

まえがき〜ランニングと坊主頭の秘密〜
俺は元来、人にジロジロ見られたり、気持ちを見透かされたりするのが何より嫌だった。できるだけ誰〜にも気づかれない様にこっそりと臭いのない屁のように生活していたかったのだ。
しかしそんな話をするといつも決まって言われるのは、こうだ。
「おいおいおいおい、あんたそりゃおかしいな〜。
だっておまえさんは、裸の大将の山下清の様にランニングいっちょうで桶だの缶カラだの叩いたり、坊主頭で変な動きをしたりしているじゃねえか。
それを目立ちたくないだぁ?
馬鹿こくじゃねぇ!!!
どう考えたって目立つでねぇか。
世の中にはなぁ、人より目立ちてぇ、目立ちてぇよぉぉという奴がゴマンといるだぞっ!
おめぇは自ら志願してそんただ格好してるんでねぇか。
そんで、そこそこいっときはテレビ出てたりして目立ってたでねぇか。
かぁっ、いやらしい。受け狙いだっぺ!
その受け狙いのいやらしいトンガリ頭のおまえさんの口がもう一度「目立ちたくない」なんてほざいてみろ。
お、おら、おら、う、受け狙いのいやらしいトンガリ頭で福耳のおめぇさんの奥歯、ガタガタいわせたるでぇー!!!」
まぁそこまでは言われないものの、趣旨を要約して群馬県北群馬郡あたりの老人の言葉を借りて言うとこうなるだろう。
でもそれは違うのだ。それは全然違うのだ。説明させてくれい。うんにゃ、説明させてくださいませっ!
まず、ランニングいっちょうという格好。これは必然だったのだ。
最初の頃は俺だって、普通の服を着て演奏していたのだ。
でも、パーカッションというのは、案外と肉体労働なのだ。
演っているうちにどんどんグショグショになっていくのだ。
だから脱ぐのだ。
どんどん脱ぐのだ。
セーターを脱ぐのだ。
カッターシャツを脱ぐのだ。
そしてハタと気づくといつだってランニング一丁になっているのだ。
そこで俺は思ったのだ。脱ぐのは面倒くさい、と。だったら最初からランニング姿でいいじゃないかと。合理的かつ実に男らしい決断なのだ。
次に坊主頭だが、俺は眠かったのだ。
眠かったので出かけなければならないギリギリまで眠っていたかったのだ。
でも出かけなければならないギリギリまで眠っていると、髪の毛をセットしている時間がないのだ。
変な髪の毛のまま交差点を渡るのだ。
変な髪の毛のまま切符を買って電車に乗るのだ。
変な髪の毛のまま振り向いてニコッと笑うのだ。
変な髪の毛は女の子にも笑われるのだ。
「石川さ〜ん。髪の毛、寝起きのままですよ〜クスクスクス。」
と言われるのだ。
笑われるのだ。
言われたくないのだ。ましてや笑われたくないのだ。
じゃあ、言われない為にどうしよう。その主原因はなんだ。沈思黙考。
そうだ!
髪の毛が伸びてるからいけないんだ。
髪の毛が伸びてるから朝髪の毛がセットできず変になるから言われたり笑われたりするのだ。
じゃあ、髪の毛をなくせばいいのだ。
簡単なことじゃないか、わっはっは!
でも、なくすといってもいろいろある。
スキンヘッドか。
いや、駄目だ。
スキンヘッドは確かに髪の毛はないが、代わりに主張がある。
メッセージがある。無言の抵抗がある。ファッショナブルだ。
ファッショナブルは駄目だ。
「まぁ、こちらファッショナブルねえ〜。」
とかマダムに言われるのはこっ恥ずかしい。
いただけない。
もしくはなんらかの所事情による人には言えないところの複雑なあれやこれやの理由でのアンチ・ファッショナブルだ。
アンチ・ファッショナブルは駄目だ。
いただけない。
「まぁ、こちらアンチ・ファッショナブルねえ〜。」
とかマダムに言われたら、顔ではヘラヘラしながらも、
「なにお〜ん!」
と思ってしまうだろう。
とにかくいずれにしろ両極端になってしまうスキンヘッドは駄目だ。
じゃあ角刈りか。
いや、角刈りもちょいと困る。
なぜ困るかというと、角刈りはなんとなしに威勢がよい。
「あらよっ、とぉぉっ!」
という感じだ。
だけども俺は威勢は良くない。
人に物を尋ねられた時は案外ハキハキ答える。でもそれは会話の間が一定以上開いた時の人と人との間にながれる、深くて長い川にどんぶらこっこすっこっことはまって海にシュルルーっと流されていくのがいやだからだけなのだ。
だから別に威勢が良いわけではない俺が威勢の良い格好をするのはなんとなく違う。
いやいや将来的に威勢のいい男になりたいというのならば、それでいいのかもしれない。形から入っていくうちに本物になっていくことも世の中には案外多いからな。
でも俺はそんな気持ちも夢も勇気ももっていないので、これはやめた。
と、なると、あと残っているのは丸刈りだけだ。
そうだ。丸刈りでいいじゃないか。
いや、失礼。
丸刈りがいいじゃないか。
丸刈りは頭の形がよく判る。
人は自分の頭の形を意外に知らない。特に若いうちは常に髪の毛で覆われているものだからついつい「頭の形」そのものの存在をすっかり忘れて日々、八宝菜をたべたりスポーツ新聞を読んだり爪を噛ったりしてしまうのだ。そしてある時ひょんな事から自分の頭を触ってしまい、絶句するのだ。
「俺はこんな頭の形をしていたのかーーーーーっ!!」と。
ある者は、
「こんなはずじゃない!!」
と壁に何度も何度も頭を叩きつけ血を流し、ある者は、
「へぇーそういう事だったのかぁ」
と部屋の隅でトックリセーターを頭からすっぽり被りながら虚無的に笑い続け、ある者は夜中の三時にこっそり家人にわからないように家を抜け出し、歩道橋の上でウオオと号泣するのだ。
だから、現実は早く知った方がいい。その為には丸刈りが一番よろしい。
ということで、ランニング姿と坊主頭が、いわゆる「目立とう根性」の発露ではないということは充分に解っていただけたと思う。ありがとう。
しかしそれでも人はおかしいと言う。動きがなんだかおかしいと言う。
でも動きはしょうがないのだ。小学生の頃、体育の時間にまず準備体操をする。ラジオ体操第一とか第二とかそういう感じの体操だ。先生の動きを見て、先生と同じように動く。先生が手を上げれば上げるし、屈伸をすれば屈伸をするのだ。
ところがなぜか石川君だけ動きが違うと言われる。どうも何か決定的に石川君だけが違う動きをしているというのだ。
前によばれる。先生がちょっとここでひとりでやってみろと言う。
やる。
「どっ!」
笑いの渦。
例えばそれは文章で表わせばちゃんと手も上げてるし屈伸もしているのだけれど、全然他の人とは似て非なるものだという。はっきり言えば、物凄い不器用で、もしかしたらこれはふざけてるのかしらん、人を笑わそうとわざと変な動きをしているんじゃないのかしらん、と誤解されるほどだったのだ。
そこで石川少年は考えた。涙をふいて考えた。この不器用は直らない。医者に行こうが直らない。勉強しても直らない。ネジをしめても直らない。直らないったら直らない。だけども落ち着け周りをみれば、どうやら皆な笑っているぞ。どうやら皆な楽しんでるぞ。不器用ブザマは笑顔の元よ、俺の悲劇は他人の喜劇、こりゃいいわー。こりゃいいわー。・・・こりゃいいか? ・・・まぁいいわー。本当にいいか? 面倒くさいからいいわでいいわー。
そして俺は考えを改めた。
「楽しまれる不器用」を目指そうと。
不器用のエキスパートを目指そうと。
俺は人の笑顔を見るのが、何よりも好きだったのだ。
だから人前で何かやる時は、自分の不器用を少し誇張して出すように心がけた。そのうち自分でも自分の動きがどこまで意図的なのか、よくわからなくなった。
あぁよかったと思った。
何年もそうしているうちに「意図すること」の方が自然になったのだ。だから逆に言えば俺の「自然」とは、必然的に意図のある状態ということになる。
そして不器用に反抗しなくてよかったとも思った。それは多大な努力の割に、報われるものは少ないように思える。全ては流れのままに。
不器用人間は、違う霊長類の生き物である。
ということで、そんな俺がひょんなことから「たま」というバンドをやることになり、それが「おひおひ、そろそろ解散にするよ」と叩き起こされるまでのなんちゅーかあれやこれやを少ない頭のメモリ容量(フロッピーディスク1枚分程度)の中からずるずると引きずり出して、書いてみたのだ。
読んでチョンマゲ〜。


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