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散文詩「消滅」シリーズ

消滅

die-in



作画 久遠唯さん


消滅


 目が醒めると私は実和子の中に入った。何度も何度も身体の芯が抜けてしまうほど実和 子の中に入り続けた。日が昇り、日が落ちて、再び日が昇り、交われば交わるほど自分が 空っぽになっていくのがわかった。青空に溶け込んでいく薄雲の欠片。午後3時の茫々と した海辺で風に吹かれてちりぢりになった砂粒。或いは、遠い異星で消息を絶った一体の ヒュ−マノイド。そのようにして、私は消滅しようとしていた。
              *          *
 実和子の肌を撫でながら、私は遠い砂漠を旅していた。なめらかな砂丘の曲面に沿っ て、首筋から乳首へと舌を這わす。燃料の切れたジープを乗り捨てて、はたはたとコート の裾を風に任せれば、飛砂が私たちの身体の曲面をなぞり、世界をひとつの美しい連続性 で満たした。砂をひとつかみすくい上げて空に放つ。風の中に一瞬夢幻の王国が出現し、泡 沫のように消えていった。
 小さな乳房を口に含み実和子の背中をゆっくりとなでる。指尺ひとつ幅向こうの砂丘の 上では何かがきらきら光っている。砂に足を取られながら広大な斜面を駆け登ると、光の 暗号は消え失せて、再び遠くの丘の上で何かが光った。午後になると大気が揺らぎ、蜃気 楼が立つ。遠く遥かな海辺の原子力発電所が空中神殿のように黄金色に輝いて、光の王の 降臨を待ち受けていた。
 細い指を探り、手をしっかりと握り合わせると、さらに深く実和子の身体の奥を愛撫し た。海はそんなに近くないのだが、微かに潮の匂いがする。誰が棄てたのか、広大な砂漠 の真中に一艘の船の残骸が半ば砂に埋もれて座礁していた。日に晒されて純白に輝く巨大 な竜骨が青空に突き刺さり、失われた帆が空無を孕んでいる。新たな時代のノアの家族た ちのために何者かが用意した箱舟だ。
 やがて互いを重ね合わせると私たちはゆっくりと砂の海へ漕ぎ出した。幻の海が満ち干 するように、実和子の中で世界が膨らみ、世界が揺らめく。熱核反応の焦熱の中で溶け出 した砂が再び結晶し、広大な砂漠の深奥に水晶の森が生成した。日が落ちて月が昇ると、 一本また一本と水晶塊に火が灯った。
 髪をなで、唇を求める。実和子は小さなため息をついて私の体液を受け入れた。
              *          *
 疲れると、実和子の腕の中で眠った。枯れ井戸の底の溜まり水。深夜3時の海底で蟹が 吐く泡。或いは、銀河の果てで黒々と渦を巻くブラックホール。そのようにして深く深く 眠り込んだ。
 時々電話が鳴って、神様が実和子に何か告げているようだった。私が受話器を取ると、 どこか遠い所で風が吹いているような、或いは海の轟きのような微かなざわめきが聞こえ るだけなのだが。神さまというものがもし本当に存在しているのだとしたら、果てしなく 遠い、寂しい所にいるのだろう。
                *          *
 そんなふうにして、幾日経ったのかわからなくなったころ、実和子の身体が微かに透け ているのに私は気付いた。夜、明かりを消して抱きしめると、星々が実和子の身体の向こ うに灯っている。無数の遠い銀河が実和子の中で渦巻いて、億光年の歳月を超えて互に呼 び合っていた。夜を迎えるたびに銀河の数は増し、実和子の身体は透き通っていく。
 そしてある朝、実和子は私の腕の中で冷たくなっていた。微かに残っていた実和子の温 もりもやがて完全に透き通って消えてしまい、あとには空っぽになった私だけが残され た。
 実和子の手を握り締めていたはずの掌を開くと、砂丘の上で夕日に輝いていた薔薇色の 石英が一本握られていた。


die-in


 実和子が死んだ後、私は自分が何者なのかわからなくなっていた。遠い異国の 砂丘のような印象であった実和子の身体は、いっそうその砂の木目の細かさを まして、石英の小さな粒のひとつひとつが絹織物のようになめらかな光沢を放 っていた。月の裏で印画された薄暗い部屋で、実和子は自身の内部から ほのかに発光して私を光の繭の中に包み込んでいる。日が昇り、日が落ちる。 砂丘の面をなぜていく風が識域下で微かに砂の配置を変える。すると埋まって いた一群の鉱物が砂丘の面に顔をのぞかせ、その結晶面が星明りを受けて妖し く光った。風のアルファベットのように明滅するその発光性の謎の鉱物は、世 界を催眠術にかけて永遠を呼び降ろそうとしているのだ。
 そのようにして数日をガラス細工のような遺体の側で放心して過ごした後、 私はいたる所にへこみのあるおんぼろ自動車を出して石狩湾へと向かった。 北国の冬は春を飛び越えて夏になる。私の頭上で太陽の日時計が音を立てて 軋むと、浜辺へいたる海岸草原にはハマナスの赤が鮮やかに咲きほころんだ。 砂丘の間を縫っていくでこぼこ道には土煙が舞い立ち、荒馬乗りのように跳ね 上げられる車の後ろには大海原を漂う操舵手のいない貨物船が一過性の航 路を残した。
 6月の海辺には人影がなく、凪いだ海は差し込む光やそっと通り過ぎていく風 たちと答えのない問いをめぐる気まぐれな対話を飽くこともなく繰り返してい る。寄せてくる波は足下で静かに砂に浸透し、輝く白い波頭は陽光の中に帰っ ていった。
 浜辺には夜逃げした移動サーカス団が残していった小さな観覧車が放置され ており、風を受けて巨大な風琴になっている。力いっぱい押してやると、静止 していた地軸の回転が私の足元を基点にゆっくりと回り始める。からからと回 る観覧車は日輪の祝祭の山車のように華やいだ雰囲気をかもし出した。
 冬の間に打ち上げられた流木を拾って歩く。海水に晒されて白い骨のように なった木々の断片は、風が吹かずとも宙空に浮き上がりそうなほどに軽く思え て、小一時間拾い集めて作った薪の山は地上に降りてきた迷子の雲の子のよう にも見えた。
 遠く湾の対岸の小樽の方には幾筋かの煙が狼煙のように立ち昇り、青空の中 に奇妙な象形文字を刻んでいる。あれは私への形而上的な合図だ。脳の中でか ちりとスイッチが入るのを感じ、私は浜辺に横たわった。貝殻を握り、横たわ る己の身体の輪郭を砂上に描いてみる。立ち上がって眺めると人の形をした何 者かが波打ち際に佇んでいた。
「どこから来てどこへ行くのだ、お前は」
 影は沈黙していた。波が打ち寄せ、そして帰っていく。
「むぎょー、むぎょー」
 カモメが鳴く。
 すると、巨大な天空が私の肩のところまで降りてきた。私は暗黒舞踏を舞う 狂人のように広大な浜辺を転がりまわり、様々なポーズで無数の人の形をした 痕跡を世界に記して歩いた。砂上に横たわるたびに、狂気が世界性を孕んでい くのがわかる。無が、永遠を受肉しようとしているのだ。
 永い放心の後刻、静止していた時が傾き、地平線に転がっていた巨大な夕 日が割れ落ちるころには浜辺は人の形の影で満たされていた。観覧車の下に 戻り砂を払い落としながら振り返ると、夕日に映える赤光の中で無数の影たち が一斉に立ち上がり、風に舞い上げられたタンポポの綿毛のようにゆっくりと ゆっくりと空に昇っていった。


つづく

(注・この作品はホムペの小説のコーナーにある小説「光の王」に第10節 第14節として挿入した散文詩です)
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