害だと思って勘弁して下さい!
すみませんでした!
この頃はさすがに何かと精神的肉体的に疲れがたまり、家に帰るととにかく妻に一目散に甘えていた(本当の事を言うと、今でも隙さえあればニャオ〜ンと甘えてるのだが・・・)。
その時妻は大きな大きな見渡す限りの野原となり、俺を大の字でグースカ寝かせてくれたのだ。
妻という安息の地がなかったら、もしかして俺は泥だらけの緑色の沼にズブズブとはまって石川五右衛門ならぬ、石川土左衛門になってこの世にはいなかったかもしれない。


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