哀戦士たち……  私は、映画版の「機動戦士ガンダム」を、アムロ の乳離れの物語と規定してみました。その第二部。 そんなアムロが、敵対する社会をのぞいていった が、果たしてどうなるのか? そこは戦場です。ア ムロは否応なく生と死の境目で戦い、生き残ってゆ く。それは僥倖(ぎょうこう)によって得た“生” にすぎないでしょう。それにもかかわらず、それを 単なる僥倖にするも、しないも、彼アムロの自意識 にかかっています。  運かもしれません。たまたま、ニュータイプとし ての能力がそなわっていたから生きのびてこられた のであって、アムロの生は、選ばれた者の特権なの かもしれません。しかし、人の生きざまは、時々の 運と、持ち得る秀れた才能しだいなのでしょうか?  外界の刺激に対していかに反応し、いかに己を示 すのか、という覚悟の所産によって、その“生”へ の道は拓かれるのではないでしょうか?  でなければ、生き残れるはずがない。  強運を生かすこともできないでしょう。  戦場では、好むと好まざるとにかかわらず、戦士 たることを強要されます。日常生活以上に死と隣り 合わせの渦中に放り込まれるのです。それはアムロ のみならず、あらゆる兵士にとっても同じことなの です。  そこで人々は、ただひたすら生きのびようとして 全力を尽し、自分ひとりは生き残りたいと願いま す。にもかかわらず、時には死を選ぼうとするの は、そこに彼ら、彼女らが生命にかけて守ろうとす る“何らかのもの”があるからでしょう。  それは誰しも人類への期待でもありましょう。ひ とりの愛する人のためなのかもしれません。  それら、ひとりふたりの欲求を、いつしか己の内 なる力へと敷衍(ふえん)しうる力を持つものがい るとするならば、私はそれをアムロとしたい。口惜 しさと哀しみの中で死んでいかざるを得なかった幾 百幾千の戦士たち。彼らの怨念と希望(夢)とを呑 みこみ、この現実を突破し得る力をアムロに持たせ たい。  そんなスタッフの願いをかけたアムロ。せめて、 外界の洞察に満ちた人なりへ成長して欲しい。彼こ そ、現在の我々自身なのですから……。 次への飛翔を期して。