講談社 テレビマガジン デラックス8 機動戦士ガンダム TV版ストーリーブック4 読者へ 総監督:富野喜幸  己の力を信じたいものだ、と思う。しか し、物事の大半は個人の意思だけではどう にもならないということを、この一年あま りの時間が教えてくれた。  かといって失望したわけではなく、そん な世の中でも個の意思が伝わる部分もある ということを知った。それは、アムロの科 白ではないが、嬉しいものである。  二つの型式を使って、一つの事を伝える という試みをさせてもらえる作家は、そん なに多くはいない。それを僥倖とはせずに、 己の力だとするためには何をなさなければ ならないのか、そう考える今日このごろで ある。  その発想は不遜にはきこえようが、人と してこの世に生を受けたからには、死する までそう思い、生きてみようとしてもよい のでないかと考える。こんな時のめぐり あわせを全ての人が得られるのではないの だから・・・・。  よきめぐり合わせを、己にとってよきも のであると素直に受けとめることもできず に、傲慢になったり、奇妙に卑屈になって みせることのほうが、よほど不遜ではない のかと考えるようになったからである。  そして、そう考え、それを支えるために は僕は何をしなければならないのか、と考 えたときに、いかに己に力がないものかと 思い至るのである。だから、しのげるか? と予感もする。しかし、時もまためぐりめ ぐるものであるのなら、やってみせなけれ ばならぬのだろう。それが討ち死にであっ てもだ。  ここまでお読みいただいた方は、僕が何 をいおうとしているのかお判りいただけな いと思う。こんな文章をよしともしないが、 願わくば、諸君らの中の何人かが10年後に、 読み返して欲しいと思うのだ。1人の大人 (といえるかどうか)の本音がみえて、結局 は人の世のしのぎの物語であったのかもし れないのだな、ガンダムは、と気づいてい ただけたら幸いである。  そして、ニュータイプ・・・・。それは諸君 らの子たちに与えられるべき言葉なのでは ないだろうか、というのが僕の最後の本音 である。少なくとも、難しいことではない。 1981年8月27日